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合計 | 145件 |
読み | あんというなのしょうじょつー | |
放送局 | NHK総合 | |
クール | 2021年7月期 | |
期間 | 2021-09-12 ~ 2021-11-14 | |
時間帯 | 日曜日 23:00 |
モンゴメリの不朽の名作『赤毛のアン』をドラマ化した人気シリーズのシーズン2。
私は当初からこのドラマ大好きです。
毎回録画をして何度も視聴をさせていただいています。
再生する時は字幕と英語で、リアルタイムでは吹替で。いずれもおもしろく演出の素晴らしさや俳優さんたちの演技に圧倒されています。
特にギルバートとアンの恋の行方が気になって来年が待ちきれません。
アンはギルバートが初恋の人なのでしょうが本人はそれを認めようとはせず、かたくなな態度をとってしまい、それに呆れたギルバートは、手伝いをしている病院の受付嬢にどうも恋をしている模様。あれ程美しければ魂を奪われるのも無理は無いかなと思いますが、なんといってもアンの魅力はこの世のものとも思えない妖精のようなとらえどころがない儚さと賢さを兼ね備えているところ。
これからどちらがギルバートのハートを射止めるのか、気になって気になって来年の再開が待ち遠しくてたまりません。
ここ、まだ『2』のままですが。
他のドラマのサイトは変わったのに、
『3』にならないんですかね!?
今まで見てきたアンとは違う良さがあると思います。
年末年始にかけて、シーズン1と2の録画していた分を見返し感じたこと。
年輪を皺として刻んでいるマリラ、ジョセフィンおば様、ジェニーの嘘のない凛とした美しさに感嘆しました。みな気品に溢れ、そのことばの音声になんとも言えない安堵を感じました。
愛を経験し、傷つきながらそれを乗り越えてこられた方々です。
そもそも気品など誰でも付け焼き刃のマナーブックなどで身につくものではないですから。
英国人ならではの、絶妙なユーモアも見逃せません。
確かに絵面は美しいのですが何か違うような気がします。「アン」のイメージから遠ざかっている感じがします。
デルフィーヌ可愛い~。お馬さんの目がとても綺麗だ~。
成長期の子たちと大人たちの世界観が同時進行で描かれているのが良き。
それとミクマクの自然に沿った知恵に気付かされる。
バーンダンスの場面、ギルバートとアンはお互いときめいて、目をあわせては伏せ、その名状しがたい思いをうちけそうと、困惑しているすがたがとてもかわいい。ギルバートの黒い目とシャープな顎の美しさといったら✨
お互い最初から好きだたったのに、気づかなかったのか、認めたくなかのか。でも確実に、アンは恋に落ちた目をしていました。
ギルバートの方は恋なのか、ウィニフレッドとも、デートをかさねていたし、にんじんを切りながら混乱している様子。
大人のセバスチャンは、
「恋と愛はちがう」とさとします。
一方ダイアナは親に内緒でジェリーとの秘密のデートにスリルを感じながらときめいています。
こちらは、あまりの身分の格差があり、ダイアナも承知のうえ親友アンにも内緒でちょっと危険な恋かもしれません。
いずれも、青春。若葉の頃の少年少女たちの微妙で甘い心象風景が見事にえがかれて面白かったです。
次週が待ち遠しいです。
脚本は素晴らしい。
問題は映像だ。顔のアップを映し過ぎだ。小皺などが嫌でも目につく。止めて欲しい。
たしかに、日本では考えられないですよね。
整形なのか、照明調整の技術なのか年齢不詳の中高年女優が乙女のように、アップででてきます。
親族がモデルをしていたので皺消しなどの技術は、かなり大変とききました。
19世紀の過酷な農村、気苦労も多かったとおもいます。ことさらに目だたせるのはどうかとおもいますが、ありのままで十分素敵です。
プリンスエドワード島の、美しい壮大な自然はみごととしかいいようがないです。カメラ担当の方に
お見事❗️といいたい。
寄る年波には勝てずということばはかなしいけど
事実です。還暦を過ぎたら実年齢をかくせなくなるのはあたりまえだし、自然です。
皺は嫌ですが、加齢や、屋外での過重労働、病気
気苦労でできたものは、しかたないと思います。
微笑みや、優しさ、精神の美しさは顔にでています。とても素敵な高齢女優さんたち。大好きです。
アンたちの心の支えとしても、これからも長生きしてほしいです。
個人的には、このドラマは顔の皺やシミさえも愛おしいと思えてしまう様な、素晴らしいストーリーのドラマだと思います。むしろそれがリアリティを生み出していて更に感動するのかも知れません。
ルビー役の女優さん、急に大きくなったね。あんなに小さかったのに、今一番大きい?撮影期間がちょうど成長期だったのかな。見た目からして思春期って感じですね。でも「女の子で良かった」と涙ぐむルビーを見て、まだまだ子供でほっとしました。なんか恋愛とか絡んでくると、親気分で観ている自分もソワソワします。
バーンダンスで互いを意識するあまり、ダンスの授業に居心地の悪さを訴えるアンとギルバート。
恋の目覚めを通り越し、既に深い愛情を知るセバスチャンの「蜂だってダンスするだろう。」のストレートな一言に、生きものの包括的な営みを感じた。
セバスチャンやデルフィーヌを見ていると、メアリーの面影が見えてくる。
少女たちの密かなベルテーン祝祭が美しく、民族的なものを感じました。
ベルテーン祝祭のことがわからなかったので検索してみたら、そこに載っている写真で過去に似たようなものをドラマで見たような気がしてきて…『いだてん』で、大正時代に女子体育を学ぶために英国留学した二階堂トクヨ氏が持ち帰ったメイポールダンスを思い出しました。ルーツなのかな?と思いました。
どうも期待していたイメージと違う。確かにそれらしき雰囲気はあるものの。
愛の物語、キリスト教(長老主義教会) の解く隣人愛、ケルト民族特有のロマンチックな要素は、原作赤毛のアンの魅力で、それらはこのドラマにも十分描かれていますが、唯一違和感をおぼえるとしたら、思春期の性の問題をかなり、現代に近い形でえがかれていることと、あらゆる残酷な差別を描いて悲しい気持ちにさせられることです。
でも、百年前にも実際あったのです。
それをドラマとして描いたことは勇気のあることで、脚本家は天才的直感で、議論の対象となることを承知で、セバスチャン、ジェリー、コール、カクウェットちゃんといった、魅力的なキャラクターを創造したのだと思います。
みんな愛すべきキャラクターでだれ一人不幸になってほしくない。
聡明で深い愛をもったギルバートと、詩的感性豊かな女神のようなアンが、きっと運命の糸で結ばれアボンリーのひとびとを、そして、100年後の私たちの人生、わたしたしの子孫の人生をも豊かなものにしてくれる、そう予感させられるドラマだと感じました。
ジョーシー・パイはときに意地悪な面があったけど、女性として辛い出来事に合ったのかもしれないと思ったら、やっぱり同情するし助けたくなる。だけど、ジョーシーが傷ついたことを問題視しない人たちもいるから、アンの正義は周りの人にどこまでわかってもらえるかな。
皆で楽しく過ごす中で色々な人の感情がうごめいていて、見応えがあった。
品評会を見にミクマクの子も来ていたみたいだけど、寄宿舎にいるカクウェットはどうしているのかも気になる。
つまらないものはつまらない
カウンティフェア準備段階から手がこんでいて、みんな総出で楽しいお祭り、ゲームのコーナーをつくり、巨大なテントや、気球まで。ゲートをくぐりぬける人びとの笑顔を思いうかべつつ、年に一度のことながら、ここまで丁寧に美しく彩り豊かにつくるのか、と、わくわくして見ていました。
ただアンにとっては、傷心の1日となりました。
親友ダイアナにギルバートへの淡い恋こころをうちあけ、おめかしをしてきたつもりでしたが、残念なことにアンのよさをひきたててくれるどころか、欠点ばかり目立つ、コスチュームに思えました。ダイアナや、ルビー、ミニーメイならかわいかったたろうな。という感想をもちました。
デイジーで、恋占いをしているときは、回りの自然に溶け込んで少女らしく、かわいかったですが、いざ門をくくりウィニフレッドと対面するときには、彼女のドレスが素敵すぎ、スタイルも完璧な美人、ギルバートは完全に彼女のもの。なぜなら彼女はどうみても、少女ではなく上流階級の訓練をうけた女性で、自分に似合う自分をひきたてるコスチュームをパリの最新流行もとりいれながら、作らせることができるから当然でしよう。
自分は片想いだとうちのめされているのが、よくわかり、いんちき占い師に赤毛を振り乱し文句をいいにいくさまは、癇癪もちのアン ,シャーリーそのものでした。でもわたしは、それもひっくるめてアンが大好きです。表面を取り繕い、お腹のなから真っ黒という女よりよっぽど魅力的です。
ケーキも、マリラの手違いでバニラの代わりに湿布薬をいれてしまい審査員たちがはきだすしまつ(笑)
アンにしてみれば、真剣に、メアリーのレシピに忠実に作ったはずなのに。鼻風邪をひいていて気っかなかった。それだけのことです。マリラに確認するとか無しで一切自分一人でやってのけると思い込んだら突っ走るアンの悪い癖がでてしまいました
ジョーシーの件も、友人たちが言うようにデリケートなことに立ち入りすぎ、ひとりでつっぱしりすぎ。次週はとんでもないことがおこりそうな予感がします。正義のために人を傷つけてはいけないです。
ラスト夜中一人新聞をつくりに精をだす場面はちょっとこわかったです。
マリラとマシューの思いやりで別な視点からものをみてみたら?
と気球にのせてくれたとき、広い視野でものを見ることの大切さを学んだはず。なのにまた勝手に誰にも相談せず、突っ走っていくのね。
諸刃の剣のようなアン。
一番傷つくのは、自分なのに。
どういう顛末になるか、気になります。
久しぶりにここを覗いてみましたが、やはり好きな人にはとても魅力的なドラマなんですね。
裏番組の為に起きている時間帯で、最初の方だけ見てますが個人的にはアンとは別の話。という感想から離れられず…。それほど、アンは特別な物語なんです。著作権が切れて好きなようにアレンジ出来るようになったのか、それとも子孫に許可を得たのか。だとしても、全世界にファンを持つ特別な物語は既にファンのものでもあると感じ、こんなに変える必要ある!?と感じてしまいます。
思い込んだら突っ走る悪い癖はアンの持ち味ですね。そういう所はあるものの、結果がより甚大な感じがしてしまう。そういうドラマだと感じます。3はどのように終わるのでしょうか。
ぜひ続編を作ってほしいです。
このドラマは赤毛のアンとは、全然別なものとして
とらえて楽しんで視聴しています。
風と共に去りぬ、嵐が丘、共に映像化したものを見ましたが、原作とあまりにも違うのでショックをうけたものです。特に最初に映像化したものをみると、原作者はおこるだろうな。とおもってしまいます。でもこれらの映画は70年たっても、その価値は称えられて、不朽の名作といわれつづけてきました。
ただここ、数年は多様性を重んじ白人至上主義を、見直す意味であまり上映されなくなってきたそうです。
個人的に、アンという名の少女は、打ちきられてしまってたそうで残念ですが、根強い赤毛のアンシリーズに愛着がある人は繊細な英国文化に憧れる人が多いでしょうから、ぶち壊しにされたようなショックをうけるのは当然だとおもいます。
アンは、愛するギルバートの妻として、たくさんのこどもたちを産みそだて、夫の仕事をささえ自分がなりたかった教師や詩人の道をあきらめたのだと、でもそれで幸せ、ギルバートと子供たちがいてこそのアンだったのだから。
だから、「アンの娘リラ」を読んだときは、次男ウォルターを世界大戦で、失ったときの失意のアンが描かれ、衝撃をうけました。わたしは、このリラの物語が辛いけど、一番好きです。
ドラマは、ドラマで楽しむ。最上の文学作品集の
原作とは別ものとして。
多様性と、あらゆる差別をなくしていこうという現代の要素が、このドラマにあったとして、わたしはこの作品に出会えたことを感謝しています。
「ジェーン、エア」を読むきっかけをつくってくれたのもそのひとつ。
キャラクターの俳優さんたちはみな、とても魅力的です。
異なる時代の、異なる国の、異なる文化や社会の様子が興味深い。
最初は違和感ありましたが、今はこのアンも素敵だと思ってます。
「赤毛のアン」はとても好きなのですが、この作品に関してはどうも違和感が抜け切れません。絵面から滲み出る日本では作りえない雰囲気はさすがとしか言いようがありませんが。
お知らせ版で、ティリー、ボウルダーがいつももてもてなのは、なぜなのか?
彼女は、かなりぽっちゃりだし、ダイアナ程美人でもない。
でも彼女は彼女にしかない女性らしい魅力があり肌もきめこまやかでうつくしい。空気を読む力もあり、優しい雰囲気をもっている。
ただ痩せてさえいれば男子にちやほやされると、かんちがいして極端な食事制限などする娘が日本にはあとをたたないが、思春期には害になるだけでむしろむだとおしえてあげたい。
今回はプリシーが一際かっこ良かった。進学したのもあるだろうけど、フィリップス先生とのことが彼女を深みのある人に成長させたのかもしれないと思うと感慨深い。
言論の自由や権利といっても、感性を文字化して他人に理解してもらうのは容易ではないなと改めて感じた。メアリーの清らかさを称える記事に対する妬みや嫌みが、ここで出て来るとは。容易ではないからこそ、粘り強く挑むことが大事なんだろうな。
無抵抗に訴えても印刷機が取り上げられ、あららーと思ったところで次回へつづく…。
プリシー素敵でした❗️
「すがり付く男よりこの家に嫌なものがある。
それは、偽善」彼女の心ははもうアンドリュース家のだれより、自立にむかっている。
アンは、早まってかいた記事について、ギルバートとステイシー先生に救われ、今後は決して、つっぱしらないよう、熟慮ということを学んでほしいです。
ダイアナにたいしても、ジェリーとのお忍びの恋にショックをうけるたのは、わかるけど自分の感情にまかせて、暴言を発してほしくなかった。
できるだけ、早く仲直りしてほしい。
ダイアナがいなくなった心の空白に、ギルバートがはいりこみ、アンの心を暖めた場面がありましたが、ギルバートにはウィニフレッドがいることがわかってるので、「ウィニフレッドはしあわせね」というなり、家のなかにはいってしまう場面はせつなかったです。なんかとても切ない場面でした。
自分の思いを貫き通す。それは悪いことではないけれど。
アンの場合は、自分は正しいことをしているという思いばかりで突っ走る。傷つく人がいると考えないのか。
何故殴られたかもわからず、突っぱねられたと思うばかり。身体は大きくなったけど、いや、大きくなったから失敗も深刻。私の周りにこの娘がいなくて良かった。そう感じる。
マリラやギルバートに対して主張する時のあの目が嫌だ。星はアンに対して。結果皆が賛同してくれても、それは周りが暖かいからだと思う。
サッと折った紙飛行機を飛ばしたステイシー先生ナイス!
プリシーも素敵でした。
最後に不穏な影。燃えてたけど…。
わたしは、かつて、アンが思いがいっぱいいっぱいになったとき逃げ込む、隠れ家の、今はビリ~のせいで廃虚とされた場所で、雄叫びをあげながら泣き、踏み潰すときの目が怖かったです。そこはかつてコール、ダイアナ、ルビーたちと語らい、夢を育んだ、素敵な場所。
孤独で愛に飢える子供だったアンをなぐさめてくれていた場所でした、
憧れのステイシー先生と気持ちが通じあった場所てもありました。
アンはそのステイシー先生から、新聞作りのメンバーからはずされてしまいます。それはしかたない、ジョーシーを傷つけたのですから。
空に向かってのあの表情。
学校評議委員会の、黒ずくめの老人メンバーの圧力に対して、それに1人女性としてくわわっていた、レイチェルさえも、数の力で妥協せざるをえなかった。それを尊敬するステイシー先生を、通して伝えられた、アンの繊細な心はきりさかれてしまったのか、狂ってしまったのか。
鬼気迫る演技でした。
エイミーベス見事でした。
悪の発端は、ビリーでしょう。
わたしは、ビリーにたいして星マイナス5個くらいつけたい。
ジョーシーが最終的に、ビリーをふり、アンと和解へときもちが動いてよかった、と思いました。
カメラの美しさは心を奪われます。
いまだに私の頭の中に住み続けているアンとその周りのエピソードを求めてしまいますが、
盛り込まれているテーマはなるほどと感心しています。
ステイシー先生、プリシー、今回素敵でした。
イメージとちがう
ジェリーとダイアナの交際を、ジェリーから聞かされショックを受けるアン。
アンはダイアナの気持ちを無視し、自分との友情も、パリの花嫁学校にいくまでの暇潰しなんでしょ?
などと酷いことをいってしまいます。それにたいしてダイアナは
「よくそんなことがいえるわね。
今まで、どれほどあなたの味方になってあげたか(途中略)」
アンが自分の境遇について、どうせなどと自分を下げる発言をすると、
「あーまたはじまった。悲劇のヒロイン、アンシャーリー、完全にあなたの勝ちよ」
原作にはない、このダイアナの荒あらしさ。
びっくり仰天。
でも核心をついていたと思いました。
二人の友情はもう修復不可能なのでしょうか?
先が気になります。
シーズン3ってほんとスケールが大きい。今ままでの文化を相手に反論しているんだから。子供という、今後の未来を担う存在の精一杯の訴えには胸が熱くなった。ここにダイアナが居たらパーフェクトだったんだけど。アンやダイアナ、ギルバート、あとカクウェット、それぞれどうなっていくのかシリーズも大詰めですね。
荒々しいダイアナ。ジェリーとキスしたがるダイアナ。
原作で読んだ覚えもイメージもないです。
(絡んでごめんなさい)
ウィニフレッドは原作に出てきたっけ!?
シリーズを読んだのはかなり前なので、忘れている部分も多いけど、いやいや、これは…(~_~;)というシーンばかり。
原作を変えることを全否定するつもりはないけど、この変え方はえげつないです。
結構な言葉の殴り合いをした2人の友情が、どう元に戻るのか私も気になります。
そして、最後の火も。
アンを演じている女優さん美人ではないけど、魅力的です。声も雄叫びさえあげなければかわいらしい。
どこかでみたことがあると思ったら、「グレートギャツビー」にでてた、ミア・ファローさんを髣髴とさせるような。ギルバートと無言で見つめ合う場面でふと、感じました。あの目でみつめられたら心臓をわしづかみにされてしまうだろろうな。ウィニフレッドなどどこぞにふきとんでしまうほど。
ウィニフレッドはでてこないけれど、クリスチンというアンがギルバートの恋人と誤解するきれいな女性はでてきます。
ダイアナは原作では終始おっとりしてあらぶったりしない。名前のイメージで、創作されたオリジナルのキャラクターだとおもいます。(気性の激しい月と狩りの女神)
最後の火、印刷機の持ちだしよくみてなくてらここできづかされまし。ありがとうございます。
あらら、受験前なのにどうなってしまうのでしょうか?
ジョーシーとの会話で、アンが「女の子は何もできない、役に立たない…とか、(孤児院で)ゴミだとか言われても、私の価値はもとから変わらずにあったことに最近気がついた。」というようなことを言っていました。
この会話を聞いて、原作でもドラマでも、グリーンゲイブルズでは男の子を引き取るつもりだったが迎えに行った駅にいたのは女の子だった、というところから始まっているのを思い出しました。そして、その後のアンとマシューとマリラが、事あるごとに愛情を持ちつつ価値観を見つめながら対応してきた物語の数々が、頭の中で駆けめぐりました。
また、アンが自身の変わらぬ価値に気付いたのは、ルーツを探すために孤児院を訪れた際、入所していたときは傷つきながらも夢を抱く気持ちを理解する感性を育んでいたことを、一緒に行ったコールが伝えてくれたのもあるのかなと思いました。
孤児院で育った少女が、自身の変わらぬ価値に気づく。自分の価値はもとから変わらずにあった。と気づくことは素晴らしいです。そういうメッセージが隠されていたとは。そして有名な原作なら、多くの人が見て、そのメッセージに気付いてくれるでしょう。
オリジナルなら良かったのにと思ってきましたが(今も思っていますが)このドラマの原作がアンなのはそういう理由なのかもしれません。
ただ、私は原作とかけ離れていると感じ、なかなか受け入れることは出来ないです。
むしろ、ここで皆さんの投稿を拝見する方が気付きがあります。そんな見方があったのかと。
正直言って期待外れ感がある。自分が思っていた世界観ともちょっとズレにようなものを感じた。
カクウェットがミクマクの皆の所へ戻って来られて胸がいっぱいになった。
一方、寄宿舎で一緒にいた子は変わらぬ生活を強いられるのだろうかと思うと辛い。
前回どうなるのだろうと思ったことが進展して、見所がたくさん。
アンからの質問に、ジョセフィンおばさんが愛について語った内容が良かった。
今回は45分間に沢山のエピソードを盛り込みすぎた感はありましたが、自分に正直に生きているアンと、
それが大事だと気づいたダイアナが仲直りできて本当によかったです。
ただ同時進行で、カクウェットちゃんが、寄宿学校から脱走できて、家族のもとに帰りつく、過程が、酷すぎて可哀想でなりませんでした。彼女も自分らしく生きたかっただけなのに。誇り高いミクマク族のむすめとして。
ギルバートは、どうしてストレートに、アンに愛を告白しなかったのでしょう?
あんなきりだし方はやはり酷いと思います。生殺しもいいとこです。
同じ酷い態度だけど、ダイアナのほうがまだ、あとをひかないでしょう。
あの断りかたでよかったとおもいました。
ただ、罪のないぬいぐるみや、本まで地面に叩きつけるのはどうかと思いましたが。
アンとダイアナ。呆気なく仲直り。それだけ互いの存在を欲していたということなんだろうと解釈したけど、とにかく喧嘩の時に投げつけた言葉が酷すぎる。
そして、罪のないモノに八つ当たりが酷すぎる。
その辺りも本国でブラックアンと言われる所以か…。
前回ラストで火が出て、今回は火事から始まるのかと思っていたが、既に…(-""-;) 印刷機盗難は村のお偉いさん。外部の泥棒でないなら、学校の大切さもわかっているはず。煙草を吸って火を消しきらないなんて。
アンのやり方は乱暴で傷つく人のことを考えもしなかった。
でも、結果 女性達の目を覚まし、リンド夫人まで味方になった。リンド夫人は敵にまわすと厄介だけど、味方ならこんなに心強いことはない(^^;。。
バッシュの母親はなかなか差別の気持ちが抜けない。そういう人生だったのだろう。
いつかはギルバートと呼び、村の人達とファーストネームで呼び合うようになるといいな。
残り少ない。どうまとまるのだろう。
今回はアンに共鳴し、ギルバートの態度に困惑しました。試験が終わった夜、クラスの皆で焚き火をかこんでアンの海賊ダンスに盛り上がっているさなか、一人で現れて
「大事な話がある」とアンを呼び出し優しく手を取り何を言い出すかとおもいきや
ソルボンヌ大学と、セットになっているウィニフレッドとの結婚を迷っている理由が、1つだけあると。
それは、それとなくアンのことだ。と示唆しているのですから、アンが困惑し、心がかきみだされるのはよくわかります。ギルバートがバッシュのように自分の気持ちに正直になれないのはなぜ?
アンのことが好きなくせに。なぜ素直にそう言わないの。先にそれをいわないと。もっと二人きりの時間をとってほしかった。人生の一大事にかかわることなんだから。
ソルボンヌのために、ウィニフレッドと結婚するの?
いきなり、熱い眼差しをそそぎ、アンを見つめ、アンがいるから迷っていいるなどと。アンの気持ちにもなってみてよ。
取り乱してしまったアンから、振られたと勝手に思い込み、翌朝バッシュに「ウィニフレッドにプロポーズすることにした。」と伝えると
「アンは過去のひと、ウィニフレッドは未来か?」と皮肉を言われる始末。
では現在はどうなのよ?
と突っ込みたくなる。
つまらん
最後にギルバートを愛してると言っていた。アンとギルバート2人の動きがシンクロしているシーンもあったから、ギルバートも土壇場で本当の気持ちに気付くのかな。次回は2人に進展あり!?
ギルバートは2人の女性に気持ちがあって、アンの方により気持ちが傾いている感じなんですかね。
でも、今までアンの 配慮を欠くような無神経発言や、盲目的に突っ走る所、自分の発言を一切曲げない挑みかかるような目など…ギルバートが眉をひそめた顔を何度か見たから、何故にそれほどアンが良いのですか?と聞きたくなる。
結果、アンが色々な変化をもたらしていく行動力などに惹かれているのだろうか。
昔の異国の話なのにすごく共感できる。
人の気持ちは何処に行ってもくるくる変わるし、自分にとって周りの人は敵味方というだけでない、時には助けて助けられ、またある時には反発しあう。
レイチェルさんはとくに立ち位置がくるくる変わるけれど、味方になると心強いことがまた一つ証明されたし、先生はアンにそっくりで負けず嫌いで困難にもへこたれないそんな先生にバッシュがいい取り合わせかもしれないと気づかされた今回。
そして鬼のようなシスターの元から逃れた少女は、黒髪とおかっぱが日本の昔の女の子のようで命からがら逃げる様に心を痛めた。戦争中に満州や日本国内で逃げ惑った少女のように見えた。
彼女が故郷に戻れたのはよかったが、心に残った傷を思うとやり切れない。
ジョセフィンおば様がアンに愛について語る場面、心に滲みましたが、
今夜もういちど、字幕版にして耳をかたむけてみようと思っているところです。
文化の違いなのかそういう時代なのか分からないけど、ギルバートの行動は理解に苦しむ。アンを想いながら他の女性とお付き合いをし、アンに断られたからといってショックを受ける。自業自得では?そして、アンが自分の将来の事を考えて断った事を考えられるほど大人では無かった。アンが追いかける形になりそうでちょっと納得いかない。
ステイシーとバッシュも意外といい感じになるのかな?リンドさんも最初から比べると見違えるように変わった。この人を味方にしたら本当に怖いもの無しだった。あと、血のにじむような執念でようやく我が家に辿り着いたカクウェット。このまま終わるはずもなく。ラスト2話。4週間後ですが楽しみに待ちたいです。
主演が10代後半のナタリーポートマンだったら夢中になれたものを。
北京オリンピックのため、放送は、あと二話を残して、4週間後まで延期とは。
待ち遠しいけれど、録画した分をゆっくり見返せるチャンスだと思い楽しみに待つことにします。
ギルバートは原作ではアン一筋で、家庭も複雑とは描かれていなかったけれど、ドラマのギルバートは肌の色や、社会的地位ではなく、その人物が信頼に値する暖かい心をもっているかで、黒人のバッシュを家族として、うけいれたのです。ギルバートや、アン、リンドさん、マリラな見守りがなければ、今後どこででもバッシュとデルフィーヌは受け入れてもらえない可能性がある最中、長年差別にさらされてきた、バッシュの母へイゼルの登場。
ギルバートはウィニフレッドが、恵まれた上流階級の両親の、期待に十分応えて生きてきたことを目にし、自分もその、住む世界が違う人々のなかでやっていけると確信したのでしょうか?
ソルボンヌ、住まい、学費、娘を幸せにすると言う交換条件で。
私は、ギルバートにこそ、クローゼットのなかで泣いていたミニーメイの台詞を言ってやりたい。
バッシュはやさしすぎ。
ただ今回印象的だったのは、ギルバートが、炎の照り返しをうけ、女神のように踊るアンを熱い目で見つめ、
その後流れる音楽が、切なく美しく、
素敵な場面でした。このドラマカメラワークだけどなく、音楽も素晴らしい。と気づかされた回でした。
試験前に校舎がなくなり、それでも生徒たちの動揺を鎮めて前向きになれるよう励ますステイシー先生。勉強場所を提供し、レモネードをふるまうなど精一杯のことをする姿に、先生が倒れなければいいのだけど…と思いました。
その後、生徒たちが試験に行った後で釣りに出掛け、評議員に対する本音を声高に晒してストレスを発散させるステイシー先生を見て、安心しました。
ギルバートもアンも愛や将来について模索しているようで、ジョセフィンおばさまのいう、愛は複雑で自分でも気付きにくい側面がある、というのをまさに経験しているような感じがしました。
カクウェットが寄宿舎から逃げるときに必死につかまっていた馬車を見て、シーズン1でアンが孤児院から再び離れるときに乗った牛乳配達の馬車を思い出しました。アンもカクウェットも、牛乳配達の方は事情に気付かないまでもこうして助けられたのだと思うと、おおらかな優しさを持つこの方の存在感が大きく見えました。
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