お祝いのバタークリームケーキ、とっても綺麗で美味しそうでしたね。
生クリームのケーキが出てくるまでは、バタークリームケーキだったんですよね。
赤とか緑のアンゼリカ(砂糖漬け)も可愛くて好きでした。
なんだかとても懐かしかくて、もう一度食べてみたくなりました。
検索してみたら、(懐かしい昭和の味わい)バタークリームケーキでネットでも買えるんですね。
昔より美味しくなっているらしくてジワジワと人気が復活しているみたいです。
茨城北部に行ってみました。花子とアンやおひさまのロケに使われた木造の古い小学校が、何とひよっこの里の奥茨城にありました。山や田んぼの原風景とともに昭和レトロな空気に包まれたものが残っている土地だと思いました。
バタークリームでしたよね!!!
今でもお雛様とかはバタークリームのケーキが食べたくなる。
瀬戸の花嫁など昭和を代表する大作曲家・平尾昌晃先生が79歳で亡くなっちゃたね。
必殺仕事人、西崎みどりの旅愁、熱中時代から僕の先生はフィーバー、水谷豊のカルフォルニアコネクションが好きでした。
平尾まさあきさんは熱中時代の校長先生船越英二さんの息子の不祥事をどう受け止めていたのだろうか
あと
こごなまは
打ち切られると思う
ひよっこに関していうと
あまりおもしろくないので
見逃しても
残念ではないところが
心地よい
東京はあんなにのどかなところではなかった
また
部屋にゴキブリが出ないのもおかしい
ゴキブリは必ずいる
部屋に出るアレ?
いや、そこまでリアルにできんでしょ。
朝から、こんなもん見せて!
抗議の電話が鳴りっぱなしになる。
モノを見せなくても、イメージだけで、ゾワワ。
ちなみに、子供の頃の我が家、・・・だらけでした。
バル○ン焚いても、意味なかった。
夏は年中玄関も窓も開けっ放しだったからね。
アシタカグモも、もれなく居た。
押入れとか、トイレの天井とか。
行水とかもらい風呂という言葉が死後になったね。
毎日風呂に入るのが贅沢な時代にたらいで行水
人の家に風呂に入りに行くとか普通にあったな、あの時代。
鈴木砂羽さんが貧乏生活をしてた時に台所の流しに水を張って体を洗っていたとか…今の人は潔癖症過ぎる。
バタークリーム…我々が食べていたのは正しくは
マーガリンクリームと言った方がいい物で
本物のバタークリームは「こんなものバタークリームじゃねえ!」と
ちゃぶ台をひっくり返しそうになるほど、それはそれは美味しいのですよ。
一切れしか食べられなかったケーキ。
大人になったら、ホールで買って、ひとりで食べるぞ。
と思っていたが、
実際大人になった今、一切れ食べたら、もうたくさん。
大人になるって、悲しい。
そうなんですか!?
本物のバタークリ―ムケ―キ食べてみたいです。
私も一切れで十分ですけど(笑)
先日のミュージックステーションに
桑田さんが出てて朝ドラの話になってましたね。
タモリさんも毎朝「ひよっこ」観てるらしいです。
私も見ました、嬉しいですよね。
フル バージョンの「若い広場」初めて聴きましたが凄く良かったです。
この曲を聴くと昭和歌謡の香りが漂っていて懐かしさでいっぱいになります。
桑田佳祐さんの歌詞に込められた想い。
「自然と自分自身の人生を今一度辿っていくような感覚」
制作統括のコメント
「ひよっこが描く1960年~70年代は歌謡曲の黄金期。みんなで同じ歌を歌って、みんなが同じ気持ちになれた時代でした」
本当にそうでしたね、今とは違う良さがありました。
♪あの日見てたサウンドオブミュージックというより、桑田さんは若い時にNHKの「若い広場」を見ていたのではないのかな?
アイコさんが独身なのは、戦争で夫となるべき年齢層のオトコが極めて少ない世代だったから。
サナエさんと同列にしてはあかん、と思う。
林檎農家の跡取りは、この時代なら、まだ、嫁日照りにはなってなかったと思う。
ミュージック駅の
桑田啓介はブルゾンちえみに
うるさいよ
といっていたが
ブルゾンちえみはあそこで
お呼びでないこらまた失礼いたしました
といって
引き下がるべきであった
殺したい男性がいるっていう愛子さんと早苗さんの本音トークは??だった。だって愛子さんは恋人を戦争で亡くしてるのに、この上更に殺すとかそういう感覚になるのかな?
イチコロにしたいってことなのか?
戦争すぐに4歳年下の男性と結婚した叔母がいた。
桑田さんの若い広場のミュージックビデオは昭和のホームドラマ風だが、奥さんにお酌され更にリルがいて男の願望そのものだった。
今日のひよっこはミニスカートやフーテン族を写していたけど、実さんは失踪からフーテンにでもなったのか?
今日も昭和感満載で良かったわ。
再現度が凄いと思います。
菅野さんの女優ドレスもいつも楽しみです。
日曜日のお昼にやっていた牧伸二さんの番組を思い出したよ。
バーゲンセールですか?懐かしいですね。
いやぁ昭和って本当にいいですね、と本スレを読んで懐古してしまった私。
安アパートに住んでいた時代、隣にどんなお客が来たとか、あの子は恋愛中だとか全て分かってしまうようなあの暮らし。
それから数十年してお世辞で立派なマンションに住めるようになったけど、隣の部屋の家族構成もよく分からず、階下からは足音がうるさいとか、近所からは赤ちゃんの鳴き声がうるさく響くとか来るのは苦情ばかり。そんなの当たり前でしょと思ってもグッと我慢、これじゃ犯罪も増えるよね。
年号が変わるとどんな時代がやって来るのだろう。オリンピックを三年後に控えてるけど、熱中症は大丈夫か?地球環境は明らかに変わってると私にもわかる。
ある中学校で「ポニーテール禁止」になったそうだよ。
うなじが男子生徒を欲情させるとの理由だって。
後ろの席の男子はブラ線だけでなくポニーテールも見て興奮するのか。
昭和世代には困惑する校則だよね。
その学校は今年で廃校になるらしく、変な校則もなくなるのでしょう。
421さんの書き込みを読んで、
子供時代(高校生時代まで)住んでいた、団地を思い出しました。
市営の長屋タイプの団地で、一軒づつ横並びだったので、
上下の騒音はなかったけど、左右の生活音は筒抜けでした。
というか、夏は玄関や窓を開けっ放し、外出時は無施錠!
(隣近所の目がセコムのように守ってくれるえていました)
まあ、プライバシーもなかったですが。
だから、お隣の音は、騒音という意識はなく、生活の一部でした。
そういうのも、お互い様だと思っていたので、
腹も立たなかったですね。
今は、世知辛い世の中になったものです。
でも怖くて、近所づきあいにも勇気が要る時代です。
寂しいけど、子供にはやはり、人を疑って、慎重になるように教えています。
「隣近所の目がセコムのように守ってくれる」
そうですね、あかね荘では大家さんがセコムしてます。
下宿屋では下宿のおばさんが、商店街ではタバコ屋のおばさんが見守ってくれるようなそんな世界がありましたね。
本スレの「ごめんねジロー」ネタになるほどと思いました。
奥村チヨさんは浜圭介さんの奥様じゃなかったっけ?
今年の夏の紅白に、もしやと思って調べたけど、残念ながら出ませんね。でも明日5日夜7:30からという早い日程で、浅岡ルリ子さんと石坂浩二さんの共演がなぜかNHKでも見られそうで、話題を意識した夏の紅白になりそう。ラストの涙を超えてという曲はヤング101の懐かしさがよみがえりそうだ。
本スレの「田植え」のシーンについての賛否意見が凄く多いですが、掲示板を見ていていつも思うのが、どのシーンでもそうですが、演出に対し、ちょっとでも批判的なコメントを出そうものなら、まるで鬼の首でも取ったかの如く、それに対し、すかさず揚げ足を取り「批判の批判」をする人が出てきますが、まるで政権与党(現在なら自公)に対する野党みたいです。
野党も、与党が何をやっても批判します。
その野党だって、立場が変わり、政権党になれば、結局は批判の嵐に晒されるので、同じ事なんですけどね。
本スレで意見を述べる人達は、基本的にドラマを視聴した感想を素直に述べているだけだと思います。
それ自体はルール違反ではないはずです。
違反なのは「批判の批判」です。
少なくとも本スレの規約では、そうなっています。
そして、議論になりそうでしたら、こちら「お茶の間」へどうぞというお話です。
427さん、その投稿はスレチだと思いますが。
>1 懐かしい東京オリンピックの時代
あの頃を背景に朝ドラひよっこを語りませんか。
レトロで和やかな雰囲気を保ちたいです。
427です。
そうですね。すいません。
ここのスレタイに「ひよっこ」の文字が入っていたのと、私自身、自分の意見が本家でボロックソに叩かれた事もあり、ついつい感情的になってしまいました。以後気をつけます。
違反なら違反報告をすれば済むことです。
豊子、タイムショックに出て加山雄三さんに勝って欲しかった。司会は田宮二郎さんでね?!
ベルトイズQ&Qは夏休みにお昼を食べながら見ていた。初代の司会者さんの名前が思い出せないけど、顔は覚えてます。押坂忍さんの声としゃべり方は昔と変わらない。
タイムショックは田宮二郎さんが司会だったんですね〜 懐かしいです。
ベルトクイズは日曜日の昼間は、覚えていますし、司会の押坂忍さんも覚えいます。
ご健在で嬉しいです。
後、児玉清さんが司会のパネルクイズも有りました。
残念ながら、田宮さんも児玉さんも お亡くなりになられましたが。
ベルトイズの初代司会者増田貴光さんもすでに亡くなっていました(涙)
タイムショック、懐かしい♪
夢中で観てました(笑)
でもベルトイズQ&Qは覚えてないので観てなかったのかも。
子供の頃、クイズ番組はたくさん見たなあ、懐かしいなあ。
と思ったけど、一問も問題も答も思い出せない自分に気付いてちょっとショック。
クイズから得た知識って意外と無いのかなぁ。
あ、今何問目だけ思い出した。
タイムショックの2代目司会者の山口崇さんはまだ御健在のようですね。
実は私、たぶんクイズ番組だと思うのですが、かすかな記憶で、思い出される映像に色がつかないので、おそらくは白黒テレビで見ていたものと思われますが、確か、回答者がすべり台の上に乗りながら回答していて、そのすべり台が、回答を間違えるごとに、どんどん傾いていき、下のほうには風船がいっぱいあるのですが、その風船のところに落下したらアウトって感じの番組だったような気がします。
この番組の名前を正確に覚えているとしたら、たぶん私よりは、もう少し上の世代かと思われますが、もし覚えておられる方がおりましたら、教えていただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
>『ダイビングクイズ』
1964年4月8日から1974年3月31日まで
解答者席が滑り台である。その滑り台に掴まり、さらに解答者は軍手をはめてクイズに答える。お手付きすると、滑り台の角度が上がって行き、耐え切れずに落下(ダイビング)すると失格。落下地点は無数の風船プール(初期の頃は下にトランポリンで後期は大量の風船が入ったボックスである)だった。知識だけではなく、体力も必要なクイズ番組。
滑り台のクイズ番組で検索したら出てきました。懐かしいです。
間違えるとすべり台から落ちるように角度が変わっていく、残酷なクイズ番組がありましたね。ダイビングクイズだと思います。Wikiに出ています。
2分差で重なってしまいました。
438さん、確かに残酷でしたね(笑)
でもドキドキしながら観てました。
436です。
437~440の皆様、本当にありがとうございました。
「ダイビングクイズ」だったんですね。これで長年の胸のつかえが取れました(^^)
知力、体力(腕力?)の両方が要求されるという、当時としては(今でもかな?)非常に画期的なクイズ番組だったんですね。
↑
あっ「画期的」というよりは、やはり「残酷」ですよね(^^;)
昭和の頃は、家族みんなで楽しめるクイズ番組が多かったですね。
NHKの、「連想ゲーム」とか。
私は知らないのですが、ジェスチャーのクイズなども。
今は、知識が要求されるクイズや、タレントのリアクションが主な目的の クイズ番組が主流かな。(そういうのも好きですが)
「連想ゲーム」は、学力に関係なく、子供からお年寄りまで、平等に参加できる番組でした。(参加 、といっても、テレビの こちらから、家族でわいわい言うだけ。今は、本当にdボタンで参加するもんなぁ。時代は変わりました)
私が知っているのは、キャプテンが 、中田喜子と加藤芳郎(頭の中で、野口英世と変換)だった頃からです。
壇ふみさん、若いのにすごかったですよね。
連想ゲームの壇ふみさんは賢い人だと思った。
岡江久美子さんと大和田獏さんは、あの番組で結ばれた。
クイズ番組も多様化していき、早押しのスイッチまで全速力で走るような体力勝負があったな。
加藤芳郎さんは連想ゲームもそうですけど、ウィークエンダーの司会者の印象も強いですね。
子供ながらにもエロ再現フィルムが毎週楽しみでワクワクしていました。
夜10時台の地上波では今なら放送出来ないんでしょうね。
ダイビングクイズは、お笑い芸人を解答者とした復刻版があったら面白いかも。落下ピンチや落下した際のリアクションを見てみたいですからね。
アルバムで、両親の若い頃の写真を見ると、
もちろん白黒なのだが、サイズがみんな小さい。
今日の、お父さんの写真も小さかったけど、
あれよりもっと小さいのが、たくさん。
プリクラのシートの4分の1サイズくらいのものも。
あれが普通だったのかな。
う~ん、技術的な問題もあったのかもしれないけど、真相はどうだったんでしょうね?
自分も昨日、アルバム整理をしていたら、両親や祖父母、親戚の、そのような写真がたくさん出てきましたよ。確かにサイズはまちまちで、白黒はもちろん、セピア色のも結構ありました。
最も最古と思われるのが、大正末期or昭和初期に撮影されたと思われる、父方の祖母の女学校時代の集合写真ですね。
まぁ、自分の父母と4人の祖父母で存命なのは、今では母1人だけになってしまいましたが。
そして、カラー写真でも、自分が生まれた昭和40年前後の物だと、なぜか白い縁取りのある物が多かったです。
あっ、それから最近、地元の家電量販店に買い物に行ったら、こんなレトロ調なテレビを偶然、発見しちゃいました。
↓
http://nishikawayasue.com/2017/03/28/vintagestyletv/
自分の記憶の中にある家にあった最古のテレビが、こんな感じだったので、懐かしさがこみ上げ、ものすごく感動しました。
ただ「70年代風」とうたっているけど、どちらかといえば「60年代風」だと思います。
でも中身は、もちろん最新の液晶ハイビジョンテレビで、リモコンも、ちゃんとあるので、チャンネルを回さなくてもチャンネルの切り替えは可能です。
また、仮にテレビとして使わなくても、インテリアとしての価値も十分にあると思うので、20インチテレビとして考えると、やや高めではありますが、機会があれば購入してみようかなとも思っています。
447さん。
本当に、可愛いテレビですね。
コラムを読んで、私もほしくなりました。
子供の頃、最初の記憶にあるテレビは、脚付テレビではありませんでした。だから、この写真も、懐かしい、というよりは、可愛い、ですね。
子供の頃のテレビは大きかった。という記憶はあるけれど、今考えると、縦、横、奥行きが無駄に 長く、実はブラウン管の画面サイズは小さかったのです。
狭い茶の間で、やたらと場所をとっていました。
教えていただいたレトロ調テレビ、中が収納庫になっているのがいいですね。
趣味で買うにはちょっと高いけれど、宝くじが当たるとか、臨時収入があったら・・・いつになることやら。
私は東京オリンピック時には生まれていないので、一番古い、テレビで見た映像の記憶は、浅間山荘事件だったと思います。
周りの大人が妙にざわついて、一日中テレビをつけっぱなし、鉄球で山荘にどかーんの映像に、幼いながらも、何かただならぬ事が起こったという不安とともに、記憶されたのだと思います。
ところで、子供はチャンネル世代ではありませんが、「5チャンに変えて」で、普通に通じます。ただ、その「チャンネル」という物自体はピンとこないでしょうけど。
今日の最後の昭和の写真にテレビが写っていました。木目調の感じで。
東京12チャンネルはいつからテレビ東京に変わったのかな?
449さん、東京12チャンネルからテレビ東京に変わったのは1981年(昭和56年)ですね。
もっとも、テレビ東京名称の商標出願自体は、その8年前の1973年に出していたらしいです。
他のテレビ局の名称変更というと
ラジオ東京→TBS
NET(日本教育テレビ)→テレビ朝日
NHK総合→NHKG
NHK教育→NHKEテレ
NHKBS2&BSハイビジョン→NHKBSプレミアム
などがありますね。
ちなみに自分の地域では、子供の頃は民放の系列局が少なく、いろんな局の番組を混在させていたと思います。
古くからある局はVHF局でしたが、テレ朝やフジ系列などの新しく出来た局はUHF局に当てられていました。
UHF局の番組を視聴するためには、当時の手回しチャンネルをUのところに合わせ、さらにチャンネルの真下にあるツマミを動かすと、画面中央に緑の帯が出てきます。
その緑の帯が中央で、最も細くなったところが最適な位置という訳です。
覚えている方も多いのではないでしょうか?
レトロテイストの商品というと、車でも、かつてトヨタが1936年(昭和11年)に発売していた「トヨダAA型」をモチーフとした「トヨタクラシック」や、1955年(昭和30年)に発表された「初代トヨペットクラウン」をモチーフとした「オリジン」などを期間限定で発売していた時期がありましたね。
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