247さん、一応、レコ大&紅白はラジオでも流れています。
その後はテレビ各局同様に独自のカウントダウン系番組を流していますが、主にリクエスト系の音楽番組が多く、実は普段の深夜放送とそんなに大差ありません。
こちらも時代を反映してか、昔は「電リク」だったのが、現在ではメールやSNSでの受付に変わってきています。
あと、地域によっても番組は違ってくるでしょうね。
紅白のラジオ放送の裏トークが面白いと聞いたことがあります。テリー伊藤さんらが担当しています。
昔の紅白には南極観測基地から応援の電報?のようなものが読まれたりしてまさに国民的な行事でしたね。
昭和40年の紅白の司会を調べたら、宮田輝さんと林美智子さんでした。
林さんは朝ドラ放浪記の主役をしていたから、あの頃から朝ドラ女優が紅組の司会をするということがあったのでしようが、当時は女優さんが司会をするのは珍しかったようです。
その後の水前寺清子さんや佐良直美さんの司会はよく覚えています。
251さん、252さん、ありがとうございます。
紅白歌合戦のラジオ放送はまだ続いてたんですね。
地デジになってしまったのでラジオの方が少し早く
どっちが勝ったか解りますね。
ん、いや、音だけだと判りにくいかな。。
年越しラジオは内容は普段とあまり変わりませんか。
まあそうなりますかね…年越しらしさを出せと言われても
何をどうすればと言う感じですしねぇ。
自分の世代だと、宮田輝さんは紅白よりも、浜村淳さんと一緒に「全日本有線放送大賞」の司会をしていた印象が強いですね。確か木曜日の放送だったから、終了後にそのまま「ザ・ベストテン」に中継で出演した歌手も居たし、同日の「11PM」では、その打ち上げみたいな内容だったと記憶しています。
さて、ひよっこでは年が明けて昭和41年になりましたが、この年は丙午(ひのえうま)であり、ツイッギーが来日し、ミニスカートが注目され、そしてウルトラマン放送開始、日産自動車がプリンス自動車を吸収合併し、その日産は「サニー」を発売。一方、トヨタはそれに対抗する形で半年後に「カローラ」を登場させます。
みね子の履いていたベルボトムジーンズの流行は、実際にはもっと数年後で、本家ではそれについて騒がれていますが、自分の視点は有村架純ちゃんが、意外と言ったら失礼ですが、脚が長いのに驚きましたね。
正確にはウルトラマンではなくウルトラQです。小学生だった私はこわごわこの番組を見ていました。海底人や蜘蛛男爵の話などは今でも好きですし、カネゴンもウルトラQですよね?
宮田輝さんはのど自慢の司会で覚えています。先日あさイチに加山雄三さんが出ていましたが、加山さんが初めて出た紅白映像は故、宮田輝さんの家族がNHKに寄贈したものだと聞きました。当時の放送用のVTRは高価で番組が終わると使い回しをされたことなとがWikiの文章で明らかにされているので、昔の映像は貴重なのだと感じているこの頃です。
255です。そうそう、ウルトラQを忘れていました。
ただ、ウルトラマンも同じ昭和41年にウルトラQの後番組として放送開始したのは間違いないですよ。
そしてカローラも去年がちょうど50周年。
現在は「アクシオ」というサブネームが付いていますが、最新モデルは初代から数えて11代目。今なおベストセラーカーとして多くのユーザーに親しまれています。
対照的にサニーは既に消滅(ラティオが実質的な後継車)しちゃいましたけどね。
ウルトラマンのオープニングが大好きでした。
パラパパーン、パラパパーン、パラパパーン、パー!
と、一緒に歌ったものでした。
切り絵の怪獣もかっこよかったなあ。
今、オープニングを見てもドキドキします。
255さん、昭和41年はツイギー来日と宗男おじさんの大好きなビートルズが来日しています。時子がミニスカートをはき、宗男が武道館に行くのが描かれるのではないかと期待しています。みね子の弟がシェーをしてくれると、私の子どもの頃に戻れます(笑)
あかね荘の漫画家さんがシェーを描いてくれるといいね。
べっぴんさんの時に帰ってきたウルトラマンの団時朗さんが、放送されていた万博の頃の70年代に合わせて再登場していたのは、昔のウルトラマン世代へのサービスだったのか?
ビートルズが来日し、ドリフターズがその前座をやっていたのは有名な話ですよね。あれ以来、武道館がライブ会場として使用されるようになり、現在に至っています。
べっぴんさんでは帰ってきたウルトラマン・郷秀樹の団時朗さんを出したのだから、ひよっこでは初代ウルトラマン・ハヤタ隊員の黒部進さんに是非ともご登場願いたいものですね。
あっ、そういえば、科特隊の戦闘機・ビートルは、おそらくはビートルズから取って命名されたのだと思います。
ウルトラセブンからだと「まれ」にアンヌ隊員(ひし美ゆり子さん)が出ていましたね。
そういえば、まれの作ったケーキは「アイスラッガー」が突き刺さったような形のものが多かったような?
それならば、モロボシダン(森次晃嗣さん)にも出演オファーを出すべきだったと思うのですが(^^)
昭和のウルトラマンより平成の仮面ライダーが出てくる最近の朝ドラです。
昨年は大河の草刈さんと朝ドラの団時朗さん、かつての資生堂ボーイに再び出会えて嬉しかったです。
リタイヤして昭和を懐かしむくらいに時間にゆとりが出てきてしまいました。
昭和41年?に、あの程度の洋食屋で、ブロッコリー出してたんだろうか。
なんだか、すごい違和感でした。
どうだろ?その頃まだ生まれていなかったけど、昭和5カ年代始めはリフラワー(結構高価)は稀に見たような気はする。ブロッコリーは確かに昔はなかったかも。スーパーなんかなくて、八百屋や市場の時代でしたしね。
あ~、何でブロッコリー?と思ってたら、今出てきました(笑)
母も白いの(カリフラワー)はあったけど、確かにブロッコリーはなかったと言っていました。
なんか、家族で受けてしまいました。
こういうのも時代を振り返る事ができて楽しいですね。
う~ん、でもカリフラワーはシチューにはミスマッチですね。
アスパラだったらあったかな?と思ったけど、アスパラも白いのさしかない時代だったかも。缶詰めのやつ。
調べましたら、昭和57年に食品成分表にブロッコリーの栄養価が出て、それから急速に生産量が伸びたと書いてありました。確かに子どもの頃にブロッコリーを食べた記憶がありませんが、全くなかったわけではなないのでしょう。現在ではブロッコリーの保存技術が高まり、カリフラワーとブロッコリーの生産が逆転してるようですね。
東海テレビ制作(フジ系)の昼ドラも、平成ライダーや戦隊シリーズの役者が多く登場していましたね。
特に「ぼくの夏休み」なんて主人公(ディケイドの井上正大)をはじめ四人も(^^;)
ちなみに、その井上君の妹役だったのが、当時まだ無名だった有村架純ちゃんだったんですね。
当時からすっごい可愛い子だなぁと思っていましたけど。
そして、その昼ドラも無くなり、ライダー役者も朝ドラのほうに「移動」してきたという事なのでしょう(今作ではドライブの竹内涼真君)
wikiで調べたら、ブロッコリーは収穫後すぐに低温保存しないと変色するので、昔は変色しないカリフラワーのほうが流通量が多かったようです。
家庭では、冷蔵庫が普及した80年代から生産が拡大したようです。
しかし、JA全農山口のHPには、昭和40年代から一般に普及するようになったとあるので、すずふり亭は当時珍しいブロッコリーを使ったのでしょうね。
家庭用の冷蔵庫は60年代から普及していました。それよりも低温輸送の技術が進んだことと、栄養価が評価されたことで80年代から生産量が伸びたと私は解釈しています。
270さん、反論するつもりではないので、ご容赦ください。
wikiでは「低温流通技術の開発や家庭用における冷蔵庫の普及により、1980年代から生産や流通が急速に拡大」とあります。
おっしゃる通り60年代から冷蔵庫は普及しはじめましたが、ツードアが販売されたのが70年代、野菜室がついたマルチドアが80年代のようです。
ブロッコリーなどの野菜を冷蔵庫で保存するのは、80年代からになるのかな、と思いました。
もちろん、流通技術があってこその話なので、270さんの解釈も正しいと思います。
私は70年代が小学生でしたが、母は毎日買い物かご下げてサザエさんのように買い物に行っていた記憶があります。
冷蔵庫が小さかったことや、車がなかったことから、まとめ買いできなかったのでしょう。
田舎だったので、スーパーではなく、同級生の家が 〇〇商店で、肉も魚も油紙の紙袋みたいなのに入れて、野菜は新聞紙に包んで売っていました。
ブロッコリーはいつ食べたかな~?
子どものころ、カリフラワーもブロッコリーも嫌いだったのは、覚えています。
270です。そうですね、冷蔵庫の進化もありますね。昔の冷蔵庫は野菜室なんぞなかったし小さかったですから、野菜を冷蔵庫で保存することなどあまりしまさんでした。大型冷蔵庫の時代は80年代あたりからでしょうか?
昭和40年生まれだけど幼い頃の我が家はカリフラワーが主流で、昭和50年代半ば頃にブロッコリーが食卓にあがり「なんだ!この緑のカリフラワーは!」と衝撃を受けたのを覚えている。
確かにカリフラワーをよく食べてたのは覚えてるけど
ブロッコリはだいぶ後な気がするな。
ブロッコリをよく食べる様になってカリフラワーはあまり食べなくった。
サカタのタネのHPに、ブロッコリーは1960年代後半(昭和40年代前半)から普及したとありました。
その後、品種改良や流通技術の開発、冷蔵庫の普及によって急速に生産が拡大したとあります。
だから、家庭ではまだ一般的でなくても、すずふり亭のような東京の洋食屋では使われていたことは、あり得ます。
なお、サカタのタネは、現在世界のブロッコリーの種の50%のシェアを販売しているそうです。
でも264さん、よくぞ本家でなく、ここで書いてくださいました。
本家だったら、ブロッコリー論争が起こるところだった。
私は、ドラマ見ながら、このような時代考証を冷静に語れる場があって、嬉しいです。
スレ主さんに感謝です。
たぶん、大型冷蔵庫の伸びとブロッコリーの伸びが
一致してるから関連付られてるんだと思うんだが
売り場を見ればわかるけど、ブロッコリーは冷蔵庫に入れなきゃダメって物じゃないから
家庭用冷蔵庫の普及はあまり関係無いと思う。
そもそも売ってなかったんだし。
ブロッコリーの普及は圧倒的に流通技術の改良でしょう。
とにかく店頭に並べられる様にならないと始まらない。
確かに私も、ブロッコリーは買ったその日に使いきりますね。
収穫から店頭に並ぶまでの流通技術が重要であることは、疑いありません。
ただ、消費者心理もあるとは思います。
ブロッコリーは痛みが速いから、カリフラワーを選ぶというような。
サカタのタネによれば、70年代にアメリカでサカタが開発した品種と低温流通や冷蔵庫の普及によって生産が拡大したということです。
国内では80年代に開発された品種によって、生産が拡大したそうです。
どなたかが言われていたように、栄養価の評価も消費に拍車をかけた一面があるでしょう。
様々な要素が組み合わされて、80年代中頃には、カリフラワーとブロッコリーの生産量は逆転するようです。
とまあ、まさかブロッコリーについて朝っぱらから熱く語ることになるとは、思いもしませんでした。(笑)
おつきあいいただき、ありがとうございました。
そして、朝から失礼しました。
ブロッコリーは緑色が濃くて赤いトマトの横に並べるとはえるんです。βカロチンが豊富だろうし、栄養価でもカリフラワーに勝ってそうですね。ここを読んでいたら久々に負けたカリフラワーを食べてみたくなりました。
264です。
ブロッコリーについて、いろいろ、知識が増えました。
私も、子供時代はカリフラワー、白いアスパラガス世代です。
ブロッコリーって、体にもいいし、見た目もきれいですよね。
今回、芽キャベツだったら、そのままスルーしちゃったかな、と思います。
でもでも、見た目の鮮やかさは、やっぱりブロッコリーですね。
野際陽子さんが日本人ミニスカ第1号だったんですね。
ここで話題になったこともあるキーハンター
野際陽子さんのミニスカートとロングヘアがステキで、冬彦さんの母親役よりもキーハンターの野際さんが印象的です。
あのドラマは大使館の事件などの話しがよくあって、治外法権という言葉の意味を考えたりした小学生の私でした。
来週は内藤洋子ネタが書けそうでうれしいです。
「氷点」と「その人は昔」を思い出しています。
昔、友達が数人で共同炊事のアパートにいたことがあったけど、ひよっこのあかね荘のように若い男女でああやって暮らすのはあぶない匂いがするよね。私の親なら許さなかっただろう。ドラマだから爽やかにコミカルに描かれている。
昔はエアコンが無く、夏になると窓を開け放すのでゴミゴミした東京では隣の家の話し声なんか筒抜けになっていて、他人の喧嘩や恋愛や別れまでも伝わってくる生活をふと思い出してしまった。
アパートの大家さんに私の親も時々贈り物をしていた。
高度経済成長時は物価上昇率が高かった反面、それを上回る所得上昇率があったと聞きましたが、そうなのですか?
もしそうだとしたら、昭和35年の借金なんて直ぐに返せたのでは無いかと思うのですが、いかがでしょうか?
金利も高いのと、谷田部家の収入があまり上昇してなさそうなので、何とも言えませんね。。
そもそも借金の額も分かりませんし…
勿論、その辺りは理解しているのですが、不作の借金なんて長期返済なんてしないんじゃないんですか?返済に5年以上かかっていては、また次の不作がありますよね。
そういう意味では固定金利なんだろうから、物価が大幅に上がれば金利も大した事は無いでしょ。
米の買い取り額が上がれば、同じ品質で同じ収穫量でも、5年前よりかなり高額で買い取ってもらえるんじゃないですか?
当時を知らず、現代の考え方で話しているので、間違っているかもしれませんが。
昭和41年のみねこのアパートの家賃が4千円
10年後の東京のあの程度のアパートの家賃は2万円くらいでした。この物価の上昇率がすごいと思って見ていました。
インフレになると借金返済は楽になります。
数千円の家賃で数十年も住み続けていた公団の人達がいたけど、建て替えてからは家賃が10万円くらいになったから、出ていく人が多かったのだとか。
本家のほうでエアコンVSクーラーで変な論争になりそうなので、こちらに書いておきますと、要は、ただ冷やすだけなのがクーラーで、それ+暖房&除湿機能があるのがエアコン。
それでいいですよね?
内藤洋子さんはこういう形で出て来たのか⁈
きっと岡田さんはファンだったのでしょう。
氷点の主役だったのはよく知られてますが、あのドラマは私の住んでいる地域では放送されず、さみしい思いがありました。
ドラマの当時は舟木一夫さんのファンで、その人は昔という映画で2人が共演していたのを覚えています。白馬のルンナは映画の挿入歌でしょう。動画で久々に見た映像はまさに、その人は昔…という感じでした。
とと姉ちゃんでもべっぴんさんでもあまりみかけなかった昭和のパーマ。ひよっこでも茨城のお母さんたちはやっていなかった。
ところがどっこい,生田智子さんが昭和風で登場してきた。懐かしのパーマを思い出させる雰囲気で。それだけでも生田さんを尊敬してしまった私。
上海帰りのリルの映像を動画で見たときにヒロインの香川京子さんが素敵なパーマネントヘアだった。あれは昭和2~30年代かな?
基本暇なので時々昭和の雑談を書いてますが,昭和以外でもひよっこの雑談ならかまわないです,書いて下さい。考えが変わりました。でも緩やかに今までの雰囲気をこわさないようにお願いします。
内藤洋子さんは後年、グループサウンズのザ・ランチャーズの喜多嶋修氏と結婚。2人の間に生まれた子が喜多嶋舞さんでしたね。
内藤洋子さんと喜多嶋舞さんが徹子の部屋に出ていた画像を見ましたけど、内藤洋子さんは若い時以上に美しくて驚きました。喜多嶋舞さんはお父さんのほうに似ているような気がします。ランチャーズの真冬の帰り道が懐かしいです。
懐かしい日本のアパートの隣人同士の関係性
めぞん一刻とか思い出してしまった
本家でも度々話題になるけど、脚本の岡田さんがめぞんに心酔してる人ですからね。
家にも漫画全巻あって、たまに読み返すと止まらなくなります。
電話はアパートにひとつしかなくて、管理人さんが住民に取り次ぐ形だったのでそれで騒動が起きるのも面白かった。今はケータイひとつで済んじゃうからすれ違いなんて無いし、ドラマ書く人も大変だなぁと思います(笑)。
私も電話を取り次いでくれるアパートに住んでました。隣人が土曜日になると徹夜麻雀をやっていて誘われたり、ゴミを出す日を間違えると大家さんに叱られたりして、東京でも砂漠にいるっていう虚しさはなかったです。
めぞん一刻は80年代の漫画とアニメなんでしょ。その頃は子育てが大変で、めぞんは知らなかったです。人気だったんですね。
本スレにも書きましたけど、薬局の前にあるマスコットが懐かしくて、サトちゃんやケロちゃんなどは子どもたちの人気でした。不二家のペコちゃんは今でもあるんじゃないかな?
> 本家でも度々話題になるけど、脚本の岡田さんがめぞんに心酔してる人ですからね。
本家荒れてるので読んでないから知らなかったんですが
岡田さんってめぞんファンなんですか?
言われてみればそうかも。
前作の「奇跡の人」もアパートが舞台でしたしね。
あ、だからめぞん一刻の実写版やったんだね。
だとすれば、あれは酷過ぎた。
岡田さんの作品は好きなの多いけどあれはダメ。
話がそれてすみません。
295です。本家で岡田さんがめぞんフリークなのは最早常識になってます(笑)。
私も高橋留美子さんの長編漫画ではキチンと物語が完結してるめぞんが好きですね。
わちゃわちゃしてるのは似てるけど、ひよっこと大きく違うのは主役二人の恋愛模様が主軸にある事でしょうか。
ペコちゃんはどうだろう……近くに不二家が無いので分からない。ケロちゃんは家に指人形があった気がします。
薬局にあると可愛いけど、今のご時世だと店頭の人形はイタズラの対象になってしまいそう。
その通り。
昔のケロちゃんのCMでは、男の子が「おまえヘソないじゃないか」と言って、カエルにヘソやヒゲをいたずら描きして、叩くんです。
今見ると苦情が行きそうな映像だけど、あのCMが評判を呼んだのは覚えています。
CMの男の子は穂積ぺぺさんで当時の人気子役だった。後に中村雅俊の青春ドラマにも出ていた。
おめえへそねえじゃねえかのCMは、さんまさんがリメイクしたのもあるらしい。
なんか、愛菜さんのようになってしまった。
ケロちゃん人形はたくさん持っていたことがある。
薬局のマスコットにたくさんいたずら描きをされてるのも見たことがある。
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