物がない時代だから説明しなくても良いですか?
闇市で売るならそれでいいでしょうね。
現代の感覚と違うからと言うだけで何でも肯定する気持ちにはなりませんね。でもお互い、捉え方の違い、感性の違いでしょうから。
そういうのが嫌だということと、ドラマを批判することは別物だと思います。焦げたドレスや古着を使ったからこのドラマはひどいとは思いません。時代設定もあるし、依頼人が不快な思いをしてるわけではありませんから。私とは逆の方もいるでしょうが。
私も焦げたドレスや古着を使ったからこのドラマはひどいとは思わない。だけどドラマがこうだからそれでいいってわけでも無く、みなさんドラマを見て疑問や違和感があるから批判してるわけで。
何度も同じように不快に思う場面があれば、嫌いになり、このドラマはお奨めじゃないと批判する人もいるでしょうね。
また同じ個所の批判でも思いはさまざま。
物がない時代とは言っても、すみれはおしめのための上等な布地は用意できましたよね。また肌着はご祝儀とはいえ手に入りました。
その描写があるのに、お金はあるだろうご家庭からの注文品に古着を使うつもりだったりで、そこに貧困をもってくる意味がよく判らないです。仕事のコンセプトがばらばらと感じてしまうからです。
パッチワークに使う端切れも自分から拘って、危ない場所なのだったら英輔と一緒に探すなどをしてと私も思います。そこはまだ慣れていないとかでは言い訳の出来ない自分の仕事に対する姿勢だと思うし。
依頼人が不愉快な思いをしていない、と思えるのは、善意の人設定だから、観る方も善意の解釈をしてくれるだろう、で成り立っているだけだと思います。
基本的に148さんのご意見に同意ということです。
だから疑問や違和感がチョクドラマ批判に結びつく人ばかりではないと私は言いたかったのです。ドラマを肯定してる人は疑問も違和感も全くなく全てを受け入れてるわけではありません。
ここでドラマについての意見交換をすることには意義を感じます。
批判している側も疑問ばかりで見ている人ばかりなわけではないし、焼けたウェディングドレス使ったから、これはダメなドラマだと批判している人ばかりではないと思います。
すみれの成長が遅すぎてちょっとまどろっこしいので、もーそろそろしっかりしてって思っています。
私は紀夫くんが帰ってきてからのすみれとどんな夫婦になっていくのかは楽しみにしています。
何を言っても、一度焦げたウエディングドレス。当時の洗剤技術で臭いを取り除くのは不可能だよ。
消防団や消防士なら、建物火災で燃えた物が再度つかえるだなんて思う人はいないよ。
現実を見ようとしていない人たちが、この朝ドラを応援したいだけで戯言を言っているとしか思わないよ。
気になってググてみました。
確かに火事にあった衣服のにおいはとれないというのが一般的ですね。
クリーニングも断られるとか。
可愛そうに想い、善意で受けたクリーニングさんの格闘も読みましたが、どうしても完全除去はムリとのことが書いてありました。
また煤がつくので、それを落すのが大変だとありました。
うーん、まあドラマだから・・できたことで、現実的にはとても無理そうだということが判りました。
洗えばいいのでは?くらいに思ってましたがなるほどね。
いろいろためになります。
教えてくださった方、ありがとうございます。
気になったといえば、劇中「ホームパーティー」というセリフが何度か出てきた事ですね。
あの当時(昭和21年頃)の言いまわしだったら「パーティー」よりも「パーテー」にしたほうが自然だったのでは?
実際、東京ドーム内の野球体育博物館に展示してあった、昭和23年頃に販売されていたと思われる「野球かるた」には、川上のヒルデング(フィールディング)とか大下のバッテング(バッティング)などと表記されているのです。
つまり、当時は多くの人がT(ティー)を(テー)、D(ディー)を(デー)と発音していたはずです。
実は、かく言う私も、戦前生まれの親からDT(デーテー)と教わっていて、幼い頃は、そういうものだと思い込んでいたのですが、段々と成長してくると「何かおかしい」と気づきはじめ、それからは普通にDT(ディーティー)と発音するようになりました(笑)
そういえば・・・昔はビルヂング→今はビルディングですしね。
ディズニーランドをデズニーランドと言う人も多かったと思います(笑)
あさが来たではチケットのことをテケツと言ってましたが、
これも似たようなもんなんでしょうかね。
視聴していたときはそんなに気にならなかったけど、
確かに「パーテー」と言った方がその当時っぽくて良かったかもと思いました。
街中が焦げ臭かった時代だよね、わかるよ。
デズニーランドって言う人は、わりと多いですね。自分もそうです。頭の中では「ディズニー」なんですが(笑)
朝ドラは死んだ人が出てきたり、自転車で海にダイブするような世界がありますから、全て現実的に見る必要はありません。
あのエピを肯定したからといって現実を見ようとしないわけではないと思います。どう見るかを語る場です。
「ファーストクラス」「名前をなくした女神」の脚本家さんなんですね。
ヒロインが孤立するとか、女同士のいがみ合う、みたいなドラマが得意なのでしょうか?
朝ドラには向かないのかもしれません。
臭いは取れますよ。
ドライクリーニングでは無理ですが
主人の実家のお隣が火事になって
ベランダが少し焼け干していた洗濯物にも臭いがこびりつきました。
でも姑が丁寧に水洗いして臭いは取れました。
特別な洗剤は使ったなかったと思います。
でも、サイトで検索したけど、火事にあった衣服のケム臭さは、取れないっていう意見の方が圧倒的でした。
プロの方も完全に取れないと書いていましたよ。プロの方は洗濯機では無理なので、手洗いでやったと書いていました。
もらい火は大変でしたね。大事に至らなくて良かったです。
でも、失礼かもだけど、家全体が焼けてしまった中にあったものと、お隣からもらい火した外にあったものとでは事情に違いかあると思うのですが。
すみれのものは丸焼けした家の中にありましたし。煤もかなりついているのが当然かと。その処理がすごく大変らしいです。
あ、追記しますが、それだからドラマがダメとか、それなし、とか言ってるんじゃないですからね。
私は現実的にはあのドレスから売り物を作るのはムリだなって感じましたが、いかんせん、これはドラマのことですから、多少話を大げさに盛っているのは仕方がないと思います。
それを気にしないで、ハマれるかどうかは、それぞれの感じ方の違い思います。
私も検索しましたが、臭いが取れたというサイトもありましたよ。
それもプロの方の意見です。
ですから、取れないって意見の方が多かったと書きました。
もちろん例外的なものや、程度問題もあると思います。
すみれちゃんのドレスは絹だと思うし、それを臭いが取れるほどゴシゴシするわけにはいきません。売り物にするには現実的にはムリだなと私は感じました。
言いたいことは、臭いは取れないと批判した方も、それなりの根拠があって書かれたことなんじゃないかな、と言うことです。
焦げた臭いが取れるって嘘ばっか言うなだよ。ドラマで臭いがないと思うならそれでいいだろうよ。臭いが取れないと意見している人を、何打ち負かそうとしているんだよ。
世の中には焦げた臭いがわからないような、鈍感、もしかしたら嗅覚が劣る人もいるのでしょうね。うちの母が今年は鼻水がよく出て、食べ物などの臭いがわからないと頻繁に言っているくらいだからね。
すみれはプロでもなければ、今の様に良い洗剤もない時代のこと、、まぁドラマだからって事で流せるか流せないかの違いかも。私はこれまで見てきてご都合主義なドラマだなと思うだけですけど。
あ、またまた追記になってごめんなさい。
誤解されるといけないので。
私は臭いが取れないのにドレスで品物作ってダメドラマ、と批判したいわけじゃないし、そこは別に流していたクチです。
だけど、こちらで議論になっていたので、興味が出て調べてみただけです。
ドラマをウェディングドレスのことで批判したいわけではありません。
取れないという意見が多くても
取れるという結果もあるのは事実ですよ。
打ち負かそうとしているのではなく、事実を書いたまでです。
173さんは、臭いが取れることもあるから、どうだと言いたいのでしょうか?
だからドラマの表現はおかしくない、あのドレスで売り物にしたことも現実的にあり得ると言うことでしょうか。
臭いは取れることはあるという事実が言いたかっただけですから。
ドレスの臭いより焼け残った縁起の悪い服でドレスを作ることへの批判に対して
70年前は何でも売っていた時代ですから、私は特別おかしくはないと思います。
臭いについては当時の人々がどう思っていたかは私はわかりません。日本人はそんなことを気にする余裕はなかったのではと思いますが、お金持ちのアメリカ人がどう思っていたかはわかりません。
フランスなら香水ぶっかけるイメージがありますが、ベビードレスですしね。
ウェディングドレスは使い物にならなくなった状態あるいは再生の象徴として焼けたことにしたのだろうけど
当面の在庫になった衣類や売ろうとした靴のこともあるし素直に焼け残った倉に保管してあった程度の方が良かったかもですね
でも取れないという事実の方が圧倒的に多いでしょうね。
ドラマのその描写に対してではなく、取れるという希少な事実の方だけを取り上げて確定しようという動きには賛同しかねますね
火事で焼け残った衣類は臭いがしみついて取れないから、あの話は嘘だということですか?それならそれでいいと思います。
でも臭いという設定はドラマにはありませんから、その通りに見てる方も当然いると思います。
戦後の焼け跡からお嬢様が立ち上がり成功する物語なんですよね。
すみれ達が立ち上がるための方法は、特別な品「べっぴん」である子供服・・なわけです。
戦後の混乱の中でべっぴんと言える素材はなかなか見当たらないでしょう。
でも、焼け跡に残されたものを「所詮は焼け残りでしかない」と思うのか、
焼け残ったものの中にも輝きを見出して未来へ向かうのか?
戦後に生き残った人たちのその後の明暗を分けたのは、単に運の良し悪しだけではなく、
物事の捉え方の違いにもあったのではないかと感じています。
闇市での五十八と親分の対決もまさにそこ。
そしてその象徴が、母の形見のウェディングドレスで作った子供服なのだと思うのです。
ここでの反応も見事にそのように分かれているような気がします。
象徴としては少々ベタだなとも思いますが、毎日フツーに面白く拝聴しております。
朝ドラはそれで良いかなという感じ。
>でも、焼け跡に残されたものを「所詮は焼け残りでしかない」と思うのか、焼け残ったものの中にも輝きを見出して未来へ向かうのか?
象徴は象徴として結構ですが、そんな単純に批判をひと括りにしないでもらいたいですね。
火災から出てきたウェディンドレスから、エイミーたち夫妻の子供のために子供用ドレスをつくることにより、視聴者を感動させたいのでしょうが、それが陳腐すぎて感動なんてしませんよ。
>でも臭いという設定はドラマにはありませんから
おいおい、そういう言い方がムキになっているというのですよ。もっと他人の意見にたいしてライトになれないのかと思います。
おいおいと言われたものですが、ますますわからなくなりました。
これはドラマ批判ということですか?
私は単に臭いが取れないということを話しあってるのかと思いました。
眠れなくなるのでこれで終わります。
焼け跡から未来につながる希望。
脚本家がこのウエディングドレスに込めたであろう象徴的意味合いは理解できますが
表現方法としてはあまりうまくないと思います。
どうせ奇跡なら、一部にしろ焼け焦げなんかつけず、
まっさら綺麗なまま残っていたことにすればいいのに。
へたに焼け焦げなんか残すから、臭いもつくだろうし、いかにも破損物という
印象が強くなるんじゃないのかな。
ただ母親の形見のウエディングドレスというだけでも十分感動的なのだから、
余計な小細工しなかった方がいい気がします。
おんぶされた赤ちゃんの足が出ていることで賛否がありますね。
ドラマは当然ファミリアが協力していると思うので、足を出すという育児法なのかな?と考えてしまいました。
足が出ていることとは関係なく、もしファミリアが協力してるならすみれの赤ちゃんの時のさくらちゃんに対する扱いが酷くて、とても協力しているとは思えなかったですね。
すみれは欧米式の子育て法でもやってんのかなと思うほど。必要以上のスキンシップをせず、生まれた時から寝室も別みたいな感じの。
すみれ、さくらより刺繍の方が好きそうに見えちゃってますね。縫い進める中で娘や家族に思いが及んで気づいたら手が止まる…とか一切ない。
昨日は、焦げたウエディングドレス批判に異を唱えたけれど
私はこのドラマの一番の問題点は
3人の若い母親がちっとも母親に見えないというだと思う。
今でさえ年の離れた妹か近所の子をあやしているようにしか見えないのに
今後大丈夫なのかな?仕事に出かけるときに子供も泣きもしないし。
足をむき出しはそこまで気にならないけど、全然母親に見えない
子どもを置いて働くことの葛藤もないことはモヤモヤします。
まれのときも母親に見えなかったけど、これほどひどくなかったと思う。
子どもの話しはまた別にあるようなナレがあったから、そこでじっくり場面があるでしょうね。
すみれって母親に見えない。というよりも放送はじまって母親らしいことはほとんどしていないと思う。他のふたりにも言えるけど、なんだかおママごとを見せられているみたい。もうこれはさ、大人が鑑賞に耐えうる物じゃないよ。中学生の学芸会とでも言えるかな。中二病ドラマを毎日見せられていると感じてならない。
いや、別に見せなくても、日々の中で子供を気にするとか、ご飯のシーンで「さくら、いつもごめんなぁ」とか言って触れ合ってくれればそれだけで構いません。
日々の中でまったくないのに、突如として子供とのふれあいを別に見せられても違和感しか感じないと思います。
子供達の笑い声や、ちょっとした会話も、鳴き声すら、まったくといっていいほどないのはなぜなんでしょうか。
この脚本家さんは第一子を妊娠中で「ヒロインの母の気持ちを深く描けるのでは」と自らおっしゃっていたそうですが、母性とは無縁のドラマになっているような。
子供が親にとってどんな存在か、が実感としていまひとつなのでしょうか?
子供とは縁が切れない子供服ブランドを立ち上げるドラマなのに、親子関係が希薄な印象すぎます。
忙しさの中にも大切な紀夫さんとの子供を一人で守ってるのですから、母の慈しみを少しでも感じさせてほしい。
さくらの声もわからない。こんなによそよそしいなら、さくらの名前も名付けシーンも要らない、ただ娘(むすめ)で良かったと思います。
「うちの娘はキヨに預けてきたのよ」って感じで。
さくらはほとんど毎日出演しているのに、すみれが全く母親に見えないのは残念ですね。
子どもの話が別にあるにしても、ここまで親子の関係が薄く見えると
とってつけたようになるんじゃないかと心配です。
それと、母親もだけど、父親である昭一と勝二も子供に対しての反応が薄すぎると感じているのですが。
あの時代の父親はいまみたいにイクメンでもないし、ベタベタもしないとは思うけど、それにしてもなんだか。
戦争から帰ってきて、自分の子供が大きくなってたり、もし生まれてもいなくて初対面だったりしたら、もう少しなんかないかな??と思うのですが。
大きくなったなぁと感動したり、これがオレの子か?とかそういうところないですね。
あれ、そういえば君枝ちゃんのところの子供って名前はなんて名前でしたっけ?
こういうスレがあったのを思い出しました。
脚本家さんのこととか、ここに書いたほうがいいのかも。
スレ立てた者ですけど、こんな見え見えの釣りと煽りで復活して欲しくないな(笑)。最後なんだからどちらの立場でも冷静に総括してほしいよ。私は昨年末でリタイアしたので発言権 ないけど ね。
べっぴんさん面白いドラマですね!
近ごろは明るい雰囲気のが多いけど
個人的にはのんびりしたはなしも悪くないですね。皆さんばちばちしたものばかり見てたから分からないんだろうけど。でもたまにはありふれた言葉を大事にするだけでも違うもんですよ。
すごく意味が深い事がたくさん書かれていると思います。それに気づけない人は残念ですね。
さみしい心の持ち主だという証拠です。
>すごく意味が深い事がたくさん書かれていると思います。それに気づけない人は残念ですね。
さみしい心の持ち主だという証拠です。
このドラマを称賛することしか出来ずに、批判している人を貶すことしか出来ない貴方はとても情けない人だと思います。
いやぁ、肯定派のまとも(失礼)な感想というか意見も聞きたいんですけどね。
なんというか「楽しんでる人だっている」とか「普通に面白いと思う」とか上の釣りみたいなのばっかりで本編と同じく中身がない。
ここが良かったとかほのぼのしてたとかならまだ、そのシーンの前後や繋がり全部無視すればその通りの感想もあるんだけども、そこだけくり貫かれたってこちとらその前の○○が意味不明でその普通かそれなりなってるシーンが白けてしょうがないのよ。
後半になるにつれて応援組はファンスレに篭もるか他所に行ったかで盛り上がってないし。的外れな批判も有るけど普通の批判にすら意見が出てこないなんて本当に見る人いなくなっちゃったんだなって。
そんな寂れた所に来た上の人もすごいけども。
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