お味噌汁のダシに昆布も入れるようになったのはごちそうさんの影響です。
昆布ダシが美味しそうに見えて。
ファンも叩かれてた記憶がありますよ。
最近マッサン板で問題となった砂糖のあたりとか、泥棒、犯罪者ってそこばっかり責めるコメントがエスカレートして、この作品を褒める奴は犯罪者を認めるやつみたいな。
アホか!と思うようなのがあまちゃんのとこと同じでいました。削除されたのでざまあみやがれと思っちゃいましたけど(笑)。
あ!もちろんきちんと理由を書き、
だから自分はよく思わなかったってちゃんと感想として書いていた方のことは責めていません。
砂糖のことで削除された投稿がいっぱいあったね。少ししてから
「砂糖はどうしたっけ?」という投稿があって数分後にはなくなっていました。あれは荒らしとおんなじだよ。
茶がゆのとき女中への挨拶がないに軍手などおかしい批判が多かった気がします。
ごちそうさん好きはあまちゃん嫌いなどと勝手なことを言い出す人達がいて迷惑でした。
ごちそうさんは後半たっぷり削除されてから落ち着いて書き込めるようになったと思う。それまでは結構荒れていたよ。
あの頃はお茶の間なんてなかったから、ちょっと冗談めいたことを書くとファンのひとりがすぐ噛みついてきた。「ここは感想を書くところであってそんな事を書くぐらいなら、ここに入ってこないで!」ってね。
別に私はアンチでもなければファンでもなく普通の中立派なんだけどあの頃のファンは相当ピリピリしていたんじゃないのかなぁ?それに今でもそうだけど本家の評価が異常に高かったから、そうでない人からすると面白くなかったんだと思う。
ごちそうさんは少しくせのあるドラマだったから、好き嫌いが別れたところはあると思う。批判意見を書いてるのが前作ファンだというわけではないと思う。しかし、借金だとか砂糖だとか夜這いだとかことあるごとに嵐のようになるのはなんだったんでしょうね。焼き氷論争なんてどうでもいいことで時間をとり、せっかくの感想が埋もれてしまったのはじつに残念に思っていました。
ごちそうさん、を見て、食べたいと思った料理も作りたいと思ったものはなかった。
わたし、食い意地が張ってるので、これは自分でもがっかりでした。
がっかり度で言うと、てっぱんと同じくらいだったのよね。
芋たこなんきんの鶏飯とかすき焼きめし、ゲゲゲの緑のぎょうざ、あまちゃんのナポリタン、
花アンのほうとうは、食べてみたくなったし、家でも作ったり、お店で食べたりもしたんだけど。
この合わなさは、なぜなんだろうな、と考えてみると、やはり、わざとらしいとしか思えない演出と、ヒロインの不恰好さにあったんだろうと思う。
腹が垂れ下がった妊婦姿は、ドラマというよりコントに見えてしまった。
後半のふくの妄想、教授の男色等も、笑わせよう。という下心が見え見えで、不愉快に思いました。
まあ、私には、この作品の良さはわからなかったもいうことですが、ここまで、良いところが見つからなかったドラマは、この8年で三作くらいしかないので、ほんとに、合わなかったんだなあ、と思います。
このドラマは食がテーマと簡単に言うけど、そのテーマが回を追うごとに広がり、かつ深まっていき、人間の生きることの意味、その根源にまで行き着いているのが、やはりすごいと思います。これは森下さんでないと描けない世界。それを一見ラブコメのような軽いタッチのなかで描くことには、目に見えないご苦労があったと思います。ただしあくまで普通のオーソドックスな朝ドラをみるような目で観ていると、これは最後まで気がつかないことかも知れないと思う。そちらの視点で観ているとつじつまがあわなかったり矛盾に感じることも、視点を切り換えてみると全部ああそうだったと納得がいくのです。目からうろこが落ちるような思いって、そのことですね。その爽快感がまた楽しかったです。大好きなドラマです!
「食べることは生きること」こそがテーマなんだと思います。
だから、戦時中、和枝さんの家に疎開していため以子が、たったひとりで食べるシーンとか、戦後すぐ、焼け野原の大阪の町でめ以子と室井さんが、おみすびを食べて「ごちそうさま」「ごちそうさん」と叫ぶシーンとかこそ、描きたかったんだろうなと思いました。ただただ「食べる」ということの、シンプルな意味を教えてもらった気がします。どっちかというと少食なものなので、食べなきゃいけないなあと。
「ごちそうさん」が好きすぎて、ほかが見られなくなって困ってます。
『ごちそうさん』で牛すじカレーが登場した日は、スーパーマーケットで牛すじが売り切れる店が続出したとニュースにもなっていました。
レシピブックが長らくAmazon料理本ランキング1位を占めていたのは、食欲を刺激された視聴者が多くいたからでしょう。
表のテーマは「食」でありましたが、それに絡ませて家族のあり方や戦争と死、国家と個人の関係などについても深く追求したドラマでありました。
私は、だからこそ『ごちそうさん』は素晴らしいと思うし、大好きなドラマなのです。
ふ久の腐女子妄想や竹元教授のようなエキセントリックな人物は今までの朝ドラには登場しなかった。
よく評論家などが『ごちそうさん』は朝ドラの王道ストーリーであると言っていますが、的外れな論評です。
このドラマは朝ドラの定型を何とか打破しようと試行錯誤した意欲作、秀作だと思います。
レシピ本を2冊買って作りましたね。
食の思い出のドラマでしたが、悠太郎とめいこの別れのシーンが大好きで今思い出しても切なくなります。昭和の映画のようなところがありました。
「ごちそうさん」の初めの頃は好きでした。ラブコメ的な雰囲気が楽しくて。だから面倒でもスコッチエッグを作ってみたりして、一人悦に入ったりしていました。
でも大阪編からがダメ。週テーマにこだわるあまりの展開の強引さや上の方が書いているような演出のあざとさが鼻について。
自分が専業主婦でないせいか、食がテーマなのも合わなかったのかも。途中で見るのをやめました。
牛すじ煮込みうましです。茶がゆも彩りよく綺麗でした。
> ただしあくまで普通のオーソドックスな朝ドラをみるような目で観ていると、これは最後まで気がつかないことかも知れないと思う。そちらの視点で観ているとつじつまがあわなかったり矛盾に感じることも、視点を切り換えてみると全部ああそうだったと納得がいくのです。目からうろこが落ちるような思いって、そのことですね。その爽快感がまた楽しかったです。
序盤の和枝のあんさんが食いなはれイケズからのほっかむりで大八車のコント展開…の時点でついていけず早々にリタイヤした者です。
視点の切り替えとは?
ドラマ好きがこぞって絶賛しているので再放送されたら今度は視点の切り替えができるのかリベンジしたいと思うのですが。
コツを知りたいです。
「ごちそうさん」って、結局は好みにあうかあわないかに尽きるのかもしれまっせんね。コツってあるのかなあ?
少なくとも万人受けするドラマではないでしょう。誰もが楽しんでみれる無難なつくりではありません。
でも、好きになってしまうとやみつきになるんですよ。どうしようもないくらいに。
私は普段あえて朝ドラは見ないようにしています。
朝は忙しいし半年間毎日見なきゃいけない気がして性格的に辛くなるから。(うち録画できないビデオ機だし)
でもテレビはついてるからなるべく見ないようにしていました。でもこれはうっかりハマってしまった。
私的には大失敗(笑)
旦那は杏ちゃんのファンになってしまいました。
その前もそのあとも朝ドラは相変わらず見ないようにハマらないようにしています。(ただマッサンはチラ見でも面白くてハマりそうでヤバい。逃げなきゃ。)
このサイトもよく利用しますが朝ドラと大河は書き込みを控えます。高度で激しいディスカッションについていけないから。しかしごちそうさんは耐えきれず三回ほど短く大好きという言葉を添えて星評価だけしにいきました。
もうこんな朝ドラはないかもしんない。
私は戦争中の回は
一番すごかったと思いました。
ラブコメで、軽く楽しむつもりで見ていたのに
戦争ものは嫌いなのに
すごく惹きつけられた。
子どもにも見てほしいと初めて思った。
軍手批判なんかは 確かに なにそれ? と思いました。
ただ、私の中で どうしても 受け入れられない描き方というのが 幾つかあって、その内の一つが 源ちゃんのPTSDだった。
源ちゃんの苦しみの 根本的な部分にほとんど触れず、食が解決するという いつもの流れで 牛乳を飲めた翌週に 酒盛り。これは どうしても ダメ。
戦時中、 疎開先でたったひとりで 食事するところなんかは よかったです。
ごちそうさんの戦争中の話は中毒になるくらいおもしろかった。
だいたいの朝ドラは後半から落ちていくのが普通なのに、私にはクライマックスまで登り続けるような内容で最後まで飽きずに見ることができました。
この部分の脚本の内容は特に秀逸だと思います、でも当時は強烈な批判でも盛り上がっていたと思う。
私が残念に思ったのは
ふくちゃんの石落下事件の回収方法ですね。
見えへん力のはよかったんですが
石を落としてけがをさせた件をきちんと反省させてほしかったな。
尺の問題かもしれないけど。
あと肉塊もいらなかったと思う。
でもいつもは苦手で避けていた戦争の話
ここまで惹きつけられたのは初めてでした。
ゆうさんが生きているのか帰ってくるのか
最後まで目が離ませんでした。
ふ久が石を落として高山さんちの勝くんにけがさせたとき、め以子、確かふ久を叱っていましたよ。ふ久が理解できず、め以子、悩んでましたけどね。
肉塊はそこだけ見ると確かにやりすぎだと思いますが、その前段階として、学校から突き返されるようなまずいパンを作ってしまい、食材たちからもっと美味しいものになれたのに、と責められて、め以子がひとりで一生懸命、そのパンを食べきるというシーンがあったから、私はわりと許せるんです。おいしいものを、おいしく食べてあげなきゃいけないっていう表現の一つだという意味で。
でも、まあ、やりすぎだって思う人もいるだろうなと理解はできます。
戦争についてはみなさんと同感です。日中戦争から描いていましたから、かなり長い時間を使っていて、それも勇気がいるというか、腹を据えてじっくり描くという強い意志を感じました。それも、変な理想主義や現代的平和主義に陥ることなく、砂糖や米が配給になる、親しい人が出征するなど、庶民が少しずつ戦争の意味を実感していく地に足のついた描き方が秀逸でした。
私も源ちゃんのPTSD克服にちょっと疑問。生き物の殺生に抵抗を感じていたから、殺生が関係ない牛乳なら、という発想はまだいいけど、そのあとすぐの酒盛りシーンには本当にげんなりしました。ふ久の石投げ火つけも、いくらめ以子が叱っても、祖父祖母が大甘で全然謝らせようとしなかったのに大いに違和感を覚えました。学校の対応も大甘でしたね。レビューで物議をかもしたのは仕方ない描き方だったと思います。
>39さんに強く同意。
ふ久が落ちない石の実験をしていている時、高山さんの子どもの
足に当たってケガをしてしまう。
このことについて、西門家の人たちは高山家に謝罪していない、
ネット上で非難されています。
しかし、その後でめ以子は菓子折りを持って高山さんに謝りに
行っています。
また、め以子はふ久を厳しく叱っているのです。
この叱責は相当に応えたようで、その後でふ久が涙を拭うシーン
が流れました。
小学校側の対応も相当に厳しく、ふ久は停学処分まで喰らっている
のです。
落石実験をする前に、高山さんの長男が運動場でふ久を突き飛ばす
シーンもありました。
私がふくちゃんの石の件が残念に思うのは
ふく自身のことです。
周囲は見えへん力に疑問に思っての行動だったと納得してお終い。
肝心のふくは、けがをさせたことをきちんと反省したんだろうか
いくら気になっても、周囲に迷惑をかける行動はいけないと理解したんだろうかということです。
怒られても停学になっても、悪いことをしたという自覚があるようには見えませんでしたよ?
>このことについて、西門家の人たちは高山家に謝罪していない、
ネット上で非難されています。
ふくが謝っていないことへの非難ではないでしょうか?
ふ久が謝らないだけで怒る人がいっぱいいるって私には不思議です。
そんなことで怒っていたら日常生活で支障をきたすことってないのかな?たかが子供でしょ。
ここは、粗探しで難癖をつけたい「ごちそうさん」アンチの方
が立てたスレッドだと思います。
そういうことは、他の朝ドラでもありますよ。
例えば「花子とアン」のヒロインは夜中に教会の図書室に
忍び込んで絵本を見ていました。
これは、立派な住居不法侵入です。
花子はそれについては反省も、謝罪も全くしていません。
また、女学生の時にはぶどう酒を飲んで酔っぱらっていま
した。当時は未成年の飲酒を禁じる法律は無かったものの、
メソジスト派の倫理規範に明らかに反しています。
そういう生徒を退学処分にしなかった修和女学校は時代考証
的にもおかしいことですし、ご都合主義だとの批判も免れ
えない。
「ごちそうさん」に難癖つける人たちは、何故か「花子とアン」
やその他のドラマのご都合主義には大甘なんですよね(笑)。
テスト書き込みスレッドで、最近、お茶の間の朝ドラ関連スレッドが多すぎるって呆れていました。
上の人が書いてるようにこうなったのは「マッサン」スレッドでネタバレ禁止をくどく言ったり、「ごちそうさん」関連の話題で必要以上に怒りまくって、ごちそうさんファンを悪者にして締め出した直後にこの「ごちそうさん」スレッドが出来ました。
出来たとたんに放送中にいたような重箱アンチが復活。
ここはもうアンチの方に明け渡した方がいいんじゃないでしょうか。ここ数日のここのコメントはかなり強烈なアンチさんがいるので良い雰囲気にはならないと思います。
梅ちゃん先生やカーネーションスレッドとかたくさん出来てますが、私は「朝ドラ 自由に比較できたりネタバレもあり」の方で皆さんお互いに好きな朝ドラを語るという感じでまとめてもらった方が盛り上がるし1つに統一した方がいいのではないでしょうか。そうでないとこれらの朝ドラスレッドはコメントも盛り上がらなくて淘汰されちゃうと思います。
子供時代に何かを怒ってみてもその時は反省してないことはよくありますよ。反省してない…というより事の重大さがわかっていない、ピンと来てない、みたいな。もちろんやったことの意味はわかってるんでしょうけども腑に落ちる、ところまではいかない、というか。
うちの子もそうです。(3人とも小学生)
私も子供時代に万引きしてしまい悪いことだとは思いつつ当時は大きな罪悪感までは持ってなかったです。
本当に身にしみて反省するのはもっとずっとあとだったりしますよね。
特にふくは理論で納得できないと前に進めないような子だったと思います。反省してないというより単純に事の大きさを咀嚼しきれてなかったから(他のことに気をとられてたから)反省までいかなかったのもよくわかる。
不器用な子ですよね。
そこの描き方はかえってリアルかも。と思いました。
ごちそうさん、大好きです! このドラマと出会えてよかった。映画好きでほとんどテレビドラマは見ない人間なのですが、ごちは特別です。かなりの傑作。今のマッサンも、脚本家さんが気になる方なので、真面目に見ています。
本当のネタバレは朝ドラを毎日楽しみにしている人にとって嫌だし、
ネタバレが好きなら他のサイトでやってほしい。
マッサンの雑談スレでごちそうさんと比べてな感じの話題が少しでるくらいならいいけど、マッサンのところでたっぷりと当時ごちで揉めに揉めて荒れた話題をひっぱりだして長々とレスが続くのはマッサンのファンからしたら不快だと思うからやめたほうがいい。
ここのごちの雑談が過疎ろうがどうでもいいことじゃないの?
ここがあればマッサンで迷惑する人たちが少しでも減るのだから。
私もこのドラマの戦争の描き方には、深く感動した一人です。
かつおの死亡通知を受け取り、半狂乱になって彷徨するめ以子。ふらふらになって戻ってきた彼女を暖かく迎えるどころか、畑に引きずっていき、彼女が放置したため枯れかけた収穫物を突きつける和枝。
そして孤独の極致でせめて一緒にご飯を食べてほしいと懇願するめ以子に、「あんたは見送るお人や」と言ってすげなく拒否する。こうして和枝に冷たく突き放されながらも、め以子は一人で食事し、黙々と畑を耕し、ようやくもとの姿に戻った畑で新たな収穫を迎える喜びを知る…。
どんな哀しみのどん底にいても、こうして命はよみがえり続いていくのだという事実を身をもって知るのですね。ここの描き方、本当にすごいです…。
>ふ久が謝らないだけで怒る人がいっぱいいるって私には不思議です。
そんなことで怒っていたら日常生活で支障をきたすことってないのかな?たかが子供でしょ。
論点のすり替えですか?
石を落としてけがをさせる、ボヤ騒ぎを起こす
子どものしたことお終いに出来る方なんですね。
>反省してない…というより事の重大さがわかっていない、ピンと来てない、みたいな。もちろんやったことの意味はわかってるんでしょうけども腑に落ちる、ところまではいかない、というか。
いくらなんでも、相手がけがをしたり
火事になりかけたら、事の重大さんは分かると思いますけどね。
ふくちゃんの場合は、発達障害を連想させるかのような
ちょっと変わったというこの設定。
見えへん力に興味を示すのは、いいと思うんですけど
そのあとがちょっと中途半端だったなあと残念です。
私もごちのファンですけど
疑問に思ったこと残念に思ったことを書くと
アンチ扱いされたことを思い出しました。
連投すみません。ごちの戦争時代のエピについてもう一つ…。「悠太郎の卵」をまた録画で見直したのですが、なんと人の心理を丁寧に描いているのかと、改めて感動しました。
愛しい妻を残して遠い満州に旅立たねばならぬ悠太郎のやるせない思い。その目は何も知らずその日も慌ただしく家事をこなす妻を、切なく愛をこめて追い続ける。
そして事情を知った希子夫婦やお静さんの心尽くしで、め以子と二人だけで過ごした出発の前夜。たった一個の卵でめ以子が作ってくれたのは、二人の思い出の料理、スコッチエッグ…。
妻の笑った顔だけを見て旅発っていきたいと願った悠太郎。しかし最後にたまらなくなったお静さんから満州行きを知らされ、必死に悠太郎を追いかけるめ以子。
雪が降り積むなか、万感の思いをこめて見つめ合う二人…。ここのシーンは何度見ても思わず涙がこぼれてしまいます。大好きなドラマです。
反省してないというよりピンと来てないんじゃないか、と書きました。
自分に当てはめての見解です。
自分も小学生の時遊んでて同級生に怪我をさせてしまったことがありそれはさすがに事の大きさはわかっていましたがちゃんと謝ったか、というとはっきり覚えないんですよね…。親同士でやり取りはあったと思うけどその当時自分が謝ったかどうか覚えていないんです。
もちろんその子に悪いという気持ちもありましたし謝ったのかもしれませんが…よく覚えてない…。その後その子とは普通に友達付き合いはしていました。
要するに事の重大さを理解することと謝ると言うことが直接的にイコールで結び付いていない、というか…。
おそらく私も鈍い子供だったのでしょう。
子供の感覚で、ですよ。
これはあくまで私自身が思うことで重ね合わせたときにすんなりと納得できたんですがもちろん納得できない人がいても当然だとは思います。
でもどちらかというとふくがどうこうよりそういうことがあったときの親のあり方の方が大事かなあと思いますが。謝りそびれてしまったとしても子供心に親が怒る、自分のために親が他人に謝る、という姿を見せられる、というのがすごく堪えるし心にずっと残る事だから。
教育的にということで言えば本人が本心から謝れる状態でないのに形だけ謝らせるのはどうなんだろう、とも思います。ふくがあの事件を自分のなかで消化するのはあの後少し成長してからだったんでしょうね。きっと。
53さま、もう心から同意します! 私もあのシーンでは泣いてしまいます。ドラマを見ているときも、まだ寒い季節だったので、ことのほか心に残っています。ごちそうんは、見返せば見返すほど、深く味わい深いドラマです。
ふくのシーンは道徳観で見るか、ふくの特性を認めるかで意見が分かれるし、いくら書いても結論が出ることはないでしょう。
うちの次男坊もいくら理屈で言ってもわからない子でしたね。だからって親が子を叩くようなシーンは見たくないし、ふくの子育ての難しさはよく伝わってきました。じいちゃんがフォローしてるシーンが好きでした。
正蔵さんのフォロー、よかったですよね。
あれがあったから、夢を取り戻したふ久の「この世にあふれている見えへん力で電気を作りたい」という言葉が説得力を持つんです。
あと、勝くん。ただ、ふ久にけがをさせられるためだけに出てきた存在じゃないと、しみじみ思ったのは、戦後、泰介が作ったドラム缶風呂に入っていたとき、多江さんが寂しそうにつぶやいた言葉を聞いたときです。
「ええなあ、泰介くん、戻ってきて」
「勝は、英霊になりはったから」
西門家に西門家の歴史があったように、高山家も同じ時代を生き、いろいろなことがあったのだろうなと、しんみりさせられました。
勝くん、どんな青年に成長したのでしょうね。どんな思いで出征し、どんな思いで散っていき、英霊になったのでしょう。
石を落して他の子にけがをさせたりボヤ騒ぎを起こしたり…いくら発達障害を思わせる個性的な子供の行動にしても、やりすぎですよ。めいこが叱ったのは当然だし、学校から停学処分を受けるのも当たり前。でも、おじいちゃんが家で実験をしてわからせるのはいいけど、やっぱり悪いことをして叱られたら謝るシーンはきちんと描いてほしかったです。我が家の子供はなんでこの子謝らないの?と私に聞いてきました。返答に困りましたよ。
私もやりすぎだと思います。
ボヤ騒ぎを起こしても、けがをさせても
悪いことをしたという自覚がないような演出。
めい子も、最初はそういうふくに困惑していたのに
好奇心からの行動とわかるとそれで良しとしてしまった。
何とも中途半端な終わり方。
小2になっても善悪の区別がついていないことへの対応が
されないまま終わったのが残念です。
私も満州に行くシーンが一番好きでした。
また希ちゃんが
結婚後どんどん勝気になって
ご主人を尻に引くのも面白かったです。
ふ久が謝らない、なにが悪いか理解できない。
その部分がめ以子の子育てに大きな壁を作っています。
め以子は「普通であること」がいいことと思ってるんですよね。
女学校時代も自分は背が高いから魅力がないと思ってた。他の子みたいな普通の背丈なら良かったと。
戦争の時にも最初は笑顔で出征を見送っていました。それが普通、当たり前と思うから。
その普通が自分には当てはまらないと気づくところにドラマが生まれたりしていると思うので、ごちそうさんという作品でのふ久のありようはあれで良かったのだと思う。
そんなふ久をどう育てるのか、叱るだけでなくふ久のなにを認めるのかが大切だったのでは。
め以子はなかなかふ久を認めてあげられなかった。義父や教授という、め以子と少し離れた人がそれをする。親が完璧ではないってことがすごく描かれていたなと思う。
もちろん視聴者の好みはあろうけど、あれが一般的に正しい、間違いというのだけで論争しようとしてる人と、ドラマの作り方としてありかなしかを話してる人とはなかなか噛み合わないだろうと思うよ。
そういう意味では、ごちそうさんってご都合じゃないところに個性があったようにも思う。
和枝も悪かったと謝りめ以子を認めたりしない。
それでいて関係性はちゃんと前進する。
源ちゃんのPTSDも牛乳が飲めたから治ったとは描いてなかったと思う。きっかけにはなっただろうけど、どちらかと言うとめ以子の行動とセリフが源ちゃんの中でマッチングしたのだなと感じた。
そこに牛乳があっただけで。
牛乳に気づき、それに救われるって、ありがちな感じだけど、そこに着地点がないこととか。
ふ久が謝らない。自分を曲げない。
それもめ以子の子育てをご都合にしないバリケードみたいでした。
ちょっとおかしくない?って引っかかるところにこそ、ごちそうさん独特のメッセージがあったように思う。
普通じゃないことに苦悩するだけなら
物事の善悪の区別がついていないエピなんて必要なかったと思う。
「ごちそうさん」には実にいろんな料理が登場するけど…、私が特に印象深かった料理の一つは、ハモニカでしょうか。
芸者置屋にきて心細さに泣いていたお静さんにそっとハモニカを差し出した、若き日の正蔵…。このときから彼は、お静さんにとって忘れられぬ人になったのですね。
その正蔵さんと運良く結ばれたはいいけど、そこには小姑、和枝との葛藤の日々が待っていた。そしてついに愛する夫は出奔…。あのハモニカはお静さんにとって甘い初恋の味だったとともに、苦い苦い人生の味でもあったのでしょう。
大阪編の天神祭りのシーンは忘れられません。悠太郎扮する獅子を待っている西門家の人々のわくわくする表情、そして祭りを楽しむ人ごみのなかで、ちょっと離れた場所に立つ正蔵とお静の束の間の触れ合い…。
二人の思いが交差したのが確かに感じられました。それが泣きながらハモニカを食べる、お静の名シーンにつながるのですね。宮崎さんの演技にも感心しました。
61さんにガッテン!っガッテン!
ふ久ちゃんのことは、既に何人かの方が述べていらっしゃって
結論は出ています。
私も小学校に入る前に雑貨店でスプーンを万引きしたことが
ありました。でも、その時には罪悪感はまったく感じなかった。
子どもというのは残酷なもので昆虫を道端に叩きつけたり、
カエルのお尻に爆竹を突っ込んで火をつけたり…
万引きが良くないことだと自覚したのは中学生くらいになって
からだし、道端のアリさんを踏み潰さないよう気をつかうのは
成人になってからのことです。
ふ久ちゃんは、母親のめ以子から厳しく叱責されたし、停学
処分も喰らいました。十分に制裁を受けたのではないでしょう
か。
8歳の少女が自分の起こしてしまった事故を悔いて号泣しながら
謝罪する方がリアリティに欠けていると思います。
さっき書いた者ですが、よかったら皆さんの思い出に残るシーンも、いろいろ聞かせて下さいね?
>8歳の少女が自分の起こしてしまった事故を悔いて号泣しながら
謝罪する方がリアリティに欠けていると思います。
泣きながらの謝罪は誰も求めていないでしょう。
一番はふくが反省しているようすがなかったから
叱られたから、停学になったから
罰を受けたからよしとするって
本人が悪いことをしたと
思ってもないのに何の意味もないでしょう。
万引きがよくないことと思わないで
小学校時代を過ごしたらしい人の意見ですね。
万引き少年少女は、悪いことと自覚しているかと思いますよ。
罪悪感がないだけでしょう。
ふくは非行少女じゃないですよ。
軽度発達障害を疑わせるようなエピをいれ
善悪の区別がついていないとするのなら
終わり方が中途半端。。
幼稚園児ならまだしも、小学2年にもなって
ボヤ騒ぎをおこす、石を落してけがをさせる
事の大きさに青ざめるわけでもなく、なぜ悪いのか何の自覚もなく、ふてくされる。
お子さんがそんな風で、まだ小さいから理解できないんだと思う親がいたら
いかがなものかと思うけどね。
確かに私も小学校低学年頃は遊びで虫をいじめたりかなり酷いことをしてしまってた。大人になった今、たまに思い出すと恥ずかしくなって心から謝りたい気持ちになる時がある(ごめんなさい..)
自分で言うのもなんですがその後、成長すると不良グループとは全く係わり合いがないような無難な生き方を選んできた私でもそうなのだから、ふ久のことを突き放して非難する気になれないな。
成長したふ久の告白も私は微笑ましかったし、め以子や悠太郎さんの戦中の頃にやってしまった失敗は、手放しでは絶賛できないが、自分におきかえてみると全く失敗しない人なんていないだろうし、私には、そういう失敗を繰り返して、ほんのちょっとずつでも成長して大人になってく夫婦を見るるのはドラマとは思えない臨場感を体験できた珍しい経験でした。
この夫婦や娘たちの行動に完璧さを求める方たちには疑問だらけのドラマだったろうな、とは察します。
私は「花子とアン」はそれほど好きじゃなかったけど、放送終わったらそのドラマについての批判意見をわざわざ書こうとは思わないのは「花アン」に対する愛情がそれほどないからだと思うんです。でも「ごち」でこれほど盛り上がるのは、嫌いな方も依然として何かしら関心を持ってもらえてるのかな、って。
私は嫌いだから言っているんじゃないです。
好きなドラマでも残念なシーンだからです。
他の人もそうかと思います。
ボヤ騒ぎと石落下が不要だった。
授業が始まっても、たき火の煙を見つめ続ける
池に石を何度も投げ入れる。
それくらいで十分だったと思っています。
60さんにいいねをつけたい…。
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