




![]() |
5 | ![]() ![]() |
366件 |
![]() |
4 | ![]() ![]() |
236件 |
![]() |
3 | ![]() ![]() |
196件 |
![]() |
2 | ![]() ![]() |
207件 |
![]() |
1 | ![]() ![]() |
759件 |
合計 | 1764件 |
吉之助、愛伽那と子供たちに再会できて良かった。
今みたいに電話やメールも無い時代、次いつ会えるかも分からない状況なので切なさがこみ上げます。
せっぽう殿のナポレオンの真似にクスッとしちゃいました。
もっと早く吉之助に出会っていたら、きっといい同志になってただろうなと思う。見送りの「革命」にジーンときた。
愛加那の話、あんなにくどくど引っ張っておいて、
結局、西郷は他の女と結婚しちゃう。
それでもいつも愛加那の心の中には西郷がいて、
いつまでも愛してるという話なんだろう。
西郷には都合がいいよな~。
確かになあ…
史実なんてどうでもいいという意見も多いし
愛加那と結婚させちまえば良いのでは?
生麦事件も薩英戦争も、どってこたぁないな。
騒ぐほどのことじゃないじゃん。
畑は農民でも種が軍人だから、将来は海外留学まで。ピンカートンの息子みたい。
大河ドラマは習慣で見ているけれど、こんなにガッカリな大河ドラマは初めて。西郷を演じている俳優の内面や人間性が感じられない。熱演もいいけれど、深みが見えない。何の革命を今の西郷に期待するのか?愛可那や島民や子供にはいい人だったんだろうけれど、そこではない。
歴史的な事件などをもう少し描いて欲しい。いつも唐突にあちこち登場させて都合よすぎる。
ナポレオンはフランス革命のどさくさ後に出てきたのでは?
ベルばらには出てこなかったです(笑
なんか自分の認識がおかしいのかナポレオン上げが疑問に思った
あの頃の日本人が誤解してるというのならわかる
ベルばらにナポレオン出てたと思うよ
無名兵士としてワンシーン
ナポレオン、ベルばらに一瞬出てくるよ。
オスカルが歩いてたらすれ違うんだよ、若き日のナポレオンと。
それだけだけど。
西郷は本当にナポレオンファンだったみたいだよ。
「ちっぽけな島で生まれた貧相なヤツが苦労の末にヨーロッパの皇帝になった」というドラマが好きだったのかな。
司馬遼太郎の本のどれかにも、西郷はナポレオンが好きだったと書いてあったような気がする。
探したんだけど今のところ見つからない。
司馬さんの本で見つけたのは、西郷が本気で尊敬してた歴史上の人は「司馬光」という中国人だ、ということ。
司馬光というのは江戸時代の教養人の必読書「資治通鑑」の著者だって。
でも司馬遼太郎が言うには、本当に西郷に影響を与えたのは司馬光じゃなくて島津斉彬だと。
西郷が「革命家」だとしたら、若い頃の薩摩での日々、江戸に出てきて出会った藤田東湖などの思想、斉彬から受けた薫陶などが複雑に撚り合わさってそうなったんだろうと思う。
少なくとも、ちょっと聞きかじったナポレオンに影響されて革命家になっちゃうという、異様なまでの安直さではないと、思うんだよね。
こう持っていくような前振りが多いような気がする。愛加那さんとの結婚だって、出会う前から占い師のような人の予言ぽかった。ナポレオンに感銘を受けているようだけど、「革命」の旗も何か当時としては大げさ過ぎるような。教育は平等にと西郷どんの思想のような一端は垣間見たので、これからは攘夷とか公武合体とか詳しくないけど、そのあたりを丁寧にきちんと見せてくれて自分で判断できるのが一番面白いのだけどなあ。
確かに幕末時、ある一定層にはナポレオンは知れていたようです。
そして指摘されたように、ナポレオンはフランス革命後の混沌時に出てきた英雄であってフランス革命を成し遂げた者ではない。
が、どうも幕末時にはフランス革命の英雄と誤解されていたようです。
それにしても、本土から遠く離れた罪人がナポレオンに関する書物を持っていて、尚且つ、唐突に革命などという旗を振りかざすなど漫画そのもの。何のリアリティもなし。
第一、何のどういう革命なのか、視聴者にはさっぱりわかりません。
それと当時革命などという言葉があったのか甚だ疑問。世の中が変わることを御一新と言っていたはず。こういう西洋からの概念用語は明治後福沢諭吉の功績による事大なり。
またナポレオンは皇帝になったのであって、日本でいえば天皇を打ち倒しその地位に成り代わる事になる。
したがって、ドラマのこの時にナポレオンを持ち出す必然性はなにもない。
が脚本の単純脳では、ハイこの時より突然革命モードに確変しました、くらいの浅知恵かもしれない。
引用、大丈夫かな?マズイんでしたら削除してください。
司馬遼太郎『翔ぶが如く』一巻 文春文庫(株)文藝春秋
"幕末の志士たちの印象的知識では、フランス革命をやって自由を高唱したのはナポレオンであるというぐあいになっていた。1789年の人権宣言からルイ16世の処刑、つづいて政治的混乱とナポレオンの出現、同人の没落までの25年間をひとつの時期と見、あらゆる思想的、国家行為的現象を「ナポレオン」という人名に籠めて理解していた。”
毎週楽しみにしています!
革命の旗、、あまちゃんの夏ばっぱかと思ったw
確かに生麦事件は2日で終わったけども
鹿児島は結構な被害だったはずなのに…。
島流し中とは言えいつも手紙で事後報告とは。
なのにアイカナさんだけは、これでもか!と絡めて来る。
徳川家の冷たさ半端ない、西郷に取っては恋愛が全て。
まさか本を渡されたくらいで革命家になるのか?
訳が解らない。
まさにつまらない女脚本の描き方に呆れましたこんな軽いタッチ浅い大河ドラマはもう見ない
ナポレオンを起こしてフレーヘード(オランダ語の自由)を唱う。
幕末期、吉田松陰だったか福沢諭吉だったかあるいは他の誰かかは忘れたが、当時の知識階級の意識として確かにそうした漠然とした西洋における自由というものへの驚き、憧れは有ったようですね。
薩摩藩の一大事生麦事件あっさり終了ww
斉彬が西洋主義を唱えていて たまたまナポレオンの本を持ってる
爺さんと一致して共感したんだよと言いたいのかも知れないが、、。
丸太を黒くして浜に並べる作戦で、島人との絆は深まりの
子どもたちに慕われまくりの、アイカナに愛されまくりのと。
やはり頭はちよっとアレだけど、気は優しくて力持ちな人なのね?
と凄い人物だわ 吉之助とは、到底思えない。
土持氏の裏をかいての座敷牢や身を呈しての役人や島人との橋渡しと
彼の活躍ばかり感心しました『土持どん』にすれば良かったのに。
最後の紀行だけは面白かった。
吉田松陰は黒船に密航しょうとした人なので、この吉之助みたいに
取ってつけた子ども教育でもないし、 あぁ慶喜も最低だわ(笑)
フランス革命について正確な知識がなく、
部分的に間違った認識を持っていた幕末の志士。
西洋に対して、その程度のことしか知らなかった。
世界のことをほとんど何も知らなかった。
それでもあの時代に西洋列強の侵略を防ぎ、
何とか独立を維持した。
彼らは凄いし、日本も凄い。
それを、ドラマを見て感じるのではなく、
ここを読んで感じる。
鈴木亮平さんも瑛大さんも魅力がない。脚本と演出が悪いのか?
小栗旬の坂本龍馬はどうなるのか…心配になってくる。
スイカ売りに化けた武勇伝を語っている錦戸亮がちょっと良いなと思って、もっと生かせないのがもったいないと感じた。
ああいう、大人と子供の中間みたいに見える俳優をもっと活躍させて、薩摩の郷中の絆が描けてたら、後半あたりで慟哭を誘うようなドラマになったと思う。
西郷と大久保の二人だけに限定して見ても、幼馴染・親友・同志としてずっとずっと心を一つにしていた二人が、最後に決裂して敵味方に分かれるという、それ以上に加工しなくてもこれほど劇的な関係はないという間柄だ。
でもこのドラマの今の段階だと、この二人が喧嘩別れしたって見てる方は別にどってことないだろうという感じがする。
錦戸亮を調べたら、大阪の人のように思われているけれども父親は熊本の天草、母親が奄美大島の人なんだね。
なんか、もっとうまく使えなかったかな、この人をこのドラマで。
今年の大河は、西郷吉之助が見た。と言う内容の大河ドラマです。
島にいたころ、薩摩の出来事は関係がないのであっさりやって、今いる吉之助の島の周辺と愛加那とのアツアツを描いた。これからも吉之助が携わらない史実はカットかダイジェストで描かれそう。
小栗坂本龍馬も期待できない。薩長同盟の場面でちょっこと出て終わりそう。龍馬暗殺もナレでかたずけられそうです。
現時点における幕末の中心は、長州です。
幕末の前半が、桜田門外の変までは水戸藩が主役であったように、後半は長州が出てきてすべて幕末の事件というのは長州が鍵を握っている。
題名が西郷どんで、西郷目線というのは理解できるが、
将軍家茂上洛、攘夷決行宣言、長州の外国商船砲撃の下関事件、それに引き続く8.18政変、と大事件の連続がすでに終了している。
この流れが西郷及び慶喜対長州という蛤御門の変へと続くのであるから、これらの事件を劇中の会話に挿入するかもしくはナレーションで触れなければ全くおかしい。
幕末ドラマとしては片手落ちの呆れ果てるレベル。
NHKに魅力がない
長州なんて存在しないも同然なのに、唐突に桂小五郎は出てくるようだね。
玉山の。
薩長同盟のときだけかな。
ずーーーーっと長州長州言ってましたが、本当に無視されるとは、、。
まぁ生麦事件と薩英戦争で あの程度なのですから、そりゃ長州藩なんて
このドラマにとっては 関係無いも同然ですよね?
寺田屋でさえ皆で鰻獲って美しき青春(だけど誰が誰だか解らない)に
持って行ったセンチメンタル大河。
必要な人だけ連れて来るなら朝ドラで西郷の妻たちとして大恋愛モノで
やれば良かったのではないか 馬鹿らしいドラマ。
逆に言うと、長州とか他藩の情勢をもっと入れられれば、30年前の作品と差別化が図れたのにね。
リサーチちゃんとしてれば今、長州スルーはおいしくなかったと思うんですけどね。もったいないことをしましたね。
そのへん八重の桜では、他藩の特徴を会津藩との比較という形で、うまーく話に取り込んでいましたね。
それによって、会津の気風というものも際立っていたし、各藩の立ち位置の違いがわかりやすかった。
それにしても・・・今作の話をしていると、ついつい他の作品の話ばかり進んでしまう。
中央政界では、既に会津藩の京都守護職も就任し、幕末の役者も勢揃い。
今や長州対会津の反目という幕末も佳境の域に。
にもかかわらず、たとえ西郷目線としてもそうした事にはナレですら一切触れず相変わらずの、アイカナー!一辺倒。
アイカナの好演があったとしても、同じ別れを二度もやる事の効用は視聴者にとって暫時逓減する、という限界効用逓減の法則を知らないとみえる。
長州は長州でも
長州力の方が出るという
ロングランのドラマ、話をぶったぎって特番って、みてくれ、という意向なのかもしれませんが、自己中心的な考え方に他ならないと気づいて欲しい。みている側(駄作を見せられている側)の人間を軽視していると思います。
ちがう時間帯での、西郷どん!ダイジェスト特番 でいいではないですか。
なぜ放送中なのに切断して前代未聞の特番を挿入してくるのか。
それは脚本の力量不足から50回という回を持て余し、なんとか縮小するための苦肉の策からだと推測する。
西郷は革命家だから情勢関係なく斬り込んで行くんだろうけど。
またもや視聴者にとっては「この人はどこの誰ですか?」な訳ですが
ここまでアイカナ認知は必要だったのか、、誰のための大河なのか。
なんやかんや意味不明の特番を挟むのは仕切り直しの意味か。
視聴率の中の本気で喜んでいる人たちはどの層なのか全く不思議大河。
またスペシャルなのか↓
小栗旬と玉山鉄二の登場場面は期待する
しかし急に長州が出てきても・・そこをスペでするのか?
西郷隆盛はワシントンとナポレオンを尊敬していたという。
西郷はまた、「ナポレオンは晩年が私欲まみれでダメだった。
その点ワシントンは最期まで私心がなくて素晴らしかった」
と言ったらしい。
どちらか一人を選べと言われたらワシントンを選ぶということだったそうだ。
物語の中にナポレオンを持ち出すなら、
ワシントンも出してこなければ片手落ちというものだろう。
だが視聴者の立場としては、どっちも要らなかった。
海外の有名人のことよりも、幕末に必死に生きた日本人を見たいからだ。
ナポレオンと幕末とベルばらのあれこれについて了解しました。
(気楽に入れたら反響があって驚いた)
いざ革命へ!西郷と4人の男たち
次回の特番の題名が、いざ革命へ!西郷と4人の男たち、だと。
実にイヤな題名だね。
これでこのドラマの方向性がはっきりした。
以前から懸念していたように、西郷の行動は市民革命の発露であった、という解釈のドラマにしようと思っているのだろう。
要するに、西郷は若い頃から自分も含めて貧しき者達を多く見てきた。そしてその事が決定的になったのが2度の島送り生活での、現地人の貧困さと武家社会による現地人への搾取と圧制という理不尽さ。
これらに触発された西郷は、権力の象徴である徳川幕府を倒す決意をし、実行し、成功した。
ところが、多くの血を流して成立した新政府は、富国強兵という人民をないがしろにした国家を目指すものであり、庶民はますます困窮した。そこで、
政府に尋問の筋有之、として薩摩で反乱の狼煙を挙げたのであった。
とまあ、こんなとんでもない解釈に基づく、今風の超薄っぺらなバカバカしいドラマにしようと思っているのだろう。
自分は歴史に詳しくないので、「では、どうして吉之助は歴史に残っているの?」がわかりません。
貧しい人たちを救おうと思ったのでなければ、どうして吉之助は徳川幕府を倒そうとしたのですか?
13:26:16 の解釈、つまりNHKはこのように考えているだろうという解釈はデタラメもいいところです。
つまり、この見解はまったく外部環境を考慮していない。
それまで平穏無事な江戸時代が、幕末になってなぜ突然騒乱状態になったのか。
それは黒船来航という外圧からです。
すなわち、それまで鎖国状態であった日本が西洋列強から開国を求められた。それに対し日本はどうすべきか、という問題が幕末騒乱を呼び、最終的には明治維新という形で収拾した。
その収拾した明治政府の方向性というのは、とにかく西洋列強の植民地になってはならないという事が第一義的問題であり、富国強兵
と殖産興業に重点を置いた。
この富国強兵と殖産興業を発展させるには西洋技術と西洋文化を取り入れる他ないため西洋の政治制度も取り入れた、ということです。
したがって、明治維新というのは決して市民革命などではないはずです。
清国のように西洋人に侵略されないためには、
従来のような政治体制ではマズいという恐怖から人々が動き始めた。
でもずっと早くからそう考えて動いていた島津斉彬という人がいて、
その人に衝撃を受けたのが西郷どんだったんだよね?
やがて、幕府や関ヶ原以来の立場の違う諸藩それぞれの事情が絡み合い、
複雑な戦いが繰り広げられるようになる。
西郷どんは優しい人だったのかもしれないけど、
本当に貧しい庶民の味方だとしたら、
後に伝えられているように
「鰻丼を全部、自分の犬に食べさせた」なんてことはしないと思う。
その頃は鰻屋のオヤジなんて多分、裕福ではない。
そのオヤジの焼いたウナギを全部犬に食べさせるなんて、
貧乏人への共感が強い人だったらやらないでしょ。
西郷どん自身は貧しい生活を体験していたようだけど、
どこかいつも遠くを見てしまって、
生活の貧しさというリアル部分への改善欲求みたいのはなかったと思う。
15:47:35 追記
では徳川幕藩体制ではなぜダメなのか、と言う問題。
徳川幕藩体制というのは、幕府の中枢に将軍がいて、その全国にいる藩主というのはその家来という形をとっているが、財政などが端的の例であるが、藩ごとに別個独立の経済体制となっておりいわゆる小さな国の集まりという体制。
これに対して、強力な国家として作用していくには、どうしても政府の中枢に権力(財政など)が集中する、中央集権国家としての体制がなければ国家としての力が強くなれない。
ですので、徳川幕藩体制を打倒し、明治日本という中央集権国家が樹立されたのです。
これを情緒的に記したのが、あの有名な坂の上の雲の出だし。
まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている。
小さなといえば、明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。
産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の間、読書階級であった旧士族しかなかった。
明治維新によって、日本人ははじめて近代的な「国家」というものをもった。誰もが「国民」になった。
不慣れながら「国民」になった日本人たちは、日本史上の最初の体験者としてその新鮮さに昂揚した。
この痛々しいばかりの昂揚がわからなければ、この段階の歴史はわからない。
社会のどういう階層のどういう家の子でも、ある一定の資格を取るために必要な記憶力と根気さえあれば、博士にも官吏にも軍人にも教師にもなりえた。
この時代の明るさは、こういう楽天主義から来ている。
今から思えば実に滑稽なことに、米と絹の他に主要産業のないこの国家の連中がヨーロッパ先進国と同じ海軍を持とうとした。陸軍も同様である。
財政が成り立つはずは無い。
が、ともかくも近代国家を創り上げようというのは、もともと維新成立の大目的であったし、維新後の新国民達の「少年のような希望」であった。
>まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている・・・
こういう文章を書ける人を原作に持っている『翔ぶが如く』と、「西郷隆盛って、お化粧した明治天皇を見ても幻滅しなかったの?西郷ってゲイだよね?」とか言ってる人の作品を原作にしてる『西郷どん』では、やっぱり勝負にならないね。
大横綱と、三段目か序二段の戦いのようだ。
長州力を出している場合なのか、特番で内容をフォローする大河って呆
16:16:24さんへ。
以前、小西四郎元東大名誉教授、中村哲元京大名誉教授の紹介をした者です。
参考までに司馬遼太郎の「明るい明治」と言う捉え方には当然批判があります。お書きになった感想を見て思いました。
一般向けに書かれたものとしては岩波ブックレットの中村政則一橋大教授による「近現代史をどう見るか━司馬史観を問う」があります。
抜粋引用。
「司馬遼太郎は優しくて温かみのある作家であった。何よりも自分の役割は読者を喜ばせ元気を与えることにあると考えていた。高度経済成長期に作家として名を成した人にふさわしくサラリーマン等の中産階級や管理職の心情にぴったりくる書き方を心得ていた。読者にどうすれば希望と生きる力を与えられるかを司馬は知り抜いていた。(中略)過剰ともいうべき読者へのサービス精神が過ぎている。(中略)司馬の美学が歴史の事実の選択を恣意的で作為的なものにした。日本人にとっては辛くて暗い事件は意識的に切り捨てようとした。それを書けば読者が逃げる。(中略)「燃えよ剣」の土方歳三の尊攘派志士の拷問、日清戦争の旅順虐殺事件を書かず「日本は略奪事件を一件も起こさなかった」と不正確な叙述。日露戦争時の労働者農民の苦しみや「嗚呼! 増税」(平民新聞社説)等に触れず、幸徳秋水を死刑にした大逆事件等も一、二行触れる程度。好きな人間への形象化は見事だが嫌いな人間の描き方は凄く類型的で間違いもある(乃木希典等)」。
長文にならないよう今回はここまで。
「獅子の時代」は明治政府の暗部にもメスを入れた秀作だと私個人は思います。
まあ「西郷どん」はそういったこと以前の問題ですが。
また素晴らしい感想を期待しています。
15:47:35さんへ。
平穏だった江戸時代が黒船来航で突然に騒乱状態になった訳ではないと私個人は思います。
大塩平八郎の乱の鎮圧に幕府側は手間取り、鎮圧の指揮を執った跡部、堀の両奉行は動揺から落馬し大坂の町人から笑いの種にされました。幕府の審理は長引きました。水戸斉昭は動転し幕政改革の緊急なゆえんを痛切に自覚と「丁酉日録」に記しています。
水野忠邦の天保の改革も上知令等への反発から惨めな失敗に終わり、失脚した忠邦の江戸屋敷に数千の江戸町人が押し寄せときの声をあげ砂つぶてを邸内に投げ込み町奉行の鳥居甲斐守がやっとの思いで鎮圧。
以上、中央公論社「日本の歴史・幕藩制の苦悶」より抜粋要約。
揺らぎ始めた幕府にとどめを刺したのが黒船来航ではあったと思います。
20:28:17 さんへ
ドラマが全くの子供騙しのレベルであるため、こうした歴史談義渇望しておりました。
さて、貴兄の言わんとしている事がよくわかりません。
大塩の乱及び天保の改革時の騒動も局地的な事。
それと黒船来航以来の一連の日本全土を巻き込んだ幕末騒乱とは比ぶべくもないことだと思いますが。
島崎藤村の夜明け前では、木曽の山奥の庄屋の息子が京に、或は壬生義士伝では岩手南部藩からも新撰組に加わった物語が記されております。
まさに日本全土が騒乱、狂乱状態になったのも、その根本は我が国が西洋列強に侵食されるのではないかという恐怖心からだと思いますが。
したがって一連の幕末騒乱と前記の事件とは本質的に全く異なるものだと思います。
横やりすみませんが、そもそもこのドラマって、幕藩体制をいかなるものとして捉えているのかすごく疑問。
20:06:03さんへ
司馬さんへの批判は重々承知しております。
坂の上の雲テレビ放送時にも、学会挙げての反対表明、反対運動がありました。
そして何よりもその事を承知しているのが司馬さん本人でありました。
ですので司馬さん生前の折には、NHKがいくら口説いてもそのテレビドラマ化を許可しなかったのです。
ところが本人亡くなった事を奇貨として、司馬夫人を口説き落としテレビ放送化した。
さて、このような小説がなぜ書かれたのか。
それは司馬さん本人が語っております。
昭和40年前半頃までいわゆる東京裁判史観全盛期。
明治維新からの我が国近代化は全て間違いだったのか。確かに昭和からの狂乱は認めるが、全てを否定するのはおかしいのではないか、という疑問からこの作品を書いたのだと。
さて、どのような歴史でもそこには光と陰があるもの。光だけに焦点を当てるのがおかしいとすれば、
陰だけを強調するのもまた歴史を歪めるものだと思います。
21:08:59さんへ。
誠実にご説明頂きありがとうございます。とても嬉しく思います。
壬生義士伝はリアルタイムで視聴しました。また司馬遼太郎「新選組血風録」もよく読みました。東北や九州から幅広い人材の結集があったようですね。
大塩平八郎の乱は一野心家であった由井正雪の慶安事件とは異なり幕藩制の動揺から来たものです。天保の改革はこのような幕藩制の動揺を井伊直弼のように強権的に解決しようとして、ものの見事に失敗したものです。
岩波講座「日本歴史」近世4より元大阪市立大教授の山崎隆三氏の要約抜粋。
「18、19世紀の商品貨幣経済の農村への浸透は封建的小農民経営に分解作用を及ぼし農村内部に次第に新しい階級関係を作り出した。天保期以降、こうした分解は下層農民から中層農民に波及する。没落した中貧農層は年雇・日雇を放出するが、地主から土地を借り受け小作農が多く出現する。」
「農民経済が未成熟にもかかわらず、商品貨幣経済に巻き込まれる場合には大多数の農民は余剰を生み出すことができず単純再生産をなしうるに過ぎない」。
講座「日本歴史」近世2より小野正雄元東大教授。
「農民的商品生産の展開により国内市場が形成され、天保期から幕藩制が動揺し始め幕府は抑圧(天保の改革)、長州藩は年貢の増徴を実現させたが(村田清風の改革)、全国的市場を持つ農民的商品生産の展開に対し領地しか統制しえない各藩の対処は部分的で国内市場の形成は止められなかった。幕藩権力はその基礎を揺るがされ始めた」。
この矛盾が噴き出たものが大塩の乱であり天保の改革の無残な失敗であったと思います。
引用した両著書ともおっしゃる通り黒船来航が貿易による国内市場の再編成で幕藩制市場の崩壊を決定的なものにしたとあります。
引用著書が専門的過ぎて上手く平易に書けずに申し訳ありません。
>陰だけを強調するのもまた歴史を歪めるものだと思います。
それはもちろんその通りで異論は全くありません。
私も司馬遼太郎作品は「坂の上の雲」はもちろん多くの著書を愛読しています。ただ、司馬さんにしろ明治の元勲にしろ無批判に賞賛することは歴史の実証的検証として問題があり独裁国家のそれと同じではないかと思う次第です。
-明治の元勲にしろ無批判に賞賛することは歴史の実証的検証として問題があり独裁国家のそれと同じではないかと思う次第です。-
それほど単純ではないのでご安心ください(笑)
純粋な歴史談から話がそれるかもしれませんが、ものの価値というものをどう見るかということです。
以前にも記したが、私はドラマ篤姫を高く評価する。その理由は以前書いたので詳しく書かないが、
言ってみればコロンブスの卵と一緒で、言われてみれはそんな事というようなことでありながら誰も言わなかった気がつかなかったという視点が素晴らしい。
それと同じで司馬さんも、もはや司馬史観と言われるくらいの今まで誰も言わなかった書いてこなかった視点を高く評価するものです。当然ながらそれに伴う功罪が生じ批判勢力も生じるものだと承知しております。
スポンサーリンク