誤報でありますように…と
観ている側も願うしかないのがもどかしく、次の展開が気になります。
今朝は、知らせを受けたやえさんと弘次郎さんの心の動きに引き込まれました。
実際の日露戦争の記録映像を少し観てみました。
映画やドラマの『二百三高地』は観たことがありませんが、
ハード面での力を持ち、それを利用することへの意義とは何だろう
…と考えさせられます。
おキヨちゃんも、鶴次先生に早く帰って来てほしいですよね。
喜助の事は哀しい
でも自分から呼ばれないのに行ったから
仕方ない気がする。
あんちゃん…あばよ
樹木希林さん、素晴らしい
樹木希林さんの八重は緊張の糸が切れて倒れた、
昨日のはしゃぎ回る姿は悲しみの裏返しの俗に葬式躁病と言われる状態で痛ましくて見ていられなかった。
ただ、嘉助役をコメディが得意の柳沢慎吾さんにし、お調子者の一攫千金を狙うような男に描いてきたので、「だから言わんこっちゃない」と言う思いしか出て来ない。国粋的人間のように皇軍の威信を世に知らしめることも、進歩的人間のように戦争の残酷さや戦場にされる清国庶民の辛さを伝えようと言う気もなく、一儲けして名をあげようと言う日清戦争での木口小平の錦絵での金稼ぎの再来を狙ったようにしか見えず、家族の悲しみが今一つ伝わらない。おみつの時もわざわざ自作とは言え貧農に嫁いで酷使され死ぬ設定で裕福そうな商家の若旦那との縁談のりんとの格差が違和感だった。
ただ、樹木希林さんの演技力はそうした矛盾を超える素晴らしいもので、この作品のクォリティーを高めてる気がする。
嘉助はドラマ最初の頃から家族と共に暮らしてはおらず、
両親を心配させながらも時にひょっこりと里帰りをしていた。
だから、また同じように現れるのではと思えて、戦地で亡くなったということが信じられない。
終盤の嘉助の運命を想定した上で、初期の嘉助のあり様を設定していたようにも思えてくる。
そんな不思議な感覚。それにしても、やえさんが心配。
弘次郎さんがお店を休業し、嘉助の為だけにコーシーを淹れて差し出すシーンは、
旅立つ前にお店に立ち寄った嘉助の残像が見えるようで、忘れられないシーンになった。
アバヨが「あばよ」と言わずに去るのは反則だよ…。
やえさんが、生きているのが救い。
やえさん元気に、なって。
りんは、もう無理。勝手してきたのを皆が許してきたから今更、家族の為に仕事休むなんて無理
妊婦でも何泊も出張いくんだから
我が子も家事も無視でね。いい立場よね
今回も源蔵の方がわが親でもないのに心配してるように見えたし、ワガママ放題よね、りんって。
新聞社の人たちは嫌みを言いながらも、悪気はないのだろうと思う。
仕事や暮らしのバランスって、簡単にはいかないね。
顔色の悪いやえさんだけど、今日は少しだけ弘次郎さんに甘えることができたのが救いだった。
やえさんが倒れて下宿人が誰もいなくなったとはいえ。あれだけの大家族の家事を夜討ち朝駆けの新聞記者のりんがほぼ一人でできるのか。
電気炊飯器や洗濯機等のや家電製品はまだない。ふろの湯を沸かすガスもない。
昭和戦前では中流レベルの家庭でも女中さんがいた(獅子文六「悦ちゃん」や私の両親の家庭でも)。
史実ではヒロインは8人の子をもうけ40過ぎで心臓病で亡くなっており夫は実業家だった。
時はまだ明治末期であるので、どんなものかなあ、と思うこともある。
あれだけ過酷なりんの1日‥早死もするわ 過労。
新聞社の同僚や、源蔵の方は気楽にみえる
昔は、女が二足のわらじは無理だろう
洗濯は手洗い、保育園はない、やえさんあっての
働くお母さんだったのだ。
磯村春子さんが亡くなられたのは心臓病が原因だったのですか…。
過労はあったのかもしれないですね。
『はね駒』が放送されたのは、ちょうど男女雇用機会均等法が施行された年なんですね。
磯村春子さんが活躍なさった時代と
ドラマが放送された時代の背景には、つながりがあるようにも感じられます。
この頃やえさんがよく口ずさんでいる『故郷の空』は、今の季節の歌なんですね。
やえさんが歌うと、おみつや嘉助がやえさんの胸の中にいるんだなあと思えてきます。
はね駒は初見なので先が分からないのが良いです。さて兄の嘉助は亡くなったのは悲しかった。でも生きているような気がします。ひょっこり帰ってくるような気がします。
みんな心配かけてすまない。あばよ。
新聞社の厳しい波多野さんも、りんに理解を示すいい人になってくれて良かったね。でも、この人と大津波で行方不明の中河牧師の奥さんとはどうしてもいい声過ぎて、「やあ、メアリー。今帰ったよ」「あら、早かったのね。ジェームズ」と言う会話が浮かんでしまう。
吹き替えで有名な麦草平(壌晴彦)さんと「ヤッターマン」のアイちゃんの岡本茉莉さんなんだもの。
あと、嘉助あんちゃんは柳沢慎吾さんに見えて仕方なかった。当て書きしてたのかな。
どことなく老いを感じさせるやえさんが、体で嘉助のことを悟るのも、
夢を全力で応援し、送り出したままのみどりさんが嘉助の生を信じ続けるのも、
どちらも、そうなんだよね…と思う。大吉くんがいて良かった。
源蔵もりんもお互いに自分の仕事の話を相手に聞いてもらいたい一心で人の話は聞かない。こういうのって離婚の原因になるんだよね。浮気でなくても。
渡辺謙さんと斉藤由貴さんが演じてると余計なことを考えてしまう。樹木希林さんは自分の私生活を感じさせないで、やえさんになり切っているのはさすがだと思う。
鶴次先生おかえりなさい。おキヨちゃんもホッとしたことでしょう。
古い質ゆえに、やはり、りんがワガママに見える
あんなに主人の話を無視出きるものか?
主人が働かずブラブラしてるのならともかく
働いていて、りんの家族も見てくれていて中々居ないと思う。喜助なんぞ長男でも親の面倒見なかったのに。
源蔵の話くらい聞いてやってもいいのに
嘉助は陸軍に依頼された従軍カメラマンでないし、ましてや軍人や文官でない一民間人だから国からは何の手当ても出ないと思う。
嘉助の遺したフィルムや日記の転載料等で、みどりさんや幼子が少しでも救われるなら幸せだ。
映像で自己顕示欲を出して自分PRし映ってるところが嘉助らしかった。今日はお祖父さんや源蔵のような男達も涙に暮れていた。
ただ、嘉助の動機が一攫千金のように過去に描かれていたのは残念。
鶴次先生が嘉助さんの遺品を持ち帰ったということは、最期に身近にいてくれたのだろう。
橘家に報告するのも務め…と、さぞかし重い気持ちであったことと思う。
鶴次先生、ありがとうございます。
当時は映像を見る機会はほとんどなかっただろうから、
活動写真の中で動く嘉助さんの姿を家族で共有できたことは貴重な時間だったと思う。
そして、嘉助さんとは境遇は異なるけれど、ある写真家のことを思い出した。
その方が戦場で撮影した写真の中で好きなものがあるのだが、
それは敵味方関係なく、他者の痛みを感じて手を差し伸べる様子を撮ったものだ。
津村編集長が遺品のノートから読み取ったことを想像しながら、
その写真家さんの思いを改めて考えた。
私の世代だと、戦場カメラマンでは沢田教一、一ノ瀬泰造、ロバート・キャパ(既に故人だった)、石川文洋と言った人達が思い浮かびます。石川さんを除き命を落としましたね。
一時期、バラエティー番組によく出ていたスローモーな独特の語り口の渡部陽一さんは今どうしてるかな。現地の助手の面接も大事だとおっしゃてましたね。家族関係から調べる、とおっしゃってたのでバラエティー番組で見せるひょうきんな面とは違う厳しい心構えもお持ちだったのかな、と思います。
誤解ないように最初に断っておくが、りんが源蔵だったら、と男女の性差の偏見に基づいてないかも考えたうえでの感想です。
りんは自分の仕事の哀歓を分かってもらいたくて、一方的にしゃべり過ぎの立て板に水で、嘉助あんちゃんとも似ています。
こう言う人も電車内でも見かけるのですが家で辛抱我慢を強いられ誰も話を聞いてくれる人がいないのだろう、あるいは孤独で誰も話し相手がいないのだろう、と思います。男女を問いませんが女性にやや多い気がします(男性にもいます)。
実生活では非常にうるさいです。ドラマでもちょっと勘弁ですね。
終盤に何でこんなヒロイン像にしたんでしょうか。息子・弘の不審な様子に関係してるのでしょうか。
昨夜は写真家さんについて教えてくださり、ありがとうございました。
挙げられた方々のことを少し調べました。
一ノ瀬泰造さんについては、ちょうど今、写真展が催されているのですね。
地井編集長が嘉助さんの手記を
普通の人の目線で書かれたところに真実味がある、というようなことを言っていました。
戦地の画を撮るのには、大義名分もあれば野心もあるのだろうと思いますが、
現地で体験を重ねるうちに見えるものが変化していく様子は
残された記録物から察することができます。
昨日は源造さんがポツリと「いい兄さんだったね…。」と言って涙を堪えていて、
嘉助あんちゃんの生き方を優しく認めてくれて、ありがたいなあと思いました。
211さん、丁重なお返事を頂き、ありがとうございます。
著書は石川文洋さん「戦場カメラマン」のみ保有です。30年ほど前に本多勝一朝日記者(左派だが思想的には無関係に)の著書にあったので興味を持ちました。
一ノ瀬泰造さんは声優の野沢那智さんが深夜ラジオで紹介していて40年程前に知りました。
沢田教一さんもですが、日本の大手メディアが社員の安全第一に踏み込まない領域に命懸けで真実を求めて世界に発信するために尽力された方々だと尊敬しています。
>あと、嘉助あんちゃんは柳沢慎吾さんに見えて仕方なかった。
そりゃそうでしょう。本人だもの(笑)
もしあれが、例えば渡辺謙さんに見えるようなら、眼科の受診をオススメします。
源造さんも活動写真に興味があったとは。本に載っている映写機(?)の型が面白い。
家族って、互いに信頼していると思うからこそ甘えられたり、我慢することにもなったり。
弘や明子の世界観も大事だね。
最近は観るドラマが溜まっててずっと録画でタイトルバック飛ばして観てたら、まさかの松浪先生。「イギリスから来た教育者に日本人が一人、なかなか立派な人」‥もしかして??と期待してたらビンゴ。途中何度か離脱しそうになってたので続けて観てて良かった。
ジュリーのあのヘアスタイルは往年のヨーロッパ貴族に倣ったもの(実際は撮影時のジュリー個人の事情によるのだろうけれど)?
松浪先生~お久しぶりです!本当、中世ヨーロッパの貴族かと思いました。
そして今日は弘くんが可愛かった。
公園で母親のりんが走る後ろ姿を捉えるシーンは弘くんの目線で。
弘くんは口数少ないけど、表情の変化で一瞬一瞬、感情が伝わってきた。
りんと源造さんが夜に二人で話すときに持っていた紅葉は公園で拾ってきたのかな。
言論の自由を暴力で妨害しようとするゴロツキを元武士の武術で取り押さえたジュリーはかっこよかった。
ただ、ウィキにはないが、リアル渡辺謙さんと斉藤由貴さんの現実のあれこれのように、45年前のジュリーもいろいろあった。規約があるので書かない。「沢田研二新幹線」で検索して下さい。
ファンとしてジュリーを弁護させてもらうと、ジュリーは各記事よりもっと丁重な敬語で抗議し「僕の聞き違いなら申し訳ありません」と言っていたが相手は興奮しており通じなかった、とラジオでDJが言っていた。
私の昭和一ケタの亡き父も飲み屋でジュリーと話したことがあったそうだが「最近の若者にしては礼儀正しくおとなしい男だ」と当時語っていた。
このドラマはともかくやえを演じる樹木希林さんと、
弘次郎を演じる小林稔侍さんの演技がずば抜けていた。
息子を失った父と母の哀しみ、
自分の哀しみは後回しにして
それを労ろうとする周囲の者の心優しさ。
悲嘆のなかで凝縮されたやえと弘次郎の夫婦愛。
そういったものを一つ一つ、
深く丁寧に掘り下げた脚本が素晴らしい。
最近の朝ドラが失ってしまったものだと感じる。
「いい仕事を選びましたね。」なんて言われたら、それまでの苦労が無駄ではなかったと思える。
おりんの英語が仕事で役立つほどに上達したことを喜んでくれる松浪先生。
女学校の夏休みに帰省せずに特訓を受けた日々がよみがえる。
相馬にいた頃、弘次郎さんが足をケガし、松浪先生が手当てをしたことがあった。
松浪先生も武士だったことを告げ、弘次郎さんと心が通い合ったシーンは印象に残った。
編集長に対して暴力を振るおうとする人を抑え込むのを見て、そんな過去の一コマを思い出した。
武士…個人的には、じさまに剣術を教えていただきたい。
その徳右衛門さんは、ことさんの姿を見たという…。
樹木希林さんも、寺内貫太郎一家の時みたいに、ポスターではなく
「生ジュリー」に会えて、さぞかし嬉しかった事でしょう(^^)
ファンの要望で松浪先生が再登場することになったと知り、
ほんのちょっとだけ出演するのかと思っていたら
3日連続で本編にガッツリと絡む再登場で驚いた。
登場の最後が源造さんと二人の会話だったのが良かったし、
お陰で長丁場ドラマの終盤が引き締まったものになった。
今日のやえさんの厳しい目、ジーンときました
さすがの演技力。
今の時代では0歳〜保育園、ママはバリバリ働いてなんて普通だから時代錯誤の朝ドラだろうな。
親がべったり子育てしてたら、反対に過保護だの何してるのだの家に居づらいし、働くママだらけだから。
今日の回は良かったと思います。
りんの勝手な言い分を叱りつけるやえさんの樹木希林さんの熱弁。
欧米人からコーヒー店を買い取った日本人のいけ好かない高慢な男から散々嫌味を言われても黙って元武士らしくこらえて沈着冷静な弘次郎役の小林稔侍さん。
りんはいい両親に恵まれましたね。
でも、嘉助とりんって、どうしても高度成長期以降の人物に見えることがある。
明治時代の女医さん?昔、小説で読んだような…と記憶を辿り、
渡辺淳一著『花埋み』だったことを思い出した。こちらは荻野吟子さんのお話だった。
りんが取材を許されたのは吉岡彌生さん。と、頭の中を整理。
そのような、時代の先を行く方々もいらっしゃった。
おりんはすぐに影響を受けやすいのかな。自分も前へ進まなくては、と思ったようだった。
一方で、自分の立場をよく見て考えなさい、お金では解決できないことがあるよ、
と厳しく意見をするやえさん。
やえさんもりんも、どちらが正しいか間違っているかではなく、
親子として、また社会で生きてきた中で、身についた考えや価値観なのだなあと思った。
大じいさまや弘次郎さんのお店のことも気になる。
徳右衛門は亡き妻のことに夢の中でなく、街で実際に見たと言う。
それを聞いて、コーヒー店の新オーナーにも散々嫌味を言われていた弘次郎はやえに二本松に帰ろうと言う。笑顔でうなずくやえさん。詩情あふれる展開ですね。「カーネーション」でも死期の近づいていた母親の弥生さんは亡くなった善作さんの幻影にお酌をしていましたね。
私も全身が病身になったけれど、2年前に亡くなった父に会いたいと最近思うようになった。厳しい人だったが死ぬ1週間前に見舞いに来た私にそれは優しい笑顔で「はひはほ(ありがと)」と言っていたなあ。母がいるからもう少し後でいいけれど。
226訂正。
× 母親の弥生さんは
○ 母親の千代さんは
人の名前もこの頃すぐ出て来ない(笑)。でも、幼少時の美しい思い出は残っている。小林稔侍さんも最近見ないがお元気でいて欲しい。
やえさんの言葉に説得力があるのは
家族や周囲の人たちの陰になって働いてきたからなんだろうな。
昨日は鏡餅を細かく砕いたり、釜底にこびりついたおこげを取ったりしていた。
りんを叱った後、最後のシーンでは昆布を切っていて、台詞もBGMもなく、そのまま"つづく"。
常に手仕事をしている姿を見てきたから、生活から滲み出る説得力を感じる。
そんなやえさんが今日、弘次郎さんに相馬のお酒を注いでもらって飲むシーンは特別だった。
そして『はね駒』は、戊辰戦争を乗り越える話でもあったことに気付かされた。
なんだか胸がいっぱい。
徳右衛門さん、二本松でお元気にお過ごしください。
おりんはもう、新聞社の緊急会議には出なくていいんだね。
新聞社の内田さん、良い味を出していました。
白い鳩さんのお父様の思い出、いいですね。
このドラマは本当に家族間の心の通い合いが
しみじみと深く描かれていますね。
今の日本は文明だけは発達したけど、
どうも人間関係がギスギスしがちになってしまいました。
やはり貧しくても人間同士の心が深く通い合うところに、
本当の文化や芸術も生まれてくるのだと思います。
「おしん」や「はね駒」など往年の名作は、
改めてそう思わせてくれますね。
干し飯(糒)やドクダミ葉の乾燥、手作り味噌の仕込みなど、
現代の家庭であまり行われなくなったことが日常にあったんだなあ…。
ドクダミ茶は他の朝ドラでも、戦後の物資が足りない中で飲むシーンがあった。
自分も、もっと丁寧に家事と向き合わないといけないな。反省。
やえさんが「今ごろ相馬の家の井戸はどうなってんだべか。」って言ったことがあった。
相馬の井戸は吊上げ式で、東京のはポンプ式。今日の回の冒頭は井戸のカット。
相馬から東京へ引っ越すときに、かまど周りに箒をかけ、井戸に蓋をしていたのを思い出す。
暮らしの中の水や火を見せてくれるドラマ。そして新天地・二本松の井戸やかまどを想像す。
昨日、弘が地球儀をクルクル回していたから、もしやと思っていたら、留学したいと言い出した。
欧米諸国が各地を植民地支配している頃だし、第一次世界大戦前だし、
志の立派さに感服するとともに、何を学べるだろうかと心配にもなる。
この頃、マハトマ・ガンジーって世界的にはどの程度知られていたのだろうか、とふと思った。
二本松の様子が出てきて嬉しい。新之助さんも相変わらずで。
徳右衛門さんが二本松城の桜を見ながらお酒が飲めるのを楽しみにしていると言っていたので
Google map で見たら、ストビューの二本松城界隈の写真が桜満開で綺麗だった。
福島に行ったことはないけれど、
磐梯山や安達太良山、猪苗代湖を挟んで会津にほど近いんだなあ…と歴史に思いを馳せた。
今日が最終回。心して見ようと思う。出演者の皆さん、ありがとうございました。
「澪つくし」はここのようなスレをどなたか立てて頂けませんか。
私はファンスレ立てる予定は今現在ありません。
もっとも「純情きらり」のように本スレ立てる人が出てくるかも。
「すずらん」、いつの日か放送してくれないかなあ。あと「ふたりっ子」は見ていない回が結構あるので見たい。
ラストでナレの細川俊之さんが通行人で出てきたのは「おしん」の奈良岡朋子さんへのオマージュでしょうか。
川船の斎藤由貴さんと両親との別れの場面も「おしん」に似てるのを最後に回想でまた持ってきてましたから、そうなのかも。
細川俊之さんご登場で心が湧きたちました。その後、細川さんのお声でタイトル回収して『完』。
弘次郎さんのお別れシーンは作造さんを彷彿させつつ、
樹木の陰でありながら姿が丸見えだったところに弘次郎さんの気持ちが見え隠れしていました。
その点、河岸で感情を放出していた作造さんとの違いを感じました。
それはヒロインの境遇の違いでもあったのですね。
三枝茂彰さん、ちょんまげでコーヒー飲んでいました?だれだったかな~っと。
スレ主さん、お世話になりました。そして、「あばよ!」
三枝成彰さん、ちょんまげでご出演でしたね。
おもむろにコーシーを飲んで、出て行くときに新之助さんが入って来て…。
静から動への場面転換に一翼を担っておられました。
「澪つくし」スレ、ここと同じ形式で、どなたか立てて下さいませんか。私は対話型ファンスレのイメージが強く、「つぶやき隊」的な言いっ放しのスレを望んでる人達は投稿しづらいと思うので。
衛星放送で視聴者が限られるので「純情きらり」のように本スレを立てる人はいないと思います。
後でジワリとくる最終回。
お寺での法事を終えて皆で帰宅した後、家には徳右衛門さんだけがいない。
徳右衛門さんは、墓前でことさんに話し掛けている。
同じ場所へ墓参りに訪れる着物姿の女性。その横顔は……おみつ!(に見えた。)
最後2日間の回想シーンでは、やえさんの後ろにはいつも、おみつがいた。
おみつが母親の姿をよく見て育ってきたことを語ってくれる回想でもあった。
最終回に美しい姿を見せてくれたことに感謝。
両親に会いたくなるドラマでした。
作者の方は、登場人物を通じて明治という時代を描いていたんだなと最終回を観て感じました。
「故郷の空」を皆で歌い、『ああ我が父母~』のところで弘次郎さんとやえさんが映り、
おりんが両親の姿を目に留めて静かに一礼したとき、こちらも感極まりました。
源造さんがスポーツ用具を扱うお仕事をされていることもあり、関連で先程
嘉助あんちゃんの「日本一長い始球式」を見て、ようやく「あばよ!」が聞けました。
スレ主さん、こちらの皆さん、ありがとうございました。
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