



3.65
| 5 | 46件 | ||
| 4 | 32件 | ||
| 3 | 28件 | ||
| 2 | 16件 | ||
| 1 | 11件 | ||
| 合計 | 133件 |
ドラマで苛め問題を扱うと、どうしても断片的になってしまいます。苛める側/苛められる側の双方に色々な状態(個性や環境など)の違いがあったり、苛めなのか?遊びなのか?指導なのか?微妙な状態もあったりしますから。また、これらが、苛めの根絶や解決が難しい所以でもあります。
このドラマのような苛めや見て見ぬ振りや復讐劇は、現実ではまず起こらないでしょう。でも、私は興味深く視聴できました。
尚、このドラマは、苛め以外に自己変革についても扱っています。最終回のタイトル『はじまり』は、「小学生の頃と変わっていない」と言われていたキングの自己変革のはじまりです。また、ドラマの随所で「変わった」「変わらない」が出てきていましたよね。
音楽もよかったですねこのドラマは。ホラーチックなやつが好きだった。
メインテーマ曲はピアノソロと女性の声から始まり
最後はドの音で締めるところはやはりドの子の存在を暗示していたのかな
起伏のある展開に最後まで引き込まれたが、素直に面白かったとは言えなかった。イジメられて自殺した紫苑に同情したとはいえ復讐のために何人も殺して居たたまれなかった。訳も分からないまま殺された人たちだってイジメ以上の苦しみを与えられて殺されたのだから、彼ら彼女らの復讐の正当性に当然ながら同情は出来なかった。サスペンス考察ドラマに言うのはやぼだが、殺さないでイジメた人たちに復讐して謝罪させる手立てを考えてほしかった。記者の園子の要望で高木が子供時代にイジメた紫苑に悔い改めて反省する言葉を週刊誌に載せたが、それにより以前記者の晴香が書いた高木のイジメの記事で、一度いじめられた高木の娘花音がまたイジメられてしまうのではないのか心配になった、花音のケアがどうなったのか気になった。また子供の頃倉庫に閉じ込められた園子を救ったのは誰なのかをぼかした思わせぶりの結末がモヤモヤして、なおこのドラマに共感出来なかった。
イジメは人殺しと同じ、世の中からイジメは無くならない!だがドラマラストシーンで大丈夫と声をかける子がいるような場面が多くなってほしい、
伏線の張り方、全体の緊張感、テーマはとても良かった。ただ、やっぱり犯人が…それって、同窓会とかあんまり関係なく無い?って違和感を持ってしまうあたり、見せ方がイマイチだなぁと思う。
作中で何度もイジメシーンを入れて、イジメをよく無いものとして印象付けようとしているのは分かるんだけど、やればやるほど殺された人物がクズなことが強調されて共感持てなくなるばかりだし、それよりも、もっと人物像や人間関係を掘り下げてほしかった。
10話も使ったのに、あまりにも共感できるキャラがいなくてとても残念だった。
過去、現在、動機、人間関係…どれも中途半端な印象で終わってしまったなぁ。
このドラマは、推理ドラマというよりは、人間如何にあるべきかを問う(示す)ドラマと思う。
瀬戸、宇都見、東雲、今國は、精神的に病んでいた(深い傷を負っていた)と考えると、全く有り得ない行動を取ったとは思えない。妄想性障害や解離性同一性障害(←宇都見はこれかな?)などを持つ人は、健常者には理解し難い行動を取る場合がある。
苛めは、コミュニティの範囲を狭めれば、無い状態を作ることができるだろう。苛めの主な原因は、
・遺伝的な性格(苛める方/苛められる方の両者)
・幼少期の過ごし方(同上)
・高人口密度社会
と考えられる。その辺りを理解して社会や人間を改善・変革して行くことが大事。
このドラマで気に入っていた登場人物は、猿橋園子と羽立太輔。猿橋は誰もが共感持てたと思うが、羽立は他人に何かを強いることをしない(リーダタイプではない)ところが共感持てた。羽立の死は悲しかった。
>2025-12-24 11:27:30
>また子供の頃倉庫に閉じ込められた園子を救ったのは誰なのかをぼかした思わせぶりの結末
どの子を助けた人物を明らかにすることに意味があるのかどうか?
第5話、猿橋がごんぎつねの話をしているときに流れた小学生時代の映像
〔キングがどの子を助けに行こうとしたときに大谷先生とどの子に会った場面〕
第7話、高木が小学生時代の羽立の動画から森を認識した後に流れた映像
〔6人組が倉庫の扉を叩いていたときにそれを静観していた4人がいた場面〕
※静観していた4人とは、委員長、トヨ、ゆっきー、博士
より、以下の2択と思います。
(1) 大谷先生が気付いて助けた。
(2) 静観していたトヨとゆっきーが大谷先生に通報。大谷先生が助けた。
ずっと怪しいと思っていた戸塚純貴はやっぱりか…って感じだったけど出版社の同僚もか!と驚いた。
婚約者の復讐と言い訳をして過去のイジメを殺人という形で罰して良いなんて傲慢が過ぎる。
悲しみも新鮮なまま心に留めておく事は出来ないのだから、自分を律して生きて行くしかない。
それを学習出来ずに大人になってしまった事が本当の哀しみだと思う。
色々考えさせられる良いドラマだった。
ただ「人は変わらない。」「変わろうとしている人を信じたい」みたいな相反するセリフが有ったと思うんだけど、そこだけ意味が分からなかった。
脚本家がユーチューブにて
謎だったターボーにガラスを落とした話やカンタローの火事の話をしてましたね
登場人物の中でイマクニとちょんまげが魅力的でした。
しかし、犯人と協力者に意外性がなくて少し残念。
放映からかなり経ち、最終回に関してだいたいみんなの意見が出揃ったみたいである。
みんなの意見を見てると、二っに別れる感じがする。
いじめられた経験のある人は絶賛して、いじめられた経験のない人は否定的で考察好きも含めて最終回はガッカリしたという意見が多い感じである。
私は大絶賛派である。
いじめられた者達がいじめっ子どもに復讐を挑み見事にそれを成功させた。
そんな感じで見ている。
もう、スカッとした。
まさにこの恨みはらさずにおくべきか!である。
よくぞ、このドラマを制作してこの最高な結末にしてくれた!
私はこのドラマはいじめられっ子達の復讐話のドラマと理解してそう思っている。
多分、いじめられた経験がある人達はみんなそう思い共感したんではないだろうか。
反対にいじめられた経験がない者はなにもあんなに人殺す事はなく、なんか変だと思っているだろう。
だが、いじめられた経験の
ある者にとっては年とってもいじめた奴らは殺したいほど憎くてたまらない存在なのである。
ここで重要なのは、殺した実行犯は刑事で、理由は自殺したピアニストの恋人の復讐で狂って暴走して何人も殺したわけである。
狂った殺人鬼ではあるが彼には彼なりの正義の理由がある。恋人をいじめた相手が憎くて憎くてたまらないからみんなに復讐して殺したのである。つまり刑事は彼なりの正義で勝手にやった連続殺人だったのだ!
そして、ピアニストの友人達であるバーのマスターとライターの女性は、友人 の刑事の復讐に共感して手伝ったのは、同じく友人のピアニストの女性の無念をはらす復讐の為であり、理由もしっかりしている。
犯人達三人はちゃんと自分達が犯罪をおかし悪い事をしたのは理解している。
反省はしてないが、殺した相手について悲しんだ人間
がいれば、彼等にはその人間達には悪い事したなと思っているはずである。それほど彼等は鬼畜ではない。だからこそ、二人の友人はこれから世間から消えて後ろめたい気持ちでひっそり隠れて生きていく事だと思う。そして刑事は罰を受ける為にそれでわざわざ捕まったのであるが、三人とも悔いはないだろう。
最後にいじめっ子のリーダーの間宮祥太朗のキングを生かしてたのは、彼に後悔と死ぬまでの苦悩を味あわせる為である。多分、キングは坊主か神父にでもならなければ、死ぬまで地獄の毎日から抜け出せないはずである。
まぁー、大半の人達はなにも子供時代のいじめに対して、復讐やり過ぎだろうと思っているはずだ。普通の感覚だとそう思うのは当然だ。
しかし、子供時代だから
こそいじめられた体験は忘れられなく、それがトラウマになり精神に影響を及ぼしそれでその後の人生が狂うのである。だからいじめられた恨みは忘れる事はなく一生消えないのだ。
そしていつも考える。
もし、いじめを受けなかったら自分の人生は変わっていただろうなという事を!
しかし反対に、いじめっ子どもはいじめた事も忘れて反省もまったくせずに、あれは子供時代の事だからで気楽に済ませてしまう。
そう、殺されたれあのイジメっ子どもはまさにそうだった。
そして成長しても、またどこかで同じように誰かをいじめたりしてるかもしれないのだ。そう、彼等は人の気持ちもわからなくて無神経なのだ。それが彼等の最大の特徴なのである。
ちなみに私は、小、中、高とずっといじめられ続けてきた人間である。今でも、あのいじめた奴らは死ねばいいと恨んで憎んでいる。
だから、いじめられてる人間の気持ちはわかるし。いじめた人間がロクな奴らでない事もよくわかる。
たまに私をいじめた連中がどうなっているかをネット検索してチェックしてるが、大半の連中は成長してもやはりロクでもない奴らでいたりする感じで、最低な奴らだな!とニガ笑いしている。
人はそう簡単に生まれ変わったりする者ではないのである。いじめた奴も、いじめられた奴も同じだ。
だいたい世の中のいじめへの論調は、いじめっ子に対する批判よりもいじめられっ子はどう対処すべきかばかりである。その大半は交通事故みたいなものでいじめた事なんか忘れて立ち直って欲しいなんて他人事のような意見ばかりだ。
そんなにすぐに立ち直れるわけなんてないだろうが!それより、いじめっ子どもに、いじめは悪だ。お前らひどい事してるんだぞ。まず反省しろ!
と宣言して、まずその事を前提条件としていじめ論議しないとダメだろう。
それと世の中には性格的にいじめと差別がほんとに好きでやりたがる人間が確実にたくさんいる事を忘れないでほしい。
だから世間のいじめ論は、我々いじめられっ子にはほとんど共感できないのである!
このドラマはそこをちゃんと描ききったと思う。
殺されたいじめっ子連中は自分達がナゼ殺されるのか死ぬ最後までわからなかったのである。その理由と犯人達がわかったのはキングとライターのどの子だけだろう。
いじめっ子達はいじめた事を忘れているから反省もせずに、後ろめたい気持ちでも生きていなかった。
残酷な事に!
そしてどの子も復讐はしなかったが、いじめた奴らは死ぬまで許す事はないだろう。
いじめとはそういうモノなのである!
いじめを描いたドラマはこれまでたくさん制作されてきたが、こんなにいじめっ子とは何か?とその本質を描いたドラマは多分、これが初めてだろう。
↑上の続き
「いじめとはなくならないものだ。
世の中にはいじめや差別が大好きな人間が全体の3割
いる。
だからいじめられたら戦うよりも心が壊れる前に逃げればいい。逃げる事は卑怯な事でない。新しい世界へ行く事だと理解すればいい。なぜなら日本人の場合、いじめっ子達が群れて集団になるとより彼等は邪悪で凶暴に変貌するからだ。
しかも本人達はみんながいじめてるから自分もやってしまった。自分は悪くないと反省と謝罪する気もないのだ。
そんなひどい奴ら相手に
戦うのは無理なのである!
いじめられた者はいじめっ子達を呪って憎んでいい。
復讐したければ自分もリスクを負う事を理解と覚悟してるならすればいい。
ただし、一番重要な事は、いじめられっ子は絶対に他人をいじめたり差別してはいけない。自分がいじめっ子になってはいけない。それがいじめっ子達に勝てる唯一の道である。人間として正しい事なのである。
いじめには逃げろ、そして人をいじめてはいけない。それを忘れないように!」
この言葉は引きこもり支援教室の先生の大学生のお兄さんから教えてもらった。
私はいじめられて引きこもりになり高校の時に引きこもり支援教室の世話になった。その時に彼が教えてくれた。彼も同じくいじめられっ子の引きこもりでそれでその言葉はやはり同じように彼は引きこもり教室の先生から教えてもらったとか。
私はこの言葉を聞いてなんか救われた気がして立ち直れた。
それからは自力で生きる道を探して、43歳の私は今はコミシヨでも大丈夫なタクシーの運転手しながら気ままに暮らしている。
今もいじめられそうならすぐに逃げるし、人をいじめて差別はしないで生きている。
私は人からコミシヨの変人に見られているが、人の悪口は言わないのといじめはせずに差別しないから、そこだけは人から評価されて信用されているみたいで、なんとかそれで社会生活できている。
一応、そのおかげでシングルマザーの彼女もいる。彼女も私のそこが信用できて好きなとこだと言ってくれている。彼女も元いじめられっ子である。もし、彼女と彼女の娘があのピアニストみたいになりいじめで自殺したら、その時は原因になったいじめっ子どもをあの刑事のように躊躇なく復讐して奴らをブチ殺すと思う。刑務所にいってもいい。彼女達の無念さをはらしてあげるつもりである。
目には目である。
そう、いじめとはそういうものなのである。
だから、とにかくそんなわけで、いじめしてもいい事ないからいじめはやめといた方がいいのはたしかだ!
このドラマは最終回で大傑作になったと思う。
わかる人にはそれはわかるだろう!
ちなみにターボー役は森本慎太郎より工藤阿須加にすべきで交代した方がよかっただったろう。森本慎太郎は演技経験が少ないから演技が下手なのでこういう大役は無理だし、知性的でないからIT企業の社長に見えず、彼がこのドラマで独りだけ役者で足引っ張ってる感じなのだ。
森本慎太郎はもう少し脇役で役者修業した方がいいと思う。
それだけがこのドラマの不満な点だったかな!
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