2.74
5 404件
4 98件
3 65件
2 105件
1 563件
合計 1235
読み はなことあん
放送局 NHK
クール 2014年4月期
期間 2014-03-31 ~ 2014-09-27
時間帯 月曜日 08:00
出演
『赤毛のアン』などに代表されるモンゴメリーの日本語訳版を著し、明治から昭和の混乱期に翻訳家として活躍した村岡花子の生涯を描いたドラマ。
全 12686 件中(スター付 1235 件)10101~10150 件が表示されています。

2014-09-03 21:15:39
名前無し

都鳥様、ありがとう! 
いつも感動します。
もう一度見た様な気分になれる。
巧いことはめてあるし…。
流石です!

2014-09-03 21:23:11
名前無し

今日は花子の凡人な感じが、いかんなく発揮されていて、無理なく観れました。
ごきげんようを子供が待ってるとかは、まだまだ花子持ち上げの風潮が残ってて、あんな話くらいでそんな人気出るかいなと思いましたが、蓮子に対するキレっぷりと、発言の普通さには、どうしてこんな魅力のないヒロインに造詣してしまったんだろとますます制作側の意図不明、というかもう悪意が感じられます。

英語が得意という以外の、彼女のどこが人を引き付けたのか、いつになったら見せてくれるんでしょう。

2014-09-03 21:23:22
名前無し

これって前にも何度も出た話題だと思うんですが、鋭い批評をしているからといって、ドラマを見るとき、まずそれありき、じゃないんですよね。
もちろん、シロウト(一般視聴者)だから、まずは感性や情で見ています。ドラマを楽しみたいですもの。ところが、何かしっくりしない、違和感がある、心が震えない、感動しない、楽しみたいのに楽しめない、今までと違う……おかしいな、なぜだろうと、あれこれ考えるうち、みなさん、それなりの答えを見つけて、あるいは見つけられなければ疑問のままに、ここに書き込んでるんですよ。
そういう人って、文章家が多いので、すごい理屈を展開して頭で見てるという誤解がされがちで、ここでも何度もそういうふうに言われ、何度もそうじゃないと否定されてきました。
これも、わたし前にも書いた覚えがあるんだけど、ここに書いていることは「後付け」にすぎないんです。
次のドラマは、今回のようにあれこれ気になることがなく、ストレスなく楽しめることを願ってます。

2014-09-03 21:25:56
名前無し

同じドラマを観ても感じ方は人それぞれ
いろいろな感想面白く拝見しています。

自分とは合わないと思った朝ドラはイライラする前に
途中撤退する主義だったのですが
花アンは不思議なドラマです。
正直題材や出演者が好きだったために自分の中の期待値が
上がりすぎていたため残念感も半端ない。
なのにやっぱりつっこみながらも観てしまう。

花子の「そ、そんな…」にもうちょっとバリエーションは
欲しいなとか。

2014-09-03 21:31:48
名前無し

純平クン、メッチャおっさんやん!
言うてることはしっかりしてる!
しかし、顔もしっかりしてるなあ!

2014-09-03 21:42:02
名前無し

まったくです。
少女時代に夢中になった「赤毛のアン」、大正ロマン、私の今の仕事に近い翻訳や英語、明治時代からあった英語教育のミッションスクール、個人的に興味のある歌(和歌)の世界、女性の社会進出、そして「逆境から立ち上がり…」といううたい文句、出演者……どれだけ期待値が高かったか。かつてここまで期待したドラマはなかった。しかも、女学校時代はけっこうおもしろかったわけです。

それがまさか、こんなになるとは。
私も上の方とまったく同じ。つまらない朝ドラはきっぱりリタイアします。でもこれは、「ああ、これだけの素材がもったいなや~~」という腹がねじれるような無念の思いと、もしかしてもしかして持ち直してくれるのでは、という1%の虚しい期待に突き動かされて、見ている感じ。

2014-09-03 21:52:32
名前無し

花子の側にはいつも守ってくれる騎士がいる、、なるほど!
あの時代にまるで、外人みたいに『花子さん花子さん』と
暗い表情をしていれば慰めてくれ、子育ては進んで
花子に変わって言い訳もしてくれる、、。
女は三歩下がっての時代だったよね?確か(笑)
村岡氏がブルジュアでフェミニストだとしても、お父さんは普通だったし、、花子の回りの男性は時代に逆らう変な人ばかりだ。

2014-09-03 22:01:35
名前無し

君死に給うことなかかれ、を思い出しました。
レンコさん、
「あゆむ君が生きてたら、同じこと言える?」
と聞いてみたらよかったのに。

レンコさんは花子のラジオのセリフ子供たちが戦場に行きたくなるように洗脳してる、
っていってるのに
「ごきげんよう」で子供たちが元気になってるなんて返されても
何を言わんかですよね。
願わくば、本物の村岡さんがそんな寝言を言ってませんように。

2014-09-03 22:05:21
名前無し

大きく膨らんだパフスリーブの袖は、『八重の桜』で再現されていましたね。あちらのほうがよっぽど薫り高き近代浪漫だったなあ。

2014-09-03 22:42:51
名前無し

ああ、パフスリーブの話は今BSでアニメ版赤毛のアンで出てきてますもんね。
牧師さまの奥様のドレスのところです。

八重の桜の明治編。あの八重さんのエドワーディアンスタイルのドレスは本当にため息ものでしたね!!
綾瀬はるかさんにとてもよく似合っていて。
ついでにジェントリーな新島オダギリ襄も素敵だったな。

花子とアンは醍醐さん、宇田川センセ以外で洋装のキャラは出てこないけど、その分明治の女学生、大正から昭和初期のお着物をたっぷり楽しませてくれます。
でもこれから灰色の戦時下になりモンペに防空頭巾となってしまうと少々気が重いですね。

2014-09-03 23:44:43
レザリオン

 今日の訣別のシーンにおける、蓮子の「卑怯な人間」発言は、示唆的だった。このドラマの花子は、残念ながらこう批難・評価されてもおかしくない。
 もちろん、ドラマの主人公として。戦争に反対したとか、全体主義的風潮に抵抗した、というようなことはどうでもいいです。
 
 花子自身には願望や目標があっても、それが生まれる背景というか、根拠が薄いかもしくは皆無であると感じている。ドラマの主人公としては致命的でしょう。
 幼くして病死した我が子・歩の存在も、彼女が何かを行うための動因としては弱くなってしまった印象がある。歩のために、が、いつしか全国の子供たちのために、という、抽象的かつ通俗的なお題目にすり替わってしまった。
 こうなると、もう主人公は動きたくとも動けない。具体的な対象物がなきに等しいので、事件はまず彼女のいない現場で起こすしかない。
 苦しまない、苦しんでもそれはすぐ癒される、そして逆に回りは自己の性質や能力、そして根拠によって決断し、傷つき、苦しむ。 と、同時にドラマの展開を大いに助けている。
 花子だけが未熟な女学校時代と同じく、決断らしい決断をほとんどしない。主人公としては「卑怯者」ではないでしょうか。

 とはいえ、駄作だとは思っておりませんし、前作にはない面白さがあると思ってもいます。で、最終回まで観続ける予定です。

2014-09-03 23:57:47
名前無し

今日の回は感想が難しいですね。全体の展開は良かった、と言うかここに来て初めて普通のドラマを見ている感じがします。

花子のハッキリしない性格では蓮子のようには行かずにラジオで自分の意思とは違うことを毎日言いながら悩んでしまう、というのはわかります。「おうちのおてづだいをし、しっかりお勉強しましょう」というのが子供たち本人のため、と言うよりはその前のニュースの内容を考えればお国のため、につながっていると言うことですから花子もそれは納得できないことでしょう。子供たちには仲良くしてもらいたいのに読むのは戦いのニュースばかり。

それで黒沢に相談。
黒沢はこういう時だからこそ、村岡先生の「ごきげんよう」を子供たちは待っているんです。と花子にやめないように懇願する。
しかしこのあとよくわからないのが、花子がああそうか、と簡単に納得してしまうところ。
あまりにも安易、短絡的過ぎると思います。
ごきげんようには祈りの気持ちがこめられている、と花子は言っていたのだし、そもそもそれを言う気持ちと戦いを奨励するような戦争のニュースがかみ合わない、と言うことに矛盾を感じたのではないのでしょうか。このあたりが見ていて非常によくわからないですね。
花子は悩んでいる、と言いながら一体何を悩んだと言うのか、とこちらはなってしまいます。
ごきげんよう、ということばさえ言えばそれで解決するようなことなのか、ととても疑問で、従って後で蓮子との会話で全く同じことを言っても説得力がなくぴんと来ません。
戦争を奨励するようなことを言いながら、ごきげんようさえ言えば子供たちが仲良くできる、明るくなれる、なんていう理屈、正直まったくわかりません。

蓮子と花子の会話は蓮子はとても凛として言っていることに筋がまっすぐ通っているのでそのことばを聞いていても気持ちが良い。どう見ても蓮子の方がヒロインに見えてしまいます。
昨日の感情的な自分を謝り、夫の正しさを主張。戦争には反対であり、時代の波に平伏したりしないで言いたいことは言い、書きたいことは書く。非常に文学者らしい主張だと感じました。

一方花子の言っていることは自分が一体何を一番大事に思っているのかがぼやけていてよくわからず、とりようによっては本当に長いものには巻かれろ、的思想に見えてしまいます。
子供たちのため、家族のため、友のため、その人たちを守りたい、というようなことを言いながら、では主体的に何を考えているのか、というのがまるでわかりません。
蓮子が花子に対して「偽善」「卑怯な生き方」と言ってしまいましたが、何だか私も同様に感じてしまうところがあります。自分で矛盾を感じながら、人に持ち上げられればすぐにすりかえる。「ごきげんよう」と言えばそれでことが済む、自分は傷つかなくて済む、みたいな展開はそう感じさせてしまいます。
なんだか蓮子の見てて危ういけれど純粋な感じに対して花子が実は時代に波風立てず生きていくしたたかな女性のように見えてしまいます。私はやはりこういう花子よりは今日のやり取りを聞いても蓮子のようなヒロインのほうが好きです。

そしてきついことばを言われたので気持ちは分からないでもないですが、花子の方から「そう、わかったわ。私たち、生きる道が分かれてしまったのね。」〈ちょっと違うかも、だけどこういう内容)と言った時は何だか冷たい感じを受けてしまいました。花子の「私ひとりがどうこうしたところで世の中を変えることはできないわ。」と言う台詞にもちょっとがっかりしました。現実的にはこの考え方自体が間違っている、と言えないとは思いますが。

ともあれ花子と蓮子の会話には非常に複雑な思いがし、このドラマで初めて女性同士の二人が本当にぶつかった今日の放送は始めて見ごたえがありました。
昨日の宮本と吉太郎のやり取りを見た後、これで花子と蓮子が感情だけのぶつかり合いで別れるような描写だけは嫌だな、と思っていましたが、そういうことにはならず、今日は二人のこういう場面が見られたことはよかったです。

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2014-09-04 00:07:16
名前無し

>ドラマを語る時にいつも忘れずにいたいのは、ドラマを見て心が振るえた瞬間の感動。このときめきを愛情込めて伝えられるようになりたいです

そうですね。良いドラマに出会ったときはそれができるようになりたいし、私はある程度自然に感覚的にもまた脚本など技術面も含め自然にそうなれると自負しています。

それができた朝ドラがありましたから。
しかしこのドラマについてはそれができなかった、と言うことが非常に残念なこと、と思っています。心が震える、と言うような体験が(これまでのところ)できないで時間だけが過ぎて来ました。
しかし好き好きの問題はあり、これがお好きな方々もいらっしゃるので、また今後の朝ドラでもそれこそ愛情をたくさんこめてドラマを語ることができることを心から願っています。

2014-09-04 00:45:43
名前無し

蓮子の主張、日中戦争から太平洋戦争へと進んだ日本の悲惨な末路を知っている現代からすれば、正論としかいいようがない。
でも、当時、彼女の言っていることを理解できた人がどれだけいたのだろう?花子の反応が正直なところだと思う。

ましてや、「あなたが私の夫を売ったのね」と一方的に言いつのって「お帰りください」ガラガラピッシャン!で、後日「取り乱して申し訳ない」と謝罪したその舌の根も乾かぬうちに「吉太郎さんに頼んで夫に渡してほしい」と身の回りの品を押し付ける始末。明らかに平常心を失って自分が何を言っているのか分からない状態だと花子に判断されてもしかたがない。

もともと思い込んだら前後の見境もなくガーと突っ走ってそれが周囲にどれだけ迷惑をかけるかという思慮に欠けた人物と受け取られてもしかたない設定の蓮子。

「あなた、私の腹心の友でしょ、どうして私のことを分かってくれないの!」と言わんばかりに自分の主張の正当性をまくしたて(←だから、あなたが何を言っているのか理解しろ、というのが無理なんですってば、と画面に突っ込みを入れたくなった)その勢いで絶交宣言。

蓮子はどこまで花子に甘えているんだろう、というか一歩的にもたれかかってくるのだろう?

このドラマでの人物設定だと、蓮子の主張も夫の受け売りで、実は自分でもその意味が理解できていないのではないか、と感じてしまう。社会変革を叫んで「右」に進んだ人もいたわけだけれど、もし、夫が「右」を歩いていたら、全く逆のことを言っていそうな気がする。

白洲正子の自伝の柳原白蓮評「共産主義者と駆け落ちして平民になったけれど、付け焼刃の思想よりも華族の娘の血のほうが勝っていた」を紹介した批評があったけれど、蓮子はむしろ白洲正子のシニカルな視線から造形されているような気がしてくる。

花子にしても蓮子にしても、どうみても不自然な人物設定には脚本家のシニカルな視線が底流にあり、それが時に「毒」や「残酷さ」と受け取れる展開につながる。脚本家がヒロインをどこか突き放して描いている、という点で、実は朝ドラとしては画期的な作品なのではないか、と最近思うようになってきた。というか、そう思わなければ私にとっては全く理解不能な作品なのである。

2014-09-04 01:46:24
名前無し

子供を戦場に送る手助けにもなりかねないラジオ放送に疑問を持ち、思い悩みながらも、現状の生活や家族を守るのが大事と考える花子は現実主義。反戦活動家の夫に共感し、未来の子供を考えるなら今の国策に反対し戦争をやめさせようと考える蓮子は理想主義。
同じ時代の同じ女性文学者でも、対立した考え方を持つのは仕方がない。今の時代の人間から見れば、花子の姿勢は間違っているけれど、言論統制が日ごとに厳しくなるその時代を思ったら一概に責められない。少なくとも、子供のために、という想いだけは彼女を貫く一つの筋として間違ってはいなかったと思う。ただ、子供のための放送が結果的に子供を戦場に送ることにもつながるという矛盾、蓮子の言う偽善を、今後花子がどう受け止めるかが大事なのだと思う。今でこそ反戦の態度が正義と思え、視聴者の共感も得られるけれど、ドラマのヒロインが必ずしもそうである必要はない。とくに村岡花子は現実に反戦思想家ではなかったのだから。
蓮子と決別した花子がどう悩み苦しみ、大きな波を乗り越えていくのか注目したいと思う。

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2014-09-04 02:41:04
名前無し

“貴女のような卑怯な生き方はしたくないの”

昨日は腹心の友と誓い合った二人が袂を分かつことになった重要な回でした。
大政翼賛の世相の中、言いたいことは言い続けると誇り高く言い放ったのとは裏腹に心細く儚げにカフェーを立ち去る後ろ姿が印象的でした。
仲間蓮子の演技が見事だったなあ。
主役は蓮子と言わんばかりの筋の通った主張になんの疑いもなく定石通りに説得力を感じてしまうのだけど、そこにきて 2014-09-04 00:45:43 名前無し さんの感想を読み、真逆からの視点に目からウロコ。なるほど〜と唸りました。

それにしても蓮子のカウンターパートにしては相変わらず凡人すぎる花子さん。ごきげんようを待っている子どもたちの夢のためになんて黒川記者の受け売りをまるまる言ってしまってるし…。

一部では、花子の曖昧で主体性のない人物造形は蓮子との対比を強調するためではないかとの評もあるらしいのですが、昨日の二人の決別シーンを見ていて花子のある意味日和見な態度は、今現在の大多数のごくごく普通の日本人の考えを表し、二人の進む道のすれ違いはそのまま現代の政治思想における議論を想起させるものでしたね。
そこがこの脚本家のねらいなのかどうか。
史実の花子だとドラマとは違い国策に積極的に協力していたとのこと。
いよいよアンの原書の登場となりそうですがその辺りどう折り合わせて着地させるのか見所ですね。

2014-09-04 02:52:21
名前無し

 花子の考え方がその時代ではむしろ普通、と言うのは言えない事もないかも。
でもそれなら現代風の英治のイクメン風景とか家事を妹にまかせっきり、と言うやり方が時代に合っていると言えるのかな。
都合の良いところだけは現代風に変えて、ある部分だけはその時代に合っている、と言うのは一貫性に欠けると思う。

 また、蓮子が前後の見積もりもなくただガーガーとまくしたてるとか思想が夫の受け売りであり、作者が蓮子に対してシニカルな見方で書いているとは私は感じられない。
夫の受け売りなどではなく、前日にも宇田川先生の壮行会の折には他の人たちとは考え方が合わずに、もう一緒に行動することはない、と言う自己の主張をはっきりとことばに出して花子に言っていた。戦争と言う状況に異を唱えているのは夫に従っているのではなく元々蓮子自身の考え方から出てきたものだ。自由に書きたい、という文学的な理想もはっきりとあり、これは夫とは関係がない。
これまでの蓮子の描き方を見ると、史実とはちょっと違うキャラにはなっているかもしれないけれど、作者はむしろ現代視点から見てもわかりやすいし彼女なりに筋の通った人物としてむしろ花子よりも思い入れがあって好意的に描いていると私は思う。いつのまにかダブルヒロインのようになり、このドラマにはなくてはならない存在になったと思う。

 むしろ花子に関しては、どうも史実自体がそのままでは朝ドラにふさわしくない、というような配慮が働いてしまい、脚色をしなければならないゆえに却って像がぼやけてしまっていると感じる。花子の像がいまひとつはっきりしない、というのはここでも多くの人に言われてきたこと。

 対比としては、蓮子が理想主義、花子が現実主義、というようにもって行った今日のやり取りではあったと思うが、花子の日常自体にそれほど現実重視、というような生活感は感じられない。
あえて言うなら、蓮子の理想主義に対して、ある程度波に身をまかせて生きていくようなどちらかといえばことなかれ主義のようなものを感じた今日の場面であった。
でなければ、あのように黒沢に言われたくらいで戦争のニュースを読み続けることにすんなり納得するなんてありえない。

 中途半端にその時代に合った現実主義のような描き方よりはたとえそうであっても、自分が何を大事に考えているか、ということがはっきりしている蓮子の方が現代人としてはわかりやすいところがあるし、時代背景はあっても見ているのは私たち現代人なのである。
花子が古風でこの時代に合った女性である、と言うならこれまでの描写もそうでなければこの部分だけそう主張されてもあまり説得力はないように感じてしまう。

 ただきょうのような腹を割ったふたりの会話は大変見ごたえを感じた。女学校のころの二人とはさすがに違う、成長した、と感じた。

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2014-09-04 03:07:56
名前無し

>昨日の二人の決別シーンを見ていて花子のある意味日和見な態度は、今現在の大多数のごくごく普通の日本人の考えを表し、二人の進む道のすれ違いはそのまま現代の政治思想における議論を想起させるものでしたね。

なるほど。
この作者さんのこれまでの描き方を見ると、とてもそういうものを描くのがねらい、などという皮肉的で深いものはないだろう、と思いますが、その視点から見ると蓮子よりむしろずばりヒロインの花子の方をシニカルに描いているようにも感じられてしまうところがありますね。もちろんそういう意図はないのでしょうが。

仲間さんの蓮子は好演だと思います。
主張をはっきり語るところにはとても凛とした人としての気高さを感じる一方、どことなく脆く弱いところが感じられる。強いことを主張してもやはり伯爵家生まれの人だなあ、と言う雰囲気があります。こういう蓮子に宮本は惚れたんでしょうね。今になってなんだかわかる。
キャラとして厚みが出てきましたね。
対比、というなら花子のほうにもそういう厚みが欲しいところです。

2014-09-04 09:09:59
名前無し

あーやっぱり、あれだけの蓮子との亀裂の後にも、花子には深い葛藤というものはなかったですね。
こんな時局に至っても、事象を流していくだけなんだ。
やっぱり、この脚本にはへたな期待をするものではない、と思いました。
(ちなみに、宮本がいつのまにか釈放されていたのも同じ。とかく大げさに前ふりをする割に、次の日がしょぼい。もう何もかも今さらですが。)

反戦主義者として描けない花子をどうするかと思っていましたが、どうも「ごきげんよう」で「子どもの夢を守る」というところに収れんさせるつもりのようですね。
あとは、宇田川との対比で、何となく、花子は戦争推進はしませんでしたよ、と見せるとか。
やっぱり、ここでも花子はあいまいにされていくのでしょう。

今日は、アンとの出会いが目玉でしたが、「ついに出会いました」なんて言わなくていい。ほらあなたたちのお待ちかねが来ましたよ、タイトルに「アン」とあるのにいつ出てくるのかと不思議だったでしょ?と視聴者狙いがありあり。「Anne of Green Gables」と花子に静かにつぶやかせ、「これはどんなお話なのでしょうか…」と締めた方が、いよいよという感動もあるのに。
戦争に協力的だった実際の花子が、平和を託されたアンの翻訳に矛盾を感じなかったのかという疑問。これもドラマでは、「こんな時代だから夢を」、そして「アンは私だから」というところでクリアさせそうです。
ともあれ、もう期待をして見ることはしません。

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2014-09-04 09:20:43
名前無し

国上げて洗脳されたらどれだけ怖いかといつも思う。

2014-09-04 09:28:24
名前無し

宇田川先生、ご帰還しましたね。
相変わらずのスレ具合。
「あなたみたいなお嬢さんには・・」
醍醐さん、言われてましたね。
確かに。
醍醐さんは好奇心旺盛というか、蓮子さんのことを本にしたいと言った時もそうだったけど、自分で確かめたいという欲求が強い。
だから戦地に行ってその目でみて、自分の言葉で真実を伝えたいのね。
でも、本当にそこに行ったら、知らない方が良いことも世の中にはあるのだと後悔するのではないかしら。
宇田川先生は、この匂いだけはなれないわねぇ・・なんて呟きながら、肉食べてる姿も想像できるけど。(爆)

花は蓮子さんに言われた言葉をきっと忘れたことはないんだろうな。
少しさみしげな考え深げな横顔。
原稿を読むたびに、葛藤しているのだと思ってしまう。
さてアン・シャーリーとの出会い。
明日も楽しみ。

2014-09-04 09:47:37
名前無し

龍一は釈放されても世間から白い目で見られ、肩身の狭い思いをする宮本家。娘の富士子は学校で国賊とののしられて石を投げられる。息子の純平は父親のせいで士官学校受験を断念せざるを得ない。むろん、母や祖母も非国民と冷たい仕打ちを受ける。そんな中、すべては父親のせいだ、と責める純平に、自分のしていることは間違っていない、人を殺すため、戦地で無駄死にさせるためにお前を育てたわけじゃない、と龍一は諭すものの、純平はお国の為に命を捧げるのは無駄じゃない、と反論する。この思想的に相反する父子の論戦は迫力がありました。そしてそんな龍一を信じ、支える蓮子も毅然としていますね。それを見た義母がようやく蓮子をいい嫁だと認め、息子を見捨てないでくれと頭を下げるシーンは母心がよく伝わって胸に沁みました。

一方の花子は宇田川たちの中でも相変らず態度は曖昧ですね。ただ、ラジオの新聞を続けながらも極力戦争の話題を避ける、それが花子にとってはせめてもの抵抗、とまではいかなくても良心だったのだと思います(このドラマでは)。そして帰国するスコット先生からついに「赤毛のアン」の原書を贈られる。翻訳作品や童話の出版が困難になっていく時局で、花子がどのようにその翻訳に取り組んでいくのか楽しみです。

2014-09-04 10:00:17
名前無し

昨日の花子と蓮子の言い分はどちらも間違ってはいないね。
戦争がなければ決別することなく友人でいられたのにね、残念。
二人の言い合いはなかなか見応えがあり、最後、蓮子の「さよなら」は
友として永遠の別れをつげいるようで見ていつらかった。

2014-09-04 10:09:21
名前無し

ごちそうさんは時代考証がいい加減
チャンネルレヴューでもよく指摘されてていまいしたが
よく調べてみると指摘した人の間違いというのが大変多かったですよ。
一番多かったのは
戦争中なのにのんきでした。
でも戦争が始まったころは、日本はどこか楽観的で
そこまで物に不自由はしていなかったというのは事実だったし
ドラマでも年を追うごとにだんだんと深刻になってました。
建物疎開、 防空法 空襲の中動いた地下鉄
多くの人が知らなかったことをきちんと調べ放送されていました。
闇市の戦後すぐにおかしいとありましたが
戦後建物疎開した空き地で、すぐに始まっていたのは事実でした。

2014-09-04 10:43:11
名前無し

どう見ても主演は白蓮さんに見えてしまう、、。
花子との訣別の時の啖呵「私を誰だと、、」
今日の富士子ちゃんを抱きしめる仕草や姑さんとのやり取り。
花子はナレで「やっと出会った」って力が抜けて行くのを
禁じ得ない状態だ。
演技が上手い下手とかではなくて、脚本家が二人を対比させていると
そう力一杯思っても、、とても残念な感じだ。

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2014-09-04 10:46:25
名前無し

ここは「花子とアン」のレビューサイトですよ。
それとの関連も全くなく、別ドラマに関することだけ書くのはマナー違反じゃないの?

花子がいよいよアンと出会って先が楽しみです。
時局がら、苦労はするだろうけど。
今日の宮本家の家族の葛藤は見応えがありました。

2014-09-04 11:07:12
名前無し

蓮子は時代に逆らって生きてきた。
花子は時代に流されて生きてきた。
そんな感じですかね。

2014-09-04 11:12:33
名前無し

「戦争中なのにのんき」これは、決して間違ってません。
むしろ庶民は、最初戦争のなんたるかがよくわかっておらず、国の言うままに民族の独立を促す聖戦、大東亜共栄圏の確立、などというスローガンをそのまま鵜呑みにして明るい未来を信じる人や、国策を称賛する人、そのうち終わるだろうとのんきにかまえていたりした人も多かったと聞いています。
戦争体験者の作家なども、従軍した人は別として、庶民の生活は、最初は決して暗いものではなかった、という人が多い。

それが、戦局が進むにつれ、庶民も気づいてくる。直接に悲惨な戦争被害を受けるようになる。「ごちそうさん」は、その変化を実にうまく描いていました。ごりごりの何も考えない庶民代表のような主人公が、やがて夫を、息子を戦争に取られ、殺され、「どれだけ私から奪うのか」と苦悶します。
こうした人間の単純でないありようを見逃さず、きちんととらえることができる脚本は、やはり優れた点を持っていると評価されるでしょう。

一方、今作の主人公は、何も考えない庶民ではなく、当時の知識人であり文化人。メディアにもかかわっており、国全体を俯瞰する状況に置かれている。それで、実際は、体制に加担するわけですが、ドラまではそうは描けないことを考慮しても、時局の変化と、それに翻弄される主人公の感情や考え方の移ろいを、リアルに描いて見る者を感動させることは、いくらでもできる。
今までから判断すると、この脚本家は意図してそうしないというのではなく、そうしようにもできない(話題をさらうことはうまいが)。これが力量の違いというものでしょう。

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2014-09-04 11:13:25
名前無し

ミッションスクールに通い
海外の児童文学を翻訳しているから
花子は蓮様のような思考なのかと勝手に思い込んでしまいましたが
保守的だったんですねえ。
守る家族がいるから当然なんだろうけど

考えたら今までに花子の設定で
そんな強い意志があると思うほうがおかしいのだろうけど。

2014-09-04 11:20:29
名前無し

花子は文学報告会に参加したことを悔いていたそうですね。
アンの娘リラは戦争反対の意思をこめて
翻訳したそうです。

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2014-09-04 11:34:54
名前無し

ごちそうさんとの今作との比較、いろいろうなずかされます。
なるほどなるほど~、と。
比較することで、見えてくるものがさまざまありますね!
花アンと同時代ということもあり、戦後の闇市のこともありがとうござんすです。

「ごちそうさん」の脚本のよさを改めて再認識し、シナリオブックをAmazonさんに注文中です。ここのおかげです。

花子とアンでのよいところは、映像美があげられますね。脚本としては、「海にかかる虹」の週は、私にはよいものと思われなかったのに、「海」「夏」「虹」といったイメージの美しさはいつまでも胸に残っています。
蓮子も、モデルがいることを考えても、いかにも浅い人物造形ですが、なぜかリアルで魅力的に感じます。これは役者さんの力なのかな。それとも、ハナと比較しても力のあるセリフが与えられているからなのかな。

2014-09-04 12:20:21
名前無し

ごちそうさんと変わらん。視聴率だけよくて中身の無いドラマということは同じ。とずーと思ってた。この視聴率のおかしさはもうTVが末期だということさ。

2014-09-04 12:22:17
名前無し

花アンの感想を書く場ですが、すみません上の方で話が出てきたので補足させてください。
興味のない方はスルーしてかまいません。

昨日、ごちと花アンの時代考証についてどっちもどっちと書いたのですが説明が足らなかったですね。
ごちそうさんの時代考証がなっていないとするのは戦前までの部分に多く見られたわけで、逆に戦時中あたり特に防空法のくだりはあの時代の描写としてはかなり踏み込んでいたし、作品の価値自体も高めることになったのは間違いないです。
それでもそのことだけで考証がすべて行き届いているとは言い難いのではないでしょうか。あくまでこれも私個人が得た情報に基づくのでその限りにおいてですが。
時代考証についてここでもかなり議論になっていたということですが、それが単なるいちゃもんの類いとごちゃ混ぜのものだし、そもそもドラマ考証自体が朝ドラの枠でどの線まで求められるのか専門家の間でも見解の違いもあるらしい、微妙な問題でもあることは事実です。
そしてドラマの醍醐味であるストーリー性を殺してまで歴史通りの物を作ったとしてそれで誰でも楽しめるのか、また一方で歴史を歪曲したドラマが誤った認識を世間に定着させてしまうのではないか云々の問題もずっと議論されきてますし、難しいテーマではあります。

2014-09-04 13:02:45
都鳥

1939年初夏
大阪の元気なおばあさん飛行機を怖いと言わず東京見物
戦争の話を避けて生ぬるい相変わらずにどうでもいいこと 
ペン部隊皇軍将兵の活躍をラジオの前で凱旋報告
叫びます銃後を守る母よ姉遠き故国の恋人たちよ
皇軍の破竹の勢い進撃を涙にむせび誇らしく思う
歳をとり腰が曲がれど究極の任務を果たし語り伝えん   
戦地では着いたそばから爆風に銃撃の中原稿書いた
実際は想像するとは大違いお嬢様には耐えられないわ 
硝煙と人の命が燃え尽きる悲惨な臭い慣れることなし
蓮子とは会うこともなし私とは違う考え手紙も書かず
翻訳も童話も中止売れるもの戦争物に実用書だけ
世の中に夢送り出す商売は贅沢品でもう成り立たず
父様は悪いことした国賊と石投げられてふじ子は泣いた
非国民裏切り者とそしられて釈放されても世間は白い目
勇気ある行動だから泣かないで国を平和にするためだから 
近所から苛められるは父のせいふじ子に母に祖母にも謝れ 
一日も早く戦争終わらせるお前たちのため間違ってない
夢絶たれ士官学校あきらめた無駄に命を捧げるのではない 
人殺し戦地で無駄死させるためお前を育ててきたわけではない 
龍一の考えること分らない尽くしてくれて申し訳ない 
いい嫁ねよく働いて孫育てあんな息子を見捨てないでね
1939秋 第二次世界大戦勃発 
帰国前スコット先生立ち寄って「Ann of Green Gables」を花子に贈る
秋の日の陽だまりの中絵本読む美里いくつでアンを読めるの

それでは、また明日

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2014-09-04 13:11:27
名前無し

花子は好きなように原稿を読めるようになったのでしょうか?
宇田川先生に「ミミズの女王はいつまでたっても」と皮肉られていたけれど、花子なりの抵抗があるのかな。

自分一人だけ抗ってもしょうがないと蓮子に言ったのになんでなんだろう。ラジオ局に困っているといわれるなら、花子が抵抗し続けるシーンがあってもいいはず。
と、また大事な事が省かれている事が残念でした。

現代で村岡花子氏の当時の運動を視聴者に訴えるのは難しいので脚色はありだと思うのですが、あまりにもぼやかし過ぎ。せっかく蓮子の事のやりとりを持ってきたんだから、花子の苦悩を描いて欲しかった。
ちょっとしたことでいいですよ。兵隊さんはお国のために命を捧げています、素晴らしいことです、と原稿を読み上げた後に涙を零すとか、そういう演出があれば違う。子供の夢を守りたいという花子なりの葛藤が垣間見える。
ラジオの件がぼやかされたまま出版の話に移り、子供向けの物語は贅沢品になってしまうのかしら、と他人事のようにいう花子が残念でした。
途中までは葛藤がそれでも見えたのに、ある瞬間を境に、ぷつんと他人事になってしまう。
そもそも童話が贅沢品という言い方がわかりませんでした。子供たちは戦争マンガだって楽しんで読んでいるはず(当時のマンガ家さんたちそれこそいままで子供の夢のため描いていた。戦争マンガにシフトしなければならなかった事に、胸が潰れる思いでしたためという声がありますね)
戦争を奨励する国策として童話などは排除されましたが『贅沢品』ではないかと。国民をコントロール置いていた政治家などは自分たちが扇動しているわけですから、家庭では童話を子供に読ませているかも知れませんね。花子はそこまで見越して言っているのかな。

と、やっぱり花子に対して疑問は尽きません。
蓮子のほうはベタな展開ではありますが辻褄はあっており、たとえば「君死に給うことなかかれ」とおにやんが憲兵になると聞いた時分から口にしています。元々戦争に対して否定的な思想はあったのでしょう。

蓮子と対面できない、もしくは蓮子を傷つけたくない(自分の考えをおしつけたくない)と花子が憂うシーンかよとのやりとりの中であったのがせめてもの救いです。

そしてわたしも美輪さんのナレーションに『お待ちかねの』なんて言って欲しくなかったですね。そりゃこちらは待ってましたけど、皮肉に感じたのはわたしだけでけなのかな。泣きそう。

2014-09-04 13:13:16
名前無し

外のサイトは知りませんが
ここでのサイトで
戦争までの時代考証がいい加減という意見
結局指摘した側の思い込みが多かったですよ。

ごちも花アンも、それなりに検証はして作っているかと思いますよ。
いい加減とまではいかないと思います。

2014-09-04 13:26:57
名前無し

花子がアンに出会っても「あ、そう」という感想しか出てこなかった。一番大切な本との出会いまで、こんなにワクワクさせないとはすごい脚本だ。確かにナレーションが白ける気持ちに更に拍車をかけてたな。あそこは何も言わなくてもいい。

花子がアンに出会った回でさえ、気になるのは蓮子の方。もう蓮子を主役だと思って見た方がいいかなあ。
どうして史実とは違い、姑とギクシャクする話にしたのか知らないけど、今日姑が頭まで下げたことで蓮子のヒロイン度が更に増したと思う。出てきた頃は自分の部屋も片付けられなかったお嬢様が、本当の愛を知って、努力して家事も育児も創作も全てをこなす完璧ウーマンになる。ヒロインの成長物語の王道じゃないか。

一方花子は、あそこまで痛烈に親友にけなされて友情が終わったのに、やはり深く考えたり葛藤するところはないんだね、わかってたけど。
ラジオおばさんをわざわざ続けて、他愛もない内容を放送するというのも「あえて自分だけは体制に逆らってでも戦争の話はしない、子ども達に夢を送るんだ」などという強い信念の元にしているのではない(もしそうなら見直したけど)。なんとなくこんな形でやってるから、積極的に戦争賛成してる訳じゃないんです、的な。玉虫色だなあ、花子。これぞ日本人…だなあ(ため息)。

花子は超人でもなんでもない普通の人だから好きという感想をよく見るけど、こんな悪い意味での普通さをわざわざヒロインには求めない。何でも出来る訳じゃない、普通だけど、ちょっとだけ普通の人には持ちにくい勇気を持って困難を乗り越えて行く、ひとつの事をやり遂げる。そういう女性が親近感も湧き、共感もできるヒロインなんじゃないかな。

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2014-09-04 13:42:26
名前無し

吉高花子がヒロインで蓮子なんて脇役でしかないよ。
花子がいるから蓮子の存在感があるだけで、この花子でなければ成り立たないもん。

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2014-09-04 14:05:48
名前無し

≫2014-09-04 12:22:17 です。

検証のレベルが問題だと思われます。
先ほど述べた通り朝ドラに大河並の厳格な考証レベルが必要かどうかは別の話なんですが。
花アンももちろんですが、ごち世界の設定が現代性に強く影響されたもの(だからこそ見やすく受けやすい)、戦前世界をノスタルジックで賛美され過ぎていてそのことがある種の歴史修正になってしまうことを危惧するという意見がありました。
こうした論点はNHKの見解とは違うのですが。
ここではありませんが、私が参考にしているのはある近現代日本史の専門家の見解で、舞台となる大正から昭和初期の大阪のイエ社会の不条理さについての描写不足は特に指摘されていたことをお伝えしておきます。

尚、私の投稿で時代考証の件を取り上げるのはここまでにします。度々失礼致しました。

2014-09-04 14:20:51
名前無し

時代考証がいい加減っいて
専門家レベルの大正から昭和初期の大阪のイエ社会の不条理の描写が不足しているなんですね。

そこまで時代に合わせていたら現代人に受け入れられないかもし
ドロドロした内容ないなったかもしれない。
そんなことを持ち出し
時代考証差のいい加減さはどちらも同じって
なんだかなあという感じです。

2014-09-04 18:47:49
名前無し

時代考証って、専門家の間でも見解が分かれるのが普通なのではないでしょうか?通説、はあったとしても、特に家族制度なんて例外もたくさんあるでしょう。
人の営みなのですから、地域によって、家によって、解釈によって、答えがいくつもあっておかしくないと思います。終戦のラジオ放送の日にちが間違っている、とかなら問題ですけれど。

私はネット、書籍、祖父母の体験談、くらいの知識しかないので、間違っても時代考証云々は言わないことにしてます、恥ずかしいので、、、。

ずっと否定的に見てましたが、最近は見ごたえがある回も増えて、諦めなくて良かったと思っています。昨日の花子は凛としていて素敵でした。

2014-09-04 19:16:46
名前無し

朝ドラは大河ドラマのように歴史ドラマではありません。

ごちそうさんにしても花子とアンにしてもよほど間違っているとか全く描かれていない、とかなら別ですが、そこの正確性を求めることに一体どれだけの意味があるのか、と思います。

どちらのドラマだって戦争を間違って描いているわけでもありません。一般庶民にじわじわと戦争の暗い影が及んでいった様子はごちそうさんの方がずっと分かりやすい形では書かれていたと思います。

このドラマは一般庶民、と言うより翻訳家、ラジオの仕事をしている花子、社会運動をするような夫を持ち自らも文学者、母の立場から戦争には反対の蓮子が中心で描かれている世界がごちそうさんより特殊な人たちの狭い世界の話なので、扱い方に違いが出てもそこは比べるようなものでもないと私は思います。

ただ、このドラマは限定された世界の話、ということならば蓮子のように花子ももっと自分自身がどう戦争と真っ向から向き合うか、そのあたりの彼女の本当の苦悩やら考え方がはっきりしないとおもしろみは半減すると思います。

朝ドラでは時代考証うんぬんよりも、どの世界を描くか、それぞれの世界で人間をどう描くことができるか、問題はそちらの方にあるでしょう。
その点で見た場合には、やはり脚本の丁寧さにおいてはごちそうさんの方がずっと勝っているとは思います。イエ社会の描き方がじゅうぶんでない、という批判があるようですが、それを描くのがドラマのテーマではありませんからその部分だけに特別な掘り下げが絶対に必要なもののようには私は思えません。

しかしこのドラマも蓮子の描き方はここに来て非常に説得力のあるものになっていると感じています。蓮子と考え方の相違で仲たがいが起こる、と言う設定なら、花子の方にもう少し、主体性がほしいところですが、これはもう仕方ないですかね。作者さんは何らかの理由があって、このドラマのヒロインを主体性のあるものをしっかり考えるような女性に描くつもりがないように感じられますので。

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2014-09-04 20:55:31
名前無し

≫ 2014-09-04 14:05:48 です。

皆さんのコメント読ませていただいて様々な考え方あるんだなと勉強になりました。
概ね皆さんのおっしゃることは理解できます。
それについては前に書いた分にも既にのべてありますのでご参考に。
あと、ドラマのテーマに関係ない細部の掘り下げの必要性については作り手のセンスが優先されるべきと考えてますしドラマの世界観が損なわれるなら本末転倒でしょう。
私自身は違いますが、短かに歴史の専門家もおり以前から気になっていた問題なんです。
持論を押しつけるつもりはないのですが、単なる下げ目的のいちゃもんや思い込みで書いたことでは絶対ないし、ドラマの影響力で間違ったイメージが伝わってしまう可能性も注視しなければとの思いでの発言とご理解いただけたら幸いです。

2014-09-04 21:36:09
名前無し

それぞれの人の感想なので、それぞれドラマを見る観点、大事に思うところは違うので、気になるところ、良いと思うところ、批判するところ、など発言するのは全く自由であると思いますよ!

2014-09-04 21:51:49
名前無し

時代考証については全く知識がないので、自分にはない視点からの話は興味深かったですよ。ドラマのテーマに添った描写の取捨選択の話も、頷ける話だったし。

色んな視点からの感想を見れるのがいいと思う、こういう所って。

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2014-09-04 22:27:13
名前無し

連子さんのお姑さんのご主人は、もっともっと凄い人だったのに、息子が拘束されたからってあのとり乱し方はおかしいです。連子さんも、「偽善者」「卑怯者」などとは、決して言ってはならなかったと思います。

2014-09-05 00:12:17
名前無し

このドラマに魅力を感じない理由のひとつは、脚本の都合上、あまりにも辻褄の合わないエピソードが入ること。例えば、軍事一色に染まったラジオ番組を憂え、語り手を辞めたいとまで考えた花子が、黒沢のひと言で納得してしまう。村岡先生の「ごきげんよう」が子供たちの心を照らすんです。これだけで花子の悩みは消えてしまう。こんな馬鹿な話があるだろうか?

では花子は何を悩んでいたのだろう?そもそも蓮子に指摘されるまで花子は、子供たちを洗脳しているという事実に気づいていなかったのではないだろうか?蓮子から指摘され「そんな!」と驚き、反論し始めた花子を見てそう思った。もっと違う話がしたいのに戦争の話ばかりでつまらない、くらいの意識しか持っていなかったのではないか。それでなければ、黒沢の励ましに納得して仕事を続ける気にならないはず。軍国主義の影響を子供に広めている事実は変わらないのだから。

となると、花子はどれだけ鈍感で視野が狭い人間なのか?という話になるわけだが、彼女の鈍感さはこれまでも恋愛面や兄妹の不満に長年気づかなかったことなどでさんざん強調されて来たし、こうでも考えないと辻褄が合わない。

だが、国策に協力していると蓮子に指摘された後、花子は自分のとるべき道をはっきり選択している。自分一人では何も変わらない、声高に国策に反対すると今の暮らしや家族を守れない。こう言って、花子は国家に従う道を選んだ。そして、今のところ戦争に加担していると指摘された事はまるで無かったかのように葛藤も無く仕事を続けている。やっていることは国策協力と何ら変わりない。

結局、花子は戦争の話ばかりをするのが嫌なだけで、国策としての戦争に反対する気もなく、ラジオを通して子供たちに軍国主義を植え付けることに葛藤を抱かない人、と描かれている。反戦的に見えるエピソードを入れたのは、花子を根っからの戦争支援者に見えないようにするためと推測できるが、辻褄が合わない目くらましのような話になってしまっている。こういうお粗末な所がこのドラマには多く、脚本力の弱さを感じてしまう。

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2014-09-05 00:26:47
名前無し

宇田川先生が(現代感覚なら間違ってるんだけど)かっこよく観えた。
従軍記者とは名ばかりで、戦地に行ってもないのにでっちあげたのならともかく、女の身でありながら自ら足を運び見たことを書き語り伝えるのだからジャーナリストとして偉いのは確かだろう。
威張るだけのことはする点では、周りからちやほやされても納得できる。
それに比べると花子は存在感うすっ。
でもまあ終戦後は立場逆転で、私が間違ってたわと宇田川先生が花子にひれ伏すのかもw

2014-09-05 00:50:53
名前無し

2014-09-05 00:12:17 さん、おっしゃるとおりだと思います。
結局、実際に強い反戦思想などなかった花子をそれでも何とかこの場を現代人が見て批難できないように苦し紛れに何とか取り繕っている、と言うのが見えてしまうんです。

現代の視聴者が見ても倫理的に疑問を抱かせないように、花子だって戦争をよし、なんてしているわけではないけれど現実問題として仕事を続けたり家庭を守ろうとすれば長いものには巻かれてその場その場を切り抜けていかなければならない、というように持っていって納得させようと・・つまり花子も戦争の立派な犠牲者なんだ、と言いたいのでしょうが、なんだか必死に何かを取り繕おう、と頑張って作っている、というのがわかってしまいますね。

私も「ごきげんよう」のことばだけで自分の感じた仕事での矛盾をすっかりなかったことにした花子の描き方には大いに疑問でした。このドラマは妻のいる人との結婚の場面でも手法が全く同じだと思います。一応人として疑問は持つ、ということは描く。しかしその疑問はいつもいとも簡単な問題のすりかえやヒロインにとっては都合がよいけれど、見ている者にとってはわざとらしく普通はありえないだろう、というものを持って安易に解決する様を見せられる。

このドラマのそういうところが非常になにかをごまかされている、という感じを残してしまうのです。こういう手法が、非常に上辺だけ、帳尻合わせだけの表現で浅すぎるドラマだと感じられる原因になっていると思います。

元々花子や白蓮の生き方そのものが朝ドラ向きの素材ではないのに赤毛のアンと結びつければ話題や視聴率が取れる、というのがドラマやヒロインの作り方に如実に表れてしまっている。
そしていう姿勢は、ドラマ作りの真摯な考え方やモデルになった人への敬意をそもそも欠いているのでは、と疑問に思う。
細かい日々の今日はここが良かった、とか悪かった、とか言う前にこのドラマには見ていてそういう根本的なことへの疑問が常につきまとってしまうのです。

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2014-09-05 01:05:50
名前無し

何度も指摘されているように、枝葉末節にこだわるのに、肝心なことはあっだりスルーするこのドラマ。妄想の翼が限りなく広がっていく・・・

純平の士官学校志望の件、もちろん「お国のために働きたい」もあるけれど、本当の理由は宮本家の家計ではないかと。

父親は弁護士とはいえ、廓から逃げてきた女性の足抜け支援等、社会的弱者の支援に注力しており、正直ボランティア状態。そのぶん、母親の原稿収入にかなりのウエイトがかかっていた。

しかし、戦時体制のもとでは「書きたいことを書く」ことなど許されもせず、原稿収入の道は絶たれてしまった。

純平は中学校、富士子は女学校。学費がかかる(実際、中等教育の家計への負担は大きく、そのために国が学費をもつ初等教員養成機関、師範学校への進学を選択する人も多かったという)。

中学校卒業を控え、火の車の家計を前に考えた。これ以上親に経済的負担はかけずに職業人として自立する道はないかと。その結論が士官学校(陸軍士官学校あるいは海軍兵学校)に進み、職業軍人になること。徴兵制度のもとでは、どんな職業であれ、召集がかけられれば、戦場に出なければならないのだから、その点は納得ずく。養成期間中の学費負担はなく、修了後は将校となって待遇は安定している。

長男として宮本家を支え、女子専門学校への進学を考えているかもしれない妹に家計面で夢を断念してほしくはない。

それなのに、息子の立場からみてあまりにも軽はずみな父親の行動で計画はつぶれされ収入の見込みは全くなし。

で、純平の怒りは父親に向けられる。あなたは宮本家の経済状況を理解しているのですか?あなたのせいで妹は非国民とののしられている(と同時に、妹の進学の夢を断念させる要因をつくってしまたのだ)と。

長文失礼、嗚呼、私の妄想の翼は広がりすぎて収拾がつかなくなっている・・・



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