スレ主さんがコメントしてくれると公平で安心した気分になれます。
昨日のクイズに「ひまわり🌻」を出題させて貰ったですが、ひまわりといえば、朝顔、朝顔といえば、秀吉と利休のお茶席での逸話が有名ですね。
明後日の、竹中直人さんの秀吉と仲代達也さんの利休の大河ドラマに、このエピソードの場面があったように記憶しているのですが…			
				トクヨさん
こんにちは。お身体、いかがですか。
私は、本スレにも週一度必ず投稿しているドラマが数個あります。今は過去作で、、、3個です。
43さんは、私がせっかち、また、43さんの出すクイズを投稿開始時刻前に答えを呟いたり、よく食べ物の話をしたりするので、私のことをアマゾンのピラニアンと呼ぶ事が5回ほどありました。43さんと私は、漫才コンビのような時もあり、43さんは、こちらを楽しませ、クイズに挑戦させようとしたと思います。
実際、私が信長7回忌法要で関白近衛氏が詠んだ句の答えを早めに書いたので、その深夜、43さんが問題を書き直した事があります。ご理解くださいませ。
私は、元より俳句好きです。従って、俳句披露したり、句出づデーなどを行っています。女優さんについては、そう見たこともありませんし、活動内容にも興味がありません。
失礼ながら、昨日、こちらの投稿数を数えました、私が一番投稿しています。内容の軽重はありますが。
ここは共同スレ主での運営、皆様、博識で、投稿したい時にすると思います。テレワークが大変、大河中断は痛いですよね。しかしながら、仕方ない事。
どうぞ、ご理解くださいませ。
			
				前スレ>>822 >>907 >>954と
>>30の続き
【戦国時代の武器のおねだん(結)⑤】
『備蓄費用編』
軍備にかけた費用についてもう少し具体的にイメージするために、1つ著名な史料をここで取り上げたい。
長篠合戦とほぼ同時期の天正3年5月、大友氏家臣として武勇を奮った戸次鑑連(べつきあきつら 立花道雪)が、後継男子がないためとして「女大名」として知られる娘のぎん千代(ぎんは門構えに言)に家督を譲った。
それを示す証文(譲状)に家財がリストアップされている(「立花文書」)。
そこには道雪がぎん千代に譲り渡す刀剣や甲冑、馬具、大友義鎮(宗麟)から与えられた数々の戦功を称える感状(感謝状)などが誇らしく列記されているが、その中に具足30領を無足人のために準備しておくようぎん千代に命じた記述がある。無足人とは所領を持たない者だが、道雪に仕える末端の兵卒だろう。財産を持たない彼らには、領主が具足をつねに準備し、出陣の際に支給することになっていた。
先にみたように具足が現代の価値で1領およそ30万円程度だとすれば、30領で900万円ほどとなる。ちなみに、同じ史料によると具足に加えて兜も備蓄していたようなので、その費用がさらに上乗せされることになっていた。
そのほかには、「大鉄炮」15挺や「小筒」1挺といった火器類、それを使用するために必要な焰硝や鉛玉をそれぞれ1000斤(約600キログラム)蓄えるようにとも道雪は命じている。
現代の価値で鉄炮が1挺50万〜60万円程度だったことを参考にすると、1000万円以上の規模の費用はかかっただろう。それに火薬や鉛玉の費用も上乗せされた。鉛は現代では1キログラムでも100円しないようであり、仮に鉛1キログラムを100円とすれば、1000斤は6万円に過ぎない。しかし当時は東南アジアから輸入するほかなかったため、現代に比べてはるかに高くついただろう。後に触れるが、大友氏が貿易活動に躍起になったのは、このような軍事面での要請もあってのことだった。
さらには、兵糧として米1000石の備蓄も道雪は促している。詳しくは後に兵糧調達のところで触れるが、当時の畿内で米1石は銭500文程度だったので、1000石は500貫文となり、現代の価値にして3000万〜3500万円程度になる。
これは多くが年貢によって賄われるため購入していたわけではなかったが、大名家臣クラスにとってはそうとうな負担であったことは間違いない。その他、塩や水、薪や縄などの城内での備蓄も必須と道雪は述べている。これらは多くが領民に賦課して集めていたようである。
加えて、金銀の備蓄も促している。貨幣としての用途のほかに、武具の装飾に充てるためでもあったようだ。道雪は、銀は10貫目蓄えよという。1貫目は1000匁に当たり、これは約37.5キログラムに相当する。当時は銀1匁は銭にすると約200文の価値だったので(後にみる織田信長の撰銭令参照)、銀1貫目は銭200貫文(20万文)、現代の価値にすると1200万〜1400万円程度となる。
以上をまとめると、立花道雪が上記の備蓄にかけた費用は、現代の価値にして少なくとも6000万円程度はかかっており、こまごまとしたものを含めるとおそらくは1億円近くに達しただろう。ただしこれは大名の重臣クラスであり、大名ともなればその規模に応じて数倍から数十倍の費用をかけた備蓄を必須としただろう。
必ずしもこれが毎年の負担となったわけではないが、ひとたび戦争となって消費すれば、再備蓄のために同等の費用を負担することは避けられなかった。
戦争に勝利し、領地拡大(=収入増)が果たされなければ、財政はたちまち危機に陥っただろう。その先に見えるのは、滅亡へと続く道であった。
◎まとめ(兵1000人換算)大名の重臣クラスの場合
・準備具足が(30領)現代では900万円ほど
・火薬や鉛玉の費用は東南アジアから安く仕入ていた
・兵糧1000石は(500貫文)現代では3000〜3500万円
・金や銀の備蓄(20万文)現代では1200〜1400万円
・兵1000人で1億円
大名の場合は兵1000人で10億円
◎感想
戦はお金がかかりますね...
1万人だと30〜60億くらい掛かったのですね💧
こんなにコストが掛るとなると、頻繁に戦など出来ないのでは?思いました。此処までのコストを掛けて戦を出来る武将も限られてくるのではないしょうか!?やりたくても経済的な理由で出来なかった国も多くあったのではないかと思いました。
熱田を中心とした商売から楽市楽座で財を築いた織田信長→その財を引き継いだ豊臣秀吉→江戸で倹約して力を蓄えていた徳川家康。
金の動きが天下人へと導いたと言って過言ではないと思いました( ´ㅁ` ;)💧
不定期な上に長期に渡っての掲載ありがとうございましたm(*_ _)m
End。			
				43さんの 戦国時代のV.I.P. クイズ間もなく始まるよ!ーーー細川幽斎編
解答は、できたら『川柳の部屋』か『なんでも語っちゃおう』に書いてください。
開始7月3日(金)午後6時
締め切り 7月4日(土)午後1時(13時)
発表 7月4日(土)午後3~5時くらい
①~⑤まで各20点、オマケと⑥は適宜評価アップ
①前回の近衛前久(1536~1612)は本能寺の変をきっかけに秀吉に睨まれ不遇になってしまいました。しかし、細川幽斎(1534/6/3~1610/10/12 )は、同じように信長・光秀・秀吉・家康の近くに居続けながら、激動の戦国時代を文武両道の超V.I.P.として生き抜きました。幽斎は出家後の名前ですが、既に細川藤孝の名前で『麒麟がくる』に出演しています。演じているのは誰でしょう。
②細川幽斎の息子忠興の嫁は戦国一の容貌と美しい心の持ち主と評判の美人才媛細川ガラシャ。
関ヶ原の戦いの前、石田三成(西軍)が細川家の屋敷を攻めたとき、人質になるよりも生命を断つことを選びました。
辞世は【散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ】。
嫁ぐ前の名前は何でしょう、お父さんは誰でしょう?
(オマケ)『麒麟がくる』だったら誰にガラシャを、演じて欲しいですか?
※大阪の細川家の屋敷の近くに今もガラシャ縁(ゆかり)の玉造教会があるそうです。
③細川幽斎は、文武に通じる当時第一の文化人と言われていました。塚原卜伝からの鹿島新當流一之太刀をはじめ、弓馬故実等の武芸百般は勿論、和歌・茶事・連歌・書・蹴鞠・囲碁・庖丁(料理)・猿楽・鼓まで、ことごとく免許皆伝級しかも全て当代一流に学んだ凄まじさ。
光秀とも深い親交がありましたが、本能寺の変直後に出家し、秀吉に超一流の文化人として厚遇されました。
秀吉の死後は、関ヶ原の戦いの前、忠興が家康に要請され会津征服に進攻したため、石田三成(西軍)が細川家と敵対しました。
幽斎は丹波田辺城に約500人の兵で籠城し、城は約一万五千人の西軍に包囲され、籠城は2ヶ月近くに及びました。朝廷から三条西実条(さんじょうにし さねえだ)等の勅使が幽斎側にも西軍側にも派遣され、結局関ヶ原の戦いの2日前9月13日に後陽成天皇の勅令で和解成立となりました。
朝廷がそこまで幽斎を重要としたのは、幽斎が三条西実枝(さんじょうにし さねき)から、古今和歌集の解釈の秘伝を伝授された唯一の人であり、それが断絶することを怖れたためと言われています。幽斎が伝授されていたことはなんとよばれているでしょう?
※関ヶ原の戦いでの忠興の活躍もあり、戦後忠興の子忠利の時に、細川家は肥後熊本藩藩主となり江戸時代以降現在まで続いています。
③で伝授されたことは、幽斎から松永貞徳、継いで北村季吟に伝授されました。北村季吟の弟子に松尾芭蕉と【目には青葉山郭公(ほととぎす)初鰹】の山口素堂がいます。
※幽斎からは、幾つかの系統(派)が分かれて伝授が行われている(堂上(どうじょう)派・地下(じげ)派等)。松永貞徳・北村季吟への伝授は、地下派とよばれている。
季吟からは柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)に伝授されました。吉保は江戸駒込に、その伝授された世界を再現するための庭園を造りました。現在まで続くその庭園の名前はなんでしょう?
(オマケ)このスレでも有名な吉保の側室は誰でしょう?
⑤幽斎の歌とされる「幽斎公十木御詠」を下に書きました。この歌には十種の木の名が読み込まれていますが、それはなんでしょう(見方によっては十一種)。
「必ずと契りし君が来まさねば強いて待つ夜の過ぎ行くは憂し」
※「過ぎ行くは=杉・柚・桑」
(オマケ)最後の「憂し(うし)」が出てることから更に穿(うが)った見方の解釈もあるようですが、それはどんな解釈でしょう?
※幽斎は側室を持たず、正室の沼田麝香(ぬまたじゃこう)は、ガラシャの死の翌年キリシタン(細川マリア)となった。
⑥最後に細川ガラシャと幽斎に俳句・川柳・和歌等で一句(一首)ないし、『麒麟がくる』で、こんなガラシャ・幽斎が見たいとか感想等の一言を書いてください。 
			
				ラングドシャさん、武器のお値段シリーズ、ありがとうございました😊
鉄砲が一挺50〜60万円もしたなんて本当に驚きですね。
信長の石高が、本能寺の変の直前で700万石くらいだったと聞いたことがあります、今の価値に換算するとどれくらいになるんでしょうか。
秀吉はそれより石高は少なかったけど、銀山を所有していたので、そこから莫大な収益を得ていたとか。
戦を繰り返していた戦国大名の経済力はすごかったんですね。
お父さんに似て武勇で有名だった誾千代姫は
今でも地元の人にとても慕われているって「歴史秘話ヒストリア」で見ました。			
				⑥なんで答えに俳句や川柳を詠めなんて指示されるの?訳わからん。
			
				川柳の部屋さかいなあ。しゃあないわあ。毎日、句を出し合っているんよ。
句と歴史は切っても切れないもの、平安時代では、和歌のやり取りから、恋や政治が動いたり。昔の名のある人は必ず、辞世の句を詠んでいた。これが、発達発展したのが、戦国から江戸時代にございます。
本能寺の変の前には、連歌会が開かれ、一同の結束を確認しました。庶民には俳句、川柳などが広まったのです。
古代から、和歌は変化を遂げますが、いろいろな階級の人々がいろいろな場面で詠んできました。
従って、幽斎を核とした問題ではありますが、最終的には川柳、俳句、和歌に行き着く問題なのでございます。よろしくご理解くださいませ。
失礼いたしました。
かしこ
染子			
戦国の有力大名はそれぞれ金蔓を持っていたようだし。甲斐の武田信玄は金を持っていたことで有力大名になった。もっとも、山梨というのは長年日本住血吸虫に苦しめられていた土地。金を採掘するのには水に触れざるを得ない。大河ドラマには庶民が病気で苦しむシーンなどは出て来ないけど。
				160さん、大河ドラマは綺麗事ばかりでつまらんですよね、その点大河「平清盛」は画面を汚くして昔は不潔だったことを正直に表現し、コンセプトは「力強い平安」でした。
武田信玄が金山でウハウハしている横で、庶民が日本住血吸虫に苦しんでいる大河ドラマも、是非やって欲しいと思います、その場合、日本住血吸虫に関する和歌、連歌も盛んに詠まれ、川柳の部屋のスレ主さんもさぞやお喜びのことでしょうね。
今日は災害報道で、タメ口ドヤ顔呼び捨ての劣悪番組の再放送が無しになり、セイセイしました。			
大河ドラマは庶民を主人公にすると視聴率が取れないんですよ。何より、庶民で明確な記録が残っている人などいないから完全な作り話にせざるを得なくなる。英雄、お姫様でないと昔からの視聴者が付いてこないでしょうね。お姫様や奥方が主人公の大河ドラマならいくつかあります。「おんな太閤記」「春日局」「花の乱」「利家とまつ」「功名が辻」「江 姫たちの戦国」「八重の桜」「花燃ゆ」といったところかな。「おんな太閤記」は初めて奥方の視線で戦国を描いたところが当時としては画期的でした。その後民放でもそういった時代劇が造られるようになりましたからパイオニアといってもいいでしょう。「大奥」などはシリーズ化までされましたね。
				トレビアをひとつ
信長の母 土田御前 ですが、つちだごぜん と思ってませんか?
NHK の公式ホームページを見ると どたごぜん が正しいようですね。
私は今日まで勘違いしてました。			
				160さん、返信頂いてありがとうございます。
私のようなものでも、真面目に話を聞いて下さる方もいるんですね、私、もうすぐアク禁にされると思いますが、160さんのような方がいたというだけで、思い残すこともうないです、未練はありません。
『麒麟がくる』の東庵や駒は庶民代表でしょうか?
最初はあまり好きではありませんでしたが、今は登場しない回があると寂しい、と感じます。
NHKで以前放送されていた「タイムスクープハンター」は徹底して名もない庶民から発信される歴史を検証するドキュメンタリー風ドラマでした。			
160さん、大河の近現代物以外では庶民が主人公の「獅子の時代」言うんもありましたで。しかも識者での評判は上々でしたけど。まあ、例外中の例外ですけど。
				160さん、篤姫と女城主直虎も女性主人公ですね、それから三田佳子さん主演の、現代物ありましたね、題名忘れました。
また松坂慶子さんの「春の波濤」だっけかな、あれもそうかな?
村角灯さん、私、土田御前好きだったのに、檀れいさんの出番が、次男の死でもう無いみたいて残念です。
大奥、大好きです、大河ドラマも大奥が登場すると、視聴率が上がるそうです。			
				村角 灯さん
大丈夫ですよ。勘違いではありません(^.^)
土田御前の読み方には定説がなく、尾張清洲の土田からきた「つちだ」説と、美濃可児郡の土田からきた「どた」説の二つあるんです。
今回は、美濃と馴染みが深いので「どた」を選ばれたんでしょうね(^.^)
			
そうですね、「つちだ御前」と読んでいる史料もあったと思います。
				白い鳩さん
「獅子の時代」って言う庶民が主人公の「大河」があったんですね。
庶民目線の大河見てみたいですね(^.^)
二階堂さん
確かに東庵と駒の庶民目線?をもっと見てみたいですよね。戦国時代の日常と言いますか…
私も檀れいさんの土田御前好きでした…
もう出番はないのですか?
残念です(ToT)
			
「徳川慶喜」、劇中で慶喜は「けいきさん」と呼ばれていた。「伊藤博文」を「はくぶん」と呼んだり、「藤原定家」が「ふじわらのていか」と呼ばれることもある。「緒形拳」は「おがたこぶし」だったのに、「おがたけん」が定着してしまったり、「長谷川初範」が「ショパン」と呼ばれたり、「水卜麻美」が「みとちゃん」と呼ばれるなど、今でも同じようなことが続いている。
私の父は、「南野陽子」を「なんのようこ」だと最近まで思い込んでいた。テレビ番組内で「ナンノ」と呼ばれることが多いからそうだと思い込んでしまったらしい。
				スレ主さん、獅子の時代というのは、実在の歴史上の人物ではない人が主人公ということですね?
160さん、土田御前から南野陽子さんまで、読み方の違いが面白いですね🤣			
				170さん
土田御前は本能寺の変後も結構長生きして、孫の世話をしたりしながら穏やかな老後を過ごしたようなのに、麒麟がくるではあれでおしまいみたいですね。			
石山寺で本能寺の変のあとの明智軍に関する古文書がみつかったそうです。
				二階堂さん、そうですね。「獅子の時代」は架空の庶民、元会津藩下級武士の一平民と薩摩藩下級武士の官吏が主人公でしたね。近現代物は実在の人物もいましたが大河の範疇には入れにくいと思います。
だから、とかく美化されがちな明治新政府も痛烈に薩長藩閥政権の独善性を批判しています。これと小学校の時に見た木村功のNHK少年ドラマ「アイウエオ」、高校生で見た柴俊夫と西田敏行の「新坊ちゃん」も明治新政府のアイヌの人々への仕打ちと対外進出、中央集権の偏差値管理教育を痛烈に批判したものでした。
今はできないし、やらないでしょう。
それより二階堂はん、臨時ニュースで日曜特番でやった「利家とまつ」が中止やて。もう放送はあらへんみたいやね。来週は都知事選と関西では何も面白ない特番やし。
ほんま、ついてないわ。			
				170さん、お返事ありがとうございます。
個人的には大河の範囲を明治・大正まで拡大したら庶民目線のいい作品もできると思いますね。
駒と藤庵が主人公では持ちません。大塩平八郎はぜひやって欲しいですが3カ月がいいところで1年持たせられませんでしょう。
「いだてん」は大河なのかなあ。意見が割れそうですね。			
				すいません。前回名前入れ忘れました(^.^A
170吉法師です。
二階堂さん
そうですか…
檀れいさんの土田御前、もう出ないんですね。
そうですよね。お市さんより長生きするのに残念です(ToT)
信長との和解?を見たかったです。
(ドラマ的には、天下統一目前、母とも和解。得意の絶頂で、光秀に討たれる?)
スレ主さん
地元贔屓かもしれませんが(私も大阪です)、大塩平八郎良いですね!
しかし、なるほど、3ヵ月くらいかもしれないですね…
天保の大飢饉(庶民の苦しみ)→大坂町奉行 跡部良弼の悪行とその兄 水野忠邦の猟官運動(庶民の苦しみ増)→大塩平八郎の乱(庶民救済運動)→天保の改革の中での水遊び忠邦と遠山景元の対立→水野忠邦の失脚
これで、なんとか1年!
地味過ぎますかね(^.^A
			
				すいません178誤記ありました。
誤)水遊び忠邦
正)水野忠邦
失礼致しました。
			
				吉法師さん、お返事ありがとうございます。
いつも博識ぶりには勉強させて頂いています。
大阪の方ですか。大阪は、決して「儲かりまっか」の打算的な町、やくざ者が幅を利かせてる治安の悪い町ではない。地味だけれど、大河とは別に3カ月くらいで一度やって欲しい題材ですね。
大塩平八郎の他に、鳥居忠耀、遠山景元、水野の直前に10代将軍家治の嫡男・家基殺害の祟りを恐れ江戸城でオカルト儀式に浪費の11代将軍家斉と水野の命で阿部正弘に処罰される家斉の提灯持ち遺臣とオカルト僧侶とネタはあるんですが、戦国や幕末に比べると弱いか。
明治大正なら、面白い大河ができそうですね。			
				スレ主さま
 ありがとうございます。
 浅学非才にて、スレ主さま初め、博識な皆様に勉強させて頂くべく参加しております。
 こちらのスレで「国盗り物語」を教えて頂きました(^.^A他にも色々教えて頂いております。
 なるほど~家治/田沼の時代から長い家斉の治世。そして大塩平八郎へ。エポックメイキングではないですが、時代のうねりをしっかり感じる事ができる大河になりそうですね。
 そして、庶民の記録も残る明治・大正ならば、視点を変えた大河ができそうですね(^-^)/
 
 皆様、大阪には押し付けがましいイメージがあるかもしれませんが(否定できませんが)(^_^A、皆様の所同様、あったくて人懐こい所もあるんですよ♪今は皆様中々動けないと思いますが、状況が好転したら、是非遊びに来てくださいね。
 私も最近は自粛していますが、仕事で、北陸・四国・静岡等にはおじゃま致しまして、癒して頂いております。
 食いしん坊で、地元の名物に目がありません(^-^)/
 皆様も大阪で楽しんで頂ければ幸甚です(^_^)			
				細川幽斎にクイズが出ているので、暇つぶしに 藤孝主役の気に入ってる説を。
本能寺の変では、守旧派と言われる旧勢力 朝廷と、幕府、 誠仁親王、近衛前久、足利義昭が組んで、信長暗殺を計画した。同調したのが、毛利輝元、明智光秀、細川藤孝、若狭武田氏、京極氏、雑賀の土橋氏など。
ところが、細川藤孝が裏切って、羽柴秀吉に内通し、計画を漏らしてしまう。
秀吉と黒田官兵衛は事前に周到に中国大返しの準備をしながら、本能寺の変を待つ。
本能寺の変の後、黒田官兵衛が毛利氏を寝返らせる。毛利は内部を切り崩され、ガタガタの状況だったのと、小早川隆景が義昭よりは秀吉がましと思ったのかな? 官兵衛、隆景という時代を代表する天才同士がはかりごとをしたとしか思えない。
変のあと、裏切りの恩賞として、藤孝は光秀の旧領を得る。毛利は、四国や九州に次々と領土を得ていく。細川の裏切りの際、功績があったのが藤孝の家老松井康之で、秀吉から異例の石見半国の褒賞を提示される。
近衛前久は変の後、誠仁親王に樽酒を送り、お祝いの酒宴を催して成功を祝うが、毛利と細川の裏切りを知らず、秀吉の中国大返しに慌てる。変の首謀者として信孝や秀吉に追われる事になり家康に庇護を求めて落ちていく。 やがて、秀吉に藤原の身分を与え関白とする取引で中央に返り咲く。
いかがでしょう。
毛利の寝返りの理由が弱いけれど、毛利と秀吉の講和に関して記された、毛利家臣 玉木吉保 の身自鏡の一説 「毛利殿 おんはかりごと 浅からざる故 信長既に果てたまう」から毛利が変の首謀者の一人でその後寝返ったとしか思えない。
裏切りの立役者は、細川藤孝と毛利輝元という説で、今一番信じている説です。本能寺の変には100くらいの説があるらしい。 いずれにしろ可哀想なのは光秀。			
				村角 灯 さん
おもしろい!
なるほど、毛利の説明もつくし、納得
細川藤孝の裏切り者!
それと
村角 灯 さん、今日の俳句大会で1句読んでください。			
				村角 灯さん
面白い説ですねぇ😄
私自身は別の説ですが
玉木吉保の身自鏡は面白いですし、
なんと言っても、細川藤孝に毛利輝元、それに近衛前久・黒田官兵衛・小早川隆景とくれば、どんな陰謀があってもおかしくない!
ワクワクしますね			
				大河ドラマ『秀吉』【第12回 比叡山焼き討ち】
根本中堂山王二十一社を悉く焼き討ちにする比叡山攻めを決定し、家臣団に命令を下す織田信長(渡哲也)に、直言する明智光秀(村上弘明)の場面。
光秀『畏れながら申し上げます。叡山は伝教大師以来の国家鎮護の大道場として開山以来、六百余年、数々の名僧、学識を生み、天皇家におかれましても御信仰厚き地にござりまする。又、本願寺とは異なり、武力を持ち織田に抵抗しておる訳でもなく、浅井、朝倉を匿ったに過ぎませぬ』
信長『匿ったに過ぎぬだと!長政の裏切りにより、森吉成、弟、信興を失うた!それでも匿ったに過ぎんのか!!!』 
光秀『お許しくださりませ!此の光秀、親方様の御武運を案じ。。。』 
信長『小賢しい!!!』
光秀『仏法は天下の法にござりまする!万民が帰依する仏に火を放ち、学僧を殺さば、人は皆、親方様を悪虐の御人の如く申し。。』
信長『己れ!!!光秀!!!』 
太刀を取り、光秀を成敗しようとする信長の足元にしがみつく秀吉。
秀吉『明智様の申される通りでございます!!!否、此の猿めのおふくろ様も、おねも、決してその様な事が無き様、御仏に手を合わせておりまする!!!』
信長『猿!!!貴様ァ!!!』
太刀で秀吉の額を叩き割り、血を噴き出す秀吉を、雷雨が降り頻る庭へ叩き出し、鬼の形相で信長が 
叫ぶ。
信長『仏像などというものは、木と鐘と泥で出来た木偶人形の如きもんじゃ!!!儂の命に従わんのか!!!』
雨に打たれ、血まみれの秀吉が泣き叫ぶ。 
秀吉『ハッ、ハァァ!!!従いまするぅ!!!  此の猿、親方様が神でござりますれば、反抗など致しませぬ!!!  親方様に飯を食わせて頂いております!!!  命を繋げて頂いておりますれば!!!  叡山を全て残らず焼き尽くし!!! 
 全ての者を皆殺しに致しますれば!!!!。。。。』
秀吉はそのまま卒倒し気を失う。
信長『地獄なぞというもんは、人が作った絵空事じゃ!!!よいか!!!此の儂に従う限り、神仏など一切信じるな!!!何一つ怖がるでない!!!わかったか!!!』
信長が座を去り、雨に打たれ、血まみれで気絶した秀吉の身体を抱き抱えながら涙する光秀。  
叡山攻めの命に苦悩に喘ぐ秀吉は故郷の母のもとを訪れる。
私はこの時の苦悩する我が子・秀吉に同苦する母・なか(市原悦子)の台詞が忘れられません。 
なかが育てた真桑瓜(甘い瓜)をかじる秀吉。
なか『あみゃぁかい?』
秀吉『。。。。甘い』
なか『秀吉よ。。。。母ちゃんがお前の代わりに地獄に行ってやるで。かまう事はにゃぁ。地獄がなんだね。お前さんを信じとるよ。お前さんのする事に間違いはにゃあ。あんたは日輪の子だで。』
亡くなった父とこのシーンを見た時、父はしばらく泣いていました。
そして、母を亡くした後に再びこのシーンを見た時、私も涙をこらえる事が出来ませんでした。
大河ドラマ『秀吉』ダイジェスト、今晩放送です。			
				一文字さん
私も、その場面、覚えていますよ。BSならば、見れません。うちは、付けていません。付けるとインドア派になりそうで。確か、総合は選挙速報かな?チェックしました。父親が歴史や大河ドラマが好きで毎年欠かさず見てきました。
名シーンですよぬ、本能寺の変や秀吉、信長を扱ったシーンは。
BS、つけようかなあ。
幽斎の句の、憂し、少し調べます。山崎の合戦加勢をを断った事か。家族離れ離れの憂しか、神への、、、。彼はキリスト教徒になりたかったが、周りの反対から仏門へ?知っていたら、教えてください。
明日、図書館で調べて見ます。ある本では、ゼウスへの信仰と書かれていました。
朝イチ投稿、ありがとうございます。
俳句は打ち止めかしら?
君ならば、もっといい句が出ますよ。
お茶の間の母親、より。
会社にふらっと寄る際には、手ぶらでは行かないでね。会社の人は良さそうな人みたいけど、やはり、気は心、ですね。
余計な事、ごめんなさい。
身体に気をつけてくださいね(≧∇≦)
			
				一文字さん「秀吉」ダイジェストのダイジェスト、ありがとうございます(^.^)
今晩が楽しみです。
熱い、そして温かいドラマだったんですね…
そして、素晴らしいお母様だったのですね…			
				村角灯さん
自分も大枠、守旧派(朝廷・公家)と義昭・毛利に、反信長の謀略はあったように思います。藤孝が積極的に裏切らないでも、秀吉・官兵衛の毛利の水軍・援軍の切り崩しが進むと自然に、計画は秀吉にばれたのでは?光秀に暗殺をさせても、光秀天下にさせない計画は同時に進んでいたのですね。戦国時代、光秀は藤孝だけは信じたく目が眩んだか?
『麒麟がくる』だと、藤孝今のところ美濃を 追われた光秀のため浅倉はじめ各地に手紙を出してるいい奴なのだけど。兄の三淵藤英が信長に自害させられる等、友情よりも、存続をとる方向へ振れていくのか、秀吉に比べ、金経済への執着と実務力で、光秀は明らかに頼りなかったのか、さらにもう一勢力南蛮貿易・キリシタン大名が絡んでるところもありそうです。			
				一文字さん
ありがとうございます(^.^)
来週を楽しみにしています♪			
				竹中直人さんの「秀吉」楽しみにしてたけど、開票速報で来週なのか…
信長は渡哲也さん、光秀は村上弘明さん、秀吉の母なかは市原悦子さん、豪華だったんですね。
一文字さんの再現してくれた「叡山焼き討ち」の回、見たかったです。
麒麟がくるでもこういうシーン有るといいですね。 
なか役の市原さんは「おみゃあ」と尾張言葉なんですね。			
				 染子さん、俳句でも、色々お世話になり、ありがとうございます😆
 BS良いですよ😌地上波ではやらないようなまったりした番組やってたりします😅
 さて、幽斎キリシタン説ですが、可能性は低いと思います。
 特にそのような文献もないですし、そもそもキリシタン大名って、意外に少ないんですよ。
 ある理由があって二の足を踏む人が多かったんです。
 ご存知かもしれませんが、秀吉が禁止したのはキリスト教自体ではなく、領民の強制改宗や、争乱、奴隷売買等ですから、それではなさそうです。
 大名は許可制でしたが、それ以外は自由。息子の嫁のガラシャや妻のマリアもなっていますし、秀吉時代の幽斎は隠居でしたからOKと言う事です。
 多くの日本人が二の足を踏んだのは、有名な話ですいませんが、キリスト教は先祖を救わないと言う事です。
 キリスト教では、人は皆罪深く福音を知った者のみが天国に召されます。ですのでキリスト教の存在すら知らなかった先祖達は、天国に行けず、地獄に落ち、永劫業火に焼かれるのです。*)煉獄との考えもありますが、永劫でない可能性があるだけで業火に焼かれるのは同じ。
 ですので家柄を誇る名門大名は、あまりキリシタンにならない。大友宗麟くらいでしょうか?その宗麟も形上の信仰だったと言われています。「キリシタンを保護してるんだから武器よこせ」って手紙が残っているからです。
 幽斎は足利一門(三淵家・細川家)の名門。その幽斎が先祖の流れを断ち切ってキリシタンになろうとした可能性は低いと思うのです。			
				吉法師さん
幽斎とキリシタン大名の分析ありがとうございます。
キリスト教の中にある個人主義的な見方と、宣教後の人間しか救われないということに日本人は大きな抵抗があったということですね。
逆にガラシャは、この世の縁にそれだけ大きな絶望があったということなのか。
幽斎は、結果からみれば、家の存続という基準で最も合理的に行動して成功してますね。とても参考になりました。			
				吉法師さん、名門では信長の嫡孫の織田秀信はキリシタン大名ですよ。
それと、信仰しないものは永劫の炎で焼かれると言うのは、現在では某キリスト教系の新興宗教(個人名を名乗って勧誘に来るので弱ってます)等の一部の教派のみであり、日本の仏教関係者と友好的にローマ教皇も会見されています。殆どのプロテスタントも然り。当時はそうだった、と言うなら分かります。十字軍があり、ウィリアム・アダムスとヤン・ヨーステンを海賊で処刑せよと家康に迫ったのがイエズス会ですから。			
				 43さん
 ありがとうございます。
 纏めて頂き、ありがとうごさいます。
 そうですね。ガラシャの絶望は深かったのでしょうね。
 
 白い鳩さん
 そうですね(^.^)織田秀信もキリシタン大名ですね。
 系統的に名門より出来星ですので例に入れませんでした。まぁそれを言うなら大友氏も鎌倉初期まで遡ると良く解らない家系ですが…
 彼に関しても、お寺も保護してますし、高野山に向かいますし、自害説もありますので、どこまで敬虔かは不明と考えています。
 ご指摘、ありがとうございます。
 失礼しました。おっしゃる通り、当時のキリスト教ですね。
 軽率な文面、失礼しました。			
				一文字さんこそ、いつも色々教えて頂いて、ありがとうございます。
これからも、教えて下さいね(^.^)			
				スレ主さん、投稿者のみなさん、ごめんなさい🙏
削除されてますね、でも警告は出ますけど、アク禁にはなってないので、これまで通り投稿します。
私負けましたわの逆です。			
				女優様方,43さん、まことに有難う御座いますした。
御恩は一生忘れ無いつもりでございます。
			
				すみません、慌てて投稿したので間違えちゃった、女優さんと43さんの明るい笑い声が聞こえるようです。
まことにありがとう御座いました。
			
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