前スレを受けて「麒麟がくる」と歴代大河と日本や外国の近代以前のことを自由に語り合う「麒麟がくる」ファンスレです。アンチ・是々非々出ない限り「麒麟がくる」ファンは誰でも自由に参加できます。
特定他サイト他スレの批判は絶対お止めください。ネット全般なら規約の範囲の良識でご判断下さい。
他作品・他脚本家・他製作スタッフを下げて「麒麟がくる」をアゲルのはお止めください。俳優女優批判もゴシップ披露もいかなる場合も(刑事犯罪があっても)固くお断りします。
スレ主は各人の投稿へのコメントは原則差し控えフリートーキングにお任せします。朝晩の挨拶も都合でない場合もあります。トラブルの仲裁とドラマの感想を書くのが専らです。従って、従来の対話型スレではありません。皆さんの良識ある自治を信頼しフリートーキングにお任せします。
スレ主は全ての投稿者に公平に接します。古い付き合いの方も新規参入の方も公平なので遠慮なさらずご投稿下さい。
規約絶対順守はお願いします。他者へはリスペクトある態度で接して下さい。絡んだり喧嘩腰の対応は絶対にお止めください。明らかな規約又はローカルルール違反を認めた場合は注意喚起、警告、違反通報の順を踏んで対応しますが悪質な場合は粋なる通報のこともあります。
近現代の話は政治イデオロギーも絡む場合も多いので、このスレではご遠慮下さい。来年大河スレは別途ローカルルールを定めます。
「麒麟がくる」ファンの他に大河ファン、出演者のファンの方々のご参加をお待ちしています。
アンチ・是々非々の方はお断りしますが建設的批判提言は歓迎します。
スレ主から投稿のコメントがなくても無視ではなく誠実に読ませて頂いていることをご理解下さい。質問には分かる範囲でお答えします。但し、感想欄をどう思うか等のスレの趣旨と乖離した者にはお答えできません。
			
				昨夜遅くに前スレの投稿が1000に到達したことに気づかず、新スレを立てるのが遅れ、皆さんの多大なご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。
前スレ同様に活発な投稿を期待しています。よろしくお願いします。			
				1000に投稿して、また、一番乗りしました。
新スレ開設、おめでとうございます。フリートーク進行、うまく流れていますね。
今夜は大河、Nスペ、お見逃しのないように。
			
				新スレ開設おめでとうございます🙌
🎉🎊🎉
今日の大河は『利家とまつ』見る予定です。
よろしくお願いします。			
				 スレ主さん、ありがとうございます。
 ホント今日は、大河『利家とまつ』、Nスペ『秘められた征服計画』楽しみですね(^-^)/
 			
				スレ主さん、新スレおめでとうございます㊗️
皆さんがバラエティに富んだ投稿してくれて、話題が尽きず大盛況ですね。
染子さん、遅くなりましたが、ヒストリア三好長慶やっと見ましたよ。
私は三好長慶全く知りませんでした。
信長よりも前に「天下人」がいて、戦に鉄砲を取り入れていた戦国武将がいたなんて想像も出来ませんでした、新資料が見つかると歴史の常識もどんどん変わるものなのですね。
それに三好長慶さん、京都を抑えていたので将軍義輝とも関係が深いんですね。
ところで二階堂ってのはトクヨです。
トクヨのハンネちょっと飽きて来たので時々苗字の二階堂を名乗らせて下さい。			
				スレ主さん、皆さん、こんばんみ(^^)/
新スレスタート記念おめでてうござますm(__)m
また宜しくお願いしますm(__)m			
スレ主さん、他投稿者の皆様、こんばんは。投稿させて頂きます。1000件到達+スレ2開設おめでとうございます!自分はこのスレはほぼロム専ですが投稿させて頂いた際はよろしくお願い致します!
				二階堂が、ご本名ですか?
たまげた〜〜‼️また、まったりと菅原道真の事、話したいですね。平安時代、トイレはありませんでした。さて、貴族たちは天皇は、どうしていたのでしょうか。足利義輝のイメージ壊されまーす。
一文字さん、おめでとうございます。今夜のNスペ考察、また、お願いいたします。
脚本家みたく!
二階堂ふみさん、また、ね。
			
				染子さん
ごめんなさい、書き方悪かったですね。
「二階堂トクヨ」さんの苗字という意味です。
私の本当の苗字はありふれた姓なんですが、結婚前の旧姓がかなり珍しい苗字だったので、「山田」さんとか「山本」さんとか、よくある苗字に憧れていたので、今の苗字が好きです。
利家とまつをご覧になってるのにお邪魔しました。
ショーケンの光秀、涙が出て来ますね。			
				わかりました。
Nスペ、面白いですよ。実は、NHK出版からの後半ガイドブックを購入。なかなか細かく書いてあり、、。言いません。だってドラマですからね。
だあれも永遠にわからない謎に挑戦するよりも、ドラマのイケメンを楽しみましょう。反町信長、素敵でしたね。
では、トイレ問題、考えておいてくださいね。
			
				染子さん、おまる、ですね。
高貴な人にはおまる専門の世話係、侍女がいたみたいですね。
宮尾富美子さんの歴史小説に「ひつまし」(おまるの掃除係の侍女)が出てきます。			
				新スレ②😍👍✨🎉🎊🎉🎊🎉🎊
おめでとうございます🎶
これからも、投稿及び勉強させて頂きます(。ᵕᴗᵕ。)"♡			
				十二単なんかを着ていたら、一人で用を足そうとすれば全て脱がなければならず、簡単ではなかったはずです。時代劇で着用する女優は一苦労だそうで、覚悟を決めて水分を控えるのだとか。今はおまるや侍女を使うわけにはいかないでしょう。最悪成人用おむつを使うという手はあるでしょうけど。
ちなみに、男性でも将軍クラスだと「公人朝夕人」という、尿筒を持つ役職が存在しました。出先で尿意をもよおした時に服の隙間から挿し込むわけです。			
				反町隆史の信長
初めて見て、なんじゃ?こりゃ!
なんとも色っぽい。
男が惚れる、ってこういう事か。
カリスマ性が凄くて震える。			
				白い鳩さん、新しいスレ開設おめでとうございます。
🎉✨😆✨🎊💐💐💐
今日の大河スペシャル、信長(反町隆史)の「で、あるか」強烈すぎでしょう!			
				利家とまつ、当時は「トレンディ大河」と言われて、あまり熱心に観てなかったのですが、今日久しぶりに見たら、なかなか良かったです。
まだ香川照之さんがメジャーでなくて知らなかったもので、ずっと秀吉役を「ギバちゃん」だ勘違いしてました。「ギバちゃん、また秀吉をやってる」と思っていました。
さすがにお寧の、ノリピーは出て来なかったですね。
Nスペで「戦国時代、日本は世界的軍事大国だった」と言ってましたね、以前ここでそう書いたら、チコさんたちに「そんなことない」って言われましたけどねー。			
				スレ主とあろうものが今日の「利家とまつ」見るの忘れてた。「必殺仕事人」は見たけれど。
ほぼ全話見てた作品なので土曜日に見ますね。
ごめんなさい。			
「軍事大国」の定義にもよるのだろうけどね。今でもそうだが、外国を攻めるような装備をしていなかったのは事実で、秀吉の朝鮮出兵も大失敗している。
				トクヨさん
 まだNスペは見てないのですが…(^.^A
 (ですので違ってたらすいません。)
 様々見方はありますが、おっしゃる通り「戦国時代、日本は世界的軍事大国だった」と言う見方もあると思いますよ。
 日本を諸外国から守れると言う意味ですよね?
 スペイン・ポルトガル軍は、大航海時代に先立ちレコンキスタ(イスラム教徒からのイベリア半島回復運動)で戦争経験をし、銃もありますから、世界トップレベルの強さです。
 実際に、フィリピンを植民地にしています。
 しかし、兵の質的には日本も負けていないのです。
 1600年代でもタイに攻め込んだスペイン正規軍を、棄民的存在ともいえるタイの日本人傭兵団が撃退しています。
 そして質の次は兵の数ですが、人口差も大きいのです。
 当時の日本の人口は約2000万人。スペインの800万人、ポルトガルの100万人より多い。日本は彼らの数倍、数十倍の兵力を持っていたと言う事です。
 日本防衛の観点で見ると、スペイン・ポルトガルが遠征軍であり、ガレオン船の乗員数を考えると、その差は更に広がります。
 もちろん無敵ではなく、唐入りでも、戦闘自体はともかく、補給・交渉面中心に、苦戦もしています。
 明も当時の世界的軍事大国でしたし、19さんの言うように、海外を制圧するような戦いには不慣れだったようです。			
				連投失礼します。
 染子さん、二階堂さん、せっかくですので、三好長慶に関して少しだけ…
 確かに、有名じゃないんです。
 でも、地元(大阪)なので、応援しちゃいます(^_^)
 阿波が本家地元ですが、讃岐・摂津も準地元と言う事で…
 
 ヒストリアで言われたような理由もあるのですが、三好長慶は、信長のように天下布武・天下静謐を求めて天下人になったのではなく、結果として天下人となったと言う様に見られる事が多く、あんまりクローズアップされないんです(^.^)
 守護代 三好長慶が行ったのは、守護代・国人達の自衛・権力主張とも言える、守護 細川家への下克上。
 斎藤道三が美濃の土岐氏を、朝倉氏が越前の斯波氏を、下克上したのとほぼ同じです。
 ただ、三好長慶の場合、下克上の相手 守護細川氏が、ただの守護じゃなかった。管領で半将軍とも言われる天下人的立場。その天下人を下克上した為、結果的に天下人となったと見られるんです。
 鉄砲で戦死者を出した初めての戦いが、三好長慶の戦いなのは事実ですが、『言継卿記』に因ると、三好長慶は撃たれた方。撃ったのは幕府軍です。
 つまり、鉄砲を初期から使っていたが、相手より優越していたとは言いきれない。
 だから、ちょっと地味ですよね(^.^A
 しかし勢力は凄かった。阿波(徳島) 摂津(兵庫・大阪) 讃岐(香川)を根拠地に勢力を拡大。
 最大時で13ヵ国、300万石近いを地域を統治下に置いたと言われます。当時の大大名、出雲尼子 6カ国、安芸毛利 4カ国、駿河  今川 3カ国、甲斐武田 2カ国と比べても別格です。
 天皇ともしっかり関係を結んでいますしね。
 信長とは比肩できないかもしれませんが、地元の英雄だと思っています(^.^)			
戦国時代の戦というのは派手な合戦が主役ではなくて、斎藤道三や毛利元就みたいに謀略が主役だったのではないかな。そういうことができるのは考え方や価値観が似ている日本国内に限定されるもので、文化が全く違う外国と戦争をしようとすれば戦力が全てになってしまう。元寇の時に「文永の役」では国内の戦争と同様一騎打ちで戦おうとして完敗している。元軍が深入りせずに一旦引き上げたことが幸運だったにすぎない。
				おはようございます。
トクヨさん、そうです。部屋に用を足す器があり、移動時はその係のものが、器を持ち歩いたようです。捨てる場所は決められていたようですが、庶民農民と同じく適当でしょうね。臭かったし、疫病も流行ったと思います。日傘がありますが、アレは、同じく、二階から汚物を捨てるため、それを避ける為にできたものみたいです。イギリス発祥だと思います。 、確か。
十二単、朝廷行事と華やかな平安時代にこそ、嫉妬や陰謀があったかと思いました。戦国の力強いそれではなく、陰湿なそれです。
吉法師さん
昨日は染子デーにお越しくださいまして、ありがとうございます。また、ユニークな事、あの句、気に入っていましたが、また、初歩の方もいらっしゃるので、あの結果となりました。ありがとうございます。
柔軟な考え方ができる方とお見受けいたしました。当時の日本勢力図からしますと、信長は尾張の大名に過ぎず、三好長慶は畿内を中心にまとめていた事、よくわかりました。今は東京が中心ですが、794〜〜1603まで、実に850年間にわたり、政治、経済、商業の中心地でしたよね。
三好長慶は知っていて、ドラマでその名を耳にしておりました。しかし、通り過ぎるだけで、印象に残りませんでした。吉法師さんのご説明、なるほどです。
やはり、道長、清盛らが天皇の妃に自分の娘などを嫁がせた事、天皇との姻戚関係、繋がりを誰しもが願っていたのですね、武士の時代とはいえ。
私は戦国大河も見てきましたが、イマイチでした。しかし、麒麟から、そこには野望や人情、悲哀もある事がわかり、ハマっています。
畿内の方のお話には説得力があります。私は駿河のど真ん中に住んでいます。麒麟大河のおかげ様で、いつも、なんとも思わないで通り過ぎていた、家康像、竹千代像など、大変身近に感じられるようになりました、深入りしないで受けとめたいです。
駿河はもう30度、歩いて、図書館に行きます。吉法師さんも、ご健康にはお気をつけくださいませ🌻🌻🌻💁🌂			
				14さん、15さん、19さん。
スレ主さん、やうぼさん、ラングドシャさん、一文字さん、染子さん、吉法師さん、投稿ありがとうございます、多くの方にコメント頂いて嬉しいです😆
吉法師さん、戦国時代の日本が世界有数の軍事力を保持していた、というのはもう随分以前から言われていた定説だと思います。いつもドヤ顔の5歳児が知らなかったとは迂闊でしたね。
おっしゃる通り、当時から日本はヨーロッパ諸国より人口が多いし、戦に明け暮れている戦国時代なので、軍事訓練を受けた兵が多数。
国産化に成功した鉄砲の保有数も世界一だったという話ですね。
隆盛を誇っていたイスパニア(スペイン)も、ルソンなどの彼らがアジアに持つ植民地に日本が攻め込んだら、と驚異に感じていたのではないか、と思われます。(これ、前にもこのスレに書かせて貰いました)
			
				戦国時代の日本が軍事大国だったかという問題に関して私の考えはYes & Noです。
その理由は戦国時代の銃に関する状況は、第二次世界大戦前の ABCD 包囲網と同じだと思うからです。
ABCD包囲網で、石油の輸入を止められ、日本は インドネシアの石油資源を求めて無謀な戦に突入せざるを得ませんでした。飛行機も軍艦も動かせないからです。 石油がなければ、日本の産業自体も瀕死の状況に陥った事でしょう。
秀吉が朝鮮出兵した当時、日本には30万丁もの鉄砲があり、世界一の保有量でした。しかしそれを利用できなければ無用の長物です。
鉄砲を活用するには、硝石、硫黄、鉛が必要ですが、この中で自給できるのは硫黄のみ。 硝石はほぼ100%、鉛は70%を輸入に頼っていました。 その輸入相手はスペイン、ポルトガルです。中国ルートもありましたが、スペインによって消滅させられます。
【1】フィリピンに侵攻した場合
スペインポルトガルを相手に戦おうとしても、この2つの輸入を止められたら日本はおしまい。アドバンテージなしです。
【2】朝鮮、明に侵攻し、スペインの後押しがある場合
その場合は、日本は軍事強国だったと思います。 しかし、秀吉とスペインの関係は破綻します。 破綻の理由は九州制圧後にイエズス会があなどれない力を持つに至っている事を察知したからと言われています。
	イエズス会の日本人奴隷関与、コエリョのアホな弁明
	サンフェリペ号乗組員からのイエズス会の侵略への関与説明
	大村純忠の長崎港のイエズス会への割譲 (秀吉の権威を落す行為)
	九州制圧前にスペインから最新鋭軍艦を2隻購入する約束していたのに、ポルトガル海軍によって拒絶された事
などで、秀吉がイエズス会の本質に気が付いた? というより、今まで気が付いていても勢力が小さいから大丈夫と思っていたのに、キリシタン大名ネットワークなども作り想像以上に力を持ってしまい、危険領域に達したと判断した事によります。
昨日の NHK Special 戦国は おおよそ安部龍太郎氏の説に従いながら、少し発展させていて 「確かに」と思う所と、「それは違う」的な所が混在していました。
【発展させている所】
安部龍太郎説では、秀吉の朝鮮出兵、明国制覇の野望も本能寺の変の際のスペインとの密約を果たすためとしていました。しかし、それでは秀吉がフィリピンに朝貢を求めたことは確かに矛盾点になります。
【それは違う所】
鍛造法により不純物が少ない鉄砲の作り方を編み出したのはたしかに日本独自かもしれませんが、そもそも前提がおかしい。
銃身というのは、芯になる棒に鋼を巻き付けて焼き、芯の棒を取り出して作ります。 巻き付けるのですから、その鋼は柔らかいもの、かつ強度を持ったものでなければなりません。それを軟鋼というそうですが、軟鋼を作る技術が日本には無く100%輸入に頼っていました。 結局、明治時代までこの技術を自製化できなかったそうです。 いくら鍛造法で優秀なものを作ったとしても銃そのものを作れないのでは意味はないですね。
それにしても、NHKでここまで踏み込んだ番組を作れるんですね。 驚きました。 次回がとても楽しみになりました。  イエズス会が日本の歴史に及ぼした影響。キーは毛利氏です。本能寺の変も毛利氏とイエズス会の関係を絡めて考えれば、真相が見えてくると思っています。
			
				村角灯さん
スペイン、ポルトガルはアジアに持つ植民地から硝石を調達、それを(鉄砲には必需品だが輸入に頼るしか無かった)日本に提供するのと引き換えに、信長などにキリスト教の布教を迫ったんですよね?
ここからイエズス会の「本能寺の変陰謀説」が導き出されるのだと思ってました。毛利さんが関係しているんですか?			
				こんにち(^^)/は
皆さん、昨夜の話で盛り上がってますね!
私は今日は病院です。
帰宅後に録画したNスペ見ます(^^)/			
				染子さん、江戸時代の日本になるとトイレがあったけど、同時期のパリでは、窓から道に汚物を捨てていたので、道路を歩く時それを避ける為、男性もハイヒール👠を履いていた、と確か、世界ふしぎ発見のクイズでやってました、ベルサイユ宮殿にもトイレはなくて庭などで排泄してたとか。
そんな良質(❓)な情報は決して呼び捨て5歳児の番組ではやってません。
ですから江戸はパリよりは清潔だったらしいです。
江戸ではトイレの汚物は農家が畑の肥料にするので引き取りに来ました、江戸はリサイクル文化都市でした。
畑の方は寄生虫などあるので作物は安全ではないんですけど、衛生観念も医学も未発達なので、仕方ない時代でしたね。
汚い話ばかりすみません。			
				トクヨさん?二階堂ふみさん?
私はトクヨさんがいいなあ。変えるならば、綾小路とか徳川とか、麒麟っぽい名前にして欲しかったなあ。トクヨさん、日本は川で洗濯、洗い物でしたから、風呂もトイレもそうだと思います。南半球はわかりませんが、東南アジアの複数の国、オランダなどでは、ボートピープルがいて、生活用水を川に捨てますから、、、。わかりますよね。20年前の話です。
日本は清潔な国、世界一です。しかし、風呂、銭湯文化は江戸からだと思います。
Nスペ、興味深々でした。
キリスト教からの中国進出、日本が軍事大国⁉️
話が一面的だなあと思いました。そればかりではないと思います。
私は、普通に、しかし、光秀を悪いイメージにしないような展開にしていくと思います。過去大河信長出演部分多い、Nスペ、ヒストリア、知恵泉などNHKが視聴者離れを食い止めようとしていることがエライと思うと同時に、ご苦労様です、と言いたいです。
ここに来ても、主人公明智光秀、蚊帳の外感、かわいそうですね。
皆さん、今週、土曜日43さんクイズ(ク泉)デー、日曜日染子句出づデーやります。いらしてくださいませ。スレ主様、すれ違い、申し訳ございません。
吉法師さんは、場を和ませる、新しくいらした方、吉法師さん、また、いらしてくださいね。
			
				前スレ>>822 >>907 >>954の続き
【戦国時代の武器のおねだん(丁)④】
『鉄砲編』
そして、戦国時代の戦場において最も印象深いのは、16世紀半ばから日本で急速に普及した鉄炮である。
織田信長をはじめ、多くの大名にとって垂涎の新兵器だったが、当時の鉄炮の価格を示す史料は残念ながらほぼ皆無である。というのも、16世紀後半になって実戦に用いられるほど鉄炮が普及してくると、いくつかの大名は職人を配下に抱えて自ら製造させたり、大名ではなく家来たちが自前で用意したりするようになり、彼らがどれくらいの費用をかけて調達しているかがわからないからである。
しかし、手がかりとなる史料もまったくないわけではない。天正9(1581)年に、小田原北条氏が配下の池田孫左衛門という人物に課した軍役を記した史料がある(『中世法制史料集』第5巻1013)。それによると、20貫文分の負担として「鉄炮侍」2人分が計上されている。
北条氏では、家来として抱えられた職人衆の日当が50文に設定されていた(『小田原衆所領役帳』)。戦時と平時を同一視することには問題はあるが、ひとまず双方とも同じ賃金だったと仮定すると、2人分の射撃手の1日当たりの手当は100文となる。兵卒の自己負担分は1ヵ月分が相場なので、上記負担も1ヵ月分と仮定すれば、狙撃手の人件費は合計3貫文となる。20貫文から人件費を除けば鉄炮の費用となるので、2挺で17貫文、1挺では8貫500文となる。
現代の価値にすれば、1挺当たり50万〜60万円と見積もられる。別の史料をもとに鉄炮の費用を検討した先行研究でも、おおよそこのあたりの金額が見積もられているので、ひとまずこれくらいとして無理はないだろう。
仮に大名が鉄炮をすべて用意することになった場合はどれくらい支払うことになるのか。数字は諸説あるものの、天正3(1575)年の長篠の合戦で織田信長が少なくとも1000挺の鉄炮を準備したとされているが(『信長公記』)、上記の単価によるならば、その費用は合計8500貫文、現代の価値にして5億〜6億円ということになる。当時の金銭感覚でも破格の費用を要したことは確かである。商人から購入するよりも、製造技術を持つ職人を抱える方がはるかに経費を節減できたはずなので、大名が職人を抱えようとするのは合理的選択だった。
以上を踏まえて兵士1人当たりの装備を見積もると、一式でおよそ10貫文(現在では60万〜70万円)程度、鉄炮を加えると20貫文(130万円前後)程度といったところになりそうである。もっとも、先にも触れた通りこれは基本的に家臣や個々の兵の自弁が原則だった。つまり大名が直接まかなったわけではないが、あくまで軍勢全体の経費として考えれば、1000人の軍勢にすると、現在の価値で数億から10億円程度の経費がかかったことになる。もちろんこれに兵糧が加わるので(兵糧を運ぶのは百姓たちだが、彼らは無償労働が原則だった)、経費はさらに膨らむことになる。
◎まとめ
・1挺(8貫500文)現代では50〜60万円
・兵士の装備一式で(10貫文)現代では60〜70万円
・鉄砲含むと一式で(20貫文)現代では130万円前後
・長篠の戦い1000挺(8500貫文)現代では5〜6億円
・1000人の軍勢全体のコストは現代では10億円
◎感想
私みたいな歴史音痴には『麒麟がくる』を観てからこういった調べものをすると流れが繋がって良い復習になります。
楽市楽座...
織田信長は金持ちだったから天下一歩手前まで行ったのではないでしょうか!?
一文字さん
【戦国時代の武器のおねだん】は川戸貴史氏の『戦国大名の経済学』からの引用なのですね!知らずに引用しておりました(汗)
私はこのような視点から検証するのが好きです🎶
染子さん
英語を使うのはキャラなのでお許し下さい(笑)
『NHKスペシャル』は録画しておりますので、観たら感想を投稿させて頂きますm(❁_ _)m
To be continued..........			
				すみません。まだNスペ確認していないのですが、村角灯さんに質問です。
軟鋼を作る技術が日本には無く100%輸入に頼っていたとの事ですが、日本刀製作の本三枚鍛えや四方詰めなどの鍛刀法で鍛造される刀身の核となる芯金は軟鋼ですよね。
この『軟鋼』と村角灯さんがご指摘の『軟鋼』は別の素材という事ですか?
			
				マドモアゼル     シャ
英語はいいです。
違う意味でいいました。これ以上は。それにしても、お金に興味がありますね☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
ヒストリア?あたりで、信長は天下統一は目指していなかったと説明がありました。
Nスペ、流し見でした。スペインの目的は日本へのキリスト教布教の裏側に、半植民地化はなかったのでしょうか。
一番の疑問、「世界一の軍事大国」16世紀ヨーロッパはもっと軍事大国だと思いますが。種子島から伝来した銃、ポルトガル、スペインの方が軍事には長けていたと思いますが。
吉法師さん、考えを聞かせてくださいね。
			
「黄金の国ジパング」だからこそ輸入品の火薬や銃器の原料を大量に導入できたのかなあ。その代償として大量の金銀が海外に流出したことだろう。
				24様
吉法師さんは菅原道真がこちらへの投稿が少なかった頃、太宰府天満宮に関するクイズ問題を出してくれて、場を和ませ、そこから投稿が徐々に増え、新スレへと漕ぎ着けました。言わば、助け人です。
彼は、柔軟な考え方をこちらのスレに吹き込むだろうと思いました。『いつも5歳児のようなドヤ顔のあなたが知らなかったとは迂闊でした』は、このスレが気に入って、これから常連さんになってくれるかもしれない吉法師さんがかわいそうです。
ここに書いたのを見逃したかもしれません。私も記憶にはありません。
IDから、あなたがどなたかは一目瞭然。あなたの役割は、大歓迎することだと思います。心に裏打ちされた知識や見識が心を打つと思います。
彼は昨日の俳句会にも来てくれました。できるかなあと言いながら、ユニークな、実にユニークな俳句を詠みました。約束を守る方だと思いました。
ドヤ顔など思いもしませんでした。寧ろ、その反対です。クイズも、全員正解としていましたね。もう来ないかもしれませんが、いらしたら、麒麟組に入るように導いてあげてくださいね。
よろしくお願いいたします。
💮お茶の間はみんな楽しくお茶飲むところ
ある方の川柳です。まさに吉法師さんは、こんな方だと思います。
吉法師さんが再び現れることを願います。
失礼いたしました。			
				皆さん、こんばんみ!(⊙ꇴ⊙)>
NHKスペシャル『戦国』、視聴済みました。
ん~正直、既視感は否めないかな~(^^;
あのバチカン所蔵の史料文献からの日本征服に関する引用文は『ドン・ロドリゴ日本見聞録』の一節と全く同じでしたが、あれは江戸時代のものですからね。
浪漫としては面白いと思いますが、第2弾の方が楽しみですね。
			
				スペインのポルトガル併合が1580年。翌1581年に信長が光秀に命じて京都お馬揃え。そこに主賓客格で、イタリア貴族出自のヴァリニャーノ登場。お馬揃え後、信長不機嫌で魚が腐ってたと光秀を激しく叱責。ヴァリニャーノに鮒寿司だしたかは不明。
ヴァリニャーノが、ポルトガル人でもスペイン人でもないのは、イエズス会の何かの事情を反映してるのか?ポルトガルの南蛮貿易が。船主商人等の利益が主目的だった。しかし、スペインは、ポルトガルからユダヤ人を追放したため、彼らが移住したオランダアムステルダムが、スペインから独立。オランダとスペインとの間でポルトガルの植民地を巡る争いが激化した。という状況を背景に持っている。そのためスペインは日本との関係に植民地に関連するような領土を巡る政治的な目標を入れてきた可能性がある。
信長は最初ヴァリニャーノを非常に気に入ったと伝えられる。合理主義者同士で話が速かったからかもしれない。
しかも、信長には天下統一後の唐入りの誘いが南蛮系からあったという話もある。天下統一途上の論功行賞の報償のため領土拡大が必要というのも一理あるが、楽市楽座により、地域間貿易発展による経済成長を実感していた信長には、それが唯一の方法とは考えられない 。逆に唐入りし、国内戦とは異なる戦いの兵站確保が、船無し・火薬無しの日本に見通しがつかないことも信長には明らか。先ず貿易発展と情報取得優先の信長の発想の延長には、海外交易を発展させ、海外事情の情報を入手するための貿易船の入手があるが、スペインは拒否。
信長にも、南蛮貿易の背景にあるスペイン側の事情がわかり、互いに譲れない構造も明らかで、ヴァリニャーノと決裂。
結果として、天下統一に至った過程の全ての論功行賞を公正に行えない可能性が生じる。光秀ー長宗我部ー毛利ー義昭よりも、織田家ー三好ー秀吉を優先する方向を表明。それを知った、反信長勢力(義昭ー毛利ー本願寺(仏教)ー近衛前久ー朝廷) は、光秀を擁立。
鉄砲を沢山持ってても、スペインのポルトガル併合→オランダ・イギリス(プロテスタント)vsスペイン(カトリック)の植民地争い→東アジア情勢への影響
という世界史的な流れには、全く影響力のないのが世界有数の軍事大国日本の実態では?			
				一文字さん
軟鋼の話は 安倍龍太郎さんの 信長の革命と光秀の正義 からの受け売りです。そもそもの出典がどこか探ってみます。
タイ産 鉛 の話は、大航海時代の日本と金属交易 からの引用ですね。 鉛には4種類の同位体がありその比率から産地を特定できるという。
			
				皆さん、おはようございます!(^^)/
村角灯さん、ありがとうございます。m(_ _)m
安倍龍太郎さんの著作ですね。わかりました。
鋼鉄素材は炭素含有量が高い程硬くなるのですが、炭素2%以下で軟鉄(軟鋼)になるといわれています。
ただ日本の刀鍛冶の実力は凄まじく、この炭素含有量を極限まで除去し、軟鋼よりはるかに柔らかい『包丁鉄』という状態も精錬出来ます。
安倍説は自分も初なので、ご紹介の本、読みたくなりました(^^)/
後程、安倍説とは別に私の知る限りの国産火縄銃製造についての情報も投稿させていただきますね。
村角灯さん、朝からありがとうございます。m(__)m
			
				日本には大砲の技術は大丈夫だったんですか。
オスマントルコ帝国は難攻不落の東ローマ帝国のコンスタンチノープル要塞をウルバンの巨砲と言われる大砲で砲撃し攻略(1453年)。
その後も第一次第二次のウィーン包囲で(1529年、1683年)神聖ローマ帝国、ポーランド王国等のヨーロッパ諸国を圧倒、1538年のプレヴェザ海戦でもオスマン海軍はスペイン、ベネチア等のヨーロッパ諸国に勝利、1571年のレパント沖海戦で敗れるが優位は変わらなかった。
アジアでは明の遺臣鄭成功にオランダ軍が1661年に澎湖諸島ついで台湾南部のゼーランディア城を攻略されインドネシアにオランダ軍は潰走。
つまり、産業革命以前の欧州軍の軍事力は古代文明のインカ帝国アステカ帝国には圧勝できるが、オスマントルコや明には歯が立たないレベル。
で、日本は世界最強の軍事大国か。島原の乱では徳川幕府の老中・松平信綱がオランダ海軍に依頼してゴーテリング法で艦砲射撃を依頼。肥後藩の細川忠利は一揆の鎮圧に外国海軍の加勢を頼むのを批判している。
文禄慶長の役の秀吉側の鉄砲は銃身も長く明や李朝のものより優れていたが、大砲技術が劣っていた感があり、世界有数の軍事大国とは思えないんだが。			
39はスレ主としてでなく、一個人として参加させて頂きましたので「白い鳩」のハンネで書きました。
				【国産火縄銃製造について】
鉄の硬さは炭素の量で決まり、炭素含有量が多いほど堅くなります。
炭素含有量が2%以下のものを「鋼」
炭素含有量が0.2%以下のものを『軟鉄』『軟鋼』
炭素含有量が0.1%以下の鉄を『包丁鉄』
炭素含有量が2%以上のものを『銑鉄』『鋳鉄』『銑』(ずく)
と言い、炭素含有量が多いほど低い温度で溶けます。
日本刀は炭素濃度が低い(0.1~0.3%)軟らかめの鉄《心鉄》を、炭素濃度が高い(0.5~0.7%)硬めの鋼《皮鉄》で包む造り込みで製作されます。
日本刀に適した鋼に変える成分調整の工程は『卸し鉄(おろしがね)』と、それを均一化して精製し、皮鉄の素材に仕上げる『折り返し鍛錬』という二つの工程があり、『卸し鉄』は炭素濃度を0.5~0.6%に調整しますが、低炭素の鉄(炭素含有量0.1%以下の軟鉄、包丁鉄)に炭素を含める『浸炭』と、逆に高炭素の鉄(炭素含有量3~4%の銑鉄、銑)から炭素を除去する『脱炭 』という工程があります。
火縄銃の銃身となる炭素含有量の微少な鉄鋼素材はこの脱炭という工程で鍛造されます。
国産火縄銃は、近江・国友、和泉・堺および肥前・有馬が主要産地として知られ、中でも国友では鉄砲生産最盛期に70余軒の鍛冶屋と500人を超す職人がいたと言われています。
国友鉄砲鍛冶の銃の製造方法および銃身に用いられた鋼については、江戸時代に国友藤兵衛一貫斎が著した『大小御鉄砲張立製作』に記されています。
これは、従来秘伝として口承で伝えられてきた鉄砲製作の方法を簡潔に記したものです。
この中で銃身に用いる鋼原料としては、出雲・播磨のものが良く、次に備中・備後が良く、陸奥・仙台・安芸の広島はそ
の次、等といった記載があり、国友鉄砲鍛冶は銃身に用いる材料を厳選していたことがわかります。
【NHKスペシャル『戦国』感想~戦国日本は世界的な軍事大国といえるか】
結局、中世日本は中途半端な軍事大国だったという事だと思います。
鉄砲と陸戦兵力の精強さという点では、後にフィリピン総督のロドリゴ・デ・ビベロに『スペインの軍事力を持ってしても征服は不可能』と言わしめる程、充実していたのは間違いないでしょう。問題は海軍力です。
信長がサン・ファン・バウティスタ号の様な日本式のガレオン船を数十隻も保有していたら世界的な軍事大国だったと言えるかも知れません。
世界最強の陸軍を有しながら、海軍力は脆弱な規模で、もっぱら潜水艦(Uボート)戦術に依存していたナチス・ドイツの様なバランスを欠いた軍隊編制のイメージです。			
				39訂正。
× ゴーテリング法
○ ゴーテリング砲			
				ふと疑問が。
37で 一文字さんと呼びかけましたが、どこまでが姓でどこからが名前でしょうか。
一文字三郎が姓だったら 一文字さんではなく、一文字三郎さんと呼びかけるべきでした。
大阪大学理学部の教授で 文珠四郎 秀昭 という高名な研究者がおられます。 彼の場合、文珠四郎が姓なので、一文字さんの場合も 一文字三郎 さんと呼びかけるのが正しいのかな? と 			
				近現代史は政治思想が絡むのでローカルルールでご法度が原則ですが純粋に軍事面のみなので。
ドイツのティーゲル1戦車(ケーニヒスティーゲル)はソ連のジューコフ元帥のT34号戦車に戦局終盤は勝てなかったのではなかったのですか。ドイツ海軍は大艦巨砲主義にこだわり、ビスマルク、ティルピッツに依存してましたね。航空兵力重視の日米の方が進んでいたのはその通りだと思います。			
				【大砲について】
この時代の大砲はいわゆる『大筒』と呼称され、短砲身で銃口が大きく、現在でいえば榴弾砲に分類されます。
短砲身の為、射程距離も短いのですが、大口径の為、装填砲弾も大きく、至近距離の標的を撃滅させる効果があり、発砲は前装式で砲口の先から火縄を伸ばし火薬に点火させる方式で、砲弾は金属製の球弾です。
功城戦や対船舶戦に使用されていました。
『和製フランキ砲(石火矢)』は速射性に優れたカートリッジ型の後装式砲で、国内では毛利水軍が瀬戸内海で織田方の九鬼水軍との艦隊決戦の為に艦船に装備した事が記録にあります。また九鬼水軍も『和製フランキ砲』を装備していました。 
文禄慶長の役でも使用され、朝鮮での攻城戦で活躍しています。
『大鉄砲』という火縄銃を巨大化した携帯型の火砲もありました。
角度と火薬の量により3㎝砲弾を1km飛ばす事が可能でし、火縄銃と同様に火縄で砲身側面の薬皿に発火させます。
『大鉄砲』には砲身を長くして台座に固定したタイプもあり、文禄慶長の戦いでも投入されています。			
				一文字三郎直虎さん、大砲の専門解説ありがとうございます。知らなかったことが多くとても勉強になります。
ただ、堅固な城塞が多い欧州で使用されたオスマン帝国の大砲と比べて破壊力や飛距離はどうだったのでしょう。1588年のアルマダの海戦でスペイン・ポルトガル海軍を破った英国海軍、オランダ海軍の砲撃と比べた場合はどうか。
明・李朝連合軍も政権末期で1619年のサルフの戦いで後金(後の清)軍に惨敗するレベルでしたし。			
				白い鳩さん、ありがとうございます。m(__)m
ドイツ陸軍とソ連陸軍の精強さは戦車の性能だけでは単純に比較出来ませんよね。
軍事力の背景には大量生産を可能にする戦略物質や人的資源などの国力自体が問われますから。
私は中世日本の軍隊編制が陸・海のバランスを欠いていた事を例える意味に限定してナチス・ドイツの軍隊を参考にしただけです。			
				この時代の陸軍最強国はスペインやオランダ、英国ではなくオスマン・トルコ帝国だと思います。
戦国日本の陸軍力がこれら軍事大国と比肩出来るかどうかは詳細な情報を持っていませんが、少なくとも当時のスペイン人に、日本を軍事力で屈服させる事は不可能であり、デウスの福音を宣伝して民衆の心を征服するしかないと、認識させるだけの武力が存在していた事だけは、史料から伺えます。
サルフの戦いでの明軍は指揮命令系統が破綻した雑兵集団だったと記録にありますね。			
				村角灯さん、ありがとうございますm(__)m
一文字で大丈夫ですよ(^^)/
一文字三郎直虎は黒澤明監督の映画『乱』に登場する武将の名前です。姓は一文字、名は三郎直虎になります。m(__)m			
				すみません。またマニアックな連投をしてしまいました。。。(^^;
お許しを~m(__)m			
スポンサーリンク


