>>133
その相反するものがくっつくと
満月になるんや!半月はここにも掛かっちょる( ˙◊˙ )
麦茶さん
紗江は、美咲の彼をつまみ食いした?
ごめんなさい。ホント分からない!
今日のベストレビューは、皆さんの質問に丁寧に対応してくれた麦茶さんレビュー全てを合わせたものです。
ありがとうございました。
他の皆さんも、いろいろと推理ありがとうございました。
今日もコロナの感染者数増加止まりませんでしたね。
いったい…どうなるのか?不安でたまりませんね。
こんな感想でも、よいから下さいね!
一行でも…一言でもいいんですよ。
書き逃げでもいいんですよ。
で…ないと…不安になるんですよね。
今日も皆さんたくさんの投稿ありがとうございました。
麦茶さん、ごめんなさい。ホント、サスペンスドラマはダメみたい。
あとよろしくお願いします。
おやすみなさい
麦茶さんの素晴らしい解釈に拍手👏です。
麦茶さん
他多数殺したのは、妄想だったのですか?
アメリカなどでは、実際の犯罪者が『多重人格』ってことで、「罪に問えない」ってことがありますよね!
日本でも昔、宮崎つとむという犯罪者が多重人格を疑われたことがありました。
あるスレと反対の答えになるのこちらに書きます。
信長は兵士に6メートル以上の槍を持たせたそうですが、そんな長い槍は使い物になるんでしょうか?
NHK歴史番組でも最近やってましたが…
それが、信長軍団の最大の強さです。
信長の尾張は周囲の国に比べれば弱兵だと言われました。
戦に弱い兵を駆使して戦うにはできるだけシンプルに敵を殺傷できる武器が必要です。これが他国より長い長槍と鉄砲です。
少しでも長い方が「集団の密集戦」の正面からの突き合いでは有利な事は明らかです。でも長いといってもギリギリのところ3間半が限度です。
3間は5~6メートルです。
織田は3間半と3間槍、秀吉は3間槍、徳川は3間槍との記録が残っています。
また、長槍の使い方は隊列を組んだ足軽が一斉に振り下ろして敵兵に叩き付けます。
戦に慣れていないものが槍を振り回してもそうそう使いこなせるものではありません。
ごくシンプルに叩き付けるだけ。これが一番効果的です。
6メートルのしなる棒で殴りつけられれば、ほとんど即死か身動きが取れなくなります。
同じ振り下ろす戦法を使っても、相手より、10cmでも50cmでも長いほうが有利です。
139さんへ
書き逃げでもいいのなら。
医療従事者の皆さん、コロナに終息に向かうために多くの皆さんが努力、励まれています。そういう世界の皆さんに拍手で感謝を送るってありますよね。コロナを怖がるのではなく、それに携わる方々に感謝の日々を過ごされてはどうですか?
ウイルスとは、戦うのではなく、共存共生していくほうがいいと思います。
不安になるのは、感謝の思いがないからです!
147さん、『少しでも槍は長い方が有利』っていう発想は、斎藤道三や武田信玄にもみられますよね!
【ある国のジャーナリストのつぶやき
フィクションか否かはあなたのご想像で】
隠された意図だと思っていたのだが、もう隠してはいないようだね。
コロナ封じ込め作戦はとらないと。
「若者は感染しない」とずっと言っていた医師たちは中央の代弁者であり、
集団免疫をつけさせるたいというのはぶれていないわけだ。
のろのろと感染者が増えていき病床がギリギリ足りていけば、
日本国民が全員コロナにかかって免疫を獲得すればいいと。
その中で重症化し死に至る人は割あっても八割が生き延びればいいと。
だから今ロックダウンはさせなくていいのだ。
経済優先でずるずると皆が感染して収束するのを待つ。
増えすぎた高齢者が減ることで年金や介護問題も解決。
命の選別が自動的になされる。
この国の政治家は手を汚さずして高齢化問題を解決
経済の極端な落ち込みもまぬかれる。
この効果的な方法を選択したトップは素晴らしい。
「国民の命と財産を守る」と繰り返した会見時、
「国民」の前に(一部の)と言っていたのを聞き逃した人たちが悪いのだ。
彼は二重人格などと誰が責められるだろうか?
(同じく書き逃げご容赦です)
152さんの意見が、本当なら、恐いことですよね。
大河ドラマ「麒麟がくる」では、明日放送分から佐々木蔵之介さんが演じる藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が登場します。小柄だったとされる秀吉を、身長180センチを超える佐々木内蔵之介さんが演じることについて??
でも…きっと面白くなりますよ!
ギャラクシーさん、ありがとうございます。
反論は大歓迎です。
また、匿名や書き逃げも結構ですのでドシドシ投稿ください。
【麦茶さんへ】
麦茶さん、割り込むばかりして、ごめんなさい。
ここの主筋レビューは、麦茶さんに一任していますので、私の投稿は無視して進んでください。
今日は、朝から非常にレベルの高いレビューが目白押しで、書き込まれていますが、この後もよろしくお願いします。
今日は休みですが、自分達のやっているSNSの方に移動します。
申しわけございません。
ギャラクシーさんの厳しい指摘があって、このスレも成り立っていると思います。
私が戻るSNSは、返事に窮することばかりが待っています。
では、また、ギャラクシーさんに出会えることを楽しみにしています。
【百田さんへの提言】
このスレは、優秀な人も数多く投稿するようになりました。
それを絶やさぬためにも、匿名、書き逃げ推奨を継続してください。
百田さん、麦茶さんの主力2人に『一言書き逃げ』推奨言われると、気軽に投稿し易いです。
また、来ます!
147さんへ
丁寧なご説明納得しました。集団密集戦の前線に経験値の低い雑兵で超長槍隊を置くのは合理的な信長らしいですね。
147です。43さん、ありがとうございます。
異説も良いんですけど、やはり歴史は根拠による裏付けが必要だと思います。
43さんの『本能寺動機説』にも興味があります。
『石見銀山重要視説』『信長海外進出構想』『依然、足利幕府影響力大』『硝石確保ルートのため四苦八苦』ここまでは、簡単に説明できます。
152は陰謀論らしい超理論と言えるかどうか。
集団免疫を付ける覚悟無しにワクチンを待っていれば流行と収束を繰り返しておそらく2~3年以上はこんな状態が続く。
一時的に亡くなる人間が減ったとして、経済が疲弊し尽された中で残された人間がコロナで無くなる人間以上に助けられる社会を作れるかどうか。
集団免疫を付ける道を選べば長期的に見れば亡くなる人が減るかもね。
171さん、ありがとうございます。
このような匿名さんの意見がたくさん出てくれば、このスレも発展すると思います。
43さん見かけたので、引っ返してきました。
べえべえさんも読んでね!
先日、『英雄たちの選択』見てて、磯田先生が発言していた説により停滞していた『本能寺四国説』が一歩前進しました。
明智光秀は、明智・長宋我部連合軍で四国を制覇し、愛媛県から広島の毛利を攻め、その後、九州も愛媛県から大分県に進行するルートで、西国を織田政権に組み込む構想だったんだ!という意見に賛同しました。
それを織田信長は、遊び友達の三好の意見ばかり重要視するようになり、また、やり手の秀吉ばかり信頼するようになり、尚且つ長宋我部を討つなんていう暴挙に出ようとしたので…怒り心頭になった。ってことで、後日、四国説まとめます。
147さん ありがとうごさいます。
妄想におつきあいいただき申し訳ありません。感想なので仮説を提示してから、根拠・反証で確認して、修正やドラマなら可という判断をするのでいいと思いましたが、それにしても、言葉足りなく思いつきに過ぎるのはあまりよくないかもしれませんね。
もちろん史実については根拠ありかなしかは必須根拠無しの歴史がまかり通っては、不要な政治問題にもつながる危険もあります。
ご指摘の『本能寺の変動機説』で、列挙していただいた項目の説明も大変興味あります。
赤っ恥かくことになるかな?余裕のある時がありましたら、ご教示ください。
百ちゃん
引き返しありがとうごさいます。
光秀・長宗我部連合で信長のもとでの毛利・大友責めだと、海外進出の布石にも見えるから、一見光秀は信長の海外進出に協力にも見えるけど、途上で南蛮貿易のヤバさに気づく可能性もある。
「麒麟がくる」は、1550年代に入ったところ。ザビエル来日が1549年、京都入りが1551年だけど、「麒麟」には、出て来ない。1571年に、ポルトガル王がイエズス会に布教の妨げになるとの意見を受けて「奴隷貿易禁止」を告げている。実効性はなかったようだけど。大友は奴隷貿易については知っていた(当事者かもしれない)。大友攻めを計画する段階で光秀もそれを知る可能性がある。と想像は膨らむけれど、証拠はまだない🙇
嬉しい情報が!!!
『JIN-仁-』再編集版を3週連続放送!!
幸せすぎる!嬉しい!!
仁先生達がコロリに打ち勝ったように我々もコロナを倒そうぜよ!!
43さん、ありがとうございます。
時間の都合上『信長から京都追放後も依然、足利幕府影響力大』だけ書きます。
まず、依然、征夷大将軍だったっていうことが大きいです。
1576年、義昭は毛利輝元を頼り、その勢力下であった備後国の鞆に移ります。これ以降の義昭の備後の亡命政府は鞆幕府とも呼ばれます。鞆での生活は、備中国の御料所からの年貢の他、足利将軍の専権事項であった五山住持の任免権があり礼銭を獲得できたこと、日明貿易を通して足利将軍家と関係の深かった宗氏や島津氏からの支援もあり財政的には困難な状態ではなかったと言われています。
幕府の事務をする最低限度の官僚も京都から連れて来ていました。
また、信長勢力圏以外では足利将軍家支持の武家もまだまだ多かったみたいです。義昭はこの地から京都への帰還や信長追討を目指し、全国の大名に御内書を下しています。武田、北条、上杉の三者に甲相越三和を命じる御内書を下しています。
本能寺後になりますが、秀吉と島津の争いにも仲介役を担っています。
『石見銀山重要性は一目瞭然です』
下記見れば説明不要かと…
16~17世紀の約100年間には、石見銀山から大量の銀が採掘され、大内氏、尼子氏、毛利氏といった戦国大名の軍資金や、江戸幕府の財源として使われています。
また海外にも数多く輸出され、中国や朝鮮半島などのアジア諸国と、ポルトガルやスペインなどのヨーロッパ諸国を、交易で結ぶ役割の一端を担っています。
17世紀前半の石見銀の産出量は、年間約1万貫(約38t)と推定され、世界の産出銀の約3分の1を占めていたといわれる、日本銀のかなりの部分を産出していたと考えられています。
また硝石確保できなかった理由は、日本では全く採れなかったからです。
戦国時代の日本では、硝石は採取できず、中国やインドからの輸入に頼っていました。そのため、硝石(主成分は、硝酸カリウム)の代わりになるものとして「塩硝」がつくられるようになりました。
「塩硝」は、ヨモギや麻、シソやツユクサなどの山草や蚕の糞、人間の尿などと土を混ぜ囲炉裏の熱で4~5年かけて発酵させて、まずは「塩硝土」を作ります。囲炉裏の近くの床下に1.8~2.1mほどの深い穴を掘り、塩硝土のもとを入れて、年に何度か土をかき回します。4~5年経った頃には、上の方の土に硝酸カルシウムの結晶が多く含まれるようになります。できあがった「塩硝土」に水を加え、それを釜で煮詰めた後に濾過するという行程で、「塩硝」をつくります。この「塩硝」だけでは発火はしないので、ここに木炭と硫黄の粉を混ぜ、黒色火薬をつくり、火縄銃に使用します。
また、信長、海外進出構想は…
宣教師ルイス・フロイスが信長の海外遠征構想について、次のように書き残しています。
「日本六十六ヶ国の絶対君主になった暁には、一大艦隊を編成して大陸(明国)を武力で征服し、諸国を自分の息子たちに分か与える考えであった」
43さん、以上です🙌


