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再放送があったので、書き込ませて頂きますね。
やっぱり共感するところはするけど、突っ込みたい所も同じだった。
ただ、東京ラブストーリーもBSではじまって、ヒロインがやっぱり同じ雰囲気。
鈴木保奈美が松たか子に見えるぐらい、似たようなキャラ。ワンパターンというより、こう言う男を振り回す女の子が好みなのかもね。
あと「小鳥」って名前も。
再放送をしていて、今ちょっとだけ見たばかり。
ナレーションが面白くて、誰?と思ったら 伊藤沙莉だった。
なるほど~♪
『大豆田とわ子』って、何気に噛まずに早口で言うのは難しい。
自分で言ってみようとしたけど、早口どころか普通に言うのですら噛んでしまう。
伊藤沙莉、すご~!
再放送で8~10話を見て中々良かったから、1話から見てるところ。
このドラマ、はじめて見たんだけど、何だか癒される。
感情の起伏が大きくなくて、割と淡々としてるのがいい。
気持ちが疲れているときにちょうどいい。
で、台詞が時々刺さってくる。しみじみと「そうだよな~」みたいな。
松たか子が凄く適役。で、3人の元夫達も。(2番目がちょっと煩いけど)
色々あるけどそれでも毎日をフツーに暮らしてるところに凄く共感する。
伊藤沙莉が繰り返す「~の大豆田とわ子」のナレーションが、話全体を俯瞰的に見せていて、何だか安心する。
1話で、最初の夫が「さぁどうぞ」と、 電気がついていて、入るばかりのお風呂になっているところにとわ子を導くところ… 自分で電気をつけてお風呂に入るのではなく、誰かに電気をつけてもらったお風呂に「どうぞ」と言われたとわ子の感動。
あ~分かるなぁ。と独り暮らしの自分は思った。
こういうことに気づけて描いてしまう 坂元裕二って男性だったよね。凄い。
これが、最終回近くの「自分で電気を点けるとか、そういうちょっとしたことが疲れる」に繋がるんだね。
最終回の中の台詞の「パーティーの後片付けは大変な方がいい。みんな楽しかった思い出。愛に囲まれて生きてる証拠なんだよ」が、今のところ、目下、家の片付けに追われている私の一番お気に入りの台詞。
片付けが大変なのは、そこで毎日楽しく生きていたものがいた証。
片付けに疲れ果てて一休みしているときに見た大豆田とわ子の最終回。
きっと一生忘れない。
連投になって申し訳ないけど、本放送のとき、何故これを見てなかったんだろうと思うくらい、ハマって見ている。
今、4話まで見たところ。
八作が好きだったのはかごめだったんだね。
この話に出てくる人達って、誰も彼もが相手に受け止めてもらえない気持ちを抱えて生きてる人達。
このドラマを見ていて思ったんだけど、人は、満たされない気持ちがあるときに、人を求めるのかもしれない。
人を求めるのは、満たされないものを満たそうとするから。
もし、何かが欠けていたとしても、欠けたままでいいと思うようなときには、人は人を求めない。
かごめは、欠けているものが分かっていても、欠けたままの方がいいと思っているから、誰とも恋愛関係になろうとしないのかもしれない。
だから、かごめは人を求めて生きようとはしない。
八作も、恋をしないと決めているかごめのことが本当に好きだから、欠けているものを誰かで埋めようとはしない。
とわ子で埋めようとしたけど、”誰か”では埋められないことを悟ってしまったんだと思う。
だから八作は誰のことも求めずに生きるようになったのでは。
誰かを好きという気持ちと誰かを求める気持ちは、イコールの人もいるだろうけど、イコールではない人もいる。
そのイコールではない人が、かごめであり、かごめを愛した八作。
劇中には、イコールの人とイコールではない人が両方出てくる。
とわ子の母と真は、イコールだったけれど、イコールにしてはいけないと自分でセーブをかけていた人達かも。
このドラマ、さらっと描いているけれど、案外深い。
イコールの人とイコールではない人。
イコールの人って、イコールではない人の気持ちを中々理解してくれないんだよね。
私は、自分がイコールではない方だから、イコールではない人の気持ちがよく分かる。
イコールではない人とイコールの人の”理解し合えなさ”みたいなものって、このドラマみたいに俯瞰的に描いてくれると第三者的目線では分かりやすいと思うんだけど。
とわ子と小鳥遊のエピは、イコールかイコールではないかで揺れるとわ子を描いていた。
とわ子の中には、イコールの部分もあるし、イコールではない部分も。
イコールではない部分のとわ子は、かごめに惹かれ、3回の離婚も納得している。
イコールのとわ子は、3回結婚して、3回とも離婚して…それでもなお、4回目を求めたりする。
とわ子の中には、イコールのとわ子とイコールではないとわ子がいる。
イコールではないとわ子がいるから、元夫達とも離婚後の関係が続けられるんだろうと思うし、元夫達も、そんなとわ子が忘れられないのだと思う。
イコールだけしか自分の中にはないタイプの人は、別れてしまったら、それが全て。
”かごめ”という、イコールではない人を登場させたこと。
それがこの話を、人の気持ちの深い部分を浮き彫りにする鍵になっている気がする。
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