3.19
5 254件
4 105件
3 62件
2 51件
1 217件
合計 689
読み わたしをはなさないで
放送局 TBS
クール 2016年1月期
期間 2016-01-15 ~ 2016-03-18
時間帯 金曜日 22:00
出演
世間から隔離された施設・陽光学苑で「良質な」教育を与えられ育てられてきた恭子、友彦、美和。子どもらしい生活、子どもらしい教育を享受し「普通の子ども」であったはずの彼らはある日、生まれながらに ある使命を与えられた「特別な子ども」であると教えられ、自...全て表示
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グスタフ

私は何故生まれて来たのだろう?
私は何の為に生きているのだろう?
誰もが一度は考えてしまう素朴な疑問に納得の解答を得ぬまま、生活に追われる日常に埋没して年を取り、いつの間にか老いを迎えてしまった自分のたったひとつの妥協は、(それを考える為に生きる)ということでした。そして、その明確な答えが無いままに今の自分が存在している幸せを感じるのです。

彼らの悲劇的境遇の本質は、命の短さ以上に自己の肉体の提供を完了するまで、その素朴な疑問に捕らわれ逃れられず悩み苦しむ姿にあります。宗教とは無縁の生物化学から発生したこのサイエンスファンタジードラマが、そのこころの疑問を容赦なく叩き付けて圧倒的です。

ドラマの真実は、こころと肉体の隔絶を拒否して自ら命を絶ちます。それを知った恭子が自らの意志でこころを抹殺することで肉体の継続を選択する第6話は、ふたりの対比を交互に描くカットバックを巧みに使用した表現が実に見事でした。脚本・演出・演技の真剣な創作に連続ドラマ化の覚悟をひしひしと感じています。

第4話の恭子の肉体の彷徨から続く今回の完全なるこころの自殺を見て、遠い昔観たイタリア映画を思い出しました。妖艶な美貌のドミニク・サンダ主演の「悲しみの青春」です。ナチスドイツのユダヤ人強制収容の絶望的運命を前に、幼なじみの好青年と結ばれることなく遊び人の男に身を委ねて運命に抵抗した主人公が恭子に重なります。こころはいらない、天使になると独白した恭子には、既に肉欲への関心とその乱れた行為によって境遇の不条理に対峙し宿命に抵抗していたと、私には思えてなりません。

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グスタフ

猶予の希望を喪失した友彦の絶望と達観、そして恭子の再生を描く最終話は、このドラマが印象的に表現してきた海(望みヶ崎)・サッカーボール・宝箱を象徴的に使用してラストシーンを感慨深く終えました。

海の波のカットを追憶の幼少期からコテージを離れるまでは逆回し(早戻し)でインサートして、現在進行の場面と明確に分けて、恭子が何故優秀な介護人になったのかが明かされました。美和と友彦との愛憎の縺れからこころを閉ざすことで過酷な境遇の使命を淡々とこなす恭子。聡明で成績優秀な恭子の無表情な姿と臓器提供者介護の仕事が一種異様な雰囲気を印象付けていました。
美和の懺悔に近い告白を受けてこころを取り戻し、純粋無垢な友彦と再会して共に生きる望みを持ちます。

サッカーボールは単に友彦の遊び道具ではなく、友彦の夢を具象化した形として扱われてきました。恭子を介護人に要望していた時は空気の抜けたサッカーボールがベッドの脇に吊るされて、美和からの誘いで行った陽光学苑の帰省にはボールを持参して恭子と戯れます。
宝箱は、最終話で蓋が閉められない状態に意味があると思います。

龍子先生との再会でそれまで自暴自棄になっていた友彦は、クローンの権利を獲得する運動をしてきた龍子先生の挫折を知り、そこに自分の苦しみを重ねて理解しようとします。そして恭子との会話にある、龍子先生も苦しかったんだろうなぁ、と言う言葉に本当の絶望を味わった友彦だからの心境変化があります。幼い頃憧れていた人が自分と同じ様な経験をしていたと知って自分の苦悩を浄化する、たどり着いた達観のように見えました。

こころを取り戻し希望を持って束の間絶望に落とされた恭子は、再び生まれてきた意味を模索します。それを達観した友彦から出会えて良かったと言われて、美和と共に友彦も自分を最も必要としてくれていたことを知り感極まる恭子。

美和と友彦を喪い、宝箱を持ち望みヶ崎に来た恭子が再び恵美子先生に出会い、宝箱の話しになるのが最終話唯一の欠点です。前の場面で蓋が閉まらないカットを入れているだけで充分だと思います。しかし、この余りにも特殊な設定のドラマを締め括るに、外の世界の人間の身勝手な善意や感謝の言葉が偽善とする意味合いを、作者として描くとする意図は理解します。それは同時にテレビドラマの限界でもあるでしょう。

入水自殺の恭子にまとわりつくサッカーボールを眼で追いかける恭子。思い出の宝箱に入れるべきは物以上にこのサッカーボール=生きた友彦の証だったのではないかと衝撃を受けます。偶然のサッカーボール(河に投げ入れた友彦のボールとは違うとみました)を凝視する綾瀬はるかの眼のアップカットがいいです。提供を全うして友彦の元に向かう決意に変わった恭子の達観の瞬間とみました。

観る人の生き方、人生観、価値観に直に触れ広範囲なアナロジー(類推)を呼び起こすサイエンスファンタジードラマの非常に個性的作品と思います。嫌悪すべき残酷にして衝撃的題材を日本のテレビドラマで観る功罪より、絶望の極限を演じた綾瀬はるか、水川あさみ、三浦春馬の精魂込めた名演技が観られた感激が上回りました。

追記
最後の提供の手術用ベッドに横たわり眼を閉じるその友彦の、3度目の覚悟を秘めた憂いと悲しみの瞳の三浦春馬の演技には絶句でした。このような眠りにつく表情の演技は今まで見たことがありません。
シンメトリーを崩した体つきの演技から表情ひとつひとつ丁寧に創作した役者三浦春馬が土井友彦として生きていました。彼のこれからの更なる円熟を予測させてくれる意味ある名演と思います。

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名前無し

ひきこまれない。
役者も悪い。
多部未華子さんの舞台は良かったんですね。
ドラマも多部さんで見て見たかったかも。

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名前無し

「私を離さないで」のセリフは入れる必要はなかった。あのタイトルは、単純な謎解きをするようなものではなかったはず。
その意味をいろいろと視聴者に捉えさせる余韻を残してほしかった。

今回、森下さんの脚本に期待していたのだけれど、正直、決して十分満足のいくものではなかった。
途中までは、見る者に安易な共感を許さず、捉え方によってさまざまな感情を抱かせ、さまざまな解釈や思考をさせる、異界の詩情に彩られた今までにないドラマと評価していたのだが、
途中から、いくつか指摘があるように、一定の枠組みへ視聴者を誘導する色が強くなってしまった。
いくら原作が茫漠としていてわかりにくいものであったとしても、途中で破調をきたすような改変を行ったことは、高くは評価できない。

私も、エミコ先生もクローンであったという改変は、無用だったと思う。それによって、最後にクローン同士の交感(の予感)という安易な装置ができあがってしまった。
あくまでも一人の「外の人間」が、何を思って学苑を作り、提供者たちとどう接してきたかを描く方が、はるかに深い物語になっただろう。
終局、「みんな結局は同じ。死期を知っているか知らないだけかの違い」と主人公に言わせたのも、安易に結論に落とした印象をぬぐえない。
何も言わず海に入り、そこでサッカーボールを拾い、静かに海から踵を返して歩み去るだけで十分だった。それだけでも、こちらには押し寄せてくる想いや感情があるのだ。

森下さんに関して言えば、これはいつも同じ印象を持つのだが、綿密で丁寧に作劇は行うけれど、何か中庸から抜けきれない感があって、最後に少々残念感が残る(「天皇の料理番」もそうだったが)。
特に今回のように、非常に特殊な設定のドラマを手がけた場合などは、その中庸さがはっきりと裏目に出たような気がする。

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名前無し

なんとも言えぬ気持悪さというか不愉快さを感じます。恭子とともがたつ子先生とサッカー見物していたときの話って一体なんなんでしょう。臓器提供を受けた息子に提供者と同じ名前をつけた父親の話って。ここまで無理やりに美談に仕立てたいんですか?これに感動せよというんですか?
この脚本家が中途半端にクローン問題を扱うやり方に、心から腹が立ちます。そんな程度の問題ですか?そもそも臓器提供の手術の前にともが激しい心の葛藤を繰り返す場面をみて、他の提供者たちも同じだとは思わないのでしょうか。
他人に臓器を提供する役目を生まれながらに背負って、そのために若い命を散らしていく。そのことに疑問を感じないクローンなんているだろうか。そんなクローンたちを、彼らを統制する当局(?)は一体どのように管理しているのでしょうか。
自殺志願者が出たり、反抗者が出たり、それこそ提供手術前は大騒ぎになるだろうに。そういう騒ぎを管理側は一体どのようにして収めていたんですか?
ともかく余りにも重い問題を、ただ感動的な(?)恋バナを描くための味付けになど使って欲しくない。もともと森下さんの作品は好きなのですが、今回だけはこのテーマを安易にドラマ化しようとした人たちへの怒りしか感じませんでした。

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名前無し

どんなに深いものがあっても、こんなドラマ見なければ良かった。
激しく後悔。
自分なりの希望を持っていた。
このドラマの良さが分かるのがドラマ通だというのなら自分はそれでなくて結構。
録画も即消去した。

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名前無し

「まさか」ではないと思う。こういう重いテーマのドラマというのは最初から視聴者に敬遠されるから、名作であっても視聴率は低い。「それでも生きていく」しかり「アルジャーノンに花束を」(旧作)しかり。
明らかに、局はそれを十分承知でこの枠にこのドラマをぶつけてきている。でなければ、あのような作風に仕立てるはずがない。
あえてNHKやWOWOWのような攻め方をしている。
こういうドラマを、民放でまだ作る気があるということに、少し安堵感を持っている。
以前もどこかで書いたことがあるが、前期までは、もう民放のドラマは終末期に入った、これからは有料放送でないと見応えのあるドラマは見られない、と思っていた。
これが、一つの民放ドラマ再生のきっかけになってくれればいいと、物語に引き込まれつつ、別の頭で思うこのごろだ。

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グスタフ

今回は、恵美子先生がクローン第1号の成功例という衝撃の事実以外は想定内の起伏の少ないお話でした。
しかし、提供の猶予が存在しないと知った恭子と友彦の絶望を、恵美子先生宅の居間と復路の車内そして路上と場面を重ねて段階を経て描いた脚本・演出・演技の作劇の巧みさが見所となっていました。
こころを取り戻し友彦とのつかの間の幸せな時間を過ごす恭子と猶予を得る為の絵の創作に熱中する友彦の穏やかで平和な生活描写から転じた構成が効果的です。
友彦が横断歩道で止まった車のドアに映る自分の顔を見て、次第に怒りが表情に現れる三浦春馬の演技が素晴らしい。猶予が無いと知った時は茫然自失の気力の抜けた友彦がその己の夢の潰えた惨めな姿を冷静に見て感じた挫折感。人間と何も変わらない顔をしたクローンも同じ人間じゃないかと叫びたい友彦の魂の嗚咽が聞こえるようでした。

恭子は怒り狂う友彦をすぐに抱き締めて止めようとしませんでした。恭子には表現出来ない憤怒の嘆きを友彦に見ることで自分の嘆きを確認したかったのでしょう。ふたりのこころは全く同じというこの演出もいいと思いました。

第8話の水川あさみの名演に続く三浦春馬の充実した演技力に感服の第9話でした。

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名前無し

恭子と友彦の未来、二人の最後まで諦めない夢、希望。
恭子の寝顔を描く友、恥ずかしがる恭子にこれ以上可愛いものがないくらい可愛かった、と、言う友彦の恭子への想い、寝顔は一番愛し合っていることが分かる絵じゃない、と友、猶予をもらうために友彦はいろんな絵を描いていた。
9話は、夢を持ち続けていつも笑顔を絶やさないで明るい友彦が、恵美子先生との再会で猶予というものが存在しないと分かったこと、絶望のどん底に落とされる、三浦春馬さんの演技は圧巻でした。車の窓ガラスに映った涙ぐむ目元、自身の体を傷める、絶望感溢れる友彦、三浦春馬さん素晴らしかったです。
猶予というものなど存在せず、陽光学宛の謎も恵美子先生からの話しで謎がやっと解き明かされ、ドラマの終わりが予告とともに見えてきました。
恵美子先生がクローン、驚きました。でもやっぱり…という思いでした。写真を燃やしていた場面を観て、もしかしたらと思っていました。ただ、陽光を作ったことは、同じクローンの彼らの生活を最大限豊かにすること、恵美子先生が彼らを天使と教えたのは、せめて一抹の誇りを持って人生を全うしてほしい…ところどころの恵美子先生の言葉には生徒への想いというものが感じられた。しかし、絶望しかないのが現実であるということも。
友彦に肝臓提供の通知がきました、予告で恭子がサッカーボールに向かって、行けー行けーと叫んでいました。
友は天使になったのでしょうか?
ひとときでも恭子と友彦に取り戻された未来があったと思いたいです。
恭子の『光を』の、言葉のように。

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グスタフ

美和の最期を描く第8話は、このドラマのクライマックスとしての知と情の表現力に満ちた回でした。恭子と友彦のふたりの猶予を渇望する美和の思いが恭子に伝わる彫刻を象徴としたお話の雄弁さと、それによって恭子がこころを取り戻し友彦の元へ向かうラスト。ドラマタイトル「わたしを離さないで」が友彦を抱き締める恭子の心情に重なります。

水川あさみの美和の感情を吐露する演技が圧巻でした。最後は、恭子に一緒にいて安心、強くなれると自分の弱さを認める美和というひとりの女性を繊細に演じ切りました。
その美和が告白した(恭子になりたかった)という台詞を聞いて、私はある考えに至りました。

主人公恭子は聡明で成績優秀な子どもでした。美和からみれば(理性)的で憧れの対象となり、成長の過程で美和の強欲によりこころを閉ざしてきました。対して美和は嘘つきで見栄っ張りで我が儘と(感情)の人そのものです。このドラマは(理性)の恭子と(感情)の美和の相克劇と捉えて視ることで、もうひとりの主要人物友彦の設定が理解出来ると思います。クローン育成の陽光学苑でただひとり知的に劣り、純粋無垢ながらたったひとつの得意なものがサッカーの友彦の象徴が、サッカー選手という夢(希望)でした。
恭子と美和がふたりでひとつを描き、人間の本質的な(理性)と(感情)の調和に(希望)が不可欠ということを、このドラマのメッセージとして受け止めることが出来るのではないか。

外の世界の人間を敢えて無表情に近い表現に徹してきたことも納得しますし、本来臓器提供のクローン育成を容認する世界がもしあるのであれば、そこに生きる人間に(理性)や(感情)を求めるほうがおかしいと思われます。その前提の上で陽光学苑の存在意義が表れてくるのではないか。

「わたしを離さないで」は恭子にも美和にも友彦にもあてはまる、人間の生における喜怒哀楽の全ての営みに必要な理性・感情・希望というものをシンボリックに描いたことばと思います。

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名前無し

恭子、恭子、離さないで、わたしを離さないでと、美和の悲痛な叫び、美和の叫びがタイトルだったのでしょうか?
ストレッチャーに乗せられた美和は、使命とはいえ怯え、恭子に助けを求めるようだった。恐怖感、嫌、それ以上だった。恭子がわたしたちは天使だから、困っている人に未来や希望を…美和は素晴らしいことをするの。
恭子のこの言葉は、本当かもしれない。
3種同時提供の美和の最期は、想像を絶するものだった。
祟高な使命を持った天使と受け入れなければならないのも儚いものだ。
美和の作っていたものは、あの日、友彦と恭子が車の中で手を繋いでいたのを表していた作品だった。取り戻した未来。
美和は、二人に希望を残した。恭子も友彦も希望を捨てないでいた。時間を取り戻す二人に猶予というものが本当にあるのでしょうか、友彦の終焉までに二人に未来がみえますように。
水川あさみさん、迫真の演技でした。
恭子に甘える美和、本当に恭子のことが好きで、素直で優しい心の美和が最後に観れて良かったです。
わたしたちは天使だから、と美和に話す綾瀬さんの言い回しは、とても胸に響きました。
柄本祐さん、8話にも出演されて、びっくりしました。
提供者の役柄ですが、ドラマの中でほっと出来る場面です。このまま恭子の話しを聞いて、少しの笑顔を見せてくれる加藤さんでいてほしいです。
残り2話、絶望しかない彼らの懸命に生きる姿を見届けたいと思います。

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名前無し

物語の中の架空の人物が相手とは言え、鮮度の保てない臓器がどうとか、みんなの臓器が全部取られたらゾクゾクするとかと言える感覚って異常ですよね。
でもその異常さが、このドラマの中に描かれるクローンを使う側の意識にとても近いようで興味深いですね。
作り話のキャラクターだから面白く殺しちゃえば良いのに、人工的な臓器の器だから殺しても構わない、どちらも思考の根っこが同じですよね。
非難している訳じゃないんですけど、この物語の世界が実在したらそう言う思考の大多数の人達が、時に面白おかしく語りながら、それが当たり前の事だと簡単に思考停止するのだろうと思います。
この物語の作者は世界が受動的な群衆に大半を支配されていると言う事を熟知しているのでしょうね。
クローンによる臓器提供が認められていると言う非現実をとても上手に仮定して、人々の行動を実にリアルに作り込んでいると感心します。

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名前無し

自分の命を自分のために使ったのは真実だけ。
つらいですね。
限られた時間、精一杯人間らしく生きようとする若者たちが切ない。
真実の命を振り絞った演説には心を揺さぶられました。
家畜同然、自分たちは他人の為に死ぬためだけに生きている。
でも家畜と違って自分たちには心がある。
他の人間と同じように普通の生活をして幸せになりたいという心が。
心があるからこそ傷つくのだから、いっそ心なんてないほうがいい。
初めから何も考えないように作ってください!
まさに魂の叫びでした。
そして気持ちを確かめ合ったトモと少しでも幸せに暮らそうと決意しながら、
希望を打ち砕かれた恭子も同じ苦しみを味わう。
求められるのは体だけなのにどうして心なんてあるのだろう?
心があるから傷づくんだ。もう心なんかいらない。
提供者の理不尽さを命がけで訴え闘って死んでいった真実と
その運命に順じて心を封じ込めた恭子。
この対局的な二人の生き方が同じ苦悩から生まれている皮肉。
いやが応にもいろいろ考えさせられ、何ともやりきれない気持ちになりますが、
ドラマとしては見応えがありました。
怖いような気持ちもあるけれど最終章もしっかり見届けたいです。

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名前無し

他の評価を見る人もいるでしょうけど、その評価の中にはドラマを良く見せようとわざと大袈裟に言う人もいるので信じていません。私はここではこのドラマを見て思ったことだけを書いていきたいと思います。このドラマはおもしろくないですね。映画なら2時間ほどなのでうまくまとめられると思いますし、舞台なら観客の創造力にゆだねる部分が多いので幻想的な物語ほどはまるとは思いますけど、連続モノのドラマにしたのは失敗だと思う。短時間で見る作品であって長時間だと間延びして飽きてくるドラマですね。

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名前無し

原作未読、映画も観てない。舞台は蜷川作品をいつもみてたので(ジャには観てない)観劇済み。多部未華子は良かったが別に台詞量も蜷川作品にしては多くないし公演時間も普通だよ。絶賛するほどか?ここで言うことでもないが。木村文乃は好み
。物語は前後するがまだ舞台版の二分の一も進んでないし、大人キャストになってまだ間もないのになにをもってして「役の設定を理解していないっ!」なのか分からん。ヒステリー起こしている役者をアンチにしか感じられない。舞台版の救いのない終わり方もいいが、違う展開も見てみたいので期待を込めて星4。綾瀬も水川も三浦も引き込まれる芝居をしてるよ。一週間間あいても気になる様にドラマは作らなくてはならないのだから舞台版や映画と同列に語ること自体ナンセンス。
綾瀬はるかが冒頭の様なキャラクターにどう変化していくか楽しみにしている。三浦もベッドに横になっている姿と幼少期が繋がらないのでは?と危惧したが、3話4話の芝居が幼さを上手く演じていて同一人物だと印象づけられた。女優二人が30代なぶん10代の設定を三浦が担っていた。

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名前無し

原作、映画、舞台全部観てますが三浦春馬は全然役の設定を理解してないなって思いますけどね。まあ三浦春馬だけでなく綾瀬はるかも同じことは言えますが。だからドラマは引き込まれない。映画や舞台のことを言っても仕方ないですが…。舞台の多部未華子は流石いう感じで長い時間の舞台でしたがずっと引き込まれっぱなしでした。
配役はやっぱり大事ってことですね~。

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名前無し

二話時点では、中途半端に原作の要素を引っ張り出して、そのくせ肝心のうまみを捨ててしまっている印象。

原作はイギリスで売れたらしいのだけど、それは多分子供達の人間関係や教師との関係、彼女たちの価値観、ルールなど、向こうの読者にノスタルジーを感じさせる要素がちりばめられていたからだ。
それは、一話タイトルでも使われた「黄金色の時間」であり、しかも読者に与える意味だけでなく作中における意義があった。
しかしドラマは子供のいじめを強く描いたり学校は子供を洗脳する狂った施設だ、みたいな描き方をしている。
結果、作品の雰囲気はやたらと重くなる。
制作側はテーマが重い作品は作風も重くすべきで、そうすれば考えさせる作品になるとでも考えているのだろうか?

CDの音楽で踊るシーンにしても、原作ではタイトルに使うほど意味を持つシーンだったに、ドラマはその中身の全部を取っ払って表面だけをなぞっているだけだ。

他にも色々。

中途半端に変えるならば、なぜもっと大胆に変えればいいのに。というか、むしろオリジナル原作を作ればいいのに。

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名前無し

重い内容なので、視聴率は取れないと思っていたけど2ケタいかないか・・・。でも、今は軽めのドラマばかりが好まれているけど、こういう考えさせるドラマは頑張ってほしいです。軽くて何も考えずに見ることができるドラマもいいけど、こういう見ごたえあるドラマもなくては・・・。視聴率悪くても、安易な感じにせずに作り上げてほしい。この作品をどう表現するのかとても興味深いので、私は引き続き視聴したい。

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名前無し

内容がくだらない
このネタでよく100万部も売れたもんだ
1980年台のSF小説のほうがもっとネタ的にすごいものがある

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名前無し

前半は自分たちがいる世界とは、また違った次元にいるようなドラマなのだという印象でした。しかし、陽光で社会がなくて心の授業があるという教育によって提供を受け入れる環境が作られていて、私たちも教育によって多くのことを叩き込まれているのではないかと考えるようになりました。私たちもこのドラマのように何か大きな力によって左右させられてるのではないかと…。私は途中からそのような視点でこのドラマを楽しんでいました。
このドラマは暗く絶望的な描写が多かったですが、唯一希望的に感じたのは宝箱でした。宝箱は心の支えとなり、その人の思いを形にしたものです。今の人はそういうものを持っている人は少ないのではないでしょうか。最後まで理由も分からず、友人たちの思い出がたくさん詰まった宝箱を大切にしている恭子が優秀な介護人であるのも頷けます。
私は全くもって救いようのない絶望的な作品でも構わないと思いながらドラマを見ていました。しかし、視聴者が希望を残せるような形の終わり方でした。それもそれでいいのですが、もっと攻めて欲しかった気持ちもあります。また、ドラマのタイトルである「私を離さないで」をセリフにしてしまうのは、どうしても引っかかるものがありました。
見ている人によって解釈がすごく変わるドラマだと思います。製作者側が1つの解釈を提示しているものよりも見応えがあって好きでした。また、キャストも演技力がありとても良かったです。久々にもう一度見たいと思えたドラマでした。

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名前無し

生まれてきてくれてありがとうの場面は無意識に顔をしかめたほど嫌なものを感じた。
無理やり良い話にしようとしている感じがして余計に嫌な気分になった。
ドラマを見て腹立たしい気持ちになったのは久しぶり。

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名前無し

私は最後まで役者さんに引き込まれてみれました。綾瀬さんも三浦春馬さんも本当に良く演じきったと思う。
森下脚本と言うことでちょっと期待し過ぎた感はありますが、今期で一番真剣に考えながら観た作品でした。
こういう作品私は好きです。

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名前無し

原作既読組です。
このドラマは、原作にはいないマナミを登場させたことから、彼女の遺言である「生まれてきて良かったと思えることを見つける」ことにテーマを絞ったと思います。最終回の冒頭で加藤にも言わせていましたし。原作は様々な読み方が出来ますが(人が命をコントロールする世界の是非・摂取される側の生き方・教育(洗脳)について・偽善的活動への警鐘などなど)ドラマでは視聴者に「限られた命をどう生きるか」を一途に問い、最終章でそれぞれのハッピーエンドが示されたと思います。

まず美和の場合。大好きな恭子と分かり合えた。そして最期には、恐怖を受けとめてくれる「親友」恭子がいた。美和にとっての魔法の言葉(天使)も思い出させてもらえた。

トモの場合。夢を追い続けることが人生そのものだったトモ。最後には夢は叶っていたと悟ることが出来た。私は、トモはタツコ先生の感謝に助けられたのではなく、彼女もトモと同じように失敗を繰り返しながら夢を追う人だったことが分かったことが、トモを助けたのだと思う。生まれてきて良かった、こんな終わり方が出来て良かった、というトモの言葉に涙が出ました。その上、最期には、3度目で死ねないことを阻止してくれる恭子がいた。私は、トモと恭子は恋人同士というより、ソウルメイトな関係だったと思う。原作では、知りたがりのトモ&恭子と、信じたがりの美和、というように対比させています。

恭子の場合。美和とトモに良い終わり方をさせてあげたこと自体が彼女の「生まれてきて良かったこと」だったと思う。彼女自身の浄化にもなった。仲間が去って孤独になったが、同時に解放もされたと思う。それが、生きる意味を知ることへと繋がった。私は、自分が死ぬまでにそれを実感できるのか、考えさせられました。

提供やらクローンやら猶予やら、とても残酷な世界ですが、生きるとは何かを考えるには適した設定だと思います。逆に言うと、これ以外の設定であれば、ここまで生き様・死に様を考えることもなかったかと。

星ひとつ減らしたのは、無理やりタイトルを言わせたことと、最後のエミコ先生の誘いかけ(後継者??)が蛇足だったと思うから。特にエミコ先生の誘いかけは、前提を覆す安易な希望に感じました。誘いかけの答えは出ていないので、思い出話でもしたかったんだろう、と思うことにしました。

毎クールこのようなドラマがあると精神的にキツいけど、録画を残し、数年後にまた見たいと思います。

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名前無し

売春させるためだけに赤ん坊を何人も産ませ続けられる、女の子が生まれれば売春に回される子供達ですっけ。そんなニュースを思い出しました。わたしには彼女らの気持ちと苦しみは絶対にわからない。このドラマも結局のところ判るはずがなく、俯瞰でずっと観ていました。
エンタメではないです。考えさせられるけれど、答えすら見つからないのですから。クローンたちにかける言葉を持てない。ドラマを超えて私たちが生きる社会で起きる不条理の数々を、想起させられました。
答えを出してはいけない。もやもやとしたものは残るのは必須ではないでしょうか。
恭子は何度も「わからない」という言葉を繰り返していました。本人たちすら出せない、出してしまったら終焉しかないという残酷なものです。
龍子先生は答えにたどり着いてしまい、楽になってしまいましたね。観ているこちらはショックでしたが、同じ世界で同じ人生を歩んでいたらああなってしまうのかな。わたしはこちらの世界で楽な場所にいるから、自己満足だと涙が出てしまったのかな。売春させらる子供を産むだけに子宮を道具化された事件に凍りついても何かするわけでもないのですから。
少し疑問だったのが恵美子先生が老人だから移植を受けないというエピソードでした。同じクローンとしてクローンから臓器提供を受けるほうが滑稽という流れが自然だったように思われます。老人が移植を拒否というエピソードを持ってきたかったのでしょうが。クローンでしかもこの老体になってとしてくれたら良かったかな。恵美子先生もやはり自分は「人間」側という気持ちだったのでしょうか。
かなり不評だったトモですがわたしは好きでした。トモが好きというより、三浦春馬の演技が凄くてひたすら感心してしまったほうが正しかったかもしれません。でも、人間より人間らしい、頼りなく情緒不安なトモをいとおしく感じる恭子には共感ができたな。なんというか、すごいリアルで。恋愛ドラマではほぼみないカップルなのも斬新で良かった。
先に述べたように基本俯瞰で観ていましたが、自殺をするために海に入った恭子に、サッカーボールが行くなと言わんばかりに現れた瞬間、号泣してしまいました。
行くな、ではなく、迎えに来たよとかもしれない。いいえ、偶然、必然、過去、未来、ありとあらゆるメッセージがたぶん籠められた演出にやられてしまいました。
トモのボールで自分の運命を受け入れた恭子は、なにを抱えて生きていけるのでしょうか。

原作のあらすじをすこし目にしたところ、恭子は十年以上介護人をしたということでした。
なにもいえません。
ありがとうもいえません。ごめんなさいも言えません。人間のわたしには。
そういうドラマでした。
作風は違いますがイーストウッドの「チェンジリング」と同じ感覚のラストでした。
製作者の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
ドラマではかなりの挑戦ではなかったでしょうか。お疲れ様でした。

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名前無し

物語の設定そのものは、私はやはり壮大な比喩としてとらえたいと思いました。
感情のある人間を、争いの道具や家畜同然に扱う。...こんなことはあってはならない。くり返してはならない、と警鐘を鳴らしながら、私たち人間が生まれてきた意味、そして限られた命をどう生きるかを問われているような...色んな意味で考えさせられるドラマでした。
人はみな、ある意味限られた人生を生きている。いつか終わりのくるその日まで、後悔のない人生を生きよう。命ある限り、精一杯生きよう。そんなメッセ-ジを感じたり。
たとえば生きる意味を見失ってしまったときは、そばにある大切なもの、その愛を見つめなおして感謝しよう、と感じたり。
それでも...愛する者に先立たれ、生きる希望さえ失くしてしまうほど、空しさや哀しみに襲われてしまったら、誰にも奪うことのできない宝物...自分だけの思い出を胸に抱きしめて生きよう。
望みヶ崎の奇跡。最後は、その愛を、夢を、心を離さないで生きてほしい。そんな願いが込められたラストだと思いました。

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名前無し

決して救われたとは言ってはいけないラストだけれど、
結局人間は 生きている瞬間瞬間に輝きを残し、その瞬間を
いとおしむことが生きることなのだ というひとつの強い
メッセージを感じました。


提供するものと提供されるもの、本人の選択の余地なくその一方
通行の関係が前提となる限り、このドラマでは心から「救われた」
と言えることはないと思います。
だから、たつこ先生が普通の人間の立場から、「救われた」と
いう言葉を発するのはとても違和感がありました。
「あなたたちのために何もできなくてごめんなさい、でも
感謝している人もいるの」というセリフくらいなら納得できた
のですが・・。 救われるべきは、たつこ先生ではなく提供者
たちであるべきで、それはこの社会制度がある限り根本的に
無理なのだから。

ただ、提供者としての人生を考えた時、限られた運命から決して
逃れられないとしたら、人は何を支えに生きていくのか。
このドラマでは宝箱に象徴されている自分の生きてきた軌跡、
人と人とのかかわり、誰かを大事に思ったり思われたりする
気持ち、そのこころの結晶そのものが生きがいなのだと伝えている
気がします。

決して 臓器提供で他の人に生が受け継がれるところに意義が
あると言ってはいけない気がします。(彼らは、自分の生を全う
するためにその使命を美化していますが)

最後に恭子が命を絶とうとしたときに、それを思いとどまらせた
のも、トモや仲間たちから、「死の瞬間まで、命を輝かせて。
みんな一緒にいるから」とボールが返ってきたから・・・。 
宝箱の宝物はもう増えないかもしれないけど、まだ増えるかも
しれない、生きている時間をいとおしんでいる限り。

たとえ身体は消えてもこころのつながりは残る、そんなところにも
「わたしを離さないで」というテーマがあるような気がします。

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なにこれ?なにがいいたかった?
なんもひびかないし、絵をかいて猶予もらえる?そんなもの存在しない。絶望、死・・・
私に理解力がないのでしょうか?
薄気味悪いドラマだっただけ。春馬好きな娘も『春馬君、進撃からコケすぎー』(ーー;)

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名前無し

「あなたたちは天使なのです」
「わたしたちは天使なの」
8話を見終わった今、全く違った響きを放つ。
「天使」という言葉に偽善の匂いしか感じなかったけど、今は救いだったんだとわかる。
ドラマなのに、胸がはりさけそうに痛み、あとをひく。
綾瀬さんの恭子も、三浦君の友彦も、水川さんの美和も本当に適役で、物語の世界にどっぷりはまることができる。
良質のドラマだと思う。

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名前無し

見ごたえがある。

重いテーマだが、普遍性があり、メッセージ性も十分。
原作はイギリスが舞台だが、別にイギリスでしか成立し得ない内容ではない。
むしろ現代の日本を舞台にしたことで、どこか居心地の悪さとか、ぶつけようのない苛立ちとか、漠然とした怖さが伝わってくる。

もともとこの「金曜ドラマ」の枠は大人の鑑賞に堪えうる社会性を持ったドラマが中心だった。
「岸部のアルバム」「悪魔のようなあいつ」「淋しいのはお前だけじゃない」「思い出に変わるまで」「高校教師」「人間・失格」等々。
いつまでも心のどこかに「引っかき傷」を残すような、記憶に残るような、そんな作品が多かった。
最近ではティーン向けのコメディもあるけどね。

なんだかんだいいながら、ここには賛否両論が数多く寄せられている。
書き込み数も1000件を超え、これは今期のゴールデンタイムのドラマの中で最も多い数となっている。
それだけ、このドラマを見た人が「何か一言残したい」と思ったからではないのか。

陽光の正体(狙い)はなんだったのか。
物語はいよいよ核心に迫りつつある。

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グスタフ

臓器提供の最終段階にきた美和の諦観と最後の希望を描いたシンプルなストーリーの第7話は、恭子にとって美和と友彦のふたりが掛け替えのない存在であることに気付く救いがあり、静かな余韻を残しました。
こころを見捨てた恭子に対してこころにしがみついて生きてきた美和。恭子にしてきたこれまでの行為を、怒らせたかったからと告白する美和の冷静な自己分析に彼女の変化が見えます。恐らく美和は過酷な境遇に耐え切れず、母親に甘える子どもみたいに喜びや哀しみそして怒りを恭子と共有したかったのでしょう。恭子と別れることを最も恐れていた美和が離れて実感する恭子の存在、それは同時に美和にとって恭子が最も必要とされていたということになります。親も身内もいない恭子と美和のふたりだけのつながりが浮き出て来ます。
そして、
無垢で純心な友彦のそのこころねの変わらぬ姿に出会い、かつて好意を寄せた自分が間違っていなかったと思える恭子の安らぎ。
こころはいらないと絶望した恭子の冷たいこころに微かな温もりが射す帰郷の車中場面の(とても美しいものを見た気がした)という恭子の言葉にまとめた、静穏で味わい深い回でした。

恭子はふたりに天使(良心)を見たのではないか。その良心とは自分のこころに正直に生きる美しさ、と言えるのではないでしょうか。

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わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)