5 | 1374件 | ||
4 | 264件 | ||
3 | 163件 | ||
2 | 114件 | ||
1 | 781件 | ||
合計 | 2696件 |
奇跡の夫婦の愛の物語らしいけど、
結婚して何十年もたつ夫婦が、寝室でお互い褒め合ったり、
最後は、若返って、菜の花畑でランランラン
ってなんか違う気がする。しかも明治時代でしょ。
>連続テレビ小説初の、「幕末」から語り起こす物語。
時代に先駆け、銀行、生保を設立し、後には日本最初の女子大学設立に
尽力した実在の人物・広岡浅子をモデルに「お金儲け」のためではなく、
「今より少しでもみんなが幸せな世の中の実現」のため、生き抜いたヒロインの物語
こんな風に書かれているのでその様な物語を期待してましたが、もしファンタジードラマならその様に書くべきだし、あまりにもイメージが違ってビックリしました。
あさがきたは娘と一緒に楽しく見ていました。
でも最終回は世間が絶賛するほど感動はしなかった。
最終回期待しすぎたのかな。
マッサンは号泣だったのに。
今日とと姉ちゃんで、羽子板で顔に墨を付けた子どもたちを見たら、あさの顔に墨を思い出してしまいました(笑)
あさがおきゃんで一生懸命でかわいかったな。
タイプは違いますが、色んな感動を与えてくれる朝ドラを見ることが出来る幸せを日々感じています。
あさが来たの親子関係も、とと姉ちゃんの親子関係も、すごくいいなと思います。
苦労をともに乗り越えてみたいな夫婦じゃないから、感動はうすれるよね。
マッサンは失敗続きでまただめかーなマッサンを大丈夫!といい続けたエリーが素敵だったからボロ泣きしたけど。
なんでだす?といいながらあさ様のおかげです
と皆んなに言われまくられ、びっくりぽんなスーパーヒロインには、まあ良かったねぐらいの感想しか湧かないよな。
エリーのように陰から支える妻、あさのように自らがひっぱり進んでゆく妻、どちらも自分にはないものがあって尊敬しますね。
マッサンもあさが来たも、どちらも視聴者の支持を大きく得た作品でした。私も毎日テレビにかじりついて見ては涙を流していました。
子供時代からもうあさとはつ姉妹のとりこになり、ふたりの運命がどうなるのかハラハラさせられた。それぞれの結婚は最初は波瀾含みだったが、まもなく新次郎と惣兵衛、全く違うそれぞれの夫の魅力に魅せられた。そうするうちに、加野屋の面々のユニークな個性に惹きつけられていき・・・。笑ったり泣いたり、いつのまにか半年が過ぎていったね。テンポの良さ、明日はどうなるのかとハラハラさせられる期待感。ひとりひとりのキャラや人間性がしっかり立って、いつのまにか自分も加野屋の一員になったような気分に・・・。ともかく申し分ないドラマだった。
今思うと、このドラマはドラマというよりギャグかコントだった。
大阪には吉本新喜劇があるからそういう風になるのかなと思ったが、カーネーションなど大阪制作のものを思い出すと、大阪だから必ずしもそうなるとは限らないようだから、やっぱりこのドラマが元来コントっぽい性質を持っていたのだと思う。
多くの人の幸せのために生きた女性の物語なんて言わないで、大阪商人のコントだと最初から言ってくれればよかったのにと思う。
ネットでは加野屋新喜劇って盛り上がっていましたもんね。
私も番頭さんズを絡めた芝居仕立てな場面が大好きでした。
加野屋の明るく風通しが良く、活気が満ち溢れる空気の中、わくわくしながら次から次へと繰り出される軽妙なセリフを追っていましたっけ。
ヒロインあさちゃんもちょっとボケが入る役回り。みんなにつっこまれながらも、あまりにも今までの波瑠さんのイメージとの良い意味でのギャップに驚きつつも感心していました(笑)
本当に瑞々しく生気あふれる素敵なシーンでした。
亀助さんヒロイン(笑)のスピンオフが楽しみです!
半年間かなりの好感を持って楽しく見てましたが、放送中に人気が出た登場人物の出番を増やすために、カットされた場面が多いように感じます。視聴者の反応を見て、夫婦愛や人情話により重点を置いたのかなとも思うのですが、個人的にはそこはチョット残念ですかね。
変更前のあさが来たのままだったら、どんなドラマになっていたのか気になります。大きな変更は無理だとしても、お蔵入りの場面を盛り込んだDVD(1回が15分以上になっても良いから)とか出ないのだろうか。
白蛇さんのとこへ滑り込むあさとか、面白かったな。途中まで。
超お嬢様の話で、少女漫画を実写化したようなドラマでした。
視聴者層の高齢者や主婦に気に入られてヒットしましたが、
それ以外の人達は取り残されたと私の身近を見て実感しています。
聞いた話ですが、あさが来たは主婦層は勿論ですが、男性や若い人たちの反響もすごかったそうです。新たなファンを開拓してくれたということで、局内でも喜びの声があがったとか。
ちびあさの頃は良かった。
この子なら、将来、広岡浅子みたいな女傑になりそうな気がした。
波留に変わっても、最後まで女傑に見えなかった。
それなのに、広岡浅子がやった同じことをいとも簡単にやっちゃうから、「そんなアホな」ってつっこんでた。
若い世代は忙しいばかりでなくどんどんテレビ以外のたくさんの娯楽を垣根なく楽しみなかなかテレビ一本にはならないので、視聴者層は高齢者の比重が今後ますます高くなりそう。
ガチャガチャと五月蝿くなくて品があって明るく人情が息づくドラマと支持者に形容されたこのあさきたのような表面を撫でたような明治から昭和のドラマが量産されるのだろうなと思うとため息。
ガチャガチャとうるさくなくて上品なこと
ハイセンスのお着物をきていること
伝統的和風の設え
登場人物の整った容姿
これらの視聴者の願望を秘めたような要素が、本来なら一番大事なドラマの内容やテーマと描写の整合性を押しのけて質の高いドラマの条件に据えられてしまっている風にみえる。
噛み応えのない柔らかくて甘い日本のパンみたいなドラマだった。
必死に女傑に見せようとしなかったのが良かったのかもしれませんね。ハルさんのナチュラルな素材に合った愛されヒロインでした。突っ込みどころも多かったですが、そこも織り込み済みだったと思います。周りの達者な役者さんたちに後押しされ、等身大の女性としての喜びや悩みも共有しながら、素敵な最終回を視聴者と迎えたような気がします。
とうとう一度も泣けませんでした。
同じ大阪の『マッサン』は、中間まで面白さがわからずながら見だったのですが、
最後の1か月半辺りの、あるエピソードから好きになり、
その後も途中から方針が変更されたのかと思えるほど工夫が入ったので心を掴まれ、
最終週では泣けるほどしっかり見入るようになっていました。
『あさが来た』の夫婦の役者二人も好きですが、内容がほんとに少女漫画みたいで。
どこかで変わるだろう『マッサン』の前例があると思いながら見続けました。
しかし最後も少女漫画でした。嫌いというわけではないけれど物足りなくて。
脚本家の方は話が軽くなるようにすごく抑えて描いたのかなと思いました。
『5分であさが来た』で、綺麗な着物を着た綺麗な波瑠さんを見たら十分な内容でした。
うるさくない、ただ綺麗なだけのドラマってドラマと言えるのかって思う。ほんとに印象に残らないドラマであって、終わってから何かを思い出すこともなくなってきたよ。マッサンも同じだった。
ずっと大阪はこんな感じのドラマばかりつくるとしたら、何か心配になるよ。
近藤正臣さんが玉木さんのことを、
「針で糸を通すようなラインで役作りしてくる」と言われたとか。
分かるような気がします。
新次郎というこれまでの朝ドラになかったような
ユニークで矛盾だらけで、しかもこの上なく魅力的な夫像は、
そのようにして出来上がったのですね。
別に可哀想なドラマではない。
それどころか基本的にはサクスストーリー。
なのにこれほど泣かされたドラマはない。
やはり不思議なドラマであり忘れていた、何か、に触れたのだろうと思うしか解しようがない。
このドラマのヒロインは女傑とはかけ離れていて、モデルとなった人とは似ても似つかない者でしたね。まったくの別物であり、モデルの雰囲気くらいだしてもらいたかったです。フィクションであっても史実と違いすぎると話までもつまらないものとなりました。人が連続で亡くなったことだけは覚えていそうです。ハーこういうドラマを見るとむなしい気分になる。
全くの別物で残念という気持ち、すごく同感です。
人物を掘り起こしてネタとして、設定だけいただきって。
まだ、余り有名な人じゃなかったから良いけれど、。
よく、歴史上の人物なんかは色んな描き方されているけれど、それと今回のあさが来たとは全く違うと思うんですよね。
あさきたはただただ共感を得るため受けがいい様にしただけで、こんな人間像だったのではないだろうか?という視点では、全然なかった。
既にもう、どうでもよくなったドラマで、記憶があまり無い。
亀助がいつも騒いでたなーとか新次郎のお辞儀がオカマだったとか、
そんなことぐらいしか覚えてないや。
大阪局で実在の人物を、人情喜劇でやると言いだしたら史劇ではなくなると思った方がいい。
新喜劇や旅回り一座の涙と笑いの舞台劇を見るつもりになれば、違和感なく入れる。
おひねりが飛んできそうだな。
お辞儀とか忘れていたわ。亀助もなにしたのか忘れちゃった。
友近の顔だけは忘れないと思います。波瑠よりも目立っていたと思いました。
一週間分を5分にまとめたやつで十分でした。
一日15分を費やして観る価値はないドラマでした。
あさが来たで得したのは、はつ役の女優さんでしょうか。
主婦層に嫌われまくりの人でしたからね。
このドラマのプロデューサーが、
「(このドラマは)大阪のある時代に生きたデコボコ夫婦の物語で、
その原点に最後(最終回で)戻した」
と言ったらしい。
「『お金儲け』のためではなく『今より少しでもみんなが幸せな世の中の実現』
のため生き抜いたヒロインの物語」
ってのは何だったん?
最初から「大阪の凸凹夫婦物語」と宣伝すべきだったんじゃない?
最終回で原点に戻したってことは、途中寄り道してたってこと?
何に寄り道してたん?五代に?
炭坑も銀行も女子大も生保も要らなかったじゃん、
ただ夫婦がデコボコしてりゃいいんだからさ。
ぼんくら亭主とヤトナ芸者の話で充分だよ。
良い小説が行間で読ませるように、このドラマは画面に現れていない部分でも何かを語るという面がありますね。それだけ奥が深い。好きになった小説を何度も読み返すように、あさが来たも録画を何度も見返したいドラマです。放送中は、1日に2~3回は普通に見ました。これからも折に触れて見なおすことになるだろうし、そのたびに新しい発見があると思う。大声で何かを主張しているのではないけど、見終わったあとに静かな余韻があり、しばらくはテレビの前を去らないでその余韻に浸っていたいような気持になります。大森さんは人生の機微に通じた方だという感想が何度もありましたが、その通りですね。パーッと流行ってさっさと忘れられる、そういう一過性のドラマとは対極にあるという気がします。
すごく浅いドラマだったと思うけどなあ。後に何も残らない。
ヒロインの拙い演技力、これが前半で露呈してしまったために後半、脚本変更を余儀なくされたのでしょうか。脇役の出番が増え、ヒロインの功績、頑張りはナレーション、周りの人の説明台詞、
そして背中が痒くなるような持ち上げ台詞でその大半が作られていきました。
宮﨑あおいさんや小芝風花さんの出番では、カメラの撮り方がヒロインとは明らかに違いました。(アップの多用で表情を追うことが多し)
時系列や年齢設定は半月で破たん。その後、対策を立てるどころか何でもありの状態になって隠ぺい、誤魔化しに走って最終回まで押し通したことは作り手の姿勢として恥じていただきたいと思います。
高い視聴率とネットでファンの声を拾い集めた提灯記事で成功作の扱いになっているようですが私の個人的評価は最低ランクです。
時系列や年齢が破綻してる小説など、聞いたことも読んだこともありません。もしも、そのようなものが市場に流通していたら、ネットのレビューでは酷評の嵐でしょう
いい小説というより、ハーレクインそっくりですよ。
なんせ白馬の王子が大抵いい職とかやんごとない方で、ロマンスとミラクルな展開で欲求を満たしてくれるけど下世話な描写がなく罪悪感なく楽しめる、んですって
こういう朝ドラが視聴率が高いというのがとても恐ろしいです。このドラマはたいした内容の話なんてないと思います。ただ上辺だけをとりつくろったドラマでしかないです。過去の作品とくらべても質が良いとは言えないです。汚い表現が少なかったのはわかりますけど。
それと、他の感想サイトでこのドラマへの指摘がほとんどないことに驚きます。このサイトでは賛否が比較的自由に言えたように思えます。
このドラマの視聴率が高かった要因はいくつかあるでしょうが、私は「お祭り気分のノリ・テンションの高さ」というのもあったと思います。
たしか初期の頃、土方が出てきた辺りでどなたが「今回のドラマは幕末祭かな、そのワッショイの勢いに乗って視てみようか」みたいな感想を書いておられたと思うのですが、幕末が終わって明治に入ってからも、ずっと祭の勢いで続いて行った、そのワイワイ、ガヤガヤの賑やかしに人が集まって来たような形で、視聴者がテレビの前に集った半年間だったと思っています。良いか悪いか私には解りません、ただ、それも時に応じて大切な要素なのでしょう。
ヒロインに関してですが、近藤正臣さん扮する正吉が退場するくらいまでは、なんとなく「(たとえ主役の演技が下手でも)脇役は座長を盛り立てて行こう」みたいな、お神輿の担ぎ手と、その神輿に乗っかったヒロイン役のような雰囲気が、役者さんを通しで感じられたように思います。年を越したくらいからそういう雰囲気がいつの間にか消えましたね。脚本やカメラワークだけでなく、役者さん同士の空気感みたいなものも。
ちなみに私はこのドラマ、あらすじの軸がボンヤリしている点でそんなに高評価はしていないし、コメディとしても中程度だと思ってずっと見ていた者です。
この脚本家はオリジナルストーリーはダメだね。
はつ一家は夜逃げ辺りまでは良かったが、みかん農家になってから迷走が始まった。藍之助はその際たるものだった。
宮崎さんもやる気がないのか、暗い雰囲気になっていったしね。
朝ドラなんてこんなもんかと割り切って、
朝メシ食いながら、ついでに見る分にはいい薄さだけど、
夜の枠で放送しても通用しないでしょう。
もともと薄っぺらいドラマなのに、
ヒロインがいい年して「びっくりポン」とかいったら、
「なめてんのか」って抗議が来ると思う。
相撲と四股にびっくりぽんの口癖にお口つまみ。
波瑠さんのいつも同じ表情演技の拙さに加え
このヒロインのキャラ付けで一気に見る気が失せました。
ここ数作の朝ドラヒロインで
これほど視聴者に媚びをうった鼻につく人物造形はなかったです。
視聴率は高かったね。でも、ドラマの内容はよくなかったけどね。このドラマは内容以外のことでも最低だと思いました。このドラマを通じて人間の本性がわかったような気がします。
視聴率は今世紀最高、評価はどこも絶賛の嵐。
はたしてこれを超える作品がこれから出てくるか心配になるほどですね。
どこがどう良かったのか書けない。
こんな作品なら視聴率が低くくてもいいから、ちゃんと作って欲しい。朝ドラに期待するのは間違ってるのかな。
でもドラマのいい加減さはこの朝ドラが過去一番!
広岡浅子でドラマをつくったのだから、フィクションであれ広岡浅子が関係なくないとは言えないし、フィクションだから史実を無視するいというわけにもいかないよ。
私は史実を知るほどに、史実と違いすぎるヒロインに違和感だらけだよ。実際の人物とは姿や正確が全然違うもの。
せめて違くていいから、もう少しおもしろい話をつくってほしかったよ。
朝ドラフィクションだったのですね、
広岡浅子のことは全然知らないし、
史実がどうだったかは全然しらないけど、
フィクションドラマとして見てもつまらなかった。嘘臭かった。
菜の花畑のエンディングから1週間経ちました。
最終週のラストと前日の新次郎が亡くなった2日間は、あさが来た、新次郎とあさの夫婦の物語の集大成のようでした。いろいろな思い出のシーンは数え切れないほどありますが、ラスト前日の新次郎が亡くなった日、この回が一番印象的だったかもしれません。あさがだんな様を思い出し、さみしくてさみしくて泣いている時に、梅の花にぽつり、あさの手にぽつり、空から天から降り注ぐ雨、新次郎の嬉し涙に感激するあさの喜ぶ姿、空を見上げ手の平に雨をうけるあさの仕草には号泣しました。だんな様おおきにと、傍にいてるさかいと新次郎、そんな風にわたしには思え、このシーンは美しく、哀しいけれどあさが生き生きとして見え、あさと新次郎の愛情の深さをとても感じられる感動的な場面でした。もちろん、新次郎とあさが菜の花畑で再会したエンディングは、最高のラストシーンでした。この二つの演出がエンディングを飾り、新次郎とあさの夫婦の物語であったと締めくくったようにみえます。テーマの柔らかい心は、新次郎をはじめ、あさ、あさが来たのキャストみなに繋がるような気がします。
新次郎は、不言実行で本当に謙虚な人でした。大きな心でいつもあさを陰で応援して、だから、あさは有言実行で進むことが出来たと、赤いパチパチはんをもらった時から。
どなたかも仰っていましたが、あさがよろめきながら駆け出すラストシーンは、映画タイタニックそっくりでした。
○○のシーンは以前にあった××の作品のシーンに似ている、なんて他にいくらでもよくある事と思う。
「まれ」の第1回のはじめは「ちりとてちん」の最初に似てるなーと思って見た記憶がある。
私は「あさが来た」を完全無欠のドラマとは思っていないし
万人が全員一致で完璧なドラマと評価する作品なんて有り得ないと思う。
完全無欠で無くていい。
「あさが来た」はキャスティングが良かった。
各キャラクターが皆、良い味を出して魅力的な世界を見せてくれた。
レコードを繰り返し聴きたいように、あさと新次郎と二人を取り巻く世界に浸りたいという気分になる。
たまにで良いので木曜時代劇やBSの夜のドラマなどで、それぞれ描ききれなかったエピソードなどを今後も見たいと思う。
総合評価。
ひたすら立ち聞き
ひたすら身内の恋バナ
ひたすらサトシ
の3行で説明できる
まれでは気持ち悪い描写がありあれはすごかった。
あさが来たは普通だった。お金持ちのふわふわ物語。
死が多すぎてちょっと最後は破綻したが朝ドラはつまらないものだとハードルを下げて見ると凡作になると思う。
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