



3.11
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| 合計 | 110件 |
希代のヒットメーカーがまだ“何者でもなかった”あの頃-
希望と熱気が充満した「1984年の渋谷」を舞台に
若者たちのくすぶり、情熱、苦悩、恋を描いた青春群像劇!
第6話、悪いけど全然面白くなかった。途中早送りしてしまった。
視聴者は蚊帳の外って感じ?勝手に身内で盛り上がってるみたいな。あんなに練習見せられて、やっと迎えた初日、内容見せずにいきなり打ち上げって言われてもね、はっ?って感じだよ。かいつまんででも舞台の流れや観客の表情を見せてくれればいいのに。いつまで見てても、あーだこーだのドタバタの繰り返しで、さすがに疲れてきた。このドラマ、楽屋しか見せる気ないのかもね。無駄に主役級の俳優を何人も使ってて勿体ない限り。もう見なくていいかな。
美波ちゅわn💕がとにかく可愛い😊
前半のあまりにもドタバタコメディ要素が目立ちまとまりが無いように見えたが、回を追うごとに登場人物それぞれの個性や置かれた立場が描き出されて人情群像劇としても面白くなって来た。樹里も演劇に興味を示し劇団の舞台に立つ日が楽しみになって来た。そしてまさかの生田斗真が演じるリカの元情夫役で参戦して盛り上がって来た。
巫女さん頑張れ「最後に観た芝居は父と母と観たデパートの屋上の仮面ラダーショーです!」きっぱり✨️でいいのよそこは。あれも立派な芝居です。それも解らない者が、そのワクワクを忘れた者が演技がーとか語るんですよ。
素人の素人らしい感覚は、とてもキラキラしてます。リカさんお巫女ちゃんをあんまり苛めなーい笑笑 あなたは正しい確かに演劇というのは元々盆踊りなんかと同じ祝祭劇です神様に捧げられていたものです。
お祭りだから、非日常の世界を描くことで日常を忘れさせることが目的 シェイクスピアに限らず作家は日常を忘れさせる為に戯曲ポエム小説を描くだから 今日ので正しい これが本当なのご尤もだが正論は優しさを欠くだってリカさんの言葉だって誰かの久部かオーナーあたりの受け売り半分くらいでしょ(笑) まあ、格好いいから毒舌は薔薇の棘のように美しい。
リカは煙草をふかした…的な(笑)
うる爺の代役自分がやろうと思ってたくせに久部。
渋谷の母おばばの言う通り、甘さで失敗し、甘さで人に救われるのか?
うる爺の代役はシェイクスピア俳優是尾センセーならうる爺も納得するんじゃない。
大人は自分の人生を自分で生きそして道に迷いそいつを誰のせいにもしないもの。
売れるまでは大衆に跪きなんでもする。
自分のやりたいことをやるのはそれから。
このドラマ台詞のひとつひとつが本当私には面白くって面白くって(笑) 私もぉ~全てメモしたい勢いです(笑)
「もしも人生が舞台なら楽屋はどこにあるのだろう」はシェークスピアの戯曲「お気に召すまま」のセリフ「人生は舞台、人はみな役者にすぎない」のアンチテーゼだ。それでは楽屋はどこにある?と問うても人生には楽屋がないからだ。ならば人生は舞台ではない。ならばこのドラマはシェークスピアを否定しているのかというとそうではない。リスペクトを込めてシェークスピアの戯曲を扱っているからだ。つまりテーゼとアンチテーゼを統合してより高次元にアウフヘーベンしようとしているのだ。
この試みは成功しているか。今まではハッキリしていなかったが舞台の芝居そのものを全く描写しなかったことでハッキリとした。描くのはあくまでも舞台に対する楽屋なのだと言うことを宣言した。
舞台なら主役、相手役、脇役、端役、観客が存在するが人生ならみんな主人公。今回もみんな自分のことにしか頭になく希望を持ったり悩んだり喜んだりしている。これは群像劇だ。だからこその豪華キャストだしこれまで勿体なかったり纏まりが見えなかったりだった。人々は決められたセリフを物語を進行させる為に言わされている訳でなく自分の意思で喋る。何故ならそれが人生であり世の中だから。
リカと樹里の対立もどちらが正しいとか間違いという話しではない。一見、恋の鞘当てに見えるがその中で芝居の解釈や面白さの個人的な見解の対立を描いている。面白さなんて個人的なものに決まっているから正解などない。たからナニって感じだがw
これまでは余り面白くないと思ってこのドラマを見ていたが先週からもしかして面白くなるかと変化して今週、不覚にも面白いと思ってしまった。だから盛大な手のひら返しをしているのは当然という自己弁護をしているw
最高の爆死のドラマどして「もしがく」という昨年の流行語のような言葉だけがSNSに踊ってる。
嫌いじゃない。
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