聖人君子的な教師がいないから
少子化になるんだよ。
教師不足って当たり前じゃん。
真面目にドラマの感想を書きたくない
レビューになりました。
働けばいいのですよ。
ドラマ見れない人がほとんど
人手不足を解消する方が大事ですから。
坂本さんが生きていたら
2回のサリン事件が無かったと思うよ。
地震で亡くなる方はしょうがないものが
有りますが、
テレビ局がオウムと組んでいたのは腹立たしい。
スレのテーマに沿った投稿をお願いします。
オウムにまだまだ洗脳されている
若者の存在は不気味。
また何かやらかす事を心配してます。
集団心理って怖いですから、
30年経っているから今の若者はサリン事件が
何なのか分からないのも、
サリン事件の恐ろしさを強く感じた。
出演者がご立派です、
現実に起きた恐ろしくて二度と起こっては
いけないからこそ貴重なドラマでしたね、
生まれてないから知らないとか東京人じゃないから関係ないみたいな人がいらっしゃるから
貴重でした。
御上先生、せっかく私立の超偏差値高い高校を舞台にしてるのに、設定の無駄遣い。
ほんとに東大バンバン受かるくらいの高校ってあんなもんじゃない。
天才的な頭脳の持ち主も多く、先生顔負けのデータと論理バリバリで、一度テーマを与えると、何時間でも議論できるような生徒がごろごろいる。
ハーバード熱血教室、みたいなドラマにすればよかったのに。
サリン事件ドラマはもっと放映すべき
坂本さん事件、松本サリン事件の河野さん
冤罪事件も、
松本サリン事件が冤罪だったから、東京サリン事件で被害者も多かったのでは?
テレビ局のせいで‼️
へんな宗教活動をやめさせて欲しい。
政治家はどう受け止めてるのか知りたいわ。
サリン事件ドラマが悲しかった。
理由はテレビのワイドショーに洗脳されて
オウム真理教の話を面白可笑しく周りの人たちが
はしゃいでたからです。
サリンの毒薬に苦しむ人たちの気持ちに寄り添う
ワイドショーじゃなかったのも、
本当に苦しんでいる方々の気持ちに寄り添う時代じゃなかった事に悲しい思いをしました。
ドラマで放映されたのは意義が有りました。
社会問題や社会事件がドラマ化されることが多いので、どうしても暗くなってしまうかなと
暗いけど、
風化させてはいけないと思っている。
平成世代はサリン事件を甘く見てますよ、
因みに家の家族です。
某局アンチな所を理解して貰えないのです。
オウムに入信する若者がサリン事件の怖さを
知らないのも大問題と、
平成7年の頃ワイドショーで
オウム真理教ディスりしてたのは
TBSなの?
上佑や青山のファンクラブとか?
マスコミって苦しんでいる人には
寄り添わないんだよね。
私もサリンの被害に遭った方々に
寄り添う気持ちが全くなくて
情けなかったです。
サリン事件のドラマ放映は何度も
やるべきです。
太平洋戦争は毎年やってるのに、
週刊誌記事もオウム真理教の実態ばかりだったのも、
肝心な所は何故かスルーされてしまうのが
今と変わらない。
ドラマアイシー、色々考えさせられた。
れいわならではの事件と言うか
起きそうな事件ばかり、
現代の社会問題も描いてる所が本当👌
ここの口コミは全く信じません。
寧ろ為になるドラマを見させない
印象操作な書き込みが多くて情けない
父が母を、母が父を殺すのは
言葉の暴力を含めてあり得そう。
「御上先生」は凄く大事なことを御上と神埼の2人を描く中で御上に言わせてる。
何かを書く前に、発信する前に、自分できちんと考えろ。色々な見方がある。何かを書く前に自分で背景を調べろと。
冴島が男性教諭とホテルに入る現場を見て、不倫と断じて学校新聞で報じた神埼。
でも冴島のそれは、不倫ではなく性被害だったのだと調べたり考えたりする中で神埼は悟る。
そういう、自分で調べたり考えたりすることをせずに、その時に思ったことをそのまま信じ込むことの危険性。
それって日常でよくあること。
ちゃんねるレビューの書き込みも例外じゃない。
相変わらず、スレの1をちゃんと読まないスレ荒らし投稿があるお茶の間。
スレ批判するなら、1ぐらいちゃんと読んで自分で考えようよ。といつも思う。
何も考えないで書いてるのか、調べるという意識が働かないのか。
そういう考え無しの人が多い世の中だから、御上先生のような「考えろ」をメッセージに据えたドラマが作られたんだろうに、考えたり調べたりすることを放棄してるのか、このサイトでは御上先生を批判する感想が優勢だった。
左とか右とか、勝手に決めつける投稿もあった。
今の時代、極端な左も右も無い人が大半なのに、まるで戦時中のアカ狩りのような。
戦時中を右とするなら、極端な右は沢山の人が殺しあう戦争を引き起こして、人の命も1人1人の人生も無下に扱い、人間同士の上下関係を作り、それをもって国民を支配するような思想だった。
今の人達の「右」は、そこまで極端じゃないはず。
「左」にしてもそうで、極端な「左」は人を縛り、左を推進する為に人の命を無下に扱っていたこともある。
そうしたことの反省から、左も右もない日本が作られたはずで、その手始めが1人1人の人権の尊重を基本にした日本国憲法。
1人1人の「個」を一番に考える考え方も、社会や集団を一番に考える考え方も、其々行き過ぎると歪み(ひずみ)が生まれて命軽視、人間軽視の世の中になっていく。
だから、どうすればいいのか、どう考えればいいのか、答えの出ないことを考えたり調べたりし続けることが一番大切と、御上先生のドラマはそれを伝えようとしていたドラマだったと思う。
御上先生を批判している人が多かったようなちゃんねるレビューと、自分自身で考えたり調べたりすること無しに安易な投稿をしてスレを荒らす利用者が絶えないこのサイトは、繋がっているような気がする。
ドラマにかこつけた利用者批判や誹謗中傷はやめましょう。
なぜだめなのかぐらい考えて。
過剰絶賛やめて欲しい❗
このサイトは、ガイドラインにある『多様性の尊重』という言葉を管理対応しない為の都合の良い言葉でしかないと思ってる人が多いのか、多様性の尊重とは程遠いことを書く人が多い。
人の尊重、スレッドの尊重、ドラマの尊重。
それらの尊重が出来ない利用者は、尊重という概念を持ち合わせていないんだろうか。
閑話休題。
34について。
かこつけてはいません。
ずっと思っていたことを御上先生で取扱っていると感じながらドラマを見ていました。
だから物凄く、御上先生を書いた作家さんに共感することしきりでした。
自分は作家さんと物事の捉え方や見方の感覚が似てるのか近いのだと思います。
前に、本スレにそういうことを書いた投稿をしています。
そしたら、左ってことだよねというレスを受けて嫌な思いをし、ドラマで描いていることとは随分離れた科学や理数系礼賛の議論スレになってることにも疑問を感じたので、その後、本スレから離れてますが。
どうして、ちゃんねるレビューはドラマで描いている本筋とは離れたことばかりに目を向けて酷評する人が多いんだろう。
御上先生に限らず、他のドラマでもです。
朝ドラ本スレなんか、いつもそう。おむすびなんか典型的でした。
そういうのを読む度に、御上先生が酷評されてる理由は、世の中のこと、社会問題等を考えたり調べたりすることをしない人達がこのサイトの主流だから?と感じたりしていて、ずっとその件について考え続けていました。
かこつけて、というのなら、お茶の間のスレ荒らし投稿にかこつけて、「御上先生」に対する見当違いの酷評が主流だった本スレ低評価や、左とか右とかの安易な決めつけを行うことを批判しています。
おむすびも、なぜあれだけくだらない理由(登場人物や設定の好き嫌い)でドラマを罵倒し続けていたのか、ずっと訳が分かりませんでした。
嫌気がさして、ドラマすら見るのも嫌になり、おむすび視聴もおむすび本スレを開くことも止めてしまいましたが、最終回まで続けられていたようですね。
色々な方面から深く物事を考えたり世の中のことや時代の風潮を調べる人達なら、あんな本スレの感想ばかりにはなりません。
ドラマを批判するにしても、批判の内容が人によって違うはず。
右へ習えのような同じような内容の感想が並ぶ本スレは、自分で考えることをしない視聴者達ならでは。
ちゃんねるレビューの本スレレビューで、ドラマを同じように過剰に褒めたり過剰に貶し続けてる投稿群を読みながら、本当に考えることをしない人達だなぁ…だから「御上先生」のような時代に警鐘をならす話を書いたんだと思うのに、と、ずっと思っていました。
そんな作家さんの思いは、全く伝わってなかったようですが。
実は、「御上先生」に出てきたアクティブラーニング。
SNSの止まない誹謗中傷は、このアクティブラーニングの作用ではないかとも思いました。
頭の中で相手のことを思い浮かべて書いていく誹謗中傷は、正にアクティブラーニング。
SNSの誹謗中傷は、一度書いたらずっと逃れられない誹謗中傷依存の人間を生んでいる気が。
一度書いたら誹謗中傷をしないではいられない人生になるかもしれない?
自分自身が病んでいく恐ろしいことなのに、分かってない人が多過ぎる。
このレビュー必要に感じない
いつも思う。
長ったらしい自己紹介。
知って読んで聞いての自我を押しつけるただの自己中の多様性なんて尊重したくないわ。
いつも思う。
長文の独特の論理で分析してる人こそ多様性を認めていない。
投稿全体の傾向について述べるのはオーケーだというマイルール?で、あーだこーだ書いているが、自分以外の投稿者を一括りにして「自分で考えることをしない視聴者たち」とか「誹謗中傷依存の人間」とか、ディスりまくってる。
これは他の投稿者に対して失礼な行為だと、何故わからないのか?
心の中で何を考えようと勝手だが、あのようなことはこの場に書くべき内容ではない。
あれを読んだ人がどう感じるのか、それこそ御上先生の言うように『考えて』ほしい。
ドラマ御上先生は良い部分もあったが、クラスの生徒全員が御上信者の良い子になってしまうところが非現実的だと感じた。それから、殺人事件はいらない。ドラマにインパクトを与えるために起こされたように感じた。
このスレは、”ドラマを見て” 感じたことや考えたことを綴るスレ。
テーマに合った内容の投稿をお願いします。
なお、
感想を逸脱して、”ドラマの感想を書いてくれた人”への揶揄、煽り、揚げ足取りとなっている書き込みは削除対象となります。
感想に対する感想であっても、意見を求める書き込みへの返答であったり、”間違いや勘違いを教えてあげるための書き込み” の場合は削除されません。
特定の書き込みに対してではなく、”全体的な書き込みの傾向”に対しての感想だった場合は削除されません。
上記は、サイトのガイドラインにある文章です。
全体的な書き込みについての感想は問題ないというのは、マイルールではなく、サイトルールです。
ドラマ御上先生をおすすめする
マスコミ関係者が怖い。
抽象的な内容をおすすめするのって
教育が今のままでいいみたいな空気に
させられているんだね。
少子化の本当の原因は教育の体制ですよ
お金がないばかりじゃないんだよ。
フジテレビ、日本テレビがちゃんとした
答えを出したドラマをお願いします🙇
TBSは学園ストーリーはやめて欲しいです。
フジテレビを潰そうとしてる勢力って
日本の衰退を推進してる気がする。
対岸の家事って怖いドラマ
ある意味ホラーかも知れない。
勿論好きな人もいらっしゃるのは分かるけど、
あり得ない描写が多くて知り合いや友人には
見てるって言いたくないドラマです。
ドラマを見て感じたことや考えたことを書こうと来たが、実は最近ドラマのタイトルが正確に思い出せません。あの柳楽優弥の動物の名前のやつ、とか。
そして今日は、タイトルどころか私は今季一体何を見てるんだっけ?から入った。
つまり、ドラマを見たはずなのにタイトルが思い出せなくなったなと「感じて」、何を見てるのか一生懸命「考え」ました。
こちらのサイトルールに合っているだろうか…
心配だ。
きっと大丈夫です😊
森山良子の「AIe AIe AIe」を思い出して共感してしまいました。
実は自分も、最近ずっとドラマはTVer視聴なので「○曜日のドラマ」という感覚が無くて、タイトルも適当にしか覚えてなくて、日中に友人と最近何見てる?の話をしてる時、「アレだよ、アレ。あの…あのドラマの○○をやった人が出てるやつ。タイトル何だっけ…」状態でした。
と、それを書こうとしたのじゃなかった。本題。
かなり長くなってしまったので、内容に興味のある人だけどうぞ。
ドラマのクレジットでホリプロの名前を時々目にする。
ホリプロは割と有名どころの芸能事務所で、名前の売れた俳優女優も沢山所属してるのだけど。
今期のドラマ、深夜帯のものだけど、そのホリプロ制作ドラマに出てくるイケメン設定の男性陣が、どうもイケメンに見えなかった。
その男性陣。普段はちゃんとイケメンだし、MVなんかを見るとホントにカッコいいイケメンで、ドラマでもしっかりイケメン設定なのに、何故このドラマではイケメンらしく見えないのだろうと。
(自分だけがそう思った訳じゃないようで、本スレの感想欄でもそんなことを書いてる人がいた)
で、ホリプロ制作だし、ホリプロ所属タレントを売り出すドラマ?と、ヒロインと相手役の所属事務所を確認してみたんだけど、ヒロインと相手役どころか、主要キャストの所属は全員ホリプロ以外。
何故、ホリプロ制作なのに、主要キャストがホリプロじゃないんだろう。
そのドラマ枠がホリプロ制作なだけ?
ホリプロって、自分の事務所のタレントを主要キャストに据えないの?
多分、まだそんなに顔や名前が売れてない新人さんとかは出演してるんだろうけど。
まさかそれで、タレントさん方の見た目に力を入れてないとか…(いくら何でもまさか過ぎるし、きっと違うと思うけど)
等々、色々想像を巡らしていたんだけど、今期、別の枠の1時間ドラマでもホリプロ制作協力という形でホリプロの名前を見て(プロデューサーの1人がホリプロだった)、主要キャストの所属事務所を調べたら、此方もホリプロ以外の方々ばかりだった。
ん?ホリプロは、ドラマの制作には携わるけど、ホリプロ所属タレントを特に主要キャストに据える訳ではないスタンス?
ホリプロは、そういう意味では公私混同しない事務所?
ホリプロが制作に携わってるドラマ、今まで特に意識したことなくてよく知らないけど、ホリプロのドラマ制作に携わってる方々は、ホリプロ所属の役者さんやタレントさん方とは、別枠で仕事してるんだろうか。
何か、不思議。
最近、ちょっとしたことから、役者さんやタレントさんが所属する芸能事務所についてよく考えてしまう。
芸能事務所、名前がよく知られた有名事務所しか知らなかったけど、実は相当な数があるらしくて、ある役者さんが、自分で履歴書を持って芸能事務所のオーディションを受けまくり、100件近く落ちた末にようやく所属事務所が見つかった…という話をしていて、大小合わせて100件以上もあるらしい。
ドラマや映画の常連となった(所謂、売れた)人も数多い世界だし、スカウトされて…のようなラッキーな人も数多いけど、
実は、芸能事務所に所属するのも大変なら、そこで仕事を貰うのはもっと大変。
ドラマで台詞のある役を貰うのにどれだけ苦労したり努力したりするんだろう。
名前のある役を貰うのなんて、更に大変。
でも、そこまでいっても芸能の仕事では食べていけない人もいる。
それでも主要キャスト目指して何年も頑張ってる人達が沢山いる。
それを思うと、自分はチョイ役の人につい目がいってしまう。
ホントに僅かしか出演シーンが無くて、台詞がたった一言でも、何日も前から役作りして撮影に臨む役者さん達。
ちゃんと見てあげたいんだよね。
ただ、気になる役者さんがいても、役名のないクレジットだと、役者さんの名前が中々分からなくていつも困る。
出演した人、役名が無くても役者さんの名前が分かるようなクレジットだと嬉しいのにな。
「ファーストクラス」というドラマがあった。
沢尻エリカ主演で、ファッション雑誌の編集部を舞台に、女性同士のマウントの取り合いを描いていたドラマ。
マウンティングを話の中心に据えたドラマは、あれが最初だったような気がする。
放送は2014年。
沢尻エリカを蹴落とそうとする編集部員の役に菜々緒が配されていて、菜々緒という名前と美貌・抜群のスタイル等を一躍有名にしたドラマでもあった。
割と世間に疎い私は、そのドラマを見るまで、マウントの取り合いなる言葉を知らなかった。
というか、マウントの取り合いみたいなものに全く興味がなかったから知らなかったんだと思う。
マウント、マウンティング。
犬のマウンティングなら知っていたけど、女性同士のマウンティング。
マウンティングは、相手に対しての優位性を示す行為。
何故、優位性を示したいかの裏には劣等感がある。
劣等感やコンプレックスが無い人は、相手との関係でどちらが優位かを一々考えたりしない。
ドラマの中で、沢尻エリカが演じた役にマウントを取ろうとする代表格を演じたのが菜々緒。
2人とも、視聴者目には充分美しいんだけど、雑誌の編集部で頭角を表し、上司にも仕事を評価されて優遇される沢尻エリカが、菜々緒は許せずにいる。
何で、あんな女が!?…みたいな敵意。
ファーストクラスでの菜々緒という女優は、美貌やスタイルでは沢尻エリカという女優に全く劣ってはいないんだけど、ドラマを見ている者には、どう見ても沢尻エリカに勝(まさ)ってはいないように感じさせる。
それは勿論、ストーリーがそうなってはいないからで、主演の沢尻エリカを引き立てるヒール役として配され、衣装やヘアメイクも沢尻エリカの方が勝(まさ)っているように演出しているからでもあるんだけど、視聴者という傍目から見ると、人同士の関係の中で優位性を感じるのは、相手のことを気にしていない方。
このドラマ、劇中の沢尻エリカが演じた役は、菜々緒が演じた役を全く気にしていない。
自分に対して敵意や悪意があることにも気付いていない。
対する菜々緒が演じた女性の方は、常に沢尻エリカが演じた女性を気にしている。
その両者の表情や様子で、菜々緒より沢尻エリカの方に優位性があると視聴者は感じる。
マウントを取ろうとする菜々緒より、マウントを取ろうともしない沢尻エリカの方に優位性があると感じるこのドラマは、マウントを取ろうとする行為こそが、優位性を覆してしまうのかもと思わせたりもする。
元より、マウンティングの裏には、自分が相手より下と感じている意識がある。
(因みに、犬もそう。飼い主に自分の優位性を示したかったり、他の犬より自分の方が上と示したい時にマウンティングをするらしい)
マウンティングは、自分の優位性を示そうとする行為だけど、それをすることによって、かえって自分の立場を下のように、端に印象付ける行為でもある。
でも、実際にマウンティングしてる時は、そのことに気付かないんだよね。
ファーストクラスで、菜々緒が演じた女性が沢尻エリカが演じた女性より勝(まさ)って見えた人はいないのでは。
それはきっと、マウントを取ろうとするとき、その裏にある”自分は相手に負けている” という劣等感やコンプレックスがあらわになってしまうからかもしれない。
実生活で、マウントの取り合いの当時者になったこと、多分自分は無いはずだけど、よく世間で話題になったり、ドラマによく出てくるのは、自分を良く見せようとするインスタ投稿とか?
この間まで放送されていた「私の知らない私」にも、そんな女性が描かれていた。
虚像かもしれない、不特定多数の閲覧者に向けたインスタでのマウント。
それを見て、羨望と嫉妬にかられてマウント目的のインスタを始める人もいるのかもしれない。
自分はくだらないとしか思えないんだけど、そうじゃない人もいるんだよね、きっと。
ただ、ファーストクラスの沢尻エリカが演じた役と菜々緒が演じた役のことを考えたとき、相手に対しての優位性を端の人が感じるのは、優位性を示そうとしないこと、即ちマウントを取らないことなのではないかと思ったりする。
俳優さん・役者さん(違いは何😅)が時々口にする言葉で、「演出をつける」という言葉がある。
演出や監督が、役者さん達に演技の指示を出したり演技指導をすることで、撮影現場や舞台稽古で当たり前に行われていることなんだけど、視聴者がドラマを見て良い演技とか演技が上手いとか下手とか評するとき、演出家や監督の手腕がそこに加わっていることを、つい忘れがちになってる気がする。
視聴者は、そういうことに素人の人が多いし、実際にそのシーンの撮影現場にいなければ、どういう指示があって、どういう演技指導があったのかも分からない。
たまに、その辺のことを話してくれる俳優さんもいて、凄く参考になるけれど、基本、私達視聴者が見るのは、出来上がった作品だけ。
そのことを考えると、ドラマを見て、この人の演技はどうだとか、上手いとか下手とか、自分も書いてしまうけど、どこまでが本人の力で、どの辺りが演出家や監督の手腕なんだろうとよく考えてしまう。
表情ひとつとっても、照明のあて方やカメラワークで随分印象が違ってくるはずだけど、ドラマを見ている時、照明さんやカメラさんの手腕は、よほど何か特徴的なことでもない限り、出来上がった作品からそこを推し量るのは難しい。
実際に普段から現場で撮影される側の俳優さん達なら、ある程度、ドラマを見ただけでも見当がつくだろうし、情報交換などで知る機会もあると思うけど、単なる視聴者の私達には到底無理のような気がする。
ここまで、演技のことについて書いてきたけど、俳優さん達の演技だけじゃなく、脚本も演出もそう。
どこまでがご本人の力で、どこからが役者さんや他のスタッフさん方の力なのか、作品を見てるだけでは分からないことも多い。
ドラマの感想を書くとき、いつもその辺りのことが頭を過る。
感想を書くのは割と簡単?なんだけど、評価となると難しい。
ドラマ制作の裏側を知っている訳ではない単なる視聴者の自分などは、何に主眼をおいて評価したらいいんだろう。
このサイトの星評価は、おもしろい、ふつう、つまらない、という評価基準になってるんだけど、結局、自分が面白かったか、自分がつまらなかったかでしか、単なる視聴者は評価出来ないのかもしれない。
でも、何か自分は抵抗があるんだよね。
面白かった、つまらなかったの主観だけで作品を評価してしまうことが。
ドラマの評価って、考えれば考えるほど、本当に難しい。
最近ネットの口コミについて周りの人と
話します。
真実が嘘か見極める力を養うみたいな人
多くなりました。
中々難しいと思うが、
星5だらけ、星1だらけは嘘っぽいと
皆言ってます。
今期のドラマ「魔物」の中で描かれた、塩野瑛久が演じてる凍也の過去。
母親が家を出てしまい、残された父親は息子をなじりながら暴力をふるう。
生活は苦しく、家の中は散らかっている。
その後、息子が高3の時、父親は事故死。
この辺りを見ていて、少し前までやっていた「未成年~未熟な俺たちは不器用に進行中~」の中の蛭川というキャラの境遇と同じじゃないか…と思ったんだけど、もしかして、韓国の作品ではよくあるパターンだったりするんだろうか。
(「魔物」は日韓共同制作のドラマで、「未成年」の原作は韓国の女性が描いた漫画)
韓国ドラマ、殆ど知らないので分からないけど、そんなことを思ったのは、日本のドラマでこういうエピソードは、あまり無い気がするから。
両作品とも、家を出ていったのは、父親ではなくて母親。
日本のドラマだと、家庭を捨てて家を出ていくのは、母親ではなくて父親というのがよくあるパターン。
何故なのか考えてみたんだけど、これは視聴者に女性が多いから?(女性が苦労する話の方が、視聴者ウケがいいとか?)
それとも、お国柄の事情?
で、日本のドラマでは、父親が出ていった為に母親が働いて苦労したり、子どもが寂しい思いをしたり、母親が新しく付き合ったり再婚したりした相手の男の人が子どもを虐待する(性的虐待だったりも)…という話が、割とよくある話のパターン。
でも、先に挙げたドラマは2つとも、出ていったのは母親で、(その母親に未練があるような)父親が、母親に見捨てられたお前を育ててやっていると子どもをなじりながら、暴力をふるってるんだよね。
これって、たまたまの偶然?
それとも、父親と母親のどちらが、より家庭の中で中心になってるか、みたいなお国柄の違い?
私は韓国の事情をよく知らないんだけど、日本よりも韓国の方が、家の中での父親の存在感が大きい気がする。
それに対して日本では、家の中で割と中心的な存在なのは、父親より母親というのが多い気がする。
だから、韓国の作品では母親が出ていって、残されるのは父親という話が作られやすくなり、日本の作品では、父親が出ていって、残されるのは母親という話が作られやすくなるとか?
韓国のドラマ、殆ど見てないので、違っていたらごめんなさいなんだけど、凍也の境遇と蛭川の境遇が同じだったのは、たまたまの偶然?
それとも、韓国ではよくあるパターン?
「魔物」を見て以来、ずっと気になっている。
韓国って子供の幸福度が
低いみたいね。
日本以下
日本も酷いよねー
お金をちらつかせる政策ばかり
うんざりするよ。
ドラマで其処を描いて欲しいです。
お礼が言えないZ世代、
学校から勉強の無理強いのせいですよね?
友達に親切にしましょうは
誰も言わない教師たち
そりゃあ少子化でしょう。
週刊テレビガイド大好きです。
ライバル社はやはり、
そういう人多いでしょう。
発言するネット民とは真逆の考え方の人が
圧倒的に多いのも
CM協賛会社はいち早く気づくべきです。
大半の一般人はいちばんマトモなテレビ局に
CMがないのを心配してるんだよ。
ネット民のコメントを信用し過ぎ❗
親をモンスターと言うネーミングは
誰が考えたの?
学校関係者ですか?
御上でモンスターペアレントを揶揄する
台詞に怒りを感じた。
教師から不当な扱いを受けた時に
訴えられない空気をつくるドラマは
やめて欲しい。
日本も弁護士を雇うのが当たり前に
なるのですか?
ぞっとします。
こういうドラマの感想がかえって
生きにくい空気を作っているよ。
ストーリーに人物の掘り下げがない
ストーリーを面白いの感想に
驚きしかない。
チャンネルレビュー参考にならない感想が
凄く多いわ。
マトモな人たちはかなり減ったサイトに
あれこれスレ飛び入りさん
実は韓ドラでもよく「血は水よりも濃い」と言うセリフが使われるのですがここ最近では、余り使われなくなりました。
多分、日本以上に「家族」に捕らわれるのは止めよう、止めたい…と言う動きが強いのだと思います。
私もよく周りで「親なんだから」「家族でしょ?」と言う言葉でその選択の自由を奪われる事が多々有るのを見て来たので、飛び入りさんとは若干の受け取り方の違いは有ると思いますが結論的にはほぼ同じ様に感じています。
大きく違うのは親が子供を絶対に愛していると思っている部分です。
愛していようがいまいが「親」や「家族」と言う括りで雁字搦めにしている場合が多いと私は思っています。
ですが毒親育ちが親にされて来た事を他人に話しても信じて貰えないカサンドラ状態に陥るのは「親なのに?」と思う人が多い事も知っています。
ドラマに登場させないのは共感性が少ないからではないかなと思います。
だって毒親って紙一重ですからね。
干渉はしなくてはならないのに過干渉はダメ。
無関心やネグレクトはダメなのに過保護もダメ。
暴力は勿論いけないと誰もが知っているのに言葉の暴力は浴びた子供にしか分からないのですから。
共依存だと毒親である事にも気付かない場合も有りますしね。
朝ドラは見ていないので全く分からなくて申し訳ないです汗
私が見たドラマで一番、それを正しく描けていたのは「37.5℃の涙」と言うドラマで蓮佛美沙子さんの母親役(浅野温子さん)でした。
確か成宮寛貴さんが地上波ラストの連ドラじゃなかったかな?
なつさんは「自己愛性パーソナリティ障害」を例に出して話して下さったのですが毒親の殆どが何らかの精神障害を持つ事も多いので、同列にお話しました。
浅野温子さんが演じた母親役が正にコレで、自分を守る為に子供を犠牲にする事に躊躇がなく、それでも味方は欲しいので蓮佛美沙子さん以外の兄弟には普通に愛情を持って(持った様に見せて)教育していました。
この母親は共感性の欠如と言えるのです。
どの子供ともその立場に立っては考えられないから。
でもドラマ自体は子供が熱を出したら母親は働けないと言うのがテーマだったので、そこまで毒親を掘り下げてはいませんでした。
それ程に日本では臭いものに蓋をする状態でまだまだ明るみに出ない訳です。
>なので、視聴者の一般的好みを考えて、ドラマに登場する親は、どんなに酷いことをしていても、やむを得ない事情があったとか、精神的にギリギリの状態だったとか、後で振り返って後悔してるとか、そういう結末を持ってきたがるんじゃないかと。
↑については、本当に日本では最後には改心するドラマばかりですが、あんなに簡単に改心するなら、もっと早くに子供が苦しんでいる事に気付くと思います(^_^;)
「降り積もれ〜」は見てましたが、毒親って完全じゃないと思うのでDV彼氏から逃げない女性と同じだと思います。
それこそ「魔物」でも描かれましたが優しい瞬間を知っているから期待してしまうのではないでしょうか?
「ディアマイベイビー」でも虐待母から折角逃げたのに過干渉女の元へ行く男性が描かれてました。
それ程までに幼少期に受けた普通ではない感情は、人間を作って行く上で何かを壊しているのではないかと思ってしまいます。
ドラマでは面白おかしく…や、それこそ成敗されるか改心するかで終止符が付けられますが現実では終わりはないですからね。
愛情を受けるべきだったからと怒ったり憎んだりすると言うよりは、他の親が当たり前に子供に与えている愛情を垣間見た時に何故、自分は違うんだ?と怒りや憎しみが湧くのでは?
それまではただただ間違っているとも知らず親の言いなりになって過ごすのではないでしょうか?
「悪の心を読む者たち」は韓国で実際に起きた事件を天気やセリフまで同じに再現したドラマだそうです。
見終わって知りました。
字幕だとシンドいですよね(^_^;)
かなり眠くもなるので寝付けない時には子守唄代わりに良いかもです。
反論は私の意見として書かせて頂いたもので、否定の意味では有りません。
まぁお分かりだと思いますが(^_^;)
そして、「毒になる親」は捨てても良いと言う選択肢を与えるドラマを作った方が良いと私も思います。
ヤングケアラーが増え続けて、助けも出せないで我慢だけ強いられるから犯罪が起こる。
日本が終わってると言われるのは若年層に光が差さないからとも言えますからね。
今、結末がハッキリしないドラマもチラホラ増えてますけどどうせなら、悪は倒せなくても逃げればいい!位のドラマを作って欲しいものです。
今、待機室もざっと読ませて頂きましたが自己評価が低い人が後にDV男なんかに捕まるのは全く同意です。
依存体質が出来上がってしまうが故なんですよね。
降り積もれ〜のスピンオフがそんなに安易な物だったとは知らず……さぞ残念だった事でしょう。
飛び入りさんの仰る「絡み」、私は「煽り」だと思っていますがどんなスレに居ても同じです。
スルー出来ればどんなスレでもあれこれスレの様にドラマの話だけが出来ると思います。
気になさらないで下さい。
私は投稿出来る頻度が限られてますので、構っている暇が有りません。
今回はサイト外で文章を作ったので、上げて頂いたスレに投稿してみます…と、言うかしてると思います笑
あれこれスレにもご配慮頂きありがとうございます。
あちこちのスレに投稿する時間が取れないので今回はこの辺で。
こちらのスレに書かれている物も初めて読みました。
又、興味深い事案が浮かびましたら、投稿しますね。
面白いお話をありがとうございました。
48を読んで
女房に逃げられた男の話しというのは、昭和40年ごろ渥美清さんの「泣いてたまるか」のような人情劇にあったような気がします。
で、考えてるうちに、あの大ヒット曲🎶逃げた女房にゃ未練はないがお乳欲しがる、、、っていう浪曲子守唄を思い出したのです。千葉真一さん演じる賭博師の話で映画にもなっています。
次に思い出したのが、男一人で子どもを育て行く、あの大五郎お前もかっていう人気時代劇、🎶しとしとピッチャンの子連れ狼。でも妻は柳生一族に殺されたようです。
父と子の話しは虐待ではなく、愛情で描かれて来たのではないかと思います。
朝ドラ第一作の「娘と私」は、獅子文六さんの原作で妻を亡くした父親が1人で娘を育て上げる話しです。
54を書いてから映画「クレイマークレイマー」を思い出しました。妻が出て行った後に慣れない家事をしながら息子を育てる。裁判では母親が親権を勝ち取るのだけど、ラストは父と子の強い絆を見て息子を夫に渡す。(この映画を見てフレンチトーストの作り方を覚えた私。)
クレイマークレイマーと同じような内容のドラマが草彅剛さん主演の「僕と彼女と彼女の生きる道」だと書いてありました。
夫に愛想を尽かして妻は1人で生きる道を選ぶって70代ですが、今やってるBSドラマ「照子と瑠衣」もそうです。夫役が大和田真也さんですから、単に捨てられた夫には、ならないような気がします。
かなり古いドラマや映画の話題でごめんなさい。
54さんの投稿を読んだ時、私もクレイマークレイマーを思い出しました。
で、そう言えば、日本のドラマでは、母親に捨てられ?た子供を父親が孤軍奮闘して育てるドラマが結構あったことも。
例えば、この子はあなたの子供です!と、昔付き合ってた女性から子供を押し付けられて…みたいなのとか。
直ぐに思い出せるのは、田村正和さんの「パパはニュースキャスター」。
あれはコメディーで、3人の女性達から其々が(ワンナイトラブで?)産んだと言っている田村正和の娘達でしたが。
ゴールデンタイムの連ドラは、割合、楽しめるテイストの作品を作りがちだからかもしれない。
男性が慣れない子育てに奮闘するさまは視聴者受けもいいだろうし、女性の願望が反映されてるのかもしれないけど、妻に出て行かれると夫が改心していくようなストーリーもよく見てきた。
少なくとも、ストーリー展開上、母親が出て行く話だとしても、残された夫が息子に暴力をふるうようになる話は、48に書いた日韓共作の「魔物」と韓国の漫画家が描いた作品が原作の「未成年」と、その2つのドラマ位しか私は知らない。(私が知らないだけかもしれないけど)
「未成年」の方の父親の暴力は、中々凄まじくて、殴る蹴るが当たり前の暴力シーン。(子供が高校生と身体も大きいので、虐待というより、暴力シーン💦)
父親役を演じたのはオクイシュージさんという方だけど、その子が暴力をふるわれる場面に出くわしたその子の友人役を演じた本島純政くんは、撮影の裏話として、また父親が自分の息子に暴力をふるうことを予感させる(危機が迫る)シーンの時、その息子から(お前は)逃げるように言われて、そこから逃げるのだけど、本当に指が震えてしまい、鞄からスマホを取り出して110番しようとする演技の際、指や身体の震えでスマホも上手く掴めなくて操作が中々出来なかった、と言ってたぐらいの迫力。
(イメージとしてはまるでヤクザの押し入り的な迫力。父親はちゃんと仕事していてヤクザではないんだけどね)
まぁそのくらいの演技をしないと、息子が父に「早く死ね」と思ってしまう展開に説得力がない訳だけど、日本の作品で息子をそこまでボコボコに傷め付ける父親ってあっただろうかと。
日本のドラマに出てくる父親は、子育て場面では「実は子供思い」のことが多い。
中には、子供が暴力に耐えかねて父親を殺してしまう「降り積もれ孤独な死よ」みたいな作品もあるけれど、あれはドラマ化を想定しないで描いた原作ものだから?
家族で見るかもしれない地上派のTVドラマは、虐待描写に関しては、割とソフト。
視聴者からのクレームを考えてのことかもしれないし、そもそも放送倫理規定であまり酷い暴力による身体虐待の描写は許されてない可能性も無きにしもあらず?
…と、ここまで書いて思い出したのだけど、昨年末に放送された「ライオンの隠れ家」は、虐待する父親と慣れない子育てに奮闘する2人の男性が出てきたドラマだった。
ただ、ハートフルな子育てに奮闘する柳楽優弥の方はしっかり描かれてたけど、虐待をしてた父親の向井理の方は…もう少し掘り下げて欲しかったなぁ。
最終回も、ライオン達の側はしっかり描かれてたけど、向井理は結局あれからどうしてる?の疑問が残ってしまった。
向井理の方もちゃんと描いて欲しかったな。
因みに、父親が母親がいなくなった為に子育てに奮闘するドラマとして、自分が直ぐに頭に浮かんだのは、石立鉄男の「パパと呼ばないで」。
若い人は知らないかもしれないけど、放送当時はかなりの人気ドラマ。
あのドラマで石立鉄男のファンになった私のような者もいる💦
そう言えば、あの有名な小津安次郎の映画「秋刀魚の味」も父と娘の話だった。
父と娘、父と息子の父子家庭は、何となくだけど、日本のドラマでは暖かい描写がされることがやっぱり多い。
そういうテーマを描きたいのが制作をする側の心情なんだろうとも思う。
ただ、そればかりに偏って、それが『普通』だと皆が思ってしまうと、ドラマで描かれるような暖かみのない父子家庭にいる子供達の救いはどこに求めたらいいのだろうと思ってしまう自分もいたりするんだけど。
ドラマで描かれる暖かい父子家庭は『理想』。
理想に恵まれない子供達のことを、やっぱり私は考えてしまう。
(54さん、待機室の357も読ませて頂きました😊
私のこの投稿には関係なく、ご自身が考えてることや感じたこと、自由に書いて下さいね。このスレはその為のスレなので😉)
レスありがとうございます。
56さんは朝ドラ「虎に翼」をご覧になっていないのでしょうか?父親に虐待された弁護士山田よねの過去。よねが弁護した尊属殺人事件は父親から性的虐待を受けていた娘が殺害に至るという実話から来ている話しでした。
子どもや女性が救いを求める場があれば、助けてくれる人が身近にいればと常々思います。父親から、夫から遠くに逃げて本名も隠して生活してる人を知っています。現実はドラマのように愛に溢れるようなことばかりではありませんね。
「虎に翼」は、初回~3話?ぐらいまでと中盤の終戦直後の寅子とよねさんの再会の辺りを少し見ただけだったんですが、そんな話を出してきていたとは…!
全然知らなかったです。
で、虎に翼のあらすじを少し調べてみたら、そのモデルとなった事件のことは知ってました。
確か担当された弁護士の方は割と年配の男性で、裁判中、身体の調子を崩して入院されたか何かで、その方の息子さん弁護士が裁判を引き継がれて、親子二代で勝訴を勝ち取った事件、という記憶ですが、最近も何かでその事件のことを書いた記事を読んだばかり。
虎に翼では、その事件、女性のよねさんが担当弁護士だったんですか?
よねさんの過去もネットのあらすじ記事で調べてみました。
同じ女性同士ということでの裁判後の会話を盛り込みたかったのでしょうか。
私が読んだのは、デイリー新潮の以下の記事です。
【虎に翼・最終週】「実父からの性虐待」を朝ドラで扱うスゴさを再確認…有終の美を迎えそう(2024年09月23)
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/09230800
NHKオンデマンドを登録してるので、おいおい見てみようと思います。
何話からそのエピが出てるのかが分からなくて、最終週の最初の回だけとりあえず見てみましたが、もう少し前から見ないと分からないみたいですね💦
刑法200条の尊属殺人罪のことも私は知らなくて、その事件での違憲判決後は事実上適用されてなくて、1995年(平成7年)の刑法改正で削除されたとのことですが、平成7年まで削除されてなかったことも驚きでした。
というか、尊属殺人の重罰規定そのものが驚きだったんですが、なるほど…と思ったのは、親の子に対しての、「育ててやってる」とか「産んであげた」とかの言葉。
この言葉を聞いて、腹を立てたり傷付かない子供はいないと思うのですが、まるで当たり前のように?よく聞く言葉。
ドラマの台詞でもよくあって。
子供は1人のちゃんとした人格で人権があり、親の所有物ではないという考え方の子どもの権利条約を国連が採択したのは1989年(平成元年)。
日本は翌年署名して、1994年(平成6年)に批准を行い、1994年5月から効力発生…と、今、ネットで年号を調べて書いてますが、
子どもの権利条約が国連で採択された当時、巷では、え?子どもに人権?というかのような言葉を、実は私、職場でよく耳にしました。
当時、自分の職場は学校で、しかも特別支援校した。
勿論、皆が皆ではありませんでしたが、子どもをある意味育てる側の人間ですらその意識。
何て傲慢な、と思ったのを覚えています。
それが親子関係なら、そこに愛情があると言ってしまえば、親は何でも許されてしまう錯覚に陥ってしまう。
子どもの方も、それに従わなきゃいけない感覚になってしまう。
「虎に翼」でのよねさんが担当した事件のモデルとなった事件も、根底にはそうした問題があるような気がしますし、
元を辿れば、日本古来の家父長制を基本とした家族制度が持つ ”負の面” のような気が私はしていて、現行の家族を基本とした戸籍のあり方を考え直した方がいいのじゃないかと、個人的にはずっとそう思っているんですが。
あ~何か、話が随分大層な方向になってきました💦
この辺りで止めておきます…
家族愛や親子の絆を賛美してるようなドラマ、沢山ありますし、それを否定してる訳じゃないんですが、出来れば、そういう作品を描く時に、家族だけが全てじゃないということも織り込むような内容にしてほしいと、個人的には思っています。
「家族狩り」という作品もありました。
原作があって、小説ですが。
その作品での犯人、家族を「狩る」殺人の動機は、家族の救済。
勿論、原作はフィクションで、ミステリー作品ならではの動機ですが、たかが小説、想像による創作物と言ってしまっていいのかと思ったりもします。
(中々ヘビーなことを書いてるので、どなたさまも無理にレスなさらなくて大丈夫です💦一個人の戯言としてスルーして頂いた方が良い内容かもしれません…)
すみません。
58を読み返していて、誤解?を招いてしまいそうな部分があったので、少し追加補足しておきます。
↓の部分なんですが。
>虎に翼では、その事件、女性のよねさんが担当弁護士だったんですか?
よねさんの過去もネットのあらすじ記事で調べてみました。
同じ女性同士ということでの裁判後の会話を盛り込みたかったのでしょうか。
↑の部分、自分はまだドラマを見ていないので、ドラマがどう描写していたかは分からないのですが、モデルとなった裁判の記事を読んでいた時、弁護士の方が執行猶予付きの判決が出たあと、女性に対して「裁判ごと忘れてしまいなさい」と言葉をかけたという話を書いていたものがあって、その言葉が印象に残ってたんです。
「裁判ごと忘れてしまいなさい」って、凄く暖かい言葉だと思って。
58に載せたドラマの記事を読むと、よねさんが女性にかけた言葉はちょっと違う雰囲気があるので、「忘れてしまいなさい」が無くなってしまったのなら勿体ないなぁと。
モデルとなった女性の心情を推し量ることなどとても出来ませんが、実の父親から性虐待を受けていた末に何人も子どもを産み、付き合っていた恋人からも父親とのことが知られて見捨てられた?らしい女性にとって、弁護を担当された年配の男性は、実の父親より、よほど父親らしい存在だったかもしれない、もしかして、初めて頼りに出来る男性だった?と思ったりもしたので、担当弁護士がよねさんという女性になってしまったのは、惜しい…という意味で書きました。
だって、強烈な男性不信になっていてもおかしくないですし。
それと、書きついでですが、子どもに虐待等の不適切な養育をしてしまうのは、男性に限らないはずで、暴力やDVにしても、女性からのDVというのも割とあるようで。
私は未見でしたが、女性DVを描いた深夜ドラマも確か前にあったような?
女性がいつも被害を受ける側とは限らないし、性虐待にしても、男性が被害者というケースも割にあるようで、まさかそんなことが…という周囲の意識や、恥ずかしくて表沙汰に出来ない、言っても信じてもらえないからと口をつぐむ男の子も、あの有名な芸能事務所関係だけでなく、以前から日常の中で普通にあったことのようで、今更のように、昔に起きた事件が時々ニュース記事になっています。
虎に翼は、女性の立場の向上という終戦後の憲法改正からの流れを追っているドラマだと思うので、女性側目線でのエピに変更したのだと思いますが、女性がいつも弱者・被害者とは限らなくて、自分の安全や自分の生活を守る為とか、自分さえ無事ならとかで、我が子への虐待や暴力に目を瞑ったり見てみぬふりをする女性も中にはいる、のもまた現実。
具体的なドラマ名が今パッと浮かびませんが、たまにそういう母親が出てくるドラマも見てきたように思います。
親子関係に於いて、子への虐待や不適切な養育態度に性差は無いと自分は思っていて、女性に母性があるのと同様、父性が強い男性もいて、男性女性で語るような問題ではない気も。
こうした問題は、男性女性・父親母親で語ったり考えるよりは、子どもやパートナー等に対して、相手のことをどれだけ尊重するか、尊重出来るか問題で考えるのが妥当のように思っています。
男性女性という括り自体、性差差別のような気がしますし、男性女性という属性自体が、実は曖昧なものでもあるらしいからです。
(Xジェンダーとか、身体的性が一般的に定められた男性・女性の中間もしくはどちらとも一致しないインターセクシュアルとか、その辺りの解説を色々読んでいた時、ヒトを男性女性でどちらかにカテゴライズすること自体が、そもそも無理なのだと感じました。
セメンヤさんに関する学術的?な解説を読んで知ったのですが、テストステロン値も人によって様々らしく、ただ、普段の生活に支障がない為に、私達は自身を男性女性のどちらかにカテゴライズしてるだけみたいです。
そう言えば、福田沙紀と剛力彩芽がISを演じた『IS(アイエス)~男でも女でもない性~』というドラマがありました。
六花チヨさんの原作をドラマ化したもので、私はそのドラマでISのことを知りました)
長い文は読まない❗
広○高校への被害者さんよく言った、
かなりの覚悟が必要だっただろう。
ドラマ神説教のストーリーはこういう被害に
有ってる人の為に必要でした。
これからも内容あるドラマは作るべき。
虐待を取り扱うドラマが増えてきていて、今期も例外ではなく。
虐待にも色々種類があって、身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクトの4つに大別されていると自分は以前習ったけれど、僕星で出てきた教育虐待もそうだし、今、虐待の種類を少し検索したら、経済的虐待というものが大別の種類の中に増えていて、○○虐待という言葉、種類、どこまで増えていくのだろうと。
(もしかしたら、経済的虐待という言葉は、大別種類の中で最後に出てきた言葉なのかも。戦後の生活が苦しくて貧しい人が多かった時代には、虐待という概念で捉える人はいなかっただろうし)
で、今期、「明日はもっといい日になる」や「僕達はまだこの星の校則を知らない」を見ながら考えていたんだけど、
大方の虐待をする親に共通してるのは、対・人に対するディスりを当たり前のように口にすること。
心理的虐待などは子どもをディスりまくる虐待で、身体的虐待も暴力をふるいながら子どもをディスる点で同じ。
経済的虐待も、性的虐待も、ネグレクトも、根底には子どもを大切にしないディスり意識があるように思う。
この子にはそれをやっても構わない、というディスり意識。
このサイトも例外ではないけれど、SNS上には他人へのディスりが溢れてる。
ネットを利用していて、他人へのディスりを読まない日はないと言っても過言ではない。
殺人については、頭の中でそれを思ったとしても、実際にそれをやるかやらないかの違いは大きい、やらない人は絶対やらない、ということがよく言われるけど、ディスりもそうなのでは。
ネット上でも現実でも、ディスりは、しない人はしない。する人はする。
人をディスる言葉を口にする人、書く人は、虐待をしてしまう人のように自分は感じる。
ディスりをよく書く人、口にする人は、リアルでも虐待をしてるのではとの疑念が、最近、頭から消えない。
本人が虐待してるという自覚がない場合がありますから、話しあっても難しい。夫婦なら離婚できるが親子の場合は難しい。と自分の家庭を振り返ってしまったドラマでした。
自分は絶対にやっていないと言う判断は自分で出来るものではないと思う。
それは周りが判断するもの。
そのやってない自信こそが虐待の根本に有る事を学ばせるドラマは有って良いと思うけど、それを見た所でやってないと思い込んでいる者には絶対に届かないのが虚しい。
自分の正義が間違っているかもしれないと疑う事が出来るなら人は変われる。
そうではない例がここには在る。
心理的虐待の光景は見たこと
有ります。
しかし、親が死んだらその子供に
障害が有れば、もっと悲惨になる現実です。
ドラマ作りが下手だとアニメ映画も
冴えないとは、
がらがらな客入りでした。
映画ベルサイユの薔薇とは真逆な客入り
週刊誌や新聞が丁寧な良作を絶賛しないのが
気になる。
中居問題を取り上げるのはいいけど、
いちばんマトモなドラマやバラエティー番組が
多いのにCMカットを喜ぶ記事に幻滅してるよ。
企業も此れから生き残るの、本当に大変ですよ。
フジテレビ潰したら、少子化が進む気がしますし、
「ノーパンしゃぶしゃぶ」の言葉が出てきた「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」
「ノーパンしゃぶしゃぶ」の名前は聞いたことあるけど、何となくこんなものだろうとの知識しかなかったので興味本位にググってみたら、1998年の金融機関と大蔵省の汚職に使われてた接待場所であることをAIが教えてくれた。
事件を更に調べると、事件に関わった金融機関の名前が幾つも書いてあって、そう言えば、あの頃(2000年前後)次々に、銀行の閉鎖?や合併統合があって、幾つかの銀行からカードや通帳の手続き案内が来て、非常に面倒だったことを思い出した。
あの頃の銀行の動き、何でこんなに次々と!と、当時仕事に忙殺されてた自分は汚職事件のこともろくに知らなくてよく分からなかったけど、そういうことだったのかと今になって知った。
あのドラマのその言葉が出てきたシーンを見て、汚職事件のことが頭に浮かんだ視聴者はどのくらいいるんだろう。
本スレのレビューには、今のところ誰も書いてないけれど。
私は事件自体もよく知らなかったので、あぁそう言えばそんな店が出てきた時期だよなぁとしか思ってなかったけど、事件のことが頭に浮かんでたら、クスッとしてあのシーンをより楽しめた気がする。
ドラマの舞台は1984年。
0時以降の営業が禁止された風営法はもう少しあとだっけ?と確認したら、1984年8月14日に改正、1985年2月13日施行とあった。
0時過ぎに営業できない時代がもうすぐやってくる。
ドラマに風営法改正エピが盛り込まれるかは分からないけど。
少し前、1995年と現在を行き来してるような「95」というドラマがテレ東であった。
ちゃんと全部見ていないので、どんな話かよく知らないけど、ミスチルの「CROSS ROAD」が出てきた時は懐かしかった。
因みに、その時代その時代を色濃く反映させた内容のドラマは、その時代を知ってる人を主なターゲットとして作られてるんだろうか。
もしそうだとしたら、ドラマの内容も高齢化、高齢者向けのものが多くなってきている?
それか、作り手側の年代があがってきてるから、そういうドラマが作られるんだろうか。
最近、このドラマの作り手は幾つぐらいの人なんだろうと考えることが増えた。
若い頃はそんなこと考えもしなかったのに。
「絶対零度」
今期、沢口靖子さん主演ということが色々話題になってるようで、どんな感じか見てみようと思ってTVerを開いたんだけど、沢口靖子さんにそんなに興味がないせいか、他に気になるドラマがあったせいか、10分と持たなかった。
なので、これはドラマの感想ではないんだけど。
実は、過去の「絶対零度」のシリーズ自体、そんなに見てなかった自分は、「絶対零度」のタイトルの意味がよく分からないまま今に至っていて(カッコいいタイトルだとは思ってて、何か意味があるんだろうとは思ってたけど)、今回、沢口靖子さんを何故起用したのかが気になって調べ始めたついでに、タイトルの意味も調べた。
そしたら、「どんな事件も完全に凍ることはない。 未解決のままでは終わらせないという意味を込めて」と台本にも書いてあったらしく、そうか~未解決のまま終わりそうな事件を解決する話なのね(ドラマの実際が違ってたらすみません)、とようやく理解したんだけど、
ん?これって、オダギリジョーが出ていた「時効警察」と似たようなことなんじゃ?と思ってしまった💦
ドラマのテイストがあまりにも違うし、「時効警察」は、もう時効になってる案件を扱い、警察として捜査してる訳じゃなく、警察官であるオダギリジョー個人が、余暇を利用して行う"趣味" の捜査。
犯人が分かっても、もう時効になってる事件だから逮捕もしない。
「絶対零度」は、時効やオクラ入りを迎える前に、「そうはさせないぞ」と絶対的なシリアスバージョンで描いてるドラマ?(違ったら教えて💦)
対する「時効警察」は、時効を迎えてもオクラ入りしてても、事件の真相は解き明かせると絶対的なコミカルバージョンで描いてた。(言い方)
そうだったのか。「絶対零度」のタイトルの意味。
そう言えば、殺人事件の時効は撤廃されたもんなぁ。
時効を鍵として扱う話は、もう今は作れなくなってる。
だから、時効やオクラ入り寸前の未解決事件を扱うドラマが作られてる?なんてことも考えてしまった。(全く違うかもしれないが)
で、当初の目的だった沢口靖子さんの起用理由。
今期の「絶対零度」の本スレには、制作スタッフの名前も登録されてたので、プロデューサーか誰かが沢口さんの過去作品絡みの知り合いだったりするんだろうかと、殆ど下世話な興味で制作スタッフの名前を辿って調べてもみたけど、皆さんずっとフジのドラマに関わって仕事してた方々が殆どで、そういうことでも無さそう?
ということで、結局分からなかったんだけど、
もしかして、「絶対零度」のタイトルに因んで、「どんな俳優も完全に凍ることはない。このまま榊マリコでは終わらせない。」ということでの起用だったりして💦
(無理やりのこじつけ理由のような気もするけど。)
くだらない内容、失礼致しました。
競馬ドラマは流石にどうなの?
お金ない人に希望を与えるみたいなのは
嫌ですね。
親戚に競馬で人生が破綻した人が
いいるから、安易に放映されてるのは
不安です。
賭け事を美化するドラマなの?
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