令和の時代の今だからこそ、古き良き昭和の名作・傑作ドラマに関連する話題の雑談を楽しみたい人の為のスレッドです。
「傷だらけの天使」
「前略おふくろ様」
「白い巨塔」
「岸辺のアルバム」
「北の国から」
「ふぞろいの林檎たち」
「3年B組金八先生」etc.
昭和に放送されたTVドラマ作品で名作、傑作と自分が評価するコンテンツに関連する話題であれば、多岐に渡り雑談を楽しめます。
作品を通じたご自分のエピソード、想い出話、放送された当時の時代背景や題材の深堀りもOKです。
⚠️但し、感想を書いてくれた人を誹謗中傷する書き込みは禁止します。
もし、そのような書き込みが投稿された場合は粛々とスルーにご協力ください。
ローカルルール違反、利用規約、ガイドライン違反で運営に通報します。
通報の際に通報の告知はいたしません。
個人のプライバシー保護の為、ドラマに関連した話題であっても、投稿者個人を特定されてしまうリスクがある情報に関しては書き込まないで下さい。
利用規約、ガイドラインをご参照の上、ご協力を宜しくお願いします。
山田太一氏の手懸けた脚本の世界観が好きです。
人間のありのままの深層心理を丁寧に映し出し、複雑に絡み合う群像劇をこれほど繊細に、魅力的に表現できる脚本家は他にいないと思いました。
「岸辺のアルバム」はホームドラマの群像劇でしたが、山田太一氏の描く世界観の魅力を凝縮した結晶のような傑作だと思います。
この作品での八千草薫さんの美しさは本当に神懸かっていて、竹脇無我さんとの情事の描き方も、台詞、音楽、カメラワークを含めた細部まで徹底的に拘り抜いた演出の見事な調和が、人間のありのままの切なさ、美しさを更に増幅させて、心を鷲掴みにされたのをハッキリ覚えています。
私が初めて視聴したのはお昼に再放送されていた頃だと思います。
同時期の夕方には「ふぞろいの林檎たち」が再放送されていたように記憶しています(正確ではありませんが。。)
八千草薫さんといえば、お若い頃はあの「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドに口説かれたエピソードがありますよね。
当時のビジュアルを画像検索してみたら、あまりの超絶可憐な美しさに絶句して息を呑んでしまいました!!
そりゃマーロン・ブランドも惚れるわと。
全国で2万人以上が自ら命を絶ち、そのうち児童生徒の数が過去最多となっているそうです。
サラリーマン教師や、サラリーマン教師を教育現場に送り出すシステムに誰も抗えないこの時代。
【3年B組金八先生】のような教育に情熱を持って生徒と対峙する教師の奮闘を描いたドラマはもう作られないでしょうね。
サラリーマン教師は無責任家庭に責任転嫁し、無責任家庭はサラリーマン教師に責任転嫁する。
悲しいですね。
他スレでイヤミ談義に花が咲いていて、ふと、イヤミって名前のキャラがいたのは何だっけ、と考えていた。
ドラえもんだっけ?と調べたら、ドラえもんに出てくるキャラの名前はイヤミではなくスネ夫。
イヤミという名前のキャラがいたのは『おそ松くん』だった。
その「おそ松くん」。
私は一度もきちんと見たことがなくて、どんな話なのか全く知らない。
知らないけど、「おそ松くん」は一度ドラマ化されてるらしい。
1985年12月16日に『月曜ドラマランド』枠で、『おそ松くん イヤミ・チビ太の板前一本勝負』と題して放送されていて、イヤミを主人公にしてるあたり、人気のあるキャラだったのかもしれない。
因みに、イヤミ役は所ジョージ。
で、「おそ松くん」は知らないけど、昭和の昔、「意地悪ばあさん」は時々見ていた。
「意地悪ばあさん」も、イヤミをよく言うキャラだった気がする。
覚えているのは、「ばあさん」が「ばあさん」に見えなかったこと。
これは、ばあさんなのか?じいさんじゃないのか?
子供心にずっとそう思っていたけど、何せ、子供。
ばあさんと言ってるんだから、きっとばあさんなのだろう。
それにしても、変なばあさん。
ずっとそう思いながら見ていたけど、さっき調べてみたら、ばあさん役は青島幸男。れっきとした男だった。どおりで!
今になって、ようやく納得。
長谷川町子の原作漫画では、ばあさんは、ちゃんとばあさんに見えるのに、何故、男性をばあさん役にキャスティングしたんだろう。
人気があったドラマのはずだから、きっと当たり役だったんだろうけど、男性をばあさんにキャスティングした人のセンスに脱帽する。
凄いなぁ。どっからそんな発想が浮かんだんだろう。
昔のドラマ、特に子供向けのドラマでは、イヤミ専門のような役がよく登場して、視聴者を楽しませてくれていた。
学園ドラマでは、イヤミ専門の役は、大抵教頭だった。
主人公にイヤミを言い、校長に告げ口するような、分かりやすいイヤミ役。
この間、動画サイトで岡崎友紀の「おくさまは18歳」を見つけて懐かしく見ていたけど、18歳シリーズとか、その辺りのドラマでも、よく登場していたような気がする。
イヤミ専門の役は、大抵、ドラマの本筋には関係なくて、ちょっとしたアクセント役。
大体が、変な格好をしていたり、オーバーなキャラ作りで登場して、コメディーパートを担っていた。
そういうイヤミ専門の役が、昔のドラマではお決まりのように登場していたけれど、いつからか、そういう役はいなくなった。
まぁ、イヤミ専門の役が出てくるパートは、どうでもいいっちゃどうでもいいパートだし、別にまた、今のドラマに登場させなくてもいいけれど、(白けるだけだし)
昔のドラマにイヤミ専門の役が出てくると、昭和だなぁ~みたいな、ある種の懐かしさを覚えたりする。
昔は、イヤミも笑いのひとつだった。
昔の子供向けドラマ、それもコメディー作品ではない30分ぐらいのドラマでは、主人公と敵対する役割の人がよく登場した。
「赤い靴」「アテンションプリーズ(紀 比呂子版)」「柔道一直線」「サインはV」等々、懐かしいドラマが頭に浮かぶ。
そして、敵対する人、または、そのグループの人からの、主人公に対する意地悪や嫌がらせの描写もよくあって、それもお決まりのひとつだった。
4に、イヤミも笑いのひとつだった、と書いた。
ただ、イヤミは笑いを誘うけど、意地悪や嫌がらせは笑えない。
笑えないから、視聴者は主人公に同情し、応援し、嫌がらせをする人を非難する。
そして、その「主人公への同情・応援」という効果を狙っての意地悪や嫌がらせの描写。
昔は、勧善懲悪ものが主流で、白は白、黒は黒として描くことが多かったから、意地悪や嫌がらせをする役を演じていた役者さん達は、子供達から悪い人と思われてしまうこともあって、もしかしたら、たまったものではなかったかもしれないけど。
でも、気付くのは、そういう意地悪や嫌がらせをするキャラは、大体が女性ばかり。
「柔道一直線」の敵役は近藤正臣だったけれど、そんなことはしてなかったように思う。
対して、「赤い靴」「アテンションプリーズ」では、意地悪や嫌がらせのシーンが結構あった。
ただ、「サインはV」は女性が敵役だったけど、イヤミはあったかもしれないけど、意地悪や嫌がらせのシーンは記憶にない気がする。
或いは、「柔道一直線」でそれがなかったのは、正々堂々と闘うことを良しとするスポーツマンシップを主軸にしたスポ根ものだったからもあるんだろうか。
ジェンダーで語るような話ではないのは重々承知しているけど、何故、昔の子供向けドラマでは、意地悪や嫌がらせをする人は女性がお決まりだったんだろう。
女性はそういうものという刷り込みが、制作側にも、視聴者にもあったからだろうか。
それとも、女の子が好む話が、意地悪や嫌がらせエピなんだろうか。
柔道一直線のような男の子向けの話に、意地悪や嫌がらせエピがなかったのは、男の子にウケない話ということで入ってなかったんだろうか。
昭和のドラマではないけれど、山口智子と野際陽子が出演していた「ダブル・キッチン」は、それこそ、イヤミ、意地悪、嫌がらせを競うような姑と嫁の闘いをテーマにしている。
大昔の時代から、他所の家に嫁ぐ女性はそういうことと無縁で生きることが難しかったし、女同士の争いは、とにかく陰湿。
実際は、男同士でも陰湿な嫌がらせはあったはずだけど、男性のそれは、「女みたい」と言われたりもする。
嫌味は、それが的を得ているときにだけ笑える。
的を得ていないときは嫌がらせに過ぎず、笑えずにシリアス展開になる。
的を得てるかどうかの判断は、其々の主観。
でも、ドラマは嫌味か嫌がらせかを迷うことがないように作られているけど、こうしたネットの世界では、嫌がらせにしか思えないものでも嫌味だと書く人もいる。
これが現実だと、嫌味と嫌がらせの判断を間違うことはないのに。
嫌味は、的を得ているもの。
嫌がらせは、的を得ていないもの。
ただ、それだと主観の違いで嫌味と嫌がらせの違いが分かりにくくなる。
自分が考えている“嫌味と嫌がらせの分かれ目“は、端が笑える(苦笑いできる)ものであるかどうかのような気がする。
端が笑える(苦笑い出来る)嫌味は、先にも書いた「おそ松くん」のイヤミのように、学園ドラマの教頭のように、皆が楽しめるアクセント的な台詞になる。
でも、端が笑えない(不快になる)ものは、嫌味ではなく、嫌がらせにしか過ぎないと思う。
自身が書いたものを、周りが楽しんでくれるなら嫌味。
周りが楽しんでくれないものは、嫌がらせ。
そんな基準で考えてみると、的を得ている嫌味か、的を得ていない嫌がらせかが、分かりやすいかもしれない。
「ダブルキッチン」が面白いコメディー作品になっていたのは、嫌味な台詞満載だったから。
逆に、嫌がらせエピ満載だったのが「赤い靴」「アテンションプリーズ」等であり、作品テイスト的には、困難に負けずに頑張る主人公物語のような、シリアスドラマと位置付けてもいいのかもしれない。
ところで、このスレッドの1では「通報」と何度も出てきますが、このサイトでは「通報」とは言わないです。
「通報」ではなく「違反報告」。
「通報」は、大手が使っていた言葉です。
いつからか「通報」を使った投稿がみられるようになりました。
お茶の間が荒れ始めた数年前から、時々見かけます。
だからといって、何がどうという訳ではありませんが。
>>4>>5は嫌がらせの長文連投ですね。
5の終盤の通報云々で>>1の方を荒らし認定する印象操作、方向性誘導が目的の書き込みなので、念の為、管理人にメールしておきました。
「3年B組金八先生」は令和の時代にはどうなんでしょうね。「GTO」が26年ぶりにリバイバル放映されましたが、正直、溜め息しか出ませんでした。途中でチャンネル変更しましたが、ドラマ制作側の水準が全般的に問題なのかも知れませんね。
決め付けはレッテル貼りの違反です。
イヤミにしろ、通報にしろ、言葉は正しく使うべきだと思います。
でないと、読んだ人が間違って解釈したり、要らぬ誤解を招くことになります。
因みに、決め付けかそうでないかは、大体が語尾で決まります。
断定口調は決め付けと解釈するのが一般的で、違反に当たります。
最近思うのですが、昭和の時代のドラマは、決め付けのような発想を視聴者に抱かせるものが多かったかもしれない気がします。
決め付けのような発想が世の中に浸透すると、ステレオタイプの発想で考える人を生み出してしまいます。
金八先生はかなりの高視聴率ドラマで、多くの人が視聴したのではないかと思いますが、あれを見たことで、虐めや嫌がらせをしたり、非行に走る子どもは、家庭に問題があるという発想を多くの人が持つようになったことは否めないような気がします。
実際は、家庭だけでなく、周囲の人間、学校や家庭外で出会う周りの子ども達や大人達、その時々の世相も含めて、そうした全ての環境がどう影響し合っているかを考えなければならないのに。
ドラマが、金八先生や学校を神格化してしまうような描き方をしていた都合もあるのでしょうが。
ただ、学校や教師に限りませんが、誰かや何かを神格化するような発想、そうしたものを求める気持ちが、どこから生み出されたかを考えると、昭和よりも前の時代に遡ります。
何かを神格化することで、イデオロギーを作り出そうとしていた時代。
今でこそ、そうしたことへの批判が一般的なものになっていますが。
現代は、SNSの普及もあって、一般の個人個人の声が世間に拡がりやすくなり、多種多様という概念が広まってきました。
ドラマも、決め付けのような発想や表現が少なくなり、昔はよくあった勧善懲悪ものを好まない人も増えてきて、物事の描き方が多様化してきています。
多様化の時代に求められるのは、個々の尊重とも言えます。
個々人の尊重、個々の意見や考え方の尊重、少数派の尊重、最近よく言われていて社会問題にもなっているLGBTQI+の尊重等。
それまで、多くの人が絶対のように思ってきたことの“揺らぎ“。
その“揺らぎ“を描くことが多くなってきたのが、平成・令和の今の時代のドラマだと思います。
学校や教師の描き方だけでなく、刑事もの等の警察や犯罪の描き方、ホームドラマの家族像、恋愛ものの描き方やテーマ、社会の描き方も変わってきました。
ドラマは時代を映す鏡のようなもの。
創られた時代に合ってその当時に多くの共感をよんだドラマも、時代が変われば、受け取り方も変わってくる。
GTOリバイバルは見てませんが、反町さんのインタビューで、鬼塚は何も変わってなくて熱いまま、今の時代にも届けたい、のようなことを話されてるのを読みました。
何事も生徒側に立って行動するような熱血漢のような教師を描いたドラマは、今の時代には、あまり求められなくなってるのかもしれませんね。
そう言えば、多様化に伴って求められる個々の尊重と決め付けは、真逆の関係性にあります。
そう考えると、このサイトのレッテル貼りを禁止・違反とするガイドラインは、理にかなっているとも言えます。
>>7も語尾を濁しているだけで、肝心な部分を決めつけている事に変わりはない姑息な記述の仕方だと思う。
昭和の時代のドラマは、決め付けのような発想を視聴者に抱かせるものが多かったかと感じるのも、結局は決めつけなんですよね。
金八先生を見たことで、虐めや嫌がらせをしたり、非行に走る子どもは、家庭に問題があるという発想を多くの人が持つようになったと感じるのも決めつけ。
金八先生や学校を神格化してしまうような描き方ととらえてしまうのもステレオタイプの決めつけだと思う。
実際、金八先生も教育現場側が抱えている矛盾や坂本金八個人の奢りや葛藤を描いた回もありましたしね。
私個人としては、昭和の時代から人々の固定観念や常識的な感覚に一石を投じるような、いわゆる「揺らぎ」を描いたドラマは普通にあったと思う。
むしろ傑作と評価されるドラマはそんな作品ばかりだったのではないかとも思える。
昨今「多用化」という表現が時代を象徴するワードとして持て囃されているようか扱いですが、「多様化」を主張する側が少数派の多数派への決めつけを助長するような事があってはならないと思うし、その逆もあってはならない。
言葉や文字で表現するのは簡単ですが、本当の意味で「個々を尊重する」という成熟した段階へ至る為には、それぞれが反射的に周りや他人に転嫁するのではなく、常に自分自身に問いかけ続けるしかないと思います。
西遊記の三蔵法師は男性だったみたいですが、日本のドラマではあえて女優さんにしたのでそうきたかと思いました。
やはり、夏目雅子さんの三蔵法師が印象に残っています
中村雅俊さんや森田健作さんの出演していたドラマは青春ドラマと言いたくなってしまいます やっぱり高校が舞台だからそうなのかなと
金八先生は中学校が舞台だったので青春ドラマというか思春期ドラマになってくるのかなと
岸辺のアルバム、初めて視聴しました。本当に傑作だと思います。当時の父親というもの、母親というもの。現代においてズレてる価値観は当然にありますが、普遍的な感情はいつの時代も同じで。個人的には自身にも娘と息子の母である事からお姉ちゃんの気持ちや弟の気持ちが手に取るようにわかりましたし、夫(父親)の気持ちも胸が痛むくらいにわかりました。ただひたすらに家族のためと信じ、会社のためと信じ一生懸命に働いてきた父親。毎日帰りが遅い夫を待ち、色ある話し合い手もおらず寂しさを心の奥底に潜ませている専業主婦。今とは違う次元の高みを夢見てプライドの高いお姉ちゃん。お母さんが好きで、お父さんも好きで、お姉ちゃんのことも好きで、明るく振る舞って家族を繋ごうと頑張る弟。だけど、少しずつ、少しずつ、家族は離れていき、、。家族は徹底的に壊れて想像とは夢見ていたものとは全く違う方向へと向かっていき、そして思いもしない方向で再生へと向かう家族のかたち。
最終回は思わず泣いてしまいました。本当にこんな良いドラマがあったんですね。感動しました。
噂の刑事トミーとマツやあぶない刑事は反社会の組織との対決が主だったかなと 松崎しげるさんは、うるさ型の刑事役でしたが松崎さんが演じたらコミカルにみえました
「慟哭の花」。
沖縄ひめゆり部隊を描いた習作。主演は松木路子。難を言えば、本当の沖縄は米軍支配下で返還前のため、ロケが全部、伊豆地方で行われた、ということ。
山田太一脚本の岸辺のアルバム
当時甘っちょろいホームドラマの中で
一石を投じる家族の破壊と再生を描いた。
闘病ものは涙を禁じ得ない。どちらも映画にもなったが、大空真弓と山本学の「愛と死を見つめて」、平幹二朗「君は海をみたか」。
映画では前者は吉永小百合と浜田光夫、後者は天知茂が演じていた。
昭和の名作
山田太一脚本の
ふぞろいのリンゴたち
たんなる愛と友情の物語に
留まらず当時の学歴差別の
社会問題も織り込み
見応えがありました。
昭和の名作
倉本聰脚本の
前略おふくろ様
板前の青年を取り巻く
人情劇、主人公の口癖
~わけで、はその後
北の国からの純へと
受け継がれて行くわけで。
山田太一脚本
鶴田浩二主演の男たちの旅路
第4話『車輪の一歩』
まだバリアフリーが皆無で
今より障がい者たちが生き
づらかったころのストーリーだったが、
鶴田さんが演じる主人公が障がい者の人たちに
君たちは迷惑をかけてもいいんだ、健全者が
障がい者を助けるのが当たり前、人に迷惑を
かけて行きなさい。この台詞に泣けた。
山田太一脚本のシャツの店が良かった
クリーニング屋を営む夫婦の物語だったが
鶴田浩二さんと八千草薫さんが演じる
夫婦愛が暖かくて心に沁みた。
温故知新、昭和の名作といえば
やはり山田太一脚本だが
男女雇用均等法が
まだできていないころ
働く女性たちのそれぞれを思いを
描いていた。
その女性たちは周りに不満を
ぶつけて立てこもる場面に
引き込まれました。
このころの山田太一脚本は
社会問題をドラマチックに
描いていたと思う。
※ドラマのタイトルを忘れたので
追加します。
温故知新、昭和の名作といえば
やはり山田太一脚本の
※『思い出づくり』です。
男女雇用均等法が
まだできていないころ
働く女性たちのそれぞれを思いを
描いていた。
その女性たちは周りに不満を
ぶつけて立てこもる場面に
引き込まれました。
このころの山田太一脚本は
社会問題をドラマチックに
描いていたと思う。
昭和は父親に威厳があった。
その世相を描いた
頑固おやじを主役に描いた
おやじ太鼓という
ドラマがあった。
むかしNHKの夜9時40分ごろ
銀河テレビ小説で
橋田壽賀子脚本隣の芝生が
傑作で社会現象を起こした。
この時代当時の売れっ子作家
井上ひさし脚本のドラマもあり
贅沢な時間帯だった。
スポンサーリンク


