ととの言った言葉は常子には確かに重かったかもしれないけれど、そのととの言葉があったからこそ常子は傷心の中でもすぐ明るく立ち上がり、ととになる宣言をし家族もその常子の言葉と想いに勇気付けられたと思います。なので私は結構大切な言葉だったと解釈しています。
常子は子供時代からととの言葉を決して重荷には感じていないと思います。そこから責任感を自覚しているだけで、むしろそれを自分の励みや生きる目標にしている。ドラマの常子の描写を見て私はそこに呪縛のようなネガティブな印象は全く受けないです。家族を守る=家計を支える=お金を稼ぐ。母親の収入だけでは姉妹3人の学費負担が困難な状況で、そういう思考回路になるのはごく自然だし、お金を稼ごうとするのは決して卑しいことではありません。
この当時、べつに常子に限らず貧窮家庭で長子が弟や妹のために家計を支えることは別段珍しくもなかったでしょう。ただその中で、常子は行動力と発想力に長けていたから後の雑誌創刊のような偉業に至るだけ。常子は常に前向きで、ととの言葉に縛られているようなマイナスイメージは私は感じません。
これは個人の感じ方に委ねられる部分だと思うのですが、三つの目標が子供の頃の微笑ましい希望には私には感じられません。大人になった今も、常子は未だに部屋に掲げ本気で取り組んでいるので。それに小学校の頃のエピソードには、火事の際に男の様には役に立たない自分の無力さに愕然とし、「どうしたらととのようになれるのか?」と本気で悩む様子が描かれていました。子供ながらも働いている三兄弟に「稼ぎもないのに何がととだ」と言われる場面も記憶に残っています。
常子は、幼いながらに父との約束を重く捉え、真剣に「ととになる」とはどういう事かを考えていたように見えました。私はそういう常子には好感を持っています。また、ととは遺言によって常子の人生を縛るつもりはなかったのだろうとも推測しています。でも、火事や三兄弟のエピソードなど、周囲の影響によって、いつの間にかととの思いとは少々違う方向に向かってしまった気がするのです。あの遺言は重いけれど、常子の生きる「力」や「源」になっている。そしてどこか「縛り」のようにもなってしまっているのだと捉えております。そこがこのドラマを面白くしているのだと感じます。
史実ネタバレになるとやばいから抑えて言うけど、常子のモデルになった大橋さんは生活するためにお金がほしいと口癖のように言っていたみたいだよ。戦争中もお金を稼ぐにはどうしたらいいかばかりを考えていたらしい。今の常子よりも貪欲に金を稼ぐことに必死だったんだと思うよ。
モチーフの大橋さんと似せるため、常子をどうお金がほしいというキャラに描くのか少し楽しみ。でも、あまりにも金、金と露骨な描写だと批判がはいりそうだね。
ほほえましい希望と書きましたが,多分三つの願いは叶えられることなのでしょう。それだけの重さで描かれているのを感じます。だからとと姉ちゃんなのでしょう。
父との約束を果たしたときに,常子が人生を振り返ったときに,何が見えるのかが楽しみであります。
何かの趣味。ここも異様
意見は是か非か,白黒はっきりさせなくてもいいでしょうが,私はなんとなし的に書いています。真剣に議論してる方には失礼かな?
あっしはこれで失礼いたしやす。鶴ちゃんロス
別に常子の生き方が特別というわけでもないと思うよ。親のため姉妹のために生きるのは悪いことじゃないよ。あの多田さんだって常子と同じようなものなんじゃないの?
解釈について意見を交わすのは楽しいし、おもしろい。色んな考えがあるもんだなあと感心します。もちろん正解を探している訳じゃなく、一種のブレインストーミング。これがドラマ鑑賞の醍醐味だと私は思う。ここを読んでいて見えて来るものが私なりにありました。それについてはまた書きます。今は時間がないので解釈を書いてくれたみなさんにありがとうだけ言っておきまーす。
903です。
905さんのご意見ですが、私も同じように思っているのです。
「呪縛」という言葉の印象があまり良くはない為に議論になってしまっているように感じます。そして恐らく適当な言葉は見つからないようにも思います。私自身は呪縛とまでは感じていないものの、子供には重い言葉だったと感じているということです。そして、常子はととの遺言を重く受け止めながらも前向きに頑張っているのだと、私も思っていることをご理解頂けたらと思います。ととの遺言は「こういう一言で表現できる」という程度のことならば、わざわざ半年かけてドラマにする必要はないわけですし、言葉で表現することではなく感じることなのだと思っています。
910ですが補足です。
私は、常子が不幸せだとは思っていませんし、家族のために生きることが悪いことだとも思っていません。常子だけでなく、誰にでも生きるうえでは何らかの背負うものや縛りがあるものなんだろうと思うのです。
ととの遺言があるから面白くないと批判しているのではなく、それがあるからこそ前向きに頑張れる常子だから面白いと感じています。そして、ととの遺言には常子が思っている以上の深い意味があるのではないかと楽しみにしているということです。
自分はととの遺言は完璧であってほしかったんです
このドラマのキャラクターは童話的なので「ととも病気だったし若かったしまあしょうがないよね」とは思いたくなかったんですよ
それは純文学的遺言観じゃないですか
私は亡くなったととの遺言は、ととが意図したものを探し当てるのではなく、常子自身が認識し定義して行くものとして描かれていると考えています。だからこれは常子がとと姉ちゃんというアイデンティティを自分で作っていく物語なんじゃないかと。そのきっかけになったのが、ととの遺言。
呪縛という言葉は、私もネガティブ過ぎると感じます。ただ、ととの遺言が幼い常子に家族を守る重責を負わせたように感じる、という意見は理解できます。でも常子は初めから迷うことなく背負う事を選びました。考えるより行動する方が楽、という常子らしいですね。常子自身、重荷を負ったと感じていないのです。
当時の女性としては稀有な人生を生きた常子が、人生を振り返り、ととの遺言が実は新しい女性の生き方をもたらすきっかけになっていた、と呪縛とは真逆の認識の枠組みを常子自身が作りだすのではないかなと思っています。
揚げ足しをとるようで悪いが、常子が父親に家族のことを頼まれて守るっていうのは珍しくなんてないし、常子と同じような人は世の中何人でもいるんじゃないのかな?弟たちのために働いている多田さんだって常子と同じじゃないの?
別にさ、常子のやっていることは特別じゃないでしょう。家族を思うことはどこの家であっても同じでしょうよ。
ネタバレになるといけないのでぼかしましたが、あの当時の女性であれだけのことを成し遂げたのは珍しいでしょう。結婚に関しても。人生を振り返って、と書いたのはそういう意味です。
長男ならよくあったかもしれないけど
まだ小学生の長女に家族を託すって私は珍しかったと思います。
ちび常子ちゃんでなく、女学生の常子なら違和感は感じなかったと思います。
あの時まだ11歳くらいだったかと。
戦中戦後はとと姉とと兄が大勢いたんだよ。
お父さんが戦死したと言ってた私の家に住み込みで働いてた男性を思い出した。あの人はとと兄だった。
森進一さんや山口百恵さんなど父親がいないから芸能界で稼いだ人もいたよね。
自分の常識と違うから違和感を覚える、というのはよくわからないな。
特にドラマのヒロインになるような人物は一般人とは違う、異彩を放つような要素があるものだから、私は感心こそすれ違和感を覚えることはほとんどありません。
みんながみんな同じじゃないですからね、人間は。
モデルになった方も父親の葬儀で母親を差し置いて喪主を務めたそうですから、
普通の感覚とは違っていいと思います。
そういう人とはちょっと違ったヒロインだから
私は興味をもって見守っていきたいと思います。
山口百恵ちゃんって、まだ60にもなってませんよ。
戦中戦後の話とはまた別の話です。
戦中戦後の話しかしてはいけないのですか?
投稿内容から戦後と勘違いしているのかと思いました。
多分次の、そのまた次回作の「ひよっこ」?ヒロイン、有村ちゃんなんですね。
またまた以前の脇役さん。
有村ちゃん結構好き。
今回のヒロインさんも、もちろん好きでした、今も応援してします!
皆さん、朝ドラのヒロインになって、ますます光ってくれたらうれしいです。
有村架純可愛いですよね
私も好きだけど、朝ドラに出ると叩かれそうで心配
なんか、悪口言われるために出てきてるみたいで可哀想。
せめて、脚本がいいといいですね。
へえでした。有村さんですごく嬉しい、この人が加わるとなんか面白く感じるんです、auのcmなんかでも、自分の位置をすんなり見つけられるなと。
脚本家も岡田さんなんて。私はどっちかといったら男性脚本家の作品が好み。純愛も嫌いじゃなかった。
ということで今から楽しみです。
「違和感を覚える」イコール「面白くない」ではないと思うのですよ。なんとなく違和感を感じる、自分の中でひっかかっているモノの正体はいったいなんだろう?そんな事を考えながら見ているうちに、感心したり面白さが増してくることだってある。勿論その逆もあります。違和感を感じる、というだけでそれ即ち「批判」「非難」「否定」という事では私はないですけどね。自分の中にある「違和感を感じる感性」は大事にしたいと思っています。そこから、面白いドラマにだけでなく「今まで知らなかった自分」に出会えることもあるからです。そして、ここを読んでいると自分とは全く異なる「違和感」にも出会えます。だから許せない、反論どいうことではなく、そこからドラマに対する新しい見方や感じ方が広がっていくことも多いです。
細かいツッコミをする気は全くないんですが、面白くないドラマって、なんかノレないし、寒く感じちゃうんですよね。出演者が熱くなればなるほどゾワッとしちゃったり。
なんか幸せに浸ってると「ケッ」と思ってしまったり、悲しくて泣いてると「フンッ」と思ってしまったり。私の性格が悪いのかしら?
だけど、嵌まってるドラマは、ヒロインと一緒に笑って泣いて、感情移入しまくりなんですけどね
違和感感じるって感想はおかしいですか?その人が違和感を感じる、って思っただけだから別にいいんじゃないの。
以前ビアホールの時だったか、違和感を感じた…っていう感想がよく出てたけどそれに対しても必ず反論が来たのを思い出したよ。
私もととが小学生の常子に家族を託すのはあまり好きではなかった。かかという人が身体や精神が弱い人ならばともかく、ちょっとお嬢さん育ちだけどちゃんとした人なのに何故常子?と思った。あの場面は西島さんの好演技もあって感動的ではあったけど、それを狙ってるようであざとく感じた。
(もし史実としてととが大橋さんにそのような言葉を遺してるのだとしたらごめんなさい)
>父である武雄は鎭子さんに、お母さんを助けて晴子、芳子の面倒をみるようにと言ったようです。
そんな父の考えがあってのことか、11歳だった大橋 鎭子が喪主を務めたそうです。
大橋 鎭子さんはこの出来事で度胸がついたと話されています。
この話題が続いていますのでちょっと調べてみました。
わたしはととが託すのは常子だというのには違和感ないです。
竹蔵は自分が死んで女4人で生きていけるか不安だというようなことを言っていたし、君子には母親としていてもらいたいし、父親までやったら大変だと思いました。常子が父親をやってくれれば負担も減るじゃないですか?
星野の誘いを断った常子をなぐさめるのに、母親としての君子の存在は必要だと思いましたけどね。
父親が亡くなったら母親が父親の代わりをやらないといけないと思うのは、ただの思い込みだと思うし、別にさ、子供の中からととの代わりを選ぶという考えがあってもいいと思いますけどね。
かかには母親の役割を、それ以外に父親としての役割をしてくれる人がほしかったということですね。それならなんとなく納得です。小学生の娘にそれを託すというのも、それくらい死を目の前にして切羽詰まっていた父親の悲しい心情ということで理解できます。
でもととの代わり…という言葉はこのドラマのオリジナルのようですがちょっと重すぎるかな。普通にかかを助けて…で、父の遺言としてはいいような気がします。だけど常子が自分で私はととになると決める、とか。賛否両論出ても仕方のない父の遺言だったような気がします。
べつに常子はととの言葉で重い責任を感じるようになっても
それを決して負担とは思っていない。
そういう描き方をしているのだから、見ている人がそれは可哀想とかどうとか思う必要ないと思いますが。
常子はたとえそのせいで自己嫌悪に陥ったりくじけることはあっても
自分が犠牲になっているとかは一度も考えていません。
その自覚と責任感が常子の生きる励みやバイタリティーにつながっているわけで
私はその言葉でいいと思います。
父親が亡くなった後の家庭の状況から、自然に家族のために働くことになったり、自分のやりたいことより家族を優先するようになったり、というのであれば、それはどこにでもありそうなことだと思うのですよ。でも常子の場合は「ととの代わりになって欲しい」と言われて、「ととの代わりに俺はなる!」ってな具合に即座に自分の将来を決めてしまったように見えました。海賊王ならまぁイッかとなるところですけどね。なにかの職業ではなく「父親」という分かりやすいようでどこか漠然としたものに、真っ直ぐな気持ちでなろうとしている。「家族を守る」はまぁそうだろうと思うのですが、幼い頃から「妹を嫁に出す」「家を建てる」という目標まで立てて、今までブレることなくそれを生きがいとして目指して生きているわけです。恐らく多田さんにはそこまでの気持ちはないように思う。とととの思い出はたしかに優しく美しいものだったと思いますが、それにしても常子の原動力は何なんだろうと思い、私のなかでは少々違和感を感じるところではあります。でも、そこが原因で詰らないと感じたことはないです。どこにでもありそうな事をドラマにしても面白くはないのでしょうし。そこまでやるのかって思いつつ、でもそこまでやるならと応援してる感じでしょうか。最終的に「ととになる」というのは常子にとってどんなことなのか?常子にとってのワンピースとはなんなのか?ってところを見せてもらえれば良いかなと思っているところです。
自分が死んで女四人で生きていけるのか?が竹蔵の心残りで常子にととの代わりを頼みたかったのかなー
今、戦争の話しているけど女四人では何かと不安ですよね。あの組長が小橋家に何か言うたびに、ととの竹蔵が生きていたら、あの組長と対峙し問題を解決していたような気がします。女だけの家庭だとなめられやすいんじゃないのかな?
普通は親戚に頼るでしょ。頼れない設定にしてるのがドラマなんだよね。とと常子は面白いよ。
母親は実家から絶縁で兄弟がいない、父親の身寄りはあの弟しかいないでは親戚に頼りたくても頼れないでしょう。はじめから滝子のところへ行けなかったことも理解してほしいですね。
でも武蔵は滝子にずっと手紙を書いていたことは、亡くなる前に君子に伝えるべきことだったと思います。
そうですね。手紙は伝えていれば良かったという意見も良いとは思いますよ。でも、視聴者に知らせないことによってドラマがおもしろく見れたと私は思います。これが伏線というやつで脚本家としての技術なのではないのかな。
15年以上も手紙を書いていたことを黙っていたということは、ととは最後まで君子に対し滝子との関係に口を出さなかったということ。家を出て自分について来てくれた君子にも、娘を奪った形になった滝子にも関係修復してくれと言える立場ではないことを、ととは分かっていたと思います。ととには立ち入れない母子間の問題だと。それでも二人がいつか仲直りする日が来るのをととが望んでいたのは、あの手紙から明らかですが。ととが手紙のことを君子に伏せていたのは理解できます。
また、ドラマの構成上も効果的だと思います。言わなかったからこそ長年ととが秘めていた想いが放たれ、感動が得られるので。
私の考えは以上ですが、936さんはなぜととは君子に伝えるべきだったと思われたのでしょうか?
内緒だったと思うよ。静岡の社長さんに竹蔵が妻には内緒っていっていたから、普段君子と生活していても竹蔵は内緒にしていたんだろうね。
ここからは私の憶測だけど、竹蔵は自分が死んだら君子は滝子の元に行くんじゃないのかと思っていたんじゃないのかな?お金がなくなればお金持ちの滝子に頼るのは予想していたんじゃないのかなと思うよ。しかも実の親子なんだから頼るの当然でしょう。
3人の娘を女学校に行かせるというのも効いていたんじゃないのかな?それなら金のある親戚を頼るしかないもの。
竹蔵の心の中で、手紙のことは教える必要なかったのかもしれないと思いました。竹蔵は、君子が滝子の元にいけば手紙の件を教えなくても、送った手紙が自動的に役に立つと思っていたのではないのかな?
あの手紙は滝子と君子が和解する重要なアイテムとして使われていましたよね。ドラマって何でも理屈で進むんじゃないところがみそなんだと思います。何かがきっかけで良くなったり悪くなったり。だから理屈だけで考えると楽しめなくなることがあるので,半分は流れに任せて見ています。
936です。
私は父親としての武蔵がすごく好きでした。
なので、常子にととの代わりになってほしいと言ったことが、武蔵の言葉として受け止められないのです。
あんなに子供達のことを思慮深く思う父親ってなかなかいないと思っていて。
そうしないと、タイトル「とと姉ちゃん 」 が出来上がらないからドラマにならないってわかってるんですけどね。
伏線として、武蔵の手紙が和解のアイテムになったこともわかります。
わかっているんですけど、君子は大人で母親なのに君子ばかりに気を使って、娘である常子に大きな負担を背負わせるなら、手紙のことを話して自分がいなくなった後は「お母さんを頼るといい」と言い残して欲しかったという、願望です。(笑)
竹蔵が武蔵になってました。
すみません。
流れをぶったぎってもうしわけないが、本家のアンチが戦争について熱く語っていることに違和感です。ほんとは戦争なんてどうでもいいんだろうよ。
941さん、938です。なるほど、941さんは竹蔵の遺言を常子の重荷と考えているのですね。私の解釈は逆。
私も竹蔵は理想的な父親だと思っています。だからあの遺言は、常子をよく理解している竹蔵が常子なら重荷にならないと判断した上で残したものだと私は考えています。実際、常子を観ていると、とととの約束を重荷に感じているとは思えないし。
でも子供にそんな重荷を負わせるなんて、という意見があるのも理解できます。上に書いたのは私個人の感想です。お返事ありがとうございました。
944さん
こちらこそ、お返事ありがとうございました。
実は私の実家は自営業で、私は家業を手伝いました。
そうするのが良いと思い自分からそうしましたので後悔はありませんが、自分の子供達には何にも縛られず好きなことを自由に選んでほしいという思いがあります。だからなのかもしれません。
人にはそう思うその人なりのバックボーンがあったりするので、同じドラマを見ても思うことは違いますね。
前も書いて消されたんだけど、違和感を感じるならなぜ違和感を感じるかは自分である程度考えるべきなのでは?
あなたがどんな人なのかなんて読む人は知らないんだから
感じたものは感じたんだ、何が悪い?みたいなのはプライベートで親しい人に言ったらどうなのか
これはおかしいと言うなら、その根拠を教えてほしいよね。
どうしてそう思うのですか?と聞いて、「感じたものは感じたんだ、何が悪い?」だと説明にはならないと思う。
感じたものは感じたんだ、という感想を書く人はあんまり言い張って主張を続けるのって見苦しいと思う。
だって、なんでですか?の問いに答えることができないのですからね。
根拠を言えないで言い張り続けるのって子供に多いよ。まぁ、大人でもいるのでしょうがね。
違和感を感じると私も書いたけど、私の投稿のことなのかな?
ちゃんと、小学生に言うセリフではないと理由を書いたんだけどね。
いくらおっとり頼りなくても芯は強い大人の元気なかかがいるんだし。
ととになれというシーンのちび常子ちゃんは幼すぎた。
ととの遺品を自転車に積んで帰るシーンは胸が痛んだ。
お茶の間のご意見を読む限りでは「違和感を感じる理由」はきちんと説明されているように感じます。本家の感想ことを言っているのでしょうか?
本家もお茶の間もだよ。本家は特に言い張っていて困る。肯定否定どっちもね。いい加減お茶の間でやってほしいくらい。おはぎやミシンとかね。
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