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大切な事なので二回言いました。
2014-08-10 15:43:03 名前無しさん
私は全くの外野ですが、
>また几帳面だから批判的に見えるのだというような、批判的に見ている視聴者へ反論しているつもりもやはりありませんし、そう誤解される表現をしたとも思えないのです。
こうおっしゃっていますが、元コメの「几帳面な性格の方には???に思えるのでしょうが・・」というのは失礼ながら自分と同じように見えない人、というのを几帳面という曖昧かつ主観的なひとことで断じているようには十分受け取れますし、あなたがお書きになった別の肯定意見に賛同した形で書いた文章全体の主旨からは十分否定意見への反論に見えます。
反論は自由です。
しかしあなたのコメントに反論されている方、お願いをされてる方がおっしゃるように数々の反論は几帳面という人の性格とは別次元のこと、と思います。
この方の反論もまた自由です。
>自由に感想を述べるこちらの雰囲気を阻害するもの
こうおっしゃるなら他の人の投稿に対してもあなた自身も容認する気持ちを持ってください。
ふんわり・・・っていったいなんですか?
ドラマという何か人に伝えるものがあるだろう作品におけるふんわりというのはいったいなんなのか。
攻撃的ではない、などの抽象的な表現でなく、具体的にある程度論理的に理解できるようにご説明いただけるとうれしいです。このドラマの一体どういう部分が具体的にふんわりとしているのでしょうか。
すいません、別の人間で便乗なんですが、
ついでに他のどの朝ドラのどんな部分がふんわりしておらず、どの朝ドラが攻撃的だったのかも知りたいなぁ。
きっと比べて言っているんだと思うので。
そうするとわかりやすい気がする。
ぼやけた人物設定も、ぼやけた話の流れも、ふんわりって言葉に置き換えられるんだなーと思うことは正直あります。
否定する人のことをつじつまが合わないと細かく見てるとか、几帳面だからみたいなのって、これまでも何回も書いた人いたからね。言い方は違ってもさ。
そういうのは違うって書き込みわたしもしたことあります。
だから自分のことだ!なんて思うのは少し気にしすぎじゃないかな?
そういう書き方をする人がいるって、大勢の中の1人にすぎないと思いますよ。
中心になんにもないのをふんわり感でごまかそうとしているという、2014-08-10 15:52:25さんの感想、すごくしっくり来ました。それでいて関係者にはがっちり媚びている感じというのも、いやというほどよく分かる。このドラマが受け付けられない多くの方たちも、同じように感じられてるのではないでしょうか。
「ふんわり」って、一つは人物の性格がおっとりしてるってことかな?
それから、けんかや争いがない、どろどろの場面がない、あとは、うーん、なんだろう。
これだと、必ずしも「花子とアン」がぴったり当てはまるとは言えないような気が。
テーマがはっきりしない、ストーリーがはっきりしない、人物の性格がはっきりしない、というなら当てはまるけど、これは「ふんわり」とは言わないでしょうね。
ぼんやりを書いたものです。感じ方の違いがよくわかっていい談義でした。ありがとうございました。
ナレの茶々入れが好きじゃ無い
ナレが喋ることで、
視聴者が登場人物の気持ちを想像する時間を奪うのも好きじゃ無い
想像の翼についても語るドラマなのに
タケシや白鳥さんの扱いが好きになれない
ティアラの件に象徴されるけど、ギャグがえらく酷くて笑えない
蓮子さんは伝助を良く書きすぎたせいで悲劇性が薄れすぎてる気がして、可哀想
醍醐さんなど、メインじゃ無いキャラが脚本に動かされ始める時はキャラ崩壊を心配する
悲劇が起こるキャラは、急に露骨に画面に映り、持ち上げられすぎる
吉高さんの表情の演技が気になるようになってしまった
たまに共感する部分があっても、他の部分にかき消されてしまう
本の内容と物語を、もう少し上手くからめてくれたり
文学のおもしろさを教えて欲しかった
ストーリーと合わない用い方みたいなものもあるようだし
醍醐さんや村岡父の中の人が、
キャラクターの変化やセリフに戸惑いを覚えていたようで
逆にほっとした
赤毛のアンのネタやセリフを無理矢理用いた上に、上手く使えてないというのもなんとも
そして、なにを書きたいんだろうと思ったときに不倫?となる
というか企画自体も難しいものだったんだろう
最近知った新たなキャストも、どういうつもりと思ってしまう
8月10日の15:52:25の方、共感します
〉否定する人のことをつじつまが合わないと細かく見てるとか、几帳面だからみたいなの・・・
これはまるでナンセンス反論であり、反論するなら根拠を述べてつじつまが合ってる、ということを主張しなくちゃね。
否定的意見の人がこれを言われると非常に気分を害すことは私はよくわかります。今回の否定派は感情的になる人が少ないようなので直接的に怒りの声をあげるような人はほとんどいませんが。
まあ否定的意見の人もそういう反論になってない反論は流すしかないか、無視して批判し続けるしかないかもしれませんね。第三者から見た場合、どちらに説得力があるかはあまりにも明らかなので。
もちろん肯定的な意見で十分説得力のあるものもこちらにはある戸思っています。
ふんわりもいい表現だね。このドラマの話の展開は今のところやんわりとして人間関係がギスギスとしていないところがよいです。
けっこうみんな仲が良いから心臓に負担がかからず安心した気持ちで
見続けることができます。怒鳴り声や汚らしい言葉も少ない、花さんの
酔っ払い姿はご愛嬌程度です。
醍醐さんのリボンは醍醐さんらしくてよかったです。いつも身なりが整っていますし、ただ被災した子供達の胃袋を満たすのではなく、心を満たすほうに重点を置くなんて素敵です。
醍醐さん役の高梨さんが脚本を批判したみたいですが高梨さんは食べ物
だと言うのは良いですが、あくまでも醍醐亜矢子の考えは違うのですから、子供達もリボンをもらったときは「はぁ?」でしょうが後々に食べ物を与えられることだけが重要ではなく、そういうときにこそ身なりを着飾って心も美しくないといけないと思う日がくるでしょう。
食べ物だけを与えられれば人間は満足というわけではないと思いましたし、醍醐さんの考えはぶれていなくてとても好感がもてるお話でした。
私も醍醐さんのリボンは、今までの中でもすごく好きなシーンの一つです。
醍醐さんらしい優しさ溢れる心遣いが素敵で、
いっそう醍醐さんが好きになったくらいです(笑)
ドラマの感想欄ですからここのところの感想を書かせてぇー。
正直回を重ねる毎、駄作になってきていると思います。
どのキャラの心理や行動もその場限りで都合良く何故そういう流れになっているのかわかりません。
黒木華さんが死んだ義弟と深く心を通わせていた描写も殆どなかった割に喪失感で茫然自失の年月を過ごすという展開などはあからさまに彼女の受賞経歴に媚びているのだろう、としか取れないし、花の子供に対するブレブレの育児なども観ていて理解不能。醍醐さんも蓮子夫婦も何のため存在してるの?になっています。登場しても殆ど道化。
こんな酷い脚本や演出で視聴率だけが良いというのが一番理解不能ですが笑うしかないですかねぇ、もう。
この脚本家の経歴、視聴率の高さなど知らなくても
この朝ドラを楽しみに毎日を過ごしている人達はいるよ。
長く朝ドラを見ていれば、どの朝ドラでもご都合や矛盾は
絶対にありますよ。あま、ごち、はなはそういうところを
容認して見てきました。
自分が容認できない朝ドラでは批判はでるのでしょうね。
この朝ドラは怖いものというか怖い人間がでてこないし、
安心して楽しめてます。もしかしたら、わざとそういう
脚本をつくったのかもしれませんね、だから嫌いだという人がいても
普通なのかもね。
私は、怖い人間、というのは、今までの朝ドラでは見た経験がないのですが、どんな人のことを言っているのかな。教えてもらえればありがたいです。
これも「ふんわり」と共通しているのでしょうか。
怖い人、夏菜のメンタマ、武田鉄矢など等の怒鳴り声
ストーカー働かない男のイトシくんのキレっぷり
純と愛で自殺しようとした人とか自殺自体が
嫌じゃんか。
でも、純と愛のドラマはおもしろかったが
見ていて寿命が縮んだので今は安心できる
ドラマが見たいのです。史実と違うや脚本の
レベルがどうとかどうでもいいよ。普通に
見れれば。
純と愛がでてもここで議論だけはしないでね。
迷惑だからね。
「純と愛」と比較して論じたい人を、個人的には制限できませんよ(笑)
でも、ありがとうございます、わかりました。私は自殺の件はよく知りませんでしたが、それは朝から見るのは確かにキツイかもしれませんね。
だから、特にこのドラマが優れているとも思わないけど、そういうのがないので安心して見られる、というのは納得できます。ただ、そのレベルなら、他にも安心して見られる朝ドラがほとんどであるとは思いますが。
やっぱり、朝ドラは、あまり実験的でなく、マンネリと言われても従来の枠を壊さない方がいいということは、言えるかもしれませんね。
兄弟では喧嘩もない
女学校ではいじめもない
落書きした子どもには説教もない
離婚した相手を憎むこともない
地主と小作の子が仲良くなる
世知辛い世の中だからって書いてた人に同感です
だからつまらないって意見もありましょうが
だから人気が出たんだと思います
気持ちがふんわり優しくなれるのです
脚本云々の感想もうなづけるところがたくさんあります
私はヒロインがガツガツしていないところが気に入ってます。
苦労や努力を見せながら、夢に向っていきます的なヒロインは
もうちょっと飽きちゃったので
たまにはこんな風に、周りに助けられながら甘えながら
自然と軽やかに生きて行くヒロインがいいです。
この先、辛い思いもしたりすると思いますが。
多少辻褄が合ってないところがあっても
都合良過ぎるところがあっても気にならないのは
この花アンの雰囲気、世界観が好きだからですね。
いじめや嫌な人間関係がないと言いますが、わたしは花子のために苦労する人が絶えないのが嫌です。
花子の幸せの後ろで不幸になる人がいる。
それを当たり前のように通りすぎる無神経さもすごく嫌。
はっきりいじめるんじゃないけど、それはとても陰湿ないじめと近いものを感じています。
だから、このドラマに優しさとか、ふんわりというイメージがないですね。
本当に優しいってののとちょっと違うからなぁ…花アンは。
主人公だけに甘いって感じ。他はヒロインの捨て駒に見える。花は蓮子のそれかもしれんけど…
優しさに溢れた世界を描きたいんならそれはそれでいいのですが、
それなら明治大正を生きた女性翻訳家の村岡花子の生涯を描く!
なんて大風呂敷を広げずに、恋バナ満載の優しい人だけ登場してくる明治大正時代が舞台のオリジナルにすれば良かったのに…って今さらそんな話してもアレですね…
優しいって良く言われてるけど全然優しいドラマに見えない私の心が濁ってるの!?
教えて!ミスターNHK!
かよやももは最後まで不幸なんでしょうか?
花子にも不幸はあるでしょうし、家族で支えあっていくのではないのでしょうか。
そういうところが読めてるので安心して見ています。
一つのドラマを見て皆が同じ感想を持つとは思えませんので、共感できなくても何らおかしくないと思います。
私も、特に今回のドラマが、優しい雰囲気であるとは感じません。優しさって、そこじゃないと思うので。このドラマには、真に優しさを感じたいところでは感じられない、というジレンマがいつもあります。
また、このドラマを見て癒されるというふうにも感じたことがないですね。理由をあえてあげるとするなら、血の通った人間が描かれていないから。こんな人間はいない、と思うから(これももうさんざん出尽くしましたが、何度見ても同じです。醍醐さんのリボンも同じ)。
たしかに、どんなドラマでもご都合がありますが、今回は、量もサイズも他のドラマの比じゃないです。土台になるテーマの一貫、人物設定ができてないところへ、そういう無茶をやるので、全体としてハチャメチャになっている。気にするなという方が無理です。
優しい雰囲気というと、「ゲゲゲの女房」の方が数段上ですね。
ヒロインは、控えめで穏やかで、品がよく、決して声を荒げたりしない。人に感謝しだれに対しても優しく、家庭では夫をよく支え、子どもには母性にあふれたお母さん(ついでに美人 笑)。できすぎじゃないか、と思うこともあるけど(見方によってはこれが、主人公を悪者にしない「ご都合」でもありますが)、彼女の優しく細やかな心の動きや人への対し方には、知らない間に気持ちを穏やかにされ、癒されたものです。少なくとも、彼女は血の通った人間に見えましたね。
少なくとも伝ちゃんからは優しさが伝わりました。
でも、伝ちゃんは妾を囲ったり、蓮子に侮蔑的な言葉を吐いたり、大声を出して暴れたり、ものを壊したりさんざんしたんですよ(笑)
そういうのは、気にならないのかしら。
どこに何を感じるか?おもしろい談義ですね。
何と言っても朝市の優しさが胸にきたなあ。
あ、そうですね!
伝ちゃんの優しさは伝わりました!
あと、どこをどう好きになったのか、全っっ然伝わってこないけど、大恋愛っぽい恋バナが満載のこのドラマの中で、蓮子に一目惚れしたと心の動きが伝わってきた唯一の人物でもありますね!
でもそんな伝ちゃんの不器用な優しさは平気で踏みにじってティアラをリンさんにつけて笑わせようとする脚本が優しさとかを感じさせてくれない。
朝市の優しさは誰にも負けないでしょう。
あと、かよちゃんも醍醐さんも優しいですよ。
いやー、100日ぶりに コメします!
捨て駒…凄いですねっ!
それって 演じてる役者さんに 結構 失礼かも…
かよだって ももちゃんだって イクヤさんだって
そんなに 不幸じゃないよ。きちんと悩んで迷って考えて 自ら選んで進んでるように 見えるから
決して 駒のひとつでは ないっしょ!
花子だって そんなお気楽にここまできたわけじゃないのは 私には十分 伝わってます。
伝わらない人には 残念、演出が 不十分だったのかと思いますが。
人生なんて 捨て駒だと言われたら 全ての人が 捨て駒になってしまうよね。
でも 違うと思いますけどね。
あ、これ お茶の間?
魅力的なキャラクターはたくさん。
朝一も伝様もかよも好きです。
キャラクターの思いれで脚本のバランスが
悪くなってるかな
だからドラマ全体としては
心に響くものが少ないとかんじます
おいおい(笑)伝ちゃんはいろいろあったが蓮子にたいして
お前の顔と家柄が好きだ!何が悪い!この世のなかは金で買えないものはない!!蓮子のことは今後、どんな言い訳もしない!!!とか
潔くて男からみたら気持ちよくて爽快な漢だよ。
うじうじ、ねちねち、ねっとりとした奴じゃないからさ、朝ドラ史上
最高な漢のひとりじゃないの?文句がある人もいるかもしれないけどさ(汗)
初めの頃は花子から伝わるものがないって思って見ていたのですが、花子の強さと優しさは最後まで全部見て伝わってくるようなものじゃないかなって思えてきました。個性がはっきりしないのだけど、やっぱり花子が好きになれるなんか不思議な存在なのです。ほんと銘仙の着物のようなドラマだと思います。
伝様が優しい、と言えるのは、さまざまな悪行wを通り越して、その奥を見てるわけですよね。俳優さんの演技も手伝って。
結局、優しさというのは、表面的な雰囲気のことではない、ということがこれでよくわかります。
そういう意味では、朝市も珍しく血の通った優しい人物に描かれているかもしれない。でも、結局、この人たちは脇なんです。主人公がそのように描かれていなければ、ドラマとしては意味がない。
それと、朝ドラのヒロインは、決してがつがつしていません。性格的に直進という人はいるにしても、ひたすら優しくおっとりしている人も何人もいます。でも、みんな普通の人間としての生きざまを見せている。りっぱじゃなくてもいい、そこにこそ癒しや慰めが生まれるんですよね。
脇役のキャラが濃いから、花子のあまり個性的過ぎない薄めの感じが、いいバランスを保っていると思う。
吉高さんは自分ひとりだけで輝こうとしないのがいいんじゃないのかな?だから周りの人達の演技も生きてくるのではないの?
そんな何をおっしゃるかと思えば(笑)。主人公が周りに食われて、影が薄い、存在感がなくなったドラマなんて、失敗もいいとこですよ。主人公が輝き、脇もそれに応えて輝き、二つが相乗効果をあげて、いいドラマができるんでしょ。
お茶の間のサイトで書かれていたんだけど結局、主役は神輿で脇役は担ぎ手らしいよ。つまり脇役がいなかったら主役なんて成り立たないということらしい。
「花アン」の場合は主役が担ぎ手になってる傾向があるかもね。
吉高さんは自分ひとりだけで輝こうとしないのがいいんじゃないのかな?だから周りの人達の演技も生きてくるのではないの?
そうですよね。 いい感じです。
花子が直接行動するのではなく、花子の童話や翻訳が周りを元気にするというような間接的なものが多いから個性が濃くならないのだと思う。
会社を立ち上げてる英治さんも自ら印刷機を回して出版してるところが地味で、縁の下の力持ち的存在に見える。
約一か月ぶりにのぞいてみたら、雰囲気よくないですね。
なんか重箱の隅をつつくような発言が多いと思います。
確かにはじめからつじつまの合わない部分はよく見受けますが、少なくとも私にはお話も現在放映中の他のドラマより、魅力的に思えます。あざといといえばあざとい演出もありますが、出演している俳優、女優さんの良いところをうまくアピールできていて、とてもすばらしい出来だと思います。
それと主演の吉高さん、いろんな個性の共演者の中でちゃんと主役として立って行けていると思います。彼女は独特の雰囲気があり決して悪くはない。
吉高さんは感性の人。リハーサルと本番と演技が違うこともあるって自分で言っている。相手の役者さんの演技とか、その場の雰囲気に合わせて、演技を自在に変えられる。つまり、受けの演技が得意なんじゃないかと思う。だから周りの脇役の方たちが、吉高さんによって引き立てられ、より輝いて見えるようになるのだと思う。
個と個のぶつかり合う芝居も面白いけど、これだと優しさとか癒しとかは、あまり出ないと思う。やはり受けの演技あってのことだと思う。受けの演技ができるってことは、回りがよく見えていて、しかも精神年齢が高くないと無理な気がする。高梨臨さんが、居心地が良くって帰りたくないって言うのがわかる気がする。
重箱の隅をつつくような…とは私は感じないです。むしろドラマの根幹の部分で、疑問を呈している感想が多いように感じるのは、前期ドラマとは対照的ですね。
「花子とアン」の制作発表時、脚本担当の中園さんは「アンのゆりかご」を読み、村岡花子を逆境から自分の足で立つ女性として魅力を感じたと言っていました。朝ドラを書くならこの人を書こうと思ったとのことですが、このドラマに描かれている花子の人物像は真逆。「周りから立たせてもらう女性」になっています。
基本的にみんな花子に協力的。高等教育を受けられない兄妹達も花子を妬んだり辛く当たらない。妹達は、お姉やんはおらたちの希望と崇める。野良仕事で真っ黒に日焼けしみすぼらしい身なりの家族の中、一人だけ白い顔で髪を結い上げ綺麗な着物姿の花子。その光景が当たり前で誰も何も感じない安東家やその周囲の人々。既婚者と知らず恋に落ちれば、病床の妻は身を引き花子に夫を託す。就職も恋愛も婚家の事業再建も周りが手を差し伸べる。花子周辺には優しい人が多い。対立しないのではなく対立する要素が無い。
それを「ふんわり」した「優しい」世界だと私には映りません。格差に対する疑問や不満、身を引かねばならない者の悲しみや憤りなど全て覆い隠した虚構の世界にしか見えない。人間の負の感情を埋め込んだお花畑のような世界で周りから立たせてもらうヒロインは、お人形のように綺麗だけど人間的な魅力を感じません。
この先、戦争など厳しい現実が待っているようです。花子が自分の足で立つ女性になるか見て行きたいと思います。
良い朝ドラです。私は疑問なんて感じません。
毎朝楽しく観てます!
ヒロインが神輿だって(笑)
朝ドラはたんなるお祭りじゃないぞ。
カーネーションの岸和田のだんじり祭かよ。
いろんなタイプのヒロインがいていいわけで
認められないだけでしょ?
アホくさい理論ですね。
役者さんには文句なんてないですよ
ただ脚本がね …でもこれはファンタジーなんだと
そう思えば何も気にならないです
もしかすると妖精さんも出てくるかも知れませんね
>アホくさい理論ですね。
人の感想にこういう言い方は中傷していませんか?
それに神輿と書いているのはドラマ全体の主役を指しているのであって朝ドラだけを指しているわけではないです。
お祭りに例えて主役と脇役の立場を説明しているだけで単純に解釈せず、もう少し深く理解して見てはどうですか。
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