5 | 1374件 | ||
4 | 264件 | ||
3 | 163件 | ||
2 | 114件 | ||
1 | 781件 | ||
合計 | 2696件 |
今後は実在の人物ですとか謳わずにドラマを作って下さい、お願いします。
同じく。
和歌山も、普段から、今から山に行こう。とか今日の山の具合ははどうだ。とかそんいう風な台詞があったんなら、最期の菊の台詞もすんなり入って来たに違いないです。
死に際のシーンになってお涙頂戴のために、いままで言いもしなかった、みかん山、なんて言い出したところで都合よく感動できない。
だからみかん畑は斜面にあるかどうかとかいう問題ではないですよね。違和感を抱く理由は。
真田丸と比べると脚本家の能力の差が有りすぎ(笑)
あさが、和歌山に遊びに行ったとき、みかん畑は家のちかくにあるようにみえなかったけどね。
三谷さんの脚本の朝ドラも見たいですね。
とりあえず 今作は満足しています。
テーマの夫婦愛を考えながら最終回までじっくり見ます。
おもろい夫婦,確かに妻がバリバリ仕事をして夫がサポートする側に回るというのは朝ドラ始まって以来の夫婦の形なのかもしれません。はつと惣兵衛の夫婦の形と比べやすくなっていますね。千代は恋愛結婚という今の形を取りそう。
新次郎が仕事をしない感じがなので,この夫婦はいまいち好きになれなかったのですが,どんな終着点を見せるのでしょうか?
妻がバリバリ仕事して夫がサポートに回るのはカーネーションもそうだったよ。夫の紳士服の仕事がなくなって妻が婦人服で稼いでいたとき、夫は子守りをしていた。
あぐりは見てなかったけど、あぐりの旦那さんも働かない人だったんだよね。
あぐりって吉行和子さんのお母さんでしょ。お母さんは家事も子育ても何もできない仕事だけの人で、吉行さん兄妹の枕元にバターをひとかけら乗せたお皿を置いて仕事に行ったんだと。バターには栄養があるからそれでいいんだと本気で考えてたらしい。昔の女性にもそういう人がいたんだね。
新次郎は妻をサポートしてるというより、口がうまいだけのヒモみたいなんだよな。口だけじゃなくて立ち回り方もうまいのかな。要領いいよね。
加野屋は新次郎の実家だから、新次郎が上手くとりなしサポートすることで、あさは仕事がやりやすくなったのでしょうね。
おたなのボンボンなのに馬鹿で仕事できなくて、
どんどん落ちぶれて行った『夫婦善哉』の主人公と違って、
新次郎って器用なんだよね。頭もそんなに悪くなさそう。
器用で、体も頭も悪いところがなく、どうやらサトシのせいでもなく、
ただ単に自分が働く代わりに嫁さんを働かせてただけなのに、
嫁の実家の父親から感謝されるって変なドラマだと思う。
話の持って行き方が強引過ぎてウソ臭すぎる。
あさと新次郎が和歌山に行ったとき、ミカン畑の場面が何度もありましたよ。はつたちが収穫する様子が何度か。眉山家の家族会議の最中にあさと新次郎がミカン畑で寝転ぶ場面。山の斜面のような場所にミカンの木が植えてあって、木の間から海が見えてました。その週は、菊さんが「藍之助をミカンの山に埋もれさせたくない」と言い、はつが藍之助に「どんなに苦労して山を切り開いておみかんを作ったか分かっているのか」と叱り付けるシーンもあったので、山を切り開いてミカン畑を作ったんだなぁと思いました。
たしかあの週は有田でロケだったんでしたよね。
同意ですね。サトシのトラウマの件はほんとに腹が立ちました。
引っ張るだけ引っ張って新次郎の秘密とやらにしてたけど
なんだ結局、働きたくなかっただけじゃんって思いましたもの。
新次郎を良い旦那さんみたいに見せすぎで嫌になります。
借金まみれで大阪から夜逃げして、実家から土地だけ貰って、
眉山家はどこからお金を手に入れてあの大きな家を建てたのかな。
白岡家のように大きくないが、掘立小屋とは違うちゃんとした家に眉山家は住んでいる。
そのためのお金はどうしたんだろう?
惣兵衛と栄達ふたりだけで山を切り拓くってそんなに簡単にできることなのか。
みかんってそんなに簡単に売れるほどの実がなるものなのか。
考えれば考えるほどわからない。
朝ドラ今世紀最高視聴率取れておめでとー(棒)
カーネーションから朝ドラはおかしくなっていったが、これのせいで、ますます視聴率狙いで中身のない朝ドラになりそうですな
朝が来たは今でも賛否両論だがファンに愛される○選組!や真○丸、続編があるかどうか話題にされる○沢○樹や○EROと違って、高視聴率を取ったが一年後どころか半年も立たないうちに忘れ去られる浅ドラになりそうですな。○ブラ○ブやま○か、○ード○アスのように
わかるひとだけわかればいい
あまちゃんのように脇の人たちの魅力が良かったです。加野屋ファミリー,山王寺ファミリー,そして五代様,のぶちゃんなどみんな好きになれました。明日が待ち遠しいのはあまちゃん以来。
>あぐりは見てなかったけど、あぐりの旦那さんも働 かない人だったんだよね。 あぐりって吉行和子さんのお母さんでしょ。
あぐりは私には数少ない朝ドラでムカつかなかった主人公と同時に私のベスト作品です。
全ての朝ドラを見たわけでなく、当時、私も中学生でしたが。
エイスケさんは作家です。
史実では、吉行エイスケで、和子さんの兄、淳之介も作家です。
お父さんが実家の稼業を継がせる為にあぐりと結婚させました。
結婚してすぐに、元芸者で若い芸術家を可愛がってるせっちゃん(草笛光子さん)に作品を駄目出しされて悩み東京に舞い戻ってしまいます。
それを追いかけて、あぐりの美容師としての人生が始まるんですよ。
因みにエイスケが亡くなったあとエイスケの愛人があぐりの所を訪ねるという場面もちゃんとありました。
お節介すみません。
眉山家は菊さんとはつが地主さんの奥さん達にお琴を教えたり、裁縫したりと地味に稼いだんじゃないでしょうかね?
家は借家で家賃払ってるかもしれませんよ、みかんの畑の山とは距離がありましから。
五代さん亡き後のイケメン部門を担った?成澤氏がジェスチャーが大袈裟で訳の解らないとこ英語なのが似てるだけの変人にしか思えない。
ちょっと辛いものを感じてるのは私だけなのでしょうか。
私にはヒロイン夫婦とこのドラマの魅力が全然伝わってこないので
面白いと感じたことが一度もありません。
いい加減さにイライラすることは何度もありましたが。
あともう少しで終るので嬉しいです。
今世紀最高の朝ドラなのかw
私はつまらないと思ってます。
いや正直、最初の頃にちょっと面白いかもと思ったときもあったけど。
残すところあと一ヶ月を切りましたね。
見る人の心にいっぱい愛や思いやりを灯してくれるドラマでした。
この珠玉のような朝ドラとお別れする日が来るのかと思うと悲しいです。
1896年春、女学校を卒業した千代とのぶ(万年躁状態で鼻づまり)。
あさの「おかげ」で嫁入りせずに済んだのぶは、あさ様の秘書見習いだそうです。
そもそも「女子の改革」だの「僥倖の極」だのと、本から得た知識を丸写しで鼻高々に口にする小賢しい娘に嫁の貰い手があるのか!?
朝っぱらから家族の食卓に押し掛け、何が入っているのか大きな荷物を背中に背負ってドタバタと騒々しいけど、行商でもするのでしょうか?
男の前でも平気で着物の裾を割って四股を踏めるあさ同様に、羞恥心ゼロ。
ただでさえ人の心の機微に疎くド厚かましいヒロインに辟易しているのに、ここへきてうんざりヒロインに似たようなキャラ追加って必要?
秘書の見習いということは亀助の部下なのに、仕事の場では上司より前に出てメモを取り、「あんまり張り切られても・・・」と困惑する上司を一瞥するだけ。
だったらイチイチ見習いとか言わなくても、もう第2秘書でいいじゃん・・・。
亀助はドラマ内でゆるキャラ的な愛すべきマスコットとして存在しています。
ヘタレだけど一生懸命、いつかは雁助のように大番頭になることを夢見ていた亀助。
そんな亀助のことを、昨日今日やって来た小娘が調子こいて邪険に扱うのは許せない!
のぶ消えろ!炭坑へ行け!まずは鼻づまり治せ!!
あさが涙を流して感動した草案「女子ノ教育ニ就テ」を出版したという成澤先生。
久々に登場したと思ったら、相変わらずのオーバーアクションで目が完全にアブナイ人。
見ている者を不安な気持ちにさせる大袈裟な一人芝居を披露して本日1回目の出番終了。
千代の部屋に住みついているらしきのぶ。元級友でも、今となっては千代は雇い主のお嬢様。
そこらへん公私の区別はしないんだ?(そんなだから女は、って言われるのでは?)
キャピキャピはしゃぐ声を聞きながら廊下を通り過ぎる新次郎・・・までは良かったのに、なんでわざわざ引き返してまで立ち聞きするかね。演出ヘタ過ぎるやろ。
部屋の前を通り際に、千代の声(相談やけどな~)が聞こえて立ち止まるならまだわかる。
すっかり通り過ぎて新次郎の姿が消えた後で、わざわざ戻ってくるから異常に見えるのに。
わざと!?立ち聞きが多すぎる事を逆手にとって、話題作りしようとしてるのか・・・。姑息~
成澤先生、本日2度目の登場もやっぱりオーバーアクションの一人芝居。
これあまりに失礼じゃない?明治時代の海外留学経験者は、みんな変わり者って認識なのかな。
五代も空気を読まない気障な男として描いていたけど、成澤も相当痛い人。
とうてい日本女子教育の開拓者には見えませんが、全てをあさの手柄にするには立派な男は邪魔。
敢えて気持ち悪い独りよがりな変人に仕立てる事で、「金策も経営もコイツには無理」感を出しているんでしょう。姑息~
せっかく女子大の話が少し進んだと思ったら、また千代の恋バナに逆戻り。
千代は可愛らしい。でも帝大生とリンゴちゃんが結ばれようがどうしようが、正直興味ないわ。
あと、のぶちゃん口軽すぎ。そんなんじゃ秘書は務まりません。
子役の手配がついた途端にやたら登場する栄三郎の娘2人。
その次女は、あさが五代に会いに行くために置き去りにされた幼き頃の千代でした。
和歌山の静かな夫婦が映ったらほっとする。なんでしょうこの安定感。
これがなければ音を上げていたかも知れません。眉山一家がいてくれて良かった!
養之助の祝言で着てもらうため、男3人が親子でお金を出し合ってはつに着物をプレゼント。
「昔着てたみたいな絹物でもなんでもない。せやけどな、そない晴れの日ぐらいキレイにしたお母ちゃんを見たいやろ養之助も。もちろんワシもな」惣兵衛どんだけ男前!
「ウチはなんていう幸せ者なんだすやろか・・・」目に涙を浮かべて微笑むはつ。
露芝を着たお母ちゃんは、きっと花嫁よりも美しいことでしょう。
土曜日の感想が日曜の夜になっちゃった。しょんぼり。
(とうとう藍之助の出番なくなっちゃった!)
最初はワクワクして見始めて☆5連続だったのに
肝心の見せ場である炭鉱編あたりから徐々に疑問符が多くなり
後半は一気につまらなくなりました。
要するに、ヒロインあさの人物造形に対する違和感が
どんどんふくらんできたからだと思います。
男勝りの元気と度胸って大人になっても着物の裾をはだけて大股で歩いたり
薄汚い加古部屋や厩で熟睡したり
人前で四股踏んだり相撲取ることですか?
それだけで「さすがあささん」「おおきに姐御!」の大合唱ですか?
女性に対する偏見に苦しむって、ただ髭の三男坊ってからかわれることですか?
それに単なる女傑じゃなくおなごの柔らかさも持ち合わせているっていうのは
甘えた話し方やびっくりぽんの口癖やお口つまみの可愛い子ぶりっ子のことですか?
私が読んで受けた広岡浅子さんの印象とは全く違ったものでした。
少なくともこのドラマでは、浅子さんの座右の銘である「九転び十起き」が
説得力のある形では全く描かれていません。
銀行、女子大、生保など、確かにビジネス面の話にさほど面白みはないかもしれないけれど
だからってそれをおざなりにして脇のお笑いやお涙頂戴の人情話で
話を盛り上げようとするのは納得いきません。
つくづく残念なドラマになってしまいました。
波瑠さんはもともと清楚な美女で好印象の女優さんだったのに
このドラマのキャラ設定のせいで当分見たい気がしません。
インタビューでやたらびっくりポンと言うのは本当にやめてほしい。
ヒロイン夫婦をはじめ、愛すべき人びとが多く登場し、満足度高いドラマ。
所作が良い所があったとしても、のぞき見、盗み聞き、立ち聞きがあり過ぎて不愉快。
あさの「旦那さま」の言い方がぶりっ子で違和感。現代のような描写が残念。
表の要らない人は藍之助、裏の要らない人はあさ(これは視聴者に気づかれてはならない)
だんだんつまらなくなってきた。
若者のテレビ離れは深刻だし進む高齢化社会でこれからの視聴者層はますます年寄りと主婦になるから、
年寄りは今更苦労話なんて見たくないし主婦は画面はこ綺麗じゃないと食指が動かない。
綺麗な衣装とお涙頂戴で彩られたサクセスストーリーこれぞスイーツ朝ドラの極み。
大衆に愛されるために、堂々と陳腐化に励んだ大阪局は逆に潔いのかも。
三井大財閥のお嬢様である実際の広岡浅子さんは
実家に何度も金策を頼っていたのに
このドラマでは一切そういうことはせず
最後には娘を認めた父親が自分から寄付を申し出るという。
最初から最後まで度を越したあさ上げ、綺麗事に終始するドラマで
心底げんなりします。
本来なら、2016-03-07 07:16:53さんのような設定なんだから、ダウントンアビーのメアリーに近いんじゃないかと思う。
天然ヒロインは嫌い。
雁助とうめの関係をまだやらせるのかこれ。
つーか行かない言ってたうめ
結局ついて行ってんじゃんw
あさの婚礼前から見てきたうめ。
彼女なら一度キッパリと諦めた想い人の元へノコノコとついて行ったりしないのでは、と思う。だって雁助さんの側には奥さんはじめ家族が付き添っているのだから。話を盛り上げるためにここまで積み重ねてきた人物像を曲げるのでしょうか?やれやれなのでしょうか?
個人的には視聴者の人気者宜ちゃん、あまり好きではないです。賛同者を募るために出歩くあさにくっ付いている変な小娘。あさの話に反対するお人を今日はガン見してましたけど。未熟な宜を隣に置くことであさの成長部分を際立たせているのかしら。それと成長とともに減ったギュグ部分も担当?
はぁ、雁助さん、また登場か・・綺麗に去ったばかりなのに。
噂の昔逃げたはずの奥さん、何だか微妙感じ。娘さんお病気とはいえあれだけ手紙で別れた旦那に大金を要求してたのに、旦那が怪我したらの元の職場に他人にお金を無心するって(雁助どっちかというと偉そうに加野屋辞めたのに)しかも態度も悪い。あんまり良い感じの奥さんではない。
せっかくうめと雁助の決着はついたと思ったのに、またこのネタで1週間やるとは。
どうせ何があってもうめと雁助は結ばれなさそうなので見てる方は真綿で首をジワジワ締め付けられてる気分。
亀助と一緒になったふゆだって本命だった新次郎の妾すらなれず、13歳が中年の奥さんに化けるのは無理があるのか、姿さえあらわさない。このドラマって女でも金持ちに生まれないと幸せになれないぞ、って言ってるみたい。はつは何だかんだと幸せになったし。
これであさの娘までもが本命と結婚できるのなら(あくまで予想です)、なんなん?この金持ち無双状態は?ってだけのドラマになってしまう。
あさがやってることといえばノブちゃんと金持ちの訪問販売。勝手にカタログ置いていくて、それどっかの某宗○団体や怪しげな訪問販売みたいっすよ。
ここ数年でもトップクラスのおもしろさだと思う。
この内容なら視聴率狙いでも大歓迎!!
へいさんのおなごに対する考え方は永久に変わらないという台詞は私にはすとんと落ちました。女が大学に行ったら嫁のもらい手がなくなると散々言われたけど,勉強したくて行きました。昭和の後半でさえそうだったのだから,女性が社会でどれだけ生きにくかったかははかりしれません。女傑という言葉も女性差別のように聞こえるので私は使いません。
あさが大学をつくる志に今日は胸が熱くなりました。
あさがなんであんなに女子大設立に必死なのかさっぱり伝わってこないのは本人が役に成りきってなくて、セリフを上っ面的に言ってるだけなのだろうか
もはや、ヒロイン周りの話は史実をなぞるだけの消化試合感が漂ってきましたな
あさが幼い頃、寺子屋に行っただけで忠興さんにメッチャ叱られて、今井家の恥とまで言われていた。それに比べたら、女学校に行けるようになっただけでも大分進歩したということなんだろうから、「おなごの大学」など「とんでもない」という人が多数派だったのでしょうね。
当時、女子大学の設立に直接尽力された方々のご苦労もさることながら、賛同した方々の先を見る目、心意気も素晴らしいと思います。
相変らずの成澤の扱いにがっかりです。
東京で有力者と面会するも手紙の形での処理のみ(それと一瞬の握手シーンの映像)。
しかもその文面が「やはり白岡さんの言うとおり……このご恩厚く御礼申し上げ候」
そして宜も「あさ先生の言うてましたとおり……」と結局は
成澤の頑張りや功績を讃えるのではなく、あさへの賞賛ばかり。
本来は成澤の理想や理念にあさが感銘を受け賛同したはずなのに
全く逆の印象を受けてしまいます。
いくらあさがヒロインでもこれは違うんじゃないか。
でもそんなご立派なあさなわりに寄付金集めの訪問先で「あんたがあの悪名高い銀行屋の女頭取か」と悪態つかれると「はんっ?」と相変らず間の抜けた返事。もう落ち着きの出た立派な女性実業家なのだからこういうコントじみた返しはいい加減によしてほしい。波瑠さんの演技の限界を感じます。それに自分で「おばさん」といわりに白髪が一本ありませんね。もう五十がらみだろうにいかにも顔が若々しくてすごく不自然です。
そして、うめ。あれほどきっぱり固辞したのにちゃんと病院に同行しているのには私も驚きました。頭取に相談役、秘書と3人で十分なのに、あさのお供でもないのにうめがそこにいるのは画面的にもいかにも不自然です。雁助の妻と対面させて見せ場を作りたいのが見え見えで強引すぎます。
そして雁助の娘婿が初対面の加野屋の面々の前で、いきなり泣きながら工場の窮状を訴えるのも不自然でわざとらしいですね。
せっかく雁助への想いを秘めたうめの表情とかすごく惹かれる部分もあるのに、あまりに違和感を覚える展開や演出が多くてドラマに惹きこまれないのが残念です。
とっくに亡くなりましたが,明治生まれの祖母は小学校に4年しか行かなかったとか,昭和でも女学校に行けるのは裕福な家庭だけだったとか聞いています。そういう歴史の中の女子大というのは政界財界のトップクラスの方の理解を得て,女子の超エリートを育成する所だったのは想像できます。しかし偏見も大きかったのでしょう。のぶちゃんのけっ飛ばしたくなったという現代風の表現が何かの付せんのような気がしました。
みかん畑についてですが、朝と新次郎が和歌山に遊びに行っていた時も、先週もミカン畑の山から海が見える風景がありました。どう見ても山の斜面にミカン畑はありました。
みかんの花の香りも、あの時は菊だけが感じていたのです。はつはえっと不思議にし、惣兵衛が今山に沢山咲いているると言ったのです。病床の菊だけが感じたのは嗅覚がすぐれていたのか幻かはわかりませんが
批判するのならきちんと見てからしてほしいと思います。
歌は世ににつれ、と言うけれど、朝ドラもそう。たった半年、されど半年。登場人物が心に寄り添うようで、ほんと愛しくなります。あさもはつも、それぞれの成長が感慨深い。いいドラマです。ここ数年の朝ドラでは、「ごちそうさん」「マッサン」が印象深いけれど、今作も折に触れ、懐かしく思い出すドラマのひとつになるでしょう。とはいうものの、どんな朝ドラもみな懐かしいものなんですけどね。思い返すとそのときの自分や世の中のことも蘇ってきて。(最近、「朝ドラ愛」に目覚めたような気がします)
雁助見舞いのシーンで、新次郎が例のくんにゃりお辞儀をしたのが不自然で気持ち悪かった。
榮三郎達が普通に頭を下げたのに新次郎は膝をくんにゃり。
「所作が綺麗!」と絶賛されてたけど、あの場であのお辞儀は不自然。
誰が何と言おうと不自然。意味不明。
このドラマが面白い人ってもしかしたら、あさのようにさして人生に苦労など無く生きて来られた人で、面白くない人は主人公以上に苦労を重ね、世の中の辛さ不条理を知ってしまった人かもしれない。
苦労した人には全く共感できず救いの無い格差を思い知らされるが、恵まれた人には更に恵まれる夢を見せてくれるドラマなのだろう。
あさと新次郎が和歌山へ行った際、
庄屋さんは眉山家の事を農業とは違う面でずいぶん買っていたようでしたよね。
紀州のミカンは徳川家の後ろ盾で成り立っていたが、今では東京の問屋に買い叩かれるようになってしまった。眉山一家が移住してきて、最初は戸惑ったこともあったけれど、実は頼りになると分かり、これからは百姓にも知識が必要だと感じた。
たしかこんなことを言っていました。
ミカンを作って大名に納めていれば安泰だった時代が終わり、農家も商売することを考えなければならなくなった時、商売の知識がある大阪の元豪商がやってきたわけで、地元の人たちにとっては希望に見えたのかもしれません。
知識で村人の信頼を得る具体的な描写はありませんが、惣兵衛が庄屋さんの所に話し合いに行く様子は何度かあって、信頼されていることは伝わってきました。
お互いに自分の出来る事をし助け合う事で村が成り立っている、そんな印象を抱きました。
眉山一家が今それなりの生活レベルになっているのは、村の人たちの支えもあってのことではないかと思っています。もちろん現実はそんなに甘くないのでしょうが、あさが来たの世界の中なので私は良しとしています。
雁助さん再登場しなくていいです。
人気便乗加減を間違えると、嫌悪に変わります。
なんでこれが視聴率最高なのか意味わからない。
そうですね、私もちょっと不自然に感じました。
あと宜ちゃん、最初は面白いかなと思っていましたが段々ウザくなってきました。あさのビックリポンやお口摘まみと同じで、やり過ぎは見ていて嫌になっちゃいますね。で、あんなにキッパリあさに断ったうめが同行していたのは何故? 何かとりあえず断るシーンを入れたかっただけ?って感じに思ってしまうわ。どうせ何らかの対決があるような気がするしね。
もう和歌山のミカン山の話はほどほどにしましょうよ
ちょっと見苦しくなってきましたよ
ただの「おもろい夫婦」を描きたいのなら、ことあるたんびに歴史上の人物との絡み、名士の名前なんかも出さなければいいのに。
バランス悪いご都合主義ドラマだなっていつも呆れて観てますよ。
権力者に媚びへつらったり利用したりのくだりも感じ悪くて気分悪くなります。
あさのように世の中こんなにも多くの権力主義者が多いとなると日本は駄目になると思うんですがね。
なんの刷り込み宣伝をしたいんだろうか。
新次郎のひざ曲げお辞儀、今日も気になりました。
何でしょう・・今度はあれを流行らせたいの?
いつからやり始めたのかご存知の方いらっしゃいますか?
その時セリフで「これからはひざ曲げてお辞儀するんだす」とかなんとか説明あったのでしょうか?
(^^;)
あれってもしかしたら花魁とか芸子さんのお辞儀かな。
それとも西洋のカーテシーを取り入れアレンジしたもの?
どっちにしても女性がやるならまだしも中高年の男がやるものでしょうか。
史実をいじって曲げてお話し作るのはフィクションドラマなんだからいいとするけど、習慣、礼儀作法を曲げるのはどうなんでしょうか。
病床の雁助は痛々しく見えたが、雁助の家族を登場させなくても良かったのではないかと思った。
まして大金まで要求してくるなんて、見苦しいとしか言いようがない。
いろんな家庭、家族のカタチがあるんだから別にいいんだけどさあ、夫婦仲がうまく行かなくて出て行って連絡も取らずに何年も経っているのに、子供の大病と言うだけで元サヤに収まって、その娘の病気が治ってからも普通に仲良くやっていけるものなんだろうか。別れてからも子供のことで親として協力し合う元夫婦は現代でもいっぱいいるけどねえ。子はかすがいと言えども、ちょ~っと雁助夫妻には共感しかねるなあ。それならいっそのこと、雁助さんはおあさ様に一生お仕えすると固く決心したうめを諦めて新しい人と出会って家庭を築いている設定の方がまだマシだった。
2016-03-05 12:02:23様
返事が遅れ失礼しました。
》
恐らく捉え方が違うだけで、あさの奮闘振りをもっと見たかったという気持ちは同じではないかと感じました。
>ドラマを明るく軽い感じにしつつ、あさを豪傑のような人物として描き、仕事でリーダーシップを発揮したり、女性差別に悩んだり怒ったりする場面を入れることは、決して不可能でないとも私は思います。
もう一度貴方様の感想をじっくり読ませていただいたのですが、このご意見には共感できると思いました。
》
私があさの人物造型の是否について申し上げた趣旨を理解して下さり、有難うございました。確かに私は登場人物をモデルとなった人物像に忠実に造型することが重要だと申し上げましたが、放送時間帯や予算、労力などの制約がある以上100%忠実に造型することは難しいとは私も思っています。しかしそうではあっても、あさを経営者や教育者である旨を第1回冒頭で紹介した以上は、最低限それに見合った描写をすべきだと思い、ここ数日申し上げてきた次第です。
今回モデルがある場合の人物造型のあり方について、こうして話し合えたことで、モデルの人物像への忠実な描写と放送時間帯等の制約との間の折り合いの付け方などについて私自身考えを深めることができました。どうも有難うございました。
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