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東西テレビのマンプレドラマ「ツインソウル」の主題歌完成までの一週間を、新旧ひのでプロ総出演の(絶望)をキーワードに描いた第17話は、一子と遼が前2話の痩せ我慢から素直になり、ふたりのこころがツインソウルであることを鮮やかに紡ぎだした名篇でした。たどころ晋也奏でる切なくも優しさ溢れ希望を感じさせる(ツインソウル)テーマ曲が、主人公ふたりの出逢いから離れ離れの今までの物語を優しく包み込みます。映画のクライマックスシーンを演じきった遼の達成感ある表情と会社立ち上げ初の大仕事を無事に成し遂げ安堵する一子のカットバック。もどかしくも清々しい大人の恋愛ドラマの味わいにこころ奪われました。
絶望の演技に悩む遼が一子から(絶望と向き合う)アドバイスを受け、それは母親と会うことと言われたときの遼のどこか怒った表情が面白い。俺は母親と別れた哀しみを引きずった子供じゃないと言いたげな、ひとりの大人の男として一子に見られたい遼の気持ちが表れています。それは遼の本当の絶望に気付いていないことの表れですが、一子が凄いのは自分から絶望に対峙する精神力を持っていることです。
小雨のなかの一子と梨花の再会場面が短いシーンながら、研ぎ澄まされた台詞と仲間由紀恵・徳永えりの演技により見応えのある見事な場面です。帰り際の一子の台詞(お母さんに顔見せてあげて)がその前の一子と母親の会話に繋がり、また父篤史の遺言にも繋がる一子の絞り出したひとつの答えと思いました。母は夫の死の悲しみから残りの人生を楽しむ心境に変化し、天国で会った夫に土産話をしたいと一子に話しています。そこには篤史の願い(姉妹仲良く)の報告も含まれているでしょう。登場人物のこころからこころに連なる心理表現と台詞の融合が、このドラマ脚本の素晴らしさです。
遼の明絶望の演技を演じる町田啓太渾身の演技。
一子が離れて行った時の絶望を見詰め自然に身体が動くよう明と一緒に絶望してみると言った遼。台本には、「絶望を抑えきれない明、激しく泳ぎ始める」とありました。それを変えてプールに沈み水面に仰向けで浮く虚無感にしました。
これはあくまで私の解釈です。遼が初めて俳優の仕事で時代劇のエキストラに出て大失態をした第2話を思い出して下さい。あの時、殺陣を任され素人ながらそこそこ上手く行きそうだったのが池に落ち息が苦しくなって起き上がり、撮影を台無しにしてしまいました。びしょ濡れのまま立たされ茫然自失の遼の表情のカットが印象的でした。遼が一子に出逢って初めての絶望の場面です。この経験を活かした遼の演技構想と捉えても面白いと思います。
美女と男子のありふれた恋愛コメディドラマと侮る勿れ、第15話から今回の第17話の第3部前半のこの三話は大人の恋愛ドラマとして脚本・演出・演技(仲間由紀恵・町田啓太)の奇跡のハーモニーを産み出している。ラスト待たず名作の風格の香りに酔いしれ、と言いたい。
感想は改めて書きます。
どうしても一言、言いたいです。
今年の紅白の紅組司会は朝ドラでも大河でもない!
常識を覆したこのドラマの仲間一子で決まりだ!
そしてトリはもちろん日の出プロ総出演させて浜崎あゆみのstep by stepで盛り上がろうぜい。
ひとつひとつ、芸能の世界を見せてくれてる。
そして私がこのドラマで一番評価してるのが必ず、そこに居る人たちの何をどう頑張ってるかを丁寧に拾っているという姿勢です。
ワークショップでいえば日々演劇に役立つメソッドに真摯に取り組み、上演演目があればその役に思うところがあってもきちんと練習に参加する。手紙を持ってきた、というだけのセリフでも鬱屈した思いを抱えながらもそのセリフで投げやりな態度は一度も見せなかった。その登場を吹っ飛ばされたときに本気で怒ったというのはその役であっても自分のすべてをかけようと出番に備え、構えてたからこそ。
だけど光るものをもってる人が現れればなんのためらいもなくその人と挿げ替えられる厳しい世界。演出家が一度も差し替えたほうの役者に遠慮しなかったところも含め、ここで(手売りでチケットを捌くレベルの劇団)の本気度をみました。
そういう人を知らないうちに踏みつけての役だったからこそ、その失敗した!という場面では見てる私も身も縮む思いを一緒に味わいました。
今回の失敗は今後のハードル要素を明示もし、同時にどんなことがあっても二人三脚だとはっきりさせもしました。
上手いのがそれと同時に、マネージャーの女性としてのプライベート部分を思いやる心境にもなっちゃってる展開。
ケンケンやってるはずなのにいつの間にかいろんな方面になんとなく人脈ができつつあるあたりもイタイのに可愛い年増女子、としてのキャラが程良く成立していてその点も素晴らしい。
オープニングの口パクライブや変に堅苦しいナレーションまでふくめてすっかりこのドラマのテイストにはまってます。
たどころ晋也熱唱の舞台の袖の一子が、遼のシンガポール世界映画祭主演男優賞受賞スピーチを聞いて流す一筋の涙。最後の最後に漸く男らしさを見せ付けた遼の愛の告白のそのストレートさ。本当の自分の気持ちに正直になった一子と遼が遥かに遠く離れてもこころをひとつにした、名作「美女と男子」最終回は圧倒的な感動を呼び起こしました。
ふたりが一緒にレッドカーペットを歩く場面がなくとも、ラストシーンがそれ以上のふたりの美しい姿を魅せてくれました。帰国した遼と待っていた一子の目と目が合った瞬間から、ひのでプロの仲間の笑顔に包まれた一子の微笑みと遼の満面の笑顔を見せるまで、それは幸福感と爽快感に満ちた最高の締め括りと言えるでしょう。
映画「リ・ターン」完成記者会見の席で遼が一緒に連れて行きたいひとの返答を言いそびれてからの、一子のこころの動きを丁寧に描いた脚本・演出が素晴らしい。この時一子は全くと言っていい程意識していません。遼が石野に会って俺が先に打ち明けますと筋を通す場面を入れた後の、最終話の見所のひとつである斑目晴彦と一子のレストランシーンがいいですね。息子遼の成長を見た父親として一子に感謝する斑目の笑顔があって、これまでの蟠りが消えます。
街を歩く一子。遼から電話を貰いふたりの物語の始まりの場所で、俺の気持ちだからとレッドカーペット用のドレスをプレゼントされますが、遼の真剣な表情に比して一子は戸惑い気味です。彼自身の力でレッドカーペットを歩くと言った前の場面が効いています。しかしドレスを渡した後の遼のスタスタと歩いて帰ってしまうのには苦笑いしかありません。
次の日の遼のアパート。(新人とはいえ映画に主演するスターがまだおんぼろアパートに住んで居るのかと思うのが普通ですが、私は向坂遼の人柄からしてこれでいいと思っています。)一子は気持ちだけ貰うと言ってドレスを返します。たどころ晋也のマネージャーの仕事があると。そして次の遼の言葉(それが無かったら俺と行ってくれたのか)で一子のこころが揺れる訳ですが、大晦日の仕事がバッティングしなくても一子は行くとは言わないでしょう。いつか石野に尋ねられた時遼を見捨てた形になって連絡を取って無いと言っています。後ろめたさからくる彼女の倫理観が伺えます。
その後のクリスマスイブの実家マンション場面がその倫理観と女心の葛藤が表れていました。母俊子に再婚の話を振られて動揺しますが、この時紅いカーディガンを着ています。一度は鏡に映した紅いドレス、仕事優先で遼に返してしまったが、遼の気持ちは暫く持っていたい。シャンパンの酔いと封印していた女心を微かに目覚めさせて、真冬にベランダで風に当たる一子が何故か可愛く感じるのは
私がオジサンだからか?
しかしここで重要なのは一臣を父敬吾に会わせる一子の変化です。それは斑目晴彦との会話にある、(そのお陰で今の自分がいる)と言った後にたどり着いたのではないか。第15話の自宅マンションを売ってひのでプロ復活の為の資金にしたことが、時を経て、良かったと思える今の仕事の充実感があっての話ではありますが。
そして止めは石野の辞職と別れです。恩人と慕う一子に石野が先に告白していれば一子は傾いたかもしれない。遼の真剣な表情の告白宣言を聞いて諦めた石野の善人性は突出していますが同時に、社長解任の痛手から立ち直り男として仕事に賭ける状況になったということでしょう。
石野の(気づいていなかったの)は、一子を最も理解し仕事の能力を評価していた石野だからこそ一子のこころに響いたと思います。君は彼と結ばれるべきだ、と受け取れるぐらいの。
ドラマで一子を最も強く抱き締めたのが、遼ではなく石野でもなくたどころ晋也だったオチは、晴れの紅白の舞台にふたりがせりから上がる爆笑シーンを生みました。悪いと思ったたどころが最後ふたりにプレゼントしたラストシーンはドラマの理想の境地にあります。名作ドラマ誕生の瞬間でした。
ブラボー👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏👏
ブラボー、仲間由紀恵
ブラボー、町田啓太
ブラボー、全キャスト
ブラボー、全スタッフ
ブラボー、田渕久美子
この評価は高すぎ。二流ドラマの中の秀作という程度の出来だと思いますね。家政婦は見たや渡る世間は鬼ばかりみたいな。
「素晴らしい」という評価は当てはまりません。出演者が全員いい人というだけです。まあそれゆえに批判が少ないのでしょう。
星5つです!(月曜日に先週分の感想で星を入れてしまいました。うかつであった)
遼とレッドカーペットを歩くかわりにたどころさんと紅白の舞台に立っちゃいましたね。せりに乗って奈落を上がっていくときはどーなるの?と思えば、ペットボトルを天に向け、だところさんとそれなりのポーズで登場した一子には吹き出しました。
石野さんは一子に想いを告げることはなかったですね。無償の愛を貫きました。でもその想いも重くなく洒脱に描かれていて、「とんだバカヤローだな、オレは←苦笑い」に至っては、やっぱりなザ・パーフェクトぶりに頭(こうべ)を垂れたい気分です。
中里麗子さん。「あなたのせいで現世は一生独身よ」はなんとお洒落でキュートな告白なのでしょうか。彼女はこのドラマでは私のお気に入りキャラの一人なのですが、年齢を素敵に重ねて柔らかくしなやかに生きる素敵な女性でした。その意味では田島さん演じるお母さんも全く同様で、つくづくあんな歳の重ね方をしたいもんです(内面ですよ、内面)。
ひとりひとりのキャラを語っていては字数がいくらあっても足りませんので、一子と遼について。
レッドカーペットはあれでよかったかな。「一緒に」はこれから先にあるんだと解釈しました。飛行場で遼を出迎える一子が美しくてドレス姿をみたかったと一視聴者としては我が儘も言いたくなりますが、最後に一子の心をこじ開けたのは遼の壇上でのぶっ飛んだ(?)告白だったのかなぁと思えば、筋としても納得。遼の告白は一子でなくてもビックリですが、沢渡一子さんに向かっていう言葉はひとつしかなかったんでしょうね。「ありがとうございます」ではなく「愛しています」かー。石野さんや麗子さんとは真逆な一直線ぶりです。ドラマでは役者として大きく成長しましたが、最後まで遼は遼だったということでしょうか。
ホントいつまでも咀嚼していたいドラマですね。続編についてはあまり考えませんが(これ以上のものは難しいかも)、正直ひたすら別れがたい。このドラマに心からの感謝を込めて、お見事、あっぱれと何回でも言わせていただきたいです。
たどころ晋也紅白出場と遼のシンガポール国際映画祭招待の朗報に沸く第19話は、一子と遼の怨恨からの成長変化を浮かび上がらせた人間表現が特徴の地味な回でした。母俊子の言う(恨んでいる側がもっと深く傷付く)にあるのは一子だけではなく、ドラマが始まる前からの向坂遼にも当てはまります。
母を棄て会社の利益にしか関心がないと思っていた父斑目晴彦が(自分の中に夢を見た部分が嬉しい)と述懐する東竹映画試写室場面は、その父が果たせなかった夢を息子の遼が映画の世界で叶えようとしているのを確認するとても意味のあるシーンでした。(主人公が生きているよ)は俳優に対する最上の誉め言葉です。家出同然の息子の成長を映画の中に具体的に見れた父の貴重な時間。個人的には、町田啓太君と同年のひとり息子を持つ父親として感無量の心境になりました。
大門龍太郎との会話を挟んで遼が街を彷徨い父の斑目コーポレーションに辿り着く流れと車で夜の街を走る斑目社長が中里麗子との電話での会話から遼が待つ自社の前で立ち止まる流れに、父と息子の気持ちが寄り添う自然さがあります。
そして遼が一緒に酒を飲み交わす場面をロックスナックハローにしたのがいいですね。これまで何度かひとりお忍びでここを訪れていた遼にとってたどころ晋也は遼の唯一無比の相談相手になっていました。ドラマでは具体的に描写してはいませんが、斑目親子が現れた瞬間のたどころの表情で全て察したこと、これまでの遼の気持ちに耳を傾けてきた人間の確信の信頼感が溢れていました。このドラマの素晴らしさのひとつに、たどころと遼の先輩後輩の枠を越えた人間関係の温かさがあると思います。
会社スキャンダルの経営責任から社長辞任を決めた斑目晴彦の人生の晩秋の哀感、草刈正雄の俳優人生を滲ませたしみじみとした演技でした。
この回で一番可笑しかったのが大門龍太郎のワインの蘊蓄。一子にとってはどうでもいいこと、大門の人間としての卑しさが表れた場面ですが、そんな大門のプライドを喚起させるアイデアを持ちかける一子の類希な才覚が鮮やかです。私生活の怨恨には区切りを付けれない人間らしさとは別に、仕事上のリベンジの仕方はとてもスマートであり、酷い仕打ちを受けた憎き相手を利用する手腕には感心します。
一子と遼の成長変化をこれまで見続けてきて思うのは、そこに夢があるかないかが大切なことということです。会社内の出世に拘っていた一子が芸能プロダクションの社長としてタレントの夢を育む仕事に夢中になっている今、その変化はあっぱれでありましょう。趣味の絵画に悶々としていた遼が俳優の仕事に才能の可能性を見出だそうとしている今、夢は更に膨らみ、一子に何らかのモーションを起こすでしょう。夢を追い求め成長するふたりは、私たちに有無を言わせず勇気を与えてくれます。そのふたりへ、感謝の気持ちを込めて、最終回大きなプレゼントを作者と一緒にしなくてはいけません。そのプレゼントは
______、いわずもがなですね。
オフィスイシノにひとり留まり映画「リ・ターン」の主役を演じる遼の孤独を描く第16話は、役になりきる遼の演技開眼がドラマチックに表現された見応えのある回でした。前回の一子と遼のお互いに想い合う気持ちが確認できた、あの篤史氏葬儀場面の再会が徒となるふたりのこころのすれ違いをもって、遼が一子と別れた喪失感から(こころを持つ)という男と女のドラマが哀しく愛おしく描かれました。磨き抜かれた脚本に敬意を表したいと思います。
復活ひのでプロの祝賀パーティーに鉢合わせした遼の憤りは当然ながら、しかし大人の男の対応とは言えません。映画撮影の仕事に全身全霊集中させてあげたいひのでプロのメンバーの思いやりを推し量れず、一子の厳しい弁解に思いを寄せることが出来ないほどいまの遼にはこころの余裕もないのです。対して前の場面の藤堂大毅に駄目だしされた遼の心理を、話し方と表情で見抜く一子の名マネージャー振りが鮮やかです。以前遼に(愛)を教えようと実家マンションに招いた際に、遼から夫の我慢を指摘されて気付かなかった一子とは雲泥の差ですが。ここに一子の仕事人間の一面が良く表れています。ロックスナックハローの場面の遼の帰り際のたどころ晋也の(また、来いや)の台詞がいい。細かい理屈を今みんなの前で述べるのではなく、ゆっくりふたりの時に遼を慰めるであろうたどころの気持ちが温かい。たどころ晋也の再現ドラマでたどころを演じて以来のふたりの男の信頼関係は続いています。
そして田中幸子を連れた一子が撮影現場を訪ねたことから始まる今回の奇跡のエピソードは、まず藤堂大毅が脚本の不満をごり押しすることから始まる。そして図らずも藤堂の役作りの経験が演技のあるべき姿を匂わす。遼の演技の殻を破るためと後に監督の発言にあるが、それと同時にスター藤堂は自分の見せ場が弱いと考えていて、何かないかと新人向坂遼を利用したのではないでしょうか。映画主演が決まった後の再会場面の藤堂とマネージャーの会話を思い出してみて下さい。大スターの誇りが良くも悪くも描かれていました。
藤堂の提案で追加された居酒屋シーンは、その藤堂が演じる上杉トレーナーの生い立ちをしみじみ語る(見せ場)を生みます。オリンピックを目指す明選手に語る様に話すふたりの夢がオリンピックの金メダル。ここで明役を演じる遼にこころの変化がうまれ、一緒にレッドカーペットを歩くと誓った一子を失って気付く、その喪失感と自分のために遮二無二役を貰い叱咤激励してくれたことへの感謝が溢れてきたのではないでしょうか。あの遼の涙は明の涙では無く遼の涙ではないのか。遼が明本人になったと監督が褒めるが、それは遼の身体に明が入ってきたと捉えてもいいでしょう。監督のカットの後の崩れる様に身体の力が抜ける遼の姿が印象的です。
居酒屋シーンの控える遼の視線の先の一子と田中幸子の役作りのシーンが意味深です。仲居の(辛い、孤独、寂しい)という心境はそのまま遼の心理状態を指しています。喜劇ならではのタッチながら、続いて緊張した幸子を励ます一子を見詰める遼を再び描く徹底振りには感心しました。
音痴だがダンスは得意の遼が、藤堂と秋田音頭を踊ることから生まれた奇跡の演技。田中幸子の唐突な秋田音頭は亡き篤史氏最後の勇姿とも言えます。突然の来客幸子を秋田音頭で歓迎した篤史氏の洒落たマジックと思ってもいいでしょう。
役に成りきる俳優の最後の砦は人間味、こころを使って演じるためには俳優が自分の物語を持っているかどうか。藤堂にアドリブで(彼女いるのか)と聞かれてことばに詰まった遼にはこれまで物語が持てなかった。一子と出会って漸く物語を持つことができたわけです。その物語の続きを作るか、新しい物語を見つけるかは遼次第。今回の撮影を契機に少し大人になった遼。座長挨拶回りのあとの、一子に言い放った(ひとりでレッドカーペットを歩く)捨て台詞に、遼の決意は窺えるが男の痩せ我慢も見える。
残り4話心して見届けたいと思います。
見応えとこころ温まるエピソードを巧みに連鎖させて、期待を超えた物語の進展を描き上げた第15話は、この「美女と男子」の優れたドラマ性を代表する傑作回でした。父篤史の死によって導かれた復活ひのでプロのメンバーが揃い踏みし、万歳の狼煙を上げる一子新社長初め8人と一枚の看板の遼ひとりがガラス扉を挟んで見つめ合うラストシーンは、このドラマを愛し勇気付けられてきた(私たち)を感動させ興奮を誘い熱く温かい想いに満たしてくれます。遼がひとり欠けている、その寂しさがガラス扉一枚で隔てていることで表現された、見事な映像演出でした。それはチャールズ・チャップリンの不朽の名画「街の灯」の名ラストシーンを参考にしたのではないかと、私的には思いたい。観る者をひのでプロの一員として感情移入させてくれる素晴らしい場面でした。
それに勝るとも劣らないシーンが父篤史の葬儀場面です。会葬に現れた遼を見詰める一子演じる仲間由紀恵の、相反する感情の入り交じった表情の豊かさと深さが際立っていました。充実した境地にある女優の素晴らしい演技だと思います。焼香を終えた遼を別室に引き寄せた場面が別れたふたりをまた熱く描きます。遼と別れたとは言え映画撮影の仕事に集中すべきとマネージャーのときと変わらない一方的な忠告をする一子、その思いを全て飲み込み最低限の謝意を表し殆ど黙って聞き入り一子の痩せ我慢を心配して一言(大丈夫か)を掛ける遼の優しさ。ふたりの互いに想い合う心情と性格がこの短いシーンに密度濃く描かれていました。第3話の(あんたおかしいよ)の台詞を何とか演技で表現した遼が、遂に、こころから一子を想いその(ひとこと)に愛を込めれたのだと思います。この場面の町田啓太の演技も素晴らしい。主演ふたりの名演とそれを引き出した演出をもっと褒め称えましょう。
第3部は田中幸子が先ず起爆剤になるようですね。留守番並木元社長が見抜いた原石を一子がどう限界まで磨き抜くか楽しみです。彼女の母の教え(どうせやらなきゃだめなら好きになって夢中でやりなさい)が父篤史の(お前にはパン食い競争がある)と共鳴する様に、感じました。作者のこの作品に込めた想いが伝わる印象深いことばだと思います。
弔問客として次々の現れる男性陣と一子の距離が見ごたえあった。
もう話すことはなにもない元夫。
心からの友情を示す田所。
誰よりも一子の手こそ握りたかったであろう石野社長。
どこかで一子を認めているからこそやってきた大門。
そして遼。
一子の遼の顔をみたときの驚きながらもどこか親しい人をみつけてほっとしたような、でも自分のこと以上に当人のことだけを一番に考えるような幾重にも感情がたくさんわいてきていて、その特別感がすごかった。
どうしてここにいるの!あなたには仕事があるでしょう!
遼の答えは直接的ではない。遼自身、この問いをぶつけられてはじめてめぐらせたかもしれない答えは
背を見せてからの――「大丈夫か?」
あんだが心配だったからだよなんてセリフを言わせないのがいい。
一子は今はまだそれどころじゃないけど・・・視聴者の私はきゅーん。
妹を許せない一子というのもリアル。でもちゃんと、二人で座って話も少しできてる。自分が度量の狭い女だとも自覚している。
そうだよ、そんなに簡単じゃない。
預言者父の予言がないままの田中幸子がどうなるのか読めないし、
あの看板はまんまかっこいいし。
あと。お母さんのお茶しにいこうか、とお昼寝したいから一緒に。
その切り出すときのちょっとしたしぐさが上手い。セリフだか息の吐き方だか。
しかも一回目は自分も仲立ちを考えてた。2回目はお父さんの言葉が効いているだろうと、自分が席を外す形にした。
ものすごく難しい立場なのに本当に母親らしい態度で、これは脚本も演技も良いとつくづく思う。
つくづく、端々までじっくり味わえるいいドラマです。
美女男みてない人、残念💦
こんなに夢中になったドラマは、久しぶり。
2〜3回繰り返しみても、面白い。
笑って、泣いて、感動して、胸キュンあり、前回はミッキーに怒りを感じました。
みてない人、本当〜残念💦
ネットに愛愛がニセ台湾アイドルであることをリーク。ブログでのなりすまし開き直り発言。そしてTVで涙ながらの謝罪会見。
こうしたすべてが大門によるTドールズ売り出しのための仕掛けだったとは。まさに芸能界の虚構を感じさせるエピソードでした。
まっすぐな性格の一子はそんな人の気持ちを踏みにじるようなやり方に反発・抗議するが当の亜依ちゃんは最終的な世間の好評に大満足。逆に一子は全然私の気持ちがわかっていないと非難する。まあ、タレントとしてはとにかく売れて人気が出るのが一番。やり方云々の綺麗ごとは関係ないんでしょうね。
それと前後して自信喪失の鷲見右京を思いやるあまり、大御所中里麗子からもマネージャーとして甘いとダメ出しを食らってしまう一子。
人一番負けん気も強いしプライドも高いゆえに自分がしっかりしなければと他人の仕事まで引き受けて頑張りながら、それがことごとくうまくいかない。今日は一子のジレンマが上手く描かれていたと思いますが、最後に父親が訪ねてきた場面。ただ無言で見つめる父親に一子が思わず弱音を吐き、父親が「おまえはおまえのままでいい」と言葉をかけるシーンがよかったです。たぶん、一子は認知症で自分の言うことも理解できないであろう父親が相手だからこそ、弱い面をさらけ出して本音を語ったんですよね。仕事だけでなく離婚でも本当は深く傷ついていたことも。普段は堅い鎧に身を固めた一子が唯一心を許せる相手。そしてこのお父さんの言葉がいつも愛情にあふれ真実をついているのが素敵です。
他にも今日は鷲見右京の件とか内容は盛りだくさんですが、何一つ余計なエピがなく、それぞれが見事に繋がっている構成が素晴らしいと思います。
来週は自信喪失で悩める右京くんの話のようですね。
心配だけど展開が楽しみです。
一人ひとりの心の動きが丁寧に追いかけられます。
普通ひどいと思う「ほぼマスオ状態で妻の妹に手を出す」「実の姉の旦那と付き合う」という二人ですら、一子の旦那さんがマスオだったのは妻の仕事を優先した生活のためで、そこで大黒柱風のお義父さんの立場を壊さない程度に溶け込むにはお義母さん義妹と家族として親しみやすくすごすのが一番で。子どもの世話、日々の食事。自然と心を通わせ、気を使わなくても安らげるほどに親密になったのも、わからなくもない。ことが発覚したのちは今までと打って変わってはっきりと気持ちを言い、謝罪姿勢も潔い。両親にも頭をさげ、子どもに「お父さんはヒーローになる資格がない」と自分のしたことは社会的には肯定されないことなんだと自覚してみせる。
だめなこと、だけどこれしかない。この芯の通し方はいままであんまり顔も印象に残らなかったのにここで一子と一緒にはじめて彼を正視するような気持ちになった。
義妹も小さいころから何事もこうと思えばこう、の姉の勢いに振り回される続け、結婚してからもすべて姉の都合を持ち込まれる生活。一緒に振り回されてる義兄にシンパシーを感じ、可愛い甥を見てるうちにお姉ちゃんがほったらかしやりっぱなしになってることをカバーしてるのは自分だ、今でももうお姉ちゃんの代わりをしてるんだから法律上そう書き換えて何が違うの?という気持ちになってもおかしくない。
おかあさんも二人の娘の母として心を痛め、お父さんは一喝したのちは「あるように認める」みたいな。この、お父さんのわかってないのにはまってる言動は普通に認識がしっかりしてたらもっとこじれて本筋とは違う描写が長々必要だったかもしれない。そこをスパッと空気を変えるキーになれてるのだからドラマ上すごくいい。
「お母さんを守る」お父さんはひとりじゃない、というのを見たときに決めたんだと思う。いい子だー。そのいい子がおじいちゃんと寝てる(一人でいない)のもいい。あったかいよ、全体が。
必死にみんなが頑張るも事務所は閉鎖に。
はまりきってる私にはハローマイラブが名曲にきこえてしかたがないっ(涙)。
歌ってそれだけでは名曲にならないのねー。歌にどんな物語をのせて聞けるかが大事なのねー。
そうして、歌い手が引退するというのはその歌が歌い継がれるほど浸透してない場合はそこで歌そのものが消えてしまうのね・・・。
引退するといって歌ったハローマイラブ、この歌がもう二度と世に響かなくなるってそんなさみしいこと・・・なーんて思っちゃった!もちろん、ドラマ上ではまた絶対復活するでしょうが(笑)
でも、この歌を途絶えさせない、その使命感で細々と続けてる歌手ってきっとたくさんいらっしゃるんだろうなと思った次第。
古い写真を手に昔に思いを馳せる所長。そこに大ベテラン女優。たしか最初に出たとき日の出プロに以前いたわ、て言ってたっけ。
ここで大人な優しい時間が流れる。もう、しみたー。映画かと。
一子の苦しくてもなんでも強い目の力は魅力的で、その強さと置かれてる状況の苦しさに涙する様子の両面を見せられ、胸にすがられるた時の漫画なら大文字で画かれそうな遼の「ドキッ」。
わかりやすい!でも説明くさくない!
あー面白い。
厳しい時代に取り残されたゴミのような事務所(大門龍太郎)ひのでプロモーションが巧妙且つ悪質な振り込み詐欺に会う不運と、沢渡一子の夫婦破局の自業自得が重なりながら巧みに構成された第7話は、このドラマの(序破急)の(破)の始まりと捉えられるでしょう。ふたつの一子の挫折をそれぞれコミカルとシリアスに描き分けた演出に感心すると同時に、前川泰之演じる石野悟の新しいプロダクション立ち上げの挿話を然り気無く入れた脚本の精緻さに唸りました。
斑目コーポレーション社長室における斑目社長と石野の一子の人物評定が興味深い。一子のマネージャーとしての才能を高く評価し、侮れないと認める石野は自分にないものを彼女に見つけ出しています。それは仕事の出来る男の嫉妬に見えなくも無いものですが、この場面の新しいプロダクション立ち上げの話がこれからのドラマの物語を面白くさせていくと思います。
沢渡一子が家庭をないがしろにして仕事に邁進した結末は、支配されていた夫の安らぎを求めての家出でした。こんな取り返しのつかないことになるとは思いもしなかった一子に誰も同情は出来ません。しかし、ドラマとは言え遼が一子にこころを寄せ優しく言葉を掛けて気遣う心情が描かれたひのでプロモーション事務所のドアの前の場面は観る者を納得させます。気を取り直して出勤する一子のシーンを以前に見せている映像表現のイロハですが、私はこのオーソドックスなタッチが大好きです。
仲間由紀恵が一子の性格と心情を見事に表現していると思います。傲慢で綺麗な一子を見ていて連想する女性がいます。「風と共にさりぬ」のスカーレット・オハラです。時代も背景も違いすぎますがスカーレットからコケットリーを取ったら一子みたいな女性になるのではないかと。あとは向坂遼がレッド・バトラー並に男らしさを見せ付けたら、この「美女と男子」は傑作ドラマになると思います。
私が思うに一部の人にしか受け入れられなかったのではなくて一部の人にしか見る機会がなかったように思える。(実は私も仲間由紀恵さんが出演しなかったら見ていなかったしタイトルがダサかったw)
また実際にどれだけの人がこのドラマを視聴したのか見当がつかないが少なくても見た方の中にハマりすぎて困ったというコメントが数多くあるのも事実です。再放送や続編を希望する方も多く紅白にも出場してドラマのOPを再現してほしいと願う方もいるぐらいです。(かくいう私もそのひとり)
視聴率の低さやドラマアカデミーの賞を逃したのは残念だったけど心に残る最高の感動を残してくれたこのドラマに金メダル級の称賛をいつまでも送り続けたいと思います。
今日のアサイチは仲間さんのプレミアムトークだったらしい。
津波情報で番組は流れた。
ロスのオバサン達が、◯フーの感想欄で吠えてた。
緊急性の高いことが優先されるのは当たり前なのに、Nhkにメールしたとか息巻いてる。
生放送だから、準備してた仲間さんが一番残念がってるよ。
あそこのロスオバサン達、怖すぎ。
弛いシニカルな視点で今日の日本の映像表現メディアを快活なタッチで描いたドラマ「美女と男子」は、バックステージものとしては挑戦に値する独特の面白さと人情喜劇の温かさを兼ね備えたとてもユニークな作品でした。脚本の大胆さと際どさがオーソドックスな演出と主演仲間由紀恵の名演により、幾つもの名シーンを堪能することで約5ヶ月の長丁場を全く飽きることなく観賞できました。
第2部終結の異様な程の高揚感に期待が膨らみ、何故かチャイコフスキーの交響曲第5番を久し振りに聞いていました。歓喜と勝利の最終楽章の高揚感に匹敵するドラマ第3部を、私も予想していたからです。
しかし一子と遼の成長変化を主軸にした第3部は第2部の続きというより第1部に連なる
美女と男子の物語に集約して、最終回を甘美なまでのロマンチックラブコメディとして終えました。復讐劇ではなく、1940年代ハリウッド映画全盛期の典型的なボーイミーツガールの古典回帰でした。
1990年以降の映像表現のリアル至上主義は社会の複雑化と個人の価値観の多様化と映像の鮮明化によって今日に到っています。それに逆行するテレビドラマと言えるかもしれません。
20年振りにテレビドラマを小まめに観賞する環境になった昨年からで、私が心底満足した作品は「僕のいた時間」と「デート」の二作品です。しばらくは出逢えないと思っていた時、たまたま「美女と男子」のタイトルを当日新聞で見て、フランス映画の古典を連想し視聴しました。この時新聞を読まなかったらこの作品を無視して終わっていたと思います。埋もれた名作にならなくて本当に良かったです。
皆さんのレビューもドラマ同様楽しませて頂きました。心より感謝申し上げます。
また私のレビューに対して声援のコメントを頂きまして、恐縮ながら感謝致します。
映画批評に夢中だった40年前に戻ったみたいな自分に、少し若返ったかなぁと感じています。
<続き>
向坂の成長~映画「リ・ターン」で終わってよかったのか?
向坂の出演映画「リ・ターン」。彼の“初主演映画”であり、シンガポール世界映画祭で作品賞にノミネート。主演男優賞を受賞したわけですが…。個人的には「もうひと作品」映画を撮ってほしい気がしました。上記のように「たどころ一色」でなければそれは可能ですね。もとより第3部そのものの出だしが第2部の終了時から「時間軸はどうにでもできた」展開だったので、脚本上は難なく行けたはずなのです。「リ・ターン」である程度、興業的にも成功をおさめ芸能界で「知名度も向上してきた向坂遼」として第3部から登場させる。あのひのでプロのビルの窓からみえた向坂の「化粧品広告」。これとも何ら矛盾せずに行けるのです。ところが何故か「リ・ターン」で延々と引っ張っていってしまう。理由?簡単な話です。「リ・ターン」であれば「水泳選手としての俳優・向坂でいける」=「演じる町田啓太さんの裸体が、映像でだせる」。ここでしょうね。(NHK的には、ですよ。もう一つは町田さんの所属事務所の意向?かもしれませんが)
もともと私は劇中劇「リ・ターン」について、さほどの「大作感」をもってはいませんでした。みなさんもご記憶にあるかと存じますが、第2部の14回で、三条プロデューサーがなんといっていたでしょう?「これが題材(モスクワ五輪)なら世界に通用」するといって、これこそ「クール・ジャパンだ!」とのたまったのであります。およそ「これぞクール・ジャパン!」なんてプロデューサーが言ってのけてしまう映画にロクなものはない。実際には、少なくともカンヌ国際映画祭などで顕彰されている日本映画の作り手(代表的な例は是枝裕和監督)が、果たしてこんなセリフを言うでしょうか?…決して言わないですよね。(だいたい自分で自分自身のことを評して「COOL」とか言ってしまう、クール・ジャパンを推進している経産省はじめとする、この下品さ・無神経さがおかしいのです)だから14回を見たとき、私は日本映画界に対する痛烈な、NHKならではの皮肉と受け取っていたのですが…まさかのトホホぶりであります。興業的には少し成功したが、映画界での評価がさらにされるような映画作品への、向坂のチャレンジ。リアルに考えればこれが妥当な路線だったはずです。
斑目晴彦と、大門龍太郎
最終回で斑目は沢渡に謝罪しました。内容はふたつ。①沢渡を斑目コーポレーションから出したこと・②ひのでプロへの出資を拒否→結果として廃業に追い込んだこと。これがおかしい。①についてです。
沢渡のことを「社外へ放出」する直接のきっかけになったのは、第1回で描かれたように沢渡の直属の上司・塩田充(浅野和之さん)が彼女を「推挙」したからに他なりません。大人数の組織である斑目コーポレーションの中での沢渡の存在は社長斑目にとっても「One of Them」でしかなかったはず。このドラマにしては珍しく整合性のないセリフになりましたが、これは斑目がDOMSの件で「没落」したことが遠因でそうしたのでしょうね。結果は斑目が「没落」し、大門はDOMSの件でも「法的責任は問われず」生き延びました。私の第3部での想定はまったく逆。大門は斑目に切られる。そうなりませんでしたね。これもまたトホホ…であります。
大門龍太郎という人物があきらかに、「あのグループの総合プロデューサー氏」を想起してつくられたキャラクターであることはどの視聴者からも明確です。(ちなみに彼は上記「クール・ジャパン」にも関与しています)第2部での、大門の強欲ぶり。小暮愛依をTドールズから「脱退させるのに失敗した(石野悟の妨害にあって頓挫した)」際の、あの怒りぶり。自らの意に沿わぬ者、自身よりもサクセスしそうな男へのメラメラ燃える嫉妬心。そこからくる、社長更迭劇。沢渡と真田への不当人事。(ちなみに第3部で、真田はどうなったのでしょう?)ドラマを見る者、この作品のファンであればあるほど、大門龍太郎への怒りは頂点に達したはずです。この状況をどうひっくり返すのか?下剋上。大逆転劇。これを期待したに違いありません。
はたして、最終回での大門。…何ですか?この、「イイ人ぶり」は。
彼からのたどころ晋也への評価だってまるで違う。(ヒットしたからというだけでは、あまりに貧相なこの転向ぶりです)ラストは大門も「イイ人に」との、ドラマ中もっとも無理筋な流れですね。
この理由も単純で、大門を悪人で終わらせるのは、「あのグループの総合プロデューサー氏」に対して「NHKとしては顔向けができない」からでしょうね。他に理由は考えられません。
またも「奇しくも」ですが、NHKドラマの二枚看板であるところの「連続テレビ小説」。この新作(大阪放送局制作)の「主題歌」はまさにこの「あのグループの総合プロデューサー氏」のグループが、担当するのだそうです。もう、笑うしかありません。ドラマ「美女と男子」という作品は芸能界の、テレビ界の構図を描き出すものでしたが、こうやって図らずも「ドラマを制作するNHKというテレビ局に存在する内在的限界」までも、炙りだしてしまっているのであります。大門龍太郎を、切り捨てることのできなかった「美女と男子」。この箇所に限って言えば、後味のじつにほろ苦いものになっていましたね。
おわりに
以上、「建設的な批判」でした。この程度の批評が「許容されない」のでは困ると思っているものの、手放しに(というか楽しんでこられた方々には)すこし「ほろ苦い」感想になるのかもしれません。ただ私自身も以上述べたような部分も含めてこのドラマを堪能したひとりでもあります。冒頭で述べているように面白さでいえばこの春からのドラマの中では群を抜いていたし、とりわけ第2部のシナリオは緻密でよく練れていて、しかもあらゆるところにまで気を配った素晴らしいものだったと感嘆しました。第1部の第2回・第4回なども記憶に残っているし第6回での「ひのでメンバーが集結しての接待シーン」は大好きです。人のことなど気遣えなかった沢渡が「ハロー・マイラブ!」を口ずさんでしまう。いいシーンです。
ひとりの(少しひねくれた?)「美女男」ファンの感想とでも、受けとめていただければ幸いです。
ケチをつけるわけではないが、それほどの作品でもないのに20話全部、見切られた方が不思議です。私だったら途中、絶対にリタイアしますよ。だってよほどのもの好きでもないかぎり苦痛以外の何物でもありませんからね。本当はそれなりに面白かったのではないですか?もっと素直になりましょう。
私にとってこの作品は近年まれにみる名作に値します。脚本、演出、音楽、キャストの面々等、全てにおいて完璧なドラマでした。また今までドラマの劇中歌でこれほどまでに印象に残る歌があったでしょうか。オープニングの「ステップ・バイ・ステップ」といい、たどころ晋也の「ハロー・マイラブ」「ふたり」などは一度、聴いたら忘れられないくらい名曲だったと思います。
ドラマをつくる脚本や演技、演出などの要素と
連続ドラマとしての構造が総合的にハイレベルだった。
それを美女と男子は、さらっと軽く見せているけど簡単ではない。
テイストの好みは人それぞれだけど、
ドラマ発の作品として高評価を得るべきだと思う。
あと一回かぁ~~。寂しいです。
他にも今期、いくつかドラマを見ていますが、家事も終わらせリアルタイムで見る努力をしてた唯一のドラマでした。
個人的には16話がピークだったのですが、トータルでは
やっぱりよく練られたお話なので☆5つで終わりそうな気がしています。
ここに書き込む視聴者の方を「いいな♪」と思うのは、時には辛口のご意見、短くつぶやくだけの冷やかなコメントがあっても煽られずに自分の「好き!」を多くのみんなで書き繋げておられるところです。
つまらないと思われる方の投稿も本当にそう感じた部分もあるのでしょうし、それも甘んじて(?)受けつつ最終回まで完走していく感があります。
遼くん、一子さん、石野さん、どういった風に「愛の言葉」が出てくるのか最終回が楽しみです☆
録画視聴のため、遅まきながらみなさんに追いつきました。感想は皆さん語り尽くして下さっているので、脇を固める石野さんについて語らせて下さい。
石野さん、私のなかではザ・パーフェクトです。印象に残るのはバレエ公演の待ち合わせに行ったけれど、一子の姿をみて悲しそうにまわれ右。あの週は、大門のクーデターで会社を奪われ激高し、サイボーグ石野に人間石野の片鱗をみた気がしましたが、弱った自分を一子に見せるには彼の矜恃が許さなかったのでしょうか。好きなシーンです。
さてさて、遼に対する一子への告白宣言ですが。私は石野さんは一子を本気で奪いに来ていると思いますよ。遼の一子への想いが同志以上の、恋愛でいうところの愛であろうことは感づいているでしょうし、一子と遼の絆の深さもまた承知でしょう。でもサイボーグ石野はそこでは止まりません。ではなにゆえの告白宣言なのか。彼にとっては遼もまたフェアでありたい、一子を抜きにしても大切にしたい存在であるということに尽きるのではないでしょうか。間違っても出し抜きたくはないというか(一所懸命書いた割にはベタな結論、ごめんなさい)
いずれにしろ、石野さんには最後まで格好よく走り抜けて欲しいです。遼にとってこれ以上の好敵手はいませんっていうくらいに。
ところで、にっくき大門なのですが。実は、一子のお父さんの告別式に行きにくいだろうにおいでになり、あえて皆からの罵倒を受け止めていたように見えたときから、ビジネスには徹するけれどそこまでではないのかなぁと。ドラマ上、敵役ではありますけれどね。
石野の告白宣言から始まる一子と遼の思いの行方とたどころ晋也の新曲売り込みの顛末を絡めた第18話は、遼の大人の男に成長した姿を印象付けた回でした。オフィスイシノのタレントふたりに続き、遼が映画クランクアップのテレビインタビューで突然(ふたり)を歌い始める場面は、目頭が熱く為らざるを得ませんでした。第4話の音痴がばれて不機嫌な遼に、俳優が 恥ずかしがってどうすると一喝した一子に捧げるメッセージになっています。映画のふたりの主人公を(ツインソウル)に重ねて「ふたり」の曲を紹介だけでは終わらない、これまでの物語が導いた感動的場面でした。
同時に改めて気付かされるのは、ひのでプロのメンバーが遼に余計な心配を掛けない様に映画撮影終了まで気遣う優しさです。田中幸子が共演者のひとりとして映画クランクアップの場にいて、遼がたどころ晋也の窮地の内情を知る脚本の巧妙さが光ります。
みんなの声援に感極まるたどころ晋也を演じた高橋ジョージの男の嬉し泣きには、魅せられました。
過去と現在のバックステージものは数多くあれど、未来を予告するバックステージものは珍しい。
曲の大ヒットと紅白出場、そしてふたりがレッドカーペットを歩くいつの日かまで、このドラマの余韻に浸りたい。
ほんと、毎回ワクワクしますね!
視聴率低迷の原因が主題歌だから今後も数字が上がらなかったら歌なしに!
私もこんなの初めて聞きました。
自分がプロデュースするアイドルと発売日をぶつけたうえにさらにこんな圧力までかけるなんて、大門にはほんと腹が立ちます。
だけど大門プロのタレントは元はひのでプロのタレント。
IKKOさんと望月大也が自分の番組で宣伝したうえに、あの遼までが映画の番宣で音痴!な歌を披露してたどころをバックアップ。
元の仲間たちの温かい応援ぶりに涙が出ました。
おかげでドラマの視聴率もアップして主題歌は放送続行。
よかったですね。久しぶりのCD発売だけでも一発屋の自分には身にあまる幸せなのに、みんながここまで応援してくれるなんて自分はほんまの幸せもんや、と男泣きするたどころにまたまた涙しました。
そして脇筋では遼の心情が映画「リターン」の撮影と重ね合わせて描かれる。コーチとの別れで落ち込む遼は、まさに登場人物と一体化したわけで、芝居のための芝居しかできないと自己嫌悪に陥っていたころからは大きな成長ですね。だけど遼の落ち込みは映画の内容のせいだけではない。一子に告白する、と告げた石野の言葉で、いよいよ一子が自分から離れてしまうのではないか、という不安もあるんですよね。
だけど映画のコーチと同様、一子は今も遼の同士。
「ふたり」の歌詞同様、今は離れ離れのツインソウルがいつか一緒になってレッドカーペットを歩く日が来る。
それがいやがうえにも感じられるクランクアップ祝いの時の二人の表情でした。
残り2話で、来週は遼と父親の葛藤が描かれそうですが、一子をめぐる三角関係もそろそろ動き出しそう。
ほんと、毎回面白くて目が離せません。
来週も楽しみ!
町田くん、新人俳優の難しい役所。
同じセリフでしっくりこないシーン、皆を感動させるOKシーン。
身を削りながらの1シーン1シーン。
あ〜私なら、絶対引き受けないな💦 女優じゃないけどね。
町田くん、凄いよ。美女男 最後まで頑張ってね。
しかし、改めて仲間さんの表情 と存在感は さすが!
これほどまでに大絶賛されたドラマと感想を見たことがない。
過去にあったかもしれないけど今期、最高の評価であることは間違いない。
仲間由紀恵を陰ながら応援している私からすると有難いかぎりです。
感想は全て皆様が代弁してくれたようなものです。
NHKの制作スタッフ様、これからも良いドラマを作り続けてくださいね。
新生ひのでプロの窓越しに 遼くんの 強い目線のポスターが 上がってくる。
そして 真っ青なプールを 静かに泳ぐ 彼の なにか心に秘めた表情。
短い シーンだけど 凄く、いい!
これはちょっと、珍しいドラマですね。20回も続くのか、と最初は戸惑いましたが、だれることもなく、左遷、離婚、裏切り、親の認知症、親子の葛藤など、いろいろなトラブルを抱えているのに、人生の悲喜劇がコメディとして予測不能に展開していくのを、あと数回、最後まで楽しみに見つづけられそうで、嬉しいです。
好感度の高い役者さんでも、訳の解らないドラマの場合、低評価になったり、役のせいで嫌われるようになってしまう(例えば「まれ」や「花燃ゆ」)。逆に、ドラマが納得できなくても、好きな役者さんの演技だけを注視して、我慢している場合もあります。
でも、この「美女と男子」では、苦手だった役者さんにも、好感を抱くようになりました。まず、「花子とアン」とはまるで違う遼の町田さん、たどころ、石野、一子の父親、前夫、大門、、。皆さん、今までに見た役柄よりも、活き活きとしっかり演じていますね。また、初めて見る脇役の方々も、皆さん、それぞれの役所を頑張って演じていて、しかも大げさに上滑りすることもなく面白いです。もちろん、主演の仲間さんや母親役のベテラン、田島さん、妹役の徳永さん、そして、大女優の真野さん、演技がかみあっていて、短いシーンでも含蓄のあるセリフによる対話が本当に見応えあります。もちろん、草刈さん、森本さんほか、キャスティングがぴったり。
笑っているだけでなく、ジンと来たことも何度もある。つらい話も多いけど、暖かい。遼の特大ポスター、判ってはいても、皆に微笑みかけるシーンになって、心の中で喝采しました。NHKも、こんなドラマをちゃんと制作できるんだと、ホッとしましたよ。
それと、皆さんの投稿も読むのが楽しみで、ほんわかします!
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