



4.50
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それはまったく身に憶えのない事件だが、元警官の彼には強い犯行動機があった…。
- 感想とレビュー
- 番組情報
覚えがないのに殺人の疑いがかけられるって
先が気になります。
今、オンデマンドで見たばかり。
これ、前後編なんだね。知らなかった。オンデマンドでは一回もののドラマとして配信されてたので。
なので、全部見てしまった。
今、感想を書いたらネタバレになってしまうかもしれないので、簡単に書いてみるけど、とても良かった。
どこまでが前編でどこからが後編か分からないので、書いても大丈夫かよく分からないけど、切なさもあり、暖かさありの優しい物語。
心に残る台詞が幾つかあるんだけど、多分それは、この話を書いた脚本家の想いから紡ぎ出された言葉なんだと思う。
認知症を患ってることの切なさ、それでも人格は変わらない。
今書いてもネタバレにならなくて、書いても大丈夫だと思う台詞は、橋本じゅんさんが演じる医師の言葉。
尾野真千子が演じる刑事が、小林薫が演じる佐治の友人でもある医師に話を聞きにいくシーン。
認知症についての会話を交わす中で、尾野真千子の祖母も認知症で夜中に遠くの商店街にいつも行ってしまう徘徊をしていたと話すんだけど、医師は、「理由を聞きましたか?」と声をかける。
そして、「じっくり?ゆっくり?話を聞けば、素敵な話が聞けると思いますよ」と言葉を続ける。
この「素敵な話が聞ける」という言葉に、私はやられてしまった。
そうなんだよね。
認知症の人が1人で街を歩き回ってしまう理由は、その人にとって一番大切な記憶からであることが殆ど。
佐治が夜中、コンビニに行って乾電池と缶コーヒーを買っていた理由も、それが大切な記憶だから。
まだネタバレが書けないので、他にもある心に残る台詞や、最後まで見ての感想が書けないけれど(後編放送後に書くかも?)、本当に良いドラマだった。
「良いドラマ」という表現が、陳腐過ぎるくらい。
ちょっと優し過ぎる甘い結末かなという気もするけれど、それは脚本家さんの優しさのような気もする。
是非、色んな人に見てほしい珠玉作。
脚本家が誰かと思ったら、大森美香さん。
今期の「僕達はまだその星の校則を知らない」を書いた人だった。
僕星もそうだけど、何て素敵な台詞を書く人なんだろう。
主人公が身に憶えがない殺人で自首するに至るまでは、残念な
話だったのですが、真相はそうではなく、感動的な結末でした。
記憶をなくした認知症の主人公の主観なのか現実の世界なのか妄想なのか…時間軸含めてわかりにくいなあと思って見ていたのだけど実はそれが伏線(叙述トリック)になっていて見事に騙されました。
「認知症患者にも理性がある」友人の精神科医の言葉だが、これこそ作者の主張なんだろうな。優しさが溢れまくった佳作です。良いドラマを見させて貰いました。
身に覚えのない殺人容疑を掛けられて最初は激怒していたが自身が認知症と自覚して断片的に記憶が戻り自首する羽目に、こんな哀しい事ってあるのか?だがオノマチはいい。
「私が犯人を捜そう。たとえ、私が犯人であっても。」
佐治のこの言葉、忘れられない。
その前の「人を殺してやりたいと思う気持ちが、俺の心の奥底にあるんだろうか」の自問自答に、亡くなった奥さんが「ない。」と包みこむような、諭すような口調で言ったシーンが本当に良くて、それで前向きに考えられるようになったんだろうなと思いつつも、犯人を捜したその先には、自分が犯人だったという結末が待っているかもしれない…その悲痛な覚悟。
佐治は、警察官としての仕事をしてる回想シーンで、実直な人柄なことが分かるけど、自分が人を殺したかもしれないと思っても、それでもなお、実直。
認知症になっても、人柄はそうは変わらない。それを示すような佐治の台詞で、本当に切なくて胸を打たれてしまった。
自分は高齢者施設で働いてたことがあって、認知症についても割と知っている方だと思う。
認知症になっても理性はあると言った医師の言葉はある意味正しい。
ただ、脳の萎縮が脳のどの部位に起きているかによって、認知症の症状は人によって違うことも知っている。
幻覚や幻聴を起こす認知症もあるし、感情のセーブがきかなくなってしまう症状が出ることもある。
記憶が曖昧になるのは症状の1つでしかなくて、人の顔が認識出来なくなったり、話の意味を取り違えたり、今置かれている状況が分からなくなってしまう症状もある。
それは、脳のどの部位がどう阻害されてるかによって違い、だから人によって症状が出たり出なかったりする。
なので、佐治の「たとえ、私が犯人であっても。」を否定出来るものは、実は何も無いような気がして、本当に人を殺してしまってるかもしれないと思うと、どんな悲痛なラストになってしまうのだろうと思ってやりきれない気持ちになって見ていた。
このドラマ、ミステリー作品としても結構いい線いってるんじゃないだろうか。
矛盾も辻褄が合わない部分もなく、そうだったのかと解き明かされる真相。
犯人の指紋が一切出てこない、という尾野真千子の部下の言葉があったので、もし佐治が犯人だとしたら、事前に計画を練って実行に移したか、殺害後に証拠隠滅をしたことになるので、果して認知症の人にそれが可能?とずっと思っていたけれど、元々刑事畑だったとも言ってるので、案外証拠隠滅まで出来るかもしれない?とも思ったりして、
本当に人を殺したのか?は、真相が明かされるまで本当に分からず、佐治が凶器の灰皿を持ってるシーンを思い出した後、自宅の窓のカーテンを閉めて狼狽えてるシーンは、佐治と一緒にどうしよう!と思ってしまった。(小林薫さんの演技が素晴らしい)
最後だけど、小林薫さん、9月4日で74歳。
大ベテランの実力ある俳優さんだけど、高齢になって認知症の役を演じる時、役になりきることがこわくならないんだろうかと思ったりするのは、素人の考え?
役になりきってるうちに、もし自分が…とか頭を掠めたりしないんだろうか。
演技するのは決まった台詞を言ったり身体の動きの工夫もあるし、頭を使う作業だから、演じてる時にはそんなこと考えない?
でも、役を離れて客観的に役を演じてる自分を見た時はどうなんだろう。
演技が上手すぎるので、もしかしたらいつか…なんて思ったりしないのかなと考えてしまったのは、失礼過ぎるだろうか。
小林薫さん、本当に素晴らしい認知症の演技でした。
道路を歩いてる時、「あ、そうだ」と何かを思い出して、それまでとっていた行動や表情を切り替えるところなんか、ホントに上手かったです。
人を傷つけたという記憶を失ってしまう人は実に多い。
忘れるべきこと覚えておくべきことはその人の人格によって変わるのか。
癌のタイプが様々なように認知症のタイプも様々なのに、まだ認知症ではない人間は必要以上にこの病を恐れ、自分から遠ざけようとし、認知症の人が家族であっても、忌み嫌うようにその人から逃げようとする。
だけど高齢化した国ではこの問題から逃げられないし、他人事ではないことをそろそろ自覚すべきだ。
若いことばかりを尊び、受け入れがたい古い考えを老害と嘲笑う我が身にも老いた脳の衰えは迫ってきているのだから。
認知症の人をどうすべきかではなく、自分が認知症になったらどうなるのかを考えさせるキッカケになるドラマであったと思う。
このドラマは家族にアルツハイマーなどの認知症がいる、いないで評価が変わると感じた。
時折、小林薫が見せる空っぽの表情に母を思い出し、あの頃の不安や痛みが蘇った。
施設等へ通い、お喋りや観察をしたのだろうか。
ラストのまとめも良く、涙が溢れた。
ドラマでは娘が父の面倒をみていたようだが、うちはそれができなかった。
一緒に暮らすと手をかけてしまいそうだったからだ。
重いドラマだけに、縁日での親子の姿にホッとした。
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