




![]() |
5 | ![]() ![]() |
71件 |
![]() |
4 | ![]() ![]() |
29件 |
![]() |
3 | ![]() ![]() |
9件 |
![]() |
2 | ![]() ![]() |
14件 |
![]() |
1 | ![]() ![]() |
27件 |
合計 | 150件 |
読み | あんというなのしょうじょ | |
放送局 | NHK総合 | |
クール | 2020年7月期 | |
期間 | 2020-09-13 ~ 2020-11-01 | |
時間帯 | 日曜日 23:00 |
昔の孤児院に対する意識って
あんなに酷かったんだ
小さな子供がゴミっ子って言うのは
大人の真似ですよね
第3回目また涙涙
今作のアンは原作と少し違う。
しかし児童文学として世に出た原作の書いてなかった部分
可愛げのない孤児のアンのひねかたの痛烈でストレートなこと。
辛辣な世の中も赤裸々に描かれる
アンという存在と向き合うカスバート兄妹の心情が深く動き始める
原作になかった部分が描かれることで原作の深層に
新たに触れることができそう。。。
めちゃくちゃ泣ける
自分が年取ったせいか
卵のシーンのコツコツという音
緊張した
一話ごとに映画を観ているような感覚。映像美もそう、映し出される世界に見入ってしまって、周囲の雑然としたものを忘れてしまうからかな。
アンは確かに子供で、児童文学なのでしょうが、大人が投影して見てしまう迫力がありますね。
主役の子、演技うまい。あっという間に終わってしまった。
原作と違いすぎて、
ちょっとしんどい回だった。
孤児に対する周囲の反応は、
あれが、リアルなのかもしれない。
マシュー役の俳優、草刈正雄に見える。
何もう〜😭💦💦
号泣してしまうよ、ほんと(;_;)
原作になかったけど、こんな思いをして、
アンはグリーンゲイブルズで
カスバート家の家族になったんだ〜( ; ; )
第3話…
世の中のリアルがミシミシと痛いほど…。
文学は、それを咀嚼しフィルターにかける作業なのかなぁ…と思いながら見ました。
この作品は現代(2017年作品)の解釈が入った現代版『赤毛のアン』なのだなぁ
斬新で、そこが好みが別れそうな所だけど、見る者をとらえ離さないパワーを感じます。
うーん
現在とかけ離れすぎていて…
アンの性格まで違う。
マシュウも全然コミュ障じゃないし。
映像は綺麗なので、勿体ないな。
マシュウの愛の深さに感動してしまった(≧∀≦)
あの大切な時計も手放してしまったんだね。
アンの将来を縛りたくないからと
養女にはしなくて、
アンは
アンシャーリーのままだったよね。
それとも単なる儀式なのかな?
ダイアナのお母さん、厳格だけど
孤児というだけで、差別する人ではなかったし…
原作と違いが多くて戸惑うな…
第1回目、酷い仕打ちを受けた事を思い出していたアンが第一声、いきなりFBI捜査官のような喋り方!合わない!いくら理屈っぽい子とはいえ、もう少し子供っぽくてよかった。
マリラ、大騒ぎして追いかけようとしていたり、気持ちを落ち着かせようとしてゴシゴシ掃除していて、あんなに心配していたのに、アンに会っても何も言えないのがもう、昭和のおやじみたいで、親近感すごい感じてしまった。
マシューもマリラも独身。子育て経験ゼロ。だから望ましい子どもへの接し方、声のかけ方がわからない。したがって、アンとのやりとりが「オンザjobトレーニング」。アンはきわめて繊細で口達者な娘なので面食らいっぱなし。でもその結果、2人には親になるための資質が徐々に備わってきている。マシューの「その子は私の娘だ。」はアンを安心させる救いの一言だったろう。自分の勘違いを謝罪するタイミングを逃していたマリラも、村人からの中傷に涙しているアンに自分の過ちをギコチナくもわびることができた。そうしたらアンの方から寄り添ってきた。アンの心がのわだかまりが徐々に解消しつつある証拠だ。
高齢の新米パパと新米ママが、これからアンと共に悩み、アンと共に喜び、強く抱きしめてあげることができたら、真の親子関係が築けたことになるのだろう。
木苺のジュースでワインみたいに乾杯🍷
儀式ってほどじゃないんだけれど、厳かな気分になれたんですよね。喜びに輝いたアンの笑顔を見て、ちょっとジーンとしました。
アンリシースでいちばんの名作は、
私は、アンの娘リラだと思う。
その話もあればいいなあ。
戦争の話なのに、日本の戦争の話と
ぜんぜん違うんだよね。
初めてグリーン・ゲイブルズにアンが来たときは、たまたま偶然。
でも、一度返されて、それでも、アンを迎えたいと望んで、カスバ―ト家がアンを迎えた時は、ちょっとした試練を経て、やっと迎えることができたから、3人の気持ちが全然違っていましたね。
引き取るまでに時間をゆっくり
かけてるので驚いてしまった。
ここをたっぷり!っていう
盛り上げポイント決めて、
そこに全力注いだっていうのかな。
でも、こんなにまで、孤児の心の
傷みたいな部分を前面に出したのを
見たことがなかったから、
面食らってしまったし、
かなり泣かされました。
とてもリアルで、シビアな描き方に、少し戸惑いましたが、
深い解釈で、これはこれで優れたドラマだと思いました。
「レ・ミゼラブル」もそうでしたが、
現代的な社会情勢も加味した解釈なのかなと。
マリラやマシューの周囲の人達、冷たい目線でアンのことを見ているから、正直、悲しくて。
昔、本を読んだ時は、リンド夫人が少しクセのある人かなぐらいで、他の人は親切だと思い込んでいたから。
アンの空想癖は、自分を守る鎧ですね。夢見がちな少女というより、空想で自尊心を懸命に守っていて、痛々しく見えた。
原作やアニメは子供目線で見てました。今は、周りの大人の目線も意識するから、ファンタジーなお話ばかりではいられないのが哀しいです。
駅で、迎えに来たフリして、人さらいしてる男がいたり。
でも、それだから、なおさら、マシュウの優しさやマリラの誠実な態度が心に残りました。
ほろ苦い大人のドラマになっている
と感じました。
現実を容赦なく叩きつける描写です。
この後、アンは楽しい経験もして、
袖の膨らんだ服も手に入り、
進学もする未来があるから、
楽しみではあるのですが、
このドラマはそこにも何か苦いものを
潜ませているのかもしれないと、
ちょっとドキドキしています。
色んなドラマの中で唯一楽しみにしてるドラマです
彼女がいろんな目にあうと、こちらも同じように悲しくなります。
近所の人達に、野良だって言われ悲しいです。
彼女の明るい性格で、これから、人生を切り開いていくのでしょうか?
秀作ドラマだと確信しているんだけど、これを見てしまうと、もう無邪気だったあの頃には戻れない(T ^ T)
原作を読んだり、またアニメ見る機会があっても、実は描かれていないところでアンはかなり苦労していたんだよね、ってこのドラマの辛辣な場面が蘇ってしまいそう。
アニメ版やミーガン・フォローズ版にブローチ事件で詩の暗唱があったかなと思いながら見ていた。
原作を知らないのだが、今回のドラマはアンの暗部が度々描かれている。
これにより彼女の空想癖が理解できる。
また、同時期に見ていた半沢直樹と対比すると、演出や演技には幅があるのだと分かる。
どちらが正解という意味ではない。
が、もしも演出家が入れ替わったらどうだろう等と空想してしまう。
どうも世界観があわない。
クククク、、、、存在が哀しい。
原作のファンです。大人になり母親になっても読み返したのは三十代迄
娘達にもすすめました。私ほど夢中にはならなかった。
今作は題名も違うけど アンがラッキーガールではなく、ファンタジーでもなく 何故彼女がお喋りなのか 独特な言い回しをするのか 空想好きなのか
理屈っぽいのか プライドが高いのか、紐解いてくれてリアルに描写している。
遡り、劣悪な環境に小さな頃からいた孤児だったアン。アボンリーでも差別や好奇な視線に。
学校から逃げて帰ってきたアンを抱きしめるマリラ。抱きしめるマリラがとても良かった。マリラがどんどんアンを認めて理解して愛してゆく。
でも実際、私の娘の学校にあんな話をする同級生がいたら?
母親としては嫌かなとも思う。
でもアン、
教師に貶められて家に逃げ帰って良かったのだ。
子供は屈辱に甘んじてたら卑屈になる。ずる賢くもなる。
逃げ出す勇気と、抱きしめてくれる人が子供には必要だ。
原作にはないアンの生い立ちの悲惨さを掘り下げるエピソードで、クラスの女の子たちの仕打ちに、ちょっと心が痛みました。
でもギルバートがアンにとても好意的で、そこはトキメキがありました。
「にんじん」ってからかったのも、さんざん無視された挙句、アンは口をきくなって圧力かけられて必死に振り払ったということになっていて、そこは、原作よりもわかりやすかったです。
男性教師の行為はスルー?
放送の時間帯が遅い理由が今日わかった。本国ではどうだったのだろう。そもそも子供向けに作っていないのか?
魔法使いのドラマはもっと早い時間だったものね。
他の方の感想で、アンが「ホラー映画に出てきそうな子」とあったのに同感、かなりダークなアンの話が続いていくのかもしれない。
母親たちの勉強会にマリラが参加するなんて原作にはなかったよ。確かに、これは大人向けのドラマなんだね。
私は原作が大好きなのでこの創作アンは受け入れがたい。
SHERLOCKはおもしろく大胆な解釈の現代版だと思ったけど。
これを見て、児童文学には大人向けの解釈とか入れないでほしいと思った。
映像は美しくて涙が出そう。映画版と違って作風に合わせて色味を抑えているのが良いと思った。
過去に観た映画、アニメは児童文学として感動してきた原作を、そのまま描いてくれたものだったので、安心して感動できた。しかし今回の作品は違った。アンを取り巻く環境を、今の目線で深く掘り下げた結果、リアルで、時に厳しい現実を見せられるものとなっていた。ストーリーとしては、先が見えていて安心できるが、そこに辿り付く前に、見る私たちはかなりドキドキしなければならない。アンはどんな辛い目に会うのだろうと。それが新しい魅力なのかもしれない。マシュウに関しては、アニメの「そうさのう」という言葉で表されていた彼の人柄が好きだったが、今回のマリラは素晴らしい。学校でアンの引き起こした事件について知ったマリラは、当然それを非難する。しかしマシュウの一言によって、アンの育った過酷な環境に思いをめぐらせた瞬間の表情には心を打たれた。毎回、少しづつ変わっていく彼女の、アンへの愛情表現が素晴らしい。
マシュウの「そうさのう」、懐かしいですネ~(´ー`)
こちらのマシュウは、口は重いけれど、行動力もあり、
アンへの思いやりが深くて、年をとっているけれど
馬で救出に駆けつけたり、頼もしいヒーローですね…。
マリラも、意識高い系の奥様たちの会合に参加してまで、
懸命に学ぶ姿勢を見せたり。一度、アメジストの件で
大騒ぎになってからは、とても謙虚に慎重になって。
アンとの信頼関係を大切にしているみたい。
痛くてかなり苦い棘がグサグサ降り注ぐから、かなり
辛い気持ちになるのは確かで、ため息が出るけれど、
大どんでんがえしの展開があることを期待しています。
ソフトタッチで描かれたドラマかなという想いは一蹴された。いやいやこれはパンチの利いた衝撃作だ。でもこういうの嫌いではない。
孤児院にしか行っていないアンにとって、学校は未知の世界。立ち振る舞いの仕方、何を言って良いのか悪いのかもわからない。大人にしかわからないことをしゃべってしまい、下品な子とレッテル貼られて外される。無二の親友ダイアナもさすがに距離をおいた。また担任教師のココロナイ仕打ちもなかなか辛辣だ。アンが学校を飛び出すのも当然。
でも救いは、アンに帰る場所が出来ていた。それはカスバート家のマリラの腕の中。優しい母の表情で心からアンを抱きしめるマリラを見て、胸が熱くなってしまった。
これまでとはまた違った世界観のアンの物語。
時にヒリヒリするけれど見ていくほどに、このリアルなアンの世界を堪能したくなる。
気になってググって見たら、このドラマは、3シーズン、27回あるらしいです。
ストーリーも登場人物も原作とは少し違うようで。
3シーズン放送してくれるのかな…最後まで見たい一方で、とてもドキドキしてしまう。面白いんですが、これまでのストーリーも、いろいろあったから。
ストーリーは知っていてもやはり切ないですね。号泣でした。無邪気であるが故の罪。それは決してアンが悪いのではない。その事を正しく理解してくれる人の養子になれてつくづく良かったなと思わせてくれる。アンが一人で抱え込まず、マリラに泣き着いてくれて本当に良かった。
Netflixで3シーズン見られますよ。
私はもう見ましたが、とても良かったです。
小説とミーガン・フォローズ主演の映画、それから、NHKの「アボンリーへの道」が大好きです。なので、こちらのグリーンゲイブルスはちょっと冷たい感じがして、上記のグリーンゲイブスのあたたかい雰囲気が好きな私としてはちょっと違和感を感じています。これから変わっていくのかもしれないし、その辺は楽しみです。2020-09-21 13:35:42
名前なしさんのレビューで、マシュー役の俳優さんが「アボンリーへの道」のジャスパー役の俳優さんだと知り、とても嬉しくなりました!
クラスメイトがクソでした。
アンの性格好きです。張り切って花を帽子につけたり、
おしゃべりで少し誤解されやすいのかもしれません
カトリックなのに、理解がないですね
前回、村の神父さんまでアンをバカにしていたのには驚いた。
神父さんは博愛でなくてはならないのでは?それとも結局それが現実ってことだろうか。
色んな意味で、味付けがダークというか、大人向けというか。
だから大人を惹きつけるドラマなんだろうな。逆に子供には見せられないかな。
マシューの、「子供がまだ知らなくていい事を知らされる(酷い)環境にあったんだ」の言葉には感動した。物事を色んな角度から冷静に分析する洞察力。マシューは学校にはあまり行っていないと言ってたけど、とても知的で聡明な人。
きっと自分で本をよく読んだりして勉強していたのだろう。
マリラもマシューに良い影響を受けて、母性に目覚めていく姿が嬉しい。うちの母親もマシューのような考え方ができる人ならよかったのに、と思う。
見ていてしんどくなるような話ですね。
ん〜、なんだこれは?原作読んでないんだけどこんな話しなの?
なんとなく大草原の小さな家孤児編と思いきやヘビーな話しだ。(^◇^;)
日本社会だったら村八分、松本清張の「砂の器」にもなりかねない雰囲気。アンが過激になってもっと酷い事しでかして一気にクリミナルマインドになっちゃうんじゃないかって冷や冷やもんです。
あと、時代が1900初頭?ランチでの女子の会話で話しを早く聞きたい、という子、
I'm just so excited to hear about everything that you saw.
に続き、
Me, too.
Me,three.
と言ってたけどこんな昔でもMe,three.なんて言ってたのかしら?
ま、ドラマだから話し言葉は現代風なのか。
どちらかというと、原作は夢と希望、明るい気分にあふれたもので、たとえ失敗や苦しみや涙があっても、それを人間の暗部としては描かず、いわゆる跳ぶ前のかがみ込みとか、大人への入り口とか、人生の味わいとして描いていた。それにアンには、ある意味ず抜けた無邪気さと素直さがあって、決して毒やらねじくれたところやらがない。
だからこそ、全世界の少女たちが憧れと親しみを持ってアンと友だちになれたのだけど(続編からはまた何もかもがうまくいきすぎで趣旨が違ってくるが)、これはまた、今までにない骨っぽさと暗さと痛さのあるドラマだ。
新しい解釈といえばそうなのだろうけど、私は原作の「アン・オブ・グリーンゲイブルズ」の雰囲気が好きなので、ちょっと敬遠してしまう。
後半になってからは変わるかもしれないけれど。画期的なアン像であるのは確かだ。
絵面は嫌いじゃないけど物語は個人的に好みではない。
こういうタッチの改作版が出てくるというのは、本国カナダでも、もう原作を含めた従来の明るく夢のあるアンの物語に飽きてきたということなのだろうか、とちょっと考えたりしました。(プリンスエドワード島などは、あいかわらず夢と甘さいっぱいの女性向けイメージで観光客を誘引していますが)
絵もできごとも、アンを含めた人々の顔つきにも性格にも行動にも棘や陰があり、むしろ人は厳しい現実の中でいかに生きそれを乗り越えるべきかというところが、ドラマの眼目になっているように感じられます。
映画でミーガン・フォローズを見たときは、「これはアンと違うだろ」と思いましたが、いま思えばそれは外見の点であって、アンの性格造形や物語の持つ味わいなどは原作に沿っていました。
今作は、アンの外見こそ原作に近いかもしませんが、物語的には、かなり別物という気がします。原作のエピソードを取り込んで構成しているとしても。
原作好きは、そのつもりで見なければ苦しくなりそうなドラマです。
以前何かの本で、アンには圧をかけてくる父親が不在の世界にいて、窓には花が咲き乱れ、物語の世界に没頭したり、お菓子作りを習ったり、女子にとって居心地のよい世界を描いている…みたいな解説を読んだことがありました。
でも、このドラマを見ると、外の世界はしょっぱくて棘だらけ。マリラとマシュウのグリーン・ゲイブルズだけが、アンにとってサンクチュアリのような場所。
こういう痛くて切ない世界は知りたくなかったなーと思うけれど、一応受け止めて、改めて原作を読み直してみようかなと。でも、この棘がきつまでも心の何処かに残っていそうで怖くもあります。
高校位迄何度となく読み返して原作は大好きでした。続編の最後の方はは少し冷めて読んでました。アニメは子供らと観て楽しかった。でも文字で読むのが良いかな。私だけの固有の赤毛のアン。
自分も年齢を重ねて、初めてあの本を手に取った時とは変貌している。
今作は今の私には似合っている。マシュウに言わせた台詞。可哀想なのは劣悪な環境にいたアンだ。兄の言葉にマリラがはっとする。私もはっとした。マリラは意を決してアンドリュー家に言いに行く。
このマリラ役が好きになりました。背が高く厳しい顔立ちですが、馬車を走らせる時の口を尖らせて馬を促す口元が好きです。襟の詰まったブラウスやグリーンゲイブルズの家の中のインテリアは少女の頃の私が憧れた通りです。
スポンサーリンク