まぁ、ともあれ、今晩7時半からの「第17回わが心の大阪メロディー」は葵わかな&藤井隆が司会で、わろてんかとコラボだそうです。お楽しみに。
松坂桃李はいい役者だけど、わろてんかでは役に恵まれなかったなと思います。
その役引き受けるの?という役も引き受けるんで数字が悪いこともありますが真摯に演じているので役者生命に影響しないだろうから心配してないですが、主人公は大丈夫なんだろうか。
「つまらなくなった」という前提なら
朝ドラより月9の方が深刻だと思う。
アシガール、もうすぐ終わってしまう。アシガールを朝ドラにすればよかったのにと思ってしまう…。
アシガールが高齢者に受けるとは思えないです。
アシガールは某所によれば、意外にも50代がこどもだましか?と思いつつも結構楽しみにしているらしいです。あまちゃんのように、アシガールを孫世代が面白いと言えば祖父母層にも受けるんじゃないかと思われます。共通の話題が出来るから。
今のわろてんかは、藤吉やてんに魅力が無いし、話題にのぼる要素も無い気がします。実際、私の周りではご老人含め、ひよっこは面白かったけど、わろてんかは演技も内容もつまらないという見解で一致して以来、話題には一切のぼっていません。皆、朝の支度の間、惰性による時計代わりであり、画面を見ないラジオ番組と化しています。(実際、画面を見なくても全く支障はない)これが視聴率が下がらない最大の要素だと思われます。
因みに、そのひとつ前のべっぴんさんは、あまりに突拍子もない酷い展開や人物の描き方に、逆に目が釘付けになり、最後まで見てしまいましたよ。苦行でしたが。
個人的には、朝は爽やかなドラマが見たいものです。
何十年も欠かさず見ている人がいるんだろうか。そうでなければ「つまらなくなった」などと言う評価をするのは無理があると思う。
何十年も欠かさず見ているのは、朝ドラのことでしょうか?
いま70代80代の方々にはそういう方多いと思いますよ。
うちの両親も義父母も親戚も・・・みんなずっと続けていますよ。
ただその人達が、このようなサイトに書き込みしているか・・といえば・・どうだかは判りませんが。
両親に限っていえば、昔みたいに面白くないということもありますし、昔も面白くないものもあったとも。
ほんと、もう習慣でしかないみたいなので、真剣につまらないと怒ったり、面白いと何度もみたり・・もないですけど。
朝はニュースみて食事しながら朝ドラみて・・・それが生活の一部になってるようです。つまらない時、母の場合は、なにかお勝手仕事やりながら耳で聞いてる感じですぐ判ります。
父はいつもじーーっと見てますね。ときどきフッ・・と笑う時には楽しんでるんでしょう。面白くないときは、あとで今日のシーンの疑問とかこっちが口にしても「あ?なんだっけ??真剣にみてなかったわ」になります。
大河もほとんど見てるみたいですけど、朝ドラの15分とは違って、一時間習慣で見るのはキツいらしく、少し前に習慣視聴は、やめちゃったようです。うちの両親にすると、大河こそ、昔より最近は面白くない・・・ようです。。。
でも、そんな何十年も見続けていなくても、自分が朝ドラを見始めるきっかけとなったドラマはやはりすごく面白かった・・だから朝ドラを楽しみにしていたけど、最近なんだかおもしろいと思えないことが多くなった・・・そんな理由でこういう場所でどうしてなのかな??と自分なりの考えを書いてみる・・・それはそれでいいんじゃないかなーと思いますよ。
つまらないという言葉を書き続けると本当につまらなくなって、自分もつまらない人間になってしまいそうな気がしてきたので、いいところを探して書いてます。気持ちの持ちようでドラマの見方が変わるってことがわかりました。
>気持ちの持ちようでドラマの見方が変わるってことがわかりました。
それは有りますね。気持ちの持ちよう、という面は大きいと思います。また、詰まらないドラマは見ないという選択もありますね。子どもの本と同じで、詰まらない本は時間の無駄。なるべく良い本を読んでやりたいし、それでも良い本は世の中に数多ありますから時間は幾らあっても足りまいと感じます。
それから、詰まらないドラマに対し、つまらないという感想を書き続けてもなお、嫌な自分にならない方法もあります。それは、偏にユーモアのセンスです。
知り合いの英国人たちは、これが凄く上手いので感心してしまいます。何か理不尽な批判をされても咄嗟に緩急自在にユーモアで切り返すのを観察していると、彼らを育んできた文化の奥深さすら感じます。(ディキンズに見て取れる通り、良い人も悪い人も色々ですから皆が素晴らしいわけでないですけどね。)
批判を言っても、人格否定でなく全然嫌味に聞こえない温かいユーモアの話術って、なかなか身に着けるには修行が要りますが、つまらない理由をウィットを持って説明する能力は欲しいと思っています。ネット上の「死霊の盆踊り」のレビューは、そんなユーモアのセンスに溢れていて、大爆笑させていただきました!
「死霊の盆踊り」自体は、歴史上最も下らない映画という触れ込みだそうで、私は見たことも見る予定も無いですが、レビューは秀逸です!もう、お腹痛い!
わろてんかのスレでNHKとBBCの番組議論になりかけていたので、こちらに移動してきました。
>シャーロックやヴィクトリアは、マイルドだと思う。
好きな人しか見ない時間帯のBSだから、他のNHK番組とは同じにはならない。
同意。NHKがマイルドな番組しか買い付けないから。シャーロックとヴィクトリアは総合でも放送してた記憶が有るけど、違ったかな?いつもBSで見せて好評だと地上波におろしてくる印象がある。
どうせなら、もっと地味で穏やかなDetectoristsくらい買い付ければいいのにと思う。だだっ広い原っぱで金属探知機を手に古物探しをする趣味の中年男2人の、大したことも起こらない普通の人々の日常をリアリティーを持って良く表現している。非常に地味で如何にもイギリスらしいホビイストの物語にも拘らず、アメリカでもじんわりと人気が有る。
しかし、NHKに関して言いたかったのは、良質なドラマを見せて欲しいということで、BBC並の斬新な番組を放送して欲しいということではない。「わろてんか」の内容は、同じ公共放送のBBCと比べると、いや、同じNHK制作の今期の他作品と比べても、そのつまらなさと完成度の低さが、余りに視聴者を軽視していると思わざるを得ない御粗末さだということだ。つまり、せめて時代背景と内容に整合性を持たせ、人物の一代記としての物語を通用できるレベルにして貰いたいだけだ。
BBCに駄作が無いとは言わないが、少なくとも、演技ができない主役夫婦、心の動きが描かれていない薄っぺらな人物描写、プロットの都合で簡単に物事が解決する内容も一貫性も整合性も無い物語、経営の実態や歴史観がいい加減で、素人が一見しておかしいと判る針仕事や英文の契約書類などでごまかす「わろてんか」レベルの作品は、放送すらされない事は確かだ。
>BBCは、日本人に受け入れられるドラマは半数くらいだと思う。
地方局制作の万人向けの毒にはならないソープもあるから半数ってことはないと思う。ファミリー向けやティーン向けのコメディドラマも秀逸なものが多い。ウケないのに日本でDVDは出ないと思う。
>製作陣のプロ意識は感じるが、NHKドラマの、同じ道しか通らずに同じ場所に遊びに行く的な安心安全路線が日本人の肌に合うのだと思う。
日本経済が20年以上停滞しているゆえに今の国民の嗜好が安心安全に向いているフェーズであることは否めない。好みではなかったが、バブル期はもっと弾けた番組も有った。国民の嗜好は時代に流れの影響が大きく出る。人口割合で年寄りが大幅に増えたのと、若者はネットTVでもっと面白い物を見ている事実も大きい。また、近年、NHKは海外番組の日本語版を作成したり、民放でウケた番組や放送スタイルをまねて取り入れていることが多く、テレビ業界を牽引するどころか、民放の背中を追いかけてしまっている状態だ。なので、人気作ドクターXなどでの生々しい手術シーンがNHKで見られるようになる日も近かろうと思っている。
とはいえ、時代はオンデマンドが主流になりつつあり、リアルタイムで見るTVは過去の遺物である。BBCでもTVのリアルタイム視聴よりもオンデマンド視聴の方が多いとされているので、単純な視聴率でのマーケティングは崩壊している。ゆえに、TVに求められるものも変わってきており、民放は、より番組に工夫を凝らせねばならない。これに対し、ワンセグでも受信料が必要という判決が出て、NHKは食いっ逸れが無くなる不安から解放され、益々凡庸な作品しか作らなくなるのか、SNSの声を「忖度」し襟を正すのか、又は戦前回帰で政権に都合のよいプロパガンダ一色まで値を落とすのか、モラル無く自らの高額な手当ての為に国会でより多くのNHK予算獲得を目指すなら、残念だが危ういことになるのは火を見るより明らかだ。まだNHKが今よりもう少しまともだった頃ですら、政治的忖度をして報道すべきことをしなかった事例は幾つもある。
なぜつまらないのかを書くと必ず反論が来るスレがあるのでやめた。またあるスレでは好きだったところを書くと、必ず反論が来るので、これも嫌気がさして書くのをやめた。
312さん、それは試練ですね~。私もちゃんと論拠を出して意見を書いても、それに対するネガティブ感情だけを書かれて辟易することがあります。
相手の意見への反論ならいいんですけど、論拠は必ず出してほしいですね。でないと、こちらもどう理解すべきか伝わらないですし、お互いの考えも深まりませんから。
でも、論拠も何も出さずに反論を書く人は、312さんの意見に反証できる論拠が見つけられないのか、反論のしかたを知らないのでしょう。他にも書き手の個人的理由は有るかもしれませんが、312さんがきちんと述べていらっしゃれば、その意見に賛成でも反対でも、見ている人はちゃんとフェアに受け取っていると思いますよ。
私は、「分かる奴だけ分かりゃいい」byあまちゃんのフレディーと思って書いてます。
対象が面白いか面白くないかならそれは必ずしもそうとは限らない。
面白さについての論拠なんてのは本来傲慢そのものですよ。
本当に面白さに論拠なんてものを出せるならこんなところで意見やらレビューなんか書かないでさっさと一流の脚本家を出し抜いてドラマ書いたら良い。
それに対して感情で書き込むことは相手の立場に立ってないとは限らない。
そもそも相手を否定しない限り本家であろうと反論を禁止する条項などはない。
そんな忖度する義理も義務もない。
御免ね、314さんの書き方だと何が言いたいのかさっぱり判らないのよ。
まず、「対象が面白いか面白くないかならそれは必ずしもそうとは限らない。」という文ですが、「対象」「それ」「そう」とは何を指すの?
賛否あるサイトだからどちらの感想も気軽に書いてきたのだけど、最近特にひよっことわろてんかの朝ドラは書けなくなった。
↑ひよっことわろてんかのスレッドで何かあったんでしょうか。
アンチらしき方が本家スレでネタバレ(?)していますね。
こういうのは本当に嫌な気持ちになるのでやめてほしいです。
なるほど。放送が終わってしまったドラマなら、全体を通して見たレビューをすることで意味が有る場合もあり、しょうがないかなと個人的には思いますが、現行のドラマについてのネタバレは、この先どんな展開になるのか楽しみにしているのでガッカリさせられることもありますね。
本スレに書きづらかったら、ここに書いてもいいんじゃないの?
ひよっこに批判が書きづらいというのはだいぶ前から言われていたかど、このスレの趣旨に沿った書き方で書けばいいでしょう。
好きなドラマには優しく嫌いなドラマには厳し過ぎる感想が多いと感じる。どんな朝ドラもいいとこ悪いとこあるよと書くと、中立派だと言われた。どちらかに寄らなければならない必然性を感じないから感じたままを書くだけなのに。
朝ドラは東京作品贔屓と大阪作品贔屓と両方いて作品の出来不出来は関係なく応援してる人も中にはいるし、前作との兼ね合いで、わざと貶める人もいれば わざとアゲる人もいるので極端になりがち。
どっちかでないと、さらっとしか読んでももらえないってことも多々あるんじゃない?
中立の意見に「いいね」が付くことなんてめったにないもの。
他局で昼やってる15分のやつは朝ドラより面白いと評判良いけど、あれが朝ドラ枠だったら、「あり得ない」「ヒロインが嫌い」「あの当時はあんなものない」「当時の情勢考えたらあの服装は・・・」などとあれこれと細かいことを言いだす人が出てくるのは目に見えている。
ようは本当の意味で作品が面白い 面白くない だけでないなんらかの事情が絡んだ感想が入ってくるからややこしいのが朝ドラ感想欄。
まあ他欄だって、ファンとアンチがくっきりと浮彫になって熱心に書き込み続けるようなドラマ欄はそうなるのが常だけど。
ジャニーズが参加してるドラマなんかは同じような構図になりやすい。
中立でも、いい時はいいところだけを、良くない時はそこだけを書くといいねが入ります。読み手には片側だけしか伝わらないだろうけど。
総合的に書いてある感想を私は好きです。裏からも表からもキチンと捉えて書いてありますから。
いいところだけ書けば そっちよりだと思われるからね。
わたしも総合的にちゃんとした作品評価が書いてあるものは好き。
でもこれこれこういうところが良いけど ここがイマイチと書いて
偽善者とか、ファンを装ったアンチ感想だと罵倒されたこともある。
そう取って違反する人はいってもやめないから無視するだけ。
>好きなドラマには優しく嫌いなドラマには厳し過ぎる感想が多いと感じる。
まあ、元々人間ってそんなもの。痘痕も靨という諺もあるくらいですから。好きなものには甘く、そうでないものは粗が目立つものです。相手の人間性が分かっていれば、敵意剥き出しの書き方は遠慮があってしないでしょうけど、お互いどんな人間か分からない不特定多数のネット上では、その人の個人の感想だと思えず、それが作品の「正しい評価」だと相手が押し付けていると妄信てしまうと、自分が非難されていると感じて、両者とも冷静でいられないのでしょうね。
私も、好きなドラマのスレで「この素晴らしさが解からない批判はスルーして絶賛の感想だけをたくさん書きましょう」という趣旨の書き込みを見つけ、「それは、言語統制に繋がるのでダメでは?」と書いたら、「言語統制という強い言葉で非難するのは如何なものか。」「腹の虫がおさまらない謝れ」云々、貰い事故の様な人格攻撃を受けたことあります。「言語統制だ」と断定したのではなく、「言語統制に繋がる」と憂慮して指摘しただけなのに、すごい剣幕の短い罵倒コメント連発で怒りが収まらない様子でした。だったら、「なぜ自分の『この素晴らしさが解からない批判はスルーして絶賛の感想だけをたくさん書きましょう』という書き込みが言語統制には繋がらないのか」を論じれば良いだけなのに。どちらの意見が真っ当かは第三者が評価するものです。 実生活ではお目に掛かることが無い方々なので、いろんな人がいるのでしょうがないことだと捉えています。
それに、「いいね」だけがコメントの評価ではないと思っています。自分の書いたことに対し、わざわざ「わたしも同じ考えです。」と感想をつけ足してコメントを書いて下さる方々もいらっしゃいます。また、私も、好きなドラマでも批判を書くことは有りますし、面白くないドラマでも、良いと思うところは評価して書きます。いずれの場合も、論拠が無ければ第三者には伝わらないので、必ず理由を述べます。「とっても良かった。」「つまらない。」といった読み手がどう受け取ったらいいか分からない感想だけのコメントは書かないようにしています。それから、「偽善者」「ファンを装ったアンチ」という罵倒は、偏に論破できる拠り所や能力が見つけられない時に出る言葉ですね。そういった捨て台詞こそが、その人が議論で負けた査証です。
そのとおり「いいね」があるかないか・・だけが評価じゃない。
自分は、それがもらえるか もらえないか の受け手のことを言っているのではなく、付ける側のことを言っているわけでそこは誤解してほしくないので補足。
付ける側が「いいね」が作品の評価と思ってる人、または、評価されるされない(いいねがあるなし)効果を狙っている、または仲間意識が多数だという意思表示したい、と考える人が、相当数であるため、あいまいな意見にはなかなか「いいね」が入らない。
それが、朝ドラ欄のように書き込み常連さんが占める割合が高いところでは顕著だと思っている。
まず、こちらで「いいね」の投票権利をもらうためにはこのサイトの常連にならなくてはならない。そして限りあるもらった「いいね」をどう使うか?
せっかくある投票権、朝ドラファンで長年と作品を公平に見て評価している人が多数なら、どちらも唱える中立立場の意見が「いいね」は多くなることもある作品があるはず。
しかし実際にはそうではない。ここ何年も偏った意見へのいいねが多いとずっと感じている。
自分的には「いいね」または「同じです」の同意、は仲間意識、それは悪いことではないのだが、ここでは賛成多数を見せつける小道具として使われていることも結構あるのが現状と考えている。
酷い例になると、感想でもない人への攻撃に対して「いいね」がずらり・・削除依頼されるまであるってこともままみられる。
本スレで書き方について議論するのはやめたほうがいいでしょう。
絶賛で埋め尽くしたいというのは、ドラマを愛してる一つの表現だと思って流しても良かったのではないでしょうか?もしくはお茶の間で議論して欲しかったです。
言論統制という言葉に私も違和感があります。これは一般的に使われる言葉ですか?それともネット用語でしょうか?
327さん、御免なさい、正しくは「言論統制」でしたね。ネット用語ではなく、一般的な言葉です。言論に対して行う規制ですね。国家や組織による大々的なものから、個人やグループによる圧力まで様々あります。言いたいことを言えない雰囲気にするのも言論統制に当たります。「絶賛で埋め尽くしたい」という願望を書くこと自体は良いのです。でも、「批判ではなく、絶賛で埋め尽くしましょう」と他者に呼びかけるのは、他者の自由な思考を許さないことに繋がるので、そこには線引きが必要だと私は考えます。考え方にはグラデーションが有りますから、どこに線引きをするか、どういう言葉を選ぶかは人それぞれだとも思っています。
326さん、仰る通り、一日一人一回しかつけられない「いいね」のつき方には一定の力関係が働きがちかもしれないですね。また、言いたいことの内容が曖昧な意見は、読み手には響かないことも確かですし、相反する内容を含むアンビバレントな意見も、結論が無いと評価の仕方が分からなくなる場合もあるのではないかと思います。
私は、朝ドラに限らず、その日目にした最も優れていると思う批評に「いいね」を付けています。因みに、今日は「精霊の守り人」のほうで、二ついいレビューがあり、どちらに付けようか迷いました。
んだからね、328さんのことを言ってるのではないのは判ってね。
あなたはちゃんと公平な意見をいつも書き、星もいつも対等な立場でつけてるんだという主張なんでそれは了解。またそういう人もいるとこも判ってる上での自分は朝ドラの感想欄の傾向的な事例の話してるので。
ようは、いまの朝ドラが面白いのか面白くないか、この感想欄の意見の星数、いいねなどでは安易に判断はできない、自分でみて面白いかどうかいろいろな角度から考えようってことだから。
批判ではなく絶賛で埋め尽くしましょう。と書くのは言論統制ではなく、煽りなのではないでしょうか?
もち煽り。と自分思うよ。
書いた人は、注意するときに煽りとか書くのはまた逆に煽ることになり、ためらわれるから「言論統制」という言葉に置き換えて注意したのでは?
と思うけどな。
329さんの仰るところは理解しています。お気遣いありがとうございます。「自分でみて面白いかどうかいろいろな角度から考えよう」というのは、大いに賛成です。
330さんのお考えが正しいかもしれません。「批判ではなく、絶賛で埋め尽くしましょう」という呼びかけが、果たして言論統制だったか煽りだったかを確認するには、それまでのスレッドの流れがどうだったかをもう一度よく見て確かめる必要があると思いますが、消去されているので今となっては確かめようもありません。そうですね、書いたご本人は、煽る積りすらなかったかもしれません。331さんのご明察通り、「煽る」という言葉はいずれにせよ使わないです。
違反して削除された投稿のことを今さら取り上げないでほしいです。
>違反して削除された投稿のことを今さら取り上げないでほしいです。
どうして?別にいいのでは?本スレに書きづらくなったのはなぜか、なぜファンVSアンチの対立構造になってしまうのかを考えるのには、そういったケースを通じて考えることも必要だと思うけど?ひいては、詰まらない対立構造を作らないで、ファンもアンチもより満足できる良いレビューの場を作ることになる訳だから、避けて通らない方が良いと思う。
削除されたものは違反とみなされたのです。違反したものはいくら正しいことを書いても正当化できないでしょう。と個人的に考えるからです。私も削除されて悔しい思いをたくさんしてきましたが、ここのルールに反するものは認められないのです。
付け加えます。332さんの投稿をあの時読んでいました。ここで議論すれば削除はされなかったでしょう。場を変えるだけで投稿は削除されずに生きるのです。でも、その場で直接相手とやり取りしたくなるものですよね。
実際にそのスレの現場知らないのでどういう経緯か判らないのでなんですが。
332さんは削除される元となった違反文章の投稿を書いた人ではないのは判ります。注意を入れて、それも一緒に削除されたのかな?
だとして、注意したものが削除されたことを正当化したいわけじゃないのでは?
中立的な感想を書いたら、見当違いな解釈をされて中傷めいたことを言われたという他の方の書き込みを受けて、わたしも同じような経験があるという経験談として書いてるんだと思いますが。
まず、今更取り上げないでほしいという要望を書くことも自由なわけですが、取り上げて書く人がいたとしても334さんが言うように別にそれも自由と思います。
ルール違反とは何か、どのような経緯をたどってルールは作られるのかを考える必要がある。それは、「過去の積み重ねの中で不都合が生じ、機能不全を起こすので、何らかの規制が必要になった」と判断されたからということだ。
ということは、ルールを設定できる立場の者に何らかのバイアスの掛かった思惑が働かない限り、基本的に必要が無ければそのルールは生まれない。
じっさい、このサイトはほかのサイトより規制が強いと思うし、英米のサイトでは、レビューサイトでの議論は日常茶飯事で、ほぼ削除されることは無いうえ、物凄い偏見に満ちた投稿も残ることが多い。しかし、それに対し、猛烈に講義する投稿や、如何にバカげた投稿かを機知に富んだ論法で一つ一つ指摘し論破する見事な投稿もある。
見苦しい罵詈雑言や、自由な投稿をさせにくくする内容を残したいかどうかは、主催者の意向によるだろうが、抗議する投稿まで一律削除しては、その抗議の内容の是非を問う機会も奪われ、どんな投稿が良いのか考える機会すら奪われてしまう。
「有無を言わさず一律喧嘩両成敗」という間違った考えは、偏に思考停止の象徴で、「罵詈雑言や偏見、同一思考の強要、異なる意見を書き難くする」などの問題のある投稿は「抗議の投稿」と同等であり、抗議は無効だから削除されない限り幾らでも書いてよいというメッセージになるし、実際そういう投稿態度になると思う。だから、ルールを作ってもちっとも改善されない。
そのためにアク禁が有るのだろうけど、コテハンで捨て台詞を書いている人がしばらく見ないと思ったらまた出てきて捨て台詞を吐くという繰り返しが何度もあるから、正当な抗議の内容なら抗議の投稿だけでも残した方が良いと思う。綺麗なスレッドが残るだけだと、見る側は気持ちいいかもしれないが、抗議の投稿が残れば、公序良俗に反する投稿はここでは認められないと言うことが誰の目にも明らかになる。
昨年から始まったテレ朝の昼帯ドラマ、やすらぎの郷はイマイチだったけど、次の「トットちゃん」から結構面白くなったので、毎日見るドラマとしては、そちらを見るようになり、「わろてんか」を途中でリタイアしてしまった。
朝ドラの代わりに見るものができた、という感じで、今放送中の「越路吹雪物語」もなかなか面白くなってきて毎日楽しみに見続けいる。
トットちゃんや越路吹雪物語は、素朴でシンプルな作りで(nhkより低予算だからか?)それが朝ドラのごちゃごちゃうるさいところよりかえって新鮮に感じてしまう。でもキャストはnhkと比べても遜色ないほど、豪華で魅力的な俳優さんが出ている。
それに朝ドラよりフィクション部分が少ないので興味深さが増すような気がする。
朝ドラの方もこんな感じにしてもらったらまた見るんだけど。
このスレの最初の方にも書かれてるけども、改善とかより良いサイトのための議論という形で削除投稿について話した結果、ただ削除された人の中傷だけに終始した実績があるから。
ここで削除された投稿について話すことで本スレに書きづらくなったのはなぜか、なぜファンVSアンチの対立構造になってしまうのかを改善出来る理由になるのもわからないな。
そんなことを話すより、対立するならこちらに来させる努力する方が余程直接的に効果があると思うが。
ぶっちゃけたところ本気で解決しようと思っている人は一人もいないでしょう。
書いた人を中傷することにならなければいい話であって、話題としてこちらのサイトに投稿されたものについて、誰かがお茶の間で話しはじめたとしてもそれ自体は違反でもなんでもなく、誰かに禁止されなくてはならないことでもないでしょう。
感想やレビューを元に議論することは問題なく、ちゃんねるレビューについて議論することも問題がないと管理人は云ってるわけですから。
お茶の間で語って解決するかしない、意味あるないはその人それぞれに考えればいいこと。
それを言ったらどこのお茶の間スレでも、語っていることはほとんど意味なんてないと思います。みんな自分で好きなところで、好きに議論したり雑談したりして満足してるだけですものね。
ひよっこに批判が書きにくくなったことは実感しました。
批判めいたことを書くと引用されて長文で反論されました。おかしいなと思って、また批判を書くと同じやり方で返ってきました。あれじゃ批判は書けなくなります。
削除された人への中傷に始終したのは、その場のメンバーが議論に慣れてないからだと思う。きっと、ネガティブな感情に突き動かされて理性のコントロールが効かなかったんだろう。だから、もし本当に削除された人への中傷だけに終始した内容なら削除は妥当だ。
でも、それが、本当に削除された人への中傷なのか、削除された人の「意見や書き方」への批判なのかは検証しなくてはいけない。中傷と意見や書き方への批判は全く本質が異なる。意見や書き方への批判だけなら、それは議論として成立するので削除されるべきでない。ここの区別をはっきりできない人は、ファンVSアンチの構造から逃れられないのだと思うな。
>なぜファンVSアンチの対立構造になってしまうのかを改善出来る理由になるのもわからないな。
削除された投稿に対し、正当に抗議した投稿が残れば、どんな投稿なら消されないかが明白になるので、良い学習教材といえる。「罵詈雑言や偏見、同一思考の強要、異なる意見を書き難くする」などの問題のある投稿のみが消されていけば、そういうことを書いてもスレッド内で受け入れられないと実感することになる。正当な抗議だけが残れば、その主張がまともな投稿の拠り所になり、ガイドラインになる。だから、改善できる「理由」にはならないけど、「要素」にはなるんでないかな?
お茶の間に誘導しても、中傷して注目されたいだけなら閲覧が少ないであろうお茶の間には来ないだろうし、まともに議論していても場を移してまで続けたいと思わなければ、やはり来ないのだろうと思う。だから、本スレが本来の機能を保つにはどうしたら良いかを考えるのは大事だし、今まで嫌な思いをしていた人にとって「罵詈雑言や偏見、同一思考の強要、異なる意見を書き難くする」などの問題のある投稿を上手くかわす反論のテクニックは必要な事だと思う。
ところで、342さんはどんな批判を書いてどんな反論がきたの?
343さん、内容はあえて書きません。反論をかわすテクニックを持ち得ないので書きにくい時は書きません。不器用なので削除されたことも少なくないです。
私も自分の書いた感想文の引用をされ、長文で中傷された事があります。その場合、まず中傷してきた投稿の違反報告をし、自分の引用された投稿文の日時を記載して、その旨伝えれば、管理人さんに削除して頂けますよ。私は一番初めに中傷された際、通報せずに相手と対話してしまったので、今度は逆に私の方が相手の投稿に中傷した事にさせられて?削除されました。中傷、絡み、煽りと感じたら、まず違反通報が第一です。私は結局、私に執拗に長文で絡んできた中傷をすべて削除して頂けました。一番初めに私の書いた感想文は残っています。相手に執拗に絡まれると投稿が億劫になるかもしれませんが、自分の思いを伝える良い勉強になると思って私はめげずに投稿しています。
文章表現力と(相手の文章への)読解力も大切だと思います。言葉は難しいですね。
344さん、343です。お解りだとは思うけど、344さんに批判をかわすテクニックが無いと言っているのではないよ。誤解しないでね。あくまで、一般的にどう対処したらいいかの私見だから。344さんが書きにくいと感じたことは具体的にどんな内容だったのかを知りたかっただけで、言いたくなければ勿論OK。嫌なことを思い出させて申し訳ない。
345さん、一番最初に書かれた345さんの投稿がちゃんと残されたのは良かったね。相手と対話を試みたのは、345さんに誠実さがあったからこそだと思うよ。見ていた人はちゃんとわかってると思う。難しいけど、自分も含め、理不尽なコメントのどこに抗議してどこをスル―するかを見極めないといけないんだろうね。
以前、わろてんか本スレにて
スッタフX
スタッフ〇
といった具合に、誤字にまでいちいち揚げ足を取る人が居て、軽い論争っぽくなった事がありました。
小学生か?と書いた人も居ましたが、全くそういったレベルで、恥ずかしくないんでしょうかね?
もちろん、揚げ足を取ったほうがですよ。
一見してタイポだとわかるのに一々そんな下らないところで揚げ足取るとは、浅い人間性だね。見ている方が情けなくなりそう。
332です。337さん、仰る通りです。有難うございます。
335さん、345さん、同じ憂き目にあわれたことがあると言って下さり慰められました。
335さんがどこまであの投稿のやり取りををご覧になっていたか分かりませんが、あのまま(私からしたら理不尽に)一人で怒っている相手は無視すれば良かったのかもしれません。
でも、「それは言論統制に繋がるのでダメでは?」という一言にあれ程キレる人物に実生活でもネット上でも出くわしたことが無かったので、まだまだ冷静に見えた相手の第一弾の反応が掲載された段階では、難しい内容でないので返答を書けば投稿意図への誤解は簡単に解けると思っていました。
しかし、こちらが返答を書き終えるまでに、相手のほうは「怒りが収まらない」と書かれる程に暴走。短時間に短い怒りの中傷の投稿が連投され続けたのには、心底驚きました。
文才も無いのに誤解を解き、相手の中傷を指摘し経緯への省みを促したかった私の判断ミスですね。次回このような危険性を感じたら、345さんのアドバイス通りにします。相手の文章を読み解く力は、養うのが本当に厄介で難しいと感じます。相手の言葉の選び方も自分の言葉の選び方も千差万別ですからね。ただでさえ、字面になると、相手がどんな感情で書いているかも読み取りにくいので、読み手の感情が投影されて意図せぬ文意に解釈されてしまうこともありますし。
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