「おしん」は伝説になっているのは子役パートの大反響だけだと思います
晩年の乙羽信子のおしんは9割不機嫌で苦虫顔、週刊誌でも面白くないと酷評されていました
「なつぞら」のコメント欄もさっそくだな
まだ1話だぞ?なんで作品を全否定するようなコメントが書けるのか謎だわ
ま、そういう暇人は内容なんてどっちでも良いんだろうけどね
批判するところ無くてだろうけど、スピッツが合わないは笑ったわw
せめてここみたいにIDがわかるようにしてほしいわ、ホント。
902さん、その通りなんですよ。
私達が懸念しているのは、その影響で『どんどんまともな感想が減ってきている』ということです。心ある人なら善意の批判か悪意の批判か分かるはずです。
『スルーしなさい』っていうけど、朝ドラスレの場合、それしてたら8割スルーしなきゃならないんですよね。
それと、『真面目に思った通り感想入れたら』すぐに反発きますね!べえべえさんがそのよい例です。実は、私もそれを半年間したために敵が多くなり、レビューは書けなくなりました。今は、お茶🍵の間で書いてます。
>べえべえさんがそのよい例です。
べえべえさんはいちいち他人の投稿を引用して批判するからでしょう。単に「私はこの点についてはこう思った」と書けばいいのに、事実の間違いなら構わないのですが価値観について引用付きで批判されるのはルール違反すれすれだと思いますよ。
まともな感想が減ってるのには激しく同意。
これごく少数の人間が一日に100近い投稿をしてるのがヤフーで明らかになってます。これを「わろてんか」で批判したら逆に「ここは自由に好きなだけ感想が書けるよう門戸が開かれてる場所だ」と複数から非難され嫌になりました。ヤフーでも同じです。朝から晩まで一日中ネガティブな罵詈雑言を書いてる人とそれに共感する人達が少なくないのです。
私は投稿数の制限があってもいいと思います。
903さん
まともというか、批判も称賛もどっちでも良いんですよね。
ちゃんとそのドラマの感想であれば・・・。
明らかに批判前提だったり、誹謗中傷だったり、
本当に見てるのか疑わしいのだったり・・・
ドラマ好きからすれば、いろんな角度の解釈が知りたくて
こういうレビューサイト覗いてるのに
単なるストレス発散の場に使ってる輩がいるのが本当に残念です。
朝ドラはそういう世代も多く観てるせいか
管理人のステキな意向のおかげか、ここは特に酷いですわ。
殆ど読まなくなりましたけど。
他の大手サイトの感想欄とは評価が全然違うのも
ある意味面白いですけどね。
どれくらいの重複コメントがあるのかすらここはわからないわけですから。
そんなコメントに食ってかかろうもんなら
そっちは削除で誹謗中傷コメントはそのまま残す。
こちらの管理人の意向のようですよ。
903です
904さん、905さん、ありがとうございます。お二方みたいな人が書いた感想なら、ぜひとも読みたいですね。
本スレで、前の方の感想に意見する場合は、こういうコメントを求めているんですよ!904さん、べえべえさんの捉え方違っていても、全然OKです。905さん、ドラマ批判あってもOKですよ。
先ほども大河と朝ドラスレ覗いたんですが、あまり気持ちの良いものではありませんでした。
理由は、905さんの書いてある通りです。
私も3か月間ヤフーにくら替えしましが、まんぷく感想はここと同じでした。べっぴんさん感想は本当のファンだけが集まったこともあって、めちゃくちゃ楽しかったです。
おしんは、面白いのは田中おしんが息子を亡くして泣き崩れる終戦直後くらいまでかと。
子役時代のところだけ再放送で良いと思われる。
子役にも容赦ない長ゼリフ、脱走兵との交流、わきまえのある大奥様の訓導、たしかに見たい場面はたくさんある。
【朝ドラ】と言う概念を痛烈に植え付けられた(私的には朝ドラは凄い!面白い)おしん 36年振りの視聴 嬉しい!
なつぞら まだ2回目ですが私的には不愉快なく視聴出来そうです。
何と言っても「べっぴん わろてんか まんぷく」どれも酷かったBK放映でも「カ-ネション ごちそうさん あさがきた」は面白かったし名作だと思いますが・・・・
いずれにしろこれから私は 半年間毎日泣きながらの視聴と成る事は間違いないと思います。
港区にあるNHK放送博物館
http://www.nhk.or.jp/museum/sp/project/2019/p2019030201.html
なつぞらのドラマとは別に戦災孤児の生き方が気になって海老名香葉子さんの体験談を読んでみました。https://www.nhk.or.jp/shutoken/miraima/articles/00294.html
戦災孤児達は檻に入れらた。https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/postwar/sengozeronen/syonen/
今日の朝ドラの子役ちゃんの泣くシーンに、みんな号泣したと書いてるが、私はそれほどでもなかった。
号泣したというのなら、同じような戦争と家族を描いたフジの単発ドラマの「僕が笑うと」の方が泣けた。(少し展開がゆるいところもあったが)
そして渡辺謙さんのさすがの深い演技とナレーションに惹きつけられた「浮世の画家」は外国で暮らし、戦後生まれた原作者ならではの日本の戦争を客観視したドラマだと感じた。
私はうるっと来たよ。でも号泣まではしない。
朝ドラで号泣したのは
ごちそうさんとマッサンくらいだなあ。
朝ドラで号泣したのは「純と愛」総集編のラスト。
本放送では泣かなかったのに、あの時はただただ悲しくて泣いてしまった。
天野春子の「潮騒のメモリー」やべぇ!
キョン2はやっぱ歌うまいね
小泉今日子大嫌いだから、「あまちゃん」は初めからは見なかった。有村架純が「若春」をやってることを知ってたら見ていたんけど。「ぼくのなつやすみ」を見た時から、すごい子だと思った。
今朝の朝日新聞の「天声人語」は朝ドラの魅力の話ばっか
この前は日経新聞の「春秋抄」が書いてた
やっぱ社会的にはかなり威力あるんだなあ
朝ドラ名脇役おじさん
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190417-00011513-bunshun-ent
なつぞら関連で北海道のドラマを松潤が
https://www.nhk.or.jp/sapporo/nispa/
まんぷく総集編が5月2日に放送決定
https://www.nhk.or.jp/mampuku/news/
919で紹介されてるドラマ「永遠のニシパ」では帯広出身の中島みゆきさんがナレーションをするそうで楽しみにしています。
今朝(4/29)朝日新聞 時代を映す朝ドラ100作 によると、NHK放送文化研究所2018に行った調査の「朝ドラのイメージ」は
健全
さわやか
明るい
安心
優等生
無難
なのだとか。
「優等生」は様々な解釈が可能だが、今作の「なつぞら」は概ねこの全てに含まれると考えてもよさそうに思う。100作目ということでなるべく多くの人に喜んでもらえるよう、外れたところが無いように配慮したのかもしれない。
スピッツの曲がいいね。
なつぞら本スレ、2019-04-29 15:23:17さんへ
演劇は、じいちゃんを励ます内容になっていなかった。
なつに、自分だけ乳業メーカーに高く買ってもらって農協に協力しないのは間違っている、愚かだ、と思われて傷ついた。
と感じたとのことですが、内容からすればそう受け取るのも理解はします。
私はしかし、「演劇は誰かを傷つけるものでは意味がない。生活者に、今の自分を見つめなおす機会とするものだ。」
と言う倉田先生の考え。また、富士子さんが台本を読んで、なつの心配に対し、「大丈夫、これはじいちゃんのこととは違う。じいちゃんはなつが一生懸命演じれば喜んでくれる」と言っていたこと。
事実、泰樹さんは自分さえ良ければいいという人ではないし、既に農協の必要性はわかっている。しかし一方で各農家の自立の重要性と、牛乳の独自性を出すことにこだわっている。
そのことはなつもみんなも理解していて、それは酪農家には最重要なことだから、誰も愚かだとは思っていない。と感じられること。
そういう前提のもとで、それでも今時点では、乳業メーカーに牛耳られないように、農協に協力して全体の底上げをやってもらいたいと、皆が泰樹さんに期待していることを訴えたかったのだ、と泰樹さんは演劇を見て気づいた。
だから、じいちゃんを非難したのではなく励ました。
泰樹さんも言葉では「わしは愚かだったか、」
といっているが、傷ついたのではなく、励まされたと感じていたと思う。
その様子を倉田先生も気にしていましたね。
なつの、演劇後の「自分のために演じた。じいちゃんのことなんか考えてなかった。」
と、演劇前、家を出るときの「じいちゃんに何も感じてもらえなかったら、私の負け。」
ということは、矛盾していない。
自分の思いを表現することに集中することが、だれかに自分を伝えることだから。
じいちゃんがどう感じるかは念頭になく、自分の思いをどう表現するかに集中した、ということだと思う。
それが結果としてじいちゃんに何かが伝わることになるのであり、じいちゃんのことを考えて演じたわけではない。自分の思いに集中したのだ。矛盾は感じない。
"途中から"とは、倉田先生や夕見子から、「自分のためにやれ、自分のたましい、気持ちを見せろ」と言われた時から、という意味でしょう。その前は、じいちゃんがどう思うか、とか、台本のことばかり頭にあって、自分を何も出していない、と指摘されていました。
もし、じいちゃんを励まさない、非難し傷つける脚本になってしまったとしても、
「まどろっこしいことをするより、直接言ったほうが良い」
とはならない。自ら気づいてもらうのと、直接指摘されるのでは、感じ方が全く違うし、そもそもなつはじいちゃんが間違っているとは思ってない。
農協も正論だが、じいちゃんもまちがってない。どう考えるか、この芝居が問題を見つめなおすきっかけになってほしい。という気持ちだったから。
長文で失礼。
この話はこれ以上やっても平行線となるので、これくらいにしたいと思います。
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横ですが、私は924さんに同意です。
>泰樹さんも言葉では「わしは愚かだったか、」
>といっているが、傷ついたのではなく、励まされたと感じていたと思う。
どういう描写によって励まされたと思ったのか、具体的に書かれていないのでなんとも言えませんが、
「この演劇を見せたかったのか、わしが愚かだったのか。」
じいちゃんは、感情を殺した声で淡々と言いそのまま去ろうとする。なつは顔色を変えて追いかけ「違う」と否定する。
言葉だけでなく、行動でも傷ついているようにしか見えません。
演劇後の台詞も、認識違いされているようですね。
「自分のために演じた。じいちゃんのことなんか考えてなかった。」の前の内容は「違う、じいちゃんが愚かといいたいわけじゃない」ですよ。
これは、「違う、じいちゃんが愚かといいたいわけじゃない。今回の演劇でじいちゃんに何か伝えようとしたわけではない。」という解釈が自然です。
あなたの解釈では、「違う、じいちゃんが愚かといいたいわけじゃない。今回の演劇でじいちゃんに自分の思いを表現したかった。」ですが、おかしいと思いませんか。
924さんも925さんも、機会があれば24話をご自身の解釈で違和感がないかご覧になってはいかがでしょうか。
>「違う、じいちゃんが愚かといいたいわけじゃない。今回の演劇でじいちゃんに何か伝えようとしたわけではない。」という解釈が自然です。
いえ、ここは、
「自分のためにやったんだよ」ということから、
「じいちゃんが愚かと言いたいわけじゃない。この演劇で、私は、自分の思いを表現することだけ考えた。自分の伝えたいことに集中した。だからじいちゃんが、それをどう受けとってほしい、こう考えて欲しいというようなことは、思ってない。」
ということだと思います。
自分の思いを出す、表現することは、普通に、それを見る人に自分の思いを感じて欲しいからでしょう。
そしてなつの場合、その相手はじいちゃんであり柴田の家族でしょう。
だから、芝居の前じいちゃんが遅いことを気にしていたし、終わったら、「じいちゃん、どうだった?」と聞いたのでしょう。
何も伝えようと思ってない、とは私は思えませんし、表現者が「伝えようと思わない」、と言うことは普通考えられない。どうだったか聞く行動とも矛盾している。
自分のために演劇をやった、とは、
自分の思いを表現し、じいちゃんにそれを感じてもらいたい。ということでしょう。だからといってじいちゃんに農協に協力してもらいたいとか、こうすべきだ、などと伝えたいわけではない。どう受けとるかは、じいちゃん次第。
じいちゃんは、なつにもみんなにも愚かと思われ、寂しく傷ついたのでしょうか?
確かにあの表情と行動は、そう受け取られるかもしれません。
しかし私はそれよりも、なつの、
「血の繋がってなくても、家族であり、その誰かが不幸になるのは耐えられない。だから、そのために私にできることはする。」
というなつの無償の思いが、じいちゃんの心に響いていたように思います。その思いに応え、自分を今一度奮発するための「わしは、愚かだったか、」という言葉でしょう。
だから傷ついたというより、励まされたのだと感じます。
同じことの繰り返しになっているので、このくらいで終わりたいと思います。
この議論を通じて、ドラマの筋、主題を深堀でき、登場人物みんなの優しさを、あらためて感じられたのはよかったです。
ありがとうございました。
久しぶりに読み応えのある意見交換で、興味深く拝読しました。演劇部パートは一見まわり道しているようで、なかなか重層的で深いエピソードだったと思います。一貫していたのは「自分で感じ、考え、決断しろ」ということ。爺ちゃんは確かに、愚か者だと言われたと思い、傷ついたわけだが、そこの気づきから、実際に牛乳を飲んでメーカーの不平等を感じ決断した。単純に演劇の内容やなつの行動によって変心したという描き方でないところが優れていると感じたし、脚本は全然ブレてないと思います。
>どう受けとるかは、じいちゃん次第。
うーん、やはりあのシーンの認識がおかしいですね。
このシーンは、更に遡れば、
「この演劇を見せたかったのか、わしが愚かだったのか。」「違う、じいちゃんが愚かといいたいわけじゃない、自分のために演じた。じいちゃんのことなんか考えてなかった。」
ですよ。
このときすでに、じいちゃんは「じいちゃんは愚か」という意味だと受け取っていて、なつはそれを把握してるんですよ。
あなたの解釈だと、どう受けとるかはじいちゃん次第、つまり、じいちゃんが「じいちゃんは愚か」と受け取っていればそれで正解だとなつは言ってるわけです。
おかしな話でしょう?
>その思いに応え、自分を今一度奮発するための「わしは、愚かだったか、」という言葉でしょう。
「この演劇を見せたかったのか、わしが愚かだったのか。」
これは、自分に言い聞かせる描写ではなく、なつを凝視して、なつに問いかけるような口調です。
「違う、じいちゃんが愚かなわけない」と呼び止められた後の弱々しい「なつ、どうして」も励まされた後の台詞ではありません
一番最後になつは、「ごめんなさい、じいちゃんは愚かじゃない。」と泣きついています。
このときの描写すべてが傷ついた様子を表しているのに、それを無視するのは無理というものです。
その人が見て感じたままでいいのではないでしょうか。
視聴するだけならそれでかまわないと思います。
しかし、他人のレビューに物言いをつけるなら、「自分が見てそう感じたから」だけでは困ります。
929の方に同感。
横から失礼します。
(なつぞら)の事ですね。
なつは、自分の家で剛男と泰樹じいさんが
自分の牛乳を農協へ出荷するか否かを巡る確執を解決するために
どうしたら良いのかという事を倉田先生に相談した結果
(演劇をやれ)と言われ、
あれでなつはまるで鳩が豆鉄砲を食らったようだが
しかし両者のいたばさみに逢いながらも
最終的には泰樹じいさんを傷つけない為だとか何とかではなく
自分のためにやったと言えるところが凄いと思う。
なつは演劇を経験する事を通じて
他人を思いやる気持ちを自分なりに表現出来たという事でもある…と26話ではそうなっている。
実際なつは泰樹じいさん自身が(わしが…愚かだったか)と言った後に
(じいちゃんは愚かじゃない、ずっとじいちゃんみたいになりたくて…じいちゃんは私の誇りだよ)と言った。
この時のなつの気持ちを物語っているのは間違いない。
929の方に同感。
横から失礼します。
(なつぞら)の事ですね。
なつは、自分の家で剛男と泰樹じいさんが
自分の牛乳を農協へ出荷するか否かを巡る確執を解決するために
どうしたら良いのかという事を倉田先生に相談した結果
(演劇をやれ)と言われ、
あれでなつはまるで鳩が豆鉄砲を食らったようだが
しかし両者の板挟みに逢いながらも
最終的には泰樹じいさんを傷つけない為だとか何とかではなく
自分のためにやったと言えるところが凄いと思う。
なつは演劇を経験する事を通じて
他人を思いやる気持ちを自分なりに表現出来たという事でもある…と26話ではそうなっている。
実際なつは泰樹じいさん自身が(わしが…愚かだったか)と言った後に
(じいちゃんは愚かなんかじゃない、ずっとじいちゃんみたいになりたくて…じいちゃんは私の誇りだよ)と泣きながら言ったのである。
この時のなつの気持ちを物語っているのは間違いない。
一番はまった! 平成最強の「朝ドラ」ランキング
https://www.zakzak.co.jp/ent/news/190430/ent1904300004-n1.html?ownedref=not%20set_not%20set_newsList
927です。
いままでの議論の核をまとめると、
「演劇で農協に協力するように伝えるという、まどろっこしいことをするより、直接言ったほうが良い」
というのは、なつの思いに反する。
自ら気づいてもらうのと、直接指摘されるのでは、感じ方が全く違うし、そもそもなつはじいちゃんが間違っているとは思ってない。
農協も正論だが、じいちゃんもまちがってない。どう考えるか、この芝居が問題を見つめなおすきっかけになってほしい。という気持ちだったから。
物言いというか、違う見解を書いたのはこの部分です。理由や根拠は明確だと思います。
それ以外、演劇で励まされたのか傷ついたのか、とか、
じんちゃんのことを考えて演じたのではない。
という部分に関しては、まどろっこしい演劇での主張が必要かどうかの理由として出てきたことで、それぞれの見解を述べたのものだと思います。
それと、
じいちゃんが落胆していたのは、なつの演劇で、愚かだと思われたからではなく、その前に天陽くんのところで、乳業メーカーを信頼していた自分に落胆していたのです。
泰樹さんは、人に言われて考えを変えたり、傷ついたりするような人には描かれてない。自分の今までの行動に落胆したのだ。
だから演劇でさらに落ち込んだ、ということはない。
なつの演技を見ている泰樹さんは、今後の自分の行動を後押ししているように感じていたように見えます。
半分、青い。4位なのは嬉しい。
今までには無かった感じの朝ドラだったから、私も結構ハマってしまった。
927, 935です。
928さん、激励ありがとうございます。
これ以上の議論はどうかと思うのでこの辺で収めます。
929さん、私の至らぬ所はすみませんでした。
皆さんの熱い議論を読んでいたら冷たい牛乳が飲みたくなりました。柴田牧場のしぼりたての牛乳飲んでみたい。
時代超え熱く語るは朝ドラよ
開拓を時代を超えて伝え泰
>00:21:40さん
なつが演劇をしたのは「じいちゃんを傷つけず、気持ちに寄り添えるようなことをしたい」からでしたよね。
しかし演劇では、じいちゃんを傷つけ(私の解釈では)、なつの本当の思いが伝わったのは直接自分の言葉で訴えたからでした。
だから、あなたの指摘している演劇をやる経緯は描かれても、演劇をやった意味は描かれていない。
農協問題としては何の意味もない演劇だったというのが私の感想の言いたいところです。
それから、なつがじいちゃんが間違っているとは思ってない明確な根拠はありますか?
なつは何度も演劇が傷つく内容でないか確認していますが、「じいちゃんが間違っていない」のであれば傷つく内容になりようがないのではないですか?
「じいちゃんに間違ってるとは言えない、言いたくない」との台詞もありますが、
「じいちゃんが間違っていない」と思っているのなら「言えない、言いたくない」のではなく「そもそも思ってない」というはずではないですか?
>泰樹さんは、人に言われて考えを変えたり、傷ついたりするような人には描かれてない。自分の今までの行動に落胆したのだ。
>だから演劇でさらに落ち込んだ、ということはない。
これについて明確な根拠はありますか?
また、私の指摘した、なつの前から足早に立ち去ろうとした描写、「なつ、どうして」という台詞、なつが泣きながら謝った描写などに説明がつけられますか?
あなたが議論を収めるのは自由ですが、私は物言いをつけられた側でもありますし、今回の内容もどうやら物言いのようなので反論させていただきました。
なつぞら川村屋のインドカリーから中村屋のインドカリーを思い出しました。ルーツを調べましたら、とてもドラマチックなものを感じてしまいます。
https://www.nakamuraya.co.jp/pavilion/products/pro_001.html
レビューは無記名だから、朝ドラ女優のライバル事務所の社員だって、いくらでも書き込めるんだよなあ~。
なるほど~。それでああなるワケかー。総動員してるのかな。◯◯してナンボだもんね。
942さん、ありがとうございます。
新宿中村屋のインドカレー誕生には、革命家のインド人と日本人女性による国境を超えた愛の物語があったんですね。
初めて食べた時、こんなに美味しいカレーがあるのかと衝撃でした。今はそのお店は遠くて食べに行けないのが残念です。
中村屋の肉まんは冷凍のがデパートで売ってて、美味しかった。
そうなんですか。肉まんは食べたこと無いです。今度見つけたら食べてみます。
中村屋のキーマカレーも大好きです。昨日の放送見てたら無性にカレーが食べたくなっちゃった🍛前作の時はラーメンばかり食べてたし・・・こんなだから太ってしまうんだ(涙)
インド人と中村屋のことは「パンと憧れ」というドラマでも描かれていて、あの店はカレーとは言わずカリーと言うのだと子どもの時に知りました。昭和40年代のことです。
高校を出て上京して中村屋でカリーを食べた時には、祖母と見たあのドラマを思い出しながら美味しく食べたことも覚えています。今は北千住の支店やレトルトパックで食べることが多くなりました。
ホームページを見るとクリームパンを発明したお店のように書いてあります。おそらく、そのこともドラマで描かれたのでしょうが、昔のことだし毎日見ていたわけではないので私の記憶にはありません。パンと憧れを見ていて覚えている方はいらっしゃいますか?
カレーパンも好きや。
941さん
同じことの繰り返しになりますが、ご質問ですので、
・なつが、じいちゃんがまちがっていると思っていない
→ 富士子さんから、じいちゃんの開拓の苦労話を聞き、農協の必要性は理解しているが、何でも1人でやってきたことが支えであり、農協を頼るのを躊躇している。決して綺麗事だけではやって来られなかったことも、なつが理解している描写がありました。
1人で自分の生活を切り開いてきたじいちゃんをなつは誇りに思っているのであり、間違っているとは言っていない。
ただ、農協の考えを聞き、また天陽君のところの牛乳を飲んでみて、小さい新参の牧場のことも気になっている。
演劇の内容が、じいちゃんの非協力的な態度を非難しているように感じてしまいはしないか? そうなっては困る。となつは思い、富士子母にも天陽君にも台本の話を相談していた。つまり、演劇のきっかけは農協問題だが、演劇でも、直接でも、じいちゃんに間違っているから農協に入るべきだ、と伝えようとは思っていないということです。
・人に言われて考えを変える人に描かれていない
→ 乳業メーカーからディベートを渡されて、もめた後の食卓で、夕見子が、「じいちゃんがこれで変わるとは思えない。」と言い、剛男が「嫌なこと言う」と返していた箇所でも、家族に泰樹さんが頑固で人の話に耳を貸すような人ではない、との認識があることがわかります。
・泰樹さんは自分の今までの行動(乳業メーカーとの取り引きを信頼していたこと)に落胆したのであり、演劇で愚かだと思われて落ち込んだわけではない。
→演劇後の泰樹さんの言葉は、「天陽のところの牛乳の買取価格は不当だ。だから自分の牛乳も農協に預けて団結することにする。」
ということだった。
「そうか、わしが愚かだったか」は確かに演劇を見た感想ではあるが、流れから、天陽君のところで牛乳を飲んだ時から既に気付いていたことがわかる。
なつは、じいちゃんが愚かだとなつから非難されたように受け取ったのではないか、と思って、
「違う、じいちゃんが愚かなんてことは絶対ない。」
と必死に謝ろうとしたが、
「なつ、どうした?」(どうして? というセリフではい。
そんなに必死になって、どうしたんだ? という表情)
と言う泰樹さんは、そんなに必死に弁解しなくても、なつの気持ちは全部わかった、伝わってるよ。という表情だった。
皆もいたので、何も言いませんでしたけど、なつが皆を大事に思うやさしさを感じ、一方で自分がもっと他の牧場のことも気にかけるべきだったという自戒の念から、何も言えずに立ち去ろうとした。
次の回の冒頭に、うっちゃんのナレで、代弁するように、
「なつたちの表現が泰樹さんの心に響きました。」とありました。
・941さんはなつの本当の思いが伝わったのは、演劇ではなく、直接の言葉でしか伝わらなかった、と書かれていますが、なつは思いを演劇でしか表現していません。
"血が繋がっていなくても家族。その家族の誰かが傷つけられるのは耐えられない。だからみんなが幸せになるためなら、自分にできることはしたい。"
というようなのがなつの訴えでした。それをじいちゃんに直接は言っていません。演劇を通して表現し、じいちゃんに何かを感じとってもらいたかったのです。それが演劇をやった意味だと思います。
もちろん、直接、うちだけ高く買い取ってもらうのは間違っている、とも、農協に協力すべきとも言っていません。
泰樹さんが、乳業メーカーの行動を知り、なつたちの演劇を見て、自ら決断したことです。
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