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このドラマの芸術論は
昭和の文学と同じ。太宰治とかの、自己を追求する体をなした承認欲求の話。
世間が俺を認めないという不満なんだよね。
私は文学ってそんなに大したこと言ってないと思うんです。
俺はもっとすごいのに、という不満を賢く言ってるような、現代の厨二の感じ。
ぷーさんは世間から認められなくて才能がすごい、ってコンセプトだろうけど
何がすごいのかわかりにくいのが失敗の元だろうな
1話では将棋で全勝したり、わかりやすく実は賢いって描写をしたから期待した。
でもその後はとくに勉強できたわけでもなし
女にももてず、何かに打ち込んだこともなく、淡々と生きてる
その理由は高校の時に母親が死んだから
なんかどんどんショボくなっていくんだよ。
ぷーさんは今では
親の理屈を頑なに信じて、わからん事は本で上っ面だけ調べて頭でっかちになり
ポエムを連発するだけの人になってる
このドラマは主役がやさぐれてようと、華道エンタメがチープだろうといいんです
ぷーさんがいかに素敵でかっこいいかというのをやらなきゃいけなかったのに
それが出来てないから、誰にも共感できないんだと思う
石原さとみって演技がオーバー過ぎる。
前々回の演技見てて、手振り身振り変なくらい大げさでしかも、心こもってるようでこもってない演技。
見てて恥ずかしいくらいだったわ。
本人は上手い演技とでも思ってるのだろうか。
誰か教えてあげた方がいいよ本人に。
気付いてないよ彼女。
ぶりっこ、かっこつけ、コマーシャルも普通の平凡顔してるけど気どって勘違いも甚だしい。
そう思ってる人すごく多いんですけど。
もものキャラがよくわからない。
最初の頃は、お嬢様育ちのももが婚約者の裏切りにより、メンタル不安定になりストーカー化したように見えたし、ぷーさん(と仲間達)の前だけは肩の力が抜けて、楽に過ごせているように見えた。
しかし、今回千秋と中・高時代からの親友だったとわかり、2人のあの口の悪さ。(ガラの悪さ。)
しかも、家元は、ももが精神的に安定していたことなどない、と言い出した。
ということは?
ももは吉池の裏切りによりメンタル崩壊し始めたのではないの??
いったい、いつからメンタル不安定なの??
脚本が崩壊しているのか?
こんなにメンタル的に不安定な、つかみどころのない役、演じる石原さとみさんも大変だったのではないか、と同情してしまう。
訳が分からないストーリーなのに古臭い演出。
これに高評価する方がいる、ということに
「意見って人それぞれなんだなー」と気づかされます。
私としては★1もつけられせん。
「主役2人が脚本に忠実」と書かれている方がいましたが
もしそうだとしたら、それはお二人が脚本を理解してないから
感情移入できずに忠実に演じるしかないのでは。
幸せを手に入れたらモノを作れなくなる、という点には共感します(明言してないですがそういうことかと勝手に解釈しです。)
ももが肉食過ぎてますます品が落ちていく。
ベッドインまでの流れについていけない。
いきなり迎えの車をよこし、和服でお出迎え、次のシーンはプーさんベッドに座らされて、ももが着物を脱いでいき…
これって、男女の関係になろうね~迎えの車で来てね~って暗黙の了解なんですかね?
理解出来ないのは私だけ??
千葉雄大が出演と言うので見ましたが、出番を待たずにTVを消しました。
最近、石原さとみが石原さとみにしか見えず、どのドラマでもすぐにリタイアしてしまいます。
ビールや化粧品ヘアケア用品のCMに出ている石原さとみが、ドラマのヒロインのキャラクターより前に、ドン!
と出てきます。
以前、ファッション誌で、仕事のメイクも基本自分でする、との記事を読みました。なので、どのドラマでも同じ顔に見えるのかもしれませんが。彼女はメイク上手だと世間で認知されています。このドラマも自分でしているのでしょうか。
旬の俳優や大御所女優も登場し、彼女のお膳立てをさせられているように見えます。
脚本家も大御所。彼女は、この脚本家が手掛けた作品でヒロインを演じるのを熱望していたとか。
何だか、「BG」が頭に浮かんできました。
(彼は、こんな職業の役を演じたい、こんな女優と共演したい、とリクエストされるようですが)
ストーリーも、ワガママなお嬢様とさえない庶民派男性の恋物語で、使い古されたテーマ。
石原さとみにあこがれている若い女性世代は喜ぶかも知れませんけど。
石原さとみが芳根京子に喰われたと言うのを私も感じました。
モモはプーに酷すぎ。プーを裏切ったあとのあまりのやり口に、ひねて意地張ってるだけで心は美しいかと思っていたモモを見損ない、すっかり嫌いになった。それらを忘れたかのような、モモが上から目線過ぎるハッピーエンドは気持ちが悪い。モモは独身で花を極め、ナナは幸せに。プーは香里奈と。の方が自然。薄いメイクの香里奈は実に可愛かった。バリバリ派手悪女っぽくいることより、ナチュラルにある本来の自分に目覚めて行く香里奈と「高根の花」と言うおとぎ話に自身のコンプレックス解消を投影させていたプーの気付きが同時に来れば面白かった。プーと結婚し、近所で花を教えてる姿はモモの「こうあることも出来たはず」の妄想。と表した方が、美しかったろう。真の後悔の中で自分を取り戻し、取り返せないことにこれからの生き方を定める方が、モモらしかったと思える。あの最後の「限りなく美しく怖い笑顔」はそこに自分のした事への真の贖罪を受けていく覚悟を込めた顔なのかと思った。しかし結果があれでは、どんなことも許してくれ、愛される喜びだけで、モモは最後まですべて自分のことしか考えていない。それも許すのが真の愛だと言いたいのか。
石原さとみが女優としては深みがないゆえに、モモが不快でエキセントリックなワガママッ子にしか見えなかったせいもあり、元婚約者を恨んでない。と言うところだけで「いい女だなあ!」とモモの心の美しさを知ったと言うのでは弱すぎる。「いい女だなあ」の奴は絶対しないことを連発するモモを愛し続けるのは、本当の愛と言うよりは、母ちゃんの言葉だけを教訓に生きるただの童貞が、綺麗な女との初体験で舞い上がって夢中になっちゃった。だけのように見えた。花を摘みに行く!と言う、「もしかしてなんだかすごくすごい人なんじゃ無いのか」と言うプーへの期待を裏切る、へぼすぎるテンパりのせいも相まって、「プーの愛」に深みがなくなってしまった。「願望達成能力」とやらで未練グダグタの女を引き寄せた??花を摘みに行くのがプーの恋愛のための努力??それでモモが急に改心する??
ゆえに「101回目のプロポーズ」のように「男頑張ったなあ!よくやった!」と言う感心も無い。プーの配役が違う演技派ならもっとプーの人柄に深みを与え、良かったドラマかも知れない。
ん?そう言う意図のドラマかな?「一見格差ある」ようでも、心痛んだ女に、何でも許して心優しくあれば落とせるから頑張れ!って言う??まあそれは必ずしも外れでは無い。
死ね!とばっかり言ってた中学生がだんだん変わっていく姿は実に良かった。ラストはうまく行きすぎだが、一番気になっていたエピソードなのでほっとした。ちょっとした仕草や声のトーン、目線での変化の仕方がとても良かったので、あの子は良い俳優になりそうだと思った。いろいろ不満たらたらだが、真のヒロインはナナだと思えば納得が行く。キチンとすべての苦労を受け取って成長し、常にまっすぐ人生に向き合っていたのはナナだ。石原さとみより芳根京子のためにあったドラマだと言えるかも知れない。最後に女性が支持し、応援したのはナナだろうと思って見終わった。
脚本、演出、主のキャストのバランスが悪くて気合いを感じる割りに空回りばかりが目立つドラマだと思う。
石原さとみさんも野島さんの世界観を演じたかった思いが強く出すぎたようで「どう?私の演技は?」と自問自答しながら迷走したまま終わってしまった、そんな印象が強く自分の演技だけが気になり見る側に伝えようという目線から外れてしまったのではないのかな?
野島伸司さん全盛期の違いはあれどそこを含み石原さん自らの依頼でどのくらいの作品を理解して望んだのかはわからないけど苦しみながらも掴みきれなかった自身を悔いてるような痛々しい演技に思った。
演者がそんなだと役柄的にも演じかたにも共感なんてものは生まれるとは思えない。
一番わかってるのは石原さん自身で打ち上げでの悔し涙と「私のせいです」のコメントで爆発してしまったんだろうか(記事がほんとのことならば)とは思うが
スタッフや野島伸司さん結構な批判を受けた峯田さんもそんなこと言われたら辛いだろうなとそっちの方が気になった。
このドラマで救われたのは芳根さんの気迫を感じる演技と恋する思いのななを綺麗に見せてくれたことと戸田奈緒さんもあんな母親を見事に演じていたこと、その役になりきっていた、やってることが陳腐でも引き込まれるものがあった。
脚本ありきは勿論だけどそこを乗り越えるものが石原さんに足りなかったように思う。
キラキラの石原さんは結構いいと思うが
いまの石原さん見てると華やかな役だけでなく汚れ役とか意外と迫力ありそうに思ってしまったな!
脚本がひどい。
アンナチュラルで、石原さとみは魅力的だった。
野木さんは時代を見抜き、現代社会を描写することができた。
野島さんの時間は全盛期から止まったまま。
ギャグにも昇華できないから、ただ、痛いだけ。
登場人物の行動も行き当たりばったり。
奇をてらうことばかり考えて話の主軸もできてないから、ぷーさんの言葉は1mmも響かない。エセ名言になる。
華道についてもリサーチの痕跡が見えず、ストーリー上の必要性を感じない。
俳優さん達はがんばってました。
その出演者に泥を塗るような野島さんには怒りを通り越してあきれます。
もう野島さんの脚本は見たくありません。
違う惑星の人達による、地球と違う価値観によるドラマみたいでした。千秋に騙されてたと解ったのに、笑顔で嬉しそうないつものメンバー、普通の人なら怒るか悲しくなると思うので、まずその心情が異常に感じてしまう。
千秋をけしかけたモモをそれでも愛せるプーさんは凄い、と感心できればよいのかもしれないが、私はそう思えない。ここまでされてもヘラヘラしてる変な人にしか見えず。口から出る似非哲学みたいな言葉も薄っぺらい。
モモも、お母さんと同じ月島ではない華道に目覚めたみたいだけど、なんか変な宗教の開祖みたいなセリフになってて、あっちの世界にいっちゃった人みたい。愛してる人を親友けしかけて色仕掛けで迫らせる時点でおかしいですが、多分、彼女は1話から、結婚式で新郎に逃げられてから、壊れかけてたのでしょうね。それが家元の差し金とわかり、さらに家元は自分の実父ではないとわかり、華道の道にも迷い、普通の人なら壊れてしまいますよね。最後に完全に違う世界に羽ばたいた、というドラマなのでしょうか?そうとらえるなら、モモが一番人間らしいかも。
ななや家元夫妻もうまく話は収めてあるようだが、人間の感じがしないんです。特に家元、そんな愛しかた変です。わざと愛してる奥さんに不倫させたんですよね、そんな家元の子供をまた産みたい奥さんも変。ずいぶん心が広いのか壊れたのか?
とにかく脚本が、 表面的にはカッコつけたセリフで飾っても、中身のない薄っぺらなものに思いました。普通の人はあんな風に心は動かないと思う、違う惑星の人達の話みたいに思いました。
自転車中学生の最後の笑顔だけは良かった、あの役者さんにめんじて、星1つオマケ。
私もこのお話でぷーさんの台詞や振舞いに心震えるということはほとんどなく、ももはいったい彼のどういうところにあれほど惹かれるんだろう、とか。
お話の流れもちょっとしたセンセーショナルをつなぎ合わせたよくわからない展開で、中学生の行動と最後に繋がるものがあるのか、ないのか、つかみどころがないかもと思いながら、観続けてきたんですが。
一面というか、恋愛の興味深さは龍一とななのほうに向かっていて。
とりわけ今回は二人の場面で思わず涙が込み上げるほど、心が震えました。
母親とのことはやはり引っ掛かるものはあるものの、ななの強さと、龍一の弱さが溶け合って心に染み込んできたというのかな。
二人のなかにある純粋な想いに胸打たれ、それだけでも観て良かったと素直に感じることができました。
このドラマの「もう一人の自分」がいよいよわからない。
生け花の技術、反対側の景色を反転させ俯瞰する才能みたいなものだと思っていたのですが。
ではなく、成長すると統合される自我ですと。で、そんなもう一人は要らんのだとぷーさんが宣う。
うーん。なんのこっちゃ。置いてけぼり感が半端ないです。
京都神宮流の家元は、霊的ステージを高めるとか言って女性信者たちと関係を持つ新興宗教の教祖を思わせるし。
小日向さんの月島流家元も、いろんな理屈を聞いてきたけれど、ただのサディストにしか見えなくなってきました。
元彼の魅力が全然描かれないのが残念。そして元彼の前でのももも魅力が無いのも。
これでは苦しい恋からすべてを見失って、そこからの再生というのが弱くなってしまっている。
華道家としてのターンが長く、お嬢様だって気づかれてのあれこれがほぼ描かれなかった。タイトルで高嶺の花とうたっていてその一要素だったはずなのに。
美女野獣感もぷーさんが案外と自尊心を保っていたためにハードルにはなっていなかったので、これで2つもサクッと超えてしまってドラマ的高揚感が出ない。
経験のないドーテー君としてのコンプレックスもおそらく今回のベッドイン描写でスルーに。
ではやはりメインは芸術的な才能を持つことが恋への障害と描くのかと思ったところに出生の秘密?!という展開。これは焦点がぼやけるなあ。
花以外でも色合いや造形につい目が行くとか、なんでもない店先の花の飾りもつい手直ししてしまうとか、ごく普通の空や木々の揺らめきにも心奪われるとかの描写があれば
ああ、この人はやはり普通ではないという展開にもなり得るのに。華道という道を極めている人でも生活はすべて普通、なら誰と結婚してもどんな生活しても障りないんじゃ?と思ってしまう。
これまで二人の近付いていくまでの展開で期待していただけに、今回はその期待に水をさされたような印象。
今の期待はむしろ、妹の暴走と成長に傾いています。
えっと?
ももは二重人格なの?
そして今はもうひとりの自分が消えてしまっているの?
そちらが高嶺の花で、華道家として溢れんばかりの才能があるの?
べらんめえ口調はそのせい?
恋愛はももにとっては才能あるもうひとりの人格を失わせるものでしかなかったが、ぷーさんだけは唯一その封印されてしまったもう一人の人格を呼び覚ませることができるって設定なのか?
千葉くん然り、戸田菜穂然り、なんだかこのドラマってキャスティングに違和感満載だった(小日向文世だけは少しだけ慣れた)けど、昨日になってようやく気付いた。ももがぷーさんのことをまんざらでもなく思っていること、ってかかなり好きになり始めてること、ぷーさんがもものことをまあまあ好きってこと、いろいろひっくるめてふたりの好きという気持ちが全然見えてこない。だから、ぷーさんが昔の彼のことを聞いてあげると言ったらももが怒ってしまったことも、花園でももが遅れてきてひとりぷーさんが入って花を見ている姿も、共感できないどころか何の感情も沸かない。
こんな酷いキャスティングは前代未聞だと思う。
ハマる。ストライクです。私。
掃き溜めの鶴キャバ嬢と華道家元(の血)。どちらも度胸です。キャバクラに馴染みきれない品のあるお嬢様なんて演出したら妹とレベルが同じになってしまう。肝の座り方が違うってほうが正解。
妻を愛していないこのまま二人で会おうという骨のない男に囚われ、つまらない奴だったってわかっているのに忘れられないのが悔しくて辛い。もう魅力感じてないのに抜け出れない。こんなのにつまずいてる自分が情けなくて不甲斐なくてもがく。
これがリアルだと思う。
あらいいやつじゃん、気になるじゃん、どこまでも正直で誠実でなんだか気持ちをほぐしてくれて太鼓真剣に叩く姿は悪くなくて、一緒に太鼓叩くとなんだか心が開放されて…心を開放してみると出てくるのはまだ忘れられない彼への思慕。
出てくる出てくるまだ出し切れない未練という膿。
描いてる世界が小説のようです。
絶対言うとおりなんてするもんかって抗ってたのに、うっかり怖いあんちゃんに頑張れよなんて言われちゃって。プーさんとか教頭先生みたいなはじめから優しいとわかってる人じゃなく、今まで一番自分を痛めつけてきたような人種の人がするん、と励ましてくれてそのくれたジュース飲んじゃったらもう、走り出すしかないという。敵ばっかりだった君の人生が変わる瞬間を見たよ!て気がする。
野心家くんと姉への嫉妬心に焚き付けられ始めた妹のこれからの動向もアクセントとして上手いし、
父から叩き込まれた家元としての求道心と人としての当たり前の感情とをどう折り合いをつけていくかも投げかけられいて。
脚本、仕事してるねえ!という感じ。
桃のが惹かれていってると見せかけて、未練泣き。そこを切なく見るぷーさん。うわ、と思っちゃった。
観るものが感情移しようとするその主体をぐいっと転換させる。これは小説ではできない。
映像の緩急も丁寧に作られてるし音楽も良し。太鼓の音の振動も加味されて、大変、良かったです。
野島伸司の脚本は気持ち悪いのが多いよ。今作品は「気持ち悪い」の感想が多いが、正にそんな脚本家だから当然だよね。彼は昔から変わってない。時代に合わせて作風を変えるような脚本家でもない。
むしろ石原さとみが、なぜこの脚本家を指名したのかそれが謎。キャピキャピ系の媚び女優には合わないのに自分がわかってない。彼の力を借りて代表作品を作り、今や女優として差が大きく開いた綾瀬はるかや新垣結衣に対抗しようとしたのか? 「アンナチュラル」は新垣結衣の御用達脚本家、野木亜紀子だから、満足しなかったのか?
だがクランクアップしたら「9割大変だった。もうこの役はやりたくない」ってさ。それが野島伸司の脚本で演じるって事なのに。メイク研究ばかりで女優の実力を本気で磨いてないのに野島作品は無理。あの演技力で脚本家を指名するなんておこがましい。所詮、校閲やお坊さんドラマみたいな「石原さとみ」がキラキラしたドラマじゃなきゃ、本人は満足しないみたいだね。
今回登場した華道は、草花を絵の具につくる絵画のようなゲージュツ作品でしたね。
廃物をつかった華道をする知人が大工道具を駆使するのをみているので、前衛的な華道にある程度は免疫があり、和太鼓と組み合わせたショーも含めアリかなと面白く観てました。
ただ、最後のバラにカーネーションにかすみ草にの巨大アレンジメントを新流派としてお家元連がひれ伏したのは、とっちらかってないか。月島流のがよかった。素人意見ですが。
恋愛パートや「もう一人の自分」問題、「世界にひとつだけの花」ばりの「私はお花」(と世界の中心で叫ぶ。。でも花に「お」つけるのどうよ?)問題も、もはや考える気にもなりません。と感じる私は、もろもろ経験が足りないのでしょうか(嫌みじゃなく)
ぷーさんのお母さんやお家元が「オンナとは」「ゲージュツ家とは」と語るのを息子・娘が鵜呑みにするとアカンやつではと思っていたのですが、その辺りの価値判断はされてなかったですね。野島さんって、こんなでしたっけ。
最後まで「花」は贅沢でした。そこは観る価値あったかな。
ただ、苦労して摘んだ「高嶺の花」は人工的でしょぼいし、山百合は山にあった方がいいような。あれはあれで何かのメッセージかと深読みしそうになります。
今まで星1にしたことはなかった
一話目は期待感でいっぱいになったし、斬新だったし、ぷーさんもそこらへんの凡人ではないんだろう
と思わせられて期待した。
一話目は星5だった。
でもだんだん下がって、
頂上決戦でまた5になって
ラストは1。
なんでこんな終わり方にしたの?
もう1人の自分問題は?
芸術ってなに?
結局は人を愛することが芸術として素晴らしい開眼になるの?
にしたってももがやっていたのは愛じゃない
ぷーさんのために何一つしていない
嘘と騙しと試し行為、したのはそれだけ。
ぷーさんは、理屈的には言ってることは愛だけど何にしろ気持ち悪かったな
マザコンで、社会経験もなくて、頭でっかちなだけっていう。
一話を見た時、ぷーさんはもっと大きな悲しみをかかえて、それを乗り越え、自分の才能を犠牲にしてなにかを守った過去があるのだと思った。
なんもなかったけど。
ものすごくありふれた、だっさい薄っぺらい結末。
なにもかも台無し。もしかして打ち切り?
すべての人をハッピーエンドにしときゃ文句ないだろ?っめか
最悪なドラマだ
間違いなく石原さとみにとっては試練のドラマでした。
このドラマ、誰が演じても意味不明だと思いますよ。
こんな脚本で、誰が役を理解できるの。。
満島ひかりでも無理だと思います。
今、評価の良い綾瀬はるかだって
素晴らしい脚本ゆえの素晴らしいキャラクターあきこ
さんだからだと思います。もちろんそれがさらに
素晴らしくなったのは綾瀬さんの力量ですが。。
それでも負けずに根性だけで、最終回自分の見せ場を
見せつけた、視聴率をここまでもっていった石原さとみに
拍手を送りたいです。お疲れ様でした。
どんな試練がきても、負けない精神力を見せつけられました。
正直途中はあんなに好きな石原さとみに魅力を感じなくて
どうしようかと思いました。。
その頃おそらくわけわからない脚本とももという
キャラクターに困惑していたのではないかと。。
作品選びは本当に大切です。
次回は野木さんに脚本を書いてもらってください涙
そういう意味では森下さんに気に入られている綾瀬さんは
無敵ですね。。
峯田さんは最後まで魅力がわかりませんでした。
石原さとみさんは、ぷーさんが峯田さんでよかった
と言ってましたが、どのようにそう思っているのか
本音なのか知りたい。。
正直、途中の苦悩は相手が峯田さんなことも
絶対あったと思う。
もう地上波のドラマにはでないでほしい。
ももがお別れした時ぷーさんが初めて一生懸命止めていたのが、なんだかじーんときた。まるでクリストファーロビンへのプーさんのよう。そして商店街の仲間達は本当に優しい友達だ。肉屋の原田さんは奥さんに日々何かやらかすことを積み重ねてきたんだなぁきっと・・・(笑)
ももはぷーさんのおかげであんなに大きな親から自立できたばかりか、一人の人間としても大きくなれたんだなぁと実感した最終回・・・静かに頭を下げるももと対比的に存在する後ろのお花に思わず「すごい」と声が出てしまった。受け止めきれない位大きくてロマンチックな少女のような愛情で、とてもももらしい。個人的に、そのままでいいと言ってくれたぷーさんのためにいけたんだなぁと実感できるものだった。
ななは最後までキーパーソンで温和で清らかなまま本当に良い子、傷ついた心を慰めていた龍一を探し当てていた時なんか、どこまでも安心できる存在だった。車内で壊れた龍一を見たから尚更、再会した二人が素敵に見えた。なながあんなに強くてあれほど龍一を好きになるとは、市松には計算外だったかもしれないけど。
市松が芸術と娘達を本当は心から愛していて良かったし、ももが優しい子でほんとに良かった。市松も必死にもがいていたんだなぁ。そしてルリ子と最後に幸せになった事が個人的にすごく良かった!あのままよりずっと幸せになれた、きっと死の間際まで市松も幸せにお花がいけられるね。
中学生の子のお母さんも予想よりずっと良い人だったようで本当に良かった。大きくなったあの子の帰郷とラストシーンのももが重なって、お母さんへの「もう大丈夫」が二人分に見えた。
登場人物全員が人格に統一性がなく、精神は分裂し、倫理観も破綻していて、もう物語として成り立っていなかった。
とにかくひどかった。
最後まで見れたのは、石原さとみをはじめとする女優俳優陣の、本人たちも一貫性のない脚本に疑問を感じ、悩みながらも精一杯役を理解しようとして熱演したそのエネルギーのおかげに他ならない。
個人的には芳根さんがお嬢様ルックがとても似合っていて可愛く、最後の牧場でのキスシーンだけはドラマのひどさは別として絵として美しかった。
役者のみなさん、こんなひっでえ脚本で最後まで完走して、ほんとうにお疲れ様でした。
芳根さんと石原さんの可愛さでどうにか見れたドラマでした。
脚本家は一話書く毎に記憶なくしていっているのか?
今回、冒頭でももと千秋が実は友達でハニトラだった事が明かされたけれど、だったら前回、他の男に抱かれに行ったももを助けるためにぷーさんを現場までわざわざ送ったのは何故なんだ?
これも実は仕組まれた事でぷーさんが助けに来てくれるかどうかを見極めるための罠だったとかならまあもものクズキャラからして解らなくもないんだけど、前回ももはひょうまに騙されてあっさり抱かれに行ったわけだ。ひょうまともものやりとりにより今回判明している。単純に助けに行くのを手助けさせられるわけなのだから、ハニトラを仕掛けさせておいて勝手にどういう事なのかと千秋は多少なりともももを責めてもいいような気がする。
ももの情緒が安定していた事などないと今回家元が言っているが、第一話目で、ももは結婚式当日の吉池の裏切りによりおかしくなった事がかなり色濃く描写されている。そこから立ち直るための直人との恋愛物語だと受け手側としては思ったくらい。第一話では吉池の裏切りに遭うまでは情緒がそれなりに安定していたはずが、安定などこれまでただの一度もしていなかったって最終回直前でいきなり言うか。
龍一が前世の話をされてパニック?みたいなのを起こしたあの現象は、何だったんだ?
前世とか絡めてくるのかと思いきやその後何にも触れられないし。龍一がパニックみたいなのをあからさまに起こしたのもあれ一回きりだったし。
家元はもう自由に花を生けられないって設定が出てきたのは第二話くらい、で、その後普通に家元は花を生けていた。
そして都合よく最終回直前で、右手の震え再登場。精神的なものが原因だったらもっとちょいちょい震えてろよ、設定が弱いんだよ。
実の父親ではないとぷーさんの前ではしらをきり通したたかいさんが、その直後にももに自ら実の父親だと告白。おまえ、いきなり覚悟が薄いな。よく今まで、特に前回のひょうまに抱かれに行った時とかにすら、黙っていられたな。
あんな酔っぱらって仕事しないキャバ嬢は、いくら掃き溜めに鶴でも辞めさせろよ。「警察呼びます?」ってストーカーの事を示していたのだろうけど、ストーカーは事実が明確になっていない。しかしながら店の客が暴力沙汰を起こしている事実は明確なのだから聞く前に暴力については警察呼べよ。
今回、最終回直前で回収できない伏線が多すぎる事に気づいたのか、余計にとっ散らかっていたように思う。
もう全部回収するのは到底無理だろうから、早く最終回やっちまってくれ。突っ込みどころ満載で観てきたけど終わってくれりゃそれでもういいわ。
ぷーさんが「素晴らしい才能を持った善人です」みたいな描写が鬱陶しいペースで挟まれてくるから言ってやりたいが、ぷーさんが真の善人であったならももを精神科へ連れて行ってやれ。話はそれからだ。
実は今まで一度も情緒が安定していた事などないのだよ?ぷーさんならいきなり出てきた設定であっても見抜いてるだろうにそれくらい。
ぷーさんがももを精神科へ連れて行った結果として、脳内がお花畑だったって気づく最終回だったらそれでもまあいいわ。
脚本家も芸術家に含まれると思う、その上で、芸術家をこのように描写しているのであれば、この脚本である事には納得いく気がする。
ダ・ヴィンチとかピカソなら目もくれないし、ダリが観たら脚本家を橋の上から落としてさくらんぼ食べてそうな話だった。
情緒が不安定である事と、芸術(もしくは芸術性)、そして最も多い描写を誇る“性”を一緒くたにして描くから、こういう結果になる。
純愛の描写は皆無と言っていい。純愛に見せかけているシーンは全て性で彩られている。
芸術(もしくは芸術性)=情緒不安定=性。……なんだこの方程式。
行き着くところは芸術への偏見。
芸術への偏見に満ち溢れたドラマだった。
芳根さんの演技が、さとみちゃんより良かった気がするのは、私だけかな?芳根さんは、自然で、さとみちゃん、自分の名前のいい方も変だし。役が、崩壊してるのか。
演技をなんとかすれば、なんとかなるのか良くわからないけど。
こんな時に感想ごめんなさい。
今から、忙しいので。
ぷーさん相変わらず理屈っぽい。
そんなに語らなくていい。
そんなに悟らなくていい。
オレ、心はこんなにイケメンだよ?っていうのが前面に出ちゃってる (^-^;
さりげなく、さりげなく (^_-)
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