5 | 547件 | ||
4 | 254件 | ||
3 | 231件 | ||
2 | 208件 | ||
1 | 878件 | ||
合計 | 2118件 |
病気や事情があって子供を産めない人や相談所等に通って頑張っても結婚や子供に縁がない人はいる。それでも子供は天の授かり物だから健康で夫婦仲も良くて10人ぐらい子供を生んでいる大家族の人たちが子供を育てて頑張ってくれてるし、税金も子供の教育等に使われてるのでそれなりに上手くまわっている世の中だ。少子化になったらなったで仕方がない。少し前のベビーブームが人口増えすぎ説もあるから、人がすくなくなっても、そういう世の中になったりまた人が増えたりなんとかなるのではないかな。自分も憂うときはあるけどあんまり暗くなっても落ち込むから楽観していたほうが楽しい。「絶対に結婚」とか「子供は生むのは当たり前」等の誰かが何かをしなければいけないとの意見は耳にたこが出来るくらい聞いてますから(汗)
第一、直虎自体が結婚もしてないし子供生んでないから。直虎こそ、今の少子化とか働く女性とか、そういうタイプに入りそう。
それにしてもなんだろう。直虎は苦労してなさそう、和尚やまわりの人達に甘やかされてる、ってのがキーワードではないかと。
何週にか渡って直虎に具体的にやり遂げるべきことが出てきて頑張る姿とか(いつものように他の家臣や盗賊たちの助けなしで1人でなにかやるとかね)、
誰か直虎にキツく諭してあげる人がいたらだいぶん違うのにな。唯一それに近いことを言ってた小野もいなくなってしまったし。別に直虎が盗賊と恋に落ちようが自由なんだろうけど、小野がいなくなった直後の~あのお花畑キスシーン(予告)が、あちゃ~やっちまったよ~って見えてしまう。
曾祖母は7人目の子と共に産褥で30代で死亡し、大叔母は資産家に嫁ぎ、一人息子を産みそれなりに長生きした。ほぼ同世代の2人が近代に於いてさえこの違い。現代は更に個人差がありますよね。子供産みます働きますという女性が好きな方って今いるのかな。
直虎が、ヒヨコちゃん、ピヨピヨだから、直政が、おばはん、
いい加減にせんかーいって、(ノ`△´)ノ立派になったのだ。このドラマでは。
つい視点が横滑りしてしまう。失礼しました。
直虎が龍雲丸を槍で刺し殺す夢は、気賀の築城を勧めた直虎のへの因果応報を暗示している。
当初、龍雲丸たちは築城を拒否していたのに直虎の説得で築城を受け入れ、結果的に直虎が気賀の民や龍雲党の仲間を殺したことになる。
これまでのドラマを振り返ると、直虎の行ってきたことは全て裏目に出てしまっている。
まさに、オープンニング中間の荒れ地の状態。きっとこれからオープンニングのように芽が出て巻き返しが始まるのだろう。
✕✕丸の創作は、四神旗に絡めたいからか? 7年前に龍馬伝の時、四神すべてがありますねとNHKに投書したことがあるが。龍馬、亀山社中、酉年生れ福山、寅年制作。
ネットで見かける政次と直虎を強引にくっつけ、それ以外を許さないおばちゃんの脳内ファンタジー本当やめてほしいわ。
欲求不満ぶつけんのやめてくんない?
今までの大河で主人公が恋愛していないのなんてないし、真田丸なんて長いキスシーンがあったし。大河は側室がいっぱいいて不倫も恋も盛りだくさん。
それに比べ今年は純真だよ。龍雲丸は魅力ある人物だし、直虎スーパー買占めおばちゃんが、恋をして何が悪いってんだ。
震災で買い占めることしか考えていなかったおばちゃんが、恋をして魅力的な人間に成長できんだよ。
それがたまたま、子供の首まで爆買いを手伝ってくれた政次王子じゃなかったというだけの話。諦めなさい。
多少の恋愛を描くのはいいけれど、相手が政次にしろ龍雲丸にしろ、直虎の恋愛は、もうおなかいっぱい、という感じ。
次に描くのなら、直政や高瀬といった、次の世代の恋愛にしてほしい。
しかしさ、震災で我が家のために買い占めする主人公おばちゃんの今までの王子は買い占めを手伝う直親と政次だよ?
全然成長ないじゃん。
人間的に成長できないような(恋)愛だから、王子は二人とも死んでいくんだよ。
次世代のガキの恋より、主人公の恋と成長よ。
龍雲丸は全く異質価値観の住人で、直虎と喧嘩すりゃ論破する。お家事情も客観視できるだろうし、
お互い人間的に高め合う関係としては最適な訳よ。
龍雲丸への恋や出会い話がなければ、
ただの買占めおばちゃんが、
よぼよぼ婆ちゃんになって終わりだわ。
直政は勝手にでかくなりました、ほんで終わりじゃん。
つまり、この大河がつまらないのは、登場人物がみんな直虎の方ばかりを向いているから。
存在意義が登場人物本人になく主役に置かれているから。
ですね。
この点が、大河ドラマとは一線を画すんだと思うんです。
ある一時代に生きた人々の生み出すエネルギーが大きな一つの流れに束ねられていく様を感じられれば、ドラマの作りがどんな体裁であっても、大河ドラマの醍醐味は味わえる。だから、クドカン大河には期待しています。
>登場人物がみんな直虎の方ばかりを向いているから。
そうそう、直親、政次王子も寺の坊様も、農民も
買占めおばちゃんの洗脳にあってるわけよ。
洗脳っていうと語弊があるけど、
感情が統一されているから、洗脳という意味よ。
普通ありえねーから。
だから龍雲丸の
「(乱世時)力が強い奴がいたっつうだけで武家なんて大泥棒じゃねぇか!」
これは訳すと、
「(震災時)気が強い奴がいたっつうだけで、おばちゃんなんて買占めしてるだけじゃねぇか!」
別に偉い事でもなんでもない事で、
偉い事で通っているから
直虎に王子も坊様も井伊谷の人も顔が向いてる訳。
偉くもない事を偉い事で通すのを洗脳っていうんよ。
宗教じゃないんだから。
だから、龍雲丸が直虎に一番いいんよ。
申し上げにくいのですが、今ひとつ、意味が、わかりにくいのですが、お若い方の文章と言う事は、理解出来ました。
間違っていたら、ごめんなさい。
直虎もおばちゃんじゃなかったじゃなかったっけ?
買占めおばちゃん・・!言いえて妙な所あるなあ。
確かに戦国時代の戦いって、そんな美化できるものではないはず。まあ大河ドラマとしてはその部分を美しくドラマ的に見せないといけないと思っているのだろうけれど、実際は殺した殺されたの戦争のようなものが国内で何年も続いてるだけの話だものね。領土の奪い合いってのは。
9ヶ月近く見てきて、そういう世の中は駄目だとか、もっと平和に、とかの話が直虎からあんまり出てきてないので、そういうのをほったらかして恋愛に夢中になってる小娘の印象が強くなってしまう。最後の方に反戦的なものとか、そういう方向にメッセージにシフトするのだろうけど、ドラマ的な面白さや上っ面の歴史を追いかけるのに夢中でそこまで気がまわらないみたいだ。
本当は、直親や小野が亡くなった現時点でもう少し本人が悟りをひらいてほしいですけどね。そうは見えなかったけど一応お坊さんだし。
登場人物がみんな直虎の方ばかりを向いている問題。
小野が何年も直虎に恋愛感情を抱くというより、もう少しなつとの関係性がちゃんと出ていたら。なつもあれだけしつこく小野を追いかけまわしていてようやく深い関係になったのに、いきなり小野が死んでも「直虎さんに処分されたら本望です」みたいなそんな心境になれるのが不思議だ。ここでまだなつが直虎を恨んで・・という展開の方がまだドラマに入り込めそうなのに。ここら辺がきっと「登場人物がみんな直虎の方ばかりを向いている」問題なんっだろうな。
確かに、直虎にいいように、皆が意向を汲んでくれる。
お嬢様扱い過ぎて、感情移入できない。
現実の私たちは、何もかもすんなりうまくいくわけがないし、
(と書くと、直虎も、すんなりうまくいってはいない!みんなが殺されてるし!と反論する人が出そうだが、そういうのではないんだよね)
気持ちをわかってほしいと思っても、全く伝わっていなかったり、かえって、誤解されて、叱られたり、嫌われたりすることも多いのに、ドラマの直虎が、理解のある人に囲まれて、「語らずともわかってくれる」になっていることに、違和感を覚えるのだ。
直虎の人徳というけれど、浅はか、直情的、自分勝手な未熟な部分が強調され過ぎていて、とても人徳があるように思えない。
でも登場人物がお殿様の方を向いてない大河ってありましたっけ?
通常お殿様には無条件に従うような大きな存在であるはず。
たとえ我儘なお殿様に対しても命を賭けて守ったりすることも良くあります。
もしかして直虎が城主っぽくないからまたは女だから違和感を感じるのかも知れませんが
人柄は良いが頼りない女城主を井伊の人々が慕うのは普通のことのようにも私は思えます。
いえ、登場人物は、最初からお殿様のほうを向いてるわけではないです。
私が好きな大河ドラマの主人公は(あえて名前は出しませんが)、生母にさえ跡取りと認めてもらえなかったり、家臣団が内部分裂して、一部の家臣に主君と認めるのを嫌がられたり、ある事件がきっかけで、ずっと腹心の部下だと思っていた武将に出奔されたり、波乱な人生を歩んでいます。
家臣たちは、生身の人間ですから、おいそれとお殿様の思うようには動いてくれません。そんな状況も含め、苦境をどう乗り越えていくのか、その過程を描いてくれるのが大河ドラマだと思うし、観る醍醐味だと思います。
はっきりとは覚えてないけど「独眼流政宗」では主人公が実の母親に殺されようとして逆に子が母を殺さなければいけないような(それは多分、未遂で終わった)展開になったり、「武田信玄」では主人公が実の息子を幽閉して最終的に死んでしまったせいで息子の嫁(古村比呂が演じていた)に死ぬほど恨まれて視聴者がドンびくほど信玄が義嫁から暴言をあびていたり等が印象的です。家康は実際に自分の妻子を殺していますし、この時代は実の息子や親までも戦いの秩序のためには殺してしまうような状況になってしまうのが普通だと歴代の大河を見てきて印象に残っています。「直虎」みたいな甘々大河を見ていたら、自分は物心つくころとかに昔の骨太の大河を見ていて良かったと思えました。
家臣というのは基本的に城主たち上役に忠義に接しないとこの時代はやばいですし、そこを揉めてやめても流浪の流れ者になるだけだから、よほどのことがないと使えている者には反抗しないでしょう。なので直虎が周りの家臣に慕われてるといってもよっぽど性格の悪い当主ではない限りそれが普通なのはわかるんですが、家臣云々と言うより、母親とか和尚とか、死んでしまったけど小野とか家臣以外の人物の直虎に対するスタンスが甘ちゃんなのだから見ていて物足りないという人が多いのでは。
(もしや制作者たちが直虎の「甘ちゃん」を「尼さん」とかけている!・・のかな)
そういえば「武田信玄の」家臣の児玉清が信玄の妻の侍女みたいな小川真由美に誘惑されて夜な夜な会いに行くシーンは何だかドキドキした覚えがあるなあ。家臣だって人間だから弱いところも駄目な所もあるんだろうけど、直虎の家臣たちは普通に品行方正な人達ばかりで面白みは無い・大河ドラマなのに、家臣団たちは常に「7人の小人」のひとたちみたいなのんびりとした幼さがずっと漂っている。
直虎以外の人物のエピソードやキャラクターがしっかり書ききれてないから、全て「直虎」の話に帰結しているのかも。
例えば短いシーンでも直之やすけざとかが直虎以外の話、例えば好きな女性がいるけど告白できないみたいなシーンを入れてそれを何週かに渡って短いなりにも繋げていけば、直虎以外の話になって複数人物の群像の話にはなる。
これまで9ヶ月近く、いくらでもそんな時間があったのに、直虎以外の人のエピがほとんどなく、あったとしても思い出した頃に今川とか信玄を歴史にからめた程度に浅くちょこっと出すだけなので、記憶に残るのは色ボケしてる直虎の話だけ。
盗賊の若い者たちの恋愛なり色んな話をもう少し突っ込んでくれればこないだの放送でももっと思い入れできたかもしれないのに。
という勿体無さがあります。
実はちゃんとした脚本があって、それをエロやグロや暴力的なところばかりを強調して表現したり、いろんなエピを抜いたりしてわざとスカスカな内容にしてるのかと勘ぐってしまうほど。
期待してたのに残念。
グロは言い過ぎました。
忠義と洗脳は違うんだよ。
似てるけど本質が違う。
家臣の忠義っていうのは、善であろうが悪であろうが
それを理解しながら清濁併せのんで従うってこと。
だから、哀しいし、深いし、美しいんだよ。
そしてやっぱり自分に従う結果、親子で殺し合ったり、
謀反が起きたりする。
それと違って直虎買占めおばちゃんの周囲は虚構の「善」に従っている。
井伊谷の人間だったり、農民だったり、政次王子だったり、小野家臣だったり、なつだったり、坊様だったり、
なんか知らんけど、買占めおばちゃんを虚構の「善」に持ち上げている。
「俺だけが地獄に行く」ーアホか、子殺しは直虎も同罪だろ。
「夫である政次は直虎に殺されれば本望です」ーアホか、直虎がしたことは、なつにすれば悪だろ。
何、この直虎おばちゃんを「善」としなくちゃいけない苦しい空気感は?
虚構の「善」で作られた空気感に従うっていうのが、洗脳だよ。
宗教でいうなら、教祖を善人に仕立て上げる空気。
教祖を悪呼ばわりする奴は許さん空気。
直虎は自分を善人って思っているから
政次殺して精神崩壊してんだから、
登場人物の中では龍雲丸のいうようにほっとくのが一番ってことやな。
ヨチヨチ甘やかしてるなってこと。
議論や雑談は「お茶の間」をご利用ください
2017-08-31 17:08:52さん
12話以降は細かくは覚えてないですが、来週の龍雲丸介抱やラブシーンの念入りさなどはどう考えても少女マンガ恋愛シーンですし、再三にわたっての龍雲丸の引き止め、酔っ払っての龍雲丸への俺のものになれ、発言や一緒にのこぎりひいたりのお花畑描写や、一連の直虎と政次との意味深な会話や、見る人によっては愛の言葉とも言えるらしい最後の2人の会話のしつこさなどまさに、なぜどこまで2人の世界に浸れるのかと頭を傾げたくなるようなお花畑満開シーンです。
何話か忘れましたが直親の最後のセリフ、直虎への愛の言葉などは戦国時代どころか今の時代の男性でもあんな歯の浮くような甘いセリフを男性がいうのかなともむず痒くなりましたし、そんな直親も龍雲丸と直虎の2人の今後の関係のためか突如スケコマシ認定されたのかが悲しかったですが、少し思い出すだけで恋愛描写に満ちているドラマですよ。毎週のようにそういう描写はしていなくても、念入りにそのシーンが描かれたりここぞというシーンで男たちは直虎への愛にあふれているので見ている方はそういうドラマなんだと見てしまいますね。
もうこのドラマは無理かもと思い始めてから、それほど期待してなかった来年の「西郷どん」へと気持ちは向かっています。来年へのハードルが多少、低くなる。そこの部分だけはこのドラマの良い部分といえます。
来年もある意味 おんな大河で期待薄だが 原作があるだけ今年のおもんな城主よりは ましなような気がしてきたwww
脚本家は歴史に疎く、大河を歴史から解き放ちたい、エンターテイメントをお見せしたいなんて言っていましたね。
エンターテイメントって、中年の直虎の無知や不甲斐なさや我儘で自己中心的な性格を長々と見せ付けたり、盗賊とのイチャイチャにかなりの時間を割くことなのでしょうか?
または主人公以上に製作スタッフの寵愛を一身に受け続け、終には追悼CDまで出すほど脇役の政次を持ち上げて不憫の押し付けを視聴者に対してすることだったのでしょうか?
製作陣はすべてのキャラクターを等しく愛しておらず、依怙贔屓が激しく、一部登場人物以外の人々は全て直虎の都合の良い様にしか動きません。
まるでゲームのキャラクターの様に、意思を持たず、こう動くことが決まっているという風に。
家臣達の日常も何も想像すら出来ないのは上でも書かれているように、其々の背景や普段の生活が何となく伺える程度の小ネタも無く会話も無いからではと思います。
直虎が何かをやらかしたり実行する時にだけ突如現れるという印象です。
歴史への造詣が深く、また大河ドラマや登場人物達に対して尊敬や愛を抱いている脚本家ならば、主役は別にしても登場人物其々にスポットを当てて、せめて家臣達くらいは其々の物語を無理無く描ききれる筈だと思ってしまいます。
少なくともこれ迄の大河ドラマはそうでした。
一部キャラクターだけ殊更に贔屓されたり、持ち上げられたりといった事は無かったです。
史実が余りにも少なく、脚本家の好きな方向へ話を持っていける事が逆に仇となってしまったのでしょうか。
追悼CDなんて正にその集大成です。
とりあえずもう恋愛ドラマは懲り懲りなのですが、予告を見る限りまた何か始まりそうでうんざりですね。
はっきり言わせて貰えれば、もう中年の癖に発情期の中学生みたいな思考の恋愛を描写するのは辞めて頂いて、どうせ時間を割くなら直政や高瀬など若い世代の爽やかな恋愛を描いて欲しいものです。
政次ロス再登場説が、浮上していますけど、高橋さんが、政次以外の人物で・・・・
世間では、そんなロスなのかな・・・・
私は、もう、恋愛は、結構です。直政の成長の話しにして欲しい。男性からならともかく、この時代のおばさんが、自制心なく、女性からモーションかけるのは、どうなんだろう?
しかも、城主に戻るのなら、尚更、直政に、それこそいい加減にせいよ❗
おばさんと言われてしまう。
買い占めおばさんの意味が、さっぱりわからないので、話しに
ついていけない。悲
恋愛シーンについて説明ありがとうございます。
好きで見てる私よりよく覚えてますね。
なんかもったいないような。
どれも話の流れの中ですし、ベタベタした感じがなかったので、深刻になりがちな物語のいい息抜きだと思ってました。
スケコマシの話は私のお気に入りのシーンです。
直親のことでしのに本音を言えない直虎と、女主人として弱音を吐けないしのが、直親を想って初めて2人で泣きじゃくる。
すごく良いシーンだと思いました。
深読みは間違ってる場合も多いので、しません。
自分は好きなものしか見ないし、所詮人の作るもの。自分の感性と完全に合うことはないので。
おばさん、て。
みんなおばさんになるでしょ。またはおじさんに。
龍雲丸は、直虎に会わなければ、自分の仲間達を殺されずに、
すんだのに、幼い時も親を殺され、そして、それを教訓に仲間達を大切にしてきたのに、虎の穴に落ちたんだ。[タイガーマスク]仲間達の命の方が、大切だったと思いました。
自分が、作り上げてきた理想郷だったから。
直虎さんには拉致誘拐監禁される癖でもあんのかね。
>みんなおばさんになるでしょ。
そうそう。
恋愛嫌っていうひとは見なきゃいいのに。
歴史秘話ヒスとリアとか?
片岡愛之助歴史捜査とか?
過去の大河は不倫満載だったよ。
その中でも北条時輔の恋愛は良かった。
恋愛はいいよー恋愛は好きだな。
ゴクウと井伊で仲良くなった娘との恋愛エピソードも作ってほしかった。娘がゴクウに謝った時、すごくいい雰囲気だった。
これは、直虎さんの恋愛ドラマなのか。分からないけど恋愛をして井伊谷を守った
というドラマ?。はっきりしないから迷う。うまく書けないけど、鉄砲の練習に
明け暮れて一流になり城を守ったとか、政略結婚をしたけど、殿を愛し、歴史の
変わり目に大きく影響した女性とか、そんなドラマを見慣れているから、どうも
ピント来ない。新しい風といえば新しかなと思うけど、どうも何かにつけて、
おおきな筋の戦略もなく、いきあたりばったりの自己都合。最終的には徳川の配下
になるとは思うけど。
そうだよね、恋愛ドラマって言われているけど、直親はしのと結婚したし、政次は直虎と結婚できる立場になったけど、なつと結婚した。直虎は直親と龍雲丸には恋心を描いていたけど、いずれも今まで恋愛にいたっていない。今までの大河だと主人公は恋愛だったり、政略結婚から話がはじまるから、はっきりしてた。利家とまつのように恋愛からはじまってどんどん話が展開していくのに慣れていたのかもしれない。
一応、歴史ドラマなので、歴史をしっかり描いたうえで、恋愛を描くのならば、なにも文句はいいません。
「直虎」は、歴史ほったらかしで恋愛ばかり描くので、批判が出るのではないでしょうか。
「直虎と政次を結ばせてあげたい」(今は、「龍雲丸と」になっている)
というコメントを見ると、げんなりする。
そもそも、最初から、そういうのを目指してるドラマだったっけ?
このレビューの、頭に書いてあるあらすじ。NHKが出した内容ではないにしても、「愛を貫いて」「一途な愛」という言葉はあるけど、決して恋愛がメインの話ではないよね。
でも今の流れは、歴史的事件、重い、深刻な出来事を絡めながらも、直虎の恋愛、直虎への(男性陣の)愛がメインになっている。
実際、世間の感想も、恋愛成就するか、しないか、してほしい。といったものが多い。
過去の大河でも、もちろん恋愛も、不倫(という考え方自体が、極めて現代的)も、ドロドロした愛憎劇も描かれてはきた。
でも、それがメインではなく、登場人物や、事件を描くために必要なエピソードのひとつに過ぎなかった。恋愛以外の部分が丁寧に描かれてこそ恋愛シーンが活きてきていた。
「直虎」も、時間をかけ、もう少し掘り下げるべきところを丁寧に描いていれば、「恋愛話」と言われることもなかった。
恋愛話が出てきても、それだけで頭の中が占領されることもなかった。
再度、あらすじの話に戻ると、今の直虎はすでに「いいなずけへの一途な愛」ではないし・・・。
なんか、変なことになってきていませんか?
まさに迷走状態。
恋愛大河というならダラスとかダウントンアビーぐらいやってくれないと。
大勢、亡くなってるのに、恋愛を絡めてくるから、不自然な のでは⁉
自然の流れなら批判は、でない。
微笑ましく見える。
ゴクウの時は、もう少し話しを付け足したら可愛かった。けど、そこまでは、回らなかった見たいだね。
なんか、変な所に時間をかける。
遠江錯乱といって一帯が大混乱していたという時代、その全体の動向きが井伊に影響を与えないはずがないのに、
この前まで今川=ドンパチ=井伊、政次=ハート=直虎のどアップばかりが続いて、全体像がさっぱり見えなかった。
だから、突然ハッと思い出したかのように、誰それがどうなってどうなってと話が動いても、今までの説明不足のゆえに、まったくピンと来ない。
その人物がそうなる必然性もよく見えない(近藤とか)
異常な取り立て方をされた政次、次点の盗賊頭以外は、それぞれの人物の思想や背景(境涯)もはっきりしない。
でまた、ここに至って「戦乱の世」でございと、先だってから殺害シーンをぞくぞく大量投入。
内容やコンセプトは花畑路線のくせに、いきなり振り切れた色情や残虐性を勃発させるというのが、このチームの癖だ。
まったく好かない。
そもそも、戦乱の世の残酷さって、殺し合いばかりじゃない。
生き馬の目を抜くだましだまされのサバイバル、肉親さえ見捨てねばならない冷酷さ、弱い者から倒されていく情け容赦ない淘汰…
そんなものをきちんと描く覚悟もないくせに、血を見せるところだけドヤ顔するなと言いたい。
改めて、群像を描くことと、バランスと整合性の取れた全体構造を作ることが、ものすごく下手クソで、全然できていないドラマ。
ドラマの基本中の基本がまったく成立していないということに、今さらながら震える。
政次が刑を受けて首を差し出すだけで良いものを、、、
それじゃあ何か物足りないでしょと言わんばかりに自らスポットライトに躍り出て
私たち井伊存続のために引き裂かれる悲劇のカップルよぉ〜の磔劇場
翌週には一転
わたし、もう何が何だかわからないのよ…
と精神的ショックゆえに夢の中に引きこもる悲劇のヒロインに。
直虎劇場。急に興奮して恋人との苛烈なやり取りを披露したかと思えば、今度は思う存分ドーーーンと堕ちてみたり。
ひとり相撲。周りがどこまでも見守っててくれるからね。
井伊城主、優雅すぎて笑える。
それと、このドラマを見て、回りが、きゅんきゅん感染を始めるので、余計にもう、ラブは、結構ですとなる。
そして、側室とかも沢山、いた時代では、あるけど、それも適材適所で、入れて欲しい。そのラブバランスが、滅茶苦茶。
私はこのドラマ、いいと思うけどな……
ゆる〜い話から突然残酷な話になるから面白さが倍増する。まるでジェットコースターのよう。なかなかいいテンポだと思う。お花畑も、血みどろも両方あるから飽きない。お花畑が飽きそうなちょうどいいタイミングで血みどろな展開になり、血みどろが嫌になる頃にお花畑がやってくる。
話の辻褄も整合性もそれほどへんじゃない。自分で想像できるレベル。
ちなみに直虎はおばちゃんじゃないと思う。
10代の爽やかな恋愛なんて別に見たくないし、30代くらいの男女がなりふり構わず青くさい恋愛をする姿の方が人間くさくて面白い。
下品で残虐で哀れな姿こそ本来の人間の姿だと思うから、血みどろなシーンは見応えがあっていい。
ということは、政次は史実どおり井伊の敵として死んだほうが、ストーリーの展開としてはすっきりしたのかな。そこに、直親、龍雲丸への直虎の恋を絡ませればよかったわけだ。なつとしのは姉妹だが、なつは小野を選び井伊と敵対する政次に尽くすストーリ。政次はなつを愛し小野家をなんとかしたい。これなら歴史をしっかり描けるよね。歴史ストーリとして政次が直虎に恋というのが間違いなのでは?
私も10代のさわやかな恋愛なんて見たくない。社会経験を積んだ30代で恋愛のほうが共感できますよね。
政次、直親が直虎に恋をする三角関係からはじまったのでそれが重かったたということかな。直親、直虎は恋愛関係になっても歴史的にしっくりくるが、小野とは史実どおり敵対する。政次は政次で頑張る。直親はしのと結ばれ直虎は振られる。直虎は井伊の建て直しをする。今川ともうまくいくよう頑張る。そこに元清水城主の子である龍雲丸が盗賊として現れる。史実の新田と整合する。史実に合わせて作れば良かったということか。政次の直虎への恋が多すぎだったんだな。
歴史をしっかり描いたうえで、恋愛を描くのならば、なにも文句はいいませんという方々の気持ちがやっとわかりました。政次の直虎への恋が余計だったんですね。小野は史実どおり敵対すべきでした。
戦国時代の30代は、現代では40~50歳に相当します。
つまり、熟女の恋愛を楽しむという感じなりますね。
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