5 | 547件 | ||
4 | 254件 | ||
3 | 231件 | ||
2 | 208件 | ||
1 | 878件 | ||
合計 | 2118件 |
私は直虎が好きですが、自分が好きな物だけが良いものとは思いません。
私には面白く思えないものにも良いものがあるはずだと。
なので、強い口調の書き込みにはびっくりしながらもあと残り少し。
毎日曜日を楽しみに来られたことに感謝して、ラストまで見守ります。
井伊の再興を諦めたから、虎松は松下の養子として領主になる教育を受けられたのですよね?
母親と一緒にいられたし。
そうでなければ、寺にずっといることになったのでは。
だからこそ直虎は悩んだし、和尚もそう決断したのだったと思ってましたが。
人情コメディに一票!確かにそうですね。このドラマを肯定的にみるか否定的にみるかは、それをよしとするかどうかなのでしょう。人情豊かに人の機微を描いたという受け止め方もあれば、朝ドラ大河、ジブリ大河、ラブファンタジーなどの受け止め方もあります。自分は葵三代や風林火山、平清盛が好みなので、直虎を否定的に観てますが。朝ドラを楽しめる視聴者かどうかという差かもしれません。
直政以前と直政以降では、井伊家は伊井家でも、別ものだと思います。
厳しい意見ですが。
このドラマでは、直虎は、1535年頃生まれの女性説をとっていますが、1553年頃生まれの男性説もあるようで、その説では直虎は、小野家による城の乗っ取り・徳川家の遠州侵攻あたりの混乱した中で、命を落としたのではないか?と考えられているようです。
当時、家が潰れるということは、当主はもちろん、一族郎党が命の危機に陥るような厳しい状況だったと思います。このドラマでは、ほとんど描かれませんでしたが。
色々な意見、興味深く見ている。
昨年の真田丸で、大坂夏の陣の際、やぐらの上から、幸村が徳川軍の中に赤備えの井伊軍を見つけ、「井伊家もここまで来るには色々あっただろう」という台詞があった。
あれは明らかに、脚本の三谷幸喜からの次作へのエールだった。
今、これまで今作を見てきて、本当に色々あっての再びの井伊なのだと感慨深い。
今度は森下脚本の今作の同じ場面で、大坂方を攻め行く井伊直政から幸村に、返礼エールがあるかもしれぬ。楽しみだ。
菅田万千代と阿部サダヲ家康、最高です。
あと菜々緒の瀬名が美しすぎるんだけど、おとわが相応に年齢を重ねたメイクにしているのに、不自然じゃないかと思いもするけど、家康の権勢の象徴、と思えば納得かな。
しかし家康と瀬名はツーショットが少なすぎて、夫婦とは思えない。ま、並ばれたら並ばれたで、やっぱり夫婦には見えないが。
いままでの全てを忘れれば、直政編を楽しめるのですか?
近藤さんにしろ、家康さまにしろ、さんざん悪人や阿呆のように下げといて、急にいい人面されても、なぁ…というのが正直な感想です。
悪行に落ちをつけないのは、叱られるのがキライな若者に合わせた、いまの流行なのかしら。
直政の話だけならよいのかも、とは思いつつも、
これまでのくだりからの「お前が言うな!」感がひどいので、直虎の声が聞こえたところで、慌てて家事の手を止めてチャンネルを変えました。
ああ、座りが悪いドラマ。
―――すごく、気持ち悪い。
ラスト1ヶ月で主要人物も変わったから、今まで離れていた人が最後だし見てるので視聴率アップしてるのでは。
菅田くん、個人的には好きだけど、ここファンサイトみたいですね。褒め以外何も言えない雰囲気(前に激しく反論されてるのを読んでこわかったし)。
菅田くんも良いけど、万福とか尾美さんとか高嶋さんの出番がちゃんとバランス良く配分されてきたので、まだ見れるようになった感じ。それなりに面白いけどラスト2ヶ月だけ違うドラマみたいだし違和感が。もっと直政を見てみたいと思うような展開になったけど、それって微妙な終わり方だよ。終盤になってバタバタしてるのより、ラスト1ヶ月は今まで1年近く見てきてゆったり締めるような終わり方の方が好み。
忠臣を自分の色恋に目が眩んで行った間違った采配で死に追いやり、数百年続く家を滅亡させた女が、悲劇の原因の盗賊と女の幸せを謳歌しへらへらしていた数話がその後の影の当主としての振る舞いを白けさせる。直政パートは面白いが、直虎パートは全てが嘘くさい。政次パートの大国に翻弄される弱小家の悲哀は迫るものがあったが、市井の民を描いているとの評価があるようだが、武田に焼かれた里の人間の恐るべき前向きさは全く響かない。自分の家を焼かれてもなんともない農民が木を植えることには難色を示し長老の一言ですぐ受け入れる、御都合主義な脚本にはうんざりした。歴史の都合が良いところ、通と思われるところをつまみ食い、本当にあざとい。良い話もあるが、評価は上記。
虎松の代わりに死んだ子に誰一人として一切報いる気がないことに憤りを感じる。将来虎松に井伊家を継がせるためでなかったら、何のためにあの子は死んだのか。万千代を戦に晒したくないのであれば、策を弄して出世を遅らせるのではなく、「お前のために命を賭した者がいるのだから、命を大切にしなさい。自分の命と等しく他人の命も大切にしなさい」と説けばいいのではないだろうか。それこそ仏門に帰依していた者としての説得力が生まれそうな気もするけど。
このドラマがつまらなく感じるのは、器が大きいとか才覚があると、いつもそういう表現の台詞が出てくる点。
作家が、器の大きい人とそうでない人と区別をすることにこだわり、この視点からいつも物語を組み立てる。
器が大きい人間はこんなに発想が柔らかく、大胆で、忍耐があるのよ〜そしてちょっとの魅力的な欠点もね!という事をとにかく念頭に置いてる。
そういうところがあざといというか嫌らしく、嫌い。
とにかく森下さんの「この人は器が大きいか、小さいか」に対するこだわりようは異常。
自分のことも、バイタリティがある側の人間なんだという自負をどうしても隠せない感じ。
最初10話くらい我慢して見て以降、
ヒステリック女の妄想するラブファンタジーすぎて我慢の限界でずっと見てなかったけど直政が出始めたと聞いてまた見てみた
直政、家康、徳川家の人々の話はいいね
ただ直虎が出るとかったるい
ストーリーはとても面白い(龍雲丸の存在は微妙だが)のだけど、
本音をいうと直虎の人の演技は今一つかな。他の俳優がみなうまいだけに、少々、残念。
感想サイトで比較サイトじゃないから、
他作品の話は別のところでいいでしょう。
荒れるだけ。
十人十色だから好みは自由だし、面白いと思う人がいても当たり前だから、そんなに比べなくてもいいのではと思う。私は前作は時々しか見なかったけれど、ほぼ無名の直虎の物語を楽しんできました。人それぞれだよね。
「真田丸」は最初から子供や若い人を大河に取り込もうと
意図して作られたドラマのように思います。
それからすると本作は見る人を選ぶかも知れませんね。
けど、そういう作品もあって良いと思うし、
私はこちらのほうが好みにあっているようです。
うーん、好き嫌いを別に客観的に判断するなら、
一昨年が駄作で、去年と今年はパッとしない作が続いた。
そんな感じじゃないの。
真田丸、終盤や最終回は良かったけど、途中は
かったるかったよ。
直虎も、龍雲丸あたりはつまらなかったけど
政次、万千代 は面白い。
私からしたら、どっちもどっち。
ほんと、わたしもそう言えばどっちもどっちだ(笑)
なんでこのスレで真田丸真田丸言ってるんだろう?
それほど真田丸のインパクトがあったと言ってるようなもんだよ
所詮 イケメンらしき俳優に おんぶにだっこ
それ以外に何もない 空想時代劇らしきもの
こんなものは、断じて大河ではない。
3年後まで暗黒だな。
私もこのドラマ、概ね楽しんでみてます。
ただ、直虎とカシラの恋バナは不要だと思った。
あれがなかったら、もっと評価は上がったのにと残念。
今、第一話から少しずつ録画を見なおしているのですが、
さすが密度の濃い作りで感心しています。
ただ、これだけ一般に知られていない大きな業績もない主人公なので、
当初から視聴率は苦戦するだろうなと危ぶんでいました。
直親時代はまずまずと思ったけれど、その後は大きく失速、ふらふらの低空迷走飛行が続き、盗賊といい仲に・・・のところでついに墜落したと思った。
もう、このドラマに浮かぶ瀬は一切ないだろうと思っていたところ、直政の段でなんとか持ち直した。
直親―直政ラインが、このドラマの大崩落をぎりぎりのところで何とか堰きとめたと言っていい。
演者も、三浦春馬のときも、将来の大河役者として期待を感じさせたけれど、菅田くんも同様。
二人とも目が強くきりりとした容貌なので、時代物がとてもはまる。また、立ち居振る舞いも端正で美しく(特に三浦春馬は気持ちよかった)、よく勉強していると感じた。
この二人を時代劇で見られたことが、今年のドラマの収穫。
良く出来た大河ドラマが建築物(BLDG)だとしたら今年のはBL止まり。(内容の密度が)半分しか無い。
初めと現在は大河くさいが、俳優さんたちは演じてて物足りなかっただろうなと感じてしまう(個人の感想です)。
だいたいあまり作りが緊密でなく緩いドラマですが、中盤は、骨粗鬆症のように密度がスカスカでしたね。
骨を作るための栄養が偏って、物語全体の骨組みがぐずぐずになっていた。
骨折寸前で、今やっと栄養不良の状態から立ち直りつつある感じ。
果たして健全な体に戻れるのかどうか。
それをじゃまする毒素がまだ完全に取り除かれていない限り、最後まで安心はできない気がします。
戦国の世を小大名である井伊がどう生き抜いて来たかがテーマのひとつでもあっただろうに、戦のシーンはほぼカットで戦と正面から向き合っていないのが歴史好きとしては物足りない。
ドラマにおいて「器が大きい」「才覚がある」というのはその人物のこれまでの経緯や功績、人となりを見て視聴者が自ら感じ、判断するものであって、登場人物にわざわざ言わせることではないと思う。上手く言い表せないけど、実際には取り立てて特徴のないラーメンでも、周りの人が美味しいと言っていると、なんとなく美味しい気がしてしまう、みたいな感じで、無理矢理納得させられるというか思い込まされている感じがする。なんとなく恣意的なセリフであるように感じてしまう。
一口に言うと、余りバランスのよいドラマじゃなかった。
ものすごく魅力的な回と、あまり熱心に見ない回と、
交互に来るような感じ。
脚本家自身が迷ってるのかなという印象を受けた。
たぶん視聴率があんまりなんで、局のてこ入れが入ったのかな。
けれど魅力的な回は、TVの前でかじりつくように見たし、
何度も何度も録画を見なおした。
いまの万千代のストーリーは落ち着いてみられるし、
録画も一度か二度は見なおしてる。
そんな感じかな。
私の好きな回は、政次の本心が直虎にバレる回と、死の帳面(笑)浅丘ルリ子が怖くてゾクッとした。
あとはあんまり印象に残ってないなあ。この先も多分なさそう。
赤ちゃんはまだか?とか検地がやってきたとか、しょうもなすぎた。政次もよかったがしつこかったし、顔芸やりすぎたし、色々やってたが大した人物には思えなかった。直虎自身も含め凡人ストーリーを人情豊かに描いただけだ。それに戦わないエセ平和主義も鼻につく。レンタルで昔の大河の太平記を観ているが、スケールの大きさ、台詞や所作の見事さ、全てが今と違う。大河は歴史を重ねて逆に劣化してきたのかと思う。
確かにこのドラマに限らず最近の大河は、全盛期の作品に比べると劣化甚だしいですね。局のスタンスも変化したのだろうし、視聴者の数も激減しただろうし。昔は一定の視聴者数があったから、局もじっくりと腰をすえて良作を作る余裕があったのでしょう。そういう危機感はもう何年も前から私も感じています。
時代も変化してる。昔のような重厚感溢れる大河を製作しようとは、そもそもNHKは考えていない。
だって、昔の大河を作ってたのは戦前・戦中世代。今のスタッフは、最高齢でも昭和30年代後半生まれ。しかも中心となっているのは昭和50年代以降生まれの世代。
価値観が大きく異なるし、享受してきた文化も違う。
昔の大河、昔の大河って、いつまでそこを基準に考えるのか。
今は今の大河で良い。昔の大河のみ良しとする人達はDVDを見れば何回も楽しむことができますよ。
なにも昔の大河がいいと言っているわけではない。
今の大河でも 不出来だろってこと。
特定の○○だけに媚を売ったようなあざとさが萎える。
今の大河が直虎や花もゆという有り様。視聴率も低空飛行ではっきり言って、今の大半の視聴者には受けてない。海外ドラマに到底太刀打ちできないね。
せっかく歴史ブームなのに……受けない大河ってなんだ?
とはいえ今作は出演者には☆たくさん差し上げたい!
大河らしい雰囲気を感じたのは申し訳ないけれど今川関係だけでした。そして政次。所作の美しさ、虎松への期待を込めて見守る姿、そして最後の時の二人は素晴らしかった。それだけが心に残った。
そのうち直政も落ち着いてくるのを期待している。
大河はやはりきちんとした原作があった方がよい。直虎は先に企画が決まり、脚本家に依頼したそうだ。脚本家は年表がすかすかで驚いたという。企画を出したのはプロデューサー本人。歴史ヒストリアをみて、こんな女性?がいたんだと企画書を書いたらしい。ドラマが浅いのは全て始まりに問題があった。人情コメディで頑張るしかなかったのが実情だろう。花燃ゆで痛い目にあったのに。
直之と六左が活躍できてよかっただけで終わらず、木を斬り倒した後に苗を植え育てないと土砂崩れが起きるところまで見せてくれるのが良い。甚平さんの最後はしみじみしました。
そもそも一年おきに女性を主人公にという縛りがどうかしている。いつまでも「篤姫」の夢を引きずってる当局にこそ、問題ありだ。脚本家や俳優はある意味、犠牲者。
登場人物の考え方や価値観が、まるっきり現代人。
衣装、セットが戦国時代っぽいだけで(、そうでないのもいたが)
ふところからスマホを出しても違和感ない内容。
お金をかけた壮大なコスプレドラマ。
舞台が戦国時代でなく現代で、キャリアガール直虎の話でも、おもしろいと思うのだろうか。
緊張と緩和が激しすぎる。戦いシーンはほとんどありませんが、人間の恐ろしさを感じます。信長の目は怖いですが、家康の優しそうな目も怖いです。万千代は信康を称賛していましたが、これからどのように描かれていくのでしょうか。
基本駄作
極たまに大河らしくなるが
それもすぐにグダグダ
脚本家の人選誤り
この人は歴史は無理
朝ドラの世界へさようなら
井伊直政が話の中心になってから、面白くなってきた
一度家を失った彼がこれから、猛スピード出世していくわけだけど
どうやって行くのか、楽しみ
直虎はもうすっかり穏やかになって、無理なところもなくなって
見ていて、ほっとします。
直政が登場するまでの直虎は確かに痛かったですね。ラブファンタジーと言われても仕方ありません。私は三十代ですが葵三代のような本当の大河ドラマが観たいです。今の当局も「坂の上の雲」のような素晴らしい作品を作れるはずです。朝ドラは要りません。
脚本家の「年表がスカスカ」とかいう言葉が、まずもう井伊家に敬意を払ってない、軽蔑した言い方だから、盗賊と絡ませたり、尼さんに殺人をやらせたり、やりたい放題だったんでしょうね。
途中で少し中だるみがあったけど、
万千代登場からまた俄然面白くなった。
政次の時代と直政の時代、それぞれに面白さの質は違うけど、
一年で二度美味しい大河になって満足。
やはり脚本のしっかりしたドラマは安心してみられます。
最初から弛みっぱなしで、途中にちょっとだけ大河らしいところがあっただけで、またグダグダ。
基本ラブコメ グダグダ ファンタジーだから
ナオトラが出てこない直政パートは、頑張ってるんだけどwww
大河って意外に時代にあわせて推移しているものです。
例えばまだ無名に近かった若い二世俳優さんを抜擢したり(今は大物俳優さんですが)、到底イメージでなかったまったり俳優さんを家康役にしたり、いっそ時代を近代にしたり、琉球視点にしたり、女目線にしたり(近代的目線の非戦万歳じゃなく、ちゃんと戦国目線のやつね)。ほんとチャレンジブル。
それでも各時代にあわせてきちんとした所作や服装、言葉遣い、考え方で矛盾しないように描かれていたので、違和感なく見れていたものです。
一つ、所作が汚かったり言葉が汚ければ、『身分が高くない』ということ。
一つ、武家であれば当たり前の知識を「どういうことぢゃ?」と聞けば、それは『暗君である』『暗愚な家臣である』という証もしくはその描写のはず。
それなのに、脇役の言葉で「美しい」「素晴らしい人間だ」と補正されていくのみで、本人に反省の描写がないので、視聴する側が呆れてついていけなくなるのです。
これは現代劇にもいえるロジックではないでしょうか。
直虎を受け入れられないのは、今風だからじゃない気がします。
『美しくない』ものを『美しい』とごり押しされることにに辟易するからなんだと思います。
(『美しくない』『下品だ』『下世話だ』『不潔だ』と映像表現されているものを、台詞で『美しい』と押し付けられている感じ)
盗賊パートで飢餓状態になった歴史ファンは、脚本家の趣味が入った政次・万千代(槍ドン、BL)パートでもマシに感じてしまう……ところがある。
お腹が空いていると、どんな物でも美味しく感じるのと同じ。そんな錯覚に惑わされない冷静なレビュアーになりたい……(^_^;)
直虎のヒストリアを視ましたが、井伊家のために一生を捧げた女性で、もちろん盗賊や奸臣との色恋はなく仏門に入り犠牲者を弔っていたような記憶です。大河として成立する題材だと思いますが、なぜこの基本設定を壊したのか理解できません。政次が奸臣でなかったという設定は面白いと思いますが、敵味方全員騙されていないとなると、政次はただの愚か者にしかみえません。直虎が刺すシーンも韓ドラのパクリですし、しかもそれはCDを売りたいための煽りとなるとあきれるだけです。
直政パートが見やすいのは、目的が史実通りで明確だし、日本人が昔から好きな出世物語だからだと思います。別に魅力は感じません。
井伊谷地方の民のことを実際に大事にしたのが近藤だったとすると(どこかで江戸時代に井伊谷に戻って治めたのは近藤だと読んだ気がします。)、騙して井伊谷を横取りしたように描いたこの大河ドラマは、近藤の子孫の方々に対して失礼です。
NHKは大河と土曜枠の目的を明確に分けているのだから、この分離方針に従って真面目にドラマ制作をするべきです。
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