2.67
5 693件
4 159件
3 156件
2 151件
1 1064件
合計 2223
読み ととねえちゃん
放送局 NHK
クール 2016年4月期
期間 2016-04-04 ~ 2016-10-01
時間帯 月曜日 08:00
出演
“父親代わりの長女”小橋常子(こはし つねこ)が、生前の父が教えてくれた「当たり前の暮らしがいかに大切か」という教えを胸に、2人の妹と母を守って型破りの大奮闘。 女ばかりの常子一家が激動の昭和を駆け抜けていく、小さな家族の大きな年代記です。 ※雑誌「暮...全て表示
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名前無し

どうしたらこんないい加減なドラマになるのかな?
今まで違和感だらけだったけど、このドラマの骨子だと思っている出版の部分になったら良くなるだろう、と期待して観てきた。
でも、もううんざり。
『暮らしの手帖』から大きくかけ離れた出版社。モチーフとは言え、あくまでも『暮らしの手帖』を元ネタに描くんだろうと思っていた私が甘かった。
いくら何でもひどいわ。もう観ません。

脚本が最悪、そして、ミスを平気で流したり意味の分からないような演出も最悪。そして、いつも同じ表情しかできなくて、出版業に関わるようになってから芝居を変えた、と言っていたヒロイン役の人、ドラマが始まる前の発言や、このドラマに対する姿勢を垣間見たインタビューや記事を見て、大っ嫌いな女優になりました。こんなに演技の幅が狭いとは。もっとちゃんと台本を読んでくれば、って思いながらの視聴。こんな事言わせる女優なんて。それも10年選手なのに。
これほど応援したくないヒロインも珍しいし、中の人もこんなに嫌いになったドラマも初めてです。

誰にでもわかりそうな、専門家が見ればこんな事ありえないと思うようなものがあまりに多く出過ぎるドラマ。それをいけシャーシャーと放送する、こともあろうにNHK。NHKともあろうものが一体どうしたの?
視聴率ばかり気にして、内容スッカラカン。
『暮らしの手帖』を大切に思っていた人には、悲しいドラマです。

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名前無し

才能など皆無の普通の女性に"とと役"なんかやらせるから、
徐々に収束がつかなくなって、ただの守銭奴物語になってしまいました。
"暮しの手帖の大橋さん"のように溢れる才能ありきで始まる女性が見たかったですね。
ドラマですから、オリジナルというならなおさらの事、普通ではいけません。
また、ヒロインに落胆させられるだけでなく、
魅力ある人物が一人もいないというのも初めてのこと。
都合により消えていくだけの人たちに視聴者の心が置き去りにされてしまうというのは、
ドラマとしていかがなものでしょう?
「まれ」では最終回まで見終えて長い総括を書かせていただきましたが、
ここではそんな気さえも起きません。見る価値を見いだせないでいます。
『このご時世…もう既に失敗してるようなものじゃないですか』
常子の人間性を決定づけたこの"負のセリフ"だけはきっと忘れないでしょう。

朝ドラ視聴者はモニターではありません。
NHKこそ、商品テストが必要だったのではないでしょうか?
西田氏に普通の女性を描く才能はありません。
吟味した上、他の脚本家による民放での"新生:暮しの手帖の大橋さん"を切望します。
改めて作っても価値のある物語になると思います。
ああ長い苦痛よ、さようなら(笑)。

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名前無し

実際の商品テストはメーカーからのクレームなどなかったというのに、なぜこんな悪との戦いみたいな話にするのだろう。
周囲の人間を悪く書くことでしかストーリーを進められない、主人公を目立たせることができないのなら、それは作り手としてレベルが低すぎるということ。

最初からおかしな絵画事件やニセ桜エピで悪い予感がしたが、結局その予感は的中。一度たりとも良いドラマとか、常子頑張れとか思ったことがなかった。 まさにチベットスナギツネのような目つきで見ていただけ。 
心を動かされることなく、登場する人や物に魅了されもっと知りたいと思うこともなく、少なくとも自分には何の意味もないドラマだった。

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名前無し

常子は幼くして父親を亡くし、それ以降、とと姉ちゃんとして
家計を支え家族を守ることだけを考えて生きてきた。
そして歯磨き粉を製造販売した時のように、できれば家族だけでなく、
他人の助けになることをしたいと。
さらに戦争で多くの女性が困窮にあえぐ姿を見て、
特に女性の暮しを助けたいと強く思うようになった。
こういう自分よりまず他人の為、という常子の姿勢は終始ブレないけれど、
それが「夢」だという認識はこれまでの常子にはなかったんじゃないかな。
あくまで元は現実の必要から生まれた使命みたいなもの。
それを今日、星野に言われて初めて「夢」だと自覚したんだよね。
これまでたぶん、常子が「私の夢は…」と語ったことはない気がします。
「あなたの暮し」創刊に向けて「理想」や「理念」はあったけど
今回初めて「夢」という言葉に出会ったんじゃないのかな。
ととの遺言で無自覚ながら最初は使命のように縛られていたのが、
いつのまにかそれが自分で追いかける「夢」になっていた。
今日の星野とのやり取りからはそんな印象を受けました。
これから常子は自分の「夢」として女性の暮しを助ける理想を追求していくんだな。
そんな常子を心から応援したいです。

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名前無し

日常を大切に、なんて言うから、そこの整合性がうんぬんされるようになるんです。
「ととになる」というから、その部分がフォーカスされて、いろいろ言われるんです。
恋愛ものだっていうなら、その恋愛模様はどうなのか注目されるんだし、コメディだというなら、面白くでき上がっているかどうかが査定される。
そんなの当然。
そこをつつかれたくないなら、最初から風呂敷広げなきゃいいだけのこと。
ほんとに、そんなことをドラマで表現する技量もないのだから、黙って初めから、本を作ることになる女性の物語、に納めておけばよかったのに。
そしたら、ここまで非難されることはなかったでしょう。
たとえ少々おかしいことがあっても、テーマ(「本を作る」)には関わらないとしてスルーしてもらえる(まあ、これも程度問題だけどね。今回のように酷かったら許してもらえないかも)。

父親が亡くなった女だけの母子家庭で長女ががんばる物語なんて、決して珍しいものじゃない。実際にもそんな家庭、昔からいっぱいあった。
その中で、主人公をいかに個性的に仕上げるか、物語を興味深く作るかが、作家の力量。
それができずに「トトとの約束」なんて、あとで実質的に反故になっちゃうエピをむりくりねじ込んで、結局、あれは一体なんのことだったのか、と疑問視されてる。
そして、日常のささやかな心がけを大切にする精神、なんてものも、探そうにも今までの常子にはどこにも見当たらない。
こちらに見せられたのは、落ち着きのない、そして自分の家族以外にはけっこうガサツにふるまう姿だけ。
それを「ささやかな心がけが大事だと思っていたけど言葉にできなくて」なんて、しらじらしい一言で済ませようとする。これにもあきれ返る。

どなたかも言われていたけど、先生や祖母の手作りの品を見て、ハッと自分のガサツさに気づき、こういうささやかなことが実は大事なんだ、幸せにつながるんだと反省し、それがやがて生活雑誌の創刊に花開いていく、という方が、はるかに自然だし感動もある。
そういうまともなドラマが見たかった。

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うーん。モチーフは悪くないし、『暮しの手帖』の大橋さんと花森さんもある層には十分有名人ですし、中盤まではおもしろく拝見していましたが……。
なんというか、少々、脚本のずさんさが目立つというか、「え、あれだけ思わせぶりだった綾さんの扱いはそれだけ?」「星野再登場の意味は?」「いくらなんでも新聞記者ってそんな傍若無人じゃないでしょ」「洗濯機の試験してるのに結果の前に買う水田家って…」「『暮しの手帖』のほかのページにも一貫して漂っていた、崇高ともいえる生活を大切にする姿勢が、あまりにも感じられない」「初登場のころに光った花山さんの魅力がどんどん消えて、ただの威張ったオジサンにしか見えない」etc…。あまりにつっこみどころ満載で、思わずこのサイトに辿り着いて人生初の書き込みをしてしまいました。なんといいいますか、全体的に隔靴掻痒、もったいない感じが満載です。
 脚本家さんにもさまざまな制約があるなかでのお仕事なんでしょうが、もう少し手練れで腕力のある方に書いていただきたかった…。素材が実に中途半端な扱われ方で、上等のネタが、残念なミックスフライで、ぞんざいに出されてしまった感が致しました。もったいない…。ほんとに…。

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名前無し

今週の週タイトルの「仕事と家庭の両立に悩む」は常子だけでなく
星野さんの気持ちも掛けていたんですね。巧い脚本だな、と思います。
そして悲しい結末に終わった二人の恋も、若いころと今回を巧みに重ねている。
若いときは常子が家族を支えることを選び、今回は星野が子供たちのために時間を持つことを選ぶ。
そしてともに、そういう選択をする人だからあなたが好きなのだ、とお互いの生き方を尊重し合う。
正直に言えば私も二人には結婚してほしかったし、こうなったのは悲しいけれど
それでもその間に二人の心の揺れ動きと互いを思いやり合う繊細な心情は十分描かれていました。
そして二人で過ごした時間はかけがえのないもので幸せだった、と
常子が自信をもって言えるものだった。
そこが素晴らしいな、と思います。
今回の星野との再会と再度の別れは人により色々な受け止め方があると思いますが
私は決して無駄なエピだとは思いません。
家族のため、(今は子供同然の)会社のためにだけ生きるのではなく、
つかの間でも女性の幸せを味わえたのは常子にとって素敵な人生経験でしょう。
私はこの間に描かれた星野も常子も魅力的だったし、
それを演じる坂口さんも高畑さんも魅力的だったので満足です。
さあ、これからは商品試験が正念場。
色々波乱がありそうでこちらの展開も楽しみです。

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名前無し

私が大事にしてきた「暮しの手帖」。「大金持ちになれるかもしれない」とほくそ笑んだ常子の顔にムカつきました。申し訳ないけどゴシップネタがある訳でもなく実に地道な本で一発当たれば大金持ちになれるような本ではないです。
常子さん、あなたの心の引き出しの中に戦争で酷い目にあった女の人の手助けになるようなどんな物が入ってるのでしょう。
第一、あなた自身が綾さんのような心の髄からの体験なんて何一つもしてないのに・・・
少しでも蓄えがあるのも貸本業を準備して行ってくれた五反田のおかげなのに・・・
父親が亡くなった時は社長が・・・、次は大店の実家に戻り、実母と口論の末に真裏の森田屋に転がり込んで森田屋が店を畳めば又、ケロっと実家に戻る。病身の親の面倒は任せて親が用意いしてくれた電灯付き防空壕まで完備された立派な借家で空襲にも合わず・・
書き連ねたら切りのない母親の生き方のどれを参考にするんだろう。
この時代、皆食べる事だけで精一杯。そんな人達に本を売って大儲けしたいって・・・
やっぱり「暮しの手帖」「大橋鎮子さん」の看板は外して見るしかない。ただの「常子の手帖」だもの。

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名前無し

 「とと姉ちゃん」の1週目が今日で終わりましたが、私は、この新作朝ドラには、控え目に言っても昨年6月の制作発表の頃から強い疑念を抱いていました。
 というのは、女性向け生活情報雑誌「暮しの手帳」の創刊者である大橋鎭子氏をモデルにした作品であるにもかかわらず、大橋氏が父の死後に「父親代わり」となって母と妹2人の一家を支えた実話をもとに描くことを理由に「とと姉ちゃん」というタイトルを付けたからです。このことを初めて知った時、「暮しの手帳」の発行などを通じて女性の人権水準向上に尽力した大橋氏のことをまともに描く気がないのではないかと強く思わずにはいられなかったものでした。女性の人権水準向上さらには日本国憲法の理念実現に尽力した女性をモデルにしたドラマのタイトルに、男性至上主義が透けて見え、家父長制的家族観の再生産につながりかねないものを命名するなど、私には到底有り得ない感覚です。
 また、スタッフをみても、担当の脚本家の西田征史さんはじめ制作統括、プロデューサー、3人の演出といった制作幹部が男性で占められていて、女性が1人も入っていないのも大きな問題です。大橋氏をモデルにした作品である以上、本作では少なくとも脚本家は、女性の人権について取り上げた作品を書いてきた女性にすべきだったと思います。実際、大橋鎭子氏をモデルにした作品を書くにふさわしい脚本家は、朝ドラ経験者だけでも渡辺あやさん、森下佳子さん、中園ミホさん、山本むつみさんはじめ何人でも思い浮かびます。これでは、ジェンダ一偏見や家父長制的家観の再生産につながりかねません。実際、作中でも既に大迫専務のことを「あいつ」と呼んだ美子に対し、君子が「女の子が『あいつ』と呼んではいけません。」と注意する場面がありました。

 また内容面でも、この1週間をみて今一つ引き込まれなかったし、違和感も残りました。
 例えば、竹蔵が子供にも敬語を使う理由は、竹蔵の人格形成の上で非常に重要な要素で、また、常子にも影響を与えているはずなのに、今週は分からずじまいになってしまいました。子供に対し権力的に振舞わない理由の説明だけでは不十分です。敬語を使わなくても、権力的でなく振舞うことは難しいことではないし、何より、父親が家庭内において絶対的権威だった戦前において、子供に対し敬語を使う父親に、違和感を抱く視聴者が多いと思うからです。
 他にも、結核で家庭内でも隔離されている竹蔵を布で作った花びらを付けた桜を見せに外へ連れ出した場面は、余りにも思慮が足りないと思いました。常子達の余命幾ばくもなくなった竹蔵を思いやる気持ちは痛い程分かるとしても、見ていて不安になりました。他の方法を考えるべきだったと思います。竹蔵役の西島秀俊さんも出演した「純情きらり」で主人公・桜子が結核(同作中では「労咳」)にかかったために自ら産んだ長男の顔を見れずじまいになったのとは、余りにも対照的です。

 ただ、朝食の場面が丁寧に作られていて食べ物が美味しそうに撮られていたこと、子役3人の演技が上手かったこと、プログレッシブカメラで撮った映像が綺麗だったことは良かったです。

 放送開始前から抱いていた疑念が更に強まった最初の1週間でした。

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名前無し

前作のほうが押しつけがましくあざといお涙頂戴の
病床や臨終のシーンは多かった気がしますが。

めったに人前で涙を流さない常子が花山の前でだけは
素直に弱音を吐き涙を流せる。
君子かかが言ったように、人に頼れない常子が唯一
心の丈を見せられるのが花山なんだな、と
なにか感慨深かったです。
唐沢さんんも高畑さんも感動的なお芝居ありがとう。
二人ともとても素敵でした。

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名前無し

私の手元に残してある1993年の「暮しの手帖」には「エプロン メモ」「読者の手帖」「私の読んだ本」「すばらしき日曜日」「家庭学校」などの投稿欄が設けられてあり掲載されるとちゃんと原稿料がいただけたのです。それも結構高額でした。自分の拙い文章が本に載りおまけに原稿料まで頂けてとっても嬉しかったです。
1ページ目から最後まで本当に多岐に渡り生活の知恵の宝庫で無駄なページはありません。
こんな本の物語は今までに見てきたどんなドラマよりも始まりが楽しみでした。
半年経ってゴールは目前になってしまったのに始まって直ぐに感じた違和感はただいまもって継続中。靴をキチンと揃え、親子であっても他人のような敬語会話の癖に途中で見た成金妄想劇のお下劣極まりない悪夢のような高笑いを見てから とんだ詐欺ドラマに引っかかってしまった・
・・と悔しくて強制的に引き落とされてる視聴料金の使い道を見届けねば。と、意地でも見続けております。

いつの間にやら「フィクション」にされてご自分達は満足のお話にすり変わって「暮しの手帖」の上を土足で踏みにじられたようで胸まで痛みました。

心筋梗塞の発作と戦いながら広島に出かけた花山は反戦の為の取材を行っているのでしょうがこれも本当は戦争体験の投稿募集で特番を発行し記録的売り上げを出した時のエピソードをそれこそモチーフに最終回へ向かってるのが見え見え。

せめてメイクだけでも頑張って欲しかった。日々変わる場所にサ〜さっと白を引いて白髪ですよ〜なんて手抜き、ひどいな・・・

他の仕事もあって高畑さんもロングヘアーは譲れなかったんですね・・
この欄の下のパーマ姿の大橋鎮子さんを見るたびにほんの少しでも似せてくれたら本当にこの役をやりたかったんだって認めてあげるのに・・残念!!!

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名前無し

森田屋に上がり込んで大変な厚意を受けながら、店をたたまなければいけなくなった森田屋に、何の手も差し伸べず、実家に戻る。
実家に戻っても、今まで家を支えてくれた清に何ら気を遣うこともなく、お嬢様扱いで我が物顔。
店が破産しても家をあてがってもらい、ほくほく顔。
母と清のことなんて気にしない。
初めて勤めた会社では、先輩の言うことにたてつき、勝手な行動で掻き回す。
出版社では社の本で貸本をさせてもらい、生計を立てるが、(大体、戦時中に本を借りに来る連中も、返しに来る奴もいないと思うが)、給料への不満と言う、余りにも身勝手すぎる理由で退社。
窮乏で、変わり果てた恩師と親友に再会すると、これ見よがしに、裕福な自分を見せ付ける。
あなたの暮らし出版もそう。
とことん、誰かに世話になりながら、恩を返すことはない。
なんか常子って、異常なまでに誰かに助けてもらって生きて来ながら、一度も誰かを助けることはない。人を利用するだけの恩知らずなんだよね。
それなのに、みんな上げる。常子を上げて褒めまくる。
褒められるところ何ひとつないのに、上げられる。
それが不満。

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名前無し

最初から脚本の下手さが指摘されてきたが、途中から改善されることなど全くないまま最終回まで行きそうだ。 
手直しどころか、26週あたりから最終週まで、「ほぼほぼ」素人の朝ドラを見たことのない若いライターがプロットを書いたと聞き、開いた口がふさがらない。

脚本家と落合統括がそれぞれ、批判は嫌いということを語っていたが、視聴率が高ければ批判を無視、というのはあまりにも傲慢すぎるだろう。 視聴者をなめるなと言いたい。

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名前無し

戦後すぐに、もう学費のけっこうする洋裁学校があり繁盛していたということは、バラック住まいの食うにも困っている貧しい人々がいる一方で、すでに経済的に復興しつつある人たちも大勢いたということを意味する。
史実では、「暮らしの手帖」はそういう人たちがターゲットで、有料の直線断ち講座も、もちろんその層を狙った。だからこそ、洋裁学校は、お客さんを取られちゃかなわんと妨害に出たわけだ。

「あなたの暮らし」はその史実をそっくりそのまま利用している。そのため、これから先も、何事もなかったかのように、そういう人たちの「暮らしを豊かにするための」雑誌なんです、という顔で話を進めていかざるを得ない。
あれだけバラック住まいの人々の姿やらカフェーの女給やらを親友を利用してまでしつこくしつこく追い続け、「戦争で痛めつけられた女性のために」「庶民のために」雑誌を、と大声で呼ばわっていたのに、もはや眼中からはずされた彼らは一体どうなるだろう。今までのこのドラマの手口と同じく、御用ずみのモブとしてデリートされ、忘れ去られていくのだろうか。

こういう大きな構造的欠陥に気づかないのか、そこをあえて進めているのかわからないが、前者だとしたら、今回の制作陣は今まででもっとも無能な集団だし、後者だとしたら、今まででもっとも粗雑または冷血な集団だ。
NHK(東京?)のドラマチームって一体どうなってんの(脚本家については、もうだいたい見当ついてる 笑) 今回ほど謎に思ったことはないわ。

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名前無し

元始女性は太陽であった、でも、今は青白い月である。
男性の光によって弱々しく光る存在だ。
女性よ立ち上がろう。本来の輝きを取り戻そう。

という平塚らいてうの女性解放への呼びかけは、明治~大正期、超男性優位社会にあって、女性が男性以下に貶められている状況に対してNOを叫んだものだったが、なんで常子がそれに夢中になるのだろう??
脚本家や制作スタッフは、いったい「青鞜」が、ばりばり強力なフェミニズム雑誌であることをきちんとわかっているのだろうか。

彼女は社会にも男性にも抑圧された経験がない。
子どもにも敬語を使う甘くて優しい父親にいい子いい子と育てられ、彼が亡くなってからも、周囲はすべて彼女を受け入れ評価し、真綿でくるまれたように過ごしてきた。
女だからああしろこうしろと言われることもまったくなく、学校を出たら男に嫁いでかしづき良き妻になれと強要されているわけでもなく、自分の意思を通すことが認められている。
当時としては、対社会・対男性ということでは、最高に恵まれた境遇にある。

なのに、なんで食べることも忘れるほど「青鞜」に夢中になるのか。動機がまったく薄弱で不自然だ。
結局、ここでも、「青鞜」は深い理解もされず、「職業婦人」というワードに結びつけるためだけの、単なる小道具に利用されている(前作と紐付けする意図もあるだろう)。
ほんとに、いつまでたってもやることが薄っぺらくて表面的だ。

片桐はいり先生も、最初の登場時、「あぐらをかけ」などと突拍子もないことを言うのでなく、よるとさわると、結婚していいお方に嫁ぎ良妻賢母になることが女性の道と夢見ている生徒たちに、がつんと喝を入れる一言がほしかった。
それでこそ、「青鞜」の精神が生きるというものだ。

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名前無し

「ばかやろう!」と拳を振り上げたもののどうしても殴れず
力なく下してからさっと土下座する大将に胸が熱くなりました。
仕事に関して誰にも厳しいけれど娘の不始末のためには自分も潔く頭を下げる。
親心とともに一本気な江戸っ子気質がよく出てる。
そして富江が休みを取って出かけている間は普段と勝手が違ってどうにも落ち着かず、
娘のことが気になってならない。
でもやっぱり私は森田屋の娘、と富江が帰ってきたら、
ちょっと泣きそうになりながらの心から嬉しそうな表情。
強面大将の不器用な愛情がしみじみ伝わってピエール瀧さんが本当にいい。
味のある役者さんになったなぁと思います。

富江も出かけた最初は浮き浮きしていたけれど、途中から店のことが気になって心から楽しめないのがよくわかりました。子供のころから毎日手入れしてきた糠床が心配だったなんて落としどころも巧いですね。楽しそうな女学校生活だけでなく、大好きな日々の仕事にも幸せはある。人それぞれ色々な幸せの在り方があるんだって実感しました。

先日の弁当誤配の謝罪行脚も今回の富江に制服姿で楽しませるというアイデアも、思いつきは常子でそれをしっかりものの鞠子がフォローするという形が何となくできている感じですね。アイデアと行動力の姉とそれを支える優秀な妹。とてもいいコンビネーションで見ててほっこりします。これは将来にもつながるのかな。
意地を張りながらも互いに心配している滝子と君子の母娘愛もいいですね。
ドラマ内の人間描写が心に沁みてとてもいいドラマだと思います。

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名前無し

「父が亡くなったあとに“お母さんを幸せにしなければ----“ということで、自分で働いて自分で会社を作ったらお母さんを幸せにできるだろう---私はそれだけです。その自立です」
土曜日早朝の「あの人に会いたい 大橋鎮子」という番組で大橋さんが語られた言葉ですが、このドラマの常子の生き方はまさにその言葉通りだったなぁ、と今しみじみ思います。
先日亡くなった君子かかも心から娘たちに感謝し幸せな気持ちで旅立ちましたよね。子供時代から常子がただ家族を支え守ることだけを考え、そのためには経済的自立が必要だと会社を興し、そして戦後の苦労する女性を見て生涯女性の役に立つ雑誌を作り続けた。その生き方は、まさに大橋さんの生き方そのものだと思います。
色々なアイデアを思いつきすぐに行動に移したようなところも似ていますね。「自分がしてみようと思うことはやってみる。厚かましいくらいに当たってみろ当たってみろ」でやったきた。ドラマの常子も時に空回りするぐらい行動的でした。
もちろん、ドキュメンタリーではないから細かいエピソードは色々違いますが、そこに描かれたヒロインの生き方はモチーフの方を強く反映しています。
私もこのドラマを見て大橋鎮子さんと「暮しの手帖」に大いに興味を持ち、敬意を抱くようになりました。このドラマを見て本当によかったと思います。
最終週はパートナーである花山との精神的な絆をどんな風に描いてくれるか楽しみです。

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名前無し

臨終シーンが多いのは、それだけ家族を多く重要に扱ったからでしょうに。
ダブルヒロインと、その両親義父母、伴侶と恩人、出産も死も、どちらも人生で大切な事です。
対してとと姉ちゃんは、まるで核家族のような狭い家族構造の作品です。
身内はヒロインの父母だけ。姉妹の義父母は空気。母方の祖母の死に際も空気。父方の家族に至っては変な弟しか出ず祖父母の気配さえない。

家族を大事にを押し出している割に、気にかけている家族が狭いし深く関わらない。ヒロインは結婚していないから義父母との人間的な交流も死別もない。極めて単純な奥行きのない人間関係。そりゃ、臨終シーンも少なくて済むわけです。

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名前無し

これ見ていて、今まで普通に見ていたドラマは実はなかなかレベルが高かったんだなと思った。
ととは毎日のように、ええっ、ありえない、支離滅裂、非常識すぎなどなど、つっこみのネタばかり豊富で、内容がお粗末だったから。

東京局が忙しすぎて、こんな浅ドラしか作れないのなら制作返上して名古屋へでも回せばいいのに。 大がかりなセットなんか要らないから、良い脚本で人間を丁寧に描く方がよほど心に残るドラマができると思う。 

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名前無し

高畑嬢自身が常子という人物にほとんど愛情を持っておらず(ブログでも映画のことばかり書いていた)、何とか最後まで責任を果たしたというだけに見える。
もともと演技が巧みではないので、当然その演技は単調で浅いものになってしまう。

前に脚本家がオールフィクションより、実在の人物がいる方説得力があると述べていたが、このドラマから大橋さんや暮しの手帳に対する、制作側の敬意の念や愛情は全く感じられない。
結局、一から話を創作する手間を省き視聴者を確保するのと、少々おかしな展開でもこんなことあったんだねぇ、と受け入れやすくするための道具として使われただけのように思う。

制作者や役者にドラマやモデルへの愛情がないドラマは、虚ろな人物が動いているだけで、画面からエネルギーが感じられず、見る者の心を打つことなど不可能。 
せっかく良い役者が次々登場しても、力を発揮することなく消えていくだけ。 
本当に何もかもが残念としかいいようがないドラマだった。(自分の中ではすでに終わっているのであえて過去形)
 

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名前無し

戦後の国民生活の向上に貢献した雑誌創刊者の話がボロボロで、共感できないドラマになってしまっている。 それだけで失敗作以上に罪が深い。
雑誌編集の話は地味だからと実際にはなかった商品テストに関わるおかしなトラブル、視聴者は恋愛話を好むからと星野との無駄な再会と別れなどなど。
すべて視聴率を稼ぐため。本当に視聴者の心に響く良質のドラマを作ろうという意欲で取り組んだようには思えない。

民放ならある程度仕方がないかもしれないが、公共放送なら、視聴率だけは不思議に良いが中身のないドラマより、視聴率はどうあれ良くできた作品をめざすのが本来の役目だと思うのに。 
NHKは数多く届いたと思われる批判を無視せずに、きちんと検証、反省して、二度とモチーフという言葉を免罪符にして、実在の人をモデルに低劣なドラマを作るのをやめてほしい。

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名前無し

豆まきのシーンで、わたしも子ども時代を思い出してしまいました。我が家でも、お面をつけた父の背中に思いっきり豆をぶつけていました。
しかも、父が縁側から庭に出てからも、「おには~そと!」と叫びながら、さらに豆をぶつけ続け...お父さん、ごめんね!

赤鬼の面をつけた星野と、青(緑)鬼の面をつけた水田が登場したシーンの後に、面を被っていないのに鬼のような表情をした花山の姿。今後の商品試験のコストについて、悩んでいたのですね。さっそく経理の水田に話し、正確な数値を出させることになったようです。

花山も常子も、暮しの中に仕事がしっかり根を張っている。問題にぶち当たれば、社員と問題をシェアして前に進んでいく。そんな仕事のあり方に、この会社の健全さが表れていると思います。

かつて常子がタイピストとして働いていた頃、女性社員たちは、「お前らの代わりなんていくらでもいるんだ!」と見くだされていました。
日本が戦争に突き進んだ時代、男たちは「代わりなんていくらでもいる兵士」として一銭五厘の切手のハガキ1枚で召集されていきました。

命も仕事も軽く扱われた日々。

それに比べると、社員1人ひとりが「顔をもつかけがえのない存在」として、自分の頭できちんと考え、生き生きと発言し、会社の方向性に関わっていく「あなたの暮し」出版社。社員たちが決して「交換可能な部品ではない」からこそ、困難な課題も乗り越えていけるのでしょう。

この出版社が今後展開していく厳しい商品試験が、未来の「メイド・イン・ジャパン」の姿に繋がっていくのだと思うと、たとえイバラの道が続くとしても、ワクワクしてきます。

わたしも当時の日本製品がこれほど粗悪なものとは知らなかったので、このドラマを観て驚いています。今日なら、メーカー各社が当然のことのように行っている(はずの)「市場導入前の商品テスト」も、当時はまったく行われていなかったのですね。

当たり前の暮しの大切さを常子に教えた父。
その暮しを守るために、仕事に対して誠実に筋を通し、その誇り高い生き方を常子に身をもって教えた常子の祖母・滝子と森田屋のマツ。
ささやかな心掛けでおしゃれを愉しむ豊かさと、女性が自分の力でたくましく生きていく希望を常子に吹き込んだ東堂先生。

この人たちの教えが常子の中にしっかりと息づいている。日々の暮しを守ろうと奮闘している女性たちのために、新しい時代を切り拓いていく常子の姿が楽しみです。

星野と常子の関係も、今後どうなるんだろう?

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女学校まで行って作家になりたいと熱病のように言ってた鞠子が結局、仕事出来ないキャラにされちゃってた(苦笑)
こんなんだったら常子もあのメガネの人の所へお嫁に行ってたら良かったよね。残された妹たちと母は常子が考えてるよりかは遥かに生命力が高かっただろうし。
今まで姉妹間の絆がほとんど描かれてなかった(あったとしてもたまに常子と美子の喧嘩が主)ので、鞠子が結婚しても姉妹の感動的な場面を作るのは難しかろう。
それにしても鞠子と伊藤君の恋バナ・・こんなに見てて感情移入やドキドキがしないエピは今までの朝ドラでは珍しいな。

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名前無し

服の穴がどうした。戦争が女を変えた?身なりにも気を使わなくなった?
何をたわごとを言ってるのか(言わせてるのか)。
戦争のせいで、今はそれどころじゃない状態でしょうが。そして、それは女も男も子どもも大人も変わらない。
戦争のせいで、「みんな」生活が一変して、身なりどころじゃなくなったんだよ。
特に、いま闇市・バラックで生活している人たちはそうなんだよ。

未来を知ってる私たちから言えば、そのうち、日本は復興して生活にも余裕ができるようになり、みんな身なりに気を使うことのできる時代がやってくる。
終戦直後の身なりのかまわなさは、女がどうしたこうしたという問題なんかじゃない。
なんなの、この作家。
タイピスト時代の男尊女卑問題、出版社での(今で言う)セクハラまがいの発言、男手がないとうんぬんかんぬんというセリフの多発といい、「女」というものの認識がすっごい歪んでるんじゃないか。
いやだわ~。作劇が下手クソなうえにこんな思考の持ち主だなんて。

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名前無し

今回の小橋3姉妹だけで最初の雑誌を創刊するエピはどうやら史実と違う創作のようですが、この脚色はとてもよかったと思います。それによって壁に当たった常子が自分たちの未熟さを思い知り、経験豊かな花山を頼る動機が明確になったし、またその過程で花山の戦争体験と言葉を使う仕事に対する葛藤が深く掘り下げられて花山という人物像が鮮明に浮き彫りになりました。唐沢さんの硬軟巧みな熱演もあり、とても内容の濃い一週間だったと思います。

自分が信じた言葉の力で逆に多くの人を不幸にする過ちを犯してしまった。強い自責の念で心を閉ざした花山が、家族思いの常子のひたむきな情熱に共感し徐々に心を開いていくさまもよく理解できました。拒絶され跳ね返されてもくじけず向かっていくバイタリティ。そして「私となら(理想の雑誌が実現)できますよ」と根拠もなく言い切る度胸のよさ。「それなら私も人生を賭けます」と誓う強い覚悟。戦後の復興まだきの混乱の時代、男手を失った女たちが貧困に苦しみながらも闇市でたくましく生きる時代。まさにこの時代を象徴する常子の在り方だと思います。だからこそ偏屈な花山の心も動かせた。今なら生意気と敬遠されるかもしれないけれど、この時代に女が成功するにはそのぐらいの個性が必要だったと思います。昨日の常子はとても力強く魅力的でした。
これから花山と組んでいよいよ待望の理想の雑誌作り。個性と個性のぶつかり合いで衝突もあるでしょうが、とてもエネルギッシュな職場になりそうで楽しみです。すぐに『暮らしの手帖』になるのかどうかはわかりませんが、今後は具体的な雑誌つくりの場面も増えるだろうと期待でワクワクしています。

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名前無し

この朝ドラはつまらないです。常子が嫌いです。友達にななりたい人格ではありません。モデルの方がが可哀想。
脚本もどうかと思えるほどぶつ切りで、伏線があったとしても入れ方が下手で唐突です。キャラメルおじさんが割りと有名な役者だったから、何かの伏線と思いきや、キャラメルを包んだ新聞紙に載っていた求人を見た常子が訪ねる。いつの古新聞の求人なの?なぜキャラメルなの?さっぱりこちらの心に響いてきません。
星野との恋バナも全然キュンとないし、常子の中に星野が好きだという気持ちがあったことすら不思議です。
脳内補完をこんなに求められるドラマって何なんでしょうか。
来週から続々、大物俳優が投入されますが、悲惨なことにならないと良いのですが、かなり心配です。
というか、毎日見なくなっているので、もうどうでもいいかもしれません。

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名前無し

某ビール会社のHPを確認。
女性とビアホールについてのコラムあり。
それによると、
戦前は「女性が2,3人連れ立ってビヤホールに入ろうものなら、仰天されて注目を浴びる」レベル。

昭和15年、配給制が始まりお酒は配給切符で飲む形になった。
都内のビアホールは激減。
就職したばかりの時はちょっとした冒険として入ってみることもあったかもしれないが、
あの「贅沢は敵」、と叫ばれる時勢に女性二人だけでビヤホールに入るのは、白目でみられたり、「あばずれ」扱いされる――日常的に会社などで男尊女卑で差別されている状況なら、ヒロインたちはそう簡単に予測できただろう。

家族を養わねばならない・背負うものがあるのなら、普通の人より危機回避意識が強く働く。
からまれたり、面倒が起きそうな所へはいかない。敬遠するのが普通だろう。

家族を背負うとと姉ちゃんとしては
はなはだありえない・浅はかな選択だと私は感じた。

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昨日は働く女性として見る者を不快にさせ、今日は人として見る者を不快にさせたわけか。
よくもまあ、毎日毎日こんなに不快のタネが尽きないものだ。それだけは一種異常な才能だわ、作家さん。
しかし、不快さの宝庫という点では、かの「まれ」に勝るとも劣らず(もしかしたら勝ってるかも)だけど、人間を描く(描こうとする)姿勢は、「まれ」の方がはるかに優れてたと思うわ。
主人公や家族以外の脇役たちも、まだしもそれぞれなりの人格をきちんともって描かれていた。
特に、まれ一家が居候した先の桶作夫妻などは、強くキャラも立っていたし、今作のように手のひら返しで主人公たちを受け入れるようなことはなく、きちんと彼らと対置されていた。そして夫妻の過ごしてきた人生が漂ってくるような描き方だった。
それに比べて、森田屋の悲惨なことよ。
単なる主人公アゲ&にぎやかし&お笑い担当としての役割しか負わされておらず、何かと言えば全員集合で一列に並び、みんな同じ調子で口々にお囃子をやる(しかも嫌なことに、主人公たちとは一段低い者たちとして描かれている)。
一人一人がじっくりフィーチャーされるような場面が一切ないから、それぞれがその世界で、それぞれの人生を背負って生きているんだなあ、という実感がない。女将でさえ。
まあ、作家は、どうせそんなものなど初めから考えてない(設定してない)んだろうが。

駄作の特徴の一つとして、脇がすべてべったりしてキャラが立たず、一人一人の人生や陰影を感じさせるような描き方ができない、主人公のサポート要員に貶められているというのがあるが、これは、まさにぴったりハマっている。
旧作で思いだすのは、「花子とアン」だろうか。これも、駄作の殿堂入りした作品だったが、今作はまた違ったタイプ。いろいろあるものね。
「幸福というのはみな同じような形をしているが、不幸というのはいろいろな形があるもの」だっけか、「アンナ・カレーニナ」かなんか思い出しちゃったよ(笑)

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名前無し

病室での花山のセリフが矛盾著しく萎えました。

「大きな事件ではなく、市井の人々、一人一人の戦争体験を記事にしたい」

なのになぜ、ヒロシマ?

わざわざヒロシマにいかずとも、戦争はごく身近にありました。
日本各地多くの地が戦争で焼かれました。
花山自身、体験者です。東京は大空襲に遭いました……。

なのになぜ、ヒロシマ??

?ヒロシマの原爆投下は「大きな事件」だと思いますが?
?このセリフをいうなら、まず自分が住んでいる地元から取材するのでは?
?一人一人を大事に。こんなセリフを言う花山が、なぜ読者の声を記事にならないものかもしれないと軽んじるのですか?
?この理念を持っている花山こそ、全国から戦争体験の声を集める、というアイデアを即座に思いつきそうなものですが????

花山の病室での熱弁は完全に内容が矛盾しています。

全国から戦争の声を集めることになる大切な経緯が、せっかくの熱弁が、まったく辻褄があっていなくて残念至極です。

たしかにヒロシマは「戦争」の象徴として認識されています。
しかし平成に入り、ついに単に記号化された言葉に成り果ててしまったようですね。

「ひとりひとりの暮らしを大切にしたい。庶民の声を拾い上げたい」と熱弁する花山を、なぜわざわざ遠い、「戦争の象徴の場所」へ行かせるのでしょう?

それは結局、戦争の雰囲気を感じさせるのに大変お手軽なツールだからなのでしょうね。
「戦争のことを考える=そうだ、ヒロシマにいかせよう♪」
戦争を知らない世代の平成思考では、「戦争=ヒロシマ・ナガサキ」。
このワードを出せば、そこに行ったことにすれば、戦争を描いたことになる。戦争を考えることになる。と作り手は勘違いしているようです。
馬鹿のひとつ覚えのように、それを出せばOKというワード。記号ひとつで、安易なオチ。
これならそれらしく見せられる、という魔法の言葉です。

常子自身の戦争体験も大変ふざけたものでしたので、ここに来て戦争時代の悲哀などなにも思い返されず、何も浮き上がってきません。
しいて言えば切なかったのは組長の息子さんの話ぐらいでしょうか。
あの玉音放送での常子のはしゃぎっぷりを思い出してしまい、大変不快になりました。

適当につなげられたそれらしい言葉、それらしい雰囲気に流されたくはないものです。
本当にお粗末な番組です。

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名前無し

今朝は早朝に目が覚めてテレビを付けたらちょうどNHKで「あの人に会いたい」という番組が始まるところ。一面に「暮しの手帖」が並んでいて大橋鎮子さんの肉声から始まった。
常子の「よろしくってよ」な〜んて言い慣れてないバカ丁寧な口調ではないがテキパキ歯切れの良い綺麗な言葉でご自身の性格や生い立ち、企業した時の事、商品テストの事などなど語ってらした。
商品テストも企業側へもいろいろと指摘、アドバイスもしてきたのでほとんど文句も言われなかった・・・と仰っていた。
ベビーカーの実験風景が映っていたが電化製品ばかり目の敵のように取り上げるより多岐に渡った検証実験にすれば良かったのに。食品なども取り上げてたら美子が大活躍できてきっと見てる方も楽しめたかも・・・食いしんぼう美子って承知だもの・・・
余談だが昨日の入社試験風景、受験者に思えない自由な発言をしていたが誰か一人でもテーブル一杯に並べられた食材の使い道を聞いて欲しかったな〜「もったいない」

この欄の下に載ってる躍動感溢れる大橋さんの写真も自らがモデルになって本に載った時の写真。

この半年、とっても魅力溢れる人物を取り上げていながら毎回毎回、細かいようでも見過ごせない言葉や演出、そして、キョトン顔と作り笑のようにしか見えない目を細めるだけの笑顔、怒る時も感動した時も高揚した感情を声が震えるだけでしか表せない幅のない演技で乗り切ってきてしまったヒロイン。
衣装にしても、メイクにしても、照明まで茶髪くらい加減してやれば・・・なんて本当に一々手抜きなのか本気度欠落なのか。
コント作家のような脚本も「はい、ここは笑って〜」「ここ、しんみりするでしょ」がひしひしと感じて白けたまま。
予告を見たが最後の最後まで花山にも常子を崇めたて祀らせて終わるんだ・・・
それは見てる側が徐々に感じていくものなのにこのドラマは一人一人が一言ずつ口に出して去って行く。
最近、各々の役を違う俳優が演じてたら・・・ばかり考えてしまう

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【ポケット版】「暮しの手帖」とわたし (NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』モチーフ 大橋鎭子の本)