5 | 72件 | ||
4 | 36件 | ||
3 | 23件 | ||
2 | 43件 | ||
1 | 960件 | ||
合計 | 1134件 |
>「歴史」から学ぶことが私たちにとって重要なことだろうと思います。
本当に最近私もそう感じています。
数の論理で戦後ずっと守られて来たこの国独自の憲法が改正されようとしているけれど、それが単純にこの国にとって悪いことと言えるかどうかもまた慎重な議論が必要だと思うし、しかし改正された結果何か起こりうるか、ということを国民は人任せにできないことだと思います。一人一人がそこまでちゃんと考えないと恐ろしいことにもなりかねません。
で、ドラマのことだけれど、私自身も朝ドラ含めてドラマは好きなんですが、感想サイトとか見ていると政治のことなんかよりドラマの行方の方がずっと大事。政治なんて誰かがやってくれればいいじゃん。選挙の関係でドラマの時間がズレて頭来る、とかあまちゃんの受けが聞けなくてつまんない・・・とかそういうコメントがあったり、そういう雰囲気がよしとされてるみたいなところがあり、なんかすっかり平和ボケ、というのかちょっと情けないなぁ、と正直感じてしまいます。
NHKももう少ししっかりしてよ、と感じることありますし、もしかしてわざと国民を政治はじめ、ものごと深く考えることから遠ざけようとでもしてるのか(国民がバカになることを望んでるのか)と勘繰ってしまうことあります。
あまちゃんは確かに純と愛よりはドラマとして格段に面白いと思います。しかし前半はよかったものの最近は表面的な可笑しさばかりが強調されてしまってきてる感じがちょっとしてます。ここで言うことでもありませんが。
崩壊ドラマ
「あまちゃん」を観ていても頭のどこかにこのドラマがあって…
悪夢みていたのかなーっ!現実だったのか半年間!!って
戸惑いが増している今日この頃です。
「梅ちゃん先生」擁護派の人が「これくらいで批判するなら国会中継を見たらいい。嘘ばかりの政治家の茶番劇に比べたらずっとマシ。十分癒されてます。」とか書いてる。よそのサイトだけど。
「純と愛」もなんか今の政治とか世相を反映してんのかな。
録画、見返してみたが、ひどいドラマだねえ。これを最高評価する人の気持ちが解らん。
>ものごとを深く考えることから遠ざけようとでもしているのか
同じ様に思います。
そうする意図がどこら辺りにあるのかが問題だろうと考えます。
与えられる情報を鵜呑みにせず自ら考え、積極的にいろんな情報を得ようとすること。どんな物事も多角的な見方をし、頭ごなしに否定せずよく吟味するよう心がけたいです。
あまちゃんは時々見ています。面白いですね。
これからどういう展開になるのか気にはなります。
このドラマはソクラテスやプラトンなど哲学を学ぶとよく理解できるんじゃないですかね
このドラマが理解できないのは浅薄だという評価には同意できません。
別にこのドラマを見たくないのは世の中の問題から目をそむけたい訳ではありません。他の方の言葉をかりれば、この物語がアリとキリギリスのようなものであったとしても、純(というかこのドラマの思想)は決してアリではないです。
自分の事をアリだと勘違いしているキリギリスだからです。
キリギリスを感じずに自分の事をアリだと訴えるから、普通の庶民である世論から反発を受けるのです。
確かに原発やTPPや、社会問題は山積みだしTVや新聞からは隠されています。問題を訴えたり考えたりすることは本当に大切です。
でも訴えるだけで終わっていたら同じじゃないでしょうか。
訴えて行動を起こすことが大事じゃないでしょうか。
どこか、「誰か何とかしてよ」「あなたが何とかしてよ」とだけ叫ばれているような、そこに「わたし」が抜けているように感じてなりません。
>このドラマはソクラテスやプラトンなど哲学を学ぶとよく理解できるんじゃないですかね
どういう意味ですか。なぜそう言えるんでしょうか。
このドラマの擁護意見の多くに、自分が自分の言葉で論理性を持って説明できないものを持ち出してきて理解できない人間を見下そうとするものが見られました。
ソクラテスやプラトンに思想の一体何とこのドラマの何がどう結びつくのかきちんと説明をしてください。
でないと単なる個人的な思い込みのように見え、そもそも何を言ってるのか全くわかりません。ソクラテスの思想とプラトンの思想は異なるところもありますが。
いや~!
現朝ドラ「あまちゃん」出演者がテレビやラジオに出演なさっていると、心から「がんばって!」と思えるのですが…
「純と愛」とかいう、日本ドラマ史上最凶の恥垢ドラマの出演者は、ドラマ以外のバラエティー番組に出演しても…もう永遠に…「わ!純と愛に出ていたアイツだー!」としか感じられなくなりました。
そんなトラウマを下さって、ありがとうございました!遊川大先生神大僧正様々!www
トラウマ
やっぱり 「~ミタ」 での有り得ない程の視聴率データで勘違いしてしまった事が一番大きいと思いますよ。自分の感性であれば綿密に構想を練って書くより、無限の直感力、並外れた創造(想像)力を重視して書いた方が他の作家では及びもつかないような作品が出来る筈だ、本来やるべきホテル業などの実務の事前調査とかも、そんな事をしたら並のドラマになってしまうじゃないか、と。
確かにスタート時は今までにない斬新さを感じましたが、なんせ6ヶ月、150話の全体像を慎重に描ききらないで始めたものだから、途中から方向性が見出だせず、自分でもどこに向かって進んでいるのか分からなくなってしまったんだと思います。普通なら “里や“ 編に入った頃には最終回までの脚本はとっくに書き終えていると思いますが、画面からは以後ずっと迷走ぶりを感じ続けるばかりでした。最終回に至っては完全に試合放棄の状態で、観ているこちらの方が “無の境地“ でした。
多分、この先民放ドラマの脚本を担当する機会も有るんでしょうけど、例え素晴らしい作品が出来たとしても視聴者からの評価は厳しいでしょうね。
>訴えて行動を起こすことが大事じゃないでしょうか
その通りだと思います。
民放のドラマ『家政婦…』は
ドラマで言えば色ものであって
毎食スパイスたっぷりのタイカレーを朝食に出されても的な?
(夕食でも私は笑ってしまって食べれなかったんですが)
脚本家には良い機会ですよね
「壊してやる」では無く
人が必要としている本質の部分に迫る様な
奇想天外ストーリーからは しばし離れて
人の心に残る良作を「やらせて頂いて」はどうでしょうか
>画面からは以後ずっと迷走ぶりを感じ続けるばかりでした。最終回に至っては完全に試合放棄の状態で、観ているこちらの方が “無の境地“ でした。
全くですね。なまじ残忍な方法で作者のサディズム的思想から殺してしまうはずだった愛を無理やり生かし、植物状態にさせてしまったがために、最後の方は設定も演出も舞台装置も台詞も致命的な程メタメタ。
ど素人でも目を覆うような迷走ぶりでした。
アリとキリギリスの譬え話をした者です。
あれは「梅ちゃん先生」を説明したつもりだったので。なんだか誤解されてるようだなぁと。
キリギリスが主人公の梅ちゃんだと感じたからこそ、自身がアリの立場と同一視した方にとっては不快で堪らなかったのだろうと思いました。
梅ちゃんがキリギリス?
正直全く理解できない例えです。
純がキリギリスというならまだわかりますが。
あのドラマで唯一キリギリス的だったのは陽造さんだと思いますが、彼は兄・建造さんにお仕置きされてましたね。
例え話もう一度読ませていただきましたが、「このドラマ」とお書きになっているのでこの欄では当然純と愛のことと思いますし、まさに純と愛にぴったりの例え話だと思います。
梅ちゃん先生についてはなにか相当穿った見方でもしない限り全く違うと思います。
その通り
ドラマとして成り立っていなかったように感じていましたので、評価のしようがなく
★0の気持ちなのですがそれがないので・・・
「梅ちゃん先生」では、どれだけ視聴者が騙されるか
「純と愛」では、どれだけ視聴者が耐えられるか
実験してるのかな
視聴者の感想をデータ化してホニャララ対策にあてたのかも
「あまちゃん」では、どんな実験してるのかな
2013-08-01 00:02:59 名前無しさん
ここでそんなこと言わずにNHKに直接お問い合わせになったら?
実験してるのかな?なんて言われてもここでイエスもノーも誰も答えられませんから。
たいへん変わった質問だな、と感じるだけです。
NHKから回答もらってください。要望すればもらえますよ。
ご期待通りの回答ではないかもしれませんが。
逆さまの世界の住人さんはすべてが逆さまに見えるんでしょうか?
梅子の辞書に「騙す」ってことばも純の辞書に「耐える」って言葉もないと
フツーに見てて感じますけれど。
逆もまた真なり
元々が真でないものの逆は真でもなんでもない
ゴミ箱をいくらひっくり返しても出てくるのはゴミだけ
ゴミをありがたがって宝物と思える人にとってだけ
そのゴミは宝物としての価値を持つものであろうが
人にそれを強要するにはいささか無理がある
何にせよ。
もし「純と愛」が本当に優れた朝ドラだったとしたら、今頃「あまちゃん」と同じくらいに舞台になった地元が話題になっていたはずだし、出演者全員が引っ張りだこになっていたはずだし、視聴者の多くも嫌な思いをする事がなかったなずなのに…
昨日放送された「あまちゃん」で、太巻に密着していた番組が「プロダクトA」と、「プロジェクトX」の名を借りながらその作りが「プロフェッショナル」に限りなく近いものであった上に、権力者の都合の良い様に編集しまくった挙句、ナレーションもその方向に持って行くという作り手側の”変な意思”を敢えてハッキリと視聴者に見せたクドカンさんからは!
「この人、戦ってるなー!」
と強く感じましたが…
一年近く前に「プロフェッショナル」で取り上げられ…撮影現場に当然の如く乱入しておきながら演技指導までしてしまった某大先生神に対する逆オマージュだったのかなー!?…と、思わずにはいられません…
このドラマがあまりにあまりだったのであまちゃんには期待が大きくそして最初は良かったー、良い朝ドラになってと嬉しく思ってました。
笑いの部分もシリアスに感動させてくれる場面もあり、で。
でもこのところ残念ながら私はあまちゃんにもこれと似たような安直な展開、話題作り優先みたいなものちょっと感じています。
世の中で人気と言われてる脚本家を安易に起用して話題だけをさらおうとするのではなくて、半年間なるべく多くの人が楽しめるようなストーリーが充実した朝ドラを作っていただきたいものです。
ここで、過度な梅ちゃん先生批判、あまちゃん上げ・・それは趣旨がちょっと違うように思います。
この作品はその典型だったと思いますが、なぜ朝ドラで過度に新しいこと、何か話題になりそうなこと、そんなことばかり狙わなきゃいけないのかわかりません。
そんなにものすごい深い文学作品もお笑い番組みたいに年中大笑いできるものも私は望まないけどな。
ちゃんと話に筋が一本通っていてキャラも変化や成長はあってもブレがない魅力的な人物をいろいろ出してくれてそれなりに次の日の展開が予想の範囲内で楽しめる、そういうので良い作品だって作れると思うのですけど。
自分だけ、というより基本的に世代を超えても理解できて一緒に楽しめるものが良いように思います。そうじゃないものは他でいくらでも見られます。
もしかしたらと最終回に期待した自分が愚か者でした。
私も途中でいろいろな疑問を感じ批判的に見ながらももしかしたら・・と最後まで一抹の望みを捨てずに見てたところありました。
しかしあのラストはあまりにあまり・・この半年間はいったいなんだったのだろう、と海に向かって意味の分からないことを自己満足のように叫ぶヒロインを見て呆然としてしまいました。
わかる人にはわかる、などというまったく根拠不明、説明無しのコメントを読んでも、というか読むとよけいにこのドラマが何だったのかいまだにわかりません。
あのラストの純の独白はドラマで描かれてたこれまでの純の人生とは全く別物の世界に対して叫んでるようでした。
ああいう叫びを人に理解してほしいなら、このドラマとは全く違うストーリー、キャラ設定が必要だったと思います。
ものごと努力の一つもなしに安易に解決できる人が出てきてそれがヒロインとくっついた、という時点でもう「ドラマ」は終わってたように思います。
いまだにトラウマから抜け出せず。
出演者が出ると、嫌な気分になります。
キャストに対して誰一人共感出来なかったのは、このドラマが始めてでした。
辛いです。
うちの母が、能年さんのCMみながら、この子は(今の朝ドラのヒロインで)良かったね。前の(朝ドラの)主人公の子は、かわいそうだった。もう少し、いいドラマだったらよかったのに。と、申しておりました。
プラトンやソクラテスの含みは、遊川和彦先生は哲学者適菜収氏に触発されている感ミエミエで好感を持ちました。
先生の言いたい事は「(迎合した大衆=B層)め!ざまあみろ!。独り善がりの理想をお為ごかしなお花畑を作ろうとする事がまほうの国を作る事ではない」という趣旨だと思います。
いかにも反原発運動家やその支持者に物申したい様な内容ですが、恐らく彼等は全身全霊でこのドラマの様なメッセージを否定するでしょう。
親に啖呵を切って我こそ変えられるなんて理想論だけの左翼崩れの思いあがりは痛い目に遭うと言う点では的を射る風刺と言う事で大いに評価できます。
反論お待ちしております(笑)
>独り善がりの理想をお為ごかしなお花畑を作ろうとする事
え?これこそまさにこの作者がこのドラマで他の誰にも率先してやったことでは
ないのでしょうか?
このドラマを作って作者さんご自身はまほうの国が作れたのですか?
作れないことにおいては同じだと考えるとまるで目くそ鼻くその戦いに挑んで
勝つこともできなかったように見えますけれど。
魔法使いでない人間がまほうの国なんて作れることはありません。
しかし一歩でもそれに近づこうと日々謙虚に地道に努力を重ねている人はたくさんいます。
純さんのように自分が魔法使いになれると勘違いしてる人もこれ見よがしにそれを
大声で叫んでいるような人もごく一部ではないかと思います。
今までにない超酷い作品だった。あまちゃんが神作品に見える。
もし自分がこのドラマの擁護派になってディベートでもするとしたら
どこをどういうふうに擁護して否定派を論破できるだろうかと真剣に
考えているのだが、至難の技のような気がする。
ここまで酷い作品を作れるのはある意味才能
やられた!って感じです。
哲学ドラマだったなんて…私には最初から無理!!
だから違和感あったんだなーっ
最終回は正直戸惑いました「私だけわかってない?」って
遊川さんの思うつぼですね!
もう二度と関わりません(観ません!)
>このドラマを作って作者さんご自身はまほうの国が作れたのですか?
結局出来ませんでしたね。結局青い鳥等居ないと言う事ですよ。
お爺の幻想ばかり追い求めて振り廻して、お互い人を傷つけあって
でも、義理と情けと縁は築けた。そして、それらに守られている。
人は、一人でも独り善がりでも生きていけない。
と、純さんが成長したからこそ成功の終焉であると思います。
純さんの様な人はごく一部と思われるかもしれませんが
米国大統領にありがちな変えられると叫ぶ人に限って、自分が変わっていない、と言う言葉を出演者の武田鉄矢さんがラジオで仰せでした。純さんこそまさにその人で、通称「社長=President=大統領」なんですね。
HYさんの歌の「信じていれば、きっと伝わる」と言う事で、「変えられる」と言う事で無く、人の思いが「伝わる」と言う事が何よりの成功であると、この物語は伝えたいのだと思います。
>やられた!って感じです。
哲学ドラマだったなんて…私には最初から無理!!
だから違和感あったんだなーっ
90年代の野島伸司ワールド全開でしたねw
こういう作品をあの帯でこの時代で出来るのは
善し悪し含め流石NHKだと思います。
そして15%以上の視聴率も民放では不可能です。
恐らく月9なら間違いなく一桁でしょうw
統計によるとハッピーエンド期待した団塊以上世代は低評価低試聴率で、団塊ジュニア~R25世代の視聴率と評価が高かったそうです。テレビを見ない人やテレビに冷めた人が見る世代の新しい布石としては大いに評価できますが、如何せん訪れる不幸の演出が軽薄過ぎて、私には喜劇に見えてしまいました(笑)。
脚本評価ばかり見受けられますが、私は演出こそ及第点な作品だったと言えるのではないでしょうか?
名作おしんでも不幸が続き、晩年も夫の我儘に振り回される不幸な物語でした。
あの舞台は激動の20世紀の過去でしたが、これを今の世の中で不幸の演出しても、911や311による実話には敵わないので、今はフィクションで不幸を演出するにはまだ早いのかもしれません。数年後の再放送でどう評価されるかですね?作るのが早すぎたと言う月並な言葉が似合う作品です。
作るのが早すぎた
↑要するに失敗作ということです。
↑失敗作でも視聴率が1ケタにならないNHK。まさに親方日の丸民業圧迫ですね。そして、駄作とは言えどもこんなにここで話題にしてもらえるなんて(笑)。
方や民放では事務所持ち込みとはいえ、剛力さん主演で重いテーマを題材にしても話題にすらならない性障害作品とは偉い違いです。
視聴率2%で、ドラマ枠そのものが消えるというトホホな民放さんでした(笑)
たとえどんなに素晴らしいテーマを持っていたとしても朝、毎日15分ずつ、半年間見続けて、それが「解説」ではなくて自然に人々に伝わって来ないようなものはドラマの作品として評価できないと思います。
純というヒロインをもし作者が途中まで、己を知らない滑稽な人物として認識してもらいたいならストーリー展開、周りの人物の言動、などドラマ全体に説得力がなければね。
純はまっすぐで素晴らしいんだ、というべた褒めするような勘違いの人達を一定数出してしまった一方、安直な展開への疑問、ヒロイン以外のキャラのブレ、表現の不快感・・小さいことの積み重ねがこのドラマ自体を全く受け付けない人達を大量に出してしまった。それでは結局擁護派にも否定派にも作者の言いたいことなど結局何も伝わらない、ということになってしまいます。
作者はたぶんこういうことを言いたかったんだろう、などといくら力説されても実際目で見た映像にそれを感じられないのですから、確かにそうなんだろう、実はすごいドラマなんだなあ、なんていう同意は出来っこないです。
時代に合っていない、見る方に能力がない、ということよりもドラマとしての構成がひどすぎると思います。映像自体から伝わるものがない。泣いても笑っても嘘くさい。登場人物たちが学芸会で子供が必死に演技しているみたいな感じ。どの人物も演じてる俳優がそのキャラを納得して演じているように見えなかった。人物設定に無理があり過ぎるのです。
視聴率に関係なく、表面的にしかドラマを見る目がない人もいれば、ちゃんと見る目がある人はどの時代でも必ず存在するものです。このドラマの構成や特定のキャラ設定について、具体的に、徹底的に褒めている評論を見たことがありません。そういう部分の素晴らしさを評価することなくテーマがどう、これをどう見ろ、と言われても映像作品の評価として説得力を感じません。
「人の思い」がこのドラマを見ていて伝わって来ますか?
私には全くと言っていいほど最後まで伝わりませんでした。最後の独白で純は自分の過去のやり方をかえりみている感じはしませんでした。つまり全く成長してない。変わってません。ひとりよがりがよけいパワーアップしちゃったな、と感じただけです。この人物はこの先も愛が目覚めようが死のうが、変わることなくますますひとりよがりの人生を歩むのだろうなあ、としか感じられなかった。
自分の思いだけを人に伝える・・相手の思いを受け取る気はない、それは実に一方的なコミュニケーションです。
みんなを笑顔にするホテルを作りたいってことだったけど
みんなを不快にするドラマを作っちゃったってことですね
そうですね。
人を笑顔にしたいと言っても、それがただの個人の思い込みだけで行われて、その「人」の気持ちを全く無視するようなやり方ではなかなか笑顔にはなれない人が多いのではないでしょうか。
オオサキでも里やでもサザンアイランドでも純のやってることはぜ~んぶ自分の趣味だけ。お客様がなにを望んでいるかも全部自分の思い込みだけです。彼女のアイディアにはなぜか従業員がホイホイついて行きましたが、わたしは純の関わったどのホテルにも泊まりたいと感じたことがありません。
宿泊客の意向無視のホテルでは笑顔になれません。
視聴者の希望無視のドラマでは笑顔になれません。
>半年間見続けて、それが「解説」ではなくて自然に人々に伝わって来ないようなものはドラマの作品として評価できないと思います。
其れが全てですね。スパルタで涙目の夏菜さんダメ出ししている遊川和彦先生は、全身全霊を注ぎながら一体何を伝えたかったのか、ただ不思議です。
夏菜さんの演技力が無いとこが言い訳になるような作品ではありませんよね。やはり脚本と演出等総合的な問題が山積みです。ドラマ稼業20年を超えた遊川氏のキャリアを問われる作品となりました。
あまちゃんの脚本家宮藤官九郎氏が何かアマデウス・モーツァルトに見え、純と愛の脚本家がサリエリに見えるのは私だけでしょうか?(笑)
ようつべ
[无字幕] 120924 プロフェッショナル 仕事の流儀 file.193「脚本家 遊川和彦」-0001
見ましたが、遊川氏は「最後まで伝わらないんだ。その伝わらないせつなさと悲しさを出したい」と本放送前に宣言しましたねw
だから、ハッピーエンドなど最初からないわけでして、ただ普通の事をしたくないという独り善がりの型破りこそまさに「自然に人々に伝わって来ないようなものはドラマの作品として評価できない」ものなんですね。
プロフェッショナル 仕事の流儀を履き違えた一人の脚本家のトホホな作品でした。じぇじぇじぇw
純と愛の思いが伝わってきました。
純と愛のどういう思いがどのように伝わったのでしょうか。
自分にはまるで伝わらなかったし、どういう思いなのかもわかりません。
もっとわかるように書いてください。
みんな!夏菜さんはじめこのウンコ作品の出演者ご一同様の事も、たま~には思い出してあげてッ!!!www