5 | 28件 | ||
4 | 19件 | ||
3 | 12件 | ||
2 | 4件 | ||
1 | 11件 | ||
合計 | 74件 |
企画、監督、脚本宮藤官九郎
池松壮亮、仲野太賀、渡辺大地が出演
「牧歌調」より「僕のワイフ」が清々しくて好かった
(笑)
タツヤは、また自分の正義や幸せの定規を使って人に線を引こうとした。お母さんにとっての幸せってなんだろう?島さんにとっての幸せってなんだろう?
「彼女は僕のワイフなんだ!」「お兄ちゃんも家族なのよ!」ハッと気づけるタツヤはとてもいい奴。
それにしても、凄いワイフだと思った(笑)彼女の輝きを見つけて彼女と心通わせることが出来た島さんって凄い。野村監督とサッチーさんが何故だか思い出された。
2つ引っ掛かった。
鬼嫁が作った見事なバラ寿司。
三木本が島から現金らしき封筒をもらっていた事。
自分には、良さがわからない。
原作を読んで、俯瞰で見たら楽しめるかもしれません。
世界観が好きになれない。
深夜に観るとクルね泣く。
第6話「プールのある家」
ホームレスの親子も六ちゃんもこの街全体が人間の優しさや幻想で出来ているんだと思って観てごらんって分かんなくてもイイ。何時かフッと思い出した時に分かることもあるから。きっとフッと思い出す時はあのホームレスの親子の人生にタツヤや半助みたいに涙するのだと思う。そういう涙が分る人になりたいと私は何時も思う。この物語は普通に生きるものたちの優しい幻想です。ホームレス親子は清貧で父は哲学者で息子は清らかで気高くて、そしてそんな二人を包容する街は懐が深く優しく慈愛に溢れている。
悪者を探そうという見方だと良さ分からないと思う…今は分からなくてもイイから縁があって観たなら観れたなら覚えていて欲しい。人を裁かない物語も有るってことを。
あの少年が夢見た通りプールのある家に今度は彼は生まれて来る。父親はやっぱり当然平然とリッチマン今度はリアルリッチマン(笑)
何にも無かった前世を羨ましく思ったりしないだろうか?リッチマン。
息子は早目に来世に行けて良かったのかな?今度は息子がリッチマンの父親かも知れないね。リッチマンまだ現世で頑張るみたいだから…。
遅ればせながら「牧歌調」を視聴。
原作をどうドラマにするのか気になってた回。
半助という第三者目線のキャラを作ったことで分かりやすい回になってた。
というか、これはクドカンの解釈なんだとも思った。
クドカンは男だから、男の立場での解釈で視聴者にストーリーを提示したんだろう。
原作者の山本周五郎も男だけど、女である自分が2人の妻達の心情を想像出来るような部分も含ませて、この「牧歌調」を書いている。
でも、ドラマの方では、妻達の心情が殆ど推し量れない。
2人の男衆の心情は何となく分かるような描き方をしてるんだけど。
惜しいなぁ。
本当に惜しい。
途中に、 全員それぞれ父親が違う子供と暮らしている夫婦のエピを挟んで、わざわざ「牧歌調」のタイトルを説明までしていて、原作の「感じ取る」良さを損なってる気がする。
思うにクドカンは、この「牧歌調」をドラマ化するにあたって、相当悩んで考えたんじゃないだろうか。
で、考えた挙げ句に、自分なりの解釈で「牧歌調」を“説明“しようとした…違うかな。
単なる自分の想像だけど、クドカンは至極真っ当な倫理観と、確固たる一夫一妻制の結婚観の持ち主で、女性と遊ぶようないい加減な付き合いは出来なくて、女性もそういうタイプが当たり前と思っている人なのかも?
2人の夫の気持ちは分かっても、2人の妻の気持ちをどう描いたら良いのか悩んでしまったのか、分からなかったのか。
う~ん。
1人の男性としてのクドカンには好感を持つけれど、脚本家としてのクドカンには、少なくとも、この「牧歌調」に関しては「惜しい!」と思ってしまう。凄く残念。
因みに、あのアイドル達が慰問コンサートで歌ってた歌は、「あまちゃん」のGMTの歌を思い出して楽しかった。
同じ曲調。同じ雰囲気の振り付け。作った人が同じかな。
「プールのある家」、悲しい回でした。子どもはシメサバに火を入れようとしているのに、父はそれを止めて食べることをすすめる。結果、子どもは死んだ。その間、苦しむ子どもの世話もせず、心配もせず、何もしない父親。こどもにと貰った菓子パンを貪る父親。子どもが死んでも大して動揺もしない父親。これは、父親の美学?哲学?一体何を伝えたかったのか今回はよく解らなかった。
毎回、事情がある家族に涙。今回のプールは配役もバッチシ泣けた
辛い悲しいエピソードでしたね。
ただ理想の世界に目を向けている父親でも、現実の空腹には耐えられない。
庇護者のように父を守ってきた少年。
その働きから解放されて、プールで子どもに戻った姿に涙しました。
長らく日本の千円札紙幣の肖像で親しまれた初代内閣総理大臣伊藤博文掃いて捨てるほど愛人がいたのであだ名は「箒」だからね、時代が変われば変わるんですよ倫理観も価値観も正義もねそれを弁えて解釈を広い視野で持ちなさいと学ぶために時代の違う書物は読む価値がある(苦笑)
慌てて原作読んで今の時代の正しさで決めつけてしまうと残念だよね。まあ、慌てて原作読んでる姿が目に浮かんでそれはそれで可愛いなぁと思った。
この原作に出会った頃を思い出しました。
あの頃、暇だったから沢山本を読んで沢山憤った、大事なことだよね、価値観の違う時代の文学を読むのって(笑)
心幸って人は、人の感想にマウント取ってるの?
慌てて原作読んで、とか失礼だと思うんだけど。(まさかクドカンを指して言ってる訳じゃないよね)
貧困は個人のせいか、それとも社会が悪いのか・・・。
確か、映画の方でも子供が死んだような気がする。
70年代と今とでは何もかもが違うのに。
セーフティネットを何故活用しなかったんだろう?
彼らが知らなくても、あの住宅に住む者たちならば知識があったはず。
仮に役所が嫌な顔をした時に登場するのがサヨク系NPOじゃないのか?
それとも彼らは公金チューチューしかしないのか?
やるせない内容だった。
はーい。個人的な投稿を書いても良いところだとは知りませんでしたが笑笑 ひとつだけ。
読んでもらったら分かる人には分かると思いますが
宮藤官九郎さんは原作者山本周五郎氏へのリスペクトオマージュを充分されていると思います。だって好きだからこそ今の若い人に知ってもらいたいと思われたのだろうし、と思っております。誤解なさりませんようにそれだけは書かせてもらいました。そんなこと書いてるんじゃないんだけどね(苦笑)
このドラマ、なんか黒澤明監督に見てもらいたかったな。
特に「プールのある家」の回なんか特にそう。
多分、気に入ると思うし、一声「なかなかいいね」と言うだろうな。
そして、クドカンやこのドラマの出演者達は全員、自分の監督作に出演させると思う。
実にみんな黒澤明好みの役者達なのである。
このドラマには、クドカンの黒澤明への愛があふれていると思う。同時にクドカンが好きな古い日本映画のオマージュが散りばめられていて、それがなんとも言えずにいい。
私は黒澤監督の「どですかでん」が大好きだから、よけいそう思う。
これは実にいいドラマだ!
ちなみに黒澤明監督の「どですかでん」は日本人にはさほど評価されてないが、外国人には高評価である。
私の友人のフランス人のアジア映画研究家は真の黒澤明監督ファンとは「どですかでん」を認める者であると言っていた。そして彼はこう説明してくれた。
「黒澤明はヒューマニズムの映画作家である。それが一番結実したのが「生きる」と「どですかでん」の2作である。そして、小津、溝口、成瀬は「生きる」は撮れるが「どですかでん」みたいなヒューマニズムと結合した美しいファンタジーな意欲的な実験映画は撮れないだろう。黒澤明だから撮れた映画で、黒澤のスゴサと偉大さはそれもあるのである!」
私も同感である。
このドラマをきっかけに黒澤監督の「どですかでん」を見てくれる人が増えるといいなとしみじみ思っております!
今回のリッチマン親子の話は、哀し過ぎた。今の時代に流石にこれはないだろうとは思うけど。良く良く見たら原作、山本周五郎とは。嗚呼なるほど、原作の良さなのかと。だからこんな素敵な哀愁があるのかと思いました。今の時代に良く話を変えてドラマにしたなと思う、脚本も素晴らしい。このちょっと面白くて、哀愁のある感じ良い。今季の中で上位で好きなドラマです。
トラは名演で凄いネコちゃんですね。
国民的美少女の小田茜さんがお母さんか〜なんだか妙に沁み沁みしました。
そうこの原作はこの沁み沁みを味わう作品。
たんば老人の言葉は何時も沁み沁みと深い。
原作は日記を読むように日常が淡々と綴られている。
ドラマはうまくそれをドラマにしている。
今回ドラマは、おかべが好かった。
ものの本質を見抜く真っ直ぐな優しさを持ってかつ子を見抜くおかべが好かった。「デキの悪い子ほど可愛い」のタツヤは分かりやすく拗ねていて可愛かった。
日陰を選んで咲く花もあるそんな話もあり、そこにはそこの悲しみもそして喜びもある山本周五郎の「季節のない街」はそういう細やかなおもいを集めた短編集だ。宮藤官九郎さんのおもいが伝わってくるようなそこへの愛があるドラマだと思う。
ヤクザ者の長男を溺愛する母親が幼い子供を連れ、家を出た。
これでタツヤは親離れができる・・・できれば良いが、どうせ戻って来る。
そして、これを延々と繰り返す。
かつこが妊娠。
叔父にやられたようだ。
彼女に気のある酒屋のオカベは、妊婦となったかつ子を愛せるのだろうか?
叔父の種と知って、彼を許せるだろうか?
今、仮設住宅に住みながら、このドラマを見ている人もいるだろう。
これが人の業と共感を呼ぶだろうか。
吐き気がする。
かつこちゃん どうなるのかな。
プールのある家も悲しかったけど
今週、辛すぎる
しばらく引きずりそう⤵⤵
しかもこの後逆転でハッピーな展開になる気がしない
見るけど、、見るけど
やるせなさすぎる
あの叔父はあのまま責任も取らずに誰にも知られずにいるつもりか
プールのある家のあの父親にしてもこの叔父にしても
多分平時であれば地位もあり知的でそれなりの収入を得ていたのだろう
しかし一度このような状況になれば何も出来ない
何もしようとしない
何をすればいいのか知らない
とても無力
無力なだけならまだいいけど、、、
プールのある家の父親も、子供を亡くして悲しんでいたけど
それをきっかけに変わろうとする事は無い
この叔父もきっとそう
それがやるせない
うーん。マニアック過ぎて自己満足的なドラマであって評価とかつけようが無いな。まあ、好きならいいんじゃない的な。
こういう作品を褒めると賢そうに見えるんだ。
分からないというと、そいつが嘲笑する。
この小説を書いた山本周五郎や映画化した黒澤明は、かつ子が目の前にいても一瞥し、無言で立ち去るさ。
クドカンにしても同じだろう。
成功した芸術家たちは、時に悲惨な境遇の人に目を向け、飯の種にし、良い人ぶろうとするもんさ。
相変わらず過疎だな。
不適切にも~は7ページもの感想。
悪評も含めてだけど、それは見ているという事だから。
かつこが戻ってきたときの
女たちの迎え方が自然でホッとした
かつこの妊娠が夫のせいと知った叔母も。
前編のあと、叔母さんが帰ってきたら
かつこも責められるんやろなって
思ってたので、叔母さんのとつとつとした
夫への語り口がすごくいいと思った
前半で、えー⁈となった妊娠事件は後半で、かつこ頑張れって思ったよ。
春夏秋冬をハモる2人が良かった。
今日で全てが終わる。
仮設住宅がなくなり終わるということか?
オマケの4点。
前回に比べると見やすかった。
というより、いつものクドカンだった。
「春夏秋冬」と「季節のない街」はどちらが先だったのだろう?
不図そう思った。
また、かつ子を演じる三浦透子は歌手活動もやっているのか、「エルピス」のエンディングで一度だけ歌を披露した。
とても上手かった事を思い出した。
昭和40年代くらいの設定にすれば無理がなかったのかも知れないが、見る人が限られてくるのかな。
「噂は瞬く間に広がり瞬く間に忘れ去られる」「水に流すと」という文化がある国に生まれて良かった話。
「親おもい」も「プールのある家」も
「がんもどき」も「毒」をつけてしまえば簡単な話。
けれど、彼も彼女もあの子も「毒」という言葉を知らないそういうのもこの関係につけることを知らないし、もしも彼も彼女もあの子も「毒」と、つければ簡単だと知っても使わないだろう…と想像する。
山本周五郎の「季節のない街」は1962年昭和37年初版 泉谷しげるの「春夏秋」が発売されたのは10年後の1972年昭和47年です。せめて昭和40年代から昭和50年代の話しなら伝わりやすかったのかな世界観がと思いますが、現代に落としたかった宮藤官九郎さんの思いも伝わりますと私は思います。
上訂正「春夏秋」☓
「春夏秋冬」◯です。
「冬」抜けました。
冬の木立1番大切な季節でした…季節のない街だけにそれを忘れてしまいました笑笑
無口な人は芯が強いかつ子は誰よりも自分ってものを持ってる人だと思います。原作よりも明るく仕立ててある所に原作を読み取って映像で地上波でこの物語を伝えようとした方の優しさを感じます。山本周五郎は純文学を志した作家でしたが売れない頃は少年少女向け小説を書いてました。短編集である「季節のない街」も語り口調の優しい文面ですが内容は淡々としながら現代の私たちには不条理劇です、世の中は不条理で理不尽で筋の通らぬことばかり。狭い場所から高見から見下せば一刀両断切り捨てて構わない、その方が簡単あえて、そこに光をあてた物語から読み手は何を感じ取るのか?読み手の経験が現れる物語だと思っています。私自身10代の頃この物語に出会った頃と今随分感じ方が違います。そういう物語なのだと思っています。
似たようなことを繰り返し書いて「私は分かってる」風なコメが散見されて滑稽
他のスレでもそうだけど「〜ですよね」って賛同求める風なヤツも、所詮はそれも沢山ある感想や解釈の内の1つなのに、気持ち悪い
こういう作品を否定すると賢そうに見えるんだ
分かってる風な事いうと、そいつが嘲笑する
こういう作品を褒めようが否定しようが賢くは見えない
片側からの意見のフリして印象操作でもしたいなら他でやれ
偏ったスレってホント気持ち悪い
今回はトリカブト事件と仮設解体。
13年も住んだ仮設住宅から出るのは寂しいだろうが、すぐ側に別の仮説へ行けるのだから贅沢は言えない。
マンション型のそれに変わると横のつながりが希薄となるが、元々ナニの前はそうだった。
実際に困るのは見守りが無くなる六ちゃんくらいだろう。
それから、たんばはヒヤシンスと知らずにトリカブトを食わせたのだろうか?
案外、自分用に世話をしていたんじゃなかろうか・・・。
たんば老人は「レ・ミゼラブル」の司祭の様な人だと思っています。
「…君が生きている間だけお父さんは生きている」たんば老人はそれを伝えたかった。何時も喧嘩ばっかりしているタツヤと半助にこの二人似てるんだけどね笑
笑
お父さんへの想いも街への想いも、結局中途半端な優しさも(笑)たんば老人はヒヤシンスでタツヤの命を買いました…(笑)
会いたくて会いたくて震える…ですか。
西野カナさんですか? 歌詞使うの好きですね宮藤官九郎さん。かつ子ちゃんはオカベに会えてオカベが居てくれて本当に良かった有難う宮藤官九郎。
そんなオカベに弾き語って欲しい曲があります。
下駄を鳴らして奴が来る
腰に手拭いぶら下げて
学生服にしみ込んだ
男の匂いがやって来る
あゝ 夢よ良き友よ
お前今頃 どの空の下で
俺とおんなじ あの星みつめて
何想う…♪
あの曲弾き語って欲しい。
夢を抱えて 旅でもしないか
あの頃へ(笑)
ここは自分以外は頭おかしいって思ってる奴らの溜まり場か?特に否定も肯定も気持ち悪いって言ってるのが1番気持ち悪い。
喧嘩腰にならずに、
色んな意見があるなあ
でいいんじゃないんですかね?
それで自分の意見が翻ることもないし
小説と春夏秋冬の前後関係とか小説の解説とか、興味深いです。
いつもへぇーと感心しながら読んでます。
ありがとうございます。
最終回良かったです。
あれだけ証拠を突きつけられても、全員お父ちゃんの子だ、と言い切る塚地さん演じるお父さんに泣きました。
仮説から離れ、偶然出会っても声をかけない
それも深い優しさ
でも半助とタツヤのような関係も素敵だなあと思いました。
あそこにいた全員の幸せな未来を祈りたくなる
優しいラストでした。
最終回観ました。
良いとか悪いとか何が正しいとか正しくないとかそういう人の世の物差しは時代で変わるし立場で変わるということを改めて感じました。何が正しくて何が嘘で何が幸せなのかは、その人本人にしか分からない。
どんな場所でも住めばみやこ良いとか悪いとか正しいとか正しくないとか真面目とか真面目でないとかそういう簡単な言葉で片付けないその向こうに優しさや寛容さはあるのだと思う。最近の人は「害」やら「毒」やら「病」やらつけて簡単に人を仕分けするけど少しこういう時代も街もあったのかと思うことも覚えていたいと思う。
季節のない街そこは彼らのユートピアでアイデンティティの故郷でした。けれど彼らは外で偶然出会しても知らん顔をしました、それが優しさも悲しみも知っている人のとる道かななどと思いました。
原作は色々思い巡らされる話ですが、宮藤官九郎さん上手く青春群像劇に纏め上げてますねと思いました。
誰も皆「自分の人生」という物語の主人公である。
宮藤官九郎さん作品最近波長合います。宮藤官九郎さんもお歳召されたのかしらね(笑)次作は新宿歌舞伎町が舞台でこちらもまた季節のない街ぼいですね仲野太賀続投で期待してます。
これを青春群像劇だと言えるのは男性ですね。女の私は吐き気がしました。宮藤官九郎はどちらでしょうか。
人の書いたことに絡まずに自分の感想だけを書きましょう。
人の感想に意見するためのサイトではないです。
本スレはお茶の間ではありません。
興味深く視聴しました。
全編通して男性の優しさ、女性の生命力を感じる群像劇でした。
あれだけ多くの役者さんを1本のドラマで見られたことに感動しています。
以前はついて行けなかったクドカンさんの作品、今は楽しみになってます。
クドカン作品は毒や笑いが少なくなり、社会派になって来ている。そこがいいのか悪いのか?
宮藤官九郎さんは
オリジナル脚本は好きなように
原作付きは原作をリスペクトして、その世界に合わせた脚本を書くと感じています。
作風が違うと感じるのはそのためだと思います。
作者は面白いと思ったのだろうけど、イマイチとしか言いようがない。
例えば岡田恵和もそうだが、最近の作品は自らが理想とするユートピアが多く、かつてのファンだった私は胡散臭さに辟易している。
本作もそうだ。
最終回で良かったのは塚地演じる寝取られ父ちゃん、それからかつ子が立派に仕事をしていたところだ。
彼女は先天的な病気だと思っていたが、環境がそうさせたということだろうか。
ナニが無くなり、寂しい思いもあるだろうが、悪い事ばかりじゃない。
そう思わせてくれた。
生きるとは…っていう内容だった。カオスな世界観だったけど底辺な暮らしぶりとか現実とあまりかけ離れてなくて、なんとなくこういうエリアがありそう。トラの動物バージョンがかわいい。最後もリュックの窓から顔をのぞかせててかわいかった。
何とも切ないラストでした。
大量旗のリメイク品を其々が持っていながら他人の振りをして生きて行く。
あの時のあそこでの暮らしはまるで無かった事にしといてね…と、口裏を合わせたかの様な羞恥と堕落を解っていながら続けていたかの様な……とても深いお話でした。
クドカンだったからまだそこまで暗くはならず見易かったと思います。
自分ももしあそこに居たならと考えたりして、今なら間違いなく染まり切っていただろうと感じました。
藤井隆さんが案外良いスパイスで良かったです。
面白いドラマをありがとうございました。
本作はディズニー+作品を地上波で再放送したもので既視聴済みでしたが改めて配信ものの作品力の高さに脱帽。いい役者いい脚本演出制作陣が思いきりやりたいものをやりながら作品性を追求してるのが伝わりますね。コンプライアンス制限と細分化されたコンテンツの中でガラパゴス日本のエンタメ界が逆輸入的に地上波に持ってきながら作品共有と感性を得られるのは悪くない。まあ先に配信で見てる身としてはプライスレスで見れんのかーい!と思ったりしなくもないけど笑。名だたる脚本家や俳優陣が日本のエンタメを憂慮しつつ配信で巻き返しを本気で頑張ってるなと感じる今日この頃 BSで始まったアマプラ作品古沢良太さんのエンジェルフライトだったり配信ものの本気度に視聴者が目を肥やし忖度まみれのTV作品は人気ものありき古き視聴率指針ではもはや無いのだと触発されて欲しいですね。その上で配信に注力していたクドカンがふてほどに続きまたTV作品に戻ってくる来期役者共々期待してます。
フェリーニの81/2、黒澤の夢の空気があった。
憧れと軽蔑。チクチクする。
最終回はなんかアニメ映画の「平成狸合戦ぽんぽこ」のラストみたいな感じがしてスゴク良かった。
狸達の楽園はなくなったけど、「俺ら、どっこいしぶとく生きてるぜ!」という、せつなく悲しけど、希望を感じさせるあのほろ苦いラストと同じだった。
まさに、季節のない街の住人達はあの狸達と同じだろう。
クドカンって、ほんとにマイノリティのおかしな人達の世界を面白く愛をもって描くのが上手いなと思う。
マイノリティの人にはこのドラマは刺さると思う。
私は派遣肉体労働者で季節のない街の住人と同じようなマイノリティの者なんで、とても共感してしまった。
いゃあー、実にいいドラマでした!
仮設に13年ですかぁ、それまで行政は何をしてたんだか、世知辛い世の中で人間らしい生き方って、考えさせられたドラマでした。
春ドラマが終わり夏ドラマが始まりました。
春ドラマ、色々観て木村拓哉さんと天海祐希さんの夫婦も泣かせたし、日曜劇団「顔」の日曜劇場も何時も通り面白たけど、やっぱり文芸小説の原作ドラマが昨今無い中、山本周五郎の「季節のない街」を見せてくれた宮藤官九郎さんと製作者の方々に感謝です。深夜枠のラブ・ストーリーもそうでしたが春ドラマは深夜枠の文芸小説原作ドラマが個人的にヒットでした。
「季節のない街」は共感ではなく、想像し考えてみるということの大切さを教えてくれているように私は感じています。原作の「季節のない街」は戦後すぐの雑踏に生きる人々の話ですから、私にはもうほぼほぼ歴史小説司馬遼太郎読む感じの山本周五郎です。
今回の宮藤官九郎さん脚色の仮設住宅暮らし十三年という設定も相当想像を掻き立てる設定でした。
けれど、何処でも「住めばミヤコ蝶々」であり、幸せは自分が決めるもので、風は平等にどの街角にも優しい吹き溜まりをつくり、我が街を歩けば犬も歩けば棒に当たるように歩けば探せば何かしら大切なものが見つけられるということではないかと思っている…ということで、私は2024年春ドラマNo.2にこちらのドラマを選びたいと思います。
そして2024年夏ドラマ宮藤官九郎脚本がまた始まりました。今年は宮藤官九郎づくしになりそうな気がします。
誰だか分かるりますか?笑笑
今日は暇でストーカーに会っちゃったのでハンネ変えます、暫くこのハンネにします笑笑
知らない方も見えるみたいですが、こちらのレビューサイトはハンネは収得するものではなくて、投稿ごとに自由にハンネを変えて投稿出来るようになってます笑笑 名前書かなくても良いし。いちいち収得なんてビックリな誇大妄想ね笑笑 それはどうでもいいけど、人は誰でも自分を棚にあげて他人を裁きたがりますよね、人は裁くのが好き笑笑 本当に品格のある方はやたら人を裁かないし下品とは言わないわ笑笑 下品は下品が嫌いよね、本当そう思います。
このドラマもそうだったけど、本当に品格のある人は下品だとは言わないと思う、だって上品な人は下品を知らないし知らないものを決めつけて言うのは、それこそ品格に関わるからね笑笑
今期始まった宮藤官九郎脚本のドラマもそうだけど宮藤官九郎ってそういうこと言いたいんじゃないのかなと時々思います笑笑
下品
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