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(月〜金)昭和の音楽史を代表する作曲家・古関裕而と、歌手としても活躍したその妻・古関金子をモデルに、昭和という激動の時代の中で人々の心に寄り添う数々の曲を生み出した作曲家とその妻の波乱万丈の生涯の物語。
おかしなところには目をつぶるとか嫌みを言わずに、肯定している人達も自由に書かせて下さい。
吉岡秀隆サン、さすがの存在感とお芝居でした。
彼の芝居泣かされた。
嘘っぱちとか、ドラマに文句を言ってたら楽しめるドラマとか無いわね (๑>◡<๑)
いくらフィクションとはいえ御都合のいいテンプレートな出来でした。
来週も期待出来なさそうです。
ドラマもさ相手が「エールさん」という人だと思えばあんまりな発言も控えるんじゃないかと思うんですよ。
手厳しいことも言うのが私の役目って思っている人にとってはどう受け取られるかわからないけど・・・
朝ドラと主人公をわが子のように思っている人も多いけどさ。
わが子だから叱るもありかもしれないけど、一応は尊重するでしょ。
自分の子に嫌味と受けとられることは言わないでしょ?
今後も歌は実名を使いながら、その制作話はベタでテンプレートなお涙頂戴話に脚色しちゃうのだろう。
ボキャブラリーの問題だと思いますが、人様に見て頂いている感想投稿にしては少し内容も有れば良いのかと。
↑あなたも少しは内容のある投稿しなさいよ。
吉岡秀隆さんがむさ苦しいので(役柄がね)、美しい中村ゆりさんでバランスをとったのは良かった。
永田医師というより、演者の吉岡秀隆自身が本当に病気じゃないのか?と心配しちゃうくらいだね。
まぁ、それくらい見事な役作りだよ。
朝ドラ5作品に登場した中村ゆりさん、どの作品でも、この時代こういう綺麗な人いたろうなと思わせてくれる不思議な人です。もったいないから、コロンビアに連れて帰って歌手でデビューさせてほしい。でも薄幸の方が似合いますかね。
中村ゆりさんは、色っぽい悪役で見たことがあります。
実にセクシーな悪女という感じで、黒ゆりの一面を持ち合わせています。
長崎の鐘のエピソードを初めて知りました。原爆をやるなら、もっと時間をかけて訴えて欲しかったです。
終戦を境にした「後先(あとさき)」のこのドラマの描き方はは素晴らしかったと思う。その一つの帰結としての「長崎の鐘」の描き方も、美しく、しかも、感情を抑え気味に「静」かに描き切っているのが好ましかった。その演出が、実際の永井博士の冷静な生き方を想わせた。
ドラマの永田医師と裕一の対話も(実は、私は、これは事実を元にしているのか、宗教という事とも合わせて気にもなるけれど※)ドラマの裕一の心の有り様としては自然な展開であり、そうして、希望の歌としての「長崎の鐘」の誕生という流れになった。
この「希望」の描き方は順当であるが、実は、私は、個人的には、この歌は、「希望」というより「悲しさの強く滲んだ」歌だと思っている。
きっと、この歌は、人により「希望の歌」であり、人により「悲しさの歌」になりうる歌なのだろう、そして、そこにこそ、この歌が多くの人々を引き付けた魅力と深さがあると思う。
それを可能にしているのは、この歌の底辺にあるのが、「希望に満ちた心」というより、むしろ「希望を問いかける心」だからだ、と思う。
「長崎の鐘」の歌は、サトウ・ハチローさんの見事な作詞による曲だが、
前半は(「せつなさ」「はかなく」の歌詞どおり)「希望を望む」悲しい心であり、
後半で(「なぐさめ、はげまし」と)「希望」の歌、へとつながってゆく。
その流れにこの曲調が和してゆくが、底辺に流れる感情は「不幸」な「切なさ」ではないかと私は思う。
だからこそ、この歌は、戦後の「不幸な人々」に共感として迫り、不幸を乗り越える「希望の力」を与えたのではないか、と思う。
そういうことを自然に思わせてくれる、良いドラマだと思う。
(※)「(10-24 07:54:34)実際に古関さんは永井医師に会っていないし、鐘も見ていない。」という投稿を先程見て、参考になった。それは、作家とフクションと作品の関係など、色々と考える参考、題材ともなり、興味深い事実でした。
「露営の歌」は汽車の中で作り上げたのが実話だが、そのシーンがなかった代わりに「長崎の鐘」は帰京の汽車の中で仕上げたことにしたかったのだろう。そのためにはどうしても長崎を訪れなくてはならなかった。でもその方が永田と面談したり鐘をめぐる話も聞けてごく自然だと思う。
裕一が汽車の中で楽譜を書いてるとき、窓ガラスにあてて書き出したところが長調に変わったところでした。演出凝ってますね。1週間まとめ見て気づきました。
今日の予告で久志が落ちぶれてた、どっかで優雅に暮らしてると思ってたのでショック。来週がんばって立ち直って歌ってー!
http://www.usuyukisou.com/kitasan/index.php/blogs/archives/132
長崎の鐘の史実
古関裕而さんの息子さんのブログより
この、古関裕而さんの息子さんはエールでは誕生することがなかったんだね。ま、これはいいか。
戦中、戦後のコロンブスはどうなったの?廿日市・あかねコンビで表現してほしいです。
吉岡秀隆さんの重厚な演技がよかっただけに、いつもながらの窪田正孝くんのオドオドした演技は、ちょっと見苦しかったですよね。ハッキリいって、その脚本と演出が悪いのだと思うのですが、あまりにも酷すぎます。ですから、このドラマは、窪田くんのようないい役者さんを潰していますね!!
実際は華ちゃんの下に妹さんもいらっしゃるはずです。
りんごの唄、長崎の鐘、悲しくてやりきれない
サトーハチローさん、スゴイ作詞家です
でも、私生活は大変だったのですね
最近まで「長崎の鐘」がサトウハチロー氏の作詞だとは知りませんでした。永井先生ご自身の詞だとばかり思っていました。奥様も原爆で天国に召されたこともあり。
「エール」第18週「戦場の歌」が本日深夜26時35分から一挙再放送されます。
このような事は初めてのことじゃないでしょうか。本当に朝ドラとは思えない凄い週でした。
あの「長崎の鐘」は、サトウハチローさんの心に響く歌詞と古関裕而さんの優れた曲の融合によって生まれたヒット曲であるにも関わらず、サトウハチローさんを無視するとは、ちょっと信じられないです。そこまでして裕一だけを持ち上げる必要があるのでしょうか? これでは、史実を歪めているだけの朝ドラに見えます。ですから、何の魅力も感じないのです。
朝ドラでインパール誤解した人のためにドキュメンタリー再放送するんじゃないの……?
私は機銃掃射で左右の兵隊が死んだ人の話を直接聞いた。
>どれほど朝ドラ関係者を傷つけているのやら
どうしてでしょう。
朝ドラとは思えないほど凄い=素晴らしい週だったという意味で書いてますが。
>朝ドラでインパール誤解した人のためにドキュメンタリー再放送するんじゃないの……?
『エール』第18週で描かれた「インパール作戦」についての関連番組『NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール」』 (初回放送:2017年8月15日)も27日深夜(=28日 前2:35~)に再放送されます。
永井?永田?
正しいのはどっち???
フィクション部分に惹きつけられず、心が冷める。
永田先生が負傷者を手当てするところや『長崎の鐘』を歌う山藤さんは良かった。
良かったのは実際にあったことを再現している部分。
サトーハチローさんのことをここで書きたいと思っていたので、書いてくださった方がいて、嬉しく思います。
裕一がコロンブスレコードと契約した頃、事務所の壁に貼ってある作詞家一覧の中にサトーハチローの文字がありました。それを見て、戦後の「長崎の鐘」につながるものだと楽しみにしていました。二人の出会いがどのように描かれていくのかにも期待がありました。
でも結局、サトーハチローさんもそれにあたる人物も登場せず、ドラマの中では「長崎の鐘」は作詞者不明のままです。永田医師に「希望のエール」と示唆されなくても、詞を読めば、どんな思いを曲に乗せるかは自ずと見えて来るようにも思うのですが。
この曲に限らず、ドラマの中で「作詞家と対話し、協働する裕一」が殆んど(全く?)描かれないことを、ずっと残念に思っています。作詞家と作曲家というのは、もっと互いをぶつけ合い、互いを尊重しあいつつ、一つの物を作り上げていくパートナー同士なのかと思っていたのですが、それは思いこみなのでしょうか。
予科練への訪問も、西城八十が同行しない設定に変わっていました。
このドラマでは、現地に行って苦闘するのは作曲家のみで、詩作は天から降ってきたかのように既存のものとして届けられます。作曲家に焦点を当てているからと言えばそれまでですが、私は協働する裕一を見たいと思っています。次の曲では、そういった場面があるといいなと思います。
「長崎の鐘」という曲は、哀しみ、鎮魂、そして静かな決意の表れだと思って聴いてました。もちろん、これは私の感じ方ですので、ドラマ作者のメッセージが「希望を持って踏み出す人への応援歌」という解釈であったとして、それを否定することはできません。
ただ、歌は歌としてそこにあり、その歌をどのように聞き、どのように歌うかは、個々人に委ねられていると思います。このドラマの影響は大きいので、特に「エール」で初めて「長崎の鐘」を聞いた人にとって、解釈が限定されてしまうのではないかと、少し心配になっています。
ところで、ドラマ内の「長崎の鐘」は、コロンブスレコードで録音されていますね。けれど、プロデューサーの姿は見つからず、歌手の交渉も裕一が自宅に山藤を呼んで行っていました。裕一はプロデューサー的な役割も担うようになったのでしょうか。廿日市やあかねも気になりますし、録音技師の小田さんはどうなったのでしょう。戦争を越えて生きてくれているのでしょうか。
ドラマでは東京大空襲も描かれず、主要人物のほとんどが当たり前のように生きています。「生きていること」を確認して再会を喜び合う姿もありません。実際には家族、親類、知人の安否が分からずに探し回る人が数えきれないほどいたことでしょう。この頃のラジオ番組で最も聴取率が高かったのは「尋ね人」だったと聞いています。
妻でさえ尾行して突き止めるまで知らなかったラーメン屋。
あの有人はどうやって智彦を探し当てたのだろう。
朝鮮戦争特需で儲けていく会社になるのでしょうか。智彦は、日本という国の「汚れ役」を引き受ける役回りなのかもしれません。
永田医師が「良い詩だ。」と言ったとき、私も『誰が詩を書いたの?』と思い、調べました。
昨日の感想にも書きましたが作詞の過程は見たかったですね。できるだけ事実に沿って。
歴史小説と私小説くらいの差がありますが、長崎の鐘って、太田裕美さんの、赤いハイヒールに似ているなと思いました。
よかったのは最初だけ
永井先生に私淑している一人として、軽く扱われたようで残念です。
でも、ドラマ、フィクションだから仕方がないのでしょう。
永田医師には子どもがいない設定のようですね。当然、「この子を残して」も書かない。
浦上天主堂の鐘と傷ついたマリア像を裕一と対面させたかったのなら、永田医師もそれだけの役割に限定してほしかったと思います。「如己堂」という名も使っていただきたくありませんでした。
贖罪は自己中心的な行為なのかどうか。
これももう少し深く考えたい主題です。
多くの人が、「生き残っている」ことそのものに罪悪感を持ってしまうような世相の中で、贖宥を得るまでは一歩も進めないということもあったのではないでしょうか。たとえ日々を忙しく必死に過ごし、買い出しの満員電車に身を押し込むような生活であっても、心は虚ろなままでいる。
その「宥し」は言葉だけのものや外から与えられるものではなく、自分自身の心が頷いて初めて得られるものであったはず。「長崎の鐘」という歌の詞とメロディーが、多くの人にとって自らが動き始めること、生きることを「宥す」糧になったのではないかと思います。
裕一の作曲の苦しみが「書けてしまえば解決」というように見えてしまいます。あれだけの苦しみと葛藤は、ゆっくりとゆっくりと、一曲が仕上がるごとに解きほぐれていく性格のもののように思えました。
そういう意味では、「安直な作り」という批判も全く的外れというわけでもないと思います。
永井隆さんは実在の医師で、原爆投下直後の長崎で医療活動に奮闘され、戦後に「長崎の鐘」や「この子を残して」を著した方。
永田武は、「エール」に登場する架空の人物です。
戦争中の軍歌も、あなたは人を応援していたのでしょう。
それに間違いはない。裕一は善意で、戦いに赴く人の力になろうと、自分の力を注ぎ込んでいた。
しかし、その結果、大切な人たちを死地に追いやってしまった。
その裕一が、永田医師のあの言葉で、作曲に向かえるのだろうか。
「とんがり帽子」での乱高下。鯛を持って元気に帰還した裕一が、また長崎で乱高下。
私はどうもついていけない週だった。
細かいことだが、三日もこもっている間も、ゆかりに食事の世話になっていたのだろうか。どうせなら長崎で曲を作ってくる訳には行かなかったのだろうか。タイムリミットで東京に戻ることになり帰りの汽車で楽譜を書くしかなかったと脳内補完もしてみるが、あれだけ空いた(底がファンタジーだが)客車なら、床に座り込んで座席を机がわりにすればよい。
「受け狙い」が目立ちすぎて、見ている方が困惑する。
長崎の子供が「露営の歌」を歌い出した演出は、個人的には好きにはなれない。
そこは「とんがり帽子」にすべきでしょ。
と思うのだが。
横から失礼しますが、あの戦場週間が「朝ドラとは思えないくらいすごい」という感想は色んな場所で目にしますよ。だから再放送されるのでしょう。誰も朝ドラはレベルが低いなんて言っていません。他の朝ドラができなかったことをやったからすごいということだと思います。なぜそんな悪い意味にとろうとするのでしょう。感想が書き辛くなります。
「朝ドラ」が決して低レベルのものとは思いませんが、制約が厳しいのは推察できます。
近頃は放送内容に口出しがされているという話も聞きますし、そのような制約の中では最大限の表現がなされたものだと思います。
「そう解釈するのはあなたの主観でしょう」と感じられるかもしれませんが、これは主観ではありません。
いえいえ、貴方様の主観でしかありません、以上。
あそこは「軍歌を作って戦地に人々を送り出した」自分ということが、裕一に突きつけられるという意味で、「露営の歌」である必要があったのだと思います。
主観ではないと言い張って、自分の主張が正しいと思い込んでいる人からの他人への投稿に対して上から目線であれこれ言うのは
いい加減、規約違反だと気付いてもらいたいものだわ。
2020-10-24 23:44:40 さんが書かれていることは
2020-10-25 00:30:25 さんが書かれていることをわかったうえでの感想なのでは。
横からすみません。
ドラマで言わんとしていることと、その意味するものに対する違和感はわかるような気がします。
永田さんのモデルの永井隆先生のことは、修学旅行で長崎に行った時、ガイドさんの説明を聞いて初めて知りました。
長崎の鐘の曲は母やバスガイドさんが歌ってくれて初めて知りました。
永井隆医師や長崎の鐘や古関裕而さんの事をそれまで全然知らなかった自分が残念で恥ずかしかったです。
史実を知っている人は「アレンジするにしてもやり方がある」と言い、知らない人は「フィクションだからどう描こうが勝手」と言う
「なつぞら」と全く同じですなあ
再放送を見ました。戦場シーンから辛い場面が続いて、ガタガタ震えてる。
でも、まとめて見ると光子さんの歌に今までの思い出が浮かんで、祈りと癒し、そこから前向きになれば。
朝ドラですから
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