5 | 596件 | ||
4 | 152件 | ||
3 | 85件 | ||
2 | 131件 | ||
1 | 637件 | ||
合計 | 1601件 |
>戦争で両親を亡くした春子ちゃんの行く末を案じて、頭をさげて千代ちゃんに頼むのは虫が良すぎると思いましたが、栗子さんには千代ちゃんしかいなかったのでしょう。
反論ではありません。事実関係のみ。
今日、千代の独白で分かりましたが、栗子は千代を贖罪感からずっと思いやっていて舞台も見に来ていた。千代が千秋楽で情緒不安定で芝居もできなくなり、自分が引き取って罪滅ぼしをしようとしたが、自分(栗子)に嫌悪感持つ千代は嫌いな人間から情けを掛けられるのはプライドが許さないだろう。だから、春子の世話をして欲しいと栗子の自己都合の理由にすれば千代も同居してくれるはず。栗子はそう思い春子を口実にしたのです。
「おちょやん」の特徴で脳内補完が要求される場面が多く、私はファンとしてそれが魅力でもあるのですが、今日のはちょっと分かりにくかったかな。
「ごちそうさん」「ひよっこ」のように脳内補完が多いがファンにはよく分かり多くの受賞でプロからの評価が高かった作品を見ても、もう少し分かりやすかったです。
朝ドラは多くの人が見るので「あぐり」のように分かりやすいことも大切です。
2021-04-30 20:20:51
2021-04-30 20:24:54
短時間に短文の星5連投。さくらさんは心を込めて称賛すべきです。
大阪は前作から約1年がかりで、やっと朝ドラには不釣り合いな不可感ってものに気付いたようだな。
栗子は千代が春子の親になることにより,千代が離婚して家庭をなくした悲しみから立ち直るのではないかと思ったのではないのでしょうか?戦後なら親をなくした子どもは大勢いて親戚に引き取られたケースもたくさんあったのではないですか。
2021-04-30 20:38:42です。
>栗子は千代が春子の親になることにより,千代が離婚して家庭をなくした悲しみから立ち直るのではないかと思ったのではないのでしょうか?
これも千代の独白からはありうるでしょうね。「春子の世話をうちに頼むことで、うちを生かそうとしてくれたんや」と言ってますので。
つまり居場所をなくした千代に居場所を作って救おうとした。
あ〜やだやだ。自分のして来た事を後悔して、死ぬ前に千代の前に現れて謝り倒したテルヲ。
ヤクザのヨシヲは皆に迷惑をかけたから他人の為に良い事してから死んじゃいました。
で、今度は栗子が千代の為に、、ですか。
昔の事を悔いてしているんでしょうが、ドラマ的には結局お涙頂戴で、同じパターンの繰り返し。
そういうのあざといしクドく感じるだけで、お腹いっぱい。
千代には寛治という息子がいるでしょう。
血がつながっていなくても、少年時代から生活を共にした息子です。
血のつながりってそんなに大切ですか?
母として慕ってくれる寛治、家族のように接してくれる岡安(岡富)の人など、離れていても大切に思ってくれる人がいることが千代の心の居場所です。有り難さに気づき、謝罪すべきです。
芝居は最初から居場所ではない。真面目にやらなかったから自業自得です。急に芝居を持ち出されても今さら感満載で興ざめです。
愛されなかったヨシヲや縁談も紹介してもらえず食事も一緒にできなかった岡安のお茶子さんたちのことを思えば、千代は贅沢で自分勝手です。
いまになっても自分の身勝手さに気づかずに、いつまでも過去の不幸に酔いしれて可哀相な自分に浸っているところが大嫌いです。
悪女栗子がどうして千代を哀れに思い始めたのか全然わからないし、一週間もあってちっとも話が進まないし、今までのキャラは全然出てこないし、急にいいお話しになってよくわからない。エールの裕一は音楽以外は何もできない人だったけど、千代は違うのに、なんで芝居がないと駄目なのかわからない。
京都にいるのにカフェの人たちどうしたの?
地元の評論家が今作は道頓堀らしさがないと指摘されました。
このドラマの脚本を書いた方は栃木県出身の方らしい、
もしかしたら栃木県の宇都宮市の商店街のオリオン通りを
想像して書いたのかな。
餃子が出てこなくて良かった。
確かに塚地さん、生瀬さんが出演されて、しまった。エマさんの演技もすばらしい。朝ドラらしくなったと好評なようですが私はダメです。まだ劇団の方たちとワチャワチャしてた時の方がましとさえ思います。栗子さんを今更、いい人にする必要がありますか?ずっと千代のことを気にかけ、花籠を送っていたのは栗子?千代を売り飛ばせと亭主をそそのかし、追い出し、ヨシヲも家出。あげく自分自身も亭主を捨てた。それが今更、実はいい人だったんです~って?
>食事も一緒にできなかった岡安のお茶子さんたちのことを思えば、千代は贅沢で自分勝手です。
シズの場合は「おしん」加賀屋の大女将に当たる。仕事が終わった後は読み書き算盤を女学校を出た人間にも負けないくらいのレベルで自室で教えてくれ愛情豊かに接してくれた。ただ、あくまで奉公人と女主人の上下関係はあった。千代はみつえのように女学校はおろか小学校にも行かせてもらっていない。働き者でよく気が付くのでシズに気に入られたが母親のように自分の分身としてぐうたらで我儘な娘でも許容してもらえる甘ったれた態度は許されない。
寛治は気の毒だが一平の犠牲になった。一平と自分達の幼少期からの苦労を話し同じ仲間として共に暮らそうと抱き合った。だが、一平の裏切りでそれが絵空事に千代が思えても不思議ではない。
千代が憎まれ口を栗子に言ってるのがシズと違う。栗子が酷い女だった他に本音で物を言える相手。シズに防火用水で洗髪等の昔の辛さを言える訳もない。その辺が家族になったのだと思う。
ヨシヲが話題に出ないのは千代の手の届かない場所に行ったということだろう。遺影も遺骨もないヨシヲは不憫であると言う意見は一理ある。
BKの関係者かバイト君の複アカによる星5&4連投がえげつない。
私も今の展開の方がますます嫌になりました。栗子なんかに助けられないで、一人で立ち直って女優人生を切り開いていって欲しかった。
今までもずっと誰かに助けられてばかり。女優としても棚ぼたの印象でしかなく、千代ちゃん凄いな~なんて場面一度もない。
他人に偉そうにああだこうだ言うのだけは得意みたいだけど、そういうのはヒロインとしては一番いらないから。
謝罪は大切。
どんなに自分を正当化しても傷つけた相手に許してもらわなければ意味がありません。
栗子さんは千代を応援することで自分も励まされ、少しずつ謝罪を重ねていった。
おちょやんはある意味栗子さんの成長物語でもあったのだと気づきました。
終盤を迎え残りわずかで和数が足りなくなって来たせいか雑になって来ました。前回芝居はつらいことを思い出すから怖いと深刻な顔をしてラジオドラマを断ったのに春子の作文だけで簡単に役者に復帰してあっけなかった。花籠の回収は後出しで都合が良すぎて興ざめでした。千代を応援するなつかしい道頓堀の方たちの心配しているとか女優復帰を信じているとか温かい言葉を送るシーンを見せず長澤のセリフだけの説得では物足りなかった。さくさく淡白に進み千代の正念場であるはずの復帰劇が安っぽく見えて期待外れでした。
終わりが近づき、何を製作陣の方々はジタバタしておられるのでしょう。たがが視聴率、されど視聴率ですよね。悪あがきしてるとしか思えない。あとの祭り。お首の辺りスースーしてらっしゃいます?
千代も栗子も、ホンマどいつもこいつも安っぽい。
実の娘と使用人の千代を比べても…。
みつえは一人娘で跡継ぎなんだから、世間体もあって女学校に行かせるのは当然かと。それに千代と違っておしんは身の程をわきまえて、良くしてくれる人に心から感謝していた。
岡安のお茶子さんたち、使用人だから、主家と食卓を囲めないのは仕方がないとして、大金を払ったお客様でもないのに甘えて居座って、しかも家族同然に接してもらっても満足せず感謝しない千代をどんな思いで見ていたんだろう。
>ヨシヲが話題に出ないのは千代の手の届かない場所に行ったということだろう。
「弟のためなら死ねる」のに手の届かない場所に行ったとたん話題に出さないんですか? 意味がわかりません。私なら、自分が傷つけられるよりも、自分の大切な人が傷つけられたほうが許せません。
幼い弟を一人ぼっちにして守れなかった。一生後悔します。重大な約束を破って取り返しのつかない結果を招いたテルヲと栗子を憎みます。会えば責め立てます。子供時代に時間を巻き戻すか生き返らせない限り許しません。それほど人の命、人生は重いのです。
愛憎っていうけど、愛がなければ憎悪は生まれない。千代は本気で人を愛したことがない。最終週にかけて、千代は一平の上に立って偉そうに許して、器の大きさを見せつけてアゲまくるんだろうね。
今作の朝ドラは終始棚ぼた代役やアゲアゲだらけでたいした苦労もしていないイージーなヒロインでした。また役者に向き合い懸命に努力を見せる場面もあまりなく立派な女優に見えなかった。よって当郎や長澤が千代を煽てて推しているシーンが大げさで滑稽でした。
最終回くらいは視聴率、大台に乗ってくださいね。初回のご祝儀視聴率ももらえなかった朝ドラ。一回も19%台にすら届かない朝ドラなんて……。
私も、塚地さんをヒロインにするのは明暗だと思います。
栗子が花籠の人だって。笑える。この半年間でどこをどうやったらそんなドラマになるの。最初の栗子にそうなる予感があった?栗子は千代が邪魔で追い出したのに。あのテルヲとの別れの決めゼリフ「うちがあんたらを捨てたんや」の「あんたら」に栗子も入ってたんでしょ。その後生きてるかもわからない、人の口にものぼらない、視聴者も脚本家も忘れ去ってたようなキャラを出してきて伏線回収ドヤアってされてもね。伏線って、わからないように仕込んであるものだよ。栗子はなーんにも伏せられてなかった。ただ存在を消されてただけだった。
家族をテーマにしてること。
肉親が死んでも他人と家族になれる。
そういうものを感じているよ。
家族になろうよって予告を見たらそんな大団円を感じたもので。
栗子と千代と春子
三人とも家族がいないというような身の上にしていて
それでも繋がって行くんだよなあと感じさせる展開。
なにを見せられてるのか、最終に取ってつけた展開では心に響かない。
こんな薄っぺらい話に、家族がテーマなんて出されるとムカムカ正直ムカムカしてくる、テルヲの最後に母親は許すと、ろくでもない事を言ってたな、母親だったら許すわけない、自分の娘を売ろうとした男を、、、いまだにテルヲ、この朝ドラもどき最悪最低愚作と言いたい!
批判が悪みたいな言い方、やめて貰いたいものですね。
どちらが正しいなんて誰にも決められることでもなく、自由に其々の感想を書ける場所。
乱暴な言葉はお互い様。
息子のような寛治に何も言わず逃げたので、家族をテーマというのはちがうと思います。本当に家族と思っているならだまし討ちのように姿を消すことはできない。
千代が捨てた家は誰の家だったのか気になっています。一平のものならあそこに灯子と暮らすのか、千代のものならどうなっているのか、借家なら寛治があの家の家賃を払ってるのか。千代の名義でなければ寛治は暮らせそうにないですね。
半径5メートルとかいうドラマ見た。ヒロインの芳根京子は杉咲花と同じくらいの年齢では?芳根京子、おちょやん出来るよたぶん。でも杉咲花には半径5メートルは無理だよ。ドラマに合わないとかではなく、半径5メートルに要求される演技が杉咲花には難しいのではないか?
何でも綺麗な話に纏めようとしているけれど、別に皆が皆、良い人にならなくてもいいじゃない。
美味しい話も退けて、色々な困難も跳ね除けて、千代が自力で立派に女優として花開いていく姿を見せて欲しかったなと思います。
これまで見て来た千代には残念ながら、憧れも応援したいという気持ちも持てません。
ラストに感動を覚えることも多分無いでしょう。
おちょやんの提灯記事、ラストスパートで、まぁ出るわ出るわ!この朝ドラが如何につまらないかを証明するようなもので、みっともないったらないよ。
乱暴はよくない。
ランボーって乱暴な話だった。
半年分のだいたいの脚本を仕上げたうえで、ヒロインはオーディションで役にあった人を選んだほうがいい。
「おはなはん」のヒロイン樫山文枝さんは、最後のお婆さん姿が似合っていたから選ばれたそうだ(もちろん演技力、爽やかさ、明るさ、品の良さがあってのものだが)。
最終回へ向けてのラストスパートが半端ない。
塚地武雅さんや生瀬勝久さんの活用が完璧にはまってます。これは最後まで目が離せないでよね!
ここまでは17%前後の世帯視聴率が「近年の朝ドラよりも2~5%も低い」と繰り返し報じられているほか、「話題にもならない」などと、さんざんな言われようであり、「失敗」のムードを醸し出すメディアが目立つ。
しかし、SNSを見ると、コメントの大半は称賛、感動、愛着などのポジティブなものが占め、見ている人の満足度はむしろ他の朝ドラよりも高い。
実際、低視聴率を報じる記事が出ると、それを打ち消すような反発のコメントで埋め尽くされ、しかもその声は中盤から終盤にかけて増えている。
その世帯視聴率は、すでに民放各局の営業現場でほとんど取引に使われないレベルのデータに成り下がっている。また、録画機器が発達したほか、昨年スタートした番組同時配信アプリ「NHKプラス」も加わったことで、ますますリアルタイム視聴が減る中、そんなレベルのデータを持ち出すことにほとんど意味はないだろう。
ネットメディアとドラマの親和性は高く、エンタメ記事の多くを占めているが、業界内では「勝ちドラマを称え、負けドラマを叩くのが最もページビューを取れる」と言われている。ところが「勝ち負けを決める判断材料が世帯視聴率」という基準は時代錯誤であり、昭和から続くメディアの悪癖にほかならない。
最終回へ向けての不正評価のラストスパートも半端ないですね、さくらさん。
個人的な主観ほどあてにならないものは無いでしょう。反発のコメントなどどのドラマでも普通にあることをこの作品だけ特別な事の様に言われてもね。
視聴率云々も、この先の作品がもし高視聴率だった時には無意味な発言でしかないですね。
不正評価と違って正直な視聴率は記録として残ります。
それをどう受け止めるのかは人によって違うでしょう。
今更感しかない栗子でお涙頂戴とかいらないわ。ほんと好きよね、こういう話。
パターンが一緒で能がないなと感じます。
大丈夫屈託のない笑顔に勝るものはないから。
オープニングの最後に出てくる千代ちゃんに会いに来て
みんな話したいんだよ。
さくらさんには写真だけでも会いたかった。
ヨシヲも写真は残されていないし、戦争を生き抜いた人は兄弟を失っていて本当につらいと思う。
自分より若い者に先立たれる悲しみ、子や妹弟に死なれる悲しみは耐えがたいものと思う。
栗子さんも春子ちゃんも千代もそうした悲しみを乗り越え寄り添って生きているんだね。
ドラマはあと2週を残しましたが、人間がそれぞれ魅力的に描けていないせいか愛着がある登場人物が誰もいませんでした。岡田夫婦は夫婦にみえずみつえは二人の娘に見えなかった。富川夫婦もその息子福助も存在感を残さないまま戦死して千代が籍を置いた劇団は烏合の衆で魅力なしで一平は頼りがなかった。重厚感があったのはテルヲや万太郎や千之助や当郎や長澤くらい、栗子は序盤の鬼畜のトラウマが強く今さら謝っても納得が出来なかった。ヒロインも厚顔無恥で好きになれなかった。今作をこれまで見て来て愛着がある登場人物が誰もいないのでドラマが終わっても寂しくもないしロスも感じないだろう。
おはよう日本の高瀬アナが送りで言ってたことがありました。
「おちょやんのテーマは家族だと思っていたのですが孤独がテーマなのではないかと?」
人は皆孤独で最後には1人になってしまう。それでも寄り添い自分の価値と居場所を作り生きて行くのではないかと。若いときには感じなかった孤独を噛みしめるようになった自分は思います。
おちょやん終盤の孤独な女三人の寄り添い方から感じるものがありました。
母親が急に改心するのが早くてイマイチ
おお、高瀬アナ鋭い!真の朝ドラファンは目の付け所が違いますね。
これまで支えてくれ助けてくれていた岡安や劇団員のみんなを捨て、今まで憎しみの対象だった栗子に初めて親子のような本音を見せるなど、実は長年の理解者一平が千代にした裏切りと同じようなことを千代もしていて、この脚本家は人間って本当は孤独なんだよ壊れない関係なんて誰とも作れないんだよと思ってるんだろうなあとか思いました。
どんなに鬼畜な人物であっても、改心すれば良かった良かったと感動してくれるとでも思っているんじゃないですか。安易だなぁ〜
あの栗子さんの “ あんたが女優として頑張ってるって分かったとき、なぁんや知らんけど、嬉しゅうて・・・嬉しゅうて涙が止まらへんかった。千代・・・気張ってや・・・これからもずっと、あんたのこと応援してるさかい!! ” という言葉には、千代ちゃんに対しての深い愛情が込められていましたよね。そして、老いた栗子さんを演じていた宮澤エマさんの演技は、余りにも秀逸だったと思います。やはり、今週は、ちょっと意外な展開の栗子さんに泣かされましたね!!
娘を売り飛ばしたテルヲも、なぜか岡安の人たちとか千之介たちと楽しくしゃべる気のいいオヤジになってたからね。
栗子のキャラ変も脳内補完でよろしくってことかな。
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